謎町紀行 第135章

アリバイ工作の桜見物、泥沼の一途を辿る内戦

written by Moonstone

 3日後。僕とシャルはS県の北東にある長瀬渓谷にいる。渓谷と言っても険しさはなくて、板を敷き詰めたような岸壁や川岸、広くて穏やかな流れの川が主体の自然公園といった趣。此処にはシャルの案内で電車を乗り継いで来ている。意外に乗り換えはスムーズだったのと、駐車場の少なさに対して車が多くて、電車で来たのは正解だったと思う。
 長閑な山間の町は、長瀬渓谷の他に桜並木が多くて、ほころび始めた桜見物の客が多いようだ。今日から此処に来ているけど、ゆったりした雰囲気がシャルの琴線に触れたようで、ホテルを押さえて全域を回りたいと提案。反対する理由もないから、シャルにホテルを押さえてもらって今に至る。
 少し歩いていると、ライン下りの看板が見える。穏やかな流れの川だから、ゆったり気分を楽しめそうだ。看板を頼りに受付所へ行くと、次の便は20分後でまだ十分空きがあるという。シャルも乗ってみたいと言うから2人分購入。乗船5分前までに待合所まで来れば良いとのこと。こういう緩やかなところも良い。

「そういえば、この乱川(らんかわ)って、東京にもある川の名前と同じだね。繋がってるとか。」
「そのまさかですよ。」

 シャルがスマートフォンの表示にハイライトを加える。僕とシャルが居る長瀬渓谷がある長瀬町からだと、北に大きく弧を描きながら南東に向かい、今は荷物置き場となっているシラワ市、更には内戦の真っ只中にあるオダワカ市を通り、東京湾へ流れ込む。名前だけが同じと思ったら、今いる場所は乱川の上流そのものだったのか。
 豊臣秀吉の小田原攻めの後、従軍していた徳川家康が関東への国替えを命じられて本拠地を江戸に移した時、江戸は広大な湿地帯に覆われた未開の地だった。その原因の1つが海抜の低さと暴れ川である利根川の存在。当時の考えでは関東、特に江戸は攻略不可能な土地だった。秀吉としては出身地の三河(現・愛知県東部)をはじめとする広大な領地を有する家康を都から遠ざけられれば良く、本拠地は絶対江戸でなければならないことはなかったという。しかし、家康は江戸を本拠地に選び、大改造に着手した。
 1つは、海の埋め立て。当初、家康の本拠地となる江戸城-現在の皇居あたりまで海があった。家康はこれを埋め立てた。現在の日比谷公園や新橋周辺は、この時に神田山(駿河台の南にあった山)を切り崩した土砂で埋め立てたことで出来たものだ。そして残した水路を利用して物資を運搬することで、江戸城を改修した。陸上の物資輸送は馬が使えれば御の字だった時代、大量の物資運搬は船が圧倒的に優位だった。家康が山に囲まれた小田原や鎌倉ではなく、海に面した江戸を本拠地に選んだのは、有り余るほどの水を制御することで膨大な物資運搬を可能にする水路を多く作り、ひいては江戸を発展させられると見込んだからと考えられる。
 そしてもう1つは、河川改修による治水。当時、利根川は江戸湾-現在の東京湾に流れ込んでいて、これが度々水害を齎していた。家康は利根川の流れを銚子に移し替える一大事業に着手し(1594年)、2代将軍秀忠の時代に至る31年の時間をかけて完成させた。これにより、利根川の氾濫による被害を抑えると共に、武蔵国から房総半島に至る広大な土地を南北に分断することで、伊達家や上杉家といった東北地方の強大な外様大名から江戸を守る天然の擁壁を形成した。
 乱川の流路変更は、秀忠の時代に着手された。当初、利根川と合流していた乱川は、頻繁に氾濫する文字どおりの暴れ川だった。この流路を大きく西側に変更し、現在の隅田川に繋がる流路にした。これにより、現在のS県が湿地帯から穀倉地帯に変貌し、乱川など豊富な水路を利用することで大量輸送が可能になり、江戸の繁栄を支えることになった。

「乱川は頻繁に水害を発生させる川で有名なんだけど、上流はとてもそうには見えないね。」
「はい。ずっと穏やかで名前と一致しないですね。」

 蕾がほころび始めた桜を映す水面は、凹凸が少ない綺麗な鏡像を形作っている。下流で大雨や台風の時に堤防を決壊させ、大規模水害を齎すことがある川とは思えない。時折吹き抜ける風も春を感じさせる暖かさで、オダワカ市の騒乱が別世界のようだ。
 時間が近づいてきたから、待合所へ戻る。定員の半分くらいの客がいる。カップルか夫婦らしく男女ペアばかりだけど、一様にこちらを、正確にはシャルを見るのは変わらない。シャルは一瞥すらせずに、僕にチケットを出すよう促す。僕はジャケットの内ポケットからチケットを出して、半券を受け取って船に乗り込む。水面は至って安定しているけど、船という性質上か乗り込む時に少しばかり揺れる。僕が先に乗り込んで、シャルに手を差し出す。シャルは嬉しそうに僕の手を取って船に乗り込む。
 船はエンジンとスクリューがついた大きめのボートといったところ。ゆったり腰掛け、配布されたライフジャケットを着て、全員準備完了したら出発。穏やかな天候の下、左右に広がる板を並べたような川岸、向かって右手に並び立つ、同じく板を並べたような岸壁。そこから顔を覗かせる、ほころび始めた桜並木や街並み。僕とシャルが乗ってきた鉄道路線の高架下を潜り、複雑な形状になった岸壁の間を通り、田植えを待つ水田が広がる。
 水面は至って穏やか。これが下流になると、台風やゲリラ豪雨で堤防を越えることもある暴れ川になるとは想像できない。川岸の両側を結ぶ橋の下を何度か潜り、広い岸壁が左手に見えて来る。そこに桟橋がある。此処が終着点のようだ。船のスピードが緩やかになり、船頭の操作で川の流れに対して90度になるように向きを変えつつ、桟橋に接岸する。船頭がロープで船を桟橋に括り付けたら、降りることが出来る。少し揺れる船から桟橋に渡り、乗り込んだときと同じようにシャルの手を取って桟橋に移動させる。
 ライフジャケットを返却して、案内板に沿って川岸の階段を上る。簡易のロータリーがあって、マイクロバスがある。半券を見せれば無料で待合所まで乗せてくれる。東に見える駅から電車に乗っても良い。この場合は半券が一定区間分の料金に充当される。ライン下りの分と同じ3駅分だそうだ。僕とシャルは長瀬町の駅近くのホテルに泊まるから、マイクロバスに乗ることにする。

「川下り、気持ち良かったです。」
「それは良かった。」

 マイクロバスを降りてもシャルはご機嫌。船に乗る機会はあまりないし、フェリーより水面がずっと近い。その分揺れは大きくなるけど、暖かい南風に吹かれ、綺麗な水の匂いを感じながらの30分余りは、喧騒から離れて心を癒すには絶好の時間と環境だと思う。
 混乱続きで暫くご無沙汰だった写真も結構撮った。もっともシャルがメインになったけど、ファインダー越しに見るシャルは本格的な春が間近に迫る穏やかで心地良い雰囲気に浸っていて、気持ち良さそうだった。それに、被写体としても最高だった。人を撮影するのがほぼ不可能なこのご時世、最高の被写体が直ぐ傍にいるのは何とも贅沢だ。
 多分、あと1週間ほどで桜が咲く。この気候が続けばもう少し早まるかもしれない。以前、レンタルの着物を着たシャルを撮影した時は冬だった。満開の桜を背景にしたら最高に映える。アカウントもないし絶対にしないけど、SNSに乗せたらトレンド入り間違いなしだろう。

「桜が咲いたくらいにまた来ますか?」
「僕は勿論良いけど、来れるかな。」
「大丈夫ですよ。ホテルは同じところを押さえます。」
『1週間や10日では、今の作戦行動は終わりません。』
『手こずってる?』
『作戦自体は順調に進んでいますが、ゴキブリみたいな連中ですから数日ではある程度復興します。労働人口全員が動けなくなるまで、私の掌の上で踊ってもらいます。』

 前例からして、一般的に破壊したというレベルだと、勢力範囲内のオダワカ市の市民を動員してでも一定程度復興してしまう。シャルは昼夜分かたず徹底的に同士討ちをさせて、戦闘や武器製造が可能な年代を全員動けなくして、ライフラインも徹底的に破壊する計画でいる。違法な接続部分を寸断するだけじゃなく、造成レベルから作らないといけないレベルまで破壊する計画だ。
 ホログラフィは一切の物理攻撃が効かない無敵状態。そんな無敵の存在が昼夜問わずに襲撃してきたら、クルド人グループは嫌でも疲弊する。疲弊させるにとどまらず、家も工場も倉庫も、武器も工具も何もかも破壊する。結果、文字どおりの焼け野原になる。すべてクルド人グループの同士討ちの結末という体で。
 自警団の勢力範囲は、足止めの範疇に留める。銃器を使用不能にするのがメインになる。ホログラフィと言えど、正確無比な狙撃や破壊工作で、運び込まれた銃器は悉く使用不能になる。実際その結果が出ているけど、負けじと銃器が運び込まれてくるという。銃器の追跡や出所の捜索も並行して進められている。現時点では、銃器はS県で製造されたものではないことが分かっている。それはそれで別方面の疑惑を呼ぶ。
 シャルの作戦行動でオダワカ市の殆どは灰燼に帰す。巻き添えで市役所や警察署も破壊される確率が高い。だけど、差別と難民申請を錦の御旗に不法滞在を続けたクルド人グループをまともに取り締まらず、市民より自称難民を上に置いた結果が、クルド人グループによる事実上の占領と内戦だ。その怠慢と日和見主義のツケを払う時だ。

「じゃあ、1週間くらい後かな?また見に来よう。」
「はいっ。」

 オダワカ市の大半が灰燼に帰す確率すらある作戦行動を他所に、S県の奥、暴れ川とは思えない川の両岸で本格的な春の訪れを告げる桜を見るためにまた訪れる。オダワカ市が世界から隔絶されたような気がする。この先どうなるんだろう?クルド人グループは何も分からないまま、勢力争いと報復を繰り返して自滅していくんだろうか?

もしかして…、また1つの自治体が地図から消滅することになるんだろうか?

 1週間後、再び長瀬町を訪れた。今回の混雑はかなりのもの。駅周辺の駐車場は空き待ちの列が出来ている。前回と同じホテルをシャルが押さえてくれていて、前回と同じ電車の路線で来ているから、駐車場の空き待ちとは無縁で川岸に沿った道路を気ままに歩いて、満開の桜を眺める。前回よりも暖かくて、季節が春にシフトしたのが良く分かる。

「綺麗ですねー。」
「そういえば…、シャルは桜を見るのは初めてだったね。」
「はい。知ってはいましたけど、実際に見ると全然違います。」

 シャルが桜が満開になる時期にもう1回来たいと言った理由が分かった気がする。僕とシャルが出逢ったのは秋が深まりつつあった頃。冬を越して春、連休明けに一緒に旅に出た。旅に出る前にも桜の時期はあったけど、僕が会社を辞めたりアパートを引き払ったりしていて、桜を見に行く余裕がなかった。シャルにしてみれば、待望の桜の実物を見る機会だったわけだ。
 コートからカーディガンに替えたシャルは、桜並木と絶妙に調和している。どうしてだろう?髪型は普段と同じ、後ろで紫の幅広のリボンで束ねるものだし、羽織りものがカーディガンに替わったくらいで、タートルネックとスラックス、スニーカーというカジュアルな基本の服装は変わってない。素材の違いだな。実際、ホテルを出る時から駐車場の空き待ち、そして今に至るまで、シャルに向けられる視線が絶えることはない。
 シャルは僕と手を繋いでいて、時折空いている左手で髪をかき上げたり、桜を指さしたりする。それは無意識にするものもあるんだろうけど、主たる目的は指輪を誇示するため。髪をかき上げたり桜を指さしたりするたびに、雲1つない空から降り注ぐ穏やかな日差しを受けて、薬指の一部が一瞬輝く。
 シャルのそのしぐさで、明らかにシャルに向けられる視線が減るか勢いを失うかする。指輪の輝きはごく小さいものだし、太陽光がある下だから大して見えないと思うんだけど、思いのほかよく見えるようだ。シャルはそれを分かっていてそうしているんだろう。見るだけなら好きにしろと思っていても、あからさまな視線を向けられるのはやっぱり良い気分じゃない。

「この辺で写真を撮ろうか。」

 駐車場や駅から距離があるせいか人気が少なくなる。でも、桜は全体を覆うほど鮮やかに咲いている。シャルを被写体にするには最高の環境だ。スマートフォンを出してシャルを撮影する。普通に幹の傍に立っているところも良いし、それを接近して撮るのも、桜並木を広く収める用に撮るのも良い。ちょっと趣向を変えてみる。

「シャル。少し枝の方に移動してみて。」
「こうですか?」
「うん、良い感じ。」

 シャルの顔が桜の枝と隣り合う。シャルの金髪と紫のリボンと桜のピンクが絶妙に調和する。思わずシャッターボタンを連打してしまう。僕の雰囲気を察したのか、シャルが少しはにかむ。それがさらに映える。シャルに桜の枝に手をかけてもらったり、角度を変えたり、ズームの度合いを変えたりしてシャッターボタンを連打する。

「これでもかと言わんばかりに撮りましたね。」
「もっと撮りたいっていう気持ちが止まらなくて。」
「私だけ写っても面白くないです。一緒に撮りましょう。」

 シャルは僕からスマートフォンを取って、撮影モードを切り替えて、スマートフォンを僕とシャルの方に向ける。その時、シャルは僕の腕を軽く引っ張って密着する。頬と身体がくっついたところでシャルが写真を撮る。頬と腕に伝わる物凄い柔らかさと良い匂いに、シャルの写真を撮っていた時とは違う方向で頭がヒートアップする。
 シャルはその後も、場所や角度を替えて僕と一緒の写真を撮る。僕とどこかしら密着して撮るから、僕は頭がくらくらする。ほぼ毎晩シャルの肌を見て触れているのに何を今更という気がしなくもないけど、着衣での密着や匂いはまた違う…と言い訳する。

「たくさん撮れましたね。ほら。」
「凄い数。カードの容量は大丈夫かな。」
「適時サーバーに転送していますから、動画をたくさん撮っても大丈夫です。」

 以前はスマートフォンのカメラ機能に全く興味も関心もなかったけど、この旅を始めて、思い出作りと称したシャルと写真を撮るようになって、別にカメラを用意しなくてもその場でかなりの解像度の写真が撮れるのは便利だと分かった。その場で簡単に見られるし、加工やトリミングも可能だ。少し試せば分かる簡単操作で、出来ることはレタッチソフトにかなり近い。
 歩きながら良さそうなスポットを見つけたら写真を撮るのを繰り返す。混雑しているのは、駐車場がある駅前とその周辺くらいらしく、川岸を渡った先の高台から見てみると、人の集まり具合が明らかに偏っている。逆に言えば、歩くことを厭わなければ混雑から解放されてゆったり桜並木を見物したり写真を撮ったり出来る。

「あの桜、凄いですね。」
「しだれ桜かな。確かに凄く綺麗に咲いてるね。」

 道路の脇の歩道を歩いていくと、ひと際存在感を放つ巨大な桜の塊が見えて来る。枝ぶりからしてしだれ桜。それにしても幹が太くて枝が広い。これだけ大きなしだれ桜は見たことがない。早速シャルに枝の傍に佇んでもらって、スマートフォンのカメラのシャッターボタンを連打。何枚でも撮れる。そうしていると、シャルに腕を引っ張られて頬と身体を密着させて、シャルが撮影する。僕と一緒に写るのを重要視しているのが分かって嬉しい。

「此処にこんな立派な桜があるのは知りませんでした。」
「僕も全然知らなかったよ。知らないことはたくさんあるね。」

 改めて見ると、しだれ桜は寺の正門にある。2本が正門の両側に並び立って、枝を広げて覆っている格好だ。これだけ見事だと混雑しそうなものだけど、意外に人は少ない。脇にそこそこの広さの駐車場があって、そこには結構車があるけど、撮影だけして出て行くようだ。駐車場の周りにも立派なしだれ桜や普通の桜があるから、撮影するには十分かもしれない。

「えっと…、この寺は仙道宗の寺だそうです。」
『この寺からはヒヒイロカネのスペクトルは検出できません。』
『確認ありがとう。もしかしたら、って思うよね。』

 折角だから、参拝していくことにする。緑に囲まれた境内は静まり返っていて、ゆったりした配置の建物には人の気配がない。桜だけ駐車場で撮影して出て行くせいだろう。参拝に並ばなくて良いのはありがたい。参拝を済ませたら、桜並木と川縁の町の散策を再開する。
 ヒヒイロカネ…。現在の目標ポイントがあるオダワカ市は、完全に内戦状態。3つのクルド人グループが文字どおりの三つ巴の争いを続け、漁夫の利を狙う自警団は断続的なクルド人グループの襲撃が続いて足止めされ、警察は県警も含めて手も足も出ない状況。他国で内戦をやらかす不法滞在の自称難民を取り締まれず、逆に砲火から逃げ惑う警察には、県警も巻き込んでSNSで厳しい批判が湧き上がっている。
 この混沌とした事態の背景には、シャルの精巧なホログラフィがある。影は勿論、瞬きや髪の揺れ、服の汚れまで精密に表現されるホログラフィは、接触しないと到底識別不可能。一方で昼夜問わずにしかも休憩も食事も不要で、弾丸はシャル謹製のエネルギー弾。これ以上の継続的戦闘力を持つ軍隊はいないだろうし、そんな軍隊が昼夜問わずに襲撃して無差別に破壊と攻撃を繰り返すから、クルド人グループの被害は甚大だ。
 クルド人グループは家族や親戚関係を中心に構成されている。逆に、グループ外は同じ民族でも容易に敵対関係になり得る。元々いた国-トルコでもそういう仲間意識とそれ以外の排他的な意識が原因で抗争を起こし、嫌われる原因となっている。飛行機で遠く離れた異国に渡り、難民申請を繰り返しながら不法就労、不法滞在、医療福祉にただ乗りと厚顔無恥なふるまいを続ける理由の1つが、この民族性だと分かる。
 別グループからライフラインや住居も含めて攻撃破壊されることで、否応なしに敵対心や報復感情が高まり、残骸をかき集めた鈍器や、寄せ集めで作った銃器を持って報復に乗り出す。それがグループ間で繰り返されることで、オダワカ市におけるクルド人グループの勢力範囲は、常に爆発音や咆哮のような怒声、そして悲鳴が響く時刻絵図と化している。これが内戦と言わずして何と言うのか。
 クルド人グループの三つ巴あるいは同士討ちによる弱体化の隙を突いて反撃したい自警団も、クルド人グループ-正体は勿論シャルのホログラフィの襲撃を受けている。こちらの攻撃は住宅やライフラインよりも、物資や銃器の供給に重点が置かれている。ついに3日前、トリキ市と繋がる重要な橋が爆破され、物資や銃器の供給が大幅に低下した。
 橋が渡される川は、僕とシャルが居る乱川。下流だから川幅が広くて、氾濫対策もあって川底が深くなっている。橋が落ちると行き来は不可能。急遽自警団はトリキ市と連携して橋の修復に着手しているけど、これもクルド人グループの妨害で遅々として進まない。食料や医薬品などは、やむなく両岸にロープを張って簡易のロープウェイで行き来するという手段で何とかやり繰りしている。一気呵成に狙いたいところで兵站の根幹を破壊されて地団駄を踏むけど、兵站なしに兵力と戦闘力に格差があるクルド人グループを、しかも3つを同時に遣り込めることは不可能だ。
 それにしても、市内の彼方此方で爆発や黒煙が上がる状況になっても、なお停戦や休戦の動きがないのは不思議だ。敵は殲滅すべきという宗教的、民族的な思想が背景にあるようだけど、戦闘と勝利に固執するのは異様としか言いようがない。だから元々いたトルコで嫌われ、彼方此方の国に入り込んでは嫌われるを繰り返すんだろうけど。
 クルド人グループの潰し合いと奈落の底への誘導は現状維持として、もう1つ気になるのは、自警団への武器と物資の流入。シャルが調査したところでは、東京方面から流入していることと、組織的な関与があることは分かっている。だけど、足取りを掴まれないようにするためか、企業名などがまったく記載されておらず、出所も一定でないらしい。こちらはこちらでかなりきな臭い。
 現状、クルド人グループの戦闘力や生活力が明らかに低下していること、SNSを中心に警察や行政への批判が高止まりなことから、警察や行政が介入して停戦協定を締結させるか、そもそもの病巣であるクルド人グループの一斉摘発と強制送還に繋げるかが想定されている。だけど、警察も行政もクルド人グループの暴走が想像以上とか、職員の危険が大きいとかの理由で介入の兆しは見えない。これが余計に批判を高止まりさせる原因になっている。

『きな臭いと言えば、もう1つ思いつくものがありますね。』

 休憩と昼食を兼ねて立ち寄った食堂で定食ものを食べていると、シャルが言う。

『これだけの重大事態にも関わらず、S県が定番の自衛隊派遣を要請していないことです。』
『言われてみればそれは妙だね。』

 事実上の内戦状態、しかもそれの当事者は外国人グループだから、自衛隊が介入しても何ら不思議はないし、それこそオダワカ市の市民やS県の県民にとっては非常事態なんだから、知事が自衛隊派遣を要請すべきところ。それがなされていないのはかなり妙な話だ。
 自衛隊もかなりきな臭い。情報保全隊による国民運動の監視は既に知られているところだし、僕とシャルに関わることでも、イザワ村ではトライ岳の秘密を巡ってAo県警と交戦し-これも内戦と言える-、偶然交戦範囲に居合わせた三岳神社の宮司を拉致監禁し、オオジン村には村長との密約でMIRVを撃ち込んだ。
 どれも表沙汰になったら国会が紛糾するのは確実。特にオオジン村へのMIRV撃ち込みは、1つの自治体ごと村民を抹殺しようとした、言い換えれば主権者である国民に公僕たる自衛隊が武力行使したという最悪の事例。村長との密約があったことを除いても、自衛隊が自治体ごと住民を抹殺するべく動いた事実に情状酌量の余地は一切ない。
 それだけのことをしておきながら、東京にほど近いオダワカ市での内戦にまったく関与介入していないのは、矛盾も甚だしい。自分のメンツのためには何でもするけど、面倒ごとは基本消極的、というのは警察も自衛隊も同じと言えばそれまでだけど、東京にほど近いという立地、そして警察や検察もろくに対処しない、できない外国人が元凶だから、自衛隊が守る国体=政権党やその取り巻きの高級官僚や財界の首脳らを守るという点で疑問符が付く。

『今は推測の段階ですが、オダワカ市の状況は複数の利害が絡み合っている結果ではないかと見ています。』
『その確率はあるかもしれない。自警団の件にしたって、いくら内戦中だからといって、物資に加えて銃器まで流入するなんてまともじゃないよ。受け取った側も狼狽するとか警察に通報するとかしてもおかしくない。』
『はい。いくら内戦状態といっても、銃器の所持自体に厳しい制限がある国ですから、銃器に対する抵抗感はあって然るべきです。それに、銃器はスマートフォンのように、持って少し試したら概ね使えるというものではありません。訓練を受けていない一般市民では、相手を銃撃するどころではありません。』

 そう、自警団への銃器流入の問題は、銃器が一般市民に行き渡る体制が存在するだけじゃない。銃器は訓練していないとまともに扱えないどころか、周辺の味方や家族を死傷させてしまう危険すらある代物。銃器国家のアメリカでどれだけ銃器の誤使用や暴発による死傷者が出ているか。そんなものが流入したところで即一般市民が使えるとはとても考えられない。
 だけど、不可解なことに、自警団は銃器を使って迎撃や応戦をしている。これはシャルも確認している。自警団の構成員は16歳以上の成人男性だから、高校生くらいから銃器を扱えるということ。その訓練をどこでしたのか。その指導は誰が担ったのか。疑惑は尽きない。
 シャルが言うように、オダワカ市の内戦は、内外の組織や企業団体の思惑や利害が複雑に絡み合って継続している確率は十分ある。だとすると、きな臭さが高止まりする。それは…、オダワカ市がある種の実験場であり、自警団を含む市民が実験材料にされているということでもある。
 ヒヒイロカネにはこれまでも薄汚い輩や組織が関わっていた。共通するのは、人を人とも思わない、自分の利益のためなら他人の利益も人権も生命も踏み躙ることを躊躇わないことだ。それが最悪の形でオダワカ市に現れている恐れは十分ある。オダワカ市のヒヒイロカネを回収するには、そういったどす黒い欲望や利己主義との対峙が必要になるだろう。どう考えても、この世界はヒヒイロカネを扱うことは出来ないと痛感させられる。