謎町紀行 第125章

歴史と家系の隠された真実、若き宮司の依頼(後編)

written by Moonstone

 七輪神社といえば、オオジン村に存在する、否、存在した神社。その本殿裏に地下牢を設け、拉致した女性を冬の間監禁して、集落を回らせて子作りをさせる一時待機場所としていた。その七輪神社から、僕とシャルに警戒するよう促す文書が届いていた。ということは…?

「最初に断っておきますと、すべての神社や神職が神社本庁に盲従する立場にはありません。」

 矢別さんは顔を上げた僕に前置きしてから説明する。
 神社本庁は全国の90%ほどの神社を傘下にしているが、何かと内紛や不祥事が絶えない。最近でも、神社本庁の最高権威である統理を巡って、全国の神社庁長などが集う評議員会が推す候補と役員会が推す候補がそれぞれ裁判所に仮処分の申し立てや訴訟を提起するなど、泥沼の争いを呈している。
 神社本庁はその名称から公的機関と勘違いされることも多いが、数ある宗教法人の1つだ。しかも、神道政治連盟という政治団体と一体の関係にある。神道政治連盟は政権党と表裏一体であり-神道政治連盟の本部は神社本庁内にある-、首相や閣僚も数多く輩出している。それゆえに他の宗教団体や政治団体の不正や疑惑に対して表沙汰になりにくい。そういう隠蔽体質や、議論より根回しを重視する政治屋的体質は組織の私物化、腐敗に直結する。統理をめぐる争いはその氷山の一角に過ぎない。
 七輪神社とは後述する繋がりが長く続いている。しかし、神社本庁を崇拝・盲従する七輪神社の動きは、オオジン村の数々の悪評もあってかねてから疑問視していた。そして神社本庁の中央集権的・強権的体質の上、女性の宮司継承・就任を敬遠する傾向が今尚強いことが、矢別さんの不信を強めていた。その矢先に、オオジン村壊滅のニュースが舞い込んできた。
 七輪神社の宮司から送られてきた手紙には、余所者の容貌は書かれていない。村の住民でない=余所者という短絡的な括りが先行して、容貌まで言及する頭がなかったのだろう。だが、季節外れの大雪が小康状態になり、大型のクマが徘徊していることを理由にした外出禁止令が解除されるとほぼ同時に村を訪れたタイミング、こんな辺鄙な神社をわざわざ参拝したこと、そしてトライ岳やキリストの墓、天鵬上人の軌跡を追っているという話。例の余所者とはこの人達だろう、と察して招き入れ、父の捜索を依頼することにした。

「-このような理由です。加えて、神社本庁から傘下の神社宛に、我が国の伝統の破壊を企てる男女が全国の神社を嗅ぎまわっていること、一部の神社ではそれによりご神体が奪われ、伝統が破壊されたこと、十分警戒し、不審者の参拝は積極的に神社本庁もしくは管轄地域の神社庁に通報するよう命じる機密文書が配信されています。」
「では、僕と妻のことを神社本庁に?」
「いえ、一切通報などはしていません。先に申し上げたとおり、すべての神社や神職が神社本庁に盲従する立場にはありません。ましてや、数々の不祥事を真摯に反省するでもなく、上納金集めと政権党の政策である憲法改正などの署名集めに邁進する政教一致そのもののやり口、更には宮司の出奔や娘の私しか継承者がいないことをネタに宮司の天下りによる交代も当然視する神社本庁に与するつもりはありません。」

 矢別さんは語気を強める。
 人口減少や宗教全般への敬遠で地方の中小神社を中心に窮乏が強まる一方、神社本庁は上納金集めに執着し、自分自身は清浄を重視する神道に背を向ける腐敗・堕落ぶり。それに嫌気がさして、大規模で自立経営が可能な神社を中心に神社本庁から離脱する動きが強まっている。この三岳神社も父の代から徐々に距離を置いていて、父の引退の前に離脱する考えだった。
 神社本庁から離脱することは、天下り的に宮司を入れ替えられることがない、上納金を納める必要がない、など運営の面ではメリットの方が大きい。三岳神社は、その建立の経緯からも、神社本来のあり方を放棄して政権党と癒着し、腐敗と堕落に勤しむ神社本庁から離脱して、地域の拠り所として、そして遠い昔に偉人とされる人物に抹殺された人々の慰霊に専念するのが良い。父はそう考えていたし、自分もそう考えている。
 だから猶更、今はトライ岳の秘密を暴く時期ではない。それは引退して自分に宮司を譲ってからでも十分だし、神社本庁を離脱してからなら国家神道まがいの束縛や圧力にも反撃しやすい。だが、父が現に出奔してしまった今、宮司としてこの神社を留まり守るしかない上に、身動きが取れない。事が公になれば父は確実に宮司を解任され、自分もこの神社を追われ、縁も所縁もない天下りの宮司が着任することになる。父の所在と安否を確認し、存命なら連れ戻すことは、父と自分が思い描いていた三岳神社本来の立ち位置に戻ることにもなる。だから、無理を承知で自由が利く貴方達に頼るしかない。その報酬は金銭として必ず支払う。

「-どうか、お願いします。父を探して、存命なら連れ戻してください。」
『…シャル。僕には矢別さんが嘘を言ったり、僕とシャルを陥れようとしているようには思えない。』
『私も同じ見解です。依頼を受託するかどうかは、ヒロキさんにお任せします。』
『分かった。』
「条件が3つあります。1つは、お父様の安否の責任を僕と妻が負わないこと。もう1つは、依頼完了までの期限を設けないこと。最後の1つは…、依頼完了後に神社本庁からの機密文書を開示すること。いかがですか?」
「ご提示の条件をすべて受け入れます。加えて、七輪神社ともう1社、岩杖神社との関係性についてもお話します。」
「分かりました。依頼をお受けします。」
「ありがとうございます!」

 矢別さんは再び深々と頭を下げる。誰にも相談や依頼が出来ない、孤立無援の状況下で慰霊と歴史の真実の灯を守ってきた心労は相当なものだっただろう。父親の安否は不明だが、可能な限り矢別さんの依頼を達成したい。それは僕とシャルにとっても、何れ対峙する政権党やその支援団体、そしてその背後にいるであろうXに近づく重要な情報を得ることにもなり得る。

『シャルはこれで良いよね?』
『ヒロキさんに判断をお任せすると言った以上、今更それを翻すようなことはしません。』
『良かった。早速だけど、2つ頼みたいことがあるんだ。』
『何なりと。』

 社務所を出る。シャルに周辺を確認してもらって、やはり境内どころか周辺100m圏内に誰もいないこと、盗聴器や隠しカメラの類も存在しないことが分かった。矢別さんは孤立無援で誰にも相談できない、公にも出来ない状況下で、神社や村の束縛を受けない「外部」の人間が来るのをひたすら待っていたと見るのが自然だ。「外部」の人間は確かに神社本庁や村のしがらみはないけど、相手を見誤ると逆に現況を映像付きで喧伝されたりする危険がある。難しい、ギリギリの判断だっただろう。

「一旦拠点に戻りますか?」
「うん。トライ岳にも近くなるし。」

 シャル本体で慎重に通りを抜けて、村営オートキャンプ場に設営した拠点に戻る。まだ他の利用者はいない。だだっ広い草原に大きなテントが1つだけだと、かなり目立つ。不在の間に誰か覗いたりしていないかと思ったけど、このテント自体がヒヒイロカネ、言わばシャルの分身。不穏な動きをすればその瞬間に殲滅されるだろう。

「内部が荒らされた形跡もないね。」
「テントに触れた時点で取り込んで、徹底的に尋問したうえで逆さに吊るしますよ。大体、ヒロキさんと私のプライベートスペースに踏み込もうなんて無礼千万なこと、認める筈がありません。」
「あまり過激なことはしないでね。」

 ダイニングテーブル備え付けの椅子に座り、シャルが淹れてくれた紅茶を飲む。ハーブティーの少し強めの香りが鼻と口から身体全体に行き渡る感じだ。

「ヒロキさんの依頼は2つとも実行しました。恐らく、トライ岳の方は近々結果が出ると思います。」
「期待してるよ。範囲が徒歩には広すぎるから、出来るだけ絞り込んでおきたい。」

 シャルへの依頼の1つは、矢別さんの父親が拠点にしていそうな小屋やテント、あるいはそれらの痕跡を調べて探すというもの。トライ岳は登山道を除いて殆どが原生林と険しい崖で覆われている。当然ながら除雪なんてされている筈もないし、徒歩での調査は非常に難しい。だから調査部隊を派遣して、空と陸の両方から調査してもらっている。
 矢別さんの推測はかなり正しいと思う。イザワ村には小屋やテントを設営できる場所が殆どないし、設営していたとしたら、僕とシャルがいるテントのように相当目立つ筈。しかもトライ岳が原生林と険しい崖の塊のようなものだと分かっているなら、出来るだけトライ岳に近いところに小屋やテントを設営して、移動距離を少なくすると同時に、村人から目立たないようにしていると考えている。
 トライ岳の崖の多さは、三岳神社の伝承がかなり真実に近いことを感じさせる。祈祷で火山が爆発するとは考えられないけど、今のトザノ湖で火山爆発が実際にあったし、天鵬上人こと手配犯が歴史を踏まえて火山噴火が近いことを悪用して、棟梁の一団を今のキリストの墓に拠点を設けさせたんだろう。火砕流や溶岩のスピードは想像をはるかに上回るもので、直面したら逃げるのは不可能だという。それが天鵬上人の宗教家としての能力や名声と相俟って、祈祷で火山を噴火させて棟梁の一団を抹殺した、と伝承されている-こんな筋書きが見えてくる。

「トライ岳の岩盤を分析したところ、明らかに火成岩です。トライ岳の表面は火砕流が堆積して出来たものと考えられます。」
「トザノ湖の火山が噴火することを知っていたから、その火砕流が及ぶ範囲に棟梁の一団の拠点を置いた確率が高いね。狡猾と言うか残忍と言うか。」
「はい。手配犯の手口を見れば、そういう思惑だったと考えるのが自然です。彼らは、自分たち以外の人間は隷属させるか抹殺するかのどちらかしか選択肢がないと見なしています。唾棄すべき選民思想です。」

 火山が噴火して火砕流が及ぶと知っているなら、自分の右腕としてトライ岳の建造に尽力した棟梁の一団を安全なところに配置するか、噴火前に逃がすかするのが通常の感性だろう。だけど天鵬上人は棟梁の一団を抹殺するために悪用した。辺境に位置する小さい神社に残される歴史の真実は、天鵬上人がこの世界の人とものを自分達のために使うことを躊躇わない手配犯の1人だという事実を浮き彫りにしている。

「トライ岳の方は結果待ちとして、もう1つの方は何か動きはあった?」
「現状、異常や不審な動きはありません。」
「ないに越したことはないけど、あればあったで尻尾を掴めるかもしれないから、引き続き頼むね。」
「任せてください。」

 もう1つは保険というか、もしかしたらXの手先か末端の人員が引っかかるかもしれない釣りというか。矢別さんを完全に信用していないという見方も出来るし、実際それを否定できない。僕が一番猜疑心が強くて卑怯なのかもしれない。

「私は保険として合理的な対策だと思います。孤立無援で切羽詰まっていたとはいえ、ヒロキさんと私に重大な案件を依頼する理由としては薄いという見方も出来ます。それに、嘘や裏切りには相応の代償を払ってもらいます。」
「網に引っかかったらXに関する何かが得られるかもしれない。それに期待してる。」

 矢別さんの話で、既に神社本庁が僕とシャルの存在を把握していること、傘下の神社に通達を出していることが分かった。これは色々な意味で重大・重要な意味を持つ。1つは、僕とシャルの旅が神社本庁に脅威と見なされ警戒されていること。僕とシャルのヒヒイロカネ調査回収は神社のご神体が対象になることが割と多い。ご神体は神社の心臓部かつ聖域中の聖域。そこを探られることを神社本庁は非常に警戒している。それだけなら当然という見方も出来るけど、別の観点を含めると神社本庁の立ち位置が明瞭になる。
 どれだけいるか分からない神社の参拝客から僕とシャルをピックアップして警戒対象とするのは、全国の90%の神社を傘下にする広大なネットワークは勿論、神社本庁が政権に近い、つまり公安警察やその協力者を使える側にあることの証左だ。同時にそれは、政権党と表裏一体の関係にある神社本庁は間違いなくXの影響下にあることを証明することでもある。
 矢別さんが部分的に開示した神社本庁からの機密文書では、僕とシャルがご神体を奪い伝統の破壊を目論んでいるとされている。それ自体の正誤は兎も角、破壊の危険に直面しているのは「信仰」ではなく「伝統」としている。神社本庁は万世一系の天皇家を頂点とする国家体制、すなわち国家神道の再興を目指している。だから「信仰」ではなく「伝統」の破壊を警戒している。
 政権や政権党に食い込んでいることが確実なXとしては、現在の体制が覆されることは最も忌避すべきこと。今まで政権や政権党に食い込んでいたからこそ得られた利権や恩恵が消滅するばかりか、それに伴う暗部が露呈する恐れがある。神道日本を掲げた大日本帝国が、敗戦時に軍部の機密資料を破棄したのも、敗戦とそれに伴う占領、政権の瓦解で様々な暗部が露呈する恐れがあったからだ。
 そして今までの旅と調査捜索で、寺社仏閣にかなりの確率でヒヒイロカネや関連の情報が隠されていることが分かった。恐らくは信仰の対象ということで長期間維持可能で、特に聖域や宝物とされたものは安全に隔離できるランドマークとしての位置づけだろうけど、とりわけ神社のご神体にヒヒイロカネあるいは関連情報が隠されている確率が高いのは、神社の性質や位置づけを逆手に取った結果だろう。
 本殿の立ち入りやご神体の拝観は、通常ではまず不可能。だからこそ今まではヒヒイロカネや情報を守ってこれた。だけど、それが僕とシャルによって崩れつつある。伝統が破壊されることで、政権の暗部、そしてそれに食い込んでいるXの素性や悪事が白日の下に晒される恐れがある。

だから、「信仰」ではなく「伝統」と言うんだろう。
政財界や反社会集団と癒着し、利権を維持してきたのも「伝統」だから。

 このイザワ村に入るまでかなりの手間と時間を要したけど、村や神社の規模とは裏腹に、重要な情報や思わぬ機会が眠っていた。これからの行動でさらなる急展開もあり得る。気を引き締めていこう…。