「この道は、除雪されてなかったらとても通れないね。」
「幅員が狭いうえに家屋が近い位置にあって、除雪した雪を道路脇に蓄積できないので、除雪は小型のショベルカーとトラックで慎重に進めたそうです。」
「道が狭いと言っても家屋があって人が住んでいる以上は放置できないよね。」
「はい。更に、この道が三岳神社の事実上の参道であることから、この集落-ニシゴエ集落の中でも優先的に除雪が行われたようです。」
空地はきちんと除雪されている。集落内の道と違うのは、除雪された雪が山積みになっているかどうか。うず高く積み上げられた雪が、さながら塔のように彼方此方に鎮座している。空地の一角にシャル本体を止めて外に出る。まだ冷え込みは厳しい。この分だと積み上げられた雪が溶けてなくなるのは当分先のことになりそうだ。
「先に参拝だね。えっと…あそこから入るのか。」
空地の東隣に鳥居がある。神社によっては複数の出入り口があるけど、三岳神社はこの鳥居のある場所1つだけのようだ。初めて直接見る三岳神社は、かなり長い階段の先にある。此処も除雪はされているけど、石の階段は滑りやすい。足元注意は変わらない。シャルと手を繋いで階段を上り、境内に入る。境内にも雪は残っているけど、きちんと除雪されている。境内は正面に拝殿、拝殿向かって右手に手水舎、左手に社務所があるだけのごくごくシンプルなもの。参拝は勿論、ヒヒイロカネの調査もしやすい。拝殿に赴いて参拝。
『…ご神体を発見しました。情報どおり、銀狼神社や七輪神社のご神体に酷似した模様が刻まれている鏡です。』
『鏡、か。語弊があるかもしれないけど、変わったタイプのご神体だね。』
『…天鵬上人の建立が事実であれば、かなり意図的なものを感じます。』
『神社の配置だけじゃないってこと?』
『はい。後で改めてお話します。』
「社務所は…開いているようですね。」
「朱印をもらいに行こう。」
「ごめんください。」
カーテンの向こうに呼びかける。反応はない。少し声量を増やしてもう1回呼びかける。留守にしてる?でも、それにしてはこの寒い中、窓を開けたままにするとは思えないし。…奥から人の気配がして、近づいてくる。カーテンが僕から見て右から左に開いて、人が顔を出す。若い女性だ。巫女さん?「おはようございます。お待たせしました。何の御用でしょうか?」
「おはようございます。朱印をいただきたいのですが。」
「朱印ですか?はい、お渡しできますが、少しお時間をいただきます。」
「それは構いません。お願いします。」
「綺麗な女性でしたねー。」
「!シャル?!」
「ヒ、ヒロキさんが私のこと大好きなのは分かってますけど。」
「分かってくれれて良かった。参拝はしたし、朱印をもらって由緒を読んだら行こう。」
「はい。由緒はあそこですね。」
『本殿全体をスキャンしましたが、ヒヒイロカネのスペクトルは検出できませんでした。』
『本殿の裏は森だけど、そこにもない?』
『こちらもスキャンしましたが、やはり検出できませんでした。この三岳神社はヒヒイロカネ関連の情報を隠した場所という見方で良いと思います。』
「お待たせしました。ご朱印です。」
社務所のカーテンが開いて、女性が顔を出す。僕とシャルは社務所に向かい、ご朱印帳を受け取る。今日の日付が書かれた朱印のページが開かれ、A4を何度か折り畳んで屏風のようにした三岳神社のパンフレットがご朱印帳の谷間に挟みこまれている。パンフレットはこの規模の神社だと用意されていないと思っていたから、少々意外だ。「ありがとうございます。幾つか伺いたいことがあるんですが、よろしいでしょうか?」
「私の個人的なことでなければ。」
「それは勿論です。歴史、特に古代の日本史に関心があって、彼方此方巡っているんです。」
「…少し長くなりそうです。社務所へどうぞ。」
やや表情を硬くした感のある女性が、左手奥の玄関から社務所に入るように言う。僕はダイレクト通話でシャルに念のため周辺に戦闘可能な部隊を配備するよう依頼してから、シャルと一緒に社務所に入る。玄関を開けると、程なく例の女性が出迎える。他に人が出てくる様子はない。『この社務所内外に不審者は存在しません。そもそも、社務所にいるヒロキさんと私、そしてこの女性以外、この神社の境内には誰もいません。』
『まだ参拝者が詰めかけるには時期尚早かな。念のため、引き続き警戒を続けて。』
『分かりました。』
僕とシャルは、廊下を少し進んで右手の襖を開けた部屋に案内される。…あれ?此処って、女性が僕とシャルに応対した部屋じゃないか?つまりこの部屋は社務所の中心部であり、住居の居間でもあるということか。建物の規模から随分こじんまりしているとは思っていたけど、社務所の中心部に入れることになるとは。
「どうぞ、おかけください。お茶をお持ちします。」
「失礼します。」
『茶の成分をスペクトル分析しましたが、睡眠薬や毒薬など、こちらに害がある成分は検出されません。ごく普通の緑茶です。』
『念のため警戒を続けてもらうとして、この女性は僕とシャルに敵意や悪意はなくて、何か伝えたい感じがする。』
『そう…でしょうか。』
「…お話の前にまずご挨拶いたします。私、この三岳神社の宮司を務めております、矢別キョウコと申します。」
「宮司さんでしたか。…失礼しました。私は富原ヒロキと申します。隣は妻です。」
「妻の富原シャルと申します。」
「奥様がご朱印帳を出された際に左手にちらっと指輪が見えたので、ご夫婦だとは思っておりました。」
「ところで、お話というのは?」
「…私に代わって、父を探してほしいのです。」
「父は…トライ岳とキリストの墓にのめりこんでしまいました。そしてこの神社の宮司、ひいてはこの集落に継承されてきたタブーを破ろうとしています。」
「それに至るまでの経緯を、簡単で良いので説明してくれませんか?」
「それは当然ですね。失礼しました。」
この三岳神社は、境内にもある由緒では天鵬上人がオオクス地方での修行の際に、トライ岳を聖なる山としてそこを守護するためとして建立されたとあるが、神社には異なる伝承がある。今から1200年ほど前、この地を訪れた天鵬上人は釈迦如来から授けられた宝物を収める神殿を建造した。それがトライ岳。トライ岳の建造は非常に大掛かりなもので、天鵬上人は数多くの人員を呼び寄せて陣頭指揮にあたった。
その中に土木建築に秀でた集団があり、中でもその棟梁はずば抜けた能力を持っていた。天鵬上人はその棟梁をはじめとする一団を重用したが、神殿の構造や出入りの仕組み、そして宝物の存在を熟知する一団を警戒するようになった。一団がいずれ神殿を発(あば)き、宝物を持ち出し我が物にするのではないか、と。
神殿が完成する直前、天鵬上人は祈祷を行い、神殿周辺に天変地異をもたらした。北東にある火山が噴火し、地震が襲い、天から火の石を降らせた。神殿近くに拠点を設けていた棟梁の一団は天変地異に飲み込まれた。神殿は膨大な土砂に覆われ、山の形を成した。火山は大きく陥没し、そこに雨が溜まり、湖となった。
しかし、棟梁の一団のうち、最も若かった男は天鵬上人の不穏な動きを察知し、天変地異の直前に身代わりとして土人形を寝床に置き、闇夜に紛れて密かに拠点を脱出した。男は集落に逃げ込んで身を潜め、天鵬上人がこの地を去った後、トライ岳に天鵬上人が隠した宝物があること、そして天鵬上人が一団を抹殺したことを語り継ぐため、集落の一角に神社を建立し、宝物の情報や経緯を刻んだ鏡をご神体とした。それが三岳神社であり、宮司はその男の子孫が務めている。一団の拠点があった場所が現在「キリストの墓」と呼ばれる場所であり、三岳神社は天鵬上人に抹殺された一団の慰霊のため、慰霊祭をしている。歴史上の有名人である天鵬上人に抹殺された一団が眠る場所を荒らされないよう、「キリストの墓」と偽り、特段の整備をしないでいる。
「-これが、三岳神社、トライ岳とキリストの墓、そして私の家系の真の歴史です。」
矢別さんが語った歴史の裏の裏は、驚くべき内容だ。トライ岳は人工の建造物だとは分かっていたけど、天鵬上人が建設の陣頭指揮を取ったこと、そして天鵬上人が建設を担った一団を抹殺したこと、ただ1人逃げ延びた男性が三岳神社を建立し、一団の慰霊と天鵬上人の悪行を語り継ぐ役割を担っていたとは、全くの予想外だ。だけど、矢別さんの語る真の歴史が虚構とは思えない。強いて言えば天変地異を起こしたということくらいか。城など重要建造物を建設に携わった職人が秘密保持のため抹殺されたという話は聞いたことがあるし、それがヒヒイロカネという特別なものなら、猶更天鵬上人はその秘密漏洩に警戒するだろうし、その警戒の高まりが猜疑心に変わり、棟梁の一団の抹殺へと動いたのは想像に難くない。
そして、矢別さんの話から、背後関係が不明瞭だったキリストの墓と三岳神社が催事を行う理由が一本の線で繋がった。キリストの墓がある場所は矢別さんの先祖の仲間が眠る場所で、キリストの墓はいわば慰霊碑。森に埋没するようにしているのは、その地を荒らされないように敢えてそうしている。雪深い過疎の村のオカルト話は、遠い昔の偉人とされる人物の悪行を密かに語り継ぎ、悪行の犠牲になった人々を慰霊するというのが真相だったわけだ。
同時に、三岳神社が真の歴史を公表せずに秘伝としている理由も推測できる。歴史上の偉人である天鵬上人が、重用していたはずの棟梁の一団を抹殺したなんて公表したら、全国の信者や歴史学者から袋叩きに遭うのは間違いない。何しろ天鵬上人は時の桓武天皇に重用された人物。秘伝は、見方によっては天皇に忠義を尽くした人物を貶めるものと取られかねない。ましてやそれが天皇一族を神とする神社から発信されたとなれば、ただ事では済まない恐れも十分ある。それだけ天皇周りのイデオロギー汚染は凄まじい。
「話を元に戻しますと、父は先にお話した秘伝を調査するようになりました。そして次第に、先祖の無念を晴らすためその宝物を発掘する、そしてキリストの墓の真相を公表すると言い出すようになりました。」
「非常に危険ですね。日本史の正史を揺るがすだけでなく、天鵬上人に汚名を着せようとする、神社にあるまじき大罪と取られかねません。」
「仰るとおりです。私は父を懸命に止めましたが、真の歴史を探求し、天鵬上人の秘密を白日の下に晒すため、として父は私に宮司の地位を譲り、出奔しました。」
「…お父様の所在は分かりますか?」
「分かりませんが、トライ岳の近くではないかと。ご存じかと思いますが、此処イザワ村は山が多く、交通の便が良くありません。しかも今年は季節外れの大雪もあります。トライ岳の秘密を探り、内部への侵入を試みるなら、トライ岳の近くに拠点を設けるのが自然だと思います。」
「お父様は、出奔してからこの神社に戻られたことはありますか?」
「いえ、一度もありません。スマホも置いていきましたし、連絡の取りようがありません。」
「となると、まずは居場所を探すことから始まりますね。僕と妻は比較的時間の制約が少ない方ですが、時間を要するのは間違いないと思います。」
「構いません。このような依頼は、村の人間ではないお二人にしか出来ないんです。宮司という立場は、土地と集落の住民という足枷で身動きが取れません。」
三岳神社は天鵬上人に抹殺された棟梁の一団の慰霊と真相を残すために建立され、存続しているが、表向きはニシゴエ集落の氏神という立ち位置だ。僕とシャルがもらった朱印や祈祷といった参拝者への対応の他、地域の祭りへの参加、例大祭、日常の清掃に雪国ならではの除雪、修繕の際の奉賛金集金や業者との折衝などなど、多くの業務がある。
ある程度の規模の神社だと神職を複数雇用したりして業務を分担するが、この三岳神社はすべて宮司の家系だけで運営している。父と自分の2人で運営していた時期は何とかなったが、1人だと物理的にも身動きが取れない。まして、宮司が出奔したと集落に知られれば、住民からの突き上げは勿論、多くの神社の元締め団体である神社本庁からの処分も避けられない。宮司が神社本庁から派遣された者になれば、この神社の本来の目的である棟梁一団の慰霊や歴史の真相を残すことが出来なくなる。
「分担もできず、頼れる人もいないので、私は神社のこと以外何もできません。ご存じかもしれませんが、神社は基本的に年中無休。交代や分担できる人がいないと、神社に縛られてしまいます。今の私がそうです。」
「勿論神社の営業時間-という表現は語弊があるかもしれませんが、それは十分理解できます。ですが、だからと言って、見ず知らずの、まさに余所者の私達にそんな重要な任務を委託して良いんですか?」
「この土地に縛られない、失礼を承知で言いますが、余所者であるからこそ、思い切った行動や集落の目を気にしない行動が出来ると思います。」
イザワ村はオオジン村のような腐臭はしないものの、やはり人の出入りが少ない、昔からの住民が凝縮されていく環境で、少なからず排他性や相互監視は存在するようだ。しかも神社は年中無休が基本どころか原則。父親が突然出奔した理由が理由だから公にはできないし、相談も依頼もできない。かといって自分で探しに行くこともできない。八方ふさがりそのものだ。
「勿論、無償でお願いするつもりはありません。前金も用意してあります。」
矢別さんは立ち上がり、奥にある古びた箪笥の引き出しの1つを開けて、封筒を持ってくる。再び僕とシャルの向かいに座った矢別さんは、持ってきた封筒を差し出す。「…父の安否にかかわらず、依頼をお受けいただけるなら、こちらをお持ちください。」
中身を確認するのは少々嫌らしいから見るに留めるけど、かなり分厚い。100万はありそうだ。「父の所在の確認、あるいは父が存命で連れ戻していただけたなら、こちらに報酬を上乗せいたします。」
「ご依頼を受けるかどうかの前に、1つ伺いたいことがあります。」
「余所者である主人と私に、歴史の真相と言うべき重大な事実を語り、さらには高額な報酬を用意する真意は何ですか?」
「…。」
「お父様の消息を案じるお気持ちは理解できますし、神社本庁が宮司の任免を行う以上、継承問題や不祥事で宮司交代の恐れがあり、神社の建立の経緯からそれは避けたいのも理解できます。しかし、それが隠された歴史の真相、つまりはこの神社の重要な秘密を、何ら伝手も縁もない主人と私に明かしてまで、お父様の捜索を依頼する理由とするには、難しいものがあると思います。」
「…こちらをご覧ください。」
昨日、我が村の七輪神社に参拝しようとする余所者が現れた。
神社本庁からの機密文書にある、歴史調査を装って我が国の伝統の破壊を企てる者達であると思われる。
連中の目的はご神体である。貴社も十分注意されたい。
七輪神社 宮司