「積雪が2mを超えています。未明から除雪されているので、道路の移動には支障ありません。」
「2mとか普通に出て来るのが怖いね。」
「この地域だと平均的な積雪です。生活が雪との戦いだと分かります。」
「足元注意と飛び出し注意だね。」
「問題の神社って、どこにあるの?」
『七輪(ななわ)神社といって、ここから徒歩8分のところにあります。』
『雪で参道が埋もれています。事前に除雪しておきますが、周辺に影響がないように慎重に進めるので、少し時間を要します。』
『それは構わないよ。除雪しないと参拝どころじゃないし。でも、どうしてダイレクト通話に?』
『隣の部屋、202号室でこちらを盗聴しています。』
『!誰が?!』
『近くに住む住民のようです。昨日の買い物の際に店内で見た顔の1つです。』
『じゃあ、さっき、僕が問題の神社って言ったのも盗聴された?!』
『心配無用です。盗聴器に音声が達する前に別音声-「今日は何処へ行こうかな」に変換しています。』
『御免。迂闊だった。』
『大丈夫です。私も盗聴に気づいたのが朝ご飯を食べる前でした。』
『今は、壁を隔てて聞き耳を立ててる状況?』
『はい。壁が断熱性を考慮して厚みがあるので、殆ど聞こえていないと思いますが、壁に集音マイクを当てて熱心に盗聴しています。』
『そうとしか考えられません。村の情報は村の人間のものという感覚なのでしょう。プライバシーという概念すらあるのか疑問です。』
『もしかして、この村で消息を絶ったというWeb管理者は、この施設に単身滞在しているという情報が洩れたことで、村の人間に拉致された?』
『現時点では推測の域を出ませんが、状況証拠としてはその確率が高いです。』
『村役場に諜報部隊を派遣し、サーバーに侵入してアクセス状況を解析しています。隣の部屋の盗聴者の素性も分かるでしょう。』
『この状況で七輪神社に行くのは危険だね…。Web管理者の足取りを追ってこの村に来たと目を付けられる恐れがある。』
『それはそれで構いません。この部屋でのヒロキさんとの時間、ヒヒイロカネの創作と回収を邪魔しなければ、盗聴や尾行も好きにすれば良いことです。』
『七輪神社に行くのは変わらない?』
『除雪完了に1時間後を見込んでいるので、出発はもうしばらく後になりますが、現地調査は欠かせません。』
『尾行や盗聴は現地との往復でもあるかもしれないから、その対策は頼むね。』
『はい。任せてください。』
予想以上の雪深さ。参道はもはや雪山登山。七輪神社に到着したのは、現地の駐車場から1時間後。降り続ける雪が尋常じゃないことで、周囲への影響を考慮したシャルの除雪では十分手が回らなくて、途中からは除雪しながら進む必要があった。雪は積もると氷の塊だということを否応なしに実感させられた。
「ヒロキさん。大丈夫ですか?」
「な、何とか。」
神社は境内こそ雪に埋もれているけど、拝殿は雪に囲まれながらも特に雪を背負ってはいない。雪国という特性を考慮してか、拝殿の屋根はかなり急な勾配で、雪は屋根に積もるより前に周囲に落下する仕組み。拝殿は正面の雪を退ければ参拝できる格好だ。参拝しつつ、シャルに確認してもらう。
『本殿の中やご神体は見える?』
『此処からなら十分見えます。全体のスキャンを始めていますが、今のところヒヒイロカネのスペクトルは検出できていません。』
『写真に写っていたっていう模様があれば、それは可能な限り記録しておいてね。』
『勿論です。写真では距離やピントの関係で不鮮明でしたが、確かにご神体には不可思議な模様があります。』
『ご神体を複数の角度から撮影、スキャンしました。本殿全体を含めてヒヒイロカネのスペクトルは検出されませんが、ご神体の模様は三付貴神社や銀狼神社のものと酷似しています。』
『模様が文字の可能性が高いということも合わせると、ヒヒイロカネに関する重要な情報なのかもしれないね。』
『その可能性は十分あります。文字であることはほぼ確定していますが、文法に他の言語との類似性を見いだせていません。』
『情報は多ければ多いほど良い。ヒヒイロカネを探すのは勿論だけど、少しでも不思議だと思ったら集めていこう。何かのきっかけで結びついて道が開けるかもしれない。』
『分かりました。寺社仏閣はランドマークとしても注視して、情報を集めます。』
「さて、参拝は何とか終わったから、朱印か。社務所は何処かな?」
「麓の集落にあるそうです。」
「登りは凄く時間がかかったけど、下りはそこそこ早く行けそうだね。」
「そうさせたくない輩がいますね。」
「何じとんだぁ?余所者(註:「よぞもん」と発音する)が。」
「神社の参拝ですが。」
「余所者がこらこ(註:「この地域」の方言)の神社に勝手(註:「がって」と発音する)に入るだぁ、ええ度胸じゃなぁ!」
「女、外人かぁ?」
「私が外人なら何なんですか?田舎者。」
「な、何だどぉ?!」
「妻の暴言は謝ります。ですが、神社の参拝は基本的に自由な筈。除雪しながら参拝に来た僕達に難癖をつけるのはおかしい。」
「じゃかぁしい(註:「喧しい」の方言)!女連れでええガッコしぃか!」
「ちょお(註:「ちょっと」の方言)、女ぁ、話聞くでこっち来ぃや。」
「汚い手で触るな、ど田舎の雄豚風情が。」
「な、何だ?!お前は?!」
「最近の田舎の豚は人間の言葉を話すのか。」
「大丈夫ですか?」
僕に駆け寄るシャルの声のトーンが元に戻る。反射的に後ろに下がったのと、寒さ対策で厚着をしていたことで、少し痛む程度で済んだ。シャベルで殴ったら骨折じゃ済まない危険もあるのに、頭に血が上ってそういうことを考えられなくなったんだろうか。「少し痛む程度だよ。ところで、さっきの2人は?」
「下が雪なので大したダメージにならなかったのは残念ですが、丁度向こうから絡んできたので、情報源くらいにはなるでしょう。」
「話があるのはこっちです。もっとも拒否権は一切ありませんけどねー。」
男2人が今度は雪の壁に引き込まれていく。光学迷彩付きの細かい触手を張り巡らせているからだろうけど、雪の壁までシャルの思いどおりになってしまうのか。「躾がなされていない豚を放置するのは良くないので、雪の中で尋問ついでに躾けます。豚が人間様に二度と逆らわないように。」
「…殺さないようにね。」
「参拝は済んだし、これからどうする?」
「Web管理者の足跡を辿ろうと思います。掲載された写真以外に何か情報が得られるかもしれません。」
「案内は頼むね。僕は土地勘が全くないから。」
「任せてください。」
それにしても、「蟲毒の村」なんて不名誉極まりない通称があるこの村、盗聴だの難癖付けだののっけからその通称を裏付ける動きが目立つ。表立っては見えないけど、村ぐるみの監視体制が敷かれていると考えても違和感がない。全国有数の過疎地なのに、それこそ余所者に付き纏う暇があるのが疑問でならない。余所者を監視したところで過疎や自殺率の高さが改善されるわけでもないのに。
駐車場で待機しているシャル本体には、そこそこ雪が積もっている。ある程度シャベルで除けてから乗り込む。何となく、周囲からの視線を感じるけど、いちいち気にしていられない。さっきの男2人のように難癖をつけてきたら、最悪シャルに捕縛されて拷問の憂き目に遭う。五体満足でいられる保証は何1つない。それに何より面倒だし、本筋と関係ないことに時間と手間と神経を削られるのは気分が悪い。
「次は…曽利沢(そりざわ)の滝、か。」
「除雪はされていますが、通行注意です。慎重に行きましょう。」
曽利沢の滝に到着。これまた雪の壁の間を移動するという難儀なもの。県道225号線とHUDにも出ていたけど、除雪されていないと到底行き来できない道は、麓以外は殆ど雪に覆われた田んぼか森だった。雪道も平気なスタッドレス換装と、拡張されたHUD-壁の向こうにいる人やモノまで透かしてリアルタイム表示される-で何とかなった感が強い。
それでも、件のWeb管理者が訪れた理由は分かる。雪の壁の向こうに見える、凍った巨大な滝は圧巻の一言。寒さの厳しい地域だからこそ見られる自然の芸術だ。しかもこの雪と寒さと距離に阻まれるのか、駐車場はあるけど人は他に誰もいない。静寂の中に佇む凍った滝は、終焉を迎えた世界を切り取って持ってきたかのようだ。
「これは…凄いね。」
「かなりの水量があるようですが、滝全体が凍るものなんですね。」
「例のWebには此処も撮影されていたそうだけど、村としてはどうなの?」
「村は特に観光スポットと位置付けてはいないようです。この管理者、あまり人が訪れない穴場を探して訪れるのが趣味なようです。」
「シャル。Webでは曽利沢の滝と七輪神社はどっちが先に掲載されてる?」
「七輪神社が先です。曽利沢の滝は七輪神社の翌日。その翌日から更新が停止している、という流れです。」
「ということは、曽利沢の滝周辺で遭難したとか。」
「その確率を考えて周辺を捜索しましたが、遭難している人物やその痕跡は見当たりませんでした。曽利沢の滝を撮影した後、私とヒロキさんが滞在している施設に戻ったという記載があることから、この滝の周辺で遭難したり、事件事故に巻き込まれた確率はほぼないと言えます。」
「シャルの言うとおりだね。七輪神社と曽利沢の滝の前後の記事はある?」
「七輪神社が、オオジン村に入って初めての記事です。」
「曽利沢の滝に不審な点はないし、やっぱり七輪神社…かな。」
「その確率が高いと見て、例の2匹を尋問中です。」