謎町紀行 第109章

情報源の軌跡の追跡、田舎の悪を凝縮した蟲毒

written by Moonstone

 翌朝、シャルに起こしてもらって朝食。寛いだ筈なんだけど、何だか頭がぼうっとしている。シャルと一緒に風呂に入って、理性が吹っ飛んだのが最大、否、唯一の原因だろう。向かいに座るシャルは至ってご機嫌。エプロン姿が良く似合う。

「積雪が2mを超えています。未明から除雪されているので、道路の移動には支障ありません。」
「2mとか普通に出て来るのが怖いね。」
「この地域だと平均的な積雪です。生活が雪との戦いだと分かります。」
「足元注意と飛び出し注意だね。」

 除雪されても、道路に雪は残っている。雪そのものより溶けた雪の方が滑りやすい。気温が高くなってくるこれからの時間の方が足元の危険が増す。それに、除雪されて道路脇に積み上げられた雪の壁が遮蔽物になって見通しが悪くなる。登下校など歩行者の移動が多い時間帯は事故のリスクが高まる。シャル本体のセンサやカメラがあるとはいえ、用心するに越したことはない。

「問題の神社って、どこにあるの?」
『七輪(ななわ)神社といって、ここから徒歩8分のところにあります。』

 シャルがTVの電源を入れて、そこに地図を表示する。僕とシャルが滞在するこの施設から、北西に約400m。直線距離ではそうだけど、神社は山の中にある。この雪で除雪されてなかったら参道を上るのもままならないだろう。

『雪で参道が埋もれています。事前に除雪しておきますが、周辺に影響がないように慎重に進めるので、少し時間を要します。』
『それは構わないよ。除雪しないと参拝どころじゃないし。でも、どうしてダイレクト通話に?』
『隣の部屋、202号室でこちらを盗聴しています。』
『!誰が?!』
『近くに住む住民のようです。昨日の買い物の際に店内で見た顔の1つです。』

 早速きな臭さが出てきた。買い物客として同じ店にいた程度で、早速隣の部屋で盗聴だなんて、ただ事じゃない。この村がSNSなどで「蟲毒の村」という、不名誉なことこの上ない通称を付けられている理由が垣間見える。

『じゃあ、さっき、僕が問題の神社って言ったのも盗聴された?!』
『心配無用です。盗聴器に音声が達する前に別音声-「今日は何処へ行こうかな」に変換しています。』
『御免。迂闊だった。』
『大丈夫です。私も盗聴に気づいたのが朝ご飯を食べる前でした。』
『今は、壁を隔てて聞き耳を立ててる状況?』
『はい。壁が断熱性を考慮して厚みがあるので、殆ど聞こえていないと思いますが、壁に集音マイクを当てて熱心に盗聴しています。』

 殆ど聞こえていないとしても、盗聴されていると分かって良い気分はしない。しかも、昨日同じ店にいたという他人そのものの関係で、どうやってこの施設に入って、僕とシャルの部屋を特定したんだ?まさか、施設の管理者から情報が洩れている?

『そうとしか考えられません。村の情報は村の人間のものという感覚なのでしょう。プライバシーという概念すらあるのか疑問です。』
『もしかして、この村で消息を絶ったというWeb管理者は、この施設に単身滞在しているという情報が洩れたことで、村の人間に拉致された?』
『現時点では推測の域を出ませんが、状況証拠としてはその確率が高いです。』

 単純な考えだし予断は禁物だけど、その確率が高いと僕は思う。隣の盗聴の主が何を目的に盗聴しているのか知らないけど、件のWeb管理者は女性の単身。そしてこの村は過疎化が著しい。狙われやすい条件が揃っている。拉致されてもそれを目撃して警察に通報したりしていないと、行方不明とされてしまう。拉致する側、隠蔽する側には有利な条件が揃っている。

『村役場に諜報部隊を派遣し、サーバーに侵入してアクセス状況を解析しています。隣の部屋の盗聴者の素性も分かるでしょう。』
『この状況で七輪神社に行くのは危険だね…。Web管理者の足取りを追ってこの村に来たと目を付けられる恐れがある。』
『それはそれで構いません。この部屋でのヒロキさんとの時間、ヒヒイロカネの創作と回収を邪魔しなければ、盗聴や尾行も好きにすれば良いことです。』

 逆に言えば、それらを邪魔するなら問答無用で潰すというシャルの行動理念は一貫している。シャルにとって人間を殺すなんて蟻を潰すようなもの。村全体と敵対することになっても、村が全滅する末路しか見えない。シャルは必要ならそれも躊躇しない。必要と見なすかどうかは、シャルの行動理念にのみ従って判断される。

『七輪神社に行くのは変わらない?』
『除雪完了に1時間後を見込んでいるので、出発はもうしばらく後になりますが、現地調査は欠かせません。』
『尾行や盗聴は現地との往復でもあるかもしれないから、その対策は頼むね。』
『はい。任せてください。』

 黙っていても、待っていても何も始まらない。盗聴や尾行の対策はシャルに任せて、Web管理者が偶然にもヒヒイロカネの手掛かりを残した七輪神社に赴いて、現状を調べよう。もしかしたら、そこにWeb管理者に関する手掛かりが残されているかもしれない…。
 予想以上の雪深さ。参道はもはや雪山登山。七輪神社に到着したのは、現地の駐車場から1時間後。降り続ける雪が尋常じゃないことで、周囲への影響を考慮したシャルの除雪では十分手が回らなくて、途中からは除雪しながら進む必要があった。雪は積もると氷の塊だということを否応なしに実感させられた。

「ヒロキさん。大丈夫ですか?」
「な、何とか。」

 息は切れるし、汗が滴るほど出る。寒さ対策で着込んだことが裏目に出た。除雪しながら進まないと足元がおぼつかないし、何よりシャルからの報告で、施設から出る段階から尾行がついている。そこでシャルが除雪したら怪しまれるのは確実。シャルなら村全体と敵対しても全く問題ないけど、敵対や戦争が目的じゃない。除雪してでも参拝に出向いたという体裁を整えることを選んだ。
 神社は境内こそ雪に埋もれているけど、拝殿は雪に囲まれながらも特に雪を背負ってはいない。雪国という特性を考慮してか、拝殿の屋根はかなり急な勾配で、雪は屋根に積もるより前に周囲に落下する仕組み。拝殿は正面の雪を退ければ参拝できる格好だ。参拝しつつ、シャルに確認してもらう。

『本殿の中やご神体は見える?』
『此処からなら十分見えます。全体のスキャンを始めていますが、今のところヒヒイロカネのスペクトルは検出できていません。』
『写真に写っていたっていう模様があれば、それは可能な限り記録しておいてね。』
『勿論です。写真では距離やピントの関係で不鮮明でしたが、確かにご神体には不可思議な模様があります。』

 偶然写っていた写真から重要な手掛かりを得て、それが本物であることが裏付けられた。Web管理者はこの写真を撮ったことが行方不明に繋がったのか?もしそうだとしたら、尚のことこのご神体は重要な意味を持つ。早速僕とシャルの部屋の盗聴を試みているくらいだ。村総出で外来者の監視・尾行をしていて、村の秘密に触れようとするものを拉致監禁しているとすれば、「蟲毒の村」を実践していることになる。

『ご神体を複数の角度から撮影、スキャンしました。本殿全体を含めてヒヒイロカネのスペクトルは検出されませんが、ご神体の模様は三付貴神社や銀狼神社のものと酷似しています。』
『模様が文字の可能性が高いということも合わせると、ヒヒイロカネに関する重要な情報なのかもしれないね。』
『その可能性は十分あります。文字であることはほぼ確定していますが、文法に他の言語との類似性を見いだせていません。』
『情報は多ければ多いほど良い。ヒヒイロカネを探すのは勿論だけど、少しでも不思議だと思ったら集めていこう。何かのきっかけで結びついて道が開けるかもしれない。』
『分かりました。寺社仏閣はランドマークとしても注視して、情報を集めます。』

 三付貴神社や銀狼神社から1000kmは離れている小さな村の山奥の神社に、それらのご神体と酷似した模様がある事実は、それを刻んだ人や集団の行動範囲、あるいは勢力範囲が相当広かったことを意味する。交通手段が基本徒歩しかない時代、1000kmの移動には徒歩のスピードが4.8km/hとして約208時間。徹夜で歩いたとしても約8.7日かかる計算だ。実際にはその3倍程度、24日くらいはかかったと考えて良いだろう。道が今みたいに整備されていないから、ひと月以上かかったと考えてもおかしくない。

「さて、参拝は何とか終わったから、朱印か。社務所は何処かな?」
「麓の集落にあるそうです。」
「登りは凄く時間がかかったけど、下りはそこそこ早く行けそうだね。」
「そうさせたくない輩がいますね。」

 参道の方を見ると、2人の男性がこちらに近づいてくる。シャルが言っていた、「施設から出る段階からついている」尾行か?

「何じとんだぁ?余所者(註:「よぞもん」と発音する)が。」
「神社の参拝ですが。」
「余所者がこらこ(註:「この地域」の方言)の神社に勝手(註:「がって」と発音する)に入るだぁ、ええ度胸じゃなぁ!」

 方言がきつい上に、こっちの話を聞いていない。逃げようにも除雪しながら登ってきて、周囲は雪で囲まれている。そうこうしているうちに、至近距離まで接近された。

「女、外人かぁ?」
「私が外人なら何なんですか?田舎者。」
「な、何だどぉ?!」

 シャルが明らかに嘲笑する口調で言うと、男2人は瞬時に激昂する。見下す対象である余所者、しかも更に見下す対象である女性から「田舎者」と嘲笑されたから、絶対に許せないレベルだろう。このままだと確実に負傷者が出る。シャルじゃなくて男2人の方。あくまでヒヒイロカネの捜索や回収が目的であって、戦闘は本筋じゃない。

「妻の暴言は謝ります。ですが、神社の参拝は基本的に自由な筈。除雪しながら参拝に来た僕達に難癖をつけるのはおかしい。」
「じゃかぁしい(註:「喧しい」の方言)!女連れでええガッコしぃか!」

 男の1人が持っていたシャベルで僕を突いてきた。反射的に後ろに下がったけど、多少胸に当たってしまう。

「ちょお(註:「ちょっと」の方言)、女ぁ、話聞くでこっち来ぃや。」
「汚い手で触るな、ど田舎の雄豚風情が。」

 少し痛みを感じながら起き上がる僕の目の前で、シャルは声のトーンを2オクターブくらい下げて男の1人を片手でぶん投げる。まるで紙屑が何かみたいに男は大きく横に投げ飛ばされる。ドサッという音が遠くの方でする。下が雪だから怪我は少なくて済むだろうけど、深さが優に2mはあるであろう雪の中から這い出るのは相当厳しいだろう。

「な、何だ?!お前は?!」
「最近の田舎の豚は人間の言葉を話すのか。」

 シャルはもう1人の男も片手で投げ飛ばす。これまたゴムボールか何かみたいに大きく横に飛んで、ドサッという音がする。

「大丈夫ですか?」

 僕に駆け寄るシャルの声のトーンが元に戻る。反射的に後ろに下がったのと、寒さ対策で厚着をしていたことで、少し痛む程度で済んだ。シャベルで殴ったら骨折じゃ済まない危険もあるのに、頭に血が上ってそういうことを考えられなくなったんだろうか。

「少し痛む程度だよ。ところで、さっきの2人は?」
「下が雪なので大したダメージにならなかったのは残念ですが、丁度向こうから絡んできたので、情報源くらいにはなるでしょう。」

 シャルの背後から、さっきの男2人が雪の壁を突き破って出て来る。勿論、シャルが引っ張り出したから、身体の自由が利くはずがない。そんな状態で、氷の塊である雪の壁を強引に突っ切らされたら無傷では済まない。

「話があるのはこっちです。もっとも拒否権は一切ありませんけどねー。」

 男2人が今度は雪の壁に引き込まれていく。光学迷彩付きの細かい触手を張り巡らせているからだろうけど、雪の壁までシャルの思いどおりになってしまうのか。

「躾がなされていない豚を放置するのは良くないので、雪の中で尋問ついでに躾けます。豚が人間様に二度と逆らわないように。」
「…殺さないようにね。」

 シャルの声のトーンが2オクターブくらい低くなったこと、シャルに気やすく触れたことから、シャルが男2人を拷問にかけるのは間違いない。シャルの制御下に入った雪の壁の向こうで、男2人を待ち受けるのは凄惨な末路しか考えられない。僕には殺さないようにと言うことしか出来ない。

「参拝は済んだし、これからどうする?」
「Web管理者の足跡を辿ろうと思います。掲載された写真以外に何か情報が得られるかもしれません。」
「案内は頼むね。僕は土地勘が全くないから。」
「任せてください。」

 ヒヒイロカネの捜索と回収には直接関係ないけど、七輪神社のご神体に関する情報を間接的に提供してくれたWeb管理者の行方や安否はどうしても気になる。シャルもWeb管理者の足取りを追うことでヒヒイロカネに繋がる情報が得られる可能性があると踏んだのか、Web管理者の捜索に前向きだ。
 それにしても、「蟲毒の村」なんて不名誉極まりない通称があるこの村、盗聴だの難癖付けだののっけからその通称を裏付ける動きが目立つ。表立っては見えないけど、村ぐるみの監視体制が敷かれていると考えても違和感がない。全国有数の過疎地なのに、それこそ余所者に付き纏う暇があるのが疑問でならない。余所者を監視したところで過疎や自殺率の高さが改善されるわけでもないのに。
 駐車場で待機しているシャル本体には、そこそこ雪が積もっている。ある程度シャベルで除けてから乗り込む。何となく、周囲からの視線を感じるけど、いちいち気にしていられない。さっきの男2人のように難癖をつけてきたら、最悪シャルに捕縛されて拷問の憂き目に遭う。五体満足でいられる保証は何1つない。それに何より面倒だし、本筋と関係ないことに時間と手間と神経を削られるのは気分が悪い。

「次は…曽利沢(そりざわ)の滝、か。」
「除雪はされていますが、通行注意です。慎重に行きましょう。」

 この村にいる限り、雪の狭間を抜けるような移動は避けられない。雪の壁の隙間からいきなり人が飛び出してくる危険もある。シャルの安全システムがあるとはいえ、油断はならない。移動だけでストレスになるから、そのストレスを余所者にぶつけるんだろうか?不毛な話だけど。
 曽利沢の滝に到着。これまた雪の壁の間を移動するという難儀なもの。県道225号線とHUDにも出ていたけど、除雪されていないと到底行き来できない道は、麓以外は殆ど雪に覆われた田んぼか森だった。雪道も平気なスタッドレス換装と、拡張されたHUD-壁の向こうにいる人やモノまで透かしてリアルタイム表示される-で何とかなった感が強い。
 それでも、件のWeb管理者が訪れた理由は分かる。雪の壁の向こうに見える、凍った巨大な滝は圧巻の一言。寒さの厳しい地域だからこそ見られる自然の芸術だ。しかもこの雪と寒さと距離に阻まれるのか、駐車場はあるけど人は他に誰もいない。静寂の中に佇む凍った滝は、終焉を迎えた世界を切り取って持ってきたかのようだ。

「これは…凄いね。」
「かなりの水量があるようですが、滝全体が凍るものなんですね。」
「例のWebには此処も撮影されていたそうだけど、村としてはどうなの?」
「村は特に観光スポットと位置付けてはいないようです。この管理者、あまり人が訪れない穴場を探して訪れるのが趣味なようです。」

 この曽利沢の滝は、夏とかは別として、冬は到底気軽に行ける場所じゃない。人里離れた山の中にあるし、コミュニティーバスすら走っていないところにあるから、車がないと相当厳しい。Web管理者はかなりの行動力があると感じる。それが仇になって行方不明になったのなら、やっぱり救出したいところだ。

「シャル。Webでは曽利沢の滝と七輪神社はどっちが先に掲載されてる?」
「七輪神社が先です。曽利沢の滝は七輪神社の翌日。その翌日から更新が停止している、という流れです。」
「ということは、曽利沢の滝周辺で遭難したとか。」
「その確率を考えて周辺を捜索しましたが、遭難している人物やその痕跡は見当たりませんでした。曽利沢の滝を撮影した後、私とヒロキさんが滞在している施設に戻ったという記載があることから、この滝の周辺で遭難したり、事件事故に巻き込まれた確率はほぼないと言えます。」
「シャルの言うとおりだね。七輪神社と曽利沢の滝の前後の記事はある?」
「七輪神社が、オオジン村に入って初めての記事です。」
「曽利沢の滝に不審な点はないし、やっぱり七輪神社…かな。」
「その確率が高いと見て、例の2匹を尋問中です。」

 僕とシャルが辿った行程は、Web管理者が辿った行程と同じ。そして曽利沢の滝には事件事故の痕跡がないとなると、尾行していた人物がいきなり、ある意味正体を現した七輪神社との関係が最も怪しい。七輪神社自体は山奥に佇む、社務所が境内にない小さい神社だけど、あの2人の威嚇ぶりからも、何かあると感じずにはいられない。少々、否、かなり苛烈だろうけど、シャルの尋問で引き出される情報に期待する。