謎町紀行 第108章

雪深い村での滞在生活準備

written by Moonstone

 道中で迎える2回目の夜。シャルが手配してくれていた温泉に浸かって、全身の疲労と緊張が一気に抜けて身体が海藻みたいになったように感じる。1000km超えの、しかも北に向かう移動は、雪との戦い、否、雪の攻撃からの防戦一方だ。高速道路のキタナカ自動車道は、ついに雪で全面通行止め。シャルなら踏破できるだろうけど、通行止めのところを強引に突破するわけにはいかない。
 N県の中ほどでキタナカ自動車道を下りて、国道7号線を進んでいる。見渡す限りの雪は一般道でも変わらない。除雪がなされていて通行できるだけありがたいと思った方が良いくらいだ。スタッドレスタイヤに変化したシャル本体は走行に問題ないけど、絶え間なく降る雪は視界も妨害する。シャルだけなら兎も角、他の車もいるから、どうしても遅くなる。
 オオフクヤマ港に到着して、シャル本体に乗り込んで出発となったところで、HUDに表示された次の候補地と到着予定時刻を見て、一瞬目を疑った。今までどちらかというと南下する足取りだったのが一気に北へ。しかも到着予定時刻は3日後の20:00。距離からして丸1日は走っていないと足りないことは予想できたけど3日は「?」だった。
 今は十分理解できる。原因は一昨日の午後から降り始めた雪。日本全国概ね雪だけど、特に僕とシャルの移動ルート、キタナカ自動車道や国道7号線は元々豪雪地帯だから、雪がメートル単位で積もる。積もった雪は氷の塊。それが除雪してもすぐ降って積もるんだから、全線通行止めにならないだけましだと思った方が良いだろう。
 この辺りも、この時期のこの大雪はあまり経験がないらしい。観光客なんてもっと予想していないだろう。そのせいか、昨日今日の中継地点となっているホテルは急なキャンセルが相次いでいるそうで、ホテルと周辺の飲食店は閑散としていた。逆に、こういう事態すらも的確に予想できていたシャルの分析能力は驚異的だ。

「お待たせしました。」

 大浴場前のラウンジで待っていると、シャルの声がかかる。風呂上りの少し上気した頬、普段より高いところで束ねた髪、きっちり着こなした浴衣は、上品さと色気を絶妙なバランスで共存させている。1日雪と渋滞に苛まれる移動は辟易だけど、こういうシャルを見られるなら良いかと思ってしまう。
 エレベーターで部屋がある10階に移動。最上階1つ下の部屋は、中継地点としては物凄く贅沢な広さだ。外から見える景色は、まばらな明かりと絶え間なく降り続ける雪。ロマンチックさよりも止む気配がない雪にげんなりする気持ちの方が強い。建物の中はサッシが二重だったりするから全然寒さは感じないのは、寒さに直面する地域ならではだろう。

「今日も運転お疲れさまでした。予定どおり明日には到着です。」
「一般道で2日運転は流石に堪えるよ。天候はどう?」
「この雪は明後日まで続く見通しです。目的地の積雪は3mを超える予報が出ています。」
「3m…。」

 今走行中の国道7号線も、本来なら田園風景と集中した都市部が、殆ど凹凸のない平野に見える筈なんだけど、見えるのは殆ど雪の壁。この雪の壁を前にすると、雪へのロマンチックさや美しさなんて幻想の一言で片づけられる。邪魔で目障りとしか言いようがない。しかも寒い。当然だけど。
 走行の途中、休憩のためSAやPA、今は道の駅やコンビニに立ち寄るけど、空調が完璧なシャル本体から一歩外に出ると、外は雪と寒さで身体が縮み上がる。その短い往復の道でさえも、分厚い雪の壁が左右に鎮座している。豪雪地帯で雪害という用語があるのは理解できる。
 この移動の最中、カノキタ市を通過した。カノキタ市は無秩序な財政支出と行政の私物化、それらに対するチェックの杜撰さの責任を問われて、市長と市議会は両方リコールが成立して失職。背後にいた現職国会議員は党支部長を辞任したものの、しっかり国会議員としては在籍している。だけど、次の当選は非常に危ういと見られている。
 また、先の戦犯というべき財務省主計官と育児サークル代表による行政私物化の本丸と言える子育てママ課は、市長代理の副市長が廃止に向けて条例を改正すると宣言している。市役所職員になった育児サークルの即時解雇や追放は容易じゃないけど、後ろ盾がなくなった子育てママ課はすべての権限を剥奪され、飼い殺し状態にあるという。情勢改正で退職勧奨あるいは遠方の市役所支所にバラバラに左遷されるかだろう。
 財務省主計官と育児サークル代表は、そろって書類送検。財務省主計官は不起訴処分になったけど、当然ながら財務省は「省内の風紀を著しく乱し、省の社会的信用を著しく傷つけた」として主計官を諭旨免職にした。事務次官、ひいては国会議員や首相の座を狙っていた主計官は、やっぱり当然ながら離婚されて慰謝料や財産分与で金も奪われ、廃人同然と化して入院中。回復の見通しは立っていない。
 シャルの逆鱗に触れた育児サークル代表は、全治半年の重傷でこちらも入院中。こちらも当然ながら離婚された上に、元夫から慰謝料の請求と財産分与ゼロでの追放、親権監護権剥奪を言い渡されている。代表の意識がないから、スズリ市ハクエン町から駆け付けた両親が元夫からの通告を代理で受ける格好になった。こんな形で出奔した娘と再会させることになってしまったのは残念だ。
 子育て世帯への圧倒的な優遇策は凍結され、カノキタ市の頂点に君臨していた子育て世帯は、これまでとは逆に「市民の血税を食い潰した穀潰し」「子どもをひり出すだけなら猿でも出来る」などと厳しい批判に晒され、これまで隷属に甘んじざるを得なかった飲食店などが子育て世帯を徹底的に排斥し始めた。「自分のため」が深刻な市民の分断と市政の巨額の財政赤字を齎した爪痕は深い。この先カノキタ市がどうなるかは、市民の判断と行動にかかっている。

「雪の中、シャル本体を離れての行動は可能?」
「基本的に除雪されているところを通ります。そうでないところは私が融雪しますから大丈夫です。」
「それでも、行動はかなり制約されそうだね。」
「物理的な障害ですから、一定の制約は避けられません。」

 カレンダーでは本格的な春にあと少しというところなのに、見上げるほど積もった雪をかき分けながらの移動になるとは。「日本は狭い」と言うけど、車で1日2日移動するだけでも、それがごく限られた範囲の移動しかしていない者の狭量な視野に基づく見解だと思わざるを得ない。
 幸い、シャルの性能だと除雪車も要らないだろうけど、すべての土地をシャル本体で移動できるわけじゃないから、そういう場所は雪をかき分け、踏みしめて移動する必要がある。雪の中の移動は不慣れだから、足元は勿論、除雪された雪にも注意が必要だろう。いきなり雪の壁が崩れてきたら雪崩のようなもの。雪崩が危険でなかったら、毎年死者が出たりしない。雪国において雪は公害の1つであり、凶器でもある。

「次の候補地は、オオジン村。初めて聞くよ。」
「『蟲毒の村』。SNSなどではそう呼ばれています。」
「?!穏やかじゃない通称だね…。」

 ベッドに入っての会話は面食らうものだ。今まで色々な自治体の通称を見て来たけど、今回は有数のネガティブさだ。「犯罪者の町」「害人の町」という不名誉な通称があったタカオ市やカヤマ市を上回る印象だ。この通称は基本的に非公式だけど-ネガティブな通称が公式だったら担当者がどうかしている-、「蟲毒の村」なんて通称が住民や役場が知ったら訴訟ものじゃないだろうか。

「この村にそんな余裕はありませんよ。」

 シャルが説明する。オオジン村では長年にわたって村長派と反村長派の対立が続いていて、選挙と名がつくものでは必ず大小の諍いが勃発する。特に村長選挙と村議会議員選挙では、流血沙汰は勿論贈賄収賄脅迫何でもあり。その影響か、人口に占める自殺率はA県は勿論全国トップ。オオジン村での死因のトップも自殺という有様だ。
 こんな物騒な村に好き好んで住む住民は殆どいない。土地と先祖の呪縛で生きていかざるを得ない。若い世代ほど村を忌み嫌って早々に出て行くけど、人口減少で祭りや消防団のなりて-と言う名の都合の良い労働力-が減少するのを嫌う老人世代がそれを妨害して、警察沙汰になることも珍しくない。
 全国有数の過疎地となった今、村に住むのは多数の老人世代と、運悪く村で暮らすしかない僅かな若年世代、特に幼児~小中学生。現役世代は次の老人世代を狙っての自給自足レベルの農林業か、村役場か農協のどれかしか就職先がないと言っても過言じゃない。だから猶のこと、若年世代の流出が止まらない。

「自治体の長とその反対勢力の争いが住民生活に影響を及ぼす例は今までもあったけど、オオジン村は群を抜いてるみたいだね。」
「周辺町村との合併協議会も早々に離脱しましたが、周辺町村が厄介払いしたかったので離脱をむしろ歓迎しているという憶測すらあるくらいです。」
「そんな村っていうのは失礼かもしれないけど、ヒヒイロカネと何か繋がりがあるの?」
「オオジン村の神社のご神体に、三付貴神社やヒラマサ町などで発見された不可思議な模様を持つものがあることが判明しました。」
「!」

 三付貴神社やヒラマサ島の銀狼神社のご神体には、不可思議な模様が刻まれている。それが文字である可能性が高いと判明して、シャルが今も解析を続けている。三付貴神社と銀狼神社の距離もかなりのものだったけど、オオジン村は軽く1000kmは離れている。そんな距離を隔てた場所に同じような模様が刻まれたご神体があるとなれば、考古学は勿論、僕とシャルが追うヒヒイロカネの行方、更にはこの世界の何処かに逃げ込んだ手配犯の行方を掴む有力な手掛かりになり得る。

「よくそんな情報を掴んだね。」
「秘境を訪ねた記録を掲載する個人Webで断片的に写っていたのを解析した結果です。同時にこの個人Webの管理者が現在行方不明であることも判明しました。」
「行方不明?」
「はい。件の写真を伴う記事を掲載した2日後から、記事の更新が停止していて、管理者の親族を名乗る人物がSNSで情報提供を呼び掛けています。」
「まさか…。」

 シャルがスマートフォンでSNSの投稿を見せる。オオジン村に向かった娘と連絡が取れなくなった。Webの記事は生存報告を兼ねていて、途中で途絶えることはあり得ない。何か事件事故に巻き込まれたのではないか。警察には捜索願を出しているが遠いためか思うように捜索されない。情報提供をぜひお願いしたい。そう綴られている。
 SNSで訴えているのは両親らしい。娘が行方不明になったとなれば猶更不安だろう。だけど、SNSの投稿に対して「オオジン村に若い女が単独で踏み込んだのが運の尽き」「『蟲毒の村』オオジン村に若い女が1人で入って無事で済むはずがない」など容赦ないリプがなされている。SNSの暗部でもあるけど、オオジン村の評判が窺い知れる。

「…村で行方不明になったなら、雪崩や雪山での遭難も考えられるけど。」
「勿論その線も否定できません。ただ、この管理者は秘境を探検することを続けているためか、かなり用意周到で、危険な場所には踏み込まないなど十分な警戒もなされています。不用意に危険地帯に足を踏み入れた結果という線は薄いです。」
「もし村で捕らえられているとしたら一大事だよ。村ぐるみで犯罪に手を染めていることになる。」
「その線も否定できません。何れにせよ、Webの記事から見て滞在可能な日数を大幅に過ぎています。事態はかなり切迫しています。」

 この旅で最初に訪れたオクラシブ町でも、そこに踏み込んで行方不明になった人が複数いた。オクラシブ町で蔓延っていた人狩りの結果、踏み込んだ人の多くが犠牲になっていた。今回向かうオオジン村でも同様の事態が起こっていない保証はない。豪雪を伴う山奥の過疎地。しかも住民同士の抗争が長年続き、自殺率がワースト。こういう閉鎖空間では非常識が常識になる。現地でヒヒイロカネの情報を探るのは勿論、情報を間接的に提供したWeb管理者の消息を掴みたいところだ。
 宿泊については、現地で確保できたという。オオジン村に通じる国道238号線は除雪がなされているようだが、この雪は暫く続く見通しだから交通規制が敷かれる恐れがある。雪が障害であることを思い知らされる行程になりそうだ…。
 翌日の夕方、どうにかオオジン村の滞在拠点に到着した。見渡す限りの雪なのは変わらないけど、意外に除雪はしっかりなされている。駐車場にシャル本体を止めて降りると、茶褐色の立派な建物が出迎える。過疎の村とは思えない施設だ。

「廃校になった小学校をリニューアルした総合コミュニティ施設だそうです。」

 一気に防寒仕様に逆戻りした出で立ちになった僕とシャルは、荷物を持って受付へ向かう。この施設は通常の宿とは違って事前申込制で、料金は先払い。その辺の手続きはシャルがすべて済ませてくれている。だから、受付で身分証-万能選手の運転免許証-を提示して、申込書の記載内容と照合して鍵を受け取るだけとなる。

「部屋は、これまでのホテルなどとは少々勝手が違います。」

 シャルが鍵を開けた2階201号室に入る。フローリングの床にベッド、TVにデスクと、ややこじんまりしているけど一般的なホテルと大差ない。

「こっちです。」
「キッチン?」

 リビングに相当する部屋の奥には2口コンロのキッチンがある。シャルの案内で部屋を見ていくと、洗濯機と洗面台、更には浴室もある。宿と言うよりアパートやマンションだ。キッチンや洗濯機があるということは、宿泊者は食事や洗濯を自分達でどうにかしろ、ということ?

「そのとおりです。住民向けのアパートと、観光客向けの宿泊・滞在施設が一体になっています。」

 確かにこの設備は賃貸住宅という方が合っている。設備や部屋自体は最近出来たのか全体的に真新しいし、コンロや洗濯機は安いアパートにあるような陳腐な据え置きのものじゃない。空調も十分効いている。エアコンはあるにはあるけど、この暖房はエアコン下の送風口から出ているようだ。

「バイオマスボイラーによる集中型の空調システムです。エアコンはあくまで補助的なものという位置付けです。」
「随分立派な設備だね。」
「地域活性化、ひいては人口増を狙って、国やA県などからかなりの補助金を得て建設されたそうです。」
「拠点にするには十分な設備だけど、食材はどうするの?」
「徒歩3分のところに道の駅があります。そこがスーパーの役割を担っています。」

 シャルがスマートフォンに地図を表示して説明する。此処へ来るためにも使った国道238号線を挟んで斜め北に道の駅がある。一般的な道の駅としての機能-物産販売や休憩所、飲食店の集合体であると同時に、食料品や日用品を売るショッピングセンターとしての機能も有する。滞在に必要な食品や日用品は持ち込むかここで購入するかのいずれかになる。
 A県が除雪する国道238号線沿いにあるので、食品や日用品は潤沢で、豪雪時でも品切れになることは殆どない。地域の物産販売を兼ねていることから、海産物や魚介類より肉類、特に鹿や猪といった所謂ジビエやコメ、野菜、キノコが主体。日用品は一般的な品揃えで、滞在で困ることはない。

「食材を買いに行くのが多少手間なのを除けば、何ら滞在には問題ありません。」
「設備が賃貸住宅そのものだから、さながら新婚生活体験だね。」
「!そ、そうとも言えますね…。」

 言ってからストレート過ぎたかと思ったけど、頬を赤らめたシャルはまんざらでもない様子。シャルが料理上手なことはマスターの家で1日滞在した時に十分分かっている。洗濯やゴミ出しくらいは僕がしないと割に合わないな。ホテルの宿泊と違って生活となれば、僕だけ楽をするわけにはいかない。

『こ、今回滞在場所を此処にしたのは、他に理由があります。』
『例の神社に近いこと?』
『それもありますが、この村に入って消息を絶ったWeb管理者がこの施設に滞在していたからです。』
『!』

 件のWeb管理者は、問題のご神体があるナナクサ神社を参拝した際、そのご神体を拝殿越しに撮影した。距離とピントの関係で模様の解析は出来ないものの、「不可思議な模様が刻まれたご神体」と認識するには十分。それが消息不明に繋がった確率も考えられる。

『ダイレクト通話に切り替えたのは、そのためです。ちなみにWeb管理者が滞在していた部屋は、この部屋の2つ隣、203号室です。』
『流石に部屋の中を捜索することは出来ないよね。』
『A県県警から捜索と現場保存の協力要請が来ているので、施設側で部屋をロックしています。とは言え、私ならロックがあっても意味を成しません。』
『ロックを破壊しないよね?』
『そんなことしませんよー。ヒヒイロカネを這わせて部屋に送り込むんです。』

 シャルが少しむくれる。シャルは自分を妨害する者や人に対して容赦しないからもしかしたら、と思ったけど、流石にそんな暴挙はしないか。部屋が保存されているなら、何か消息に繋がる痕跡や情報が残されている可能性がある。その探索と解析はシャルに任せるのが確実だ。

「結構到着が遅くなったし、ご飯にしようか。」
「そうですね。道の駅の営業時間もありますから。」

 道の駅は休憩所やトイレは24時間営業だけど、物産や飲食店、ショッピングセンターは17:30まで。あと1時間くらいだ。距離が近いとはいえ、営業時間を過ぎたら買えるものも買えない。当座必要な食材を買い込んで運び込むこと。ホテルじゃなくて賃貸住宅での生活だと改めて思う。
 Web管理者の部屋の捜索はシャルが並行作業で出来ると言うから、早速買い出しに向かう。空調が効いた部屋や建物から一歩外に出ると、強烈な寒さが襲い掛かる。着込んでいても身体に冷気が突き刺さるような感覚だ。山間は日が落ちるのが早い。既に外は真っ暗で、街灯が転々と雪の壁を照らしている。
 国道238号線を渡って向かい側に移動。渡ってすぐのところに道の駅がある。広大な駐車場は典型的な道の駅のものだ。ショッピングセンターに入る。店内は一般的なスーパーと何ら変わらない。カートに籠を載せて、シャルが食材を選んで籠に入れていく。買うものや作るものが決まっているのか、あれこれ悩むことなく食材を入れるかスルーするかのどれかだ。

「日用品は、この前買い込んだものがまだ十分使えるので、買う必要がないですね。」
「やっぱり日用品はある程度自分達で持っておいた方が良いね。」

 ホテル暮らしだけならまだしも、今回のように自分達で用意する必要がある状況は、今後もあるだろう。都度現地で調達できる保証もないし、日用品は長期保管も出来るから、一定数は在庫を持っておくのが良い。ヒラマサ島で物資不足に巻き込まれなかったのは、事前に日用品を買い込んでおいたのも大きい。

「ちなみに、今日は何を作ってくれるの?」
「ハンバーグです。」

 玉ねぎという万能野菜だけだとメニューは分からなかったけど、シャルの口からメニューを聞いて期待が高まる。一応僕も料理は出来るつもりだけど、この旅に出て以来包丁を握る機会はないし、元々自分が食べられれば良いという感覚での料理だから、シャルのように他人に食べさせられるレベルじゃない。今はそれすら作れるかどうか。
 買い物はあっさり終わる。レジで精算して食材をバッグに詰めて外に出る。温度差が凄いのは致し方ない。荷物を持つのは当然僕。料理はシャルがしてくれるから、こういうことは僕の役割だ。施設に戻る途中、シャルがシャル本体に立ち寄って何か取り出してくる。

「サカホコ町で猪や鹿の肉を買いましたよね?それを明日以降使おうと思って。」
「そういえば在庫があったね。」

 ジビエ料理の流行もあってか、駆除されたら廃棄処分するだけだった猪や鹿などの肉は、肉資源の1つとして見直されつつある。やや癖が強いとか臭いがあるとかはあるけど、それらも料理次第。山間部での貴重なたんぱく源として活用しない手はない。
 幸い、肉類は魚介類より長期保管が可能だ。シャル本体には冷蔵庫があるし、そこでは燃料として使用する水素を冷媒とすることで、通常の冷蔵庫より急速かつ低温にすることが出来る。急速冷凍は現代の食文化を豊かにしている基礎的かつ重要な技術。現地で仕入れた肉類を長期保管できれば、食材が途絶えた時にも自分達である程度対処できる。
 部屋に戻って収納を終えると、早速シャルが料理に入る。僕は出来るまでの間、リビングに相当する部屋で待つ。仕切りの都合で直接キッチンを見ることは出来ないけど、小気味よい包丁の音が聞こえてくる。更にフライパンで焼く音も加わって、期待が高まる。

「お待たせしました。」

 シャルが料理の載った皿を持って入って来る。香ばしいソースの匂いを漂わせるハンバーグが、これでもかとばかりに存在感を放っている。僕も料理の運搬をする。ご飯にサラダ、キノコの味噌汁と万端のメニューだ。テーブルに向かい合わせで並んだ料理は、家庭料理の域を超えている。
 向かい合って「いただきます」の後、早速食べる。「外はカリッと、中はジューシー」という理想的な焼き加減のハンバーグと、自家製というソースが絶妙な絡み合いだ。特別な調理器具でもコンロでもないのに、これだけの料理が出来るシャルの緻密な料理技術には感服するしかない。

「うん、美味しいよ。凄く。」
「良かったです。」
「ハンバーグにしたのは何か理由があるの?」
「ヒロキさんに初めてふるまった料理なので。」

 シャルの大幅な機能強化のため、マスターの家に向かった日。僕の不安を解消するため、シャルはマスターの家を借りて丸1日過ごしてくれた。その夕食で出された料理がまさに目の前にあって今食べているメニュー。初めてのシャルの手料理とその味に感動した。シャルはあの日のことを憶えていてくれたんだ。

「勿論憶えていますよ。ハンバーグは家庭料理の定番であり、料理技術が明確に分かる料理だそうですから、最初の食事にしたかったんです。それに…ほら、新婚生活体験でもあるねって、ヒロキさんが…。」

 最後の方はフェードアウトっぽくなったけど、シャルが滞在最初の料理を重要視して、思い出の料理と言えるハンバーグを選んだことがよく分かる。自分で作る最低限のもの以外の家庭料理を食べることはないと思っていたのに、こうして奥さんと向かい合って奥さんの手料理を食べることが出来るなんて。
 美味しいおかずがあるとご飯が進む。コメも買い出しで5kgのものを買った。地元産だというコメの味は全く問題ない。満腹になったら僕が片付けをする。美味しい料理を作ってもらったから、洗い物くらいしないと申し訳ない。それに、調理器具はシャルの一部だから此処には存在もしていない。必要に応じて創造されて用が済んだら同化する。収納スペースが大幅に削減できるシステムだと思う。
 2人分の食器を洗うのはすぐ終わる。それにしても、キッチンは十分な広さで、湯もきちんと出る。安い賃貸住宅とかにありがちなコスト削減を優先した安っぽい設備じゃなさそうだ。住民向けのアパートもあるそうだけど、下手に買ったり建てたりするより充実した設備で生活できるかもしれない。
 キッチンの反対側に風呂とトイレがある。折角だから見てみる。どちらも十分な広さで、風呂は追い炊きがあるしトイレはウォシュレット。板ご飯を食べたリビングはベッドの面積もあるから、ワンルームよりは格段に広いし、設備全体が充実している。今気づいたけど、部屋でドアがあるのは風呂とトイレと収納くらい。空調が全域に効くからドアがない方が良いんだろう。

「外はどうかな?」
「雪がまた降ってきました。視界が非常に悪化していますから、外には出ない方が良いです。」

 カーテンを少し開けて外を見る。大粒の雪が絶え間なく降り続けている。視界に占める闇より雪の方が多い。ホワイトアウトとはいかないにしても、視界の悪さは明らかだ。その上、今は空調が効いた部屋にいるから分からないけど、外は相当寒い筈。神社の探索とかを無理に夜間にする理由はない。

「お風呂の準備をしています。長距離運転の後ですから、ゆっくり寛いでください。」

 リビングに居てどうやって風呂の準備を、と一瞬思ったけど、シャルなら造作もない。この状況で外に出るのは危険だし、シャルの支援がないと歩き回ることもままならないだろう。途中休憩や宿泊をしているとはいえ、3日間の運転で疲労が溜まっているのは事実。シャルの言うとおり、今夜は寛ぐに限る。
 少しして風呂の準備が出来たことを示すアラーム音がリビングに届く。シャルの勧めで僕から入る。脱衣場と洗濯機置き場があって、浴室本体はその奥。脱衣場も別経路から空調が届いているようで、服を脱いでも寒くない。アパートに住んでいた頃は、冬場は急いで浴室に入らないと寒くて仕方なかったな。適温の湯を被って髪を洗ったところで、ドアがノックされる。どうしたんだろう?

「ヒロキさん。…入りますね。」
「え?」

 言葉の意味が理解できなかったところに、ドアが開いてシャルが入って来る。僕から見て右手奥の方から入ってきたシャルは、当然裸。タオルで一応隠してはいるけど、豊満な肢体の前ではお飾り程度でしかない。そもそも殆ど隠していない。

「ど、どうしたの?」
「一緒に入ろうと思った以外の理由はないですよ。背中、流しますね。」
「は、はい。お願いします。」

 一緒に風呂に入るのはオクセンダ町で温泉旅館を拠点にしていた時以来か。大抵男女の風呂は別だし、部屋風呂はあったけどシャワーを浴びるのがメインの狭いものだった。今回は浴槽も含めてそこそこの広さだし、2人で入るには支障ないけど…、これは…。