謎町紀行 第106章

銀狼との最後の語らい

written by Moonstone

『この世界からの脱出か…。それが最善だろう。』

 翌日の夜、昼間の札所巡りと朱印集めを終えて、「銀狼ルート」で銀狼と対話。シャルが銀狼に、この世界からの脱出と別世界への搬送を提案すると、銀狼は意外にも好意的な反応を示す。

『この世界には、私の身体を元通りにする方法はないだろう。しかも、元通りにするよりも実験台にされるか見世物にされるかの選択を強いられると見ている。』
『残念ながらその見解で間違いないですね。』
『となれば、この世界から脱出するのが最善という考えに行き着く。』

 銀狼は言葉を使えるだけじゃなくて、元々かなり聡明で冷静な判断が出来るタイプらしい。動物にも性格があって、知能水準も過去の常識よりずっと高いと分かってきている。言語を使えれば意思疎通や対話討論が出来ると言えばそうでもないことは、この島だけでも密漁グループやマスコミの醜態を見れば容易に否定できる。意思疎通には言語を使って聞き話すだけじゃなくて、得られた情報や現状を基に提案や検討が出来る知的水準が必要だとよく分かる。

『勿論、今すぐの判断と行動を求めることはありません。まだ私達への信用も十分ではないでしょうし、貴方の警戒心もあるでしょう。熟慮した上で決断を伝えてもらえば十分です。意思伝達の手段も渡します。』
『配慮に感謝する。この森で長く暮らしたことで、それなりに愛着がある。それを断ち切った時が、この世界から脱出する時になるだろう。』
『分かりました。意思伝達の手段として、貴方の左耳にごく小型の機械を送り込みます。一瞬違和感が生じるかもしれませんが、貴方の身体や意思決定に危害や干渉を加えることはありません。意思が固まったら、後に伝える合言葉を先頭に置いて、頭の中で意思を伝えてください。私が委任する、信頼に足る部下がお迎えに上がります。』
『承知した。』

 銀狼はこの森で1200年もの長い時間を過ごした。仲間が消えていく悲しみや、生きるための苦労があっただろうけど、長く同じところで暮らせば愛着がわくのは自然なこと。僕自身、この旅に出るために就職以来約10年間暮らしたアパートを引き払う時、未練も何もない筈なのに何とも言えない気分がした。銀狼の気持ちは少なからず分かるつもりだ。
 銀狼がこの世界で生き続けるのは、苦難の方が遥かに多いだろう。銀狼も触れたように、この世界で人間の甘言に乗ったら、不老不死の原因を突き詰めるためと称した実験台にされるか、全身が光る、しかも日本では絶滅したはずの狼として見世物にされるかのどれかだ。ひたすらこの森に隠れ住むしかないけど、それが何時まで続けられるか分からない。
 森は銀狼神社の敷地だから、神社そのものが消滅するでもない限りは保持されるだろう。だけど、一部は造成や開発の対象になるかもしれないし、何らかの理由で神社が移設することになるかもしれない。今の寺社仏閣も、建立からずっと同じ地にあったことは意外に少なくて、天災や時の政権の意向、あるいは内紛で敷地面積の縮小や移転がかなり行われている。銀狼神社もそうならないとは限らないし、神社が移設となったら、この森が保持される大義名分がなくなる。

『銀狼よ。話は変わりますが、銀狼神社やその森に、不審な人物が来たことはありますか?貴方目当ての一般人と、今も懲罰のため森を徘徊している者は除きます。』
『神社に参拝する者は大勢いるが、最近は参拝しに来たのか、私を見ることのついでなのか分からない。多少見晴らしは良いが、偵察や監視に使う遠視の道具を携帯する理由にはならない。それはさておき、本殿に侵入しようとした者が何人かいる。比較的最近のことだ。』
『その人物の特徴などは憶えていますか?』
『身を隠して遠くから見るに留まるから、顔は見えていない。服装はある程度識別できるが、私の知識では正確に伝えられない。』
『では、先ほど貴方の左耳に送り込んだ機械を介して、貴方の頭の中に複数の服装のイメージを送ります。最も近いものがあったら、その番号を教えてください。』
『そんなことも出来るのか。分かった。』

 画像の無線転送だろうけど、銀狼が違和感なく左耳に留めておけるサイズの受信機に加えて、脳内に展開できるのは凄い。この世界の仮想現実なんて、未だに眼鏡に双眼鏡を継ぎ足したような専用のゴーグルをつけないと何も始まらないのに。

『…3と7だ。7は1人で他は3。7を3が囲んでいる様子だった。』
『非常に貴重な情報です。ちなみに、この集団を見たのは何時頃ですか?季節でも構いません。』
『2年前の秋が深まってきた頃だ。集団は、宮司に案内されて敷地に入ってきた。拝殿から本殿に入ろうとしたところで宮司に制止されて断念した。本殿は聖地中の聖地だから、集団に恭しく対応していた宮司も看過できなかったようだ。』
『これも貴重な情報です。ありがとうございます。』
『礼には及ばない。遠くからでも単なる調査研究や参拝ではない、胡散臭さを感じた。私にとって神社やそこに安置された宝物自体は正直どうでも良いが、神社周辺に住む者達が時折清掃もして、多くの生き物の安住の地としているこの森を、自分の利益のために踏み荒らすのは容認できない。』
『至極もっともなご意見です。今も森を徘徊している連中は、懲罰が終わり次第確実に撤収させて処分しますので、もう暫くご容赦を。』
『承知した。貴女が下した懲罰であれば容認できる範疇だ。』
『ご理解に感謝します。』

 銀狼がこの世界を脱出するかどうかは、銀狼の判断に委ねられる段階に入った。銀狼が脱出を判断したら、SMSAが保護・護衛してシャルが創られた世界に移送する手筈が整えられた。焦点は天鵬上人、すなわち手配犯と、銀狼が目撃したという本殿に入ろうとした集団の素性、そしてヒヒイロカネの捜索と回収という旅の本筋に絞られる。詳しい話は旅館でシャルから聞くとして、戦略と素早い行動が重要になってきそうだ。
 銀狼との対談を終了して、馴染みを感じるようになってきた料理店で夕食を摂ってから旅館に戻る。茶を淹れてくれたシャルが口を開く。

『銀狼神社の本殿に侵入しようとした集団は、Xとその取り巻きと見て間違いないでしょう。』
『!どうして分かるの?』
『銀狼が私に回答した、集団の服装です。1人、この服装だったと回答がありました。』

 TV画面に、変わった服装を着た人形のようなモデルが表示される。この服装、何処かで見たことがあるような…。

『これは、私が創られた世界で手配犯が属する集団が好んで着用していた服装です。』
『以前、その集団が好んで着る服装をした人物と遭遇したって証言があったけど、それと同じ服装?』
『はい。この世界でもそうですが、私が創られた世界でも、この服装は他と比べて明らかに異なります。そんな服装をあえてこの世界で着用するのは、この服装に執着がある手配犯が属する集団の一味と見て間違いないでしょう。すなわち、銀狼神社の本殿に侵入しようとしたのは、Xとその取り巻き。』
『2年前の秋って言ってたから、ニアミスに近いね。Xの目的はやっぱり…ヒヒイロカネかな。』
『それは勿論ですが、どちらかと言えば、銀狼神社本殿に安置されているご神体の比率が高いと考えられます。』

 銀狼神社のご神体には、ヘブライ語に酷似した模様があるという。Xがこの世界に持ち込まれたヒヒイロカネを我が物にして、ひいてはこの世界を支配したいと考えているなら、この世界に残されたヒヒイロカネの痕跡や情報も捜索しているだろう。僕とシャルと同じように。その結果、銀狼神社のご神体の模様を知って調査に乗り込んできたことは十分考えられる。
 それは同時に、Xとの対峙は必然的だということ。Xが銀狼神社のご神体の模様に何かを感じたなら、同様に他の神社のご神体にも目が行くだろう。そして、三付貴神社のご神体にも行き着くだろう。探すというプロセスは同じでも、僕とシャル、そしてXが目指す目標は全く異なる。両者が会い見えれば敵対へと繋がるのは必然だ。
 Xの現在の動向は分からないけど、2年前の調査でも取り巻きらしい人物が複数いたそうだから、政権中枢に食い込んでいるのは間違いないだろう。政権の庇護を受ける、あるいは政権を牛耳るXと、ヒヒイロカネの捜索と回収の副産物とは言え、政権と敵対する結果を残している僕とシャルは、この時点で相容れない。

『銀狼神社のご神体はヒヒイロカネじゃないんだよね?』
『はい。服役中の密漁グループを介して比較的至近距離でスキャンしましたが、ヒヒイロカネのスペクトルは全く検出されませんでした。』
『密漁グループの捜索でもヒヒイロカネは見つからないそうだし、この島にあるのはヒヒイロカネそのものじゃなくて、ヒヒイロカネの関連情報ってことかな。』
『その確率が高いです。』
『銀狼神社のご神体が三付貴神社のご神体と関係があるらしいことや、それらに天鵬上人が関係している可能性が高くて、天鵬上人が時の政権に食い込んでヒヒイロカネを秘かに逆鉾山に隠したらしいことが分かったから、ヒヒイロカネそのものじゃないけど重要な情報が事実が明らかになったね。』

 天鵬上人が手配犯の1人で、しかも史実とは異なり、ヒラマサ島を経由して秘かにヒヒイロカネを持ち込み、銀狼を銀狼たらしめた上で逆鉾山に隠し、暗号も兼ねて遠く離れた2つの神社のご神体として安置した。これらの可能性がかなり事実に近いことが分かったのは、今後Xとの対峙においてアドバンテージになることもあり得る。
 古代史の解明や研究は本筋じゃないけど、この世界の様々な場所や時代に逃げ込んだらしい手配犯の足取りを追うことは、不可思議な史実の真相が明らかになったり、遠く隔てた場所にある遺物が重要な点と線であることが判明することにも繋がる可能性はある。それは、今のところ推測を基に探すしかないヒヒイロカネの所在地を絞り込める可能性にもつながる。
 天鵬上人の例を見ても、「空白の7年間」が当時の留学に有利な僧侶になるための準備期間であり、ヒヒイロカネを長期間確実に隠蔽できる場所を捜索するためだったと考えると、中国渡航を前に天鵬上人の足取りが途絶えた不可思議な事実が明瞭になる。ヒヒイロカネの隠蔽のため、史実と異なりヒラマサ島経由のルートで帰国したと考えられることで、銀狼神社と三付貴神社のご神体に共通する不可解な模様がヘブライ語の確率が高く、それはヒヒイロカネに関する情報を記した暗号の可能性すらある。
 模様の解析にはまだ時間を要するだろう。ロゼッタストーンのように対比する言語がないから、酷似しているというヘブライ語の記載や文法を頼りに地道に解読していくしかない。シャルのAIでもどのくらいかかるか分からないけど、そのAIより遥かに原始的なこの世界のAIという名の機械学習では、セレンディピティがない限り解読は困難だろう。その点では、僕とシャルの方にアドバンテージがあると言える。
 シャルの懲罰で銀狼神社がある森を全裸で捜索させられている密漁グループも、ヒヒイロカネを見つけられていない。シャルのスキャンでもご神体はヒヒイロカネじゃないと判明しているし、シャルの気が済んだら密漁グループを処分して、ついでに前町長の悪事を暴いたら、この島での捜索は完了だろう。それ以外だと、88ヵ所の札所を巡って朱印を集めるくらいか。こちらはあと1日2日で完了しそうだから、朱印帳を埋めて島を出たいところだ。

『密漁グループを介して、銀狼神社のご神体を詳しくスキャンしておいて。表面の模様とか、材質の解析とか。』
『表面の文字は既にスキャンしてありますが、材質はどうして?ヒヒイロカネでないことは確実ですが。』
『天鵬上人がご神体にヒヒイロカネに纏わる情報を記載したなら、ご神体の材質を調べることで三付貴神社のご神体との関連性が見えてくるかもしれない。そのご神体がヒヒイロカネじゃなくても、本来日本にない、あるいはこの世界にない物質だとしたら、それを追うことで天鵬上人の軌跡がより詳しく分かる可能性がある。』
『それはそのとおりですね。分かりました。材質の解析もしておきます。明後日には全域の捜索が完了しますし、それまでには十分解析できます。』
『頼むよ。これだけ手の込んだ隠蔽や情報の暗号化をした天鵬上人だから、ご神体にも何らかの手掛かりがありそうな気がする。』

 手配犯の素性は知らないけど、天鵬上人はこれまでシャルが身柄を拘束してSMSAに引き渡した手配犯2人より、遥かに博識で知恵が働くタイプだと感じる。恐らく集団でも頭脳派としての立ち位置を確立していただろう。Xと逃げ込んだ時代が大きく違ったのは、僕とシャルにとっては幸いかもしれない。頭脳派を参謀とした権力志向者は非常に厄介だから…。
 2日後の夜、無事に88ヵ所札所巡りと朱印集めを完了してご満悦のシャルと共に、銀狼ルートへ向かう。銀狼は僕とシャルが駐車スペースに出ると、何とか視認できる距離に姿を現す。半径1km以内に人がいないのは、事前にシャルが確認している。銀狼も僕とシャルと話をしたいと思えるようになってきているんだろうか。

『銀狼よ。私達は次の目的地に向かうため、明日この島を出ます。』
『そうか。私は貴女達を引き留めるつもりはないし、その資格もない。貴女達は、この森で身を隠しながら生き続けるしかなかった私に、一筋の光明を齎してくれた。恩に着る。』
『恐縮です。貴方からは非常に貴重な情報をいただきました。心の整理がついて、私達の申し出に応じたくなったら、例の方法で連絡してください。』
『感謝する。ところで、例の囚人達は撤収したようだが。』
『彼らには、別の懲罰が控えています。それまで別のところに待機させています。この森の探索は完了し、私達が探しているものは存在しないことが確定したことを申し添えます。』
『手掛かりがあるとすれば、神社の本殿に安置されている宝物か。2日前に話した胡散臭い連中もそれが参拝の目的だったようだし、宝物というのも一部の人間にとっては魅力的だが、実際はそうではないのかもしれないな。』
『そのとおりだと思います。欲の深い人間の欲は際限がないものです。最後に1つ、聞きたいことがありますが、良いでしょうか?』
『答えられる範囲であれば。』
『ありがとうございます。貴方はここ一月の間、昼間夜間を問わず、一度でも私たち以外の人間の目につくところに出たことはありますか?』
『否、一度も出たことはない。出たら大騒動になって、この森や神社を守る人間達の生活に重大な支障を来すことくらいは分かるつもりだ。』
『分かりました。十分な情報です。…短い間でしたが、色々ありがとうございました。どうかお元気で。』
『貴女達の行く道に繁栄のあらんことを。』

 銀狼との最後の対談を終えて、僕とシャルは帰路に就く。銀狼が森とこの世界に別れを告げるか、森に留まるかは銀狼が決めること。皮肉にも時間だけは十分あるから、銀狼が納得できる答えを出してほしい。

「シャルは最後に、銀狼が僕たち以外の人間の前に出たかって聞いたけど、前にTVで流れた銀狼の映像に関してのことだよね?」
「はい。そのとおりです。」
「警戒心の強い銀狼がうっかり人前に出てしまったかも、って考えた?」
「いえ、万に1つもあるとは思っていません。ヒヒイロカネはありませんでしたが、代わりに非常に質の悪いものを発見しました。明日、まとめて始末します。」

 密漁グループは今日の未明までヒヒイロカネを捜索させられ、今は別の場所に待機させられている。明日、生活物資を自分の会社に蓄えて横流ししていた前町長に制裁を下すらしいけど、そのついでに偽の銀狼とその元締めも制裁するのか。誰の仕業かは今は聞かないでおく。明日になれば嫌でも分かるし、シャルから強い怒りを感じるのもある…。