謎町紀行 第104章

銀狼が明かす古代史と天鵬の闇と謎(前編)

written by Moonstone

 その日の夜、参拝と朱印集めを済ませた僕とシャルは、「銀狼ルート」に入る。勿論、銀狼とのコンタクトを図るため。例の駐車スペースにシャル本体を止めて、少し雲がある夜空を眺める。果たして銀狼は現れるだろうか?

『銀狼が現れました。光学迷彩付きの部隊で音声によるコンタクトを図ります。』

 警戒して姿を現さないかも、と思っていたけど、ひとまず杞憂に終わった。コンタクトはシャルに任せるしかない。

『銀狼よ。再びお会いできて光栄です。』
『1日開けたのは、連日接触を図ると私が警戒すると推測したためか?』
『そのとおりです。貴方に不必要に警戒されるのは本意ではありません。繰り返しますが、私達は貴方を捕縛するなど危害を加えるつもりは全くありません。』
『貴女達に敵意がないことは十分感じられるが、何しろ人間がすべて敵だった時代が長い。警戒を完全に解くには未だに抵抗感がある。』
『無理は言いませんし、距離を取ってもらって構いません。現に距離があってもこうして接触できているので。』
『不思議な能力だな。まあ良い。私に聞きたいことは何だ?』
『貴方の名を関する神社、銀狼神社やその周辺に、銀色の不可思議な金属は存在しませんか?または、その心当たりはありませんか?』
『一時、そのようなものが奥の建物に安置されていた。だが、何者かが持ち出して以来戻ってきたことはない。』
『それは何時頃のことですか?』
『1200年ほど前。私が捕縛され、言語の使用と身体の発光を加えられた時期とほぼ一致する。』

 銀狼の証言は非常に重要なものだ。1200年ほど前に銀狼が捕縛されて特異な能力を付与されたことと、ヒヒイロカネと思しき物体がこの島に存在した時期がほぼ一致するという。しかも、1200年ほど前と言えば、天道宗の開祖であり手配犯の1人と思われる天鵬上人がヨクニ地方に88ヵ所の札所を設けた時期。何らかの関連性がある可能性が高い。
 関連性が分からないのが、ヘブライ語。銀狼がスパイ目的である種の改造手術をされた確率は十分あると思うけど、銀狼はこの言葉で意思疎通が出来たのは僕とシャルが初めてだと言っていた。つまり、言語を使えても使う相手がいなかったということ。スパイなら入手した情報や物品を伝え渡す相手先がいる筈だ。スパイ1人で延々と情報や物品を集めていても意味がない。
 銀狼に改造手術を施した人物も、ヘブライ語を使っていたという。そして、銀狼神社のご神体と、逆鉾山に程近い三付貴神社のご神体に刻まれた、ヘブライ語に類似した模様。ここに何か鍵があるような気がするけど、関連性が読み取れない。どうしてヘブライ語なのか、どうして銀狼をそうしたのか。

『ところで、今朝あたりから全裸の人間が20名ほど、森や神社周辺を徘徊しているが、それは貴女の差し金か?』
『はい。先ほどお話した金属や手掛かりの捜索のために使役しています。本来は正式な手順や機械で調査すべきところですが、金属が非常に特殊なものであること、彼らに対する懲罰であることから、貴方には見苦しいものを見せることを承知の上で使役しています。』
『試しに私が近くで吠えてみても無反応だったので、自由意思を剥奪されていると推測していたが、懲罰であれば理解できる。神社は、人間にとっては聖域として特別視するところらしいが、私にとっては森の一部でしかない。だからあのような者が徘徊していても、私に危害が及ばなければどうでも良い。』
『ご理解に感謝します。調査は森や動物の生息に影響を及ぼさないようにします。用が済んだら撤収させた上で処分します。』
『承知した。』
『話を戻しますが、私達が探している金属が、一時は神社に安置されていたと貴方は言いました。現在は持ち出されたまま行方が分からないとのことですが、代わりに壺と石板が安置されていると聞きました。それを安置した人物は、金属を持ち出した人物と何か関係があるか知っていますか?』
『良い質問だ。金属を持ち込んだ人間と持ち出した人間は同一人物だ。更に言えば、私に言語の使用と体の発光を加えたのも同一人物だ。』
『!!』

 銀狼から再び重要な証言が飛び出した。銀狼を銀狼にした人物は、ヒヒイロカネをこの島に持ち込んでいた。証言から推測するに、その人物はヒヒイロカネを一時的に銀狼神社に保管して、持ち出す際に現在のご神体である壺と石板を置いていったようだ。そして、銀狼神社と三付貴神社のご神体に刻まれた模様が酷似していることから、その人物の行先は三付貴神社、ひいては逆鉾山と考えることが出来る。

三付貴神社…?逆鉾山…?
もしかして、その人物は…天鵬上人?

『詳しくは後でお話しますが、私も同じ推論です。』
『天鵬上人のことは旅館で改めて検討しよう。今は銀狼とのコンタクトを続けて。』
『分かりました。…銀狼よ。その人物は、貴方に何らかの使命を与えたり託したりしたのですか?』
『良い質問だ。その人物は私に「神の功績を称えることを司る存在であれ」「やがて来る神の時代の灯であれ」と言っていた。私を何らかの象徴とする意図があったようだ。それが何なのかは未だに分からない。あの人物が与えたこの言葉は仲間には勿論、この地の人間にも通じないし、身体が発光することで群れから追われ、独りで生きるしかなかった。やがて仲間は死ぬか人間に狩られるかしていなくなり、皮肉にも群れを追われて隠れ住むしかなかった私だけが、未だに生きながらえているわけだ。』

 不老不死は人間の憧れの1つだ。だけど現世でのそれは無間地獄と言える。家族や仲間は寿命でいなくなるのに、自分はそのまま生き続ける。絶対の幸福があるという極楽浄土なら兎も角、食事をしたり水を飲んだり眠ったり、時には病気や怪我で苦しんだりといった苦しみを伴う現世で生き続けることは、苦しみが永遠に続くこと、すなわち無間地獄。仏教で五蘊皆空(ごうんじょうく)という、自分の心身すら思い通りにならないことの苦しみを説いているのは、現世での不老不死は無間地獄でしかないことを警告するためかもしれない。
 銀狼はある人物によって与えられた不老不死に苦しんでいる。誰とも意思疎通が出来ず、ただ仲間がいなくなり、その身体の発光故に隠れ住むことを余儀なくされ、この島の森で生き続けることを強いられている。長い時を生き続けることを強いられてきた銀狼の心労はいかばかりか。

『心境、お察しします。銀狼よ。今日はこのくらいにしましょう。貴方の長年の心の空白を埋めるには、私達への信頼はまだまだ不足しています。』
『1200年の時を生きてようやく言葉が通じ、語り合う存在が現れた。この時間は…悪くない。』
『ありがとうございます。私達との意思疎通の時間が、貴方の心の空白を少しでも埋められることを願ってやみません。…では、失礼します。』
『明日も来るのは構わない。…では。』

 銀狼は夜の森に消える。今日は重要な情報と共に、銀狼が抱える心の空白に触れた。人物も神の功績だか神の時代だか知らないけど、無責任で残酷なことをしたものだ。孤独より孤立のほうがずっと辛いことは、僕には多少は分かるつもりだ。人物が銀狼に与えたのは孤立。しかも永遠に続く無間地獄と共にある孤立。僕より遥かに辛く苦しい時間だっただろう。

『…帰ろう、シャル。』
『はい。』

 銀狼の心の空白をどれだけ埋められるかは分からない。それと同時に、重大な疑惑が浮上してきた。今後のヒヒイロカネ捜索と回収に関わるかもしれない。それを検討する場所は拠点としている旅館…。

『天鵬上人は、中国大陸からの帰路の途中、立ち寄ったこの島にヒヒイロカネを持ち込み、それを逆鉾山に隠した。-こういう推測だけど、シャルも同じ?』
『はい。まったく同じ見解です。』

 史実では、天鵬上人は中国での修行を終え、仏教の極意を伝授されると共に天鵬という二つ名を授けられた。その帰路はイツシマ列島→このヒラマサ町の最寄りでもあるF県のオオフクヤマ港→現在のシンザイ市とされている。実際、イツシマ列島には天鵬上人が開いたとされる寺-明星寺(めいせいじ)がある。
 ヒラマサ町にある88ヵ所巡礼は、かなり後の時代に信者によって成立したものだけど、ヒラマサ町は、最も朝鮮半島に近いアイジマ列島とオオフクヤマ港を結ぶ航路の途中にある。当時の造船や航行の技術水準から考えて、天鵬上人が実はアイジマ列島経由の航路を使っていて、途中でヒラマサ島に立ち寄っていたとしても何ら不思議じゃない。実際、往路では嵐にあって、渡航した4隻の船のうち2隻が遭難している。安全に帰国するなら往路と同じ危険を避けたいと考えるところだ。
 イツシマ列島には天鵬上人が開いたとされる明星寺があっても、ヒラマサ町には88ヵ所巡礼はあっても天鵬上人ゆかりの寺はない。史実からすれば天鵬上人の帰路に含まれるかどうかで違ってくるのは自然だけど、もし天鵬上人が実はヒラマサ町に立ち寄っていて、それが秘密裏になされたものなら、話は違ってくる。
 歴史を見ると、天鵬上人が中国から帰還した時代は、日本と友好関係にあった百済を滅ぼし、その際に協力した中国を追いやった新羅との国交が一応回復している。積極的な交流とまではいかなかったようだけど-元々対立していたし-、天鵬上人はその時代背景を利用して、実は新羅経由でアイジマ列島→ヒラマサ島→オオフクヤマ港と辿った可能性がある。天候や海洋の状況が変動しやすく、遭難が生命の危機に直結しやすい航路に対して、陸路はまだリスクが低い。より安全に帰還するなら航路が短く、辿りやすいアイジマ列島→ヒラマサ島→オオフクヤマ港のルートを使っても何ら不思議はない。
 それを匂わせる状況証拠は、天鵬上人の帰還が非常に早いこと。元々天鵬上人は20年の予定で中国に渡っていたのに、僅か2年で滞在費が尽きたことを理由に帰国の途に就いたとされている。理由として、中国での師匠から早期の帰国と教義の流布を託されたことや、膨大な量の経典や仏画を購入したことが挙げられているけど、中国に渡る際は一介の僧に過ぎなかった天鵬上人が、経典や仏画の購入に充てたと言っても20年分の滞在費を2年で使い果たして帰国なんて放埓なことをしたら、いくら私費留学生の立場であっても外交使節団の一員として渡航させた時の朝廷は黙ってはいない筈。なのに朝廷は2年ほど現在のシンザイ市に事実上謹慎させはしたけど、天道宗総本山となる天道山菩提浄寺(ぼだいじょうじ)の土地の開発許可を出すなど、何かと天鵬上人を重用している。
 そしてその状況証拠は、出国時は一介の僧に過ぎなかった天鵬上人が、どこでどうやって20年分の渡航費用を工面したのか、にも繋がる。当時の天鵬上人は、いわば私費留学生という立場だったから、基本的に朝廷からの資金は出ない。そんな立場で20年分の渡航・滞在費用をどうやって工面したのか。
 天鵬上人には所謂「空白の7年間」がある。天鵬上人は仏教の秘伝とされる書物を読んで、その真理を知るために中国に渡った。その準備期間として「空白の7年間」がある、というのが定説。でも、7年を使ったとしても、一介の僧が20年分の渡航資金を集められるだろうか?私費留学生が仏教の真理を知るために渡航費用を工面してくれ、と申し出てきて、どれだけの人間が応じるだろうか?今ならクラウドファンディングもあるけど、それとてごく一部の例外を除いて、自分のための資金拠出は成功しない。
 それらに対して、1つの仮説が挙げられる。「天鵬上人は表向きは私費留学生だったけど、実は秘密裏に朝廷の支援を受けていた、言わば民間人を装った政府特使あるいは諜報員」ということ。その目的は時の先進大国である中国から最新の知識や技術、そして貴重な品を得ること。その品の1つにヒヒイロカネがあったこと。
 天鵬上人が、非常に聡明で博識だったことは有名だ。中国語が堪能だったのは勿論、仏教の経典を学ぶのに必須とされた梵語も現地で習得したし、書道や土木建築など多岐にわたる分野で第一級の能力を発揮した。現代でも複数の言語を使いこなせる人は多くない。更に複数の分野で第一線の成果を挙げられるのは、それらが全て天鵬上人のものかは兎も角、非凡な才能を有していたのは事実だろう。
 その非凡な才能を開花させたのは、生まれ持ってのものもあるだろうけど、教育した母方の叔父である阿達大足が時の天皇、桓武天皇の皇子である伊予親王の教育係だったからだと言われている。そこに桓武天皇と天鵬上人の関わりが指摘されている。桓武天皇と天鵬上人は、元を辿れば同じ渡来人の家系という説だ。
 桓武天皇の母方は和氏(やまとうじ)、朝鮮からの渡来人の家系だ。その母方の地位が低かったことで、天皇になる可能性はないとされる一方、官僚として出世していた。ところが桓武天皇の父、先代の光仁天皇は、光仁天皇の皇后と皇后との間に出来た皇子が天皇を呪い殺そうとしているとの密告で皇后と皇子を廃した(註:皇后・皇子の身分剥奪)。そのため、次期天皇、つまり皇太子に擁立されたのが桓武天皇だ。
 一方、天鵬上人を教育した阿達大足は、天鵬上人に論語などの個人指導を行ったほか、天鵬上人の中国渡航を働きかけて、学問僧、つまり私費留学生として中国渡航のメンバーに組み込むことに成功したとされる。ところが、この阿達大足の職階自体は大して高くない。言葉は悪いが中級程度の役人の働きかけ程度で、私費留学生とは言え、外交使節団の一員に加えることが出来るのか、という謎がある。この回答の1つが、天鵬上人と桓武天皇が同じ渡来人の家系だとするものだ。
 ここで登場するのが秦氏。秦氏は有名な渡来人の家系だけど、その本拠地は京都の太秦-その名に「秦」がある-とされている。京都の礎と言える平安京に遷都したのは他ならぬ桓武天皇。そして、阿達氏の祖神を祀る神社も京都にある。桓武天皇の平安京遷都は、道鏡に代表される奈良仏教の影響を絶つことが理由の1つとされているけど、大きな理由は自身のブレーンの本拠地である京都の地に都を構え、長期安定政権の基礎を作ることにあったと考えられる。
 この秦氏と、天鵬上人の母方である阿達氏は、元々は同じ秦氏であり、「本家」はその名のとおり太秦を本拠地として土木建築や養蚕など、当時の重要産業に関わるブレーンとして、阿達氏は宗教のブレーンとして時の朝廷に深く関与していたという仮説がある。桓武天皇の母方は朝鮮からの渡来人の家系だけど、その出自は後の歴史書で追加されたもの。実際のルーツは秦氏に通じていて、桓武天皇と天鵬上人は元を辿れば同じ渡来人の家系というものだ。
 一見突飛な仮説だけど、その仮説に立脚すると、天鵬上人やその中国渡航に関する不可解な謎が説明できる。同じ渡来人の家系だから、役人としての地位はそれほど高くなくても、甥にあたる天鵬上人を外交使節団の一員に組み込ませることが出来た。桓武天皇の実子の1人であり後継である嵯峨天皇が天鵬上人に何かと重用し、天道山菩提浄寺の土地の開発を許可するなど、便宜を図った。そして、一介の僧であり私費留学生という立場でありながら、いきなり時の中国の高僧の一番弟子となって、仏教の秘伝を伝授されるに至ったのも、時の朝廷の密使という立場と、中国語に堪能で梵語も現地で習得した博識を生かして、高僧に折衝した結果だ。
 天鵬上人の博識ぶりが、この世界の古代に逃げ込んだ手配犯の1人だとしたら、持ち込んだ知識や装備でずば抜けた才能と映らせるには十分だっただろう。長時間バッテリー駆動できる超小型の翻訳機くらいあるだろうから、時の中国語を流暢に話せて不思議じゃない。現地に溶け込むには現地の言葉を直接話せる方が俄然有利なのは、時代や世界が違っても変わらないだろう。
 そして、私費留学生でありながら20年分の渡航費用を何時の間にか工面できたのは、時の朝廷、特に桓武天皇の密使だとすれば説明が可能になる。桓武天皇の時代、征夷大将軍という役職が創られた。坂上田村麻呂が有名だけど、この征夷大将軍が率いる朝廷の軍-桓武天皇の時代は国司を筆頭とする地方の軍隊の混成部隊-の目的は、蝦夷(えみし)と呼ばれた東北地方の制圧。その真の目的は、東北地方で発見された金鉱脈の収奪と、それによる朝廷財政の安定化を図るためだと見られている。
 実際、桓武天皇より5代前の聖武天皇は、疫病-特に天然痘-の流行や災害の頻発、藤原広嗣の乱の勃発など深刻な国内情勢を受けて、仏教の力で国を守り、災いを鎮めて幸福を齎す、「鎮護国家」思想の下、東大寺の大仏や国分寺の建立に精力的に取り組んだけど、その東大寺の大仏の全身を覆った金の出所は東北地方の金鉱脈だったことが分かっている。
 そして桓武天皇の時代、大きく3回の蝦夷討伐が実施された。折しも桓武天皇は長岡京→平安京と2回の遷都を実施した。当然財政負担は大きい。東北地方に豊富な金鉱脈があったことは、後の奥州藤原氏の隆盛と中尊寺金色堂などからも窺える。蝦夷討伐はたびたび中央政府=朝廷に反抗する東北地方を制圧すると共に、金鉱脈を収奪して財政基盤を再建・安定化する目的があったと見るのが自然だ。
 坂上田村麻呂などの活躍によって、蝦夷は制圧された。そして豊富な金鉱脈によって朝廷の財政も潤った。それが大規模な造営を必要とした平安京遷都の財政的裏付けになると共に、天鵬上人の中国渡航に際して秘密資金として齎されたと考えられる。天鵬上人の目的、否、使命は、中国の政府や高僧への接触と、先進国中国の知識や技術、貴重な品物を得ること。その活動資金が、桓武天皇から秘密裏に齎されたという筋書きだ。
 普通に考えると、何百何千といる弟子の中で、外国から来た一介の僧をひと目で見定めて、仏教の秘伝を伝授するなんて考えられない。それこそ他の弟子や信者の強い反発が起こるだろうし、そもそも大人数の中から特定の1人を識別するのは困難だ。それを可能にしたのは、天鵬上人が秘密裏に託された潤沢な資金。言葉は悪いが、現地の言語に堪能なことと仏教に関する博識を背景として、金で伝承の資格を購入したわけだ。
 勿論、それが事実だとしても、天道宗などが表に出したり公認したりするはずがない。だけど、「空白の7年間」など天鵬上人に関する不可解な謎は、天鵬上人が桓武天皇の密使として、秘密資金を受けて活動していたとすれば説明できるのも事実。現代の日本でも官房機密費やらの巨額の費用が情報収集などの名目で動いている。諜報機関が公になっているアメリカやイギリス、ロシアなどは言うに及ばない。密使やスパイが国家財政を背景に動くのは、古今東西変わらない。