「今日こそやろうぜー。また銀狼が出たって言ってるしー。」
「そろそろブツも取らないと、大赤字だぞー。」
「景気よく行こうぜー。」
シャルは我関せずという様子で、朝食を進めている。シャルの関心はヒヒイロカネを除くと、88ヵ所巡礼を続けて朱印帳を埋めることにある。密漁グループが銀狼目当てに居座って地元住民と諍いを起こそうが、密漁でまったく収穫が得られずに赤字になろうが、知ったことじゃないわけだ。もっとも、後者はシャルが魚介類を逃して妨害しているけど。
『私やヒロキさんに絡んだら、腕の1本や2本はちぎれ飛ぶことになりますが。』
『旅館での流血沙汰は、旅館の迷惑になるから避けてね。』
『それはそうですね。人気のないところへ連行してからにします。』
「次ですけど、このルートで行きたいです。」
食べ終えたシャルはスマートフォンをテーブルに出して、マップを表示させる。ルートは…、往路はアシヤマ集落から今の旅館への移動に使った国道428号線が主体。復路は例の「銀狼ルート」か。「割と遠くなってきたので、往路はこのルートで行くのが効率的です。」
「それは勿論良いよ。見たところ、札所は島の南西部に多いね。」
「徒歩で移動できる場所に固まっているので、近くの駐車場を拠点に出来ますよ。」
『あと、頻繁に銀狼の近くを通るより、少し間を開けた方が警戒心が多少でも和らぐかと思ってのことです。』
『銀狼も、事情聴取か何かかと思って良い気はしないだろうから、向こうから近づいてきたら会話するくらいの感覚が良いだろうね。』
朝食を済ませて、一旦部屋に戻る。幸い、密漁グループはシャルを凝視したり口笛を吹いたりしたけど、それ以上絡んでは来なかった。駐車場のシャル本体に乗り込んで、システムを起動して出発。今日は寒さが少し和らいで、幾分過ごしやすい。通りはそこそこ人が歩いているけど、アシヤマ集落のような出鱈目な混雑とは無縁。同じ島、同じ町でも、少し車を走らせれば違う日常がある。
フシミ集落の駐車場にシャル本体を止めて、順次札所を巡る。集落に紛れるように佇む小さな民家や小屋のような建物が札所。朱印はこういう建物では流石に受領できない。代わりに札所に置いてある本尊の御影(みえい)を持って、朱印受付が可能な札所に提出すると、そこで一括して朱印を受領できる仕組みになっている。参拝者が多いと待ち時間が長くなるだろうけど、参拝者が殆どいない今は、シャルの朱印帳に朱印が一気に増えるのを眺めるだけになる。
「朱印がたくさん増えました。」
昼食で集落にあるカフェに入り、シャルは朱印帳を手にご満悦。シャルは何かをコレクションするのが好きなようだ。機会があれば「本家」の88ヵ所巡礼もシャルのコレクションを増やす機会になるだろう。雪解けの4月か5月にSMSAが逆鉾山に重機を搬入してヒヒイロカネを発掘する見込みだから、その時間待ちを兼ねて巡れるかもしれない。「朱印帳のページ数はまだある?」
「数えたら、この島の札所の分は大丈夫です。次の機会に買おうと思います。」
運ばれてきたランチメニューを食べながら、今後の参拝ルートの相談をしつつ、ダイレクト通話でアシヤマ集落と銀狼神社周辺の状況報告を受ける。アシヤマ集落と銀狼神社周辺の状況は、最悪の一言だ。次々押し寄せる観光客のうち、宿泊先がないと言われて日帰りにするのはごく少数。テントの隙間はまだましな方で、あろうことは埠頭にテントを張る事例も出てきた。「皆がしているから」という集団心理、つまりは自分で考え判断する能力のなさと主体性のなさが、悪い方向に働くとこうなる。
埠頭は言うまでもなく、船が着岸して人や物資を出し入れする場所。そこを塞がれたら邪魔になるのは勿論、夜間は転落の危険が高まる。警察や町役場も埠頭から直ちに退去するように言うけど、無視されるか聞きかじった法律用語を交えて言い返されるかのどちらか。強制撤去は法律の不備で不可能だから、警察も町役場も手を出しあぐんでいる。
私有地は隙間がないくらいテントで埋め尽くされ、道路にも人が溢れかえっている。地元住民は勿論、他の集落への運送の障害にもなるから、警察と町役場が都度道路から退去するよう要請するが、これもなかなか聞き入れられない。こんな調子だから、アシヤマ集落は他の集落から事実上分断されている。他の集落への物資輸送の遅延が常態化していて、更に事態を深刻にしている。
観光客にも勿論質の悪い連中は居るけど、全体としては宿を取って夜に見物に赴く、割とましな行動パターンの人が約70%の多数派。問題は、私有地の陣取りや物資の買い占めがほぼ100%のマスコミだ。宿にあぶれたマスコミは、滞在費を抑えるためか堂々と私有地にテントを張って、物資を買い込んで居座る。一部の観光客が私有地にテントを張ったのは、マスコミがやるなら自分達も、という主体性のなさもあるけど、マスコミの「報道の自由」を利権に変えた無法が大きな要因だ。
警察や町役場が私有地や埠頭の違法占拠に強く出られないのは、マスコミが集落の彼方此方に陣取り、徘徊しているからだ。警察や町役場が一応一般市民の体の観光客に強硬手段を取ったら、たちどころにマスコミの餌食にされる。実際、警察と町役場による私有地でのテントの撤去要請にもカメラを回して、銀狼による観光客誘致を推進しながら観光客の強制排除に乗り出したと報道している。警察と町役場は、「私有地を不法占拠する」が報じられないことで悪役とされ、抗議の電話対応に追われる羽目になっている。
町役場の職員数は元々多くない。そんなところに、アシヤマ集落の見回りと不法占拠の退去要請というイレギュラーな、しかも時間と手間だけかかる業務が加わったことで、町役場の通常業務に担当者不在や遅延などの支障が出てきている。職員も休暇どころか通常の休日も碌に休めなくて疲弊する一方で、銀狼を観光客誘致の起爆剤に据えた町長への不満がかつてないほど高まっている。
町長も次の当選が危ういと感じたのか、観光客受入の一時停止と、N県県警に要員増員を要請することを表明した。前者はまだしも、後者は私有地における不法占拠の強制排除は困難という法律の不備と立法府の怠慢があるから、増員したところで解決するかは疑問。混乱は当面続くのは間違いない。
『-交通規制は強化されていますし、通称「銀狼ルート」を地元の人に教えてもらえたのは幸運でしたね。』
『そう思う。普通のルートで歩いて行ったら、交通規制には引っかからないとしても、混雑でまともに参拝できなかっただろうし。』
僕とシャルの巡礼コースは早々に決定。徒歩での移動だけど、集落の道路は車だと少々手狭なところが多いというだけで、徒歩での移動には不自由はない。寺社仏閣の参拝は、割と歩く機会が多い。駐車場から本堂や拝殿まで距離があるのは珍しくないし、駐車場から延々と歩くこともある。運動不足解消にもなって、丁度良い。
『今日は別の捕り物があるかもしれません。』
『?』
『スマートフォンに表示します。』
『例の密漁グループの一部です。』
『!』
『今、私の本体を発見したことと、ナンバーをアシヤマ集落にいる仲間に連絡しています。例の奴らの車を発見した、車種とナンバーを伝える、と言っていますね。』
『シャル本体の特徴を伝えてどうするつもりだ?』
『通話からは分かりませんが、この手の連中が考えることは、まともなものではないと思った方が良いです。もっとも、ゴミムシが知ったところで何も出来やしませんが。』
『実行に移した瞬間、腕の1本2本ちぎれ飛びますよ。それだけで済めば良いですけど。』
『…こればかりは手加減してとは言えない。』
予想どおりというか…。僕とシャルが旅館の駐車場に戻ったところで、密漁グループが絡んできた。ねっとり絡みつくような言い方だったけど、要は「美人の彼女を見せびらかしているのが生意気」「彼女を俺たちによこせ」。そんなこと容認できるはずがないから、僕は完全拒否した。
格下と見下していた僕に要求を拒否されて頭に来た連中は、僕を殴ってシャルを拉致しようとした。シャルの逆鱗に触れた連中は、その場で身体の自由を奪われ、持っていたナイフで互いの服を切り刻み、更に声帯を硬直させられ、身体を適当に切り刻み合わされた上で寒風吹きすさぶ埠頭に連行され、全裸で棒立ちにさせられている。進行形なのは、今でもそうだからだ。
僕はというと、暖房が効いた旅館の部屋のベッドでシャルに膝枕をされている。殴られた頬は丁寧に治療されて、即効性の痛み止めも投与されているから、今は痛くも何ともない。シャルは服装をナース服に切り替えている。勿論嬉しいけど-色々な意味で-、夕食に行こうと切り出すタイミングを見いだせずにいる。
「夕食はフロントを通じて、例の料理店に運んでもらうように依頼しました。あと30分くらいで運ばれてきます。」
「そんなサービスあったんだ。」
「毎日通っていたのと、旅館のオーナーと料理店のオーナーが友人だそうで、スムーズに依頼を受けてもらいました。」
うつらうつらしていると、ドアがノックされる。シャルが一瞬で服を替えて僕を寝かせたままにして、応対に出る。シャルは料理が入った大きな器を受け取って、出入り口とテーブルを2往復する。シャルは代金を払い、礼を言って見送り、ドアを静かに閉める。僕は身体を起こしてベッドから出て、テーブルに向かう。シャルが器を包んでいた風呂敷を取って、茶を淹れてくれる。鮨桶を小鉢で仕切ることで、様々な料理を盛り付けている。表面は綺麗にラップで覆われているから、それを取れば食べられる。
「念のため、今日はお酒は止めておきましょう。」
「うん。今日は飲む気になれない。」
ナチウラ市に続いて、応戦もままならず、シャルに助けられることになったのが不甲斐ないし悔しい。だけど、シャルは自分を引き渡せという要求を完全拒否したことと、僕の奥さんだと言ったことで十分だという。1人で10数人を相手にするのは訓練を受けた軍人でも無理があるし、それをするのは自分の役目。シャルはそう言ってくれた。
「外の気温は5℃。これから深夜にかけてさらに下がりますし、海風が直撃しますから、我慢大会には丁度良いですね。」
「凍死しない?」
「ニトログリセリンを少量投与して血管を広げていますし、死なないようにはします。」
「丁度良い奴隷になりますし。」
「一晩屋外に晒すだけじゃ済まないってこと?」
「はい。」
翌日。食堂で至って平穏な朝食を済ませて、駐車場のシャル本体に乗り込んで出発。今日は薄曇りで風も少し強い。ちょっと気になって通りすがりに埠頭を見る。シャルの制裁を受けた、否、受けている密漁グループの姿はない。
「平穏な集落に見苦しい彫像は相応しくないので、夜明け前に移動させました。」
「何処へ?」
「そのうち分かりますよ。さ、行きましょう。」
昨日の続きの参拝を進めていく。今回も近くの駐車場にシャル本体を置いて、近隣の札所を順に参拝する。札所は集落ごとにある程度固まっているようで、その集合体の1つか2つに住職がいる一般的な寺がある形。その寺と集落の住民が周辺の札所を管理運営しているようだ。そうじゃないと、小さな民家か小屋にしか見えない札所が、綺麗に維持されるとは思えない。
フシミ集落とゴウラ集落の2つを移動しながら参拝と朱印集めを続けて、昼前にゴウラ集落から南西に移動。今の拠点の旅館に向かう際に北に進路を変えた信号を直進する形で進むと、かなり大きな集落が見えて来る。HUDの表示を見ると町と同じ名前のヒラマサ集落とある。
HUDとナビの表示に従って、港湾を右手に見ながら運転を続ける。島有数の規模の集落のようだ。到着したのは公園の駐車場。その一角にシャル本体を止めて、そこから2,3分歩くと、海が見えるカフェに到着。此処のランチメニューがお勧めだという。よく調べていると感心する。しかも外れがないから凄い。
「かなり大きな集落だね。」
「アシヤマ集落に次いで大きな集落で、町役場や国の役所の出先機関は、此処にあります。」
「町の名前と同じってことは、この集落が元々のヒラマサ町?」
「はい。合併で島全体が1つの町になるまでは、この集落が最大規模だったそうです。」
ランチメニューを注文して、窓の外を見る。防潮堤が穏やかな入り江に幾つもの線を描き、海岸線沿いと、最も島に食い込んだ入り江から奥に町が広がっている。港に割と大きな船が停泊している。あれは…フェリー?
「フェリーですね。ヒロキさんと私が使った航路と違うようです。」
シャルがテーブルに出したスマートフォンにマップを表示させる。此処ヒラマサ島と本土を結ぶ航路は2つあって、1つは僕とシャルが使ったオオフクヤマ港-シベツジ港航路。もう1つは、オオフクヤマ港から東にあるアタカ港とヒラマサ集落を結ぶアタカ港-ヒラマサ港航路。どちらも港の規模は同じくらいだけど、此処から見えるヒラマサ港とフェリーは大勢の人や物資の積み下ろしは見えない。「本土からの距離がかなり違うのと、シベツジ港、すなわちアシヤマ集落には大型ショッピングセンターがあるので、殆どの観光客はオオフクヤマ港-シベツジ港航路を使うようです。」
「ヒラマサ町が属するN県に近いのはオオフクヤマ港だから、N県との連絡にもオオフクヤマ港-シベツジ港航路を使うのかな。」
「通常はそのようです。今は混乱を避けるため、アタカ港-ヒラマサ港航路を使っているようです。」
「いっそ、人や物資もヒラマサ港に誘導すれば良さそうだけど。」
「マスコミが大勢アシヤマ集落に居座っているので、それをすると利益誘導と報道されて更に事態が混迷するとして避けているようです。」
「マスコミが出て行けばかなり変わるだろうけど、そうはしないんだよね。」
町長もマスコミ報道を警戒するのは分かるけど、物資の遅延や不足が顕在化してきているだから、町民生活を守るためと堂々と宣言して、ヒラマサ港に誘導すれば良いことだ。結局責任を逃れたいだけとしか思えない。それこそマスコミを利用して、観光客にもヒラマサ港への航路を使うよう全国的に要請すれば良いと…あれ?
『…本数が少ないかもしれないけど、フェリーが問題なく接岸できる港があって現に今停泊しているのに、物資不足や遅延が常態化してるって、どういうことだろう?』
『それは、人や物資がより安く運搬できて、大型ショッピングセンターが近いからでは?』
『勿論それはあるだろうけど、物資はヒラマサ港を通じて此処にも入ってきてるだろうし、ヒラマサ港からなら此処から北にあるフシミ集落やゴウラ集落、僕達が拠点にしているカウハラ集落へ通じる国道428号線は交通規制もないんだから、物資の不足や配送の遅延がそこまで極端になることはないんじゃないかな、ってことだよ。』
『!』
『シャル。今停泊しているフェリーの物資の移動を、可能な範囲で良いから追跡できる?』
『勿論可能です。あのくらいの量なら全量トレースは十分可能です。』
物資は実際にヒラマサ集落にも入ってきているのに、殊更物資不足や配送遅延が常態化しているのは、何かあるように思えてならない。単に町の人に向けた物資が行き渡らないだけと見ることも出来るけど、それなら常態化するまではいかないだろう。不自然さというか作為的というか、そんなものを感じる。
『フェリー積載の全物資のトレースを開始しました。全体の結果が出るまで数日かかると思います。』
『全量追跡は大変だと思うけど、僕の思い過ごしならそれで良いから頼むね。』
『そういえば、密漁グループはどうなってる?』
『アシヤマ集落、正確には銀狼神社に向けて行進させています。』
『え?』
『奴隷と言いましたよね?銀狼には少々悪いですが、銀狼神社境内の調査に使う使い捨ての端末としては使えます。』
『それは野生動物の迎撃行動ですから、止めることはしませんよ。身体の何処かが動く限り、1人でも動ける限り調査させます。それが奴隷の存在意義というものです。』
本当に容赦ない。駐留部隊だと入り組んだ地形と木々の影響で調査が難しくて時間がかかるところを、端末にした密漁グループに代行させるということ。何らの保護具もないから剥き出しの地形や鋭利な枝葉で負傷するだろうし、縄張りに敏感なのは肉食動物に限らない。一般に「弱い」と見なされる草食動物は、角や牙、爪という武器を持つ。更に手加減や配慮という概念がないから、相手が死ぬ危険を全然顧みない。肉食動物も返り討ちを食らって逆に殺されることすら珍しくない。調査終了が先か全滅が先か、だ。まさに奴隷とされる密漁グループで、銀狼神社の調査が進むことを期待している。銀狼という不可思議な存在が前面に出ているけど、あくまで僕とシャルの目的はヒヒイロカネの捜索と回収。今回ヒラマサ島に渡ったのはヒヒイロカネの存在確率が挙げられたからだ。銀狼神社周辺にヒヒイロカネがあるのかないのか、何か手掛かりはあるのか、出来る限り探ってもらいたい。全員無事は…無理かな。