謎町紀行 第97章

悪党の口封じ、次なる地への旅立ち

written by Moonstone

『ナカモト科学大学の本部にも、ハルイチキャンパス地下での放射性物質貯蔵発覚の一報が入りました。経営層に近いほど混乱しています。』
『自分達に火の粉が及ばないか、だろうね。』
『そうでしょう。経営層に近いほど、プルトニウム貯蔵を知っていたのではないかという疑惑が向けられるでしょうから。』

 ヒョウシ理工科大学に続いてナカモト科学大学でも、となると、グループ企業全体へのダメージは勿論、在籍する教職員、そして学生へのダメージも甚大だ。放射性物質の無許可の貯蔵は原子力基本法に違反する。そしてそれは、事実上の国際条約違反でもある。そんな大学で働いていた、あるいは通学していたことは、信用の低下に繋がる恐れが強い。教職員なら次の就職先、学生なら就職で障害になり得る。
 これがメディアにOBOGが多い旧帝大や上位私立だと、金や報道規制で抑え込める。某有名私大の元学生がレイプ事件を繰り返しているのに悉く不起訴になったり、女子大生の集団泥酔事件が有耶無耶になったりと、金や報道規制が動いて揉み消したと思わせるきな臭い幕切れを迎えた事例は多い。
 ナカモト科学大学は元財務相が総帥だから、金と報道規制が通用する環境だ。否、環境だったと言うべきか。元財務相はヒョウシ理工科大学の暗部が暴露されたころで、今や次期当選も危うい。離党勧告も出され、足元のグループ企業からは反旗が翻っている。病院に逃げ込んで息を潜めているくらいだから、金と報道規制で抑え込むことは厳しい。

『E県県警の上層部が、混乱の恐れを理由にナカモト科学大学関連の報道を抑制するよう、メディアに要請文を出しました。』
『SNSに出たの?』
『いえ、メールを傍受しました。盗聴は得意でも平文でメールを流すあたり、諜報機関としては片手落ちですね。勿論、SNSに流しましたよ。』

 シャルのことだから、暗号化されていても解読されていただろう。それはさておき、やっぱり警察が報道規制をかけてきた。放射性物質が許可なく大学キャンパス内に大量に隠蔽されていたことが発覚すれば大なり小なり混乱するのは必至。問題は放射能漏れがないかどうか、そしてそこに放射性物質があるのはなぜかといった、根本的な情報が提供されないことだ。
 ひたすら「安全」を説いたところで、それが事実か、利害関係で実はおざなりになっていないかと不安や疑問が生じる。今までの事例が「実は」だったから当然だ。そこでしっかり情報提供がなされ、責任者の処罰や補償がなされれば良かった筈が、結局隠蔽や抑圧、改竄に走る。そして発覚あるいは事故発生時に重大な損害が出て、責任者は雲隠れで補償も不十分というのは、あの大震災の原発メルトダウンでも繰り返された。悪循環そのものだ。

『SNSに流出させたメディアへの報道圧力が、一気に拡散しています。』
『場合が場合だから、余計に拡散するだろうね。』
『ナカモト科学大学への批判に警察批判が加わって、ボルテージが上がっています。「警察は元財務相関係の専属警備会社か」「下級国民相手には隠蔽抑圧何でもやります、国営ヤクザ桜田門」など、辛辣な批判が続出しています。』

 警察と一口に言っても、今現在現場で規制線を張って放射性物質に近づけないように警備を続ける警察官と、本部の建屋でふんぞり返る幹部とは、採用時点から違う。今の警察批判が現場の警察官にも向かうだろう。厳格な階級社会で他の公務員のように労組結成自体が出来ない状況で、内部批判や改革は非常に難しい実情も知っておく必要がある。だけど、命令のままに報道規制をかけたり、周辺住民の排除に乗り出すようなら、同類との批判は免れない。
 放射性物質、否、核燃料隠蔽発覚の炎は、どんどん拡散していく。E県警察は慌てて記者会見を開き、流出したメールの内容を確認するとともに、報道に圧力をかけることはないと広報室長が言うものの、県警本部長と公安トップの警備部長の連名で出ているから、それらが出てこないのはなぜか、直接真相を説明しろ、と批判が強まるばかり。上層部への責任追及を避けるためだろうけど、かえって事態が悪化する悪手を踏んでいる。
 メディアに対しても批判が及ぶ。何しろ元叙勲者が引き起こした重大な交通死傷事件では、何時ものメディアスクラムが鳴りを潜めたし、裁判が始まっても〇〇被告じゃなくて〇〇元院長という肩書がついた。元首相の親族の配偶者がホテルの駐車場で起こした死亡事故も、同じく終始「さん」付け。所詮メディアも相手の肩書や弁護士の手配次第で攻撃の手を緩める、公正中立とは程遠いことを自ら実証している。今回もそうなるのでは、否、そうなるだろうと思われている。

『恐らくそうなるでしょうね。既にナカモト科学大学の理事長や学長、ハルイチの王とやらは弁護士を窓口にするよう、弁護士を通じて発表しています。病院から出れば逮捕送検の確率が高まりますから、地位と権力のある悪党らしく、病院に籠城です。』
『いつものパターンと言えばそうだけど、追い詰められないね。』
『そうでもないですよ。本人の意思なんて簡単に奪えます。SNSや報道が錯綜していますから、処刑は少し落ち着いてからにしましょう。』

 核燃料隠蔽が発覚してから、SNSや報道はこれ一色だ。此処でナカモト科学大学の首脳部の悪事を暴露しても、報道の波に埋もれてしまう恐れがある。東の拠点と同じく核燃料に目を付け、ヒヒイロカネに触手を伸ばし、それらのために多くの人を踏み躙った連中は、その悪事を正当に裁かれる必要がある。入院で逮捕なし在宅起訴で執行猶予という、権力者お決まりの処分ではまた同じことが繰り返される。

『ナカモト市にある本部に、O県県警が強制捜査に乗り込みました。』
『O県の方が先に動き始めた感じだね。』
『O県はあのカルト教団と癒着した国会議員逮捕の勢いがありますから、国会繋がりで疑惑が深まるナカモト科学大学本部を抱える以上、強制捜査を実施する方が対外的な意味合いとしても有効でしょう。』

 O県をほぼ一巡りした時、現職国会議員が関与する人身売買やクローン製造を暴露した。この国会議員は、僕とシャルが別の目的地で捜索や回収をしている間に逮捕送検された。現職国会議員の逮捕送検は、あからさまな犯罪でも不逮捕特権と政権党への忖度でなかなか行われない。O県県警は何とかメンツを保った格好だ。
 先の現職国会議員に続いて地元大手私大の経営陣の逮捕送検となると、大捕り物が連続する。今回は逮捕送検に至らなくても、核燃料隠蔽に関する重要証拠が見つかれば、E県県警との連携も優位に進められるだろう。メンツを重視する警察としては格好のターゲットだ。
 スマートフォンの画面は、本部周辺に切り替わる。海を挟んで向こうにある本部周辺の映像が、かなりの低空からの空撮でリアルタイムで閲覧できている。どの報道よりも早く、事実をそのまま伝えている。警察車両が続々と正門から入り、本部棟周辺で停車して警察官と捜査官が乗り込む。
 突然の多数の警察車両と警察官の突入に、学生は面食らう。警察が素早く本部棟周辺に規制線を張り、捜査官が続々と本部棟に入る。主である理事長と学長は、海を挟んだこちら側で病院に籠城しているから、事務局長が代わりに応対する。もっとも、事務局長も何も知らされていないようで、捜査令状の提示と強制捜査の宣言を受け入れるしかない。

『容疑の中には、労組潰しや各種ハラスメントなど労働基準法違反も含まれています。既に労働基準監督署が動いていましたから、ダメ押しになりますね。』
『警察も労働基準法違反で捜査していたってこと?』
『いえ、強制捜査の際に関連情報を流しました。どうせ全域を強制捜査されるんですから、容疑が1つ2つ増えてもされることは変わりませんよ。』

 本部棟の書類が根こそぎ押収されそうな気がする。ナカモト科学大学本部周辺には、近隣住民やメディア、野次馬が集まり、報道や投稿が過熱する。本部が強制捜査の対象となった一方で、「地元」のハルイチキャンパスがあるE県では県警本部長と警備部長の連名で報道圧力がかけられていることで、SNSはO県県警応援、E県県警批判一色になる。

『核燃料隠蔽発覚で強制捜査や関係者の事情聴取に乗り出せば、大好きなメンツも保てたでしょうに、完全に悪手を踏みました。』
『こんな状況で捜査はしないし報道圧力をかけるとなれば、癒着を疑われて当然だよね。』
『まったくです。近視眼的になって周囲を俯瞰できなくなるのが、癒着の重大なデメリットです。もっとも、気づいたところで手遅れですが。』

 E県県警は、この期に及んでも「文書は事実関係を調査中」と繰り返すばかり。今更誤りや圧力を認めるとメンツが潰れると思っているんだろうけど、「E県県警はナカモト科学大学の専属警備会社」「金や権力にひれ伏す駄犬」などと悪評が渦巻く状況でそれを続ければ、墓穴を掘るばかりだ。

『ナカモト科学大学本部への強制捜査は、今日いっぱいかかります。腐った連中のドキュメント映画の視聴は、このくらいにしておきましょう。』

 展開は早いけど、今直接警察の捜査や世間の批判に晒されているのは、理事長や学長、医学部長兼付属病院長Sの企てを知らない一般の教職員や学生。入院という体で病院に籠城している本丸を叩かないことには意味がない。

『これからどうするの?』
『明日以降、病院で記者会見をさせます。口を割らせることくらい、簡単です。』

 モトヤマ市のホテルに居て直線距離約50kmのノカナ原子力発電所で、理事長らをヒヒイロカネと一体化させて大暴れさせたくらいだから、意思に関わらず悪事を暴露することなんて簡単だろう。問題は病院や弁護士が記者会見を許すかだけど、本人が押し切ると言う体にすればいけるか。
 泰水寺の寺宝とされていたヒヒイロカネは、贋作に置き換えて回収済み。ノカナ原子力発電所にあったヒヒイロカネは、一頻り大暴れさせた後、回収済み。逆鉾山頂上のヒヒイロカネは、雪が溶けて登山が可能になる時期まで回収は先送り。そちらはSMSAに委任することになるから、理事長らの悪事を吐かせたら、この地方での捜索と回収はひとまず終了というところか。
 ヒヒイロカネに集まる悪党の規模が大きくなって、ヒヒイロカネを回収してすべて解決、とはいかなくなってきている。それだけ、ヒヒイロカネが政権や大企業経営層に食い込んでいるということ。そしてその争奪戦のために、多くの人が今も犠牲になっているかもしれないこと。やっぱりヒヒイロカネはこの世界にあってはならない…。

「ま、まさか…。」
「…。」

 翌朝、シャルと一緒にホテルのレストランで朝食を取っていたら、驚きの情報が入ってきた。入院していたナカモト科学大学の理事長と学長、そしてSが、病院屋上から飛び降り自殺したというニュースだ。

「-今朝未明、E県大学病院に入院していたナカモト科学大学の理事長、学長、そして医学部長兼付属病院長が、駐車場で血を流して倒れているのを当直の職員が発見し、直ちに収容しましたが、全身を強く打っており、死亡が確認されました。」
「ナカモト科学大学の理事長ら3名は、ノカナ原子力発電所の管理棟で開催されていたE県県議の政治資金パーティーに来賓として出席していたほか、ハルイチ市のハルイチキャンパス地下に核燃料を隠蔽していたことが発覚し、E県県警の動向が注目されていました。」
「警察が捜査したところ、屋上にスリッパが並べて置かれていたこと、『罪の重さに耐えられない。死をもって償いたい。』などと書かれた遺書が見つかったこと、争った跡がないことから、警察は自殺と見ています。」
『やられましたね…。』
『やられたって、もしかして口封じ?』
『はい。入院という体で籠城していた悪党が、殊勝に罪悪感から自殺するなんてあり得ません。』

 確かに、入院で警察やメディアの追跡から逃れるのは悪党の常套手段。全身火傷で満足に動けない放火殺人犯にも逮捕状を出して、拘置所を改造してまで収容する警察も、腐ってもまだ現職国会議員、しかも元財務相の実弟や長男が入院していたら逮捕連行できない、否、しない。言わば聖域に逃げ込んだ格好の理事長らが、自殺なんて考えもしないだろう。

『そうなると誰が?シャルは念のため監視を付けていたんだよね?』
『はい、勿論です。外部からの侵入者はありませんでした。』
『ということは、病院内部の人間に消されたね。』

 病院内部は一種の閉鎖空間だ。理事長のような上級国民が入る病室は当然のように面会謝絶だし、緘口令が敷かれているから内部の様子は窺い知れない。それは逆に、内部で何が起こっても事件自体が発覚しにくい環境でもある。
 病院は様々な薬品がある。それらは医師や薬剤師と言った専門の職員が正しく使うから薬であって、いい加減に使うとか誤った使い方で毒になる。それらが閉鎖空間で毒として使われたら、発覚や解明が困難だ。しかも医師ならカルテの操作や偽造も可能だ。意図的に殺害してもカルテで「病死」と書けば、それが事実になってしまう。

『シャル。外部からの侵入がなかったなら、内部で不審な動きはあった?』
『ログを解析していますが、内部でも不審な動きはなかったようです。』
『当人の意思での自殺はあり得ないから、残る可能性は…、光学迷彩を使ったか、ヒヒイロカネを使ったか。』

 シャルが50km離れた場所からヒヒイロカネを操作して、人間と一体化させたり化け物として暴れさせたり出来たように、ヒヒイロカネはリモート操作なんて造作もない。問題は、それが出来る存在がいるということ。特別な機能を搭載した高度な人格OSと同レベルの存在がいるとしたら、警察や軍隊とは比べ物にならない脅威だ。

『ヒヒイロカネであれば、監視エリアに侵入したら駐留部隊が発見できます。光学迷彩の方が確率は高いと思います。』
『外部からの侵入形跡がないんだから、やっぱり犯人は内部の人間で、光学迷彩を使って理事長らを抹殺したと考えるのが自然かな。』
『恐らくは。』

 状況証拠からして光学迷彩の線が強いけど、これで安心とはならない。光学迷彩はこの世界だとスクリーン状のものが登場した段階。リアルタイムに動く物体に適用できる、フレキシブルなサイズのものはまだ実用化されていない。そんな光学迷彩が今回の理事長らの暗殺に使われたということは、この世界の技術水準を超える「何か」が存在するということだ。

同時に、その「何か」は、僕とシャルに敵対する立場と見て間違いないということ。

 僕とシャルと同じ方向性なら、理事長らの悪事を暴露する方向に進むはず。光学迷彩を使うなら、病室でピンピンしているであろう理事長らを表舞台に引きずり出すために使うところだ。それを自殺を装った暗殺に使ったということは、理事長らの企てが明るみに出るとまずい立場、すなわち僕とシャルに敵対する立場だということ。

『…ついにXが動き始めたってことかな。』
『その確率も考えられます。ヒョウシ市で元財務相が致命的なダメージを受けましたから、ここで更にグループ企業から重大なスキャンダルが明るみに出ると、Xが関与していると見られる政権中枢に捜査の手が及ぶ可能性が高まります。いくら警察や検察が権力に忖度すると言っても、世論が高まれば警察や検察も動かざるを得ませんから。』
『そうなる前に先手を打って口封じしたってところか…。』
『恐らく。…こうなることは予想できませんでした。私の失態です。』
『否、シャルの責任じゃない。予想できなかったのは僕も同じだし、Xやその手下が追い込まれている状況だって分かった。』

 理事長らの悪事が明るみに出ても自分達に類が及ばないなら、関わるとかえって面倒なことになりかねないから放置する。抹殺したのは、これ以上元財務相や政権与党にダメージが及ぶのを避けるため。今までそんな動きはなかったのに、今回初めて表立った動きが出てきたのは、Xの側が追い詰められていると見ることが出来る。
 実際、元財務相の一連の悪事の発覚以降、現役の財務省主計官も絡んだ壮大な不倫活劇、O県での現職国会議員の臓器密売やそのためのクローン製造といった、政権与党や霞が関中枢に深刻なダメージが及ぶ事態が続発している。これ以上悪事が露呈すると、政権中枢に捜査の手が及ぶ確率が高まる。
 Xが何者なのか、何処にいるのかは分からない。だけど、このままヒヒイロカネの捜索と回収を続けて行けば、必ず対峙する時が来る。その時には全力で戦うとして、僕とシャルの目的は、あくまでヒヒイロカネを探し出して回収することだと忘れないようにしないといけない。気づいた悪事の暴露は、副次的なものであって、本命じゃない。

「-E県県警は、死亡が確認されたナカモト科学大学の理事長らを、放射性同位元素規制法違反などの容疑で、被疑者死亡のまま書類送検する方針です。」
『被疑者死亡での書類送検は、形而上のものです。実質的にE県県警は悪党の悪事の真相解明を放棄すると宣言したようなものです。』
『腐り具合はE県県警も似たり寄ったりかな。だけど…、僕とシャルがどうこうする範疇じゃない。』
『残念ながら、そのとおりですね。プルトニウム239の隠蔽が発覚したナカモト科学大学ハルイチキャンパスに集中して、泰水寺の寺宝強奪の怠慢捜査や報道圧力については、遠い彼方に追いやられてしまっています。このままE県県警は逃げおおせるつもりでしょう。』

 SNSはプルトニウム隠蔽が発覚したナカモト科学大学ハルイチキャンパスの「末路」と、3人まとめて投身自殺したという体のナカモト科学大学そのものの「末路」についての投稿やリプライが相次いでいる。その膨大なタイムラインによって、それに至る事件である泰水寺の寺宝強奪や、それをまともに捜査しなかった上に報道圧力まで流出したE県県警の所業についてはほぼ忘れ去られてしまっている。
 SNSは情報の拡散が非常に高速で、メディアの「報道しない自由」を掻い潜れるメリットもあるけど、タイムラインに1つ2つ大きな出来事があると、そちらに集中して他の重要なことが放置されて、片隅に追いやられてしまう、そもそも情報源がメディアであることが殆どだから、結局メディアの情報操作を大なり小なり受けて増幅器になり果てることが多いというデメリットもある。今回は完全にデメリットの方が強く出ている。
 SNSの潮流を変えるには、今タイムラインを支配している出来事よりインパクトがあるネタを投じるか、タイムラインが沈静化するのを待つしかない。生憎前者は決定打に欠けるし、後者を選択する時間が惜しい。釈然としない面はあるけど、この地方にあるヒヒイロカネは逆鉾山のもの以外はすべて回収できたし、これで完了とするしかない。

『…ハルイチキャンパス地下のプルトニウムはどうなる?』
『IAEAが査察に入ると事務局長が表明しています。どのみちハルイチキャンパスは少なくとも一定期間、閉鎖に追い込まれるでしょう。そのまま永久に閉鎖されるかは分かりませんが、ハルイチキャンパス、ひいてはナカモト科学大学に深刻なダメージが及ぶのは確実です。』
『プルトニウムの処分はヨクニ電力やナカモト科学大学に要求されるだろうね。そうならなくても、僕とシャルではこれ以上打つ手がない。』
『はい。IAEAの査察を受けて政府、いえ、地元住民が手を打たないと解決しません。』

 深刻で莫大な負の財産は、それを許可なく貯め込んでいた者が責任をもって処分する必要がある。だけど、それを実行させるには政府では力不足。そもそも政府自体がプルサーマル計画推進の立場だから、それにダメージが及ぶプルトニウムの撤去に消極的になるのは容易に予想できる。
 ノカナ原子力発電所のように、地道な住民運動と訴訟で司法と政府を動かして、完全撤去と補償を実現させるしかない。責任を取らないなら取らせるしかない。それは、民主主義と国民主権を標榜する社会なら、国民の権利であり、義務でもある。民主主義は地道で面倒なものだから、絶えず監視と検証と実践が必要だと思う。
 シャルに、次の候補地を算定するよう依頼する。雪が消える季節はまだ遠い。雪が溶けるまでこの地方で逆鉾山のヒヒイロカネが回収可能になるまで待つのは現実的じゃない。次の候補地に向かい、ヒヒイロカネを探して存在するなら回収する旅を続けるべきだろう…。

「順調で何よりです。」
「その節は本当にお世話になりました。」

 翌日。モトヤマ市を後にした僕とシャルは、シャルが算定した次の候補地に向かう前に、サカホコ町の町立病院に立ち寄った。シャルが偶然救援信号を発見して、救助した2人組を見舞うため。そう言った時のシャルの目が怖かったけど、右足を骨折した1人はかなり危険な状態だったから、この地方を後にする前に容体を聞いておきたかった。
 幸い、回復は順調で、転院手続きも完了して、来週地元の病院に転院することになっているそうだ。その際はすでに回復しているもう1人が車で送るという。元々乗り合わせて来たから車を取りに来る必要もないし、何より親友を放っておけないから、というのが理由。滞在費用も馬鹿にならないだろうに、苦楽を共にした友情の強さを感じずにはいられない。

「友人も、お二人に深く感謝しています。何のお礼も出来ませんがよろしく伝えて、と。」
「お礼は不要ですよ。リハビリは大変かもしれないですけど、回復したら、また2人で登山や探検に出かけられることを励みに頑張ってください、と伝えてください。」
「はい。確かに伝えます。お二人もどうかお元気で。」

 彼女の見送りを受けて、僕はアクセルを踏む。ゆっくり遠ざかっていく病院を背景に、彼女は手を振っている。律義さに感心するし、この先末永く友人と仲良くやっていけると確信できる。最後の最後まで見捨てずに、共に僅かな希望に賭けた時間は、きっと2人の貴重な思い出という無形の財産になる。そしてそれは、固い友情をより強固にするだろう。

「意外とあっさりでしたねー。」
「だから、容体を聞いておきたかっただけだって。」

 この先2人と会うことはない。僕とシャルはこれから先、もっと遠いところに行くだろうし、政権中枢やそれと絡む大企業や裏社会、そしてXとの戦いもあるだろうから、巻き込むわけにはいかない。連絡を取ったり、ましてや会うことは、そういった連中に狙われる危険が高まる。最後に、直近の問題-この町の病院からの転院が実現できるかを確認して、それに直接関係する容体は順調なのか、聞いておきたかった。

「それに、あの病院に長居するのは、僕とシャルにとって良いことはないよ。」
「確かに…。懲りない連中ですよね。」

 病院の前での対面になったのは、微かながらロビーまで聞こえる喧騒を避けるため。発生源は言うまでもなく、僕の元同僚とその親族。よせば良いのに夜の逆鉾山近くに肝試しに赴いたことで、地元警察と消防団が出動する事態になった。しかも当人達は凍傷や怪我や脱水症状で、半分以上が一時はかなり危険な状態だった。警察と消防団から請求されている救助費用と、今も加算されている入院治療費を誰がどれだけ払うかで、今も揉めに揉めている。
 彼女の話だと、痺れを切らした警察と消防団が弁護士を通して訴訟を起こす旨を伝えてきたそうだ。更に病院側もこれ以上他の患者の迷惑になるなら転院させると、同じく弁護士を通じて最後通牒を出した。それが更に揉める要因になっている。恐らく法廷に引きずり出されるか強制執行されるかでなければ、あの喧騒が消えることはないだろう。

「あの連中の争いに巻き込まれるのはまっぴらだし、そうでなくてもあんな醜い争いを聞くのも嫌だから。」
「私が言うことじゃないとは思いますけど、やっぱりヒロキさんは会社を辞めてこの旅に出て正解でしたよ。」
「僕も改めてそう思う。」

 僕とシャルが救助した2人と決定的に違うのは、他人を利用しようとするかどうかだと思う。2人は窮地に陥っても決して相手を見捨てず、相手を信じて救助を待った。そして回復を待って共に住む町に帰ろうとしている。一方、元同僚グループはかつては僕を利用して、今は相手を利用しようとしている。利己主義のぶつかり合いが、あの醜悪な争いだ。
 一概に「人間って素晴らしい」とも「人間は愚かで汚い」と言い切ることは出来ない。尊敬できる人間もいれば、唾棄したい人間もいる。そして、唾棄したい人間の方が世に出やすくて、良い思いをしやすい。それが極まったのが元財務相やナカモト科学大学の経営陣と言える。
 これから先、ああいう連中がより密度を増してくるだろう。この世界のヒヒイロカネは欲と利己的な考えを引き寄せ、増幅する。既に、政権中枢や霞が関では、支配者の証としてやり取りや争奪戦が展開されていることが分かっている。「この世界にあってはならない」とされる理由を何度も見せつけられている。

「-ハルイチ市市議会は、核燃料を違法に隠蔽していたナカモト科学大学ハルイチキャンパスの無条件完全閉鎖と、土壌汚染の完全除去、周辺住民への補償を求める決議を全会一致で可決。市長も重大な背任行為として全面的に同意しました。近日中にO県ナカモト市にあるナカモト科学大学本部の関係者を呼び出し、要求を伝える方針です。-」

 ラジオからニュースが流れて来る。今回の騒動のナカモト科学大学関係者は自殺に見せかけて抹殺されたけど、それで終結とはならない。ハルイチキャンパスが現に存在し、核燃料も現に存在する以上、その処分と補償の責任はナカモト科学大学が負わなければならない。
 理事長、学長、そしてハルイチの王こと医学部長兼付属病院長Sを一気に失ったナカモト科学大学は、これまで抑圧されていた教職員が労組を結成して、未払い残業代をグループ本部、つまり元財務相の地元企業に請求したり、違法行為を労働基準監督署に告発するなど攻勢に出た。理事長と学長が元財務相の血統で、元財務相の威光と権威が失墜していることから、臨時の教授会議で元財務相の血統や関係者が一斉に排除される可能性も出てきている。
 本丸は裁きの場に引きずり出せなかったけど、責任と清算は着実に進められつつある。これで良い。僕とシャルがなすべきことは悪を暴いて白日の下に引きずり出すことじゃなくて、悪と欲望を増幅するヒヒイロカネを捜索して回収することだから。
 HUDには次の候補地までの移動距離と到着予想時刻が出ている。到着は今日の午後。およそ6時間後。こういう表示を見ると、日本って広いんだなと実感する。高速道路の車はまばら。空は綺麗に晴れている。これが旅の前途の予兆であると良いな…。