謎町紀行 第95章

腐敗の牙城の崩壊劇(後編)

written by Moonstone

「そろそろ次に行きましょう。」
「次って、まだ何かあるの?」
「勿論ですよ。この程度で終わったらパニック映画としては落第です。」

 現状でも相当だけど、ここから更に事態が悪化するのか。終わる頃にはノカナ原子力発電所が廃墟になるんじゃないだろうか?そう思っていたら、天井から触手が幾つも突き出す。あの怪物の触手だ。怪物が徘徊しているのは4階。政治資金パーティーの会場は確か1階。そこまで突き抜けたってことか?

「大正解です。この程度の床や壁なんて、段ボール以下です。」
「…建物を壊すつもり?」
「特にそのつもりはありませんけど、結果そうなってしまうかもしれませんね。こういうのを未必の故意と言うんでしたか?」

 シャルはしれっと言うけど、大量に突き出た触手は、建物の修理やその間の業務への影響を微塵も考慮していない。研究フロアの損傷はもはや言うまでもないし、そこから触手が2階分突き抜けたことで、床や天井は使用不能だろう。よく底が抜けて怪物が1階に落ちてこないものだとさえ思う。
 ここへ来て唐突に会場のドアが開く。ひとりでに開いた時点で普通なら訝るところだろうけど、閉じ込められて、更に天井を突き破って無数の触手が出てきたところだったから、我先にと飛び出す。廊下も真っ暗だけど、非常照明が点灯しているだけましか。会場から飛び出した人達は、這う這うの体で逃げ出す。
 管理棟はセキュリティを重視しているためか、要所要所でIDカード方式のロックがある。これが非常時には厄介な障害になる。解放にすると不審者が侵入しやすいからだろうけど、この事態でもしっかりロックされている。IDカードを出そうと躍起になるけど、焦るほど出てこない。早く出せと怒声が飛び、じゃあ自分が出せと応酬する。
 そこに、天井から床から壁から、大量の触手が飛び出してくる。巧みに人を避けるのはシャルのなせる業だけど、不意に大量の触手が出てくればパニックが悪化するのは自明の理。悲鳴を上げてその場に倒れる人も出る。IDカードを出すことをすっかり忘れたのか、明後日の方向に逃げ出したり、その場で叫びながら右往左往したり。

「意外に触手だけでも効果がありますね。」
「普段の生活ではタコやイカを食べる時くらいしか見ないし、嫌悪感が先に出るんだろうね。」

 関節がないものが自由自在に曲げ伸ばしする様子は、関節、つまり骨格があるものからすると異様に映る。ミミズやムカデが敬遠されるのも、触手に恐怖や嫌悪感を抱くのと同じ理由だろう。しかもサイズは1本が優に人の身長くらいはある。それらが壁から天井から床から突き出て揺らめくんだから、恐怖感は相当のものだろう。
 恐怖とパニックの中、何とかIDカードを取り出した職員が、カードリーダーに叩きつけるように押し当てる。だが、カードリーダーは赤色に点灯して、ドアは開かない。甲高いビープ音が、絶望感を増す。もう一度試しても同じ。別の職員がIDカードを当てても同じ。ドアは頑として開かない。

「この程度のドアを制御下に置くのは、片手間にもならないです。」
「そう簡単には外に出さないってこと?」
「すぐ脱出できるなんて、パニック映画としてはつまらないですよ。さてさて、パニック映画の真骨頂は此処からです。」

 ここまででも相当なのに、まだ次があって、今までは前座だという。IDカードを何度もカードリーダーに叩きつけたり、自分に代われ、否、自分だけ逃げる気かと怒鳴り合いになっている職員に降りかかる災厄は、更に悪化するのか。建物もそうだけど、職員の精神も崩壊するんじゃないだろうか。
 触手が一斉に動きを止める。次の瞬間、ドアに殺到していた職員になった?!顔は勿論、背丈や制服の乱れ具合までそっくりそのままだ。触手の接近や接触から逃げようと躍起になっていた職員は呆気にとられる。そうしていたら、職員の姿を模した触手-偽職員が無言で職員の集団に入り込む。

「こ、この偽物め!」

 誰かが挙げた声が引き金になって、偽触手を排除しようという動きが始まる。だけど、顔も背丈も制服も同じ、しかも制服を引っ張れば普通の服と同じように引っ張られる。どちらが、否、誰が偽職員なのか全く見分けがつかない。あっという間に怒鳴り合い、掴み合い、殴り合いの大乱闘が始まる。

「職員や悪党全員をスキャンして、服の色や重ね着、声の周波数成分やほくろの位置まですべて完璧にコピーしました。偽物が自分そっくりを通り越して自分そのものだったら、自分でも識別できないどころか自分自身が本物なのかという疑心暗鬼すら容易に生じます。そこから先は、ご覧のとおり。」
「こ、これは…。」

 もうパニックの度合いを超えてカオスな状況だ。自分そのままの偽職員と掴み合って、お前は偽物だ、いいや偽物はお前だと言い合っている。シャルが言うとおり、自分自身が本物なのか分からなくなったのか、自分が本物なのか近くの人に聞いて、一蹴されるか偽物と罵られて殴られるかされている。
 画面は別のドアの方も映し出す。ドアは全部で3か所あるけど、何処でもカオスぶりが酷い。手酷く殴る蹴るされて、鼻や口から血を流して倒れている人もいる。これは政治資金パーティーの会場も同じ。混乱の場所が会場からドア付近に移行しただけと言える。混乱の度合いはさらに悪化しているけど。
 パニックに疑心暗鬼が加わると、見たことがない混乱ぶりに陥ると同時に、醜い本性が露になる。冷静でいる方が難しいのは間違いないし、避難訓練や設備点検では正常稼働していたはずの脱出経路が悉く機能しないとなれば焦るのは当然だ。だけど、少しでも協力して突破口を見出したり、力を合わせてドアや壁を破壊しようとするか考えないものだろうか。
 大画面TVに映し出される映像からは、協力や団結の意思は欠片も見えない。ただ自分そっくりの偽物、否、自分以外を排撃して何とか自分だけでも逃げようという意図しか感じられない。自分以外はすべて敵とさえ思っている節さえある。だからか手加減しないし、もんどりうって倒れた相手を足蹴にすることも躊躇わない。それが女性であってもだ。
 激しい乱闘で続々と負傷者が床を埋めていく。残っている人も服は破れ、鼻や口から血を流して、顔の彼方此方が腫れあがっている。正直、床に倒れているか立っているかの違いでしかない。数からしてシャルが創り出した偽職員も半分近く倒れたようだけど、他と同じように血が流れている。どうやって?

「適当に採取した水に、ヒヒイロカネを微量混ぜて排出しているだけです。ヒヒイロカネを微細なプリズムのようにして、赤色を反射するようにすれば、血のように見えます。」
「作り物なのか。見分けがつかないよ。」
「今回のように照明が十分でないところだと、おおよその色と記憶が結びついて、補完した結果を認識しやすくなります。人体から流れ出す赤色の液体=血液、といった具合に、ある意味都合よく解釈するんです。」
「シャルにはダメージはない?」
「まったくありません。演出として適当に床に倒しただけですから。実際に殴られて昏倒している人間もかなりいますが、運が悪かったということで。」

 演出として倒れるのと、金属で殴られて倒れるのとではダメージが全く違う。そういえば、政治資金パーティーの主役、E県知事や国会議員、それと黒幕と言えるナカモト科学大学の医学部長兼付属病院長Sは何処に?この混乱と薄暗い非常照明では、映像が鮮明でも識別が難しい。

「彼らには、欲望に狂った悪党らしい環境と役目を用意しました。」
「!」

 乱闘の様子を映していた画面の半分が切り替わる。そこには、無数の触手が蠢く、イソギンチャクを横倒しにして暗い緑色で塗り潰したような、奇怪な物体がいる。その中央、イソギンチャクで言うと開口部の辺りに人の上半身がめり込むように存在している。これは…E県知事?

「正解です。ヒヒイロカネを増殖させたものに取り込んで同化しました。」
「ハネ村で地獄絵図に取り込まれたA県県警の公安と同じ?」
「そのとおりです。あちらは絵画なので一切身動きできませんが、こっちは触手を機敏に動かせますよ。本体は鈍重ですけど。」
「生きてる…の?」
「殺しはしませんよ。ヒロキさんに言われていますし、ゴミムシを潰したところで汚物が散乱して面倒なだけです。それよりも、ヒヒイロカネに手を出して欲望に溺れた代償を支払わせます。ご覧のとおり。」

 画面が4分割されて、それぞれに奇怪な物体が映し出される。その開口部には虚ろな眼差しの男が埋め込まれているのも同じ。

「左上から順に、E県知事、国会議員、ノカナ原子力発電所の所長と労組代表、そしてハルイチの王こと、Sです。」
「この場所って…政治資金パーティーの会場?」
「よく分かりましたね。流石です。これから悪党のバトルロワイアルが始まります。」
「た、戦わせるの?!」
「取り込んだ悪党の思考は大脳皮質を無効化されて、第一次欲求だけになっています。それに自分が取り込まれた感覚はありませんから、自分以外は全部化け物と認識します。危険因子を排除するため、徹底的に排撃しようとします。第一次欲求だけになった下等生物ですから、手加減なんてあり得ません。まさに蠱毒(こどく)の世界ですね。」

 4分割された画面が1つになって、触手の化け物同士が激しく争い始める。攻撃パターンは触手を振り回して叩きつけるだけだけど、一切手加減がない。第一次欲求しかない生物は下等だから倒すのは簡単と思ったら大間違いだ。第一次欲求しかないからそれらを満たすためなら何でもするし、恐怖とか警戒心とかブレーキをかける感情がないから、体の一部が欠けても行動できる限り目的のために行動する。
 !だから、シャルは彼らを増殖したヒヒイロカネに取り込んであんな姿にして、第一次欲求しかない状態にしたのか。欲望のままに他人を支配蹂躙して、他人を踏みつけて足場にして頂点を目指そうとした連中だから、欲望だけの存在になって欲望のままに争え、と。

「そのとおりです。ヒロキさんには私の考えを簡単に読まれてしまいますね。これが愛の力ってものでしょうか?」
「ちょっと違うと思う。それはそれとして、あんな巨体が多数で大暴れしたら、管理棟は崩壊するんじゃ?」
「そうですね。もってあと1時間、否、30分といったところでしょうか。」

 しれっと言うけど、建物が崩壊したら、閉じ込められて殴り合いを繰り広げて、挙句床に倒れ伏している人達が瓦礫の下敷きになってしまう。多分、化け物になり果てた連中は死なないだろうけど、生身且つ無防備な状態で瓦礫の直撃を受けたら、死は避けられない。

「生き残りは脱出させますし、倒れている連中は最低限の治療をして保護します。建物の崩落で死者は出ませんから、安心してください。」
「やっぱり建物は壊すんだね。」
「山ほど貯め込んだ内部留保と、国会議員から流し込まれる補助金でどうにでもなりますよ。もっとも、その時にそういった金が残っているかは知りませんけど。」

 瓦礫の雨が降り注ぐ中、化け物と化した連中が激しく触手をぶつけ合う。本体の動きは鈍重だけど、触手だけは機敏に動いて相手を殴打する。血は出ないし咆哮も上がらない。取り込まれた連中は虚ろな目のまま、目に映る異形の化け物を危険因子と見なして排除しようとしている。本能のままのぶつかり合いは、確実に建物を破壊していく。
 化け物が争う会場に降り注ぐ瓦礫の雨が激しさを増す。遠慮も加減もなく触手を振り回すから、壁や床、天井に触手がぶつかる。鉄筋コンクリートが段ボール以下だというから相当な威力だろう。解体工事でストレス解消しているようなイメージだけど、対象になる建物はどう見ても復旧不可能なレベルで破壊されていく。
 画面の中央に、ドア付近の1つが映し出される。こちらもかなり酷い惨状だ。残った人は血塗れで服はボロボロ。床には男女問わず殴り倒された人が倒れている。残った人はわずか2人。流石にもう殴り合いの余力はないようで、よろめきながら交代しつつカードリーダーにIDカードを叩きつけたり押し付けたりする。
 此処にも瓦礫の雨が降り注ぎ始める。残った人も危険を感じて何とか脱出しようとするけど、カードリーダーは相変わらずエラーを出し続ける。瓦礫の雨で意識を取り戻した人もいるけど、怪我の具合が酷いのか、起き上がることは出来ない。
 突然、カードリーダーが緑に点灯して、ドアロックが解除される。残った人は、倒れ込むようにドアから出て、途中から這って脱出を試みる。床に倒れている人達は一顧だにしない。勿論、あの様子じゃ救助は無理だろう。崩壊が間近に迫る管理棟から脱出できた人は、片手で数えられるくらい。

「建物の限界が来ました。崩壊しますよ。」

 化け物が争う会場は既に見る影もなくボロボロ。そこがついに崩壊を始める。化け物は我関せずで争いを続ける中、大小の瓦礫が容赦なく降り注ぐ。それは、たくさんの人が倒れ伏しているドア付近も同じ。死者が出ないように保護するとシャルは言っていたけど、こんな瓦礫で大丈夫なんだろうか?

「この程度なら片手間で保護できますよ。応急処置もしていますから、安心してください。」
「建物は…もう無理だね。」

 瓦礫が大雨となって降り注ぐ様子からは、復旧が可能な様子は微塵もない。映像が屋外に切り替わる。夜の闇に浮かぶ白いビルの下層から中層にかけて無数の皹が入り、荷重に耐えられなくなって上層が傾いている。どこか1本でも主要な柱が折れたり、壁が崩落したら、確実に建物全体が崩壊すると分かる。
 遠くの方から赤色灯が幾つも近づいてくる。パトカーや救急車か。夜に大きな建物が音を立てて崩壊し始めていたら、周辺住民が訝ったり、様子を見て危険を感じて通報したりするだろう。殴り合いの末に怪我人も多数出ている。管理棟崩壊に加えて職員が乱闘で怪我人多数なんて、企業イメージは大きく損なわれるだろう。
 しかも、今回は一般の企業じゃない。原子力という幾重もの法律に縛られた物質を取り扱い、発電に使用するインフラ企業だ。廃棄物も収集車に詰め込めば良いとはならない。そんな企業で職員が乱闘騒ぎで管理棟が崩壊したとなったら、原子力発電、ひいては企業ぐるみで推進するプルサーマル計画にも重大な悪影響が出るのは必至だ。

「管理棟が崩壊を始めました。」

 ついに上層が大きく傾き、真下の中層にめり込む。バランスが崩れたことで、中層から下層にかけても崩壊が加速する。上層を支えきれなくなった中層から下層が自らを圧し潰すように、上層は形を保ったまま落下するように崩壊していく。音は控えめになっているけど、現地では相当な音量だろう。

「あっという間に崩壊したね…。」
「建物は柱や壁が荷重を分散させてバランスを取ることで形状を維持しています。それが崩壊すれば全体の崩壊は一瞬です。」
「確認だけど、職員は死んでないよね?」
「勿論、光学迷彩を施したヒヒイロカネでカバーしています。通気口も形成しているので、救助までの間に窒息することもありません。」

 死者が出なければ良い、と言うべきだろうか。ボリュームを絞っているであろうこの部屋でも、身体を直接震わせるような地響きと共に、管理棟は無残な瓦礫の山と化す。赤色灯の正体ことパトカーと救急車が駐車場に続々と入る。生存者の保護と搬送と捜索、現場検証と警察と救急のすることは山積みだ。

「…そういえば、化け物になったE県知事とかは?」
「ヒヒイロカネから分離して、瓦礫の山に放り出しておきました。彼らがしたことやヒヒイロカネに取り込まれたこと一切は、記憶から抹消しました。もっとも大脳皮質を無効化されていたので、記憶らしい記憶は残ってはいません。気づいたら自分達の城が跡形もなく崩壊していたというところですね。」
「自分達が大暴れして崩壊させた認識も記憶もないのか…。」

 殴り合いの末に辛うじて脱出した人は、救急に保護されて担架で救急車に搬送される。その数はわずか3名。片手で数えて余るという表現がぴったりだ。通常の勤務だった人は勿論、政治資金パーティーに動員されていた人を含めると、管理棟に居た職員は500名を超える。大半は瓦礫の山の下だから、これから救助されるのを待つしかない。
 現場には応援のパトカーや救急車の他、火災の懸念からか消防車が多数詰めかける。それを追ってきた複数の車。駐車場に入るとカメラやマイク、照明を掲げて一目散に現場に向かう。メディアかの記者やカメラマンか。放射能漏れの危険があるから近づくなと規制線を張る警察と押し問答しながら、中継や生存者への「お気持ち」聴取に勤しむ様子が映し出される。

「通報ついでにメディアにも情報を流しました。E県知事やナカモト科学大学と癒着している疑惑が濃厚な警察だと隠蔽される恐れがありますが、メディアが複数入って中継までされたら、隠蔽は出来ないでしょう。お茶を濁すことくらいはできるでしょうけど。」
「これで…終わり?」
「研究対象になっていたヒヒイロカネは、一体化することで回収しましたから、ノカナ原子力発電所での破滅劇は終了です。あとは、今回の実質的本丸、ナカモト科学大学ハルイチキャンパスです。こちらも手を打ってあります。」

 ナカモト科学大学が実質的本丸というシャルの表現は、僕の考えと一致している。ナカモト科学大学は、ヒヒイロカネが隠されていると見てこの地方に進出し、土地を買い叩いて広大なキャンパス敷地を手に入れた。大学、特に医学部という特権と強権を背景に、ヒヒイロカネ研究に利用するアイソトープ研究センターを偽装建設した。
 泰水寺への恐喝や寺宝強奪も、ハルイチキャンパスが拠点となっていた。元締めは「ハルイチの王」ことS。表向き元財務相の実弟と長男が支配する本部に忠誠を誓いつつ、実際は距離が離れていることを利用してヒヒイロカネを研究して、軍事転用で大儲けを企んでいた。「医は仁術」が聞いて呆れる。
 こうしてみると、ナカモト科学大学ハルイチキャンパス、否、ナカモト科学大学自体がヒヒイロカネの収集と悪用のために、元財務相肝いりで作られたんじゃないかと思えてならない。場所や創立時期は違うけど、ヒョウシ理工科大学もそういう性質を持っていた。あちらは将来の核兵器発射施設というもう1つの目的が主体だったみたいだけど。

「日本を東と西に分けた時、東の担当がヒョウシ理工科大学、西の担当がナカモト科学大学だと見ることが出来ます。」

 シャルの見解は、概ね当たっていると思う。1つ説明がつかないことがある。元財務相の地元はナチウラ市やヒョウシ市があるC県。それならヒョウシ理工科大学の方が先に創立していても良さそうだけど、大学の歴史はナカモト科学大学の方が長い。ヒヒイロカネの奪取とその悪用が目的なのに、やや回りくどい印象だ。

「戦後の混乱に乗じて広大な土地を得るのが、西エリアの方で早期に出来ただけと見られます。」

 ナカモト科学大学は、元財務相の父が毒ガス製造疑惑があった旧日本軍の駐留地を買い叩いて得た土地。そこを拠点として野望だった大学設置を果たした。それが地元のC県じゃなかったのは、買い叩ける土地がなかっただけ。十分に財を成し、権力を手に入れたことで、満を持して地元に大学に偽装した将来の核兵器発射施設を建設したという筋書きが考えられる。
 少なくとも、西エリアの拠点がナカモト科学大学、特に手配犯の確立が濃厚な天鵬上人が開いた88ヵ所巡礼に近いハルイチキャンパスが、この地に隠されたヒヒイロカネ捜索と奪取の拠点になっていることは確実。元財務相に繋がるナカモト科学大学を野放しにしておくことは、いずれ僕とシャルの障害になるだろう。叩くなら、今だ。

「ノカナ町一帯に避難指示が出されました。原子炉が緊急停止したことと管理棟が完全に崩壊したことから、放射能漏れの恐れがあるということで、住民は一目散に逃げだしています。」
「パニック映画そのものだね…。」
「大半の住民は原発誘致に伴う補助金に頭まで浸かっていました。太陽光や風力と言った自然エネルギー発電は元より、火力水力より格段に発電能力は高いですから、原子力発電が有効なのは間違いありません。ですが、住民を金で宥めて黙らせてでなければ建設できない現状を認識すべきでしょう。それは住民の側にも言えることです。」
「これが、原子力発電との関係を見直す契機になれば良いけど…。」

 原子力発電の事故は、火力や水力とは比較にならない重大な事態を齎す恐れがある。事故のリスクがあることを前提にしてその対策を十分講じたり、万一の事故発生時に十分な補償をして、責任者を確実に投獄するなら理解も進むだろう。だけど、実際に進められてきたことはそれらとは正反対のことばかり。
 それに、建物や施設はどんなものでも経年劣化は避けられない。建て直しや取り壊し、残存物の処理や廃棄は、家やビルでは長期的に考えなければならないことだ。でも、原子力発電所はまるで永遠に存続して稼働できるかのような喧伝がなされている。原子力発電のリスクやデメリットを根気強く説明することや、説明では及ばない事故での補償や責任者の厳重な処罰は放棄されている。
 あの大震災で勃発した原発事故自体、警告や懸念を無視した運用の結果、「絶対大丈夫」が破綻して甚大な被害を齎した結果だ。その結果は別として、被害者への十分な補償や責任者の処罰投獄が明確だったら、原子力発電への負のイメージは多少なりとも緩和できた。でも、関係者が進めたのは期限付きの不十分な補償であり、責任者の雲隠れだった。
 原子力発電はこの世界の利権と責任逃れの典型例だけど、これとヒヒイロカネに纏わる状況に共通するのは、「自分のため」を最優先していること。「自分のため」にならないからリスクを認めてその低減を進めたり、責任者の厳重な処罰に取り組めない。だから、原子力発電とヒヒイロカネに絡みつく人物が共通していることが多いんだろう。欲が満たせるとなればどんなことにも食らいつき、貪り、放り出す。
 ヒヒイロカネも同じだろう。元財務相らはまさにそれだった。原子力発電より自分のリスクがはるかに小さく、しかも莫大な利益と絶大な権力が見込める。原子力ムラと揶揄された利権を貪り放さない連中が、ヒヒイロカネを正しく使うはずがない。

「此処から先は面白い展開が見込めないので、視聴はこれくらいにしましょう。」

 映像は崩壊した管理棟から遠ざかっていく。上空にヘリコプターが旋回し、周囲にパトカーと救急車の赤色灯が幾つも点灯している。見た目には重大な事故が発生したとしか思えないノカナ原子力発電所を遠くに見て、映像は終了する。確かにパニック映画というか、ホラー映画というか、そんな感じの映像だった。

「アイソトープ研究センターの方も既に仕込みました。連続させても面白いですが、近隣住民の迷惑の度合いが高まるので、夜が明けてからにします。」
「それも見てのお楽しみ?」
「はい。B級映画の後は現実の夜を過ごしましょう。」

 不意に僕の唇に柔らかい感触が触れる。華包じゃない、もっと瑞々しいそれはシャルの唇。すぐ後ろには並べて敷かれた布団。することは…1つ。