謎町紀行 第94章

腐敗の牙城の崩壊劇(前編)

written by Moonstone

 3日後。僕はシャルと一緒にサカホコ町に居る。温泉旅館を拠点にして、昼間はサカホコ町や周辺の町を巡り、夜は地元の食材中心の食事と温泉を堪能して、シャルを抱く。気ままな高等遊民そのものの状況で、ナカモト科学大学やヨクニ電力、E県知事やノカナ町などの悪事が別世界のことのように思える。
 シャルが救難信号を発見して救助した2人は、1人が完全に回復して、入院中の友人を見舞って転院手続きの準備を進めている。入院は3食こそ出るけど、その他は基本的に患者側が用意しないといけない。日用品や衣類などを購入して、友人に与えている。シャルの見立てでは、回復は順調で、後遺症の恐れはないとのこと。
 一方、よせば良いのに岩殿神社に肝試しに出向いた僕の元同僚5人は、全員容態こそ峠を越えたものの、誰の責任で入院する羽目になったかで醜い言い争いを繰り広げている。救助に向かった警察や地元消防団などからの請求額はかなりのものらしく-2次災害の恐れもあったから当然-、それを誰がどれだけ払うかが争いのポイントだ。
 両方の事情を知っているのは、買い物に出ていた女性と再会して話を聞いたから。奇しくも同じ病院の同じフロア、しかも見境なく言い争っているから、嫌でも事情が分かるというもの。大声で言い争いを続ける醜態に他の患者から苦情が続発して病院側も辟易しているらしく、強制的に転院させるのではないかとの見方も出ているらしい。
 ほぼ同じ場所で同じ病院に入院していながら、これだけの違いがある現実。どちらも金銭負担が生じているから、金の切れ目が縁の切れ目というわけではない。利己的か、思いやりがあるか、そういった違いでしかないけど、この違いが決定的だ。人の形をしていれば人間とは限らない、という何処かで聞いた言葉が、やけに現実感がある。
 多分、元同僚グループは裁判にもつれ込むだろう。地元警察や消防団からの請求に加えて、今現在も発生している入院治療費を誰がどの割合で負担するのか、まったく収拾がつかない様相だ。更に、親族の一部が現地入りして争いに参戦しているから、事態は泥沼化の一途をたどっている。金銭トラブルに親族が口を出すと余計にこじれる典型例だ。

「旅館の人の制止を振り切って、夜、しかも冬の寒さが厳しい山間部に肝試しに出向いた結果なんですから、均等負担でいいじゃないってと思うんですけどね。」

 友人に寄り添う女性は、呆れた表情でそう言っていた。元同僚グループとは無関係の女性ですら原因や状況を把握しているくらいだから、相当大声で、しかも事細かに互いをあげつらっているんだろう。数日前まで連れ立って利己意識やメンツにこだわるとこういう醜態をさらすわけだ。
 僕に責任が降りかかることを警戒していたけど、既に警察の事情聴取で旅館の人の制止を振り切って、冬山を舐め切っているとしか思えない軽装備で、しかも夜間に岩殿神社周辺に立ち入ったことが確定しているから、責任はすべて元同僚グループにあると警察は断定して、地元消防団と合わせて元同僚グループに救助費用全額を請求したそうだ。この件に関しては、僕が当事者として巻き込まれることはないと見て良いだろう。
 そうなると、焦点はもう1つのヒヒイロカネがあることが発覚したノカナ原子力発電所に絞られる。歪な同盟関係の裏で恐るべき野望が着々と進行している背景には、軍需産業への転用と、それによる莫大な利益と絶大な権力を目論むナカモト科学大学の医学部長兼付属病院長Sの存在がある。
 でも、シャルにはそれらしい動きがない。昼はサカホコ町で着物を着たり、出向いた町や村の景色にはしゃいで食べ物を堪能したり、僕の上や下で髪を振り乱して喘いだり。悪党が集結する機会にまとめて地獄に落とすと言っていたけど、そんな様子は欠片もない。3日目の今日だってそうだ。

「悪党のサバトに出向く必要はありませんよ。」

 シャル本体に乗り込んでシステムを起動したところで、シャルが言う。

「悪党が破滅する現場をほど近いところで見るのは、B級映画みたいで面白いですから、此処へ行きましょう。」
「…モトヤマ市?」

 HUDに表示された目的地は、E県の県都であるモトヤマ市。有名なドトウ温泉街がある町でもある。シャルは温泉が好きだから、そのついでだろうか?

「今回の悪党の中心人物、ナカモト科学大学のSが頻繁に通っていた温泉街ですよ。」
「有名な温泉街だから僕も名前くらいは知ってるけど、どうしてそこに?」
「悪党が愛人を侍らせて豪遊していたのは事実ですけど、温泉自体に罪はないですし、街並みの風情も流石の一言です。」
「彼らが集結する場所や時間とバッティングしない?」
「悪党のサバトはノカナ原子力発電所ですから、心配は無用です。」

 歴史ある温泉街でゆったり寛ぎながら、彼らの破滅を遠距離から見物するつもりらしい。どうやって彼らを破滅に追いやるのか、未だにシャルから明かされていない。恐らく盛大な破滅の舞台を用意しているんだろう。今回、彼らがシャルの逆鱗に触れることは…間接的にはしているか。
 特に異論はないから、HUDとナビに従ってシャル本体を一路モトヤマ市へ走らせる。そらは雲1つない青空が何処までも広がっている。肌に突き刺さるようだった冷気もかなり緩んで、小春日和そのものの穏やかな日差しが降り注ぐ。冬の合間のつかの間の陽気の下、彼らはどんな形で破滅を迎えるんだろう?
 2時間ほど高速道路を走ると、モトヤマ市に到着。HUDとナビが指し示すスギノICで降りて、国道397号線を少し走ると、モトヤマ市環状道路に入る。初めて走る道だけど、シャルのHUDとナビに従って運転すれば、時に難儀する車線変更もスムーズに出来る。環状道路を降りて路面電車の線路がある道を東に進むと、市街地の中にポツンと佇む小高い丘のようなものが見えてくる。「ドトウ公園」と丘の部分を指し示す表示が出ているHUDは、道案内を続ける。
 HUDとナビに従って運転を続けると、街並みが中世の武家屋敷のような建物で統一されていく。その街並みの中に、大きなビルが散在している。ビルも壁は街並みと合わせている。此処が有名なドトウ温泉街か。HUDとナビは、佇むビルの1つの麓にある駐車場に僕を案内する。
 シャルが案内したのは、かなり高級だと分かるホテルだ。この旅に出る前なら入るのを躊躇するレベル。今は金銭面では全く心配ないけど-今日チェックアウトしたサカホコ町の旅館の請求も軽く6桁-、長く「普通の人」だったから、金銭面で不自由しないという状況になかなか馴染めない。
 シャル自身は高級志向というより、長く滞在する場所を快適なものにしたいという意向だ。宿泊先は食事や入浴の他、睡眠-今はシャルとの営みも含まれるけど-で1日の1/3から半分近くを過ごす場所。定住地を持たない僕とシャルにとっては、かなり重要な選択だ。
 色々な場所に泊まってきたけど、宿泊先の快適性はかなり金銭に比例する傾向がある。マスターことあの老人も、滞在先で窮屈だったり不自由な思いをしなくて済むようにと僕に金銭が溢れ出るようなカードを託したんだろうし、有効活用と考えるべきところだろうか。

「さ、行きましょう。」

 シャルは僕の手を取って、ホテルに入る。立派だけど華美じゃないロビーは、和風で固められている。靴を脱いで入る形式。勿論下駄箱は鍵付き。スリッパはきちんと揃えられている。その1組を履いて、フロントで宿泊の手続きをする。

「予約した富原です。」
「富原様。お待ちしておりました。3泊でご予約をいただいております。」

 手続き自体は他の宿と変わらない。違うというか少数派なのは、カード決済が必須ということ。僕は例のカードを出す。定番のカードブランドの1つだけど、どこの会社が発行しているかは確認されないんだろうか。今までもカード決済でカードの発行会社を聞かれたことはないけど。

『クレジットカードで重要なのは、遅滞なく支払いがなされること。債権者-今はこのホテルにとって、カードのブランドや発行会社はどうでも良いことです。』

 シャルのダイレクト通話が入る。確かに債権者にとっては、カードの発行会社が何処かより確実に料金が払われることの方がはるかに重要。客がいなくなればカードの発行会社はせいぜい従業員の話のネタになる程度。だけど、支払いがなされなかったら損害でしかない。
 実際、手続きは何事もなく終了して、カードキーが手渡される。8階の801号室。客室の鍵の開閉は勿論、エレベーターや館内の飲食店も、このカードがないと入れない。客のプライバシーの重視を徹底しているという。その分、紛失した場合は厄介だから、携帯の番号を登録して、その番号からのみ再発行の申し出を受け付けるそうだ。
 コートと荷物を持ってもらって、エレベーターで8階へ。8階が最上階のようだ。8階に降り立つと、三差路になっている。中央を進むと展望大浴場で、左右がそれぞれ1つの客室。僕とシャルは左側の通路から行ける部屋に案内される。

「凄い部屋…。」

 思わずこんな言葉が出る。出入口から見えるのは12畳はあろう和室。その奥に同じく12畳はある洋室、窓際には周辺を一望できる縁側がある。壁に設置されているTVは恐らく70インチはある。無論、バストイレと洗面台は完備。ちょっとした、否、優に1世帯が暮らせるくらいの平屋かマンションを持ってきたかのような客室だ。
 衣類の収納は箪笥やハンガーじゃなくてウォークインクローゼット。そこに荷物を運んできてくれた従業員がコートを収納する。荷物は籠のような専用の置き場所があって、そこに収納される。2人だと持て余す広さだ。空調は24時間稼働していて、温度だけじゃなくて湿度も調整されているから、加湿器も不要だそうだ。この時期暖房は必須だけど乾燥が気になる。加湿器が不要なのは意外に目新しい。
 明らかにこのホテルの最上級クラスと分かる部屋で、僕は従業員を見送る時点で内心狼狽している。空調は確かにしっかり効いているし、一刀彫で作られたらしい机を挟んで置かれた座椅子に腰を下ろせば、思わず安堵の溜息が出る。こんな広い部屋に2人で宿泊なんて…。

「この大型TVに、ナカモト科学大学の末路が映されるってこと?」
「そのとおりです。100インチの大画面と8kの高解像度ですから、悪党の毛穴まで見えます。そんな汚物を見る趣味はないですけど。」
「もう始まるの?」
「いえ、開始は夜からです。部屋食を頼んでおきましたから、食事をしながらゆったり見物しましょう。悪党が狼狽しながら底なし沼に沈む様を。」

 今が2時過ぎだから、かなり時間がある。折角の機会だから温泉街を見て回ろうかな。シャルにそれが可能か尋ねると、勿論可能だと即答。悪党が破滅するまでの時間、1500年以上という歴史ある温泉街を巡ることにする。
 町並みはモトヤマ市の条例で景観保護が定められていて、高さの制限こそ緩めだけど-大型のホテルが建てられないかららしい-建物の塗装の色は何種類か指定があって、その色以外では塗れない。違反するとかなり重い罰金が科せられる。色の違いはひと目でわかるから、違反行為は出ていないらしい。
 至る所に自由に入れる温泉がある。この時、温泉街の組合に加入している旅館やホテルに泊まると、そこのカードキーを通すことで料金が割引になったり、飲食や買い物で特典があったりする。どんな特典があるかは旅館やホテルによって異なるけど、大体は飲み物が1回無料だったり、小さい土産物が半額になったりとか。
 温泉は大小泉質様々。囲われてはいるけど何処も露天風呂。外気の冷たさと温泉の熱さのコントラストが明瞭だ。あまり熱い温泉はどうも苦手だから、泉温を見て40℃前後のところを選んで入る。料金は泊るホテルだと半額になる。かなりの割引だ。高額であろう宿泊料金はこんな形で還元されているんだろうか。

『雰囲気も良いところですね。』

 湯に浸かっていると、頭にシャルの声が流れ込んでくる。シャルは壁の向こうの女湯にいる。歩いているだけでも注目の的だったから、風呂でも相当だろう。

『こっちは全然人がいないんですよ。曜日と時間帯のせいでしょうか。』
『こっちは少ないけど人は居るよ。』

 温泉に浸かっているのは僕を含めて3人。温泉は広いから凄くゆったりできる。刺青をしている人はいない。入館の時点で刺青はお断りと明記されている。いくらタトゥーは海外ではファッションと言っても、海外でもサッカー選手やアーティストを除けばタトゥーは基本的に貧困層や反社会的勢力がするもの。ホワイトカラーはしていても表に出さない時点で、社会からどういう認識なのかはわかる。
 いくつか良さそうな温泉に入って、街を巡る。街灯の他に提灯がびっしり並んでいる。かつて街灯がなかった時代、こうして夜の町を照らしていたそうだ。街灯が出来てせいぜい100年そこそこ。人間の歴史全体では街灯がある方がごく短い。夜の明かりは月か提灯やランプでとるしかなかった。
 至って平穏な雰囲気の温泉街。此処にあのナカモト科学大学の「ハルイチの王」ことSは、この町でたびたび豪遊していたという。見たところ大小さまざまな旅館やホテル、飲食店に土産物屋、そして民家はあるけど、金の勢いで豪遊する場所には見えない。いったい何をしていたんだろう?

『あの手の輩が金を使うのは、酒と女。金次第で何でも出来る場所もあるんですよ。表には見えないだけで。』
『診療とか研究とか、医学部長兼付属病院長となれば、することはたくさんありそうなものだけど。』
『権威を行使して配下の若手にさせれば良いことです。そして手柄は自分のもの。論文に共著で名前が載るんだからありがたく思え。そういう感覚です。』
『ありがちな話だけど、そういう背景があったんだね…。』

 大学の人事が硬直するとされる原因は、内部昇格と講座制だと言われる。教授を筆頭に准教授や講師、助教、ポスドクがひしめき合い、院生と学部生が詰め込まれる講座制は、めぼしい学生を助教として雇用して育成する面もあるけど、教授の匙加減次第で出鱈目な運営や人事が行われる欠点がある。内部昇格が絡むと、教授に取り入る能力の方が有利になりやすいから、余計に歪みが深刻になる。
 一部の大学や研究機関では、この講座制が廃止されているけど、全体としてはまだまだ講座制は健在。特に医学部関係は非常に強固で、大学職員の組織改組や学長選挙で医学部が足を引っ張ることが多い。内部昇格と講座制が一体になった運営が崩されることを嫌がってのことだけど、教授が利権と化している証左でもある。
 ナカモト科学大学の医学部長兼付属病院長Sが「ハルイチの王」と称されるのも、そういった利権と化したポストを悪用して、文字どおりハルイチキャンパスに君臨しているからだ。「自分のため」なら人の財産も尊厳も、更には生命も何とも思わない。むしろ蹂躙されてありがたいと思えとさえ考えている。そんな利己的を極めた思考の人物が、此処にもいる。

『もっとも、そんな汚濁に塗れた栄華も今日で終わりです。金と欲の亡者は地獄でその罪を償うまでです。』
『医学部長は、今日はこの温泉街に来ない?もし此処に来ると、制裁の時他の客や町に迷惑がかかる。』
『心配無用です。亡者は亡者らしく、その拠点で落日を迎えてもらいます。ノカナ原子力発電所という、欲望の集積地で。』

 多くの人が訪れ、ひと時の安らぎや非日常を味わえる温泉街は、悪党の最後の舞台には適さない。その点もシャルは配慮している。そうなると、あとは決行の時を待つだけか。ノカナ原子力発電所で何があるのか、シャルがどんな制裁の手段を用意しているのか、いったい何が…。
 その日の夜、僕はシャルとホテルに戻って、ホテルのレストランで夕食。海の幸と山の幸が混在した懐石料理に舌鼓を打ち、部屋と同じフロアにある展望大浴場でゆったり寛いで部屋に戻った。浴衣に着替えたシャルが僕に凭れかかっている。正面には例の大画面TV。まだ画面は真っ暗だ。
 かなり日が長くなってきたとはいえ、この時間になると町はすっかり夜の装いに変わっている。例のずらりと並んだ提灯に明かりが灯り、幻想的な雰囲気を醸し出している。人出が増えて賑わっているけど、喧騒とは違う、穏やかな雰囲気が町全体を包んでいる。
 シャルによると、「ハルイチの王」などの始末は20:00から開始するという。あと10分余り。シャルは僕に凭れかかって心底リラックスしている。いったいどんな形で始末しようとしているんだろう?シャルの肩を抱いてチビチビと茶を飲みながら、「開演」の時を待つ。

「始まりますよ。」

 不意にシャルが言う。TVのスイッチがONになって映像が映し出される。100インチ越えの大画面いっぱいの映像は、確かに迫力がある。これは…何かの式典?

「E県知事の政治資金パーティーです。」
「政治資金パーティーの良し悪しは兎も角、どうしてノカナ原子力発電所で…。」
「プルサーマル計画推進で癒着していますからね。ヨクニ電力の経営層も労働組合もE県知事を推薦していますし、ノカナ町を含む選挙区選出の国会議員も同じ。こちらも出席していますから、癒着の根深さが分かるというものです。」
「…会場がノカナ原子力発電所なのは、プルサーマル計画とも関係がある?」
「流石ですね。この政治資金パーティーは、E県知事が推進するプルサーマル計画推進の決起集会も兼ねています。まさにサバトですね。」

 政治資金パーティー自体、ただでさえ金の流れが不透明と言われる政治資金をグレーな形で調達する方式だ。政治活動を保証するとして巨額の歳費なり交通費なり色々な手当てが出ているんだから、それで賄えば良いこと。集めた政治資金が活動の周知や成果の普及といった社会的活動や純粋な政治活動に使われるならまだしも、政治資金パーティーは政治家が自分の懐を潤し、その見返りに便宜を図る、形を変えた賄賂でしかないことが殆どだ。
 しかも、プルサーマル計画推進の決起集会も兼ねているという。どう言い訳しようが、プルサーマル計画推進の見返りとしてノカナ原子力発電所を抱えるヨクニ電力と労働組合に便宜を図る賄賂でしかない。しかもE県知事と地元選出の国会議員が結託して推進して、政治資金という名の賄賂を受け取っているんだから、救いようがない。
 労働組合が労働組合でない事例は珍しくない。僕がいた会社も組合活動が形骸化して、碌に国会質問も活動報告もしていない議員が組合の伝手で会社に顔を出して、都度仕事の手を止めて対応せざるを得ないことがあった。所謂「労働貴族」という議員だと後に知ってからは、その議員や政党に投票することはない。
 ノカナ原子力発電所の職員まで巻き込むのは消極的だったけど、映像を見る限り政治資金パーティーに従業員がこぞって出席している以上、同類と見て止むを得ない。会社からの指示だと業務命令と位置付けられれば不参加は難しいだろう。だけど、自分達のための組織である労働組合の側から出席しているなら、E県知事と癒着していると見られても仕方ない。
 司会がパーティーの開催を宣言する。司会はノカナ原子力発電所所長。主賓としてE県知事、来賓として国会議員とE県県議、そしてE県経済団体連合会会長に、ヨクニ電力労組を傘下にする連労(註:この世界の日本最大の労働組合の連合体)のE県会長もいる。まさに政官財+労の癒着の現場だ。
 このチェック機能が働かない状況で、危険と隣り合わせのプルサーマル計画がまともに計画される筈がない。ただ儲けのため、ひいては「自分のため」だけに、内外の危険を無視あるいは当然視して推進するだけ。こういう状況で万一事故が起こっても、経営層や議員は雲隠れか頬かむりしてメディアもそれを支援するのは、F県の原発メルトダウンを見れば一目瞭然。責任云々を求める人間ほど、自分は責任のせの字も知らない。

「間もなくですよ。」

 主賓と来賓の長々としたスピーチ-ほぼ自分の自慢話-が続いてようやく乾杯と相成る。スピーチは見聞きするだけでうんざりするものだった。自業自得とはいえ、食事や酒を目の前に延々と自慢話を聞かされる従業員には少しだけ同情する。

「はい、どうぞ。」

 唇に何かが当たる。モトヤマ市の名物、華包(はなつつみ)。温泉巡りをしていた時、通りがかった茶屋でシャルが興味を示して、その場で食して買った。シャルが差し出したそれを、僕は口を開けて受け取る。ふわりと口の中で溶けるマシュマロのような生地の中から、甘い白餡が出て来る。

「ヒロキさんと私は美味しい食事と良いお風呂を味わって、暖房が効いた部屋でゆったり寛いでいるのに、冷えた床の上で悪党のくだらない話を延々と聞かされるんですから、哀れなものです。」
「これで選挙では忠実な集票マシンになるんだから、自分の意思がないのか、って思うよ。」
「県知事に加えて国会議員や県議がこぞって便宜を図ってくれますからね。でも、それも今日までです。」

 乾杯からようやく歓談となった会場は、少しばかり雰囲気が和らぐ。とはいえ、テーブルを回ってくる主賓と来賓に酌をして頭を下げて、今後の選挙支援の約束と、会社への支援を求めるところは、まさに機械。こういう時に何も出来ないばかりか主賓と来賓の集票マシンになる労働組合は、御用組合でしかない。
 歓談か接待か分からない状況が繰り広げられるうち、会場に爆音が響き、画面が大きく揺れる。正確には会場全体が揺れたんだけど、揺れ方が尋常じゃない。これが、シャルの制裁の幕開けか?いったい何が?

「ナカモト科学大学が受託研究をしているフロアが、4階にありましたよね?」
「!そのヒヒイロカネに何かしたの?」
「大正解。プレーンだったのでより容易でした。すぐさま私の一部に出来ましたから。」

 画面が政治資金パーティーの会場から切り替わる。!巨大な触手が壁を突き破り、天井や床にめり込ませている。壁を崩して何か出て来る。無数の大小の触手を携えた、イソギンチャクともクラゲとも、タコやイカとも言えない不気味な物体。これ…シャルが創造したのか?

「一気に増殖させて、触手を持つ動物を適当に寄せ集めた怪物にしてみました。研究中のヒヒイロカネが突如暴走したという体ですけど、誰もいなかったので、増殖から巨大化までを目撃させることは出来ませんでした。」
「この先、どうするの?管理棟を全壊させる?」
「それだと芸がないので、もうひと捻り加えます。」

 怪物はゆっくりした動作でフロアを徘徊する。触手は無作為に動いて建物を遠慮なく破壊する。本体の動きは鈍くても、軽快に動ける触手がそれを十分カバーする。イソギンチャクはまさにその特性で獲物を捕らえている。しかも今はヒヒイロカネだから、破壊力も非常に高い。鉄筋コンクリートなんて触手の前には発泡スチロールでしかない。
 画面が横2画面に分割されて、左側に政治資金パーティーの会場、右側に怪物が荒れ狂う研究フロアが映される。会場は何が起こったのか分からないようで、状況把握と報告を命令する怒号が飛び交っている。だけど、唐突で明らかに非常事態と感じさせる事態の前に、命令が遂行される様子はない。
 そうこうしている間にも、研究フロアはどんどん崩壊していく。怪物は鈍い動きで徘徊しながら、大小の触手を適当に振り回している。その威力は正反対に凄まじく、鉄筋コンクリートが特撮のセットみたいに簡単に壊れていく。会場には天井から破片が降り注ぎ始める。建物全体が崩壊し始めているんだろうか。

「警告、警告。原子炉に異常発生。原子炉制御不能。職員は直ちに敷地外半径50km以外に退避してください。」

 会場に低いサイレンと無機質なアナウンスが流れる。シャルは原子炉に介入したのか?!

「周辺環境に影響が出ないように、通常の停止系を操作して緊急停止させました。アナウンスなどは虚偽の情報です。この方が狼狽の度合いが激しくなりますから。」
「原子炉がメルトダウンしたら、ノカナ原子力発電所の周辺が確実に立ち入り禁止区域になるよ。」
「そうでしょうね。私個人はヨクニ電力と国の補助金に骨の髄まで浸って、プルサーマル計画にも無批判どころか反対住民を抑圧さえしていた田舎町の1つや2つ、地図から消えてもどうってことはないんですが。」

 シャルがその気になれば原子炉の停止系を機能不全にして、核分裂を無制限に増長させて原子炉を溶融させる、つまりメルトダウンに至らせるのは造作もない。幸いその事態は免れたけど、虚偽の警告は効果覿面。会場にいた人達は右往左往している。急に照明が落ちて、非常灯に切り替わる。これが更にパニックを悪化させる。
 映像は暗視カメラとリアルタイムの映像処理に切り替わったようだから、たいして変化はない。だけど、会場のパニックの度合いは凄まじい。我先に逃げ出そうとして押し合いへし合いどころか、怒鳴り合い、更には殴り合いにまで発展している。こういう場所柄、避難訓練はしている筈だけど、すっかり頭から蒸発したようだ。

「ドアロックに介入してロックを解除不能にしています。殺し合ってもドアは暫く開きませんよ。」
「じゃあ、このまま閉じ込められる?」
「もう暫くは。さっきまでの権威の誇示や媚び諂(へつら)いはどこへやら、悪党が我先にと争う様は滑稽ですね。蜘蛛の糸という作品を彷彿とさせます。」

 一部は乱闘に発展して、殴り倒された数人が、鼻や口から血を流して倒れている。ドアを激しく叩いたり蹴ったりするけど、シャルが完全にロックしたドアはびくともしない。それが更にパニックを悪化させる。阿鼻叫喚の地獄絵図そのものだ。
 その地獄絵図に、非常事態の発生と早期の避難を求める低いサイレンとアナウンスが繰り返される。パニックは悪化する一方だ。いったんパニックに陥ると、いつもの避難訓練もまったく意味をなさないという典型例だ。それに加えて、非常時ほど人間の本性が出るという事例をまざまざと見せつけられる。災害や非常事態で最も怖いのは、パニックに陥って無茶なことをしたり、混乱に便乗して暴行や略奪に及ぶ人間だというのは、言い得て妙だ。