謎町紀行 第92章

大学と電力会社と知事の歪な同盟関係

written by Moonstone

 3日後の夜。カメダ市の居酒屋で新しい名物として押し出し中という炙り手羽先なる料理を食べていると、向かいで同じように炙り手羽先を食べているシャルからダイレクト通話が入る。

『ハルイチ市の悪党が騒然としています。地蔵の御杖がどの分析機器で何度分析しても、錆びた鉄でしかないと結論付けざるを得なかったためです。』

 シャル渾身の贋作は、ヒヒイロカネを欲する連中の野望を頓挫させた。境内から盗み出させてまで手に入れた秘宝が、単に長い年月で錆びた鉄の棒でしかないと結論付けざるを得ないとなれば、ヒヒイロカネを奪取してグループ企業総帥である元財務相の失地回復も暗礁に乗り上げる。

『分析を命じられた職員も、流石に錆びた鉄をヒヒイロカネだと言うことは出来なかったようです。まだ良心が欠片ほどでもあるようですね。』
『問題は、待機しているナカモト科学大学の首脳部だね。まさか地蔵の御杖が単なる鉄だは思わなかっただろうし、手ぶらで帰るわけにはいかないだろうし。』
『はい。悪党は激怒しつつ狼狽しています。野望が完全に破壊された上に、元財務相に届ける吉報もなく、メンツは丸潰れです。』
『そうなると、次の行動はやっぱり…泰水寺の襲撃かな。』
『隠密の程度がどれくらいかは分かりませんが、そう出ると見られます。現時点でも、泰水寺の住職が偽物と入れ替えたという見解で一致しているので。』

 盗み出したものが贋作だったから、本物と入れ替えた持ち主を襲うなんて、ヤクザやギャングの理屈そのものだ。とても大学の首脳部の思考とは思えないけど、あの人を人と思わない元財務相の実弟と実子、ハルイチの王とか言われる医学部長なら致し方なしか。理解は出来ないけど。

『悪党の動向を見て、先にヒロキさんが提案した策を進めます。そちらはその策に嵌って自爆するでしょう。この隙に悪党の背後関係に切り込もうと思います。』
『シャルにしては珍しいね。地蔵の御杖だったヒヒイロカネは先に回収できたから、ナカモト科学大学の首脳部は放置するかと。』
『聡いですね。本来なら悪党が自滅するのは放置で構わないんですが、今回は理由があります。』

 シャルは途中だった炙り手羽先を食べ終えることを優先させる。この炙り手羽先、シンプルな塩胡椒の味付けとカラッと焼かれた表面のアクセントもあって美味しいけど、手羽先だから食べるのがちょっと面倒。こういう手間も含めての料理だろう。

『お待たせしました。ナカモト科学大学の首脳部は、天鵬上人に関わる88ヵ所巡礼と逆鉾山にヒヒイロカネがあると睨んで、調査隊を送り込んでいます。』
『!』

 シャルがナカモト科学大学のサーバに侵入して調査したところ、極秘文書を発見した。それは「超古代文明の大いなる遺産と天鵬上人、そして88ヵ所巡礼」と題した200ページ以上の文書で、暗号化されていた。非常に長くて複雑なIDとパスワードを要求され、しかも一定時間内に入力しないとロックされて暫くアクセスできないという念の入れよう。
 痕跡を残さないように慎重に突破して-シャルでも3日を要した-解析したところ、ナカモト科学大学が医学部と附属病院を本部から海を隔てたE県のハルイチ市に建設したのは、88ヵ所巡礼と逆鉾山周辺の不可思議な伝説に、大いなる遺産ことヒヒイロカネが存在することを暗喩するという仮説が要因の1つだと明らかになった。
 その仮説を立てたのが、他ならぬナカモト科学大学医学部長兼付属病院長。元々この人物は本業の傍ら、理事長の指令でヒヒイロカネを探していた。その指令の大本はグループ企業総帥の元財務相。「やがて来る新しい日本構築のために必要」と位置付けている。核兵器などには言及されていないけど、目指すところはグループ企業、ひいては元財務相を頂点とする絶対王政であることは疑いない。
 調査の過程で、この地方にある天鵬上人の88ヵ所巡礼の札所が、逆鉾山から意図的に遠ざけつつ所定の個所から仰ぎ見るように配置されていること、とりわけ逆鉾山を仰ぎ見ることが出来る札所の配置が、非常に精密な測量に基づいて配置されていると見られることに気づいた。僕とシャルが気づいたことでもあるけど、ナカモト科学大学の方が先行していたわけだ。
 時代背景を考えると、当時の文明水準と、現代でも通用する、否、それ以上の精度を持つ測量技術と険しい山中に札所を置いた建築技術の両立は考えづらい。技術の背景には理論工学がある。当たり前のように使われているスマートフォン1つ取っても、半導体は量子力学や半導体工学が背景にあって、通信は電磁気学や電波工学が背景にあるように。
 言い換えると、物理学や化学といった基礎理学、それに基づいてある分野を打ち立てた理論工学があって、それを実現できる工学や技術があって初めて目に見える技術や製品となって人の手に渡る。そういった科学の背景が殆どない、むしろ宗教や呪術が幅を利かせていた時代背景に、88ヵ所巡礼の札所はあまりにもそぐわない部分が多い。
 ナカモト科学大学の医学部長兼付属病院長-長いから以降Sとする-は、88ヵ所巡礼を成立させた天鵬上人が、当時の文明水準から乖離した知見を持っていることにも疑問を抱いた。天道宗の開祖で今も著名な人物だということを差し引いても、伝承や誇張で片付けられないものが多い。特に土木・建築技術と測量技術は、現代でも十分通用する。
 重機なんて概念すらなかった時代に、どうやってあんな険しい地形に札所であり信仰の拠点となる寺院を林立できたのか。人海戦術という見方も出来るけど、人口を考えるととても成立しない仮説だ。現代では知られていない、あるいは失われた技術があったと考えるのがまだ理に適っている。
 そこでSは、医学部と附属病院の設置を検討していた理事長と学長に取り入り、E県のある土地を安く買い叩いて医学部と附属病院を設置すると共に、E県があるこの地方のヒヒイロカネ調査研究の拠点とすることを提案した。元財務相に繋がる理事長と学長はこの企てに賛同し、元財務相の伝手でターゲットの土地を買い叩いた。それが今のハルイチキャンパスだ。

『どうしてこんな位置に医学部と附属病院を設置したのか疑問だったけど、ヒヒイロカネで繋がってたわけか。』
『彼らの行動原理はヒヒイロカネに繋がっていると見て良さそうです。使い道も決まって軍事関係なところが、先の大戦で大儲けしながら生き永らえて、あの時代をもう一度を狙う生きた亡霊の共通項のようですし。』
「ヒロキさん。炙り手羽先の追加と柚ポン酢のたれを注文して良いですか?」
「うん。僕が注文するよ。」

 唐突に話が切り替わってちょっとびっくりしたけど、ダイレクト通話は僕とシャルしか聞こえないから、他から見れば無言で食べ続けているカップルとしか見えない。別にそう見られても構わないけど、シャルが人目を惹く容貌だし、ある程度「談笑しながら飲食しているカップル」を演出した方が良い。
 店員に炙り手羽先とゆずポン酢のたれを注文して、食べながら再びシャルの説明を聞く。Sは更に調査を進めて、蒼龍川のほとりにある泰水寺の寺宝、地蔵の御杖が、長年風雨に晒されながらも原形を留めていることに着目した。泰水寺の位置関係を含めて、地蔵の御杖がヒヒイロカネだと見据えた。
 そこでSは、自身の権限と権力を使って、高額な分析機器を多数導入した。あのアイソトープ研究センターに。これまでの研究から、ヒヒイロカネは強力な磁場で隠蔽できることが分かっている。アイソトープ研究センターは放射性物質を扱うから、元財務相曰く核アレルギーを持つ日本人は心理的に近づき辛い。アイソトープ研究センターを隠れ蓑にしたヒヒイロカネの研究拠点が出来上がった。

『やっぱり、アイソトープ研究センターはヒヒイロカネの隠蔽のために用意されたんだね。近隣住民の不安や危険なんて考えずに。』
『他人を慮(おもんばか)ることが出来るなら、悪党稼業は務まりませんよ。』

 Sはさらに調査を進めるため、サカホコ町など逆鉾山周辺に調査隊を派遣した。そして、不可思議な伝承や神社の存在から、逆鉾山周辺にヒヒイロカネが隠されている可能性が高いと見て、調査を続けさせていた。だが、逆鉾山周辺の地理的条件と、逆鉾山を含む地域一帯が国定公園という特質が本格調査を阻んでいる。

『-天鵬上人が逆鉾山にヒヒイロカネを隠したらしいけど、結果的に今、元財務相達の手に渡ることを阻んでいる格好だね。』
『はい。手配犯の1人と見られる天鵬上人も、そこまで考えが及ばなかったようです。ヒロキさんと私にとっては幸運ですが。』

 当時の文明水準を考えれば神仏の化身としか言いようがない高度な土木建築技術や測量技術で、逆鉾山を中心とする壮大な地下空間を造り、この地方全体をランドマークとしつつ遠ざけるように札所を巧みに配置したと見られる天鵬上人の知恵は、ヒヒイロカネの存在が他の手配犯以外の人間に知られることまでは想像しなかったようだ。それは落ち度と言うほどのものではないし、結果的に、険しい地形と特に冬の厳しい気候がSや元財務相らの思惑を妨害している。
 元財務相が現在も病院に雲隠れを続け、後援会の解散で事実上次の選挙の落選が決まった状況だから、これまでのように関連省庁や自治体に圧力をかけて大規模な発掘調査をするのは難しいだろうけど、手放しで静観できるわけでもない。
 確かに元財務相の基盤は足元から崩壊しているけど、グループ企業であるナカモト科学大学は今も健在。あくまで地元企業とヒョウシ理工科大学が崩壊した段階で、失地回復や起死回生の機会を虎視眈々と狙っていると見て間違いない。大人しく引退・隠居するような分別があるなら、あんな非人道的活動や違法脱法行為に骨の髄まで浸かることはない。
 病院に引き籠った議員や高級官僚、大企業の役員には警察は絶対に手を出さない。それ幸いとばかりに、病院の個室からナカモト科学大学の理事長や学長に指示を出しているんだろう。それは結局のところ「自分のため」。幾多の被害者・犠牲者への賠償に充てるといった考えは微塵も感じられない。シャルが言うとおり、そんなことに気が回るようなら悪党稼業は務まらないんだろう。
 実際、元財務相の息がかかった調査隊が、この地方に派遣されているという。もしかしたら、今の拠点であるサカホコ町の旅館に潜んでいるかもしれない。今は互いの存在に気づいていないようだけど、もし向こうが僕とシャルの存在と元財務相との因縁を知ったら、戦争は避けられない。

『今のところ、サカホコ町にはその手の輩は居ないようです。』
『逆鉾山とその周辺に目星をつけているから、常駐していても良さそうだけど。』
『捜索範囲が広大な上に、地形が複雑で行き来も困難、近くに拠点を設けようにも過疎化が進む小さい集落しかない、と調査に関しては悪条件が揃っています。常駐させるだけのコストも無視できません。調査隊には一定の賃金を出さないと、裏切りから計画の暴露もあり得ますから、あまり無碍にも出来ないでしょう。』
『僕とシャルのように旅行客って見た目ならまだしも、調査隊と言うからには大掛かりな装置や機材を持ち込むだろうから、温泉街だと相当目立つだろうね。』
『はい。自分達の目的が表に出せるものではないことくらい分かるようです。』

 当面サカホコ町での直接対決は避けられそうだけど、何時までもこのままとはいかない。やっぱり、泰水寺を狙う動きを封じることが必要だ。作戦どおりに行けば、ナカモト科学大学の動きをほぼ完全に封じることが出来る。僕の考えだから何処かに穴があるかもしれないけど。

『どこかに潜んでいるであろう調査隊の動きを撹乱しつつ、本命であるナカモト科学大学の悪党の一網打尽を狙います。ヒロキさんの作戦は十分ベースになっています。』
『相手が裏をかいてこないか気になって。』
『侵略と蹂躙が得意な勢力は、自分が優勢な時は勢いに任せて次々と手を打ちますが、不利になると途端に後手後手に回り、損耗を増やすばかりになります。実際、その方向に動こうとしています。過去の旧日本軍がそうであったように。』

 侵略や蹂躙は基本的に攻める側。攻める側に徹することが出来れば、数と勢いで押すことが出来る。だけど、一旦守勢に回ると、後方支援の充実や撤退という考えがないか、これまでの輝かしい戦歴を汚したくないというメンツがあるからか、無謀な強行突破や防衛ラインの敷設で、甚大な被害を出すばかりになることが多い。
 元財務相が実効支配していたグループ企業もそうだ。違法脱法行為の数々で巨万の富と確固たる地位を築いたけど、僕とシャルのヒヒイロカネ捜索と回収の余波で、様々な暗部が暴かれ、国際条約を踏み破ったことで国際機関の介入を招いた。数々の罪状は勿論、グループ企業の従業員から未払い賃金や残業代の支払い要求を突き付けられ、選挙の命綱である後援会も解散した。
 グループ企業の中では多少の優遇措置と徹底的な専制支配が通用したけど、それとはまったく無縁の僕とシャルが関与したことで、防衛ラインが一気に瓦解した。そこが突破口になって芋づる式に暗部と悪事が暴かれて、お膝元が完全に崩壊したわけだ。万一の事態を考えなかったのは、これまでの環境や条件が未来永劫続くと信じて疑わなかった結果だろう。どちらにせよ、守勢に転じた際の対策が致命的に弱かったことで、立て直しを図る以前に崩壊に至った。
 このまま僕の作戦の条件に合致すれば、ナカモト科学大学は致命的なダメージを受けるだろう。特に近隣住民の不満や不安を度外視あるいは抑圧して維持してきたハルイチキャンパスは、一気に瓦解する恐れすらある。ヒヒイロカネを諦め、泰水寺から手を引けば破滅への道は回避あるいは当座の延命は可能だろう。だけど、その様子はないらしい。

『撤退や断念ってことは考えないのかな。』
『撤退や断念はメンツを潰す行為ですから、ヤクザ稼業ではありえない選択でしょう。それが致命的になったとしてもメンツを優先するのは、ある意味生命も財産もすべて犠牲にしてでも誇りを守る行為ですね。綺麗に言えば「これぞ極道の真髄」でしょうか。』
『メンツ、か…。』
『ヤクザにはヤクザなりの道理があると言えますね。それが正当かどうかは別として。もっとも、ヤクザが破滅したところで、一般市民は何も困りません。せいぜいメンツを抱き締めて仲良く自爆すれば良いです。』

 僕はナカモト科学大学に縁も所縁もないし、破滅したところで何も失わない。だけど、ナカモト科学大学には多くの学生がいるし、教職員もいる。理事長や学長は元財務相の威光を利用して労組潰しや専制支配に明け暮れていたのは事実だけど、ヒヒイロカネを探し、我が物にしようとする本当の目的を知る人は殆どいないだろう。
 理事長や学長の破滅によって、多くの教職員と学生が放り出されることになるかもしれない。それに対して、理事長や学長は補償も何もしないだろう。多くの人々の人生を狂わせる結果に、理事長や学長は何も責任を取らない。責任者が責任を取らないことは日本では当たり前だけど、これで良いんだろうか?

『それはヒロキさんと私が配慮することではありません。武家政権や維新政府の時代と違って、各種法律もあれば弁護士もマスコミもいますし、SNSという格好の道具もあります。責任者に責任を取らせるシステムや制度はあるんですから、その後のことは教職員や学生、近隣住民が責任を取らせればよいことです。』
『…。』
『過去の事件や不祥事でも、そのシステムを利用すれば責任者を身包み剥ぐことも出来た機会は何度もありました。それを結局「〇〇先生だから」「誰がしても変わらない」などと妙な達観や諦観で追及の手を自ら引っ込めました。今の腐りきった制度や人間は、有権者や当事者の手抜きの蓄積の結果だと言っても過言ではありません。民主主義は元来面倒なものです。その面倒さを他人任せにしていたら民主主義自体が腐って衆愚政治となってしまいます。』

 今までの事件も、ヒヒイロカネに集まった欲と野望の被害や犠牲の結果だった。それに至るまでに正す機会はあっただろう。だけど、有権者も当事者も現状に甘んじてそれをしなかったのが殆どだ。ヒョウシ市の市長交代は稀有な例と言って良い。蓄積した負の遺産は、結局今を生きる人や世代が何とかしないといけない。先送りは限界に来ている、否、突破している。

「この食べ物、どうしても口数が少なくなりますね。」
「そ、そうだね。蟹と似た感じかな。」
「手羽先以外に、もも肉とかもありますね。注文して良いですか?」
「飲み物と合わせて僕が注文するよ。飲み物は何にする?」
「ジンジャーエールが良いです。」
「僕はウーロン茶にするかな。」

 居酒屋の片隅で、地元料理に興じる僕とシャル。その一方で、気づかないまま破滅への道を歩むナカモト科学大学。ヒヒイロカネを求めることは同じなのに、この違いは何なんだろう?「自分のため」の欲があるかどうかで、ここまで違ってくるんだろうか…?
 2日後。僕とシャルはサカホコ町とカメダ市を巡っている。サカホコ町ではシャルが着物店で着物をレンタルして着用している。着物店が宣伝になるからと半額にしてくれたり、飲食店でサービスしてもらったりと、かなり恩恵を受けている。シャルも色々な着物を着て、オプションと組み合わせて楽しんでいる様子。
 ハルイチキャンパスで危険な動きが始まっているのに呑気な話と言えるけど、ハルイチキャンパスの動きに合わせて僕とシャルが移動すると、どこかに潜んでいる確率がある調査隊や、ナカモト科学大学と癒着していると見られるE県県警に察知されて面倒なことになる恐れがある、という僕の判断だ。シャルはそれが安全かつ賢明と賛同してくれている。
 サカホコ町とカメダ市と単純に並べているけど、山を隔てて片方はT県、片方はK県。山を越えると違う県、違う市町村というのは、地図やナビ、県境を通過する際の標識くらいしか実感がない。かなり違うのは食べ物の方だ。サカホコ町は猪や鹿の肉と、近くを流れるオカノ川の川魚。カメダ市は鶏肉と海の魚。山間の町か海に面した町かの違いが出ている。

『ハルイチキャンパスの方は、今夜悪党達が動きそうです。』

 昼時にサカホコ町の和風カフェで食事をしていると、着物姿のシャルがダイレクト通話で言う。

『ハルイチキャンパスの一角に、いかにもな連中が集結しています。』
『ハルイチキャンパスって、医学部と附属病院があるんだよね?そんなところに半グレとかチンピラとかが集まったら、流石に一目で分からない?』
『夜にワゴン車で乗り付けて、人目につかない別室に待機させていますから、学生や来客は知る由もありません。』
『別室ってまさか…アイソトープ研究センター?』
『流石に察しが良いですね。』

 アイソトープ研究センターは、色々な意味で隠れ蓑だった。勿論高価な分析機器もあるけど、それは結局ヒヒイロカネを探すため、つまりは元財務相らナカモト科学大学首脳部の「自分のため」。そのために放射性物質の取り扱いを標榜して、一般人の立ち入りを心理的にも法的にも難しくした。色々な意味で狡猾だ。

『いかにもな連中がアイソトープ研究センターに集められていることで、それに紛れて諜報部隊を潜入させることが出来ました。棚から牡丹餅…でしたか?こういう展開は。』
『それで良いと思うよ。今まで潜入できなかったのは、施錠されていたから?』
『施錠と監視カメラの存在です。映像を調べたところ、アイソトープ研究センター周辺だけ非常に解像度が高く、光学迷彩を施した部隊でも開錠の一部始終が記録されてしまうレベルでした。』
『ひとりでに鍵が開いたら、監視役が流石に怪しんで警報を出したりするだろうね。』
『はい。出入口周辺には赤外レーザー方式の警戒網が随所に張られていました。今回、突撃要員が集められたことで一時的に警戒網も解除されましたから、光学迷彩を施した諜報部隊の潜入は容易でした。』

 ランチメニューを食べながらシャルの説明を聞く。アイソトープ研究センターは随所に強力な電磁石が配置されていて、ヒヒイロカネの存在を隠蔽する目的なのは明らかだ。また、強力な磁場によってレーダーによる解析が出来ない二次作用もあった。内部に潜入できたことで、アイソトープ研究センターの全容が一気に明らかになった。
 アイソトープ研究センターは、表に建物として出ている部分は一部で、地下に深く伸びる構造だった。それもその筈。やはりというか、最深部には核燃料の貯蔵設備があった。ヒョウシ理工科大学と違うのは、核燃料が発電用のものだということ。なぜ発電用の核燃料がナカモト科学大学の地下深くに貯蔵されているのか?

『一言で言えば、原子力発電所と地元自治体との癒着です。』
『自治体も良くないけど、原子力発電所が大学と癒着って…。』

 シャルが説明を続ける。ハルイチ市から南西約70km、野奏(のかな)半島の一角にあるノカナ電子力発電所。ノカナ原子力発電所は、老朽化で1号炉と2号炉は廃炉になったけど、3号炉が散々揉めた末に再稼働したと、以前ニュースで見たことがある。そのノカナ原子力発電所で使用する核燃料をナカモト科学大学が秘密裏に保管しているわけだ。
 大学が核燃料を保管するなんて前代未聞だし、法令上も違法脱法行為の筈。それを推進するにはノカナ原子力発電所の再稼働の背景が絡んでいる。ノカナ原子力発電所が老朽化で廃炉に進んだけど、3号機も例外じゃない。なのに再稼働となったのは、ノカナ原子力発電所がプルサーマル計画を推し進めているためだ。
 プルサーマル計画は、原子力発電所で発生するプルトニウム239を、核燃料としては本来使えないウラン238と混合して酸化物にして(註:核燃料となるウラン235だけだと核分裂反応が進みすぎるため、核分裂の過程で発生する中性子を吸収しやすいウラン238を混合している)MOX燃料にする。それを原子力発電の燃料にしようというものだ。
 天然で存在するウランのほとんどを占めるウラン238と、原子力発電の過程で発生するプルトニウム239を有効利用できる高速増殖炉(註:核分裂を起こす中性子に高速で移動するもの(高速中性子)を使うため「高速」の名前が付く)が実現すれば、使用されるウラン235やプルトニウム239より、生成されるプルトニウム239の方が多い、言い換えれば無限に燃料を増産できる、と良いこと尽くめな計画だけど、それが出来るなら苦労はしないし、どの国でも一般的な原子力発電から切り替えている。
 まず、プルトニウム239は、長崎に投下された原爆にも使われ、今も核兵器にも使われるように、核分裂を起こしやすくて毒性が強い、扱いが難しい物質だ。通常の原子力発電では副産物として生成され、使用済み核燃料、つまりは「核のゴミ」として取り除かれ、長期間保管されることになる物質を、燃料に使用しようとしても簡単にできる筈がない。
 元々プルサーマル計画は、米ソ冷戦で核兵器が大量製造される一方、おおもとの原料であるウラン235の安定供給に不安が生じたことで立案された面がある。だけど、旧ソ連の崩壊や核軍縮の一応の進展で、ウラン235の供給は安定している。従来の原子炉で使用できるとは言うけど、実際のところ様々な問題があって、単純に置き換えは出来ない。
 プルサーマル計画の最大の根拠、すなわち燃料となるプルトニウム239が無尽蔵に生成されるという高速増殖炉は、冷却材に使うナトリウム自体が水に触れると発火するなど危険な物質で扱いが難しいとか、核兵器に使うプルトニウム239を製造するという安全保障上の問題など、課題が多すぎて、フランスとロシア以外は高速増殖炉から撤退している。
 そんな背景があるプルサーマル計画は、核燃料の維持管理、運搬が課題でもある。ウラン235だけならまだしも、核兵器にも使えるプルトニウム239を使うから、保管や輸送に莫大なコストがかかる。更に、老朽化と大震災で原子力発電自体への風当たりも強まっている。プルトニウム239を使うプルサーマル計画は猶更だ。そこで、ノカナ原子力発電所を抱える地元自治体ノカナ町、ノカナ原子力発電所を管理運営するヨクニ電力、そしてE県知事に、ナカモト科学大学がある提案を持ち込んだ。

『原材料となる核燃料をナカモト科学大学が保管し、運搬はグループ企業の運送会社が行う。それらの見返りに、生成されたプルトニウム239の無償での引き渡しと、ノカナ町とハルイチ市での便宜を図る-こういう提案です。』
『悪魔の契約だ…。』
『言い得て妙ですね。』

 一見普通の運送会社が核燃料の移送を担当すれば、いかにもな警備や車両より人目に付きにくい。原発に付き物と言える反対運動の目も誤魔化せる。再稼働がらみで反対運動が激化していたから、ノカナ原子力発電所を管理運営するヨクニ電力や地元のノカナ町、そしてE県知事には渡りに船の提案だ。
 そしてナカモト科学大学は、ハルイチキャンパスの地下深くに、アイソトープ研究センターを隠れ蓑にした核燃料保管庫を秘密裏に建設し、ノカナ原子力発電所への核燃料提供を開始した。そこで得られる利益は、ナカモト科学大学に流れ込む。利益自体は企業間のやり取りなら必須だからまだしも、利益の得方・増やし方が、他人を全く考慮しないのが問題だ。
 通常の運送会社が偽装するから、十分な放射線防護がなされていない。運送会社の社員は勿論、周辺住民の被曝は避けられない。得られた利益は、ナカモト科学大学だけでなく、ナカモト科学大学の首脳部、ひいてはグループ企業総帥である元財務相に流れている確率が高い。アイソトープ研究センターには何らの対策も取られずに放置されているのがその証左だ。
 こうしてナカモト科学大学の提案は、ノカナ町とヨクニ電力、そしてE県知事に受け入れられ、4者間の契約がなされた。こうして、まんまとプルトニウム239を無償で入手できる環境が整ったナカモト科学大学は、入手したプルトニウム239を核燃料保管庫に収納し、ヒョウシ市にあるヒョウシ理工科大学に秘密裏に輸送して、元財務相の悲願である核兵器発射施設の具体化を進めていた。

『ヒョウシ理工科大学に保管されていた核燃料は、プルトニウム239であることがIAEAの立ち入り調査で判明しています。この出所が不明でしたが、今回の件で謎が解けた格好です。』
『狂ってる…。』

 ナカモト科学大学に関する不可解な状況-ハルイチキャンパスにおけるなし崩し的なアイソトープ研究センター建設、重大な法令違反の恐れがあるのに、まともに取り合わないE県知事など、これまでの謎が続々と解明された。そしてここにも元財務相らの「自分のため」なら他人は度外視する醜悪な思想が存在する。
 これが明るみになったら、ナカモト科学大学、少なくともハルイチキャンパスは致命的ダメージを受ける。元々学生の素行が良くなかったから、住民は一気に反旗を翻すだろう。周辺住民に嫌われたら大学や研究機関の居場所はなくなる。ましてや危険に晒すようならさっさと出ていけ、となるだろう。
 ノカナ原子力発電所で行われているプルサーマル計画にも重大な影響が出る。生じた使用済み核燃料を秘密裏に大学に横流しして、それが核兵器の製造のため着々と蓄積されていたとなれば、ノカナ原子力発電所は勿論、ヨクニ電力は厳しい批判にさらされる。社長の引責辞任だけでは済まないだろう。

『原子力発電が反対運動に晒されるのは、その安全性と万一の事故発生時に被害が甚大になる恐れが高いことは勿論、安全保障の名の下で十分な説明がなされない一方で、原発があれば潤うというバラ色の未来を振りまくことにあります。原発マネーに漬かった自治体が、以前起こった大震災でどうなったか。安全神話を掲げた国会議員や賛成派、電力会社が責任を取ったか。安全神話やバラ色の未来は金があるうちだけで、それも1回の事故ですべて灰色に塗り潰される虚構の産物でしかないことは、もはや明らかです。』
『しかも、世界各国が撤退しているプルサーマル計画を悪用して、プルトニウム239を無償で譲り受けるようにして、核兵器に転用を目論んでいた…。それに加担したんだから、ノカナ町やヨクニ電力、E県知事は元財務相達と同罪だね。』
『悪党同士、目指すものは違っていても考え方は同じですから、悪魔の契約に応じるわけです。類は友を呼ぶとはよく言ったものです。』
『最悪の同盟関係というか…。こういう契約が全国、否、世界各地にあるのかなって考えると、凄く嫌な気分になるよ…。』

 恐らく、陰謀論の対象となる不可解な事件は、こういう悪魔の契約の下で進められる計画の一部が露呈した結果だと思う。警察がまともに捜査しない、捜査しても明らかに他殺の事件を自殺と断定して捜査を終結させる、といった事件は今も昔も多数ある。ネットの普及でそれらの悪事が露呈するわけでもなく、「捜査上の秘密」を理由にした隠蔽は常態化している。

『…アイソトープ研究センターに、他のヒヒイロカネが保管されていたりしない?』
『良い視点です。アイソトープ研究センターには、ヒヒイロカネは存在しないことが判明しています。元々目星をつけていた泰水寺の寺宝、地蔵の御杖を略奪して解析するための場所でもありますから、地蔵の御杖が錆びた鉄だと確定した今、役割を失って手持ち無沙汰な状態です。』
『そうなると…、ナカモト科学大学の出方待ちか。』
『はい。確実にヒロキさんの術中に嵌りつつあります。悪党の思想や方針はメンツを基本とするものだと実感します。』

 メンツ。そう、ナカモト科学大学はヒヒイロカネだと目星をつけていた地蔵の御杖が錆びた鉄だったことで、メンツを潰された。そのメンツ回復のため、犯罪行為に手を染めようとしている。僕の策はメンツに固執する連中が取りうる手段を考えてのことだけど、単純極まりないこの策に着実にはまりつつあるのは複雑な心境だ。
 少し考えれば、地蔵の御杖が贋作だったとしても、本物を略奪する権利なんてない。なのに、メンツに固執するあまり、犯罪行為に手を染めようとしている。誰もおかしいと思わないんだろうか?ナカモト科学大学の首脳部も、集められている連中も。

『略奪や脅迫、それらに付随する暴力をおかしいと思わないから、犯罪行為に出ることを躊躇わない。自分のため、組織のためなら何でもするのは、ヤクザと同じです。言い換えれば、大学やグループ企業を経営してなければ、ヤクザをしていたのは間違いないですね。』
『今やろうとしていることは、メンツを潰されたヤクザそのものだから、そうとしか言えない。』
『ヒロキさんが気に病む必要は一切ありません。大学や企業の皮を被ったヤクザは、その存在に相応しい法律の制約や、社会的制裁を受ける必要があります。いかに理由を付けようと、ヤクザやマフィアが存在して良い証明にはなりません。他人の金や人生や尊厳を食い物にする集団に、存在価値はありません。』

 シャルの見解は辛辣だ。シャルはこの手の存在を蛇蠍のごとく嫌うから、僕の単純な策に嵌って自滅自壊するのを待望しているだろう。僕自身、ヤクザやマフィアに存在価値はないと思っている。だけど…心の片隅に引っかかるものがあるのを否定できない。それは大学の職員や学生といった、悪魔の契約を知らずに過ごしている人達の存在だろう。
 元財務相のグループ企業の従業員も、全員がヒョウシ理工科大学絡みじゃない。一連の事件で初めて、ヒョウシ理工科大学=将来の核兵器発射施設かつ奴隷監禁施設と知った人も多いらしい。だけど、元財務相のグループ企業の従業員ということで、再就職や住環境はかなり不利になるのは間違いない。
 元財務相とグループ企業がその財政力と地域での権威を笠に着て、地元ヒョウシ市やナチウラ市を蹂躙したのは事実だ。だけど、それがそのまま元財務相の恐るべき計画の共犯であり、責任を負うことには繋がらない。元財務相やグループ企業からの抑圧や蹂躙の反動が、本来そこまで課すべきではない重荷を現・元従業員に負わせようとしている。
 ナカモト科学大学も、このままメンツに固執して突き進めば、僕の単純な策にそのまま嵌って破滅は避けられない。元財務相のグループ企業の1つということで、これまでE県やE県県警、更にはヨクニ電力などと結託して抑え込んでいた地域住民の怒りが爆発して、ナカモト科学大学ハルイチキャンパスの閉鎖要求が上がるのは間違いない。
 無論、ナカモト科学大学ハルイチキャンパスの学生が、金の力で我が物顔で地域を徘徊していたのも、地域住民が迷惑を被ってきたのも事実だし、その反動で地域住民がナカモト科学大学ハルイチキャンパスの閉鎖や追放へと向かうのはごく自然なことだ。だけど、すべての職員や学生が責を負わされるのは釈然としない。
 ナカモト科学大学出身ということで、学生は就職が厳しくなるだろう。職員の再就職も厳しくなると見て良い。私立にありがちな理事長や学長のワンマン体質はあるにせよ、それなりに学生が集まり、卒業していった大学が、実は悪魔の契約の下、プルトニウム239を我が物にしていたなんて、大半の職員や学生は知らなかっただろう。でも、ナカモト科学大学が重い十字架と化して彼ら彼女らの人生に圧し掛かる。

『損害賠償請求なりストライキなりして、悪党が貯め込んだ金を1本残らず毟り取れば良いことです。法制度や裁判を受ける権利なるものがありますし、この手の話なら体制批判派の弁護士や労働組合団体が手を貸すでしょう。環境があるのに何もしないのは単なる怠慢です。』
『そう割り切るしかないか…。』
『ヒョウシ市にある元財務相のグループ企業の従業員ですら、これまでタブーとされてきた労働組合を結成して未払い残業代の請求などしています。ナカモト科学大学では労働組合活動を散々妨害されてきたんですから、抑圧がなくなれば自分達でどうにかするでしょう。学生も巻き込めばナカモト科学大学に巣食う悪党は身ぐるみ剥がされる確率が高まります。』
『そうなって欲しい。僕とシャルが支援することじゃないとは分かってるけど…。』

 僕とシャルがヒヒイロカネを捜索・回収することで、これまでの環境や生活が一変する人が少なからず、否、かなり出ている。元財務相のグループ企業にしたって、僕とシャルが関与しなかったら、それなりの生活が続いていただろう。何も知らないまま。それが良かったのかどうかは、僕には分からない。
 当面、僕とシャルはナカモト科学大学が僕の策に嵌るのを待つだけ。その間、こうして気ままに周辺の観光地-普通だと観光地とされていないところもある-を巡ったり、地元の飲食店で食事に興じる。しかも、向かいには誰もが二度見三度見するアイドル級の容貌の美人。天地の差というか雲泥の差というか。

「ヒロキさん。鳥雑炊って食べてみませんか?」
「うん。僕が注文するよ。やっぱり出汁も鶏ガラなのかな。」
「そうみたいですよ。」

 シャルがメニューの説明書きを見せて来る。「鶏ガラベースで仕立てた濃厚な味わい」という鳥雑炊に、この地方の日本酒をプラスして注文する。日本酒を飲むのは僕。帰りの運転はシャルがしてくれるというから、それに甘えることにしている。旅先で変に気遣いすることなく、しかもこんな美人とゆったり食事と酒を味わうなんて、物凄いギャップだな…。