謎町紀行 第91章

救出の副産物で判明する謎、捜査の停滞と権力の腐敗

written by Moonstone

 2日後の朝、食堂で朝ご飯を取って部屋に戻ると、シャルがTVの電源を入れる。状況報告なら朝ご飯と同時にするのが通例なのに。ニュース?

「昨日、サカホコ町で男女5名が消息を絶ちました。地元集落に逃げ込み救助された1名が、蝙蝠のような奇妙な生き物に襲撃されたと話しており、警察などが捜索しています。」
「ヒロキさんの元同僚のグループです。」
「!どうしてあんなところに?!」

 予想外の事態だ。兎も角、ニュースを見て状況を知ることが肝要だ。

「昨日午後9時頃、サカホコ町キンケ集落の住民から、『怪我をした若い女性が駆け込んできた』と119番通報がありました。警察と消防が駆け付けたところ、S県オカハマ市の会社員(28歳)が保護されており、病院に収容されましたが、軽傷だということです。警察によりますと、会社員が勤務先の同僚5名と共に岩殿神社に向かっていたところ、蝙蝠のような奇妙な生き物に襲撃され、暗闇で逃げ回っていたら方向感覚を失い、山の斜面を転げ落ちたということです。警察などが現場周辺を捜索していますが同僚5名は今も見つかっておらず、安否が気遣われています。」
「昨夜警察無線を傍受していたら、この第一報が入ってきました。人数構成がヒロキさんの元同僚のグループと同じだったので、もしやと思ったら案の定です。」
「あの辺り、夜は殆ど真っ暗だったのに。」
「肝試しのようです。あのグループ、特に男連中がヒロキさんの現状に強いショックを受けていましたから、肝試しで良いところを見せて起死回生を狙ったんでしょう。」

 馬鹿げている。照明のない夜は墨汁で塗り潰したような漆黒の世界だ。簡単に方向感覚がなくなるし、足元もおぼつかない。アスファルトより剥き出しの木や岩の方がはるかに多い環境下だと、予想外の大怪我に繋がりかねない。岩殿神社で救難信号を出していた2人もそうだ。
 あの2人は、1人が骨折したことで避難した先の岩殿神社に留まっていたことが、逆に僕とシャルの発見と救助に繋がった。遭難したら下手に動き回るより、一か所に留まって救難信号を出すなりした方が、体力の消耗や救助がし難い場所に迷い込むリスクが減らせる。早期発見が重要なのは病気も遭難も同じだ。
 救助された1人は、たまたま転げ落ちた先が集落の近くだったんだろう。それはあくまで運が良かっただけ。本来なら全員行方不明になってもおかしくないところだ。目印もなく、方角も分からない場所で迷ったら、備えをしていても限られた時間しか稼げない。肝試しのような無防備な状態なら、1日2日で生命の危機に陥る恐れもある。

「シャル。5人の居場所は分かる?」
「同時期に調査していたエリアが全く違うところだったので、足取りが掴めません。急遽航空部隊を増派しましたが、まだ発見には至っていません。」
「まずいな…。」

 あの辺りは、山と森の中に集落があるという状況だ。しかも面積は、超音速で飛行できる戦闘機や広範囲のレーダーを持つ早期警戒機を統率できるシャルでも時間がかかるほど。地形はかなり険しいし、道も山肌を這うような形。自力での脱出はまず不可能だ。
 今は冬。しかも雪も降るくらいの冷え込みだ。昨日の夜から迷い込んでいるとなると、体力的にも限界が近いと見た方が良い。この旅に出るために切り捨てた関係だけど、邪悪の度合いは生命の危機に瀕しているところを見捨てるほどじゃない。助けてあげたいけど…。

「警察無線の傍受の結果、グループの現地への侵入ルートはおおよそ判明しています。それと、人間の移動能力と当時の気候、現地の地形から移動先をシミュレーションした結果を基に、現地の捜索と周辺エリアの確保を進めています。」
「ピーキングアイが迎撃して来ない?」
「これまでの調査で、ピーキングアイは一般的な人型のサイズがないと人間と識別できないことが判明しています。そこを突いて周辺エリアのピーキングアイを捕縛し、ログを解析してグループの追跡の情報に加えています。」
「他のピーキングアイとの兼ね合いは大丈夫?」
「通信の傍受・解析が完了したので、そののフォーマットとデータを使用して、捕縛したピーキングアイの代わりに地上部隊が通信しています。」
「それならシャルや警察の捜索への妨害や危険は低いね。警察はピーキングアイの攻撃なんて考えもしてないだろうから、一時的にこちらの優先度を上げて対処して。」
「分かりました。」

 難しさと切迫性が同時に存在する、非常に厄介な状況だ。航空部隊の機動性と地上部隊の柔軟性を併せ持つシャルが頼りだ。ヒヒイロカネ捜索と回収という本題を一時的に棚上げすることになるけど、正直良い思い出はない元同僚グループだけど、やっぱり見殺しにはできない。

「ヒロキさんと私は、現地に向かいますか?」
「否、行かない方が良い。僕とシャルが救出したと知ったら、余計に執着すると思うから。」
「それだと、ヒロキさんに助けられたことが連中に伝わりません。」
「伝わらなくて良いよ。伝わったところで、感謝するとは思えない。」

 見捨てられないからシャルに優先順位を切り替えてもらってまで救出に動いているけど、それで恩を売ったり、ましてや和解したりするつもりはない。ヒヒイロカネに関与していない、偶々遭難の事実に遭遇したから救出するだけ。前の2人と同じだ。それ以上でもそれ以下でもない。
 そもそも、今回のグループの遭難は、まだ推測の段階だけど、会社を辞めて独りで彷徨っていると思っていた僕が美人の奥さんを連れて優雅に旅行中という事実を妬んで、グループの女に良いところを見せようと画策した結果。僕が助けたと知ったら恩に思うより恩を売るのかと思うだけだ。必要以上に関わらない方が良い。

「グループを発見したら、安全なところに誘導して、近くの警察や救急に連絡して。」
「分かりました。」

 相当冷えたであろう一夜を屋外で過ごした上に、飲み食いもほぼしていないだろうから、かなり危険な状況と考えた方が良い。シャルに早く発見されてほしい。

「!1名発見しました。男性です。衰弱が激しく、自力で動けない状況です。」
「近くに警察や救急は居る?」
「半径500mにはいますが、地形が険しく、現地到着までに1時間以上かかる計算です。」
「まず地上部隊を投下して、安全と保温を。栄養剤の投与は出来る?」
「輸送機を派遣しました。現地に間もなく到着します。」
「衰弱してるなら自分で服用は出来ないだろうね。注射で投与して。そのうえで、近くの警察や救急に、無線を偽装して救助に向かわせて。」
「分かりました。」

 まず1人見つかった。予想どおりかなり衰弱が激しい。体力面で総合的に女性より高い男性でも自力で動けない状態だから、他の4人もかなり危険な状況だろう。TV画面に、シャルが発見した1人が映し出される。雪の中に横向きに倒れている。この気候で屋外だから、衰弱が激しいのは当然だろう。間に合ってほしい…。
 昼までに5人全員がシャルによって発見され、警察や救急に救助された。最後の男1人女1人はかなりギリギリで、今日中の発見と保温と栄養剤投与がなかったら、まず助からなかったとシャルが言ったほどだ。5人全員がサカホコ町立病院に搬送され、全員当面入院なのは勿論、最後に発見・救出された2人は意識不明。低体温症や凍傷もあるし、兎に角衰弱が激しく、当面予断を許さないらしい。
 ひとまず遭難していた5人全員が無事だったことで、胸を撫で下ろす。困難な条件の中、発見と応急処置、警察と救急への通知と奔走してくれたシャルに感謝だ。同時に、思わぬ発見があった。シャルをもってしてもなかなか見つからなかったジャミング施設だ。

「まさかこのような形で存在しているとは思いませんでした。怪我の功名と言うのか不幸中の幸いと言うのか。」
「巧妙だね。これは予想できないよ。」

 ジャミング施設は、森の木に偽装していた。塔のように直立しているというのは予想どおり。だけど、木そのものに偽装しているとは予想しなかった。しかも、木の表皮や枝は本物で、内部を侵食して同化する形だった。これじゃ透かして見るとかしないと分からない。
 ジャミング施設を発見できたのは、本当に偶然だった。3人目を発見した時、怪我が酷かったことで、シャルがレントゲン写真を撮った。その時、根本付近が写り込んだ木の中に、明らかに人造物が含まれているものがあった。応急処置をしながらその木を解析したら、木に偽装したジャミング施設だったというわけだ。
 地形が複雑だからレーダーの電波の反射が複雑で、ジャミング施設の位置が特定しづらい。その上、木に偽装していれば本物の木と区別できない。シャルが捜索を続けても発見できないわけだ。5人の救助が確認できたところで、シャルはX線による撮影でジャミング施設を特定して破壊した。
 全域で25ヵ所にも及ぶジャミング施設を破壊したことで、岩殿神社~逆鉾山のエリアの全貌が明らかになった。岩殿神社の拝殿の背後にある地下通路は、複数の神社の拝殿の背後や地下に、そして逆鉾山頂上の石室に通じている。逆鉾山一帯が、巨大な地下通路で結ばれているわけだ。
 そしてピーキングアイは、これら地下通路の出入り口を隠蔽している神社周辺に配備されている。しかも、配備エリアごとに性格というか傾向があって、それは警備する神社の、逆鉾山頂上の石室から近い位置にあるほど攻撃性が強いようだ。前の2人や今回の元同僚のグループが変な光線で足元を崩されたりしたのは、その結果らしい。
 岩殿神社周辺のピーキングアイが最も攻撃性が強いのは、岩殿神社と逆鉾山頂上の石室を繋ぐ地下通路の距離が最も短いためだと思われる。最短距離で逆鉾山頂上の石室に辿り着けるから、重点的に警備すると共に、近づく者を排除するように制御されているらしい。
 一方で、近隣の住民や普通の参拝者が攻撃されたという記録は、シャルが地元新聞を可能な限り調べても見つからなかった。そこから考えられることは、近隣住民なら周辺の民家で生活していることを記録していて、普通の参拝者は一定の参拝手順を踏まえて、そこそこの時間で退出するなど行動パターンを把握していて、そこから極端な逸脱をしているかどうかで識別しているということだ。

「ピーキングアイは、一度プログラミングされた行動原理に従って行動するのが基本ですが、それに必要な環境や行動パターンを学習できます。この前の2人やヒロキさんの元同僚のグループは、岩殿神社の境内から明らかに外れたところに居たことで、岩殿神社の拝殿背後の地下通路を狙っていると判断されたと考えらえます。」
「それは理解できるよ。一方で、この前の2人は岩殿神社の拝殿に避難して滞在していたのに、ピーキングアイが排除や攻撃に出なかったよね。」
「ピーキングアイは、所定の範囲以外に出ることはありません。あくまでも警備迎撃用ですから、行動範囲から出れば何もしません。また、ピーキングアイはその性質上、それほど攻撃力はありません。直接殺傷するより足元を崩したりする、一見警備マシンらしからぬ行動に出たと考えられます。」
「足元を崩して落下させれば、行動力を低下させられる確率が高いのは事実だね。実際、この前の2人のうち1人は足を骨折して事実上行動不能になっていたし。」

 警備マシンと言うから侵入者を徹底的に排除すると思ったけど、行動範囲から出ることなく、直接攻撃より間接攻撃を主体とする。省エネルギーというか、無駄な行動をしないようになっているんだろう。追撃すれば罠にはめられて逆に損害を出すリスクもあるし、追跡や攻撃に使用するエネルギー消耗もある。合理的な行動原理を基準としている、と言える。
 ジャミング施設が破壊されたことで、地下通路の全貌が明らかになった。とはいえ、ヒヒイロカネの回収は先送りするしかない状況なのは変わらない。地形と天候が二重の高い壁となって立ち塞がっている。容易に立ち入れない場所を冬山の厳しい気候が覆う。SMSAでも現地作業は厳しいと言わざるを得ない。
 頂上に置いてあるとしても回収が困難なのに、頑強な石造りの地下室に安置されている。重機を持ち込まないと回収以前の問題だ。この一帯は国定公園でもあるから、回収した結果として破壊したままには出来ない。重機なんてない時代にどうやってこんな大掛かりな建造物を造ったのか、造れたのか。

「SMSAに逆鉾山周辺の地形や構造物のデータを送って検証させたところ、重機を持ち込む必要があること、地形の関係で重機の搬入が困難で、工期は1か月ほどかかると回答がありました。」
「…逆鉾山頂上のヒヒイロカネの回収は先送りするしかないね。」
「はい。残念ですが、最低でも登山が可能になる4月以降まで先送りするのが賢明です。」
「逆鉾山周辺の動向は引き続き監視しつつ、ハルイチ市の方を優先しよう。そっちの状況は?」
「まだ贋作の分析を続けています。分析結果が衝撃的で、学長などが受け入れられなくて、再度詳細な検証を行うよう命じています。」
「こっちは何とも間抜けな状況と言うか…。」

 一刻を争う状況をようやく脱したばかりの此処サカホコ町の状況に対して、ハルイチ市の方は何だかほのぼのしているように思う。泰水寺から盗み出した地蔵の御杖。最新鋭の分析機器で解析しているけど、結果は表面が錆びた鉄でしかない。シャルが創った鉄製の贋作だから、100万回解析しても錆びた鉄でしかない。
 海を隔てた向かい側の本部から理事長と学長が出向いてきている。しかも両者足元に火が付いた状況で。ヒヒイロカネを回収して起死回生を目論んでいるんだろうけど、目論見と全く違う分析結果が出て愕然としているだろう。このまま手ぶらで帰れないだろうし、何よりグループ企業総帥である元財務相へのメンツが丸潰れだ。

「E県の警察は動いてる?」
「住職が弁護士特約を使って弁護士を伴って被害届を提出して受理されましたが、現場検証と住職への事情聴取以外、捜査らしい捜査は行われていません。」
「やっぱり、E県の県警がナカモト科学大学と癒着してるみたいだね。」
「そのようです。今のところ、覚書などは見つかっていませんが、被害届を受理した上でのこの怠慢ぶりは、裏で癒着していると見て良いでしょう。」
「腐ってるね。」

 腐ってる。その一言に尽きる。弁護士を伴っての被害届提出でもこの体たらくだと、弁護士を伴ってなかったら門前払いだっただろう。警察は特定企業や団体の国営警備会社かというSNSでの批判があながち間違ってないことを露呈している。長くチンピラ2人に脅され、今回ついに天鵬上人ゆかりの宝物を奪われた住職が気の毒でならない。

「理事長や学長がヒヒイロカネと地蔵の御杖の関連を知ったのは、多分元財務相から話を聞いたからだろうけど、ヒヒイロカネを奪って何をするつもりなのかな?」
「元財務相が核兵器開発と保有を目指していたことなどから、兵器関連への転用でしょう。愚かな権力者が科学技術の成果を使うのは、自分の権力を維持強化するため。その1つが兵器開発です。強権と軍事は密接な関係があります。」

 その線が一番確率が高い。むしろ、それ以外考えていないと見ることすら出来る。ナチウラ市とヒョウシ市に跨ったあの事件は、まさに元財務相の野望が凝縮されたものだった。結局野望は頓挫して、後援会の解散という事実上の次回選挙での落選に至ったけど、それで大人しく隠居や収監に応じるような人物じゃない。起死回生の機会を窺っていると考えた方が間違いがない。
 起死回生の策で考えられるのは、やっぱり兵器開発。核兵器は抑止力と言いつつ相互に牽制して使う機会がないし、万一使った時の損害が大きすぎる。今は無人兵器や遠隔操作にシフトしているけど、日本はその辺の規制も強いからなかなか進まない。「右の中の右」と言われる元財務相としては、窮屈でならないだろう。
 これまでにない兵器を開発すれば、一気に形勢逆転が可能だ。軍需産業が肥大化するのは、言い値で国家予算から確実に資金を得られる、しかもいざ戦争となれば際限なく資金を得られるからだ。実際、日本の三菱重工や富士重工業、海外のGEやボーイング、ロッキードなどは戦争を利用して規模を拡大した。
 地元のグループ企業がガタガタになった元財務相は、地盤回復のために巨額の資金が必要だ。しかも、ヒョウシ市の負の遺産という評価が定着したヒョウシ理工科大学の無条件完全撤去を求めた裁判を起こされている。判決次第では巨額の負債が圧し掛かる。巨額資金を手っ取り早く確実に手にするには、兵器開発を躊躇する理由はない。

「時期は、僕とシャルがナチウラ市とヒョウシ市で捜索した時より前だろうけど、グループ企業、しかも実弟と実子という立場を使って、このエリアにもヒヒイロカネがないか探させていた。そして泰水寺の地蔵の御杖がヒヒイロカネの可能性があると判明して、チンピラを使って略奪を目論んだ。-こんなところかな。」
「その推論で間違いないと思います。そこからも、元財務相がグループ企業を挙げてヒヒイロカネを探して、兵器開発で大きくリードすると共に、大学に偽装してヒョウシ市に設けた核兵器発射施設でこの国の軍事的優位性の獲得、ひいては自分の地位の強化を狙ったんでしょう。」
「腐ってるし、狂ってる。」
「もっともヒョウシ市での悪事が露呈したことで、その目論見はかなり狂いました。巻き返しを図ると共に、当初の目論見どおりに将来の軍事政権の頂点に君臨することを夢見ているんでしょう。その手の夢はあの世で見てもらいたいものですが、えてしてこの手の輩は長生きするのが不思議です。」
「寺の宝物を盗み出させてまで、権力が欲しいのか…。」

 言うまでもなく窃盗は犯罪だ。しかもナカモト科学大学側は、地蔵の御杖を盗み出させる前に、繰り返し住職に提供を迫っている。それがどの程度だったかすべては分からないけど、話を聞く限り明らかに脅迫だ。犯罪行為を積み重ねてついには略奪に至った。どう考えても正当化できる所業じゃない。
 そこまでして奪った寺の宝物が、よもや錆びた鉄だとは思わなかっただろう。分析結果が受け入れられないのも無理はない。だけど、何回分析しようが、どんなに高価な分析機器を使おうが、錆びた鉄は錆びた鉄でしかない。恐らく元財務相の勅命を受けている大学理事長や学長は、このままだととても元財務相に報告できない。
 冷静に考えれば、地蔵の御杖がヒヒイロカネじゃないと判明したらしたで、「地蔵の御杖はヒヒイロカネではなかった。他に可能性があるものを探す」と報告すれば良いこと。分析結果が錆びた鉄でしかないと出たならそれも添えれば、報告として十分体裁を成す。それが出来ないのは、失敗=メンツが潰れると考えているからだろう。

「ナカモト科学大学が、どうやって地蔵の御杖がヒヒイロカネであることを掴んだのかが気になるね。」
「はい。地蔵の御杖が泰水寺の境内に安置されたという経緯や時期を考えると、資料は文献くらいしかないでしょう。それらを精査してヒヒイロカネとの関連を見出せる能力がある人物は、ナカモト科学大学の教養部には存在しません。情報の出どころはナカモト科学大学とは別と見ています。」
「その情報の出所も気になるけど、シャルが発見した三付貴神社のご神体に刻まれた、謎の模様も気になるね。場所が場所だから、地蔵の御杖とも関連がありそうな気がする。」
「その可能性はあります。今のところ、ご神体に刻まれた模様は文字である確率が高くなっています。」
「文字?」
「はい。配列に一定の規則性があることから、この世界の言語の配列を適用したところ、類似する傾向がある言語が見つかりました。」

 ご神体に刻まれた謎の模様が文字の確率が高いというのは驚きだ。模様は後でシャルに映像を見せてもらったけど、日本語や中国語とは明らかに異なる形状だった。少なくとも漢字や仮名文字ではない。全く違う文化の言語だとすると、それだけでも考古学や文化人類学では大発見だ。
 日本は古事記や日本書紀が成立した奈良時代より前の文書が残っていないことで、有名な魏志倭人伝など近隣国の-実質は中国-文献と遺跡が頼りだ。そんなこともあってか、日本人の祖先が何処から来たか、日本語がどうやって成立したか、未だに定説がない。特に日本語の成立はかなり不可思議だという。
 もし、今の日本語と全く異なる言語がかつて日本にあった、あるいは日本語のルーツの1つの言語があったとなれば、一大センセーションは確実だろう。日本では歴史や文化人類学、考古学がイデオロギーに蹂躙されていて、分析など科学的調査に基づく客観的かつ科学的な検討は碌になされていない。そんな分野に「日本にはまったく別の文化圏や言語があった」となれば、強烈なインパクトだ。

「現在には存在しない言語あるいは表記が現代とは大きく異なるようで、解析にはもう暫く時間を要します。」
「解読不能な言語の解析なんて、この世界だと何年かかるか分からないくらいだから、時間がかかるのは構わないよ。文字の確率が高いっていう現状が分かっただけでも大きい。」
「当座で注視すべき対象は、やはりナカモト科学大学、特にハルイチキャンパスですね。」
「うん。理事長と学長が出向いてくるくらいだから、何としてもヒヒイロカネを見つけて元財務相のところに持っていくつもりなんだろうね。その点でも、先に回収したのは正解だったと思う。」

 まさか境内に侵入して掘り返してまで持ち出すとは思わなかったけど、これまである意味セオリーとなっていた、「敵や障害を排除してから回収」じゃなくて、先に回収を選択したことが奏功した。事実上のセオリーを踏まえていたら、まんまと奪われて面倒なことになっていただろう。
 シャル渾身の贋作を何度分析しても、錆びた鉄以外の結論は出ない。流石に分析の担当者も「繰り返し分析した結果、錆びた鉄でしかない」と言うしかないだろう。そこで理事長や学長、そして指示命令を出した医学部長兼付属病院長がどう出るか。考えられる次の手は…。

「やっぱり…泰水寺を狙うかな。」
「私も同じ見解です。」

 地蔵の御杖を泰水寺の住職が贋作と入れ替えて隠した、と解釈して、泰水寺に侵入あるいは襲撃すると見るのが、情けないけど一番高確率だろう。SMSAが偽装した警備会社と弁護士直結とは言え、すぐさま迎撃したり、警察を動かしたりできない。何しろ弁護士同伴で提出・受理された被害届も棚ざらし状態だ。警察がまともに対応するとは思えない。
 泰水寺に侵入あるいは襲撃した時点で警察を動かして一網打尽にするのが、後々のダメージも含めて一番効率的だ。でも、警察があの体たらくだし、転び公妨で逮捕者を作り出す癖に肝心な時は民事不介入や「関係者同士で示談」を持ち出したり、最悪被害届も棚ざらしにする。現場の判断と言うより現場の匙加減で犯罪にするかどうか決めている。警察は当てにしない方が賢明だ。

「警察が当てにできないとなると、あらかじめ待ち構えておくか…。それだと、こっちが怪しまれるか。」
「かなり危険ですね。E県県警にA県県警からの情報が届いていて、ヒロキさんと私をマークしている確率があります。」
「僕とシャルが直接対峙するのはどう考えても危険だね。そうなると…、こういう手段はどうかな?」

 僕は思いついた策をシャルに話す。シャルは何度か頷く。納得してくれたようだ。

「非常に効率的で、ヒロキさんと私にとっても面倒ごとから距離を取れる妙案だと思います。」
「決まりだね。シャルはSNSを中心に情報工作を頼むね。」
「分かりました。」

 ハルイチキャンパスの方は、そのうち動きがあるだろう。その時まで待つしかない。ハルイチ市に移動した方が良いのかな。サカホコ町自体は時間の流れがゆったりした、シャルが好きな温泉も潤沢な長閑な町だけど、何故か病院に担ぎ込まれる患者との繋がりが多い。岩殿神社に避難していた2人もそうだし、元同僚グループもそうだ。
 あの2人は1人が軽傷だったし、右足骨折で入院中のもう1人の転院手続きを取って、送迎もするという-SMSで経緯を聞いた-。こっちは心配いらない。元同僚グループは、見栄の張り合いで盛大に自爆したから、回復したらドロドロの争いが始まるだろう。会社を辞めてそれこそ無関係になったんだから、関わり合いになりたくない。

「分析の様子を含め、ハルイチキャンパス全域を諜報部隊が常時監視しています。分析の担当者の言動もつぶさに把握できますから、動きはすぐに察知できます。分析結果が出るまで2日ほどかかりますから、それまでは観光資源が豊富なこの町に滞在しましょう。」
「元同僚のグループが何か言ってこないかな?」
「言ってきても『知らないし関係ない』で押し通せば良いです。着物店以外での接触がないことは十分証明できますから、警察が来ても押し通せます。」
「それなら…良いかな。」

 元同僚グループの行動原理は、僕にマウントを取ること。偶然この町で僕と出くわして、僕が会社を辞めて独りで放浪していると思ったら、比類なき美人の奥さんと一緒に旅行中と分かって、何としても再び僕にマウントを取ろうと躍起になっている。それが失敗に終わったばかりか入院。更に躍起になるだろう。あの連中の性格とこれまでの行動からして。
 元同僚グループは曲がりなりにもそれなりの企業の正社員。一方僕は無職。肩書に弱い警察は、元同僚グループが岩殿神社周辺にお宝があると吹き込まれたとか主張したら、警察は元同僚グループの主張を信用するだろう。残念だけど、今までの経緯から警察は相手の立場で態度と行動を変える国営警備会社だとしか思えない。
 シャルが言うとおり、僕は彼らの行動は何も知らないし関係ない。それをしゃしゃり出てきた警察が額面通り受け取るかどうかは怪しいけど、事実は事実。徹底的に距離を取る以外ない。会社を辞めて無関係になったと思ったのに、妙なところで絡んでくるなぁ…。

「グループがヒロキさんを悪者にしようとしても、そうそう出来る状況じゃありませんよ。」
「どうして?」
「衰弱と低体温症、更には脱水症状に凍傷で、全員面会謝絶。警察も彼らの事情聴取の前に、彼らの旅館などに聞き込みをして、夜間に肝試しと称して出て行ったこと、旅館の人の制止を聞かなかったなどの証言を複数得ています。彼らがどうこう言う前に、ヒロキさんと私は無関係という状況証拠が固められています。」

 彼らが身動き取れない、あるいは身動きがしづらい状況なのはシャルから聞いていたけど、面会謝絶になるほど深刻なのか。警察も彼らが回復するまで呑気に待機なんてことはしていないらしい。そこまで心配する必要はないかもしれない。ただ、どうも過去の繋がりで何かあるんじゃないかという疑念が消せない。

「絡んできたり、間抜けな主張を真に受けたら、一生分の後悔を背負い続ける羽目になるだけです。」
「…あまり過激なことはしないでね。」

 直近だけでも、泰水寺の住職を脅しに来て運悪くシャルと対峙したチンピラの末路を思えば、ヒヒイロカネに支配されて深夜の行軍や夜通し空調のない冷え切った廊下に飲まず食わずで立たされたりと、その場で首を刎ねられなかったのが良いのか悪いのか分からない目に遭わされる。
 シャルにとって、人間は「僕とマスターとそれ以外と敵」くらいの識別しかしていない。僕やシャルに危害を加える相手は即座に敵と認識する。敵と認識した相手は、道具として酷使するか、情け容赦なく痛めつけるかの何れかの運命を辿る。それは相手が大企業の社員だろうが警察だろうが全く変わらない。シャルにとってそんな看板は飾りにもならない。
 シャルがその気になれば、人間を殺すことなんて蟻を踏み潰すようなものだ。元同僚グループが出鱈目な証言をしたり、それを鵜呑みにした警察が僕とシャルの身柄拘束に乗り出したら、待っているのは指を全部切り落とされるか、原形を留めないほど触手で滅多打ちにされるか。…関わってこないことを祈ろう。

「ハルイチキャンパスで動きがあるまで、此処を拠点に周辺を巡りましょう。」

 シャルはスマートフォンに地図を表示して見せる。サカホコ町から北に行くと、カメダ市がある。僕もうどんとカメダ城くらいは知っている。マーカーはカメダ城ともう1つ置かれている。もう1つは…コンビナート?

「E県に入るウツミ大橋を渡る時に見えたんです。かなり大規模な石油備蓄基地もあって、壮観らしいです。」
「そういえば工場らしいものが見えてたね。あれ、コンビナートだったんだ。」

 まさかこっちから早く結論を出せなんて言える筈もないし、それが通じる相手ならあれこれ策を講じる必要はない。待機時間はそれこそ全国、全世界を巡る旅の一環として、色々なところに行った方が良い。この旅に出なかったら、恐らく開放的な気分で物見遊山に興じることはなかっただろうし…。