謎町紀行 第89章

僻地の神社周辺の謎と伝承

written by Moonstone

 翌日。ぐっすり寝た筈なのに疲労感が残る中、広大な食堂で朝ご飯。旅館へ着くなりシャルが「今日のことは明日お話します」と言って、食事と入浴を済ませて布団へGO。「搾り取られる」という表現がぴったりだった。シャルの機嫌はすっかり良くなったようで、僕の向かいで旅館の朝ご飯に舌鼓を打っている。

『順に報告などします。まず1つ。救難信号を発見して2人を救助したことで、思わぬ発見がありました。』

 朝ご飯がひととおり済んで茶を啜っていると、シャルがダイレクト通話で話し始める。

『岩殿神社の本殿裏に、明らかに人造の出入り口があります。』
『!じゃあ、伝説はある程度本当だったってこと?』
『はい。何らかの出来事を神話に適用した結果と考えられます。』

 シャルは、スマートフォンに3Dの構成図を表示する。昨日偶然救助した2人がいた拝殿の奥にひっそり佇む本殿。その裏は崖だけど、2mを超える高さの出入り口が隠されている。岩が覆っているから、現状だと本殿を退けないと岩を除去できない。このことから、この出入り口を隠すために岩殿神社が建立されたとも考えられる。
 精密な調査は継続中だが、岩殿神社に隠された出入り口は、地下道に続いている。今のところ、すべて人造物であることは間違いない。使用されているのは岩石で、いずれも長さ約1m、幅と高さ約0.5mの岩が使用されている。切り口の精度や組み合わせの精巧さから、高度な技術が使用されていると見られる。

『そういえば、逆鉾山に隠されたヒヒイロカネも石室にあったよね。もしかして、そこに繋がってる?』
『その確率は十分あります。岩盤が厚くてスキャンが難しく、解析には時間を要しますが、地下道の形成状況を把握する意義は大きいと思います。』
『厄介だけど、逆鉾山の頂上に直接行くのは不可能に近いから、解析を続けて。他に分かったことは?』
『2つ目は、岩殿神社からの地下道解析を困難にしている要因でもあります。私が創られた世界にある警備マシンが岩殿神社周辺を徘徊しています。』
『!確か、昨日助けた1人が奇妙なものと出くわしたって言ってたね。』
『それが警備マシン-正式名称ピーキングアイです。』

 目撃談で語られた形状で、シャルはもしやと思って偵察機を周辺に展開した。結果、岩殿神社を中心として半径1km圏内に、ピーキングアイが潜伏していることが分かった。ピーキングアイはシャルが創られた世界で、重要地点の警備と不審者の排除を行う機械生命体。ヒヒイロカネで出来てはいないが、水と空気があれば自分自身をメンテナンスしながら活動し続ける。
 問題なのは、ピーキングアイがこの世界に存在することだ。ピーキングアイは、製造時に転送するプログラム次第で延々と殺戮を続ける殺人兵器にもなるから、製造はヒヒイロカネと同じく特別な施設でしか出来ない。この世界に逃げ込んだ手配犯がヒヒイロカネと共にピーキングアイの製造情報を持ち込んだとしても、現代でも技術水準が違いすぎて製造できるとは考えられない。

『本来居る筈のないものが居るってことか…。岩殿神社周辺に潜伏しているピーキングアイの目的は分かる?』
『捕縛してプログラムを解析しないと分かりませんが、昨日の目撃談と、遭遇地点と思しき場所から、岩殿神社周辺を何らかの目的で警備していると見られます。』
『岩殿神社の本殿奥に隠し扉があるから、そこに近づこうとする人を排除しようとしていることも考えられるね。でも、それだと周辺の集落の住民にも目撃談や被害が出ているか…。調査した方が良いかな。』
『はい。3つ目の報告事項との関係で、割と時間の余裕が出来そうです。3つ目はハルイチ市の動向です。昨日、ナカモト科学大学ハルイチキャンパスに、医学部長兼付属病院長と、本部の理事長と学長が集結して、手下が盗み出したヒヒイロカネの披露に続いて調査分析に乗り出しました。』

 ナカモト科学大学はヒヒイロカネを狙っていることが確定した。しかも理事長と学長まで乗り込んできた。グループ企業総帥である元財務相の足元が崩壊寸前で、その影響で理事長と学長も足元が揺らいでいる中で、かなりの距離があるハルイチキャンパスまで直接出向いたのは、並々ならぬ意気込みの表れだろう。

『分析には、予想どおりアイソトープ研究センターも使われます。医学部所有の分析機器を総動員して解析にあたるようです。』
『それだけ意気込んでも…。』
『はい。手下のチンピラが盗み出したのは、私渾身の贋作。何度分析しようとも、鉄と酸素以外は多少の水素炭素が出る程度でしょう。それに対してどんな見解を出すか見ものです。』

 今回はこれまでの手順をあえて覆して、先に回収した。そしてシャルが製作した鉄製の贋作を置いた。寺の宝物としては何1つ損害を与えず、それを盗み出したナカモト科学大学は、法律を踏み破って錆びた鉄を分析する羽目になる。勿論、徒労だけでは終わらない。
 贋作だと知っているのは、この世界にいる者では僕とシャルだけ。贋作とは言え、深夜に境内に侵入して、掘り起こしてまで盗み出した一部始終は、警備会社に偽装したSMSAがばっちり記録している。しかも警備会社が手配した弁護士を伴って被害届を提出した。映像という証拠を携えた弁護士が被害届を提出すると、警察は受理するしかない。
 被害届は地元のハルイチ市の警察署に提出した。E県県警本部への提出の方が良いかと思ったけど、E県県警本部がナカモト科学大学と通じている確率が生じたことから、ナカモト科学大学に不満を抱える地元警察署を選んだ。こちらもE県県警本部から圧力がかかっている確率があるけど、それなら社会的圧力を加えて警察を動かすだけだ。
 ハルイチ市警察署は、不法侵入と窃盗の疑いで捜査を進め、泰水寺の現場検証にも入っている。それも昨日の話。念願のヒヒイロカネを手に入れたと思ったら、錆びた鉄の贋作をひたすら分析し続け、容疑が固まり次第、警察が逮捕状や捜査令状を片手に乗り込んでくる。ナカモト科学大学の破滅は不可避だろう。

『ナカモト科学大学には、理事長と学長が待機しています。名目上はキャンパスの視察なので、昼間は医学部長兼付属病院長がキャンパスを案内しています。夜は言うまでもないでしょう。』
『大体分かるよ。』
『贋作の分析には1週間ほど要するとしています。何度どのように分析しようが鉄と酸素が殆どですから、結果をまとめて報告するのを躊躇するでしょう。その間、ヒロキさんと私は岩殿神社周辺を調査したいと思います。』
『それは勿論良いけど、何を調査するの?』
『昨日の証言の中で、トランシーバーの電波が雑音だらけで全く通じなかったというものがありました。ピーキングアイの機能ではなく、地形的にもそこまで酷くなるとは考えられません。ジャミング施設などがある確率があります。』

 トランシーバーの電波は、アマチュア無線が示すように非常に遠くまで届く。現代はディジタル方式だから雑音にも強い。昨日の救助の時点で持ち物をスキャンしたところ、所持していたトランシーバーはディジタル方式だった。天候や地形の影響を受けるとはいえ、雑音だらけで通じないことはまず考えられない。
 ピーキングアイが潜伏・徘徊していることから、ジャミング施設が存在していても不思議じゃない。カマヤ市でもヒヒイロカネの捜索を妨害するようにジャミング施設があった。逆鉾山の頂上にヒヒイロカネが埋められ、岩殿神社本殿の背後に巨大な扉が隠されていることから、ヒヒイロカネ捜索を妨害する意図があることも十分あり得る。
 ジャミングは周辺一帯を網羅するほど強力ではないらしい。現に、シャルが飛ばしていた早期警戒機が、上空から逆鉾山頂上地下に埋められたヒヒイロカネを検出できた。どちらかと言うと、陸路でヒヒイロカネを捜索する際の連絡やスペクトル検出を妨害する目的ではないかと考えられる。

『ジャミング施設を破壊あるいは無力化することで、逆鉾山周辺の地下構造の詳細や、他のヒヒイロカネが発見できるかもしれません。』
『調査自体は反対どころかするべきだと思うけど、直接捜索するのは難しそうだね。道路が貧弱だからシャル本体の行動に制限が出るし、航空部隊でも厳しいところがある。』

 昨日の逆鉾山周辺の捜索や救助でも、道路はあっても幅員の狭さと蛇行の多さで、決して利便性が高いとは言えない。しかも昨日からの雪で積雪もあるだろうから、いくらシャルのリアルタイム制御が強力でも、物理現象であるスリップや通行止めには対応が難しい。下手に入り込むと立ち往生する恐れがある。
 シャルの航空部隊という手もあるけど、今回は地形の複雑さがある。車とは比較にならない速度で飛ぶと、地形への衝突のリスクがある。だけど、ジャミングがあるくらいだから、レーダー警戒網があっても不思議じゃない。あまり低速で飛行したり、レーダー警戒網に引っかかると、迎撃される危険がある。
 昨日の証言で、ピーキングアイが謎の光線を発射してきたというものがあった。光線は文字どおり光の速度で飛んでくるから、発射に気づいてからだと手遅れだ。地面を崩して昨日の2人を崩落に巻き込んだというから、光線は明らかに攻撃的な能力を持つ。それがシャルの航空部隊に向けられない保証はない。

『レーダー警戒網がある確率は十分ありますが、それらは破壊します。』
『破壊することで、迎撃システムとかが起動する危険もあるよ。』
『航空部隊には、超音速爆撃機の他、電子戦機を投入します。』
『爆撃機に電子戦機、か。回避するより出てきたら叩くくらいの方が良さそうだね。』

 シャルの航空部隊に損害が出ない方法を考えていたけど、損害が出ないように隠れながら調査するより、妨害されたら排除して、攻撃されたら反撃するのが、逆に損害を減らせる場合がある。市街地じゃないから、爆撃の民家への影響は殆ど避けられるという思わぬ利点もある。
 シャルの航空部隊を主力として岩殿神社周辺を調査すること自体は、何ら異論はない。懸念しているのは、シャルの航空部隊が撃墜されたり、予想以上の迎撃システムでシャル本体の居場所を察知されて攻撃が向かって来ることだ。そうなるとシャル本体に損害が出て、最悪の場合、以降の行動に支障が出る恐れがある。

『航空部隊は私の本体が稼働している限り無尽蔵に出せますし、撃墜されても微粒子に分解して本体に帰還させることで再度創造できます。この前の機能拡張で、航空部隊もより先鋭化できます。それに私本体は、核兵器の集中攻撃で表面が一時的に融解する程度のダメージしか受けません。』
『現地の行動範囲がかなり限られる以上、航空部隊で調査、場合によっては迎撃・制圧するのが一番だね。だけど、危ないと思ったら速やかに撤退して。』
『分かりました。』

 どうも逆鉾山をはじめとする山岳地帯全域が、巨大な人造物である可能性が浮上してきた。そしてそれはヒヒイロカネは勿論のこと、何か重要なものや情報を隠していることも考えられる。全域を調査して全体像を明らかにすることで、手配犯の行方、そして情報がごく限られているこの国の古代の歴史の正体が見えてくるかもしれない。
 航空部隊が現地に向かう一方、僕とシャルはサカホコ町の南に移動する。サカホコ町は人口に対してかなり広い面積を持っていて、その殆どが山間部。集落は僕とシャルが拠点としている旅館がある温泉街と、少し西に移動したところにある町役場があるところ以外は、小さい集落が国道か県道で何とか結ばれている格好だ。
 岩殿神社は、点在する集落から離れ、近隣の集落-と言っても直線距離で5kmは離れている-に繋がる蛇行した県道からも外れたところにある。地図で見ると何とか視認できる、ごく細い道しか通じていない。駐車場なんてある筈がなく、参拝者は徒歩でないと岩殿神社に近づけない。
 僕とシャルが向かうのは、昨日救助した2人が立ち寄ったというキンケ集落。山肌に張り付くように家が点在する、高齢化と過疎化が進む小さな集落。人口100人を切るこの集落は、ところどころ蛇行する県道416号線が近隣の集落に通じる唯一の交通機関だ。
 そんな小さな集落は、歴史マニア垂涎のスポットとも言われている。平家の落人伝説がまことしやかに囁かれているのと、昨日救助した2人が言っていたように、不可思議な伝説が残るからだ。それを受けてか、立派な資料館が出来て、駐車場も整備されている。スポットの1つ、岩殿神社へ参拝に行く人はこの駐車場を利用することが多い。

「平家の落人伝説、ですか。」
「平家の落人伝説は日本の彼方此方にあるんだ。此処にもあるとは知らなかったけど。」

 壇ノ浦の戦いで時の安徳天皇と共に壇ノ浦に没して滅亡したとされる平家は実は秘かに生き延びたという、平家の落人伝説。今もこの伝説が語り継がれているのは、この戦争で勝利した後の政権である鎌倉幕府の歴史書である吾妻鏡の、壇ノ浦の戦いの記述が簡潔すぎて、真相に疑問符が付くからだろう。数十年前の戦争でも記録がないことを口実にイデオロギーが入り乱れて風化していく一方なんだから、数百年前の戦争の真相を探るのは容易じゃない。
 平家に奉じられていた時の天皇、安徳天皇が三種の神器-天叢雲剣、八咫鏡、八尺瓊勾玉を持ち出していた。壇ノ浦の戦いで安徳天皇が入水した際に、三種の神器も壇ノ浦に沈んだ。八咫鏡と八尺瓊勾玉は回収されたが、天叢雲剣は海中に没したままだとされている。これが平家の落人伝説に繋がっていると見ることも出来る。
 平家の落人伝説と共に、壇ノ浦の戦いで入水したとされる安徳天皇も、実は秘かに生き延びたという伝説も彼方此方で見られる。天皇と言っても当時7歳のまだまだ幼児と言うべき幼子が天皇であったことと、母方の血統である平家と共に海に沈んだ悲劇が、実は生きていたと考えたくなるんだろう。
 平家の落人伝説と安徳天皇生存説は、壇ノ浦から近い地方が中心。サカホコ町に伝説があるのも頷ける。今でも容易に立ち入れない険しい地形は、隠れ住むにはうってつけだ。人工衛星もGPSもDNA鑑定もない時代、死んだと思わせて実は生き延びていたことを完全に否定するのは難しい。歴史の研究が文献解釈とイデオロギーの域を出ない限り、平家の落人伝説と安徳天皇生存説は消えることはないだろう。
 県道416号線を進んで行くと、キンケ集落が見えてくる。昨日の雪が彼方此方に残っている。資料館の駐車場は24時間出入りできて、長期間の占有を防ぐために駐車料金が設定されている。とはいえ、都会よりははるかに安いし、資料館や併設される直売所の利用で駐車料金が一定時間無料になる仕組みもある。
 駐車場は閑散としている。立派な資料館が何となく不気味に映る。肌に突き刺さる冷気を感じながら、僕とシャルは資料館に入る。此処で駐車券を出すと、2時間分無料になるようにサービス券が発行される。資料館を回りつつ、シャルの断続的な調査報告を受ける形で今回の作戦は進行する。

『主力の偵察機と戦闘機は低高度、早期警戒機と爆撃機は高高度を飛行しています。今のところ、ジャミングらしい電波などはありません。』
『休眠…するわけはないか。機械だし。ある程度近づかないと動き出さないとか。』
『一定の目的を持っている場合、その確率はありますね。地上部隊を数か所に投下して地上からも調査します。』

 地形が複雑だと、守る方は有利だ。どこに迎撃の武器やトラップを仕込んでいるか、余計に分かりづらくなる。レーダーは物体を投下しないから、物陰に隠されていると発見が遅れて、思わぬところから攻撃される恐れがある。誘導精度の良い地対空ミサイルや陸上イージスことイージスアショアもある。空から攻めれば安全とはならない。
 調査の目的はピーキングアイの殲滅じゃなくて、ピーキングアイが配備されている目的、そして配備した人物を探ること。もし天鵬上人の時代やそれ以前に持ち込まれたものだと、配備した人物は既にこの世にはいないだろう。ただピーキングアイだけが配備した人物の命令どおりに、延々と待機して不審者を迎撃する活動を続けているのかもしれない。

『この世界に逃げ込んだ手配犯が、ピーキングアイの製造技術を持ち込んだとしても、製造できるとは考えられません。』
『技術水準が全然違うからね。だけど、実際にピーキングアイが岩殿神社周辺に潜伏している。考えられるのは…神祖黎明会と同じ構図か。』

 O県の町の1つを牛耳っていた新興宗教団体、神祖黎明会は、教祖に扮した手配犯の1人がヒヒイロカネの一大製造拠点を持っていた。それらはシャルが制圧後、警察の捜索が及ぶ前にSMSAが爆破したけど、そういった施設が岩殿神社周辺に隠されていることも考えられる。
 その推測から浮上する目的は、逆鉾山の地下あるいは近隣にヒヒイロカネの一大製造拠点があって、ピーキングアイとその製造拠点は、そこに人が近づくのを警戒し、排除するためだということ。場所柄あまり人が来ない上に過疎化が進んでいることで、ピーキングアイの稼働機会が少ないだけと見ることも出来る。

『地上部隊の1つが、待機中のピーキングアイを発見しました。地上部隊には気づかないのか、近づいても稼働しません。』
『ある程度のサイズがないと人間と識別できないのかも。』
『そのようですね。捕縛可能ですがどうしますか?』
『素通りして全体像の把握を優先して。ピーキングアイが相互に通信をしていて、居なくなったと知ったら一斉に行動するかもしれない。』
『分かりました。』

 機械とは言え、シャルが創られた世界のものだから、通信が途絶えたとなると非常事態発生と見て、一斉に人間に攻撃を仕掛けるかもしれない。岩殿神社など配備した人物が重要地点としている場所に近づく者を排除するために造られたなら、非常事態発生時に近隣の集落を一斉攻撃するように仕込まれていても不思議じゃない。
 最寄りのキンケ集落は他の集落と直線距離で5kmくらい離れているけど、ピーキングアイは形状からして飛行できるらしいからお構いなし。しかも人格OSじゃないそうだし、損傷など度外視で目的の遂行-この場合は近隣集落の殲滅を実行することは十分あり得る。人口が少ないことが人的被害を出して良いことにはならない。

『昨日の調査結果どおり、ピーキングアイは岩殿神社周辺に配備されています。一部は徘徊していますが、半径100m以内に限定しています。』
『警備のためと見るのが妥当だね。レーダー警戒網やジャミング施設は分かる?』
『今のところ、どちらも未確認です。ただ、およそ100kHz帯から30GHz帯の非常に広い範囲でジャミングを検出しています。』
『昨日の2人がトランシーバーも通じなかったって言っていたことが裏付けられたね。かなり用意周到に感じる。』

 100kHzから30GHzの範囲だと、AM電波から無線LANまで網羅される。集落より森の方が面積が広く、人より木の方が多い環境で無線通信手段を妨害する理由が、現代では見えない。山奥での調査や援軍、救出を妨害するためだと考えるのが自然だ。しかも、あらゆる無線通信手段を妨害しようという強い意図を感じる。

『これだけ広範囲の周波数帯でジャミングがあると、近くの集落はTVとか使えないんじゃない?』
『そのとおりです。実際キンケ集落をはじめとする逆鉾山周辺の集落は、難視聴地域とされています。ですが、原因はジャミングではなく、地形によるものと判断されているようです。』
『まさかジャミングがあるなんて想像もしないだろうし、それよりも地形で電波が届かないと考えるよね。』
『そうだと思います。実際、地形上の問題で電波が届きにくいのは事実ですし、各集落にはケーブルTVが配備されています。結果として、ネット回線が市街地より充実するというある種の逆転現象が生じています。』

 コンビニどころかスーパーもない、地域の個人商店が萬(よろず)商店として健在な地域でも、ネット環境は都市部以上に潤沢なことがある。ケーブルTVというローカル企業によって、有線の広帯域通信のインフラが整備されるからだ。通信は無線より有線の方が安定するのは事実だし、映像を遜色なく送れる通信ケーブルならネット環境は潤沢になる。
 この地方の集落は、ヒヒイロカネを巡る策略や攻防を知らないまま、ひっそりと続いていくだろう。ヒヒイロカネを知らないままで済むなら、その方が良い。知ったところで、この世界では扱えないし、欲望や野望を集め、増幅することになる。その結果、その地に生きる人々の生活はおろか、時には生命さえも蹂躙される様は、彼方此方で見てきた。

『ピーキングアイは稼働してはいますが、やはり私の地上部隊を人間と認識できていないようです。ヒロキさんの推測どおり、ある程度のサイズの人型で人間と認識すると見て間違いなさそうです。』
『ミニチュアサイズなのが幸いした格好だね。航空部隊の方はどう?』
『こちらも迎撃の動きやその兆候は今のところありません。ジャミング自体は間違いなく存在していますし、このような状況でレーダー警戒網が存在しないことは考えられません。』
『ミニチュアサイズだから、昆虫か何かと識別されるか、そもそも検出できないかのどちらかかもしれない。調査と位置の特定は続行して。』
『分かりました。』

 現代を凌駕する技術水準で造られて、水と空気があれば延々と稼働できる夢のような兵器でも、ミニチュアサイズの軍隊は想定してなかったかもしれない。シャルが創り操る軍隊は、シャルだけに搭載された特別な機能だし、そんな機能を搭載した追撃者が来るとは思わなかったんだろう。技術の水準と人間の想像力は必ずしも比例しない。
 複雑な地形と広大な面積が相手だし、サイズが小さい分時間がかかる。新たな発見やこれまでにない動きがあるまで調査は司令塔であるシャルに任せて、資料館を見て回る。資料館は、この地方に伝わる平家の落人伝説と安徳天皇生存説について、関連する建物や遺構の写真、文献や伝説の文面などで説明している。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇は、地元の漁師の網にかかって救出され、同じく生き残った平家と共に陸路で現在のO県に移動し、そこから海を渡り、この地に落ち伸びたという。
 落ち伸びた安徳天皇は、残念ながら16歳で死去して葬られた。この地で8年足らずの年月を生きた場所が、岩殿神社から西にある大徳(たいとく)神社で、火葬されて納骨されたのが逆鉾山。安徳天皇は天叢雲剣と共に逆鉾山に葬られ、天逆鉾を墓標としてその地に安置した。それが今の大逆鉾神社となった。

『それなりに信憑性があるようにストーリーが組まれていますね。』
『実際のところは、各地にある平家の落人伝説の1つなのかな。』
『此処に出て来る大徳神社や天逆鉾神社で公開されている由緒と異なります。一説では、というレベルですね。』
『この平家の落人伝説や安徳天皇の生存説があることで、逆鉾山や関連する神社がある種の聖域になって、カモフラージュされている面はあるかもしれないね。天鵬上人こと手配犯の1人は意図しなかっただろうけど。』
『その線はあり得ますね。もともと人の手が及びにくい地理的条件に、この手の伝説が加われば、神秘性が増します。』

 資料館は、平家の落人伝説や安徳天皇生存説を材料に、この地域の活性化を見込んだものと見た方が良さそうだ。そう思うのも、僕とシャルが岩殿神社の本殿の後ろや、逆鉾山の地下の人造物の存在を知ったという、ある種イレギュラーな状況だからだろう。単純に歴史好きなら、伝説のある地域の共通項を探ったりする材料になり得る。
 資料館は程々で切り上げて、直売所へ向かう。白菜や長葱、春菊や大根など冬の野菜や、猪や鹿の肉など、都心だとレアな食材もかなりの安値で並んでいる。店の人に聞くと、逆鉾山に徒歩で登山する人達や、キャンプをする人達が買っていくという。この時期、鍋に適当に切った食材を入れれば食べられる鍋物は、栄養確保にも適している。猪や鹿の肉は、灰汁が出るけど鍋物の具材を豊かにするし、焼いて食べることも出来る。
 気になったから、旅館で料理に使ってもらうように猪や鹿の肉を買うと共に、この地域で登山やキャンプをする人が、妙な事故-猪や鹿に遭遇した以外の事故に遭ったと聞いたことはないか尋ねてみる。すると、思いがけない答えが返ってきた。

「何やら変な生き物に襲われたって人は時々居るねぇ。」
「変な生き物って、どんな生き物か聞いてますか?」
「何でも、翼の生えた丸っこい生き物で、でかい目玉を持ってて妙な言葉を喋ったとか言うとったのも居たなぁ。んでも、森の中やし、蝙蝠か何かを見間違えたんやろって思っとるよぉ。」

 ピーキングアイに遭遇したのは、昨日の2人だけじゃなかったことが確実になった。この地域は、逆鉾山の登山客も通過することがあるというし、放置しておくと昨日の2人のような被害が出る恐れがある。少なくともヒヒイロカネを狙う人でないなら、排除すべきはピーキングアイだ。

「森は意外と暗いですし、蝙蝠を見たことがない人もいますからね。森にはむやみに入らない方が良いですね。」
「あーあー、ホントにそのとおり。森に歩き慣れてない人が入ると、簡単に道に迷ってまう。」

 集落はあっても、森と山の面積からすればごく一部。登山道もあるにはあるけど、木が生い茂る森は昼でも暗いことがある。道幅もかなり制限があるからシャル本体の乗り入れは難しい。シャルの航空部隊と地上部隊の両輪でジャミング位置を特定して、林道に近いところに居るピーキングアイを排除するのが現実的だ。
 僕は、買った猪や鹿の肉の美味しい調理方法を聞いて、代金を払う。割と高額になったせいか、100円未満切り捨てにしてくれた。サカホコ町の旅館に渡して夕食に出してもらおう。置物とかはこの旅では使いどころがないけど、食品は保存が効くものは非常食にもなる。時に現地滞在になることもあるから、食品は良いものを入れておきたいところだ。

「ヒロキさんって、コミュニケーション能力が高いって言われたことないですか?」

 シャル本体に戻って買ったものをラゲッジルームに入れていると、シャルが尋ねて来る。

「否、むしろ低いって言われてたよ。」
「私が言うことじゃないとは思いますけど、ヒロキさんは前の環境から脱出して良かったですよ。間違いなく。」
「僕もそう思ってるよ。さて…、これからどうするか。」

 食材は保温も保冷も可能なシャル本体があるから問題ない。問題なのはジャミング施設の有無と、逆鉾山と岩殿神社に隠されたヒヒイロカネや地下の人造物。シャルの航空部隊でも全容の把握には時間がかかるようだし、その間のハルイチ市の動向も気になる。
 ナカモト科学大学には、夜間堂々と盗み出した証拠映像があるから、警察が近々家宅捜索や事情聴取に乗り出すだろう。だけど、それも確実とは言えない。E県県警とナカモト科学大学が癒着していて、情報のやり取りがなされている疑惑がある。ナカモト科学大学への捜索にE県県警本部が待ったをかけたら、捜査は事実上ストップする恐れが高い。
 逆鉾山の頂上に埋められているヒヒイロカネの回収も、これまでになく難しい。雪と標高、車で直接アクセスできない地理的条件が重なっている。雪解けまで待つか次の候補地に向かうかの選択も必要だろう。逆鉾山周辺に隠されているらしいジャミング施設を特定できるまで、待つしかないか。

「ジャミング施設はステルス仕様の確率があります。いくら地形が複雑で岩盤が厚くても、ジャミングの性質上、電波を出す鉄塔などが何処かにある筈です。ジャミングが強力だったり、広範囲だったりすれば猶更です。」
「でも、それらしいものがいまだに見つからないってことは、ジャミング施設がステルス機能を持ってるかも、か。その確率はあるね。」
「そのため、赤外線カメラの画像解析も開始しました。全容の把握にはさらに時間を要すると思います。」

 初めて聞く機能だ。シャルが言うには、戦闘機に搭載している赤外線カメラの画像を解析することで、レーダーでは識別が困難なもの-たとえば人間か人形かといったことが識別できる。ただ、一定以上の画像の解像度が必要で、そのためにはある程度接近して撮影する必要があるから、どうしても手間がかかる。
 立ち並ぶ木々が、ジャミングされているレーダーの機能がさらに低下させる。その上、複雑な地形が邪魔をする。しかも対象範囲が広い。画像解析の開始は賢明な判断だ。時間がかかるのはこの際必要経費と割り切るべきところ。そうなると…。

「旅館に戻ろう。」
「はい。」

 また雪がちらついてきた。露天風呂もある温泉旅館で寛ぎながら時を待つのが良い。なかなか贅沢な時間と言えるけど、なんだか落ち着かないのは性だろうか?