結局、高速道路と国道の走行時間を比べると、国道の方が少し長いという凄い結果が出た。しかも、シャル本体を止めた駐車場からは、リフトを使わないと徒歩で登山するしかない。そのリフトを使っても、リフト駅から山頂までは徒歩しか行けない。僕とシャルの服装がカジュアルで動きやすい方だと言っても、登山は無謀すぎる。しかも冬山の登山なんて、素人がするものじゃない。
コートとかで着込んできたのは正解だった。兎に角寒い。わずかに露出した肌に突き刺さる冷気が身体全体に染み渡る感じだ。かなり標高が高い山の中腹くらいまで来ているから当たり前だろうけど、装備がなかったら凍死も非現実的な話じゃない。これで登山なんて、装備を整えた人でも危険と隣り合わせ。僕とシャルだと自殺しに行くようなものだ。
「一定の整備はされていますが、完全に登山コースですね。」
「1回で全部完了するとは思ってないし、移動できる範囲で調査しよう。まずは…三付貴(みつき)神社か。」
『ご神体と思しき物体をスキャンしました。ヒヒイロカネのスペクトルは検出されません。』
『ありがとう。まず1つクリアか。』
『ヒヒイロカネそのものではありませんが、ご神体が異質なものなのは間違いありません。』
『どういうこと?』
『ご神体に不可思議な模様が確認できます。解析中ですが、何らかの暗号ではないかと見られます。』
『!』
まず、日本では石板はあまり馴染みがない。森林が豊富だったからか、家も立て札も大半は木製だ。石に刻印することはなくもないけど、どちらかというと墓石や記念碑と言った、割と大型のものが対象になる。石板という、人が持てるサイズは日本では殆ど見られない。それがご神体というのは、珍しさもあるとしてもかなり不可思議だ。
石板単体でもご神体としては不可思議だけど、壺と石板と杖という組み合わせが最も不可思議だ。それらが神事や神話に繋がる要素が殆どない。なのに、こんな山奥の、車という画期的な交通手段が使える現代でも行き来が困難な場所のこじんまりした神社にご神体として祀られている。神社の立地を考えると、より異質だ。
『これまでにない模様のパターンです。解析に時間を要します。』
『今すぐじゃなくても大丈夫だよ。天鵬上人との関係は…由緒からは分からないね。創建年代は不詳っていうのが凄いけど。』
『恐らく山岳信仰の名残でしょう。前にも説明したように、天鵬上人はむしろ、意図的に人々を逆鉾山から遠ざけようとした意図が伺えます。』
『確か、88ヵ所巡礼の札所から逆鉾山を見ることが出来るのは8ヵ所しかなくて、しかも方角の誤差は0.1度で、どんどん遠ざかるように配置されている。』
『はい。そこから見える筋書きは、逆鉾山には別の手配犯が潜り込んだヒヒイロカネが隠されていて、何らかの方法でそれを知ったあるいは感付いた天鵬上人こと手配犯は、自分が持つヒヒイロカネやそれに関係する重要な情報を逆鉾山に隠し、その逆鉾山に畏敬の念を示させつつも逆鉾山から遠ざけるように、88ヵ所巡礼の札所を配置したということです。』
手配犯の中には、桜蘭上人や天鵬上人より遠い過去に逃げ込んだ者もいただろう。SMSAの追跡から逃げることは出来た一方で、文明レベルがあまりにも違いすぎるデメリットもある。文明は1人で出来るものじゃない。それに、高度な文明の利器は様々な技術や知見が融合し、研鑽を繰り返すことで生まれる。スマートフォンにしたっていきなり今の形で出来たわけじゃない。
遠い過去は記録や情報が少ない。それは人口が今より少ないことでもある。人口が少なければ、日本でも未開の地が数多くあっただろう。遠い過去に逃げ込んだ手配犯は、持ち込んだ技術を駆使して人がいない、かつ後々分かりやすい場所に自分とヒヒイロカネを隠した。その場所が逆鉾山だ。
逆鉾山はこの地方で有数の高山で、天候が良ければ海を隔てたO県などからも見えるらしい。一方で、今でも「酷道」を通らないとまともに行き来できない交通の難所。自分の身や重要な物品、すなわちヒヒイロカネを隠すには最適だ。そして、文明の違いを利用して、逆鉾山を聖地に仕立て上げれば、容易に発掘などがされなくなる。三付貴神社はそうして創建された、山岳信仰にカモフラージュして逆鉾山を神聖なものとするためのものと考えられる。
そして、もう少し後代に逃げ込んだ手配犯は、逆鉾山の環境と周辺に存在する不可思議な神社や伝承から、逆鉾山にヒヒイロカネの存在を感じ取った。持ち込んだ技術を治水灌漑や建築を主体に転用することで人々の崇敬を集めると同時に、逆鉾山から人々を遠ざけ、更に後代に逃げ込んだであろう手配犯が感じ取れるように、精密な測量技術で88ヵ所巡礼の札所を作り上げ、特定の札所にはヒヒイロカネを配置した。その1つが泰水寺の地蔵の御杖だ。
『文明レベルの違いを信仰に結び付けて、聖域にすることで、発掘調査の手を遠ざけたわけか。十分考えられるね。』
『はい。これも以前話したと思いますが、ランドマークを寺社仏閣とすることで、寄進という形で継続的な収入、つまり建物の存続が容易になります。現に、言葉は悪いですがこんな僻地にある神社も、逆鉾山に登山する人々を中心に参拝されて、賽銭や寄進などで存続可能としています。』
長い時間に加えて、日本には四季というものがある。一時期は高温多湿、一時期は低温で場所によっては大雪が降るという、ものの長期保管には厳しい条件がある。更に、春から夏にかけては梅雨、夏の終わりから秋にかけては台風と、ものの長期保管を妨害する要素の中で特に厄介な湿度が常に付きまとう。そんな条件下で文明レベルを問わずに情報を長期保管する方法は限られる。
編み出された方法の1つが、寺社仏閣をランドマークとすること。寺社仏閣は信仰の対象として破壊を免れやすいし、寄進や賽銭で継続的な収入を得られる。そしてそこに仏像や経典などを置けば、宝物として一般に隠すより長期安定の保管が見込める。O県でも仏像の中にヒヒイロカネが隠されていたことが、この推論の正当性を証明している。
車も機械もなかった時代、土木建築や測量は驚くほど正確で精密だ。石や煉瓦より耐用年数が低い筈の木造建築が、何百年の時を経て今も複数が現存している。太平洋戦争での空襲による焼失がなかったら、今も数百年前の天守閣が日本各地に残っていた。建物が失われるのは耐用年数よりも戦災や地震、落雷や台風、火災の方が多い。
屋外で野晒しよりも、屋内であれば雨風を凌げるだけ劣化は遅らせることが出来る。しかも気象条件に合わせて湿度から建物を守る縁の下や、襖や障子といった取り外しが容易な扉によって、湿度が多い夏場は開放的にすることで湿度を抑える術もある。そこに寄進や賽銭による収入で改修や遷宮があることで、より長期安定の保管が可能になる。
『三付貴神社のご神体の解析は進めてもらうとして、逆鉾山の頂上付近を見ることは出来る?』
『やや雲がありますが、俯瞰するには支障ないレベルです。早期警戒機から観測映像を配信します。』
「これが…逆鉾山の山頂?」
「はい。今画面中央に見えているのが、ご神体の模様を解析中の三付貴神社の本宮、大逆鉾(おおさかほこ)神社。拝殿奥にあるのがご神体でもある逆鉾-正確には天逆鉾(あまのさかほこ)です。」
「山頂って感じじゃないね。なんて言うか…草原?」
「言われてみれば、そんなイメージですね。」
なのに、逆鉾山の頂上は、雪こそ積もっているけど景色は平原そのものだ。なだらかな傾斜の斜面は、これまでの道のりが嘘のように思える。HUDに映されている大逆鉾神社とご神体の天逆鉾は、雪の中で静かに佇んでいる。別の山や風景なんじゃないかとさえ思ってしまう。
「天逆鉾はヒヒイロカネか調べられる?」
「勿論です。調査します。…これはヒヒイロカネではありません…?」
「どうしたの?」
「天逆鉾の下、地中約10mほどのところに、巨大な石室があります。そこからヒヒイロカネのスペクトルが検出されます。」
「やっぱり。」
天鵬上人こともう1人の手配犯はこの事実を何らかの方法で知って、時代を経ても容易に近づけないよう、自身の逸話と結び付けた88ヵ所巡礼と札所を作り出した。その際、限られた札所からは逆鉾山を仰ぎ見ることで畏敬の念を持たせ、かつ次第に遠ざかり、更に逆鉾山に何かあることを暗示するため、正確な方位で8か所の札所を配置した。
「SMSAに来てもらわないと回収は厳しいね。冬山っていう環境は分が悪い。」
「そうですね。雲が厚くなってきました。気温からして降雪の確率が高いです。」
山頂に近いところまで行けるリフトは動いている様子がない。どうやら冬場は稼働していないようだ。僕とシャル以外人がいない理由はこのためか。此処から徒歩で上るには相当装備を整えていることが大前提だし、登山家でもない限り挑戦しようという人はいないだろう。
「場所が分かったから、本格的に雪が降る前に撤収しよう。いくらシャルやSMSAでも冬山登山は厳しいし危険だよ。」
「やむを得ませんね。撤収します。」
蛇行する坂を下っていくと、雪が本格的に降ってきた。しかも牡丹雪。視界は最悪だ。シャルのHUDと高精度リアルタイム制御という強力なサポートがなかったら、崖にぶつかるか谷底に真っ逆さまだ。それでも慎重に運転しないと何が起こるか分からない。人がいないだけましではある。
「凄い天気になったね。シャルの足元は大丈夫?」
「スパイクタイヤに換装していますし、駆動系はリアルタイム制御を続けています。この程度なら何ら問題ありません。」
「対向車が居ないのが幸いだよ。冬は稼働してないってもっと早く気づけば良かった。」
「現地に出向いたことで、三付貴神社のご神体の不可思議な模様を発見できましたし、逆鉾山の山頂の状況も分かりました。決して無駄ではありませんよ。」
「それなら良かった。」
重機なんて概念すらないであろう遠い過去に、その要塞に入り込んでヒヒイロカネを仕舞い込んだのは、単純に驚異的だ。しかも地中深くに埋めるだけじゃなく、石室まで作っているという。人を動員したとしても、長い時間がかかっただろう。どうやって石室の材料を運んだのかも知りたいところだ。
「!ヒロキさん。少し寄り道をしても良いですか?」
「どうしたの?余程無茶じゃなければ構わないけど。」
「救難信号を発見しました。光を上空や周囲に向ける形の救難信号です。」
「救難信号?誰か遭難してるってこと?」
「そのようです。」
「誰か分からないけど罠かもしれないから、先に調査して。信号が本物だったら遭難している人の人数や健康状態を調べて。」
「分かりました。戦闘機を派遣して状況を確認するとともにルートを検索します。」
「解析が完了しました。現在地から直線距離で720m北西の神社の拝殿と見られる建物内部に1人、屋外に1人。2人とも女性で年齢は20~30代。生存していますが、どちらも衰弱しています。内部の1人は右足を骨折していて、屋外の1人も負傷しています。」
「危険な状況だね。救急車の手配は可能?」
「救急車を呼んでも、天候を考慮すると最寄の病院から3時間はかかります。ルート検索の結果、ヒロキさんと私が救助して病院に搬送した方が1時間以上早く、かつ応急処置も可能です。」
「分かった。HUDとナビにルートと行き方を表示して。救助に行こう。」
「はい。先行して現地の安全を確保します。」
「本当にありがとうございました!」
「間に合って良かった。」
早速シャル本体に運び込んで、変形してフラットにした後部座席に1人を横にして、シャルが鎮痛剤と栄養剤を投与して、右足に接ぎ木を添える応急処置をした。自力で歩けたもう1人も衰弱していたから、同じく横になってもらって、シャルが創造した毛布を掛けて暖房フル稼働で、シャルが手配した町立病院に搬送した。
自力で動けた、救難信号を出していた1人は、擦り傷と軽い打撲の他、疲労と軽い栄養失調で、治療と点滴を受けて概ね回復。右足を骨折していた1人は、痛みと寒さでものを満足に食べられなかったことで、脱水症状も出ていて衰弱が激しかった。あと2,3日発見が遅れたらかなり危なかっただろうと、診察・治療した医師が言っていた。
右足を骨折していた1人は、右足の手術が無事終わって現在は経過観察のため集中治療室。生命に別条はないが衰弱が激しかったから念のため、だそうだ。兎も角、2人が無事で何より。空から微かな異変を見逃さなかったシャルのファインプレーだ。
「少し話を聞きたいんだけど、良いですか?」
「はい。」
「廊下は騒がしいと迷惑になるので、談話室で。」
「早速だけど、どうしてあそこにいたんですか?」
「冬山登山と宝探しです。」
2人は高校時代からの友人で、大学は同じ。就職先こそ別になったが、休暇を合わせて旅行や登山をしていた。登山は大学から始めたもので、整備された今時のキャンプ場より、自分達で用意した道具で本当の意味でのキャンプをしながら登山をすることにハマっている。
そんな折、軽傷だった1人がネットサーフィンの最中、不思議な話を目にした。この地方に隠された宝がある、と。オカルトネタには興味がないが、何故かその話には心惹かれるものがあった。この地方は日本の中であまり人の手が及んでいない。特に逆鉾山のあるエリアを中心に、未開の地そのものの場所も多々ある。
重傷の方と話をして調べてみると、この地方には不可思議な神社や伝説が幾つもあった。2人がいた岩殿神社もその1つ。かつて天から降りた神々が、地下に宝を封じた際に出入り口とした場所にあるとされている。これだけなら神話に沿って作られた由緒と思うところだが、周辺の集落の伝説が「何か」を感じさせずにはいられなかった。
「西から来た者達が三つ足の烏に誘(いざな)われ、埋めた埋めた、金の鶏埋めた」「岩の扉の奥底に、神の化身が住まわれる」-意味不明なまま語り継がれるこういった伝説は、岩殿神社の近くの集落だけに伝わっている。この集落も地理的な事情から高齢化・過疎化が進んでいて、伝説の風化が懸念されている。
2人は集落を訪れ、伝説をよく知る高齢者を中心に情報を集めた。集落の人も、伝説が何を意味するのか全く分からないという。ただ、岩殿神社は日本神話の天岩戸のことで、天照大神が姿を隠した時に実は高天原の宝を持ち込んでいて、天照大神が引っ張り出された時に宝は取り残され、そのまま封印されたと言われている。
天岩戸の伝説は、実は日本各地にある。岩殿神社の伝説もその1つではないかと思われるが、三つ足の烏が八咫烏を連想するとして、金の鶏が伝説との整合性が取れない。唐突すぎるというか、金の鶏がいきなり出て来る感が否めない。伝説や神話に整合性を求めるのはナンセンスかもしれないが、何か引っかかるものを感じた。
休みを合わせた今回、岩殿神社を調査することにした。宿泊施設は殆どないし、集落を離れれば山と森と偶に川しかない、未踏の地と言っても過言じゃない。だけど、2人でキャンプをしながら道なき道も進んで行くのは楽しかった。岩殿神社も近づいてきた。
その時、空中に不可思議なものが現れた。森の中だったので暗くて良く見えなかったが、目玉に羽と足が生えたような不気味なものだったと思う。その物体が、意味不明なことを呟いた後、2人の足元に光線を発した。足元が崩落して、なす術なく落下した。
幸い、枝と雪がクッションになって、全身を強打することは避けられた。不気味な物体が追ってくることはなかった。だけど、1人が右足を骨折。自分も傷だらけ。行動不能になった友人を支えながら林道を歩いていたら、偶然岩殿神社に辿り着いた。そこに避難して暖を取りながら救援を求めることにした。
登山や人里離れた場所に行く際、万一の連絡手段として携帯はあまり期待できない。無線LANは論外と言って良い。だからトランシーバーを持っていたが、何故か雑音だらけで全く通じなかった。連日連夜通信を試みたが、雑音が解消されることはなかった。
そうこうしているうちに時間だけが過ぎて、燃料が尽きた。毛布やカイロは持っていたが、限界がある。しかも右足を骨折していた1人は、激痛で飲食がままならず、衰弱が激しかった。自分も疲労が蓄積し、最後の手段として、LEDライトでモールス信号を使った救難信号を出すことにした。
「-LEDライトの救難信号を出し始めて、およそ1日くらい経ちました。天候は荒れたままだったし、見つけてもらえなかったらどうなっていたか…。」
「事情は十分分かりました。複数の非常手段を知っていたのが幸いしましたね。貴女は大事を取って一晩入院するよう言われていますし、ご友人は全治1か月で当面入院だそうですから、兎に角安静にしてください。帰宅のことは後で考えれば良いです。」
「本当にありがとうございました。後ほど改めてお礼に伺います。」
「お礼とかは考えなくて良いですよ。」
とんだハプニングだったけど、死者が出る前に救助できたのは幸いだった。すっかり遅くなったから、シャルにサカホコ町周辺で宿を取ってもらうことにする。幸い、この町は温泉街があって、宿は簡単に確保できた。底冷えする寒さだし、温泉でゆっくり出来るのは良い。
「あの女性、可愛かったですね。」
シャル本体に乗り込んだところで、シャルが言う。「まあ…そうかな。化粧っ気が少ないとは思った。キャンプをしながら登山をしているから、化粧をする余地がないんだろうけど。」
「よく観察してますねー。」
「観察って…。」
「シャルの方がずっとずっと可愛いよ。」
「本当にそう思っているって、旅館で証明してください。」