「動き始めました。」
その日の夜、夕食を済ませてホテルの部屋で寛いでいると、シャルがTVを起動する。勿論映るのはTV画面じゃなくて、闇の中を蠢く不審者2名。稼働音が小さいフルEV(註:この世界では水素かガソリンを燃料として発電するジェネレータで駆動する車が主流ですが、完全にバッテリーのみで駆動する電気自動車=EVも存在して、これをフルEVと称します)で駐車場に入って、何かを持って移動している。場所は勿論泰水寺。ということはあの不審者2名は…。「今日の2匹です。」
「闇討ちしに来たの?」
「いえ、傀儡ですから、私の指示どおりに動いているだけです。」
「対策は済んでるから泰水寺に実害はないけど、盗ませる理由はないんじゃ?」
「十分あります。マフィア大学の尻尾を引っ張り出します。」
柵の周りを一心不乱に掘り返して柵を退かすと、今度は地蔵の御杖の周りを掘り出す。盗み出すとは言え、本当に遠慮も何もない。地蔵の御杖は意外に深く挿し込まれているから、腰くらいの分を掘り返す。2人がかりでもかなりの重労働だろう。シャルの傀儡だから、強引にでもさせられているわけだけど。
ついに地蔵の御杖が土の支えを失って倒れる。2人組は地蔵の御杖を前後で抱えて、シャベルと共に持ち出す。無造作に掘り返された境内が残される。この映像だけでも警察やマスコミに持ち込めばかなりの事件になるだろう。だけど、シャルがそれだけで終わらせるはずがない。
「不法侵入に窃盗まで罪状を積んで持ち出させた地蔵の御杖の正体を知ったら、連中はどう思うでしょうね。」
「落胆はするだろうね。それに、調べたら何もなかったら返すってわけにもいかないし。」
「そこからが本番ですよ。せいぜい糠喜びすることです。もっともあのチンピラ2人はそれすらも出来ませんが。」
「泰水寺の住職が、警察に通報しました。」
盗み出されてから通報しても遅い、と普通なら思うところだけど、これはシャルのアドバイスを受けてのもの。証拠を残して確実に警察を動かせるようにするため。その証拠を確実に残す対策として、SMSAを介して高解像度・暗視可能な防犯カメラを複数台配備した。僕が一部始終を見た映像は、そのカメラの1台からリアルタイム転送されたもの。暗闇に紛れていても汗の玉まで鮮明に見えるほどの高解像度で、複数の角度から撮影されている。普通に買うと軽く数十万、台数からして100万の桁に乗るものだけど、SMSAが偽装した警備会社のモニタとして、完全無償で提供されている。勿論、警備会社だから通報によって現場に急行するサービス、更には弁護士特約もある。
警察は実害がないと動かないと言われるけど、弁護士を伴って被害届を提出すると対応が変わるのも事実。高解像度の映像に加えて、警備会社が証拠を記録した上で弁護士を伴って被害届を出すことで、確実に警察を動かすわけだ。しかも弁護士特約も含めてすべて無償。泰水寺は利用者、被害者の立場に徹すれば良い。
警察沙汰になれば、住職の証言からこれまで散々陽性と言う名の圧力をかけていたナカモト科学大学に嫌疑がかかる。当然しらばっくれるか否定するかするだろうけど、鮮明な映像と地元では有名な寺の宝物が掘り返されて盗み出されたという事実から、警察は任意での事情聴取で終わらず、逮捕や強制捜査に乗り出すことは十分あり得る。強制捜査となったらもう防ぐ術はない。妨害したらその時点で公務執行妨害になる。
そして…、ナカモト科学大学全体を窮地に追いやるリスクを抱え込んでまで、2人組が盗み出した地蔵の御杖は、参拝した日の夜に入れ替えた鉄製の贋作。本物であるヒヒイロカネ製のものはシャルとSMSAによって無力化の上、回収済み。だから最先端の危機をもってしても、年季を帯びた鉄製の杖という分析結果しか得られない、まさに糠喜びだ。
僕が思いついた作戦というのは、ヒヒイロカネをめぐる攻防が始まる前に、回収して贋作と置き換えるというもの。シャルに確認したら、SMSAはヒヒイロカネに限らず様々な材料を扱えるというから、鉄を持参してもらって、シャルに錆の位置と厚さ、色まで完全に模写した贋作を作ってもらった。
出来上がった贋作は、並べられたら全く見分けがつかないレベルで酷似していた。瓜二つと言うべきか。そんな精巧に作られた贋作と置き換えたことで、地蔵の御杖はこれまでどおり泰水寺の天鵬上人ゆかりの宝物として、それが長い年月で朽ち果て土に還るまで泰水寺の境内に留まり続ける。ナカモト科学大学は何も知らされないまま、鉄製の贋作を掴まされたわけだ。
その上で、シャルが用意した高解像・暗視対応の防犯カメラによる侵入と盗み出しの一部始終が映像として記録され、弁護士を伴って被害届提出で警察を動かす。地蔵の御杖はそれで泰水寺に戻るだろう。僕とシャルは、地蔵の御杖を餌にして本丸、すなわちナカモト科学大学ハルイチキャンパスに佇むアイソトープ研究センターの謎と闇を暴くのが目的だ。
勿論、あの2人組はシャルの航空部隊が追跡して、ナカモト科学大学ハルイチキャンパスには、シャルの地上部隊が展開している。建物のサイズと磁場の強度が不釣り合いなアイソトープ研究センターを建設して、地蔵の御杖を待ち受ける黒幕を探り、暴くことで、政権中枢に食い込む手配犯と思しき人物Xの素性に近づく。
ナカモト科学大学の不審な動きの背景には、黒幕と言うべき元財務相の存在がある。その元財務相がグループ企業を動かし、時に違法行為に骨の髄まで浸かってでもヒヒイロカネに執着するのは、財務相時代にその存在を知り、同時に「支配者の証」として霞が関内部に出回っていることを知ったのが理由だろう。つまりは、自分もヒヒイロカネを手にして支配者として君臨するため。
そう考えられる状況証拠は、カノキタ市での一件で暴走した女性団体の代表と、公私で結託していた財務省主計官から得られた。旧大蔵省時代から「省の中の省」と呼ばれる財務省、その中で各省の概算要求を認めるか認めないかの匙加減を決める権限を持つ主計官が、ヒヒイロカネを「支配者の証」として持っていたこと。そして霞が関や政権中枢に食い込んでいる人物Xの存在。
今回の件でXに迫れるかどうかは未知数。だけど、旅を続けてヒヒイロカネを捜索・回収していけば、やがては霞が関や政権中枢で出回っている「支配者の証」ことヒヒイロカネを回収する時が来る。それはXとの対峙の時でもあるし、政権中枢との対峙の時でもあるだろう。それが何時訪れるか分からない。
「チンピラ2人は、予想どおりナカモト科学大学ハルイチキャンパスに入りました。」
TV画面に上空から撮影しているらしい角度の映像が映し出される。夜間、照明が煌々と照らす構内に、例の高級車が滑り込む。トランクから梱包材に包んだ細長い物体-地蔵の御杖を2人がかりで運ぶ。移動先は…医学部棟?アイソトープ研究センターじゃないのは確かだ。「アイソトープ研究センターは分析する場所です。お披露目はまず、地蔵の御杖を盗み出させた依頼者-医学部長兼付属病院長。」
「?!」
「昨日、連中を尋問して吐かせました。依頼者はナカモト科学大学の医学部長兼付属病院長だと。」
昨日、シャルが連中の応対に出た際に凄い悲鳴が断続的に聞こえてきたのは、シャルお得意の「脳みそへの直接尋問」があったからだと分かる。シャル本人あるいはシャル本体からヒヒイロカネを地中に這わせて連中に侵入させたか、連中を縛り上げたであろう触手から直接か。…後者かな。
「本坊近くに人が来るとまずいので、前者を採用しました。」
「今、連中がシャルの傀儡になっているのも、その影響というか、ヒヒイロカネが連中の脳を支配しているから?」
「そのとおりです。カノキタ市の雌猿に適用した仮面と同じ働きをします。」
「依頼者の目的が明らかになるまでは動かしておきます。用済みになったら知りませんけど。」
「容赦ないね…。ところで、依頼者の目的って、地蔵の御杖を分析して、ヒヒイロカネだって確証を得るためじゃ?」
「それは目的の1つではありますが、すべてではないと見ています。」
「裏があるってこと?」
「はい。恐らくカギになるのは、依頼者が医学部長兼付属病院長ということです。」
単にコレクションにしたいだけ?なくはないけど、ヒヒイロカネの存在を知っているなら、そんな程度で済むはずがない。もっと邪な意図を隠し持っていると見た方が自然。それが何なのか、一心不乱に運んでいる連中が解明の糸口を掴むだろうか?
「チンピラ2人が向かっているのは、秘書室です。」
「秘書室って、そんなものまであるの?」
「『ハルイチの王』と内部で称される権力者ですからね。秘書を通さないと平民は謁見できない仕組みです。」
「こんな時間に秘書室に人がいるのかな?」
「いませんよ。秘書は2人いますが、出勤時刻は平日の9時から17時です。」
「まさか、秘書が出勤するまで待つ?」
「本来なら帰宅するかホテルなどで待機するところですが、待たせますよ。直立不動で。」
「ちなみに、猿山の王様は秘書の1人を侍らせて隣町の温泉街で豪遊中です。」
「秘書って、もしかして愛人でもある?」
「そのようですね。王様は既婚者ですが、一夫多妻制を気取ってるんじゃないでしょうか。」
「自称王様は明日にならないと戻りません。豪遊中の様子を見ても馬鹿馬鹿しいだけなので放っておきましょう。」
「秘書室付近に人が来ない?」
「当直の医師は病院に詰めていますし、自称王様が今日不在なのは関係者は全員知っていますから、人が来ることはありません。念のため、警備担当の部隊を配備してはいます。」
「反応とかは明日まで待つしかないか…。」
「自称王様の動向なんて、必要時以外気を配るのはストレスでしかありません。ヒロキさんは…。」
「私を侍らせてください。」
「凄い贅沢だな。」
「先にお風呂に行く?」
「そうですね。何時脱がされても良いようにしておきたいですし。」
「えっと…。」
翌日。ワイシャツ姿のシャルに起こしてもらって、眠気を洗顔で消して朝食へ。シャルは何時ものカジュアルな服装。手は繋いでいるけどベッタリくっつくとかはない。密着していないと気が済まないかのような夜とは全然違う顔を見せる。
『動きはあった?』
『秘書の1人はまだ出勤していません。医学部長兼付属病院長-面倒なので以降教授としますが、教授に同伴していた愛人の秘書は、今日は休暇です。出勤どころじゃないようですが。』
『うわ…。肝心の教授は?』
『こちらは昼頃出勤予定。文字どおりの重役出勤です。出勤と言っても診察1コマ以外は居室に籠ります。』
『何してるんだろう?』
『今日分かると思いますよ。廊下で棒立ちして学生などにひそひそされているチンピラ2人の口と合わせて。』
『出勤してくる秘書も、びっくりするだろうね。』
『そうでしょうね。2人揃って失禁してますし。』
『失禁って…。』
『12時間余り、気温数℃のところに突っ立っていましたからね。廊下はかなりの惨状ですよ。』
「これ、美味しいですよ。」
シャルがシーフードパスタを差し出す。僕はフォークに持ち替えてシャルの持つ皿からパスタをもらう。僕はお返しにトマトソースのパスタを食べてもらう。こういうことが出来るのはカップルの特権だ。しかも揃って左手薬指に指輪をしているから、より堂々と出来る。『秘書の1人が出勤するのは8時50分頃です。まだ1時間近く余裕がありますから、私とヒロキさんはゆっくり朝ご飯を楽しみましょう。』
『その間、連中は飲まず食わずだよね?』
『勿論ですよ。唾を飲むくらいはさせていますし、夏場じゃないのであと1時間飲まず食わずでも死にはしません。』
「それより、こっちも美味しいですよ。」
「あ、うん。じゃあ僕も。」
ゆっくり朝ご飯を堪能して、いったん部屋に戻る。焦点がナカモト科学大学ハルイチキャンパスに絞られているから、調査目的で外出する必要はない。そうなると手持ち無沙汰になる。ホテルに籠ることも十分可能だけど、暇を持て余すのは否めない。
「奴等のやり取りは記録していますし、万一の事態に備えて空と陸に部隊を配備しています。それより、此処ハルイチ市に近づく不穏な動きを、早期警戒機が察知しました。」
「それって?」
「ナカモト科学大学の理事長と学長が、護衛付きの高級車でハルイチ市に向かっています。」
「!」
「シャル。連中2人は医学部の教授の指示で動いてたんだよね?」
「はい。それは確認しています。」
「その教授は昨日隣町で豪遊しているし、連中2人はシャルの支配下にあるから、大学本部に秘密裏に連絡することは不可能。なのにどうして理事長と学長が揃ってこっちに向かってるの?」
「!そ、それは確かに…。」
「嫌な推測だけど…、住職がナカモト科学大学と結託していたとか。」
「それはありません。ナカモト科学大学側の過去の動向などから、住職はナカモト科学大学と敵対関係にあることは確実です。」
「だとすると…、警察。」
警察が治安を守る、犯罪以外には中立な組織というのは、もはや遠い過去の幻想だ。A県では県警全体でホーデン社と傘下の企業に便宜を図っていたし、ホーデン社から盗聴を行う公安部署に社員が送り込まれ、様々な情報をホーデン社に横流ししていたことが暴露されている。
僕とシャル、ヒヒイロカネに関連する事項だけでもこんな大々的な汚職-マスコミ報道だと癒着に留まっているけどれっきとした汚職-があるし、8千万を紛失したり、国会議員宅を長年盗聴したり、遺失物を着服した挙句届け出た市民に濡れ衣を着せたりと、警察の腐敗は留まるところを知らない。同じ被疑者・容疑者でも相手によって手錠をかけてパトカーに押し込んだり、警察署で丁重に出迎えたりするのも、今となっては良く知られたところだ。
A県県警もそうだったけど、警察組織自体はヒヒイロカネの存在を知らないようだ。だけど、ホーデン社と癒着してホーデン社に有利なように動くなど、裏の情報提供がなされていることは十分考えられる。今回も地元警察署あるいはE県県警からナカモト科学大学に直接あるいはO県県警本部経由で情報が流れた確率がある。
「警察がナカモト科学大学と癒着して、泰水寺に何か動きがあったら情報を流す裏取引が成立しているんだろう。」
「それは考えられますね…。」
「今、理事長と学長はどの辺に居る?」
「ウツミ大橋を渡っています。ハルイチ市到着は今から1時間半後の見込みです。航空部隊を派遣して妨害しますか?」
「否、理事長と学長の意図や背後関係を掴めるかもしれない。このまま追跡と監視を続けて。」
「分かりました。」
「あと、E県県警とO県県警とナカモト科学大学の通信を調べて。僕の推測を裏付ける通信履歴があるかどうかで、今後の方策が変わってくるから。」
「分かりました。早速実施します。」
「ヒロキさんと私はどうしますか?」
「まず、周辺にE県県警の車がないか調べて。」
「はい。…ホテル周辺にE県県警の車や人はいません。」
「なら、外出は可能か。と言っても、よほどの事態が起こらない限り、ナカモト科学大学に入るのは避けた方が良いだろうね。」
そのうえ、ハネ村を中心とする行動の過程で敵対してきたA県県警の公安を、シャルが寺の壁画に封じ込めた。まさか寺の壁画と一体化しているとは想像もできないだろうけど、少なくともハネ村を根城にしていたA県県警の公安部職員が数名消息を絶ったのは間違いない。その消息不明と、僕とシャルの動きがリンクしたら、警察はこぞって僕とシャルを追跡、機会があれば逮捕拘留、そして抹殺へと動くだろう。
いざ戦争となっても、シャル1人で日本の警察全員を十分根絶やしに出来るだろう。だけど、その過程でほぼ間違いなく無関係の市民が巻き添えになる。市民本人じゃなくても、家や畑と言った財産が少なからず損害を受ける。それが懸念事項だ。正直、警察自体に死傷者が出ることはたいして考慮していない。今までの過程で警察への信用度はかなり下がっている。殉職したくないなら僕とシャルに敵対しなければ良い。そう思うようになっている。
それを除いても、警察の尾行や干渉が入ると、ヒヒイロカネの捜索と回収という僕とシャルの本来の目的を邪魔されることになる。それが最大の問題だ。ヒヒイロカネが隠されている場所に行く度に警察とやりあわないといけないのは、凄く厄介だ。先回りして規制を敷かれたり、職務質問からの転び公妨・逮捕拘留なんてことになると更に面倒だ。
「現地に展開している部隊でどの程度戦える?」
「1個師団を全滅させるくらいは可能です。念のため増援の部隊を派遣しました。」
「それなら現地は部隊に任せて、僕とシャルは逆鉾山と周辺の調査をしよう。」
僕も少し調べたけど、逆鉾山周辺には奇妙な民間伝承が多数残っているという。この旅に出る前ならオカルトネタで一笑に付していただろうけど、天鵬上人がこの世界の過去に逃げ込んだ手配犯である確率が浮上している今、逆鉾山に何かあるという確証めいたものを感じずにはいられない。
2つの県警とナカモト科学大学の癒着の確率が高くて、ナカモト科学大学がヒヒイロカネの1つとして泰水寺の地蔵の御杖に目を付けて盗み出しさえした現状、ナカモト科学大学に近づくのはリスクが大きい。幸いシャルの部隊は強力で自律行動も可能。その間に逆鉾山周辺を調査するのが効率的でもある。
「県警に動きがあったら、攪乱や妨害をしてくれる?」
「勿論です。両方の県警にも航空部隊を派遣しています。」
「それなら安心だね。ちょっと遠いけど、逆鉾山付近へ行こう。」
「はい。最適なルートを検索します。」