謎町紀行 第84章

疑惑と腐臭溢れる総合大学

written by Moonstone

 翌日、僕とシャルは朝食を済ませて出発。E県からO県に行くには、ハルイチ市へのルートを逆にたどれば良い。高速道路があるし、道路もかなり空いている。ハルイチ市へ行く途中の方が、渋滞の連続で酷かった。海を越える途中で「O県」と書かれたプレートが出る。海が県境なのはちょっと不思議な気分。
 O県に入って上陸すると、そこがアヤマ市。アヤマ市から西に少し進むと、そこがナカモト市。その名を冠するナカモト科学大学本部はこの町にある。最寄りのナカモトインターで降りて、国道22号線-国道81号線と辿っていくと、山の中腹に巨大な建物群が見えて来る。あれがナカモト科学大学本部か。

「ここから行程が少し複雑になります。HUDの指示に従ってください。」
「分かった。」

 ナカモト市は城下町だった名残で、中心部の道が細かったり一方通行が多かったりする。しかも運転が荒い。スピードを出すのは勿論、車間距離を開けないしウィンカーを出さない車が兎に角多い。HUDの指示がなかったら、追突の恐れもある。ホーデン社と関連企業が好き放題していたココヨ市を思い出して嫌な気分になる。
 HUDの指示に従って移動。天守閣を左手方向に見ながら右折→左折と進むと、ナカモト科学大学本部が大きく迫って見える。そのまま直進して外来者駐車場に入る。此処も外来者駐車場は有料駐車場のようなゲートでICカード型の駐車券を発行される形式。キャンパス間で統一されているのは良いと思う。
 総合大学だけあって、学生が多い。しかも外来者駐車場は本部棟と食堂に程近い位置にある。移動時間の関係で駐車場にシャル本体を止めた時間は昼食時に近い。昼食時は学生が最も食堂の混雑を高める時間帯。その中で完璧な金髪とアイドル顔負けの容貌を持つシャルが姿を現せば…。

「す、凄ぇ可愛ぇ。」
「交換留学生?」
「アイドル級じゃん。」

 こうなるわけで。シャルの服装は普段と変わらないカジュアルなもの。ブランドと分かるバッグも持ってなければ、化粧と宝石で身を固めているわけでもない。自分自身で存在感を出せるシャルの強さの証明だけど、調査が今回の入構の目的だからあまり目立つとやり辛い。

「可愛い奥さんがいる気分はどうですか?」
「それ自体は自慢できるけど、ちょっとした騒ぎになってるから、構内を移動するのがちょっと大変かも。」
「見る分には好きにすれば良いです。さ、行きましょう。」

 シャルは僕の手を取る。ざわめきと同時に視線に込められる敵意が一気に増した気がする。シャルに迂闊に絡んだら流血どころじゃ済まないから、嫉妬に狂って攻撃してこないと良いけど。気を取り直して調査を始める。調査と言っても、キャンパス全体の立地と、不審な建造物がないかを見て回ること。
 総合大学が1つのキャンパスにまとまっているのは、意外と多くない。理系学部と文系学部、医学系学部とそれ以外、学部と関連の附置研究所とか、複数の地域に分散していることが多い。車や電車を使わないと違うキャンパスに行けないほど離れていることもある。その点では、ナカモト科学大学本部は珍しい方だろう。

「ひととおり回る?」
「はい。特定の箇所に直進すると不審に思われますから。」
『このキャンパスも彼方此方に監視カメラが仕込まれています。』
『これだけ開けっ広げだと分かりそうなものだけど。』
『ハルイチキャンパスと同じく、木や建物の一部にカモフラージュして、巧妙に隠されています。』

 監視カメラ自体はもう珍しくも何ともないけど、カモフラージュして大量に仕込んでいるあたり、不審者対策とは別の意図を感じる。兎も角、シャルの案内でキャンパスを巡る。建物の間隔は十分とられていて、どれも7階8階以上の高層ビル。設備に金をかけているのがよく分かる。
 外来者駐車場近く、正門から最も近い場所にあるのは本部棟。その奥に学生向け食堂、本部棟向かって右側に職員や外来者向けのカフェテリアがあって、本部棟向かって左側に文系学部、右側に理系学部が集まっている。建物はどちらも高層ビルで、建物同士の間隔は割と潤沢に取られている。
 シャルは本部棟を右方向、理系学部エリアの方に歩く。キャンパス全体を回ると言っていたから、理系学部エリアの方から回るつもりらしい。やっぱりと言うか理系学部エリアを歩く学生は男子の比率が明らかに高い。そんな中をアイドル級の容貌を持つシャルが歩けば…。

「か、可愛ぇ…。」
「学園祭で呼ばれる外人アイドルか?」
「リアル金髪美人だ。」

 当然こうなるわけで。昼時だから先を争って食堂へ向かうところで足を止めて良いのか、と他人事ながら思う。シャルはヒヒイロカネのスキャンをしているのか、右に左に首の向きを変えながら歩く。傍目には高層ビルを見物しながら通りを歩く外来者でしかない。物凄く目立っているところだけが他の外来者と違うところか。

「写真とか撮られてるみたいだよ。」
「そのようですね。」

 シャルはしれっとしているけど、僕とシャルが撮影されると、調査に悪影響が出る危険がある。カノキタ市での一件で霞が関や政権与党に存在が知られた確率があるし、SNS経由で所在を追跡されることになると、ヒョウシ市で大ダメージを受けた元財務相が刺客を送り込んで来るかもしれない。

『別に刺客が何人来ても構いませんけどね。始末する手間が勿体ないくらいです。』
『ことを大きくするのは良くないよ。調査がやり辛くなる。』
『闇の仕事を気取るならお望み通り闇で始末するだけですが、この手の無駄は省けるなら省いた方が良いですね。撮影対策は簡単です。』

 シャルは顔を隠したりしないで、これまでどおり傍目には建物を眺めながら散策しているように見える行動を続ける。シャルが出来る撮影対策と言うと…スマートフォンに干渉して画像や映像を加工したり、削除したりすることか。別の車の制御系にも簡単に干渉できるから、スマートフォンくらいはお手の物か。

『そういうことです。出鱈目な画像や映像になったり、スマートフォンに保管されている別ファイルに差し替えたり。』
『後者は、良くない写真を撮ってたらまずいことになるんじゃ…。』
『フィッシングサイトを踏んで流出させた体にします。無断で他人を撮影したツケは払ってもらいます。』

 学生に限ったことじゃないけど、悪質な悪戯-営業妨害など犯罪行為もある-を撮影してSNSにアップする事例が後を絶たない。その代償は時に解雇・退学や損害賠償請求など重大な事態に繋がる。リテラシーよりもSNSでの承認欲求が上回るんだろう。
 こっそり撮影するならまだしも-良くはないけど-、堂々とスマートフォンを構えて撮影するのは、肖像権という概念が定着した現在はよろしくない。今は大学でネットリテラシーを学ぶ機会があるそうだけど、この大学はそれが疎かなのか頭に入っていないのか。
 シャルの対撮影セキュリティの中、散策を装った建物の調査は続く。理系学部エリアの半分は、理工学部が占める。機械、電気電子、物理、化学、生物、情報、建築の6つの学部学科、システム工学専攻と材料工学専攻の2つの大学院専攻からなる。他は薬学部と農学部。女子学生の比率が割と高くなるのは、この大学でも同じだ。

『所々に強い磁場がありますね。どれも形状からしてNMRのようです。』
『やっぱり此処にもあるんだ。アイソトープ研究施設と比べてどう?』
『研究室で使用しているものが大半で、共用機器として管理されているものが、あの機器分析支援センターという建物にあります。何れもアイソトープ研究施設より磁場は弱いです。』

 NMRは非破壊で放射線被曝がないことから、高分子の構造解析で威力を発揮する。製薬も今は運頼みの合成じゃなくて、スーパーコンピュータを使って合成や反応の理論予測をして、合成したものを様々な方法で分析することを繰り返す。そこに機械学習も加わって、より効果的・効率的な製薬を目指して研究が続けられている。
 数では勝るけど、磁場の強さはアイソトープ研究施設の方が強いというのは、やはり不自然だ。アイソトープ研究施設でそんな強力な磁場を出すNMRを、しかも複数台設置するスペースも理由もない。大学の本部はこのナカモト市の方でも、医学部があるハルイチキャンパスの動向は把握できていないんだろうか。それとも力関係が違うのか。

『ヒヒイロカネのスペクトルはどの建物からも検出されません。』
『このエリアのNMRは純粋に研究目的みたいだね。ということは、残りは文系学部エリアだけど、ヒヒイロカネを隠しているとしたら可能性は低いかな。』
『そう思いますが、隠しているとは限りません。ヒヒイロカネの特性を知らなければ隠し金庫などに隠すでしょう。』
『確認しておいた方が良いね。』
「えっと、文系学部エリアは…こっちへ行けば良いのか。」
「壁などで隔離は去れていないようですね。」

 大学の学部間の力関係は、医学部があればほぼ間違いなく医学部が頂点になるけど、その他は大学によって異なる。ナカモト科学大学は、医学部が海を隔てて高速道路で2時間くらいかかる場所にあるから、医学部の君臨がなくて他の学部がある意味平穏な関係にあるようだ。
 理系学部エリアと文系学部エリアは、本部棟から伸びる大通りを挟んで向かい合う形だ。大通りは自転車専用道路もあって、売店や小規模の飲食店が軒を並べる。やや文系学部寄りに位置する食堂に行かなくても、これらの店で食事を調達できるらしい。実際、学生が列を作ったり、近くのテーブルやベンチで談笑しながら食べている。

「うわっ、凄ぇ可愛い。」
「ハーフのアイドル?」
「リアル金髪碧眼美少女だ。」

 もはや様式美と化しつつある。文系学部エリアは女子学生の比率が高いけど、注目度は変わらない。スマートフォンを向ける比率も変わらない。無論、シャルがすべて干渉して撮影を妨害しているけど、こういう形の注目はあまり良い気分がしない。

「キャンパスは整備されていますが、学生の質は評判どおり低いようですね。」
「スマートフォンで撮影するのが当たり前って感じなのかな。」
「スマートフォンに飼育されているみたいなものですね。どっちが本体だか分かりません。」

 スマートフォンに飼育されているとは言いえて妙だ。地図にしても連絡手段としてもスマートフォン頼りの面が強まっている。スマートフォン、しかも特定メーカーの製品でないと、それだけで疎遠にされることもあるというから、機械に使われている感が強い。

『文系学部エリアも、ヒヒイロカネのスペクトルは検出できません。研究機器らしいものが殆どないのもあって、識別は容易です。』
『文系学部だから、書籍が大半じゃないかな。PCはあるだろうけど。』
『学長室や理事長室といった部屋もスキャンしましたが、どちらにもありません。』
『こういう時、私立の学校だと学長や理事長が絶大な財力や権限を持っていて、ってパターンだけど、流石にそんなに甘くはないか。』
『あながち間違いではないですよ。』
『どういうこと?』
『本体に戻ってから説明します。ダイレクト通話とはいえ、此処ではあまり話をする気になれません。』

 シャルへの視線の集中は緩むどころか、更に強まっている。それどころか、僕とシャルを取り巻く包囲網が今までになく縮まっている。スマートフォンで撮影するだけでは飽き足らず、もっと近くで観察したいってことか。確かにこんなレベルの美人は滅多に見れないだろうけど、こういう包囲は全然嬉しくない。

「君、凄く可愛いねぇ。インカレサークルがあるんだけど、どう?」

 ついに声掛けが始まった。それを合図にして包囲網が前に進めないくらい縮まる。完全に囲まれた。

「ちょ、ちょっと退いて!うわっ!」
「!ヒロキさん!」
「野郎はお呼びじゃないから。」
「!!」
「さ、こっちへ…」
「汚い手で私に触るな!!三流私大のゴミクズ風情が!!」

 強引にシャルと引き剥がされたことで激昂したシャルが叫ぶ。予想外の反応にたじろいた学生達がシャルから離れる。シャルの見た目が可憐な金髪美女だから、抵抗も大したことないと勘繰ったんだろうけど、シャルは敵と認識した相手には容赦しない。ましてや僕に危害を加えた相手は虫けら以下とさえ見なす。
 シャルは僕に、否、僕を強引に引っ張ってシャルから引き剥がした学生達に歩み寄る。猛烈な殺意をたぎらせた表情は般若そのもの。シャルは無言で学生1人の胸ぐらを掴むや否や、投げ飛ばす。間髪入れず、もう1人も同じように胸ぐらを掴んで投げ飛ばす。地面か群衆に叩きつけられたことで物凄い音がする。

「退け。」

 シャルが低い声で言うと、僕の周囲にいた学生が後ずさりして、中には逃げ出す者も出る。強引に引っ張られた勢いで尻もちをついていた僕は、周囲に人が居なくなったのを受けて立ち上がる。ちょっと服が乱れたくらいで怪我はない。シャルが僕の服の乱れを直す。

「怪我はないですか?」
「あ、う、うん。大丈夫。尻もちをついてちょっと痛いくらい。」

 シャルの声のトーンは普段のもの。切り替えが凄い。チラッとシャルに投げ飛ばされた学生の方を見る。見た目からは想像もつかない物凄い力で投げられたことで、地面にたたきつけられた方は起き上がるのも辛そう。集団に投げつけられた方は、投げつけられた方も相当なダメージらしく、呻き声が幾つも聞こえる。
 学生達が遠巻きに、恐怖と共に見つめる中、シャルは僕と手を繋ぎなおして悠然と通りを歩く。そのまま駐車場に止めてあるシャル本体に乗り込み、ナカモト科学大学本部を後にする。アクシデントに見舞われたけど、ナカモト科学大学本部にヒヒイロカネは存在しないと分かったのは収穫か。

「そういえば、学長や理事長がどうとかいう話、何かあるの?」
「アイソトープ研究施設の問題、ひいては元財務相に関係すると思います。詳しくはこの案内の行先、ナカモト城跡公園でお話します。」

 シャルの声のトーンは元に戻っている。さっきの学生相手のキレ具合は何かの見間違いだったのかとさえ思える。城下町らしい一方通行が多い道をHUDに従って運転していくと、駐車場に誘導される。ナカモト城址公園の第1駐車場と出ている。天守閣がかなり大きく見える。駐車券を受け取ってゲートを通り、空いているところに停車。平日だからか車は少ない。
 O県は「晴れの国」とも言われるくらい、殆ど雨が降らない土地柄だと言う。今日も雲1つない青空。数日前までメートル単位に積雪していた地域に居たから、別世界に来たんじゃないかと錯覚する。距離にすれば、E県に行くまでの距離の半分くらいなんだけど。
 ナカモト城址公園は、大手門が入場口になっていて、そこでチケットを買って入る形式。これもICカードで、少しプラスすると近隣にある博物館や美術館にも入場できる。シャルは博物館にも行ってみたいと言うから、セットの料金で2人分を買う。使い終わったICカードは、最後に出る施設の出口でスロットに通すと自動で回収されるそうだ。
 ICカードを翳してゲートを通って入場。閑散とした広場から天守閣が一望できる。晴れていて風も弱いとはいえ、気温の低さはそれなり。折角だから天守閣に入ってシャルの話を聞くことにする。天守閣の中はオカモト城の成り立ちや城下町としての発展、近代の廃城、空襲での天守閣焼失と再建が順路に沿って紹介されていて、再建の際の調査で発掘された遺物や歴代城主の系譜などが並ぶ博物館でもある。のんびり眺めながら人がほとんどいない順路を進んで、急な傾斜の階段を上っていく。

「良い見晴らしですねー。」

 ナカモト城址公園の周辺はビルが多い。その中でも広い公園で距離を稼いで石垣で高さを稼いだうえに4階建て-正確な分類は知らない-の天守閣の最上階に来たから、見晴らしは良い。晴れて空気が乾燥しているからか、南の方にはうっすらと海が見える。この見晴らしのよさで他に人が居ないのはかなり珍しいと思う。

「あれが…ナカモト科学大学本部かな。」

 北の方に山の中腹を抉るように立つ複数のビルが見える。建物の色からして、ナカモト科学大学本部だろう。レンガ造りのようなカラーリングで、レンガを使わずにレンガ造りに見せようとする意図があるのかと思っている。遠目にはレンガ造りにしか見えないから、その意図は正解かもしれない。

「はい。あの場所に建てたのも利権あってこそです。」
「シャルの話に関係ありそうだね。」
「大ありです。」
『念のため、ダイレクト通話でお話します。少ないとはいえ、階下に人が居るので。』

 他に人が居れば、ヒヒイロカネ関係の話は聞かれてはいけない。単なるオカルトネタや妄想で片付けられれば良いけど、それに信憑性を見出されると、この先の捜索と回収に悪影響が出る恐れがある。それに加えてスパイが潜伏尾行している確率も浮上している。ヒヒイロカネ関係の話を聞かれることは、居場所と次の目的を知られることに繋がりかねない。

『端的に言うと、ナカモト科学大学本部は理事長の独裁体制で、理事長は元財務相の実弟、学長は元財務相の長男です。』
『実弟?!』

 元財務相のグループ企業だから親族が理事にいることは予想していたけど、実弟が理事長だとは。しかも独裁体制とは、絵に描いたような悪徳私大の体制だ。
 シャルの説明を聞く。ナカモト科学大学は元財務相の父が現役国会議員で財務相だった時代に、旧日本軍の土地を異様な安値で買い上げて建てられた。異様な安値の理由は2つ。1つは元財務相の父が旧日本軍に建設資材を納品していたこと。もう1つはこの駐留地に毒ガス製造疑惑があったこと。
 元財務相は典型的な世襲議員で、祖父の代に興した資材も含む建設事業で財を成して衆議院議員になったことから続いている。父の代に二度の世界大戦があって、その際に衆議院議員で大蔵大臣だった祖父の威光を借りて旧日本軍に食い込み、巨額の富を得て今のグループ企業の基礎を築いた。
 大企業、特に重工関係の企業が戦争を推進する側に回るのは、軍への資材納入機会が格段に増えるからだ。戦争の遂行には莫大な資材が必要になる。しかも戦争中ということで軍の要求が最優先。更に事実上言い値で納品できて、支払いは国だから確実に入金される-民間企業だと遅れたり支払われなかったりがざらにある-。格好の儲けの機会だから戦争推進に回るのは、善悪を別にすれば至極当然だ。
 終戦後、大学設立の野望を抱いた元財務相の父は、大蔵相就任後、旧日本軍の駐留地があった今のナカモト科学大学本部の土地に目を付けた。土地は旧日本軍の毒ガス製造の疑惑があって、荒れ地のまま放置されていた。元財務相の父は大蔵相の権限を利用して、当時会長職だった自分のグループ企業に払い下げる形で土地を売り渡した。
 O県は国立大学がアヤマ市にある1校だけで、学生の受け皿としての大学誘致を期待する声があった。その声にこたえる形で元財務相の父はグループ企業の社長、すなわち元財務相に指示して、グループ企業に払い下げた土地に大学を設立した。これがナカモト科学大学だ。

『世襲議員が土地のデメリットに付け込んで、自分の企業に買い叩かせて広大な土地を手に入れたってことか…。』
『はい。しかもこの毒ガス製造疑惑は、グループ企業の自作自演である疑惑が濃厚です。』

 更に出された説明は衝撃的なものだ。確かに、ナカモト科学大学がある土地は旧日本軍の駐留地だった。だけど、毒ガス製造の疑惑が囁かれ始めたのは終戦後暫くして、漏れなく空襲に見舞われた-この時ナカモト城の天守閣が焼失した-ナカモト市が一応の復興を遂げた頃だった。
 ナカモト科学大学本部がある土地は、旧日本軍解体後は国有地になり、見晴らしのよさやナカモト市中心部へのアクセスも良好なことから、若年層の呼び込みを狙った住宅地の造成が計画されていた。そこに流れたのが、旧日本軍の独カス製造疑惑。毒ガスが製造されていた土地を造成して、万一健康被害が出たら会社が傾くレベルじゃすまない。
 毒ガス製造の疑惑が浮上したことで土地の評価額も大きく下落して、住宅地としての用途は事実上頓挫した。安くなるだけならまだしも、曰くつきの土地を買ったら売る時に困るから、住宅会社も手を出し辛い。ナカモト市も国有地とはいえ一転して不良債権と化した広大な土地の処分に頭を抱えた。そうこうしているうちに、元財務相のグループ企業に払い下げられ、ナカモト科学大学本部が建設された。
 大学誘致の声はあったものの、毒ガス製造の疑惑がある土地ということで、大学自体の評判が芳しくなかった。そこで大学本部が土壌調査を実施し、何ら汚染はなく問題ないことを公表した。「毒ガスが残る土地にある大学」という悪評は消えていったけど、「元々毒ガス製造自体が行われていなかったのではないか」という疑惑が新たに浮上した。
 旧日本軍の駐留地に居た元軍人の行方は終戦後の混乱で分からなくなってしまい、多くの資料が破棄されたことで-旧日本軍に限らない-、毒ガス製造の信憑性を確認する術はなくなった。年月が流れ、当時のことを知る人も少なくなって、ナカモト科学大学本部は何度かの拡張を経て今に至る。

『確実な証拠はないけど、大学本部の土地を安く手に入れるために、終戦後の混乱に乗じてデマを流した疑惑があるってことか。』
『はい。土壌調査の委託先が現在は元財務相のグループ企業の子会社になっていて、それが更に毒ガス製造がデマである疑惑を強めています。』
『今みたいにブログもSNSも動画サイトもない時代だから、噂を流して評判を上げ下げするのは割と容易だっただろうね。』
『SNSや動画サイトはデマや偽情報でもあっという間に拡散される負の側面もありますが、警察やメディアなど権力の嘘や隠蔽を市民レベルから暴き拡散する側面もあります。それらがなかった時代にメディアが自力を発揮すれば、メディア不信が幾らか緩和できたでしょう。』

 土地の値段は上がり下がりがある。人気のある地域や立地、都心に近いエリアは高くなりやすい。それを逆手にとって、土地を強引に買い上げたり、悪い噂を流して-例えばあの家は借金で家を売る羽目になった-安く買いたたいて高く売りつける悪徳不動産も存在する。バブル経済の頃はそれが顕著だった。
 大学は広大な土地が必要だ。単純に学部1つで1つのビルが必要と考えられる。ナカモト科学大学本部のように複数の学部を抱え、更に学生向けの食堂や図書館、事務局棟、クラブやサークル用の施設を揃えるとなると、1つの町を作るくらいの土地が必要になる。その土地をどこから得るかが大きな課題になる。
 住宅地造成の計画もあったくらいだから、ナカモト科学大学本部の土地はかなり優良な物件になる見込みがあったんだろう。当然価格も相応になる。大学を建設したい元財務相の父としては、出来るだけ安く広大な土地を、そして都心へのアクセスが良好な土地を手に入れたい。そうなると、悪評を流して競争相手を遠ざける手段もありうる。
 毒ガス製造はなかったみたいだけど、ある意味毒ガスより悪質な経緯で大学が出来た。焼け跡からの復興を進める人々を尻目に、自分達の欲望のために国有地を買い叩き、いくつもの特権を持つ学校法人の牙城を作り上げた。ナカモト科学大学本部は、軍に取り入って財を成した父から2代続いて腐った系譜の証という見方もできる。

『それで、ナカモト科学大学本部の独裁体制っていうのは?』
『話が逸れてしまいました。先ほどの経緯もあって、ナカモト科学大学本部は元財務相の傘下にあります。実弟は約30年間、理事長として君臨していて、秘書に愛人を雇用と、イエスマンで固めた理事会、労組潰しは基本。横領と脱税の疑惑もあります。親族経営で腐った典型例ですね。』
『ありがちな話だけど、本当にあるとげんなりするね。』
『絵に描いたような私学の悪党です。もっとも、実兄である元財務相の国際的な大スキャンダル発覚で、足元が揺らいでいるのも事実です。』

 理事長は、現役国会議員である元財務相の威光を借りて大学全体を牛耳ってきた。そこに、実兄である元財務相の重大なスキャンダルが発覚。大学にカモフラージュした核兵器研究と将来の核武装に備えた発射施設の建設、そこに攫ってきた人を奴隷として酷使し、死者まで出す出鱈目ぶりは、大学本部にも当然波及した。
 理事長は「事実無根」「偏向報道」と何処かで聞いたようなセリフを繰り返して火消しを図ったけど、元財務相のスキャンダルは国際問題にもなる重大案件。もはや今までのような火消しや「鎮圧」が通用するレベルじゃない。藪蛇で自身の悪行を知られたら、グループ企業全体の存亡にかかわりかねない。
 理事長は代行に元財務相の長男である学長を指名し、休養を宣言して隣県であるH県の邸宅に立てこもっている。長年労組潰しに苦しめられてきたベテラン教職員を中心に、理事会を含む大学運営の抜本改善を求める運動が起こり、労組潰しや残業代不払いの証拠を労基署に提出し、労基署もついに動き始めた。理事長の立場はこれまでないほど揺らいでいる。

『横領と脱税は調査中ですが、証拠を掴んで暴露したとしても、理事長が学長以外の理事や事務局長に責任を擦り付けて延命するのは目に見えます。』
『そうするだろうね。言い換えると、脱税や横領はナカモト科学大学本部や元財務相のグループ企業を足元から崩す要素としては力不足。』
『そのとおりです。そこでカギになると見られるのが、ハルイチキャンパスのアイソトープ研究施設です。』

 僕とシャルの目的はあくまでヒヒイロカネの捜索と回収だけど、今回は監視カメラに囲まれたアイソトープ研究施設の中に隠されている確率が高い。それには大学の監視網を無効にしてアイソトープ研究施設の実態を白日の下に晒す必要がある。破壊工作はシャルなら造作もないだろうけど、後々悪影響が出る恐れがある。カノキタ市の一件をはじめ、国家権力に干渉したことで、僕とシャルの素性を調査あるいは追跡を開始している確率があるから、目立つことはしない方が良い。
 裏から手をまわして、アイソトープ研究施設を公開せざるを得ない状況に追い込む。今、ナカモト科学大学本部を牛耳ってきた理事長の権力基盤がかなり揺らいでいる。この手の組織は牛耳っている人物が倒れると簡単に瓦解するものだ。疑惑のデパート状態のナカモト科学大学本部の最大の闇と見られるアイソトープ研究施設に焦点を絞って行動するのが良いだろう。

『本部の方から揺さぶりをかける?』
『両方ですね。ヒロキさんと私にとっての本丸であるハルイチキャンパスにも攻める糸口を探しています。』
『ばれたら理事長が再起不能になるのはアイソトープ研究施設の方だから、そっちを攻めつつ本部は横領と脱税を中心に攻める感じかな。』
『そうなると思います。調査結果次第で攻めるタイミングを変えたりする必要はあると思いますが。』

 どう攻めるかは慎重に考えて最適の一手を打つ必要があるけど、シャルが言うとおりアイソトープ研究施設がカギになる可能性が高い。大学の腐った執行部をどうするかは、最終的には教職員と学生、そして司法が決めることだ。僕とシャルの目的ははあくまでヒヒイロカネの捜索と回収だから。

『今のところ直接ナカモト科学大学本部やアイソトープ研究施設とは関係がありませんが、E県を含む4つの県に不可思議なことが存在します。』
『それって?』
『天守閣を出てからお話します。』
「風が強いですし、お昼御飯がまだなので、場所を変えましょう。」
「そういえば、昼食がまだだったね。」

 移動に時間がかかったし、ナカモト科学大学本部のキャンパスもかなり広かった。食事をしながらシャルの話を聞こう。4県にまたがるとなると、ポイントを回るだけでも数日がかりになるだろうか。考えてみれば、E県に入るのも今回が初めてなんだよな。すっかり忘れてた。