シャルのセンスと味覚は確かだから、シャルお勧めの内海コースを注文。少し時間がかかると言うけど問題ないので快諾。待つ間にシャルから話を聞くことが出来る。
『まず、これを見てください。』
シャルがスマートフォンにE県を含む4県-E県、C県、T県、K県のある地域を表示する。そこに赤いマーカーが幾つも表示される。かなり多いな。そして青いマーカーが1個。T県とK県の間くらいにある…山?『赤いマーカーは、この地域にある88ヵ所巡礼の札所です。』
『そういえば、このあたりは有名な88ヵ所巡礼があるんだった。』
『はい。天道宗の88ヵ所巡礼です。天道宗の開祖天鵬(てんほう)上人の軌跡と奇跡を辿る修行の旅として、この世界では日本内外で有名だとのこと。』
『名前と札所が88ヵ所ってことは知ってるけど、どこにあるかとかは知らなかったよ。この青いマーカーは山みたいだけど?』
『この山は逆鉾山(さかほこやま)。この地域の最高峰です。』
『逆鉾山も名前は知ってるってレベルだけど、88ヵ所巡礼や今回のヒヒイロカネ隠蔽疑惑とどういう関係があるの?』
『順を追って説明します。まず、この88ヵ所巡礼の札所は、逆鉾山を仰ぎ見させつつ遠ざけるように配置されています。それは、逆鉾山にある伝説や疑惑と関係があります。』
一方、逆鉾山には、世界に降りた神々が神々の長から託された宝物を収めたという伝説もある。これは神話の所謂正史とは別に民間伝承として存在するものだけど、それを感じさせる不可思議なご神体や立地、伝承を持つ神社が逆鉾山には複数存在する。ご神体が杖と石板と壺という三付貴(みつき)神社。岸壁に埋め込まれるように作られた岩殿(いわどの)神社。神輿を担いで険しい山道を登る祭事がある大鉾(おおほこ)神社などなど。
寺は僧侶の修行場所も兼ねていたから、険しい場所に立地しているものが珍しくないが、神社は聖域を守るという性質上、周囲を森に囲まれた平地にあるのが普通だ。88ヵ所巡礼の札所もその傾向が出ている。蛇行する山道を登った先だったり、駐車場とリフトを使わないなら登山そのものの道を踏破しないと行けない場所だったり。
そして、そういう場所にある札所からは、天候が良ければ逆鉾山を見ることが出来る。だけど、逆鉾山を仰ぎ見ることが札所はどんどん逆鉾山から遠ざかる位置にある。更にその方角は逆鉾山から見て東西南北、北東北西南東南西に位置する8ヵ所だけ。その誤差は最大0.1度。非常に精密かつ意図的な配置がなされている。
『札所が当時の技術水準からしてあり得ないレベルで配置されているって、O県にある新道宗の33ヵ所巡礼と同じ…!』
『気づきましたか。この88ヵ所巡礼の札所が所属する天道宗の開祖天鵬上人も、その時代に逃げ込んだ手配犯である確率が濃厚です。』
それらは当時の人々から見れば、まさに神仏の生まれ変わりや神仏そのものに見えただろう。だから1000年以上続く宗教の開祖として尊敬を集める存在になりえた。その裏には、SMSAの追跡を逃れるために時空転送を合わせ込む時間がなくて、技術水準が大きく乖離した遠い過去に転送されてしまったことで、後に自分の子孫や別の手配犯がヒヒイロカネを発見することを期待して、こういった壮大なスケールの隠蔽を図ったことが考えられる。
33ヵ所巡礼もかなりのスケールだったけど、まさか僕でも名前くらいは知っていた88ヵ所巡礼にも、4県をまたにかける壮大なスケールでヒヒイロカネ隠蔽が仕込まれている可能性があるとは思わなかった。逆鉾山にヒヒイロカネやそれに関係する重要な何かが隠されている可能性が急浮上してきた。
『まさか、ナカモト科学大学のハルイチキャンパスは、この88ヵ所巡礼に隠されている確率が高いヒヒイロカネを狙って、ハルイチ市に作られた?』
『現時点では推測ですが、その確率が濃厚です。これを見てください。』
『この2つの札所はそれぞれ88ヵ所巡礼において重要な意味を持ちます。ヒロキさんから見て右下、南東に位置する第24番札所、後光崎(ごこうさき)寺は、天鵬上人が悟りを開いた後光崎洞窟を境内に含みます。そしてその反対側、ヒロキさんから見て左上、北西に位置する第56番札所、泰水(たいすい)寺は、氾濫を繰り返していた蒼龍川を鎮め、支配していた竜神を祈祷によって鎮めたとされる寺で、治水の名手という天鵬上人のもう1つの顔の発祥となった地にあります。』
『悟りを開いた場所と、治水名人としての側面の発祥の地、か。どちらも天鵬上人の始まりの地と言えるね。』
『はい。そしてこの泰水寺の北わずか1kmの地点に、ナカモト科学大学ハルイチキャンパスがあります。』
『!』
『もう1つ、泰水寺には特徴があります。泰水寺の境内には地蔵の御杖というものがあって、それを撫でて祈ることで、六道輪廻を絶つことが出来るという伝承があります。』
『六道輪廻。確か、仏教の根幹は六道を巡る輪廻転生から脱すること。』
『はい。そしてこの地蔵の御杖の科学調査を、ナカモト科学大学医学部が泰水寺に持ち掛けています。』
『!地蔵の御杖がヒヒイロカネで、ナカモト科学大学ハルイチキャンパスはそれを即座に調査・保管できるように立地された?』
『調査がまだなので確実ではありませんが、その確率が考えられます。』
僕の言うとおり、仏教の根幹は生前の行いによって六道を延々と転生し続ける輪廻転生から脱すること-これを解脱という-。解脱によって絶対の幸福がある浄土に行けるとされ、そのために宗派ごとに様々な方法を提案・実践している。地蔵菩薩もまた、六道を直接巡って衆生を救済することで、悟りを開き、仏-如来とも言う-になることを目指して修行する身だ。
その地蔵菩薩が持つ錫杖を表したものが、泰水寺にある地蔵の御杖。88ヵ所巡礼の巡礼者だけでなく、地域の人々にも「地蔵さんの杖」と親しまれている。ナカモト科学大学医学部は泰水寺にこの地蔵の御杖の科学的鑑定を行うため協力を要請している。
泰水寺もハルイチ市に鎮座する寺院の1つ。当然ナカモト科学大学ハルイチキャンパスの不評を見聞きしている。それに、医学部が地蔵の御杖の科学的鑑定をしたいと考える理由が分からない。史学系なら理解できるし、理学工学ならまだ分からないでもない。医学との関連性はどう考えても分からない。そのため、泰水寺はナカモト科学大学の要請を断り続けている。
『ナカモト科学大学が、医学部と歯学部を本部があるナカモト市に立地しなかった理由が、泰水寺にあるヒヒイロカネを奪取しやすくするためと考えると、キャンパスをハルイチ市に食い込ませた理由として筋が通るね。』
『はい。医学部や歯学部なら、大型NMRなど高額な測定機器を金にものを言わせて多数購入することが可能です。加えて、医学部はどの大学でも頂点に君臨する確率が高い学部です。キャンパスを隔離することで物理的にも本部の意向や影響を受けにくくして、ヒヒイロカネ研究に注力できる環境と言えます。』
運ばれてきた料理を食べながら、シャルの説明を引き続き聞く。泰水寺は天鵬上人の治水の名手というもう1つの顔の発祥の地であると同時に、天鵬上人が興した天道宗において重要な立ち位置を占める。シャルが挙げた第24番札所、後光崎寺と対になるとされているからだ。
後光崎寺がある後光崎は台風が頻繁に上陸して、海が大荒れになりやすい地域。一方、泰水寺がある地域は竜神が支配する蒼龍川が頻繁に氾濫した。海と川の違いはあっても、水に翻弄され、苦しめられてきた地域という共通項がある。そして、逆鉾山を含むヨクニ連峰を挟んでほぼ等距離、地図で分かるとおり南東と北西に位置する。
そして、天鵬上人が治水の名手としての一面を持つのは、後光崎寺で悟りを開いた際に虚空蔵菩薩から知恵を授かったためとされている。悟りを開き、治水の知恵を得た後光崎と四つ国連峰を挟んで反対側の現在のハルイチ市で、氾濫を繰り返す蒼龍川を鎮め、治水の名手としての地位を得ると共に泰水寺を建立した。
『良く出来たシナリオだね。何か作為的なものを感じる。』
『天道宗の開祖として、治水土木の名手としての地位や名声を確立するとともに、逆鉾山を仰ぎ見ることは出来ても近づけないように、後の札所となる寺院を建立したと考えられます。逆鉾山を見ることが出来る札所は8か所のみで、方角の誤差も非常に少ないことから、高度な測量技術が存在したと考える以外ありません。』
古代は街灯も電灯もなかった。だから星は非常によく見えた。時刻と季節で変わる太陽や月、星の動きから、人々は農耕の基準となる季節の節目や方角を知った。人間の寿命である数十年、長くて100年程度の年月では、天体の位置は変わらない。だから驚くほど正確な測量や計測が出来た。
古代に逃げ込んだ手配犯は、GPS端末など人工衛星が必須の機器は使用不能になったけど、プレーンとして持ち出したヒヒイロカネや、関連する高度な知識を使って、当時では不可能な治水や建設を指揮主導した。それは手配犯の崇拝や神格化へと容易に繋がっただろう。科学技術がこれだけ発展しても、水素水だのワクチンへの5G端末混入だのが普通に信じられるくらいだ。科学技術の水準が今よりはるかに低い時代に画期的な土木治水技術を齎して成果を上げれば、十分神や仏になり得る。
そして人々を継続的に懐柔するには、宗教が効果的だ。帰依の証として布施があり、無償の奉仕活動がある。それらを原資にして建物を建てさせ、信仰の対象として宝物や彫像を置くことで、信者の継続的な参拝が得られ、奉賛金など継続的な収入が期待できる。今も寺社仏閣の改修で数百万とか高額の寄進をする人が少なくない。
桜蘭上人と天鵬上人のいずれも歴史に名を遺す宗教の開祖なのは、そうした背景が考えられる。崇拝の対象になることで自身の言動に正当性を持たせつつ、継続的に資金を得て拠点としての建造物を建てさせ、その際高度な測量技術も駆使して巨大なランドマークを構築することで、ヒヒイロカネを隠蔽すると共に隠し場所を示唆する暗号を残すためと考えると、不可解な謎が明らかになってくる。
『元財務相は多分、財務省の伝(つて)で、ヒヒイロカネの存在を知った。そしてヒヒイロカネが彼方此方に隠されていると踏んで、グループ企業を隠れ蓑にして調査した。結果、ハルイチ市にある泰水寺にそれを匂わせる地蔵の御杖があることを知った。多数の測定機器を一気に購入できて、他の学部との力関係に勝る医学部という体で研究拠点を設けて、泰水寺に明け渡すよう要請している。-こういう筋書きが成り立つね。』
『その確率が非常に高いと思います。そうでなければ、本部から遠く、しかも地盤が脆い場所にわざわざ広大なキャンパスを持つ医学部を設置する理由がありません。地域医療振興など表向きの口実であって、元財務相のグループ企業は本心ではつゆほども考えていないでしょう。』
『建物の崩壊で放射性物質の漏洩のリスクがあるアイソトープ研究施設は、あくまでもカモフラージュか…。とことん腐ってるね。』
『グループ企業の総帥である元財務相自体、人を人とも思わないゴミクズですから、放射性物質の漏洩による土壌汚染や周辺住民の健康被害など、同じくつゆとも考えていないと見て間違いありません。』
余談は禁物だけど、ナカモト科学大学ひいては元財務相が狙っているのは泰水寺にある地蔵の御杖で、それがヒヒイロカネあるいは重要な関係がある可能性が高い。となると、現在拠点を設けているハルイチ市に戻って、泰水寺にある地蔵の御杖をシャルに測定してもらうのが当面の目的か。
『それは勿論重要ですが、このまま関連個所への移動と調査を続けていると、元財務相のグループ企業、そして繋がりがある財務省など霞が関や政権与党に動きを察知される恐れが出てきます。』
『そっちも考えないといけないね。』
『航空部隊を派遣する?』
『それでも可能ですが、精度がやや低下するのと、実物の形状や所在位置を実際に確認しておきたいところです。』
『大きなものだと重量もあるだろうし、寺は階段の上にあることが多いからね。』
地蔵の御杖がヒヒイロカネなのかどうか、どんなタイプのヒヒイロカネかは、実際に現地で確認するのが良い。シャルの航空部隊の撮影・測定精度は凄く高いけど、質感や重量といった情報、回収時のプロセス検討などは現地確認に及ばない。一方で、シャルも言うように、ヒヒイロカネ関連のポイントを単調に回っていると、動きを察知される危険がある。
ナカモト科学大学には本部にもハルイチキャンパスにも、至るところに監視カメラが仕込まれていた。更にハルイチキャンパスでは、シャルがその体格からあり得ない怪力で学生を投げ飛ばした。その経緯が監視カメラを介して監視員に見られていたら、画像解析などに持ち込まれて、向こうから見て「危険人物」とマークされている危険もある。
『…シャル。こういうことって出来る?』
ふと思いついたことをシャルに聞いてみる。これが出来るならある程度僕とシャルの行動を隠蔽することが出来るだろう。『簡単です。』
『じゃあ、この昼ご飯を終えたら実行しよう。』
「何だか別人になった気分です。」
ランチメニューとは思えない品数の食事を終えて、僕とシャルはそれぞれ別の場所にあるトイレで変装する。シャルは自分自身を変えるだけだから容易だろうと踏んでいた。僕をどうするかが考えどころだったけど、買いに行くところを掴まれると意味がなくなると思って、シャル本体から分離創成した変装道具一式を、光学迷彩付きで運んでもらった。僕は帽子を被ってコートを入れ替えるシンプルなもの。一方、シャルは黒くなった髪を下ろして眼鏡をかけている。服も普段のカジュアルなものからブラウス+スカートに替わっている。シャルが言うとおりまるで別人。しかも絵に描いたような黒髪ロングの美女。これだけ劇的に変われるなんて、本職モデルも真っ青だ。
「どうですか?」
「凄く似合ってる。一瞬シャルって分からなかったくらい変わったね。」
「髪の色とヘアスタイルを変えるとかなり印象が変わるとは思っていましたが、実行してみると面白いですね。」
手を繋いで並んで歩く。どうしてもシャルが気になる。シャルと言えば後ろで束ねた金髪というイメージが定着していたから、別人と歩いているような、違和感と言うか何と言うか、そんな感覚が強い。顔は間違いなくシャルそのものだけど、シャルじゃないような気がしてならない。
『ヒロキさんが私に違和感を覚えるのは本意ではないので、対策します。』
視界に移る黒髪ロングのシャルが、金髪を後ろで束ねた通常スタイルに戻る。僕が違和感を覚えるからって元に戻したら…?!建物の窓ガラスに映ったシャルは、黒髪ロング。どういうこと?『忘れました?ヒロキさんが填めている腕時計を介して、ヒロキさんの視神経に干渉して視界を操作できるんです。』
『そういう能力もあったね。すっかり忘れてた。』
違和感が消えた僕は、駐車場へ向かう。そういえば、車種や色も追跡の際の重要な情報になる。駐車場にはシャル本体が…?あれ?どれだっけ…?
「こっちですよ。」
シャルが僕を案内する。色は…スカイブルー。形状は若干変わっている。ナンバーは…全然違うものに替わっている。シャルが別人みたいに変貌できるくらいだから、本体が色や形を変えるのは造作もないか。『HUDやナビ、内装はそのままですから、違和感は少ないと思います。』
『こんなに変われるなんて凄いね。』
「今のところ、周辺に不審な動きはありません。」
シャル本体に乗り込んでシステムを起動したところでシャルが言う。確かに内装は全く変化がないから、違和感はない。「念のため、ナカモト市以外の複数の自治体にホログラフィの私本体を走らせます。」
「クロヌシをおびき出す時に使ったあの能力?」
「はい。移動中のヒロキさんと私もホログラフィで再現できます。諜報活動の攪乱になるでしょう。」
「じゃあ、僕とシャルはこのままハルイチ市の泰水寺に行ける?」
「はい。勿論、周辺に航空部隊を配備して、不審な動きは妨害・排除します。」