謎町紀行 第83章

序列意識と腐臭が漂う大学キャンパス

written by Moonstone

 午前いっぱい、ハルイチ市の港湾部を中心に散策して、焦点であるナカモト科学大学医学部-正確にはナカモト科学大学ハルイチキャンパスに赴いた。港湾部からは車で20分ほど。国道6号線を縦断してから県道319号線に入る形で行ける。県道319号線はかなり新しくて、大学誘致と同時に整備された感が強い。
 県道319号線を南下してナカモト科学大学医学部へ向かう最中、数台の車に追い越された。追越可能だからそれ自体は何も珍しくないし、文句もない。問題なのは追い越し方。猛スピードで迫ってクラクションを鳴らし、暫くそうしてから猛然と追い越していった。品性がないの一言の追い越しが、何台も連続すればおかしいと思う。
 追い越した車はいずれも高級車と言われる部類。車に詳しくない僕でもエンブレムで分かるレベル。方向からしてナカモト科学大学医学部に向かう車の確率が非常に高い。港湾部を巡っている時にも、追い越し禁止の片側一車線で、信号待ちのところでけたたましくクラクションを鳴らして早く行けと煽った車も、やっぱり高級車だった。

「この町を走る高級車は、大抵ナカモト科学大学の学生やに(註:この地方の方言で「学生だよ」。)

 港湾部の朝市で、偶然その現場を見た僕とシャルに、露天の店主がそう言った。僕が、ああいうことは日常的に起こっているのか、ナカモト科学大学の学生というのは本当か、と尋ねると、信号や踏切で待っている時も、今までのスピードで前に進めないとクラクションを鳴らす。高級車であんなことをするのは、殆どナカモト科学大学の学生だ。店主はそう答えた。
 初めて知る事実を装って注意点などを聞いたところ、ナカモト科学大学の学生には近寄らない方が良い、特にシャルのように若くて綺麗な女性は格好の標的になる、金にものを言わせてああして起こす交通事故は勿論暴力恐喝万引きも揉み消しを図る、大学は警察沙汰を嫌がるから絡まれたら即通報するのが良い、などなど教えてくれた。

「少なくとも車の運転に関しては、前評判どおりだね。」
「金を持っているから何でも出来るし何をしても許されると思ってるんでしょう。学生には分不相応な高級車に乗れるし、悪さも揉み消せるし、女も買える。そういう感覚なんでしょう。」
「大学に入っても大丈夫かな。」
「車を降りれば生身の人間。絡んで来るようなら汚い両手と無駄な行動力を生む両脚を切り落としてあげます。もっとも、車に乗っていたところで、鉄の塊にAIもどきを乗せただけのチャチな玩具ごと、海に叩き込んであげますけど。」
「過激なことはしないでね。」

 僕が一番懸念しているのは、シャルが絡まれること。シャルを怒らせたらどうなるかは、今までもこれでもかというくらい見せつけられた。ミサイルで身体の一部を吹っ飛ばされる、麻酔なしで身体の一部を抉り取られる、メッタ切りの上にメッタ刺しを食らって集中治療室送り、などなど。…シャルに絡んだ相手が悲惨な末路を辿る懸念、と言うべきか。
 2、3台更に高級車に追い越された後、ナカモト科学大学医学部の正門に到着。「外来者用入構口」と案内があるから、そちらに入る。有料駐車場みたいなゲートがあって、そこで駐車券を受け取る。駐車券はICカードになっている。これが入構証でもあるそうで、食堂など大学建物への出入りは、この駐車券をカードリーダーにかざすことで可能になるとのこと。退出の際は、これを差し込むことでゲートが開く仕組みだから、紛失にはくれぐれも注意してほしいとも。
 外来者用駐車場は、事務局棟とある建物にほど近いところにある。結構な面積があるのは、大学祭とかのイベントに備えたものだろうか。今はかなり閑散としているから、駐車場の空きを待つ必要はない。適当な空きスペースに入る。建設されてまだ間もない方だから、建物はどれも綺麗だ。
 まず、最初の目的地である食堂へ。食堂と言っても2タイプあって、1つは学生が主に利用する、アラカルトメニューから選んで自分で席を選んで食べて片づける、所謂学食。もう1つはメニューがあって、そこから従業員に注文して持ってきてもらうタイプ。僕とシャルが行くのは後者の方。
 前者も入れるけど、学生が昼休みに大挙して押し寄せるだろうから、そこにシャルを披露する気にはなれない。朝市で聞いたところ、食堂に行くならカフェテリア、つまり後者の方が断然良いとのこと。値段も手ごろだし落ち着いて食べられるから、大学の数少ない長所、とまで言われていた。大学の性質が端的に表れている。
 カフェテリアは食堂から反対側を歩いたところにある。位置関係は食堂←駐車場と大学事務局棟→カフェテリア。案内表示が随所にあるから、迷う確率はかなり低い。事務局棟を挟んで食堂と反対側にあるのは、学生がカフェテリアに行きづらいようにするためだろうか。
 出入口で駐車券を翳すと、コンビニのような音が鳴って自動ドアが開く。店員が駆け寄ってきて、人数を聞いて僕とシャルを席に案内する。昼のピークを外したとは言っても、店内は半分以上埋まっている。大学の学生の評判は悪くても、多額の学費や寄付金を原資にした設備は好評なのか。それは大学としてどうかと思うけど。
 店内は洋風の調度品で統一されている。ジャズが薄く流され、ゆったりした雰囲気。他の客は、教職員らしい男女客が数組と、僕とシャルと同じ外来者らしいやや年配の女性客が2,3組。僕とシャルのようなカップルはいないようだ。特別大学に用がないのに、わざわざ評判の悪い大学に昼食に来る必要はないと見なしているか。
 渡されたメニューを見る。シャルお勧めは日替わりシーフードランチ。ハルイチ市は港湾部で朝一があるように、漁業の町でもある。漁港がある町は新鮮な海産物が期待できる。日替わりシーフードランチを2つ、ドリンクはアイスティーを注文する。ドリンクで紅茶を選べるのは個人的にポイントが高い。

「お待たせしました。日替わりシーフードランチでございます。」

 少しして、料理が運ばれてくる。流石にシャルが勧めるだけあって、料理は品数も多くて、見た目も味も良好。疑惑の建物があって、学生の評判が悪い大学という感覚が薄れてしまう。大学の行方は分からないとしても、このカフェテリアは残ると良いかな。

『早速アイソトープ研究施設へ向かう?』
『いえ。キャンパス全体を回ろうと思います。』

 シャルが説明する。このキャンパスは医学部と歯学部、それに附属病院がある。学生の評判は相当悪いけど、潤沢な資金を活かした立派な設備の病院があることで、何とか体裁を保てている面がある。病院にはMRIがあるし、医学部や歯学部の臨床研修の場所でもあるから、学生の出入りも少なからずある。
 学生に直接接触するつもりはないが-絡んできたら最低限指は切り落とす-、学生や教職員の出入りは観察しておきたい。日頃の動きの中に不審なものが隠されている確率がある。アイソトープ研究施設がヒヒイロカネ隠蔽あるいは研究のためのカモフラージュなら、その周辺に何らかの動きがあることは十分考えられる。
 駐車券を解析したところ、この認証では医学部と歯学部の建物、付属病院と付属研究所には入れないことが分かっている。勿論、アイソトープ研究施設も含まれる。周辺には監視カメラが見えないように配置されているから、まずはキャンパス全体の把握と、学生や教職員の動向を観察することに留めたい。

『-その方針が良いね。突撃しに来たわけじゃないし。』
『勿論、安全には万全を期します。』

 アイソトープ研究施設は勿論、周辺にどんなトラップが仕掛けられているか分からない。シャルだけなら強行突破も十分可能だろうけど、破壊活動が目的じゃない。監視カメラが随所に仕込まれているそうだから、破壊活動に乗り出せばそれが証拠にされて、警察に追われる身になるどころかナカモト科学大学側が被害者の立ち位置を得る。そうなると、以降の調査捜索が凄くやりづらくなる。
 アイスティーとデザート-ハート形のレアチーズケーキ-を食べ終えて、昼ご飯は十分満足。代金はカード払いも出来るから、カードで払っておく。カフェテリアを出て、シャルの案内でキャンパスを回る。まずはカフェテリアの奥にある医学部と附属病院。地上8階、地下2階のビルが医学部で、2階と5階がホールウェイで附属病院と繋がっている。
 附属病院も地上8階、地下2階のビルだから、一見双子のビルに見える。附属病院の近くに広大な駐車場がある。来院者は僕とシャルが入ったゲートとは違う、附属病院に近いゲートから入る。こちらは駐車料金無料だけど、ICカードの駐車券が別物だから、カフェテリアなど大学の施設には入れない。
 附属病院の周辺は芝生が敷かれていて、ブランコや滑り台といった遊具もある。入院していたり親の付き添いで来た幼児を対象にしているようだ。職員向けの院内保育園もあるから、その保育園に通う子どもも使うんだろう。その辺の公園より芝生や遊具の整備は行き届いている。金の力だろうから、少々複雑ではある。

「ナカモト科学大学医学部の6年間の学費は、5000万円です。」
「凄い額だね…。医者の家しか払えそうにない。」
「実際、学生の9割以上は親が医者、しかも開業医です。医者でも開業医と勤務医では収入の格差があって、開業医の方が多いですから。」
「金の力で医者になれるわけか…。」
「もっとも、医師国家試験は金でどうこう出来ませんから、そこで5000万をどぶに捨てるリスクはありますね。」

 国家試験は公正公平が大原則。受験資格を満たせばだれでも受験できるけど、合格できるかどうかは保証されない。今のところそれは一応保たれている。5000万払っても国家試験に落ちたら医者にはなれない。自分の病院を継がせるにしても、医師免許がないことには医者として継ぐことは出来ない。
 それに、大学自体は金の力で入れても、医学部のカリキュラムを避けることは出来ない。医学部は毎日が受験勉強と言われるくらい、勉強しないとついていけない。大学だから追試はある場合もあるけど、単位を取れなかったら留年するし、留年にも限度がある。まさしく5000万をどぶに捨てることになりかねない。
 芝生の中の通路を歩いて行く。この通路はすべて舗装されていて、膝丈ほどの高さのライトも設置されている。交差点には案内表示があって、迷わないようになっている。建物は近くに見えるけど、どれがどの建物かはある程度慣れないと意外に分からない。この辺は結構行き届いているように思う。
 医学部と附属病院のエリアの奥に、少しこじんまりしたビルがある。歯学部棟らしい。地上6階、地下1階のビルは、同じく真新しさがまだ残っているけど、医学部と附属病院の建物を見た後だからか、本館に対する離れのような印象を受ける。
 医学部棟との最大の違いは、ホールウェイで連結する部分が2階だけということ。6階建てだから5階もホールウェイで連結しているかどうかで、移動の時間はかなり変わるだろう。医学部棟と附属病院の密接な繋がりに対して、歯学部棟は蚊帳の外とはいかないまでも、やや疎外されている印象を受ける。

「医学部と歯学部の序列が露骨に反映されていますね。」
「そういう理由か。馬鹿馬鹿しい話だね。」

 日本では、医学部と歯学部は別の学部。医学部はあっても歯学部はない大学はある。その逆も然り。電気電子と機械のように、1つの学部で違う学科じゃない。ただこれだけだけど、医者と歯医者は別の存在ということを内外に示している。それは、露骨なまでの医学分野の序列の反映だ。
 医学の分野は医師を頂点とする階層社会だということは有名だ。医師法では医師だけが出来ることとして、様々な医療行為が定められている。コメディカルという言葉が出来て、医療における分業体制が提唱されているけど、結局のところ、医師の指示で検査や分析をする、トップダウン式の体制なのは変わらないどころか堅持されている。
 端的なのは、救急搬送。まさに一刻を争う現場でも、救急隊員は応急処置しか出来ない。あくまでも手術や投薬などの医療行為は医師だけが出来ることで、救急隊員が出来ることは、何とか医師の下に搬送できるようにすること。仮に救急隊員が医療行為をすると医師法違反で刑事罰の対象になる。人命を救うことが犯罪になるわけだ。
 歯医者は、歯をはじめとする口腔全般の専門医。だけど、医学部からなれるのは口腔の専門医は口腔外科であって歯科ではない。歯科は医者が扱う科じゃないということだ。この明に暗に徹底した序列は、医療行為は医師だけが出来ると定める医師法と、日本最大の圧力団体と言われる日本医師会が強固に守っている。
 そういった序列意識が、この建物にも表れている。効率から考えれば、歯学部から附属病院に同じように行ける方が良いに決まっている。それを露骨な形で妨害しているのは、医学部と歯学部は別の存在であって、医学部が頂点という序列意識に他ならない。
 歯学部の奥には、体育館や武道場、陸上競技のトラックや野球場、サッカー場がある。これがキャンパスの面積を拡大している要因の1つだろう。屋外競技場は、どれもしっかりした観客スタンドがあって、夜間もプレイ可能なように照明も完備している。設備に物凄い金をかけているのが分かる。

「医学部と歯学部は、クラブやサークル活動では同一のチームに所属しています。活動はかなり盛んなようです。」
「設備だけを見ると、プロが使っても不思議じゃないね。」
「E県をはじめ、近隣自治体のスポーツイベントの会場になることも多いようです。設備面はヒロキさんが言うとおり、プロの基準を満たしていますし、駐車場も潤沢なので、好都合な条件が揃っています。もっともそのイベントは、オープンキャンパスと並んで学生の格好のナンパの機会でもあるそうです。」
「ナンパはそれに乗るかどうかは個人の問題だから。無理やりじゃなければ良いんじゃないかな。」

 今は講義の時間帯だからか、運動設備を使っている学生は少ない。此処から見てごく小さいミニチュアくらいに見える程度の距離もあるから、シャルに絡んで来る輩も居ない。運動施設の外枠をなぞるように敷設された通路を歩いて行くと、歯学部の奥、敷地全体で言うと北側のエリアに入る。
 このあたりは、クラブやサークルの部室が集約された建物、付属施設が並ぶ。森が近いせいか、これまでと違って「隠されたエリア」感が強い。通路は続いているし、「関係者以外立ち入り禁止」の表示もないから、そのまま歩いて行く。部室の建物がプレハブじゃなくて鉄筋コンクリートなのも、設備への投資を感じる。
 付属施設は、液体窒素と液体ヘリウムの供給所である低温センター、動物実験施設、そして疑惑の施設であるアイソトープ研究施設。駐車場から見て丁度主要な建物を挟んで反対側。森がより近くなって、雰囲気だけでも隠蔽の意図を感じる。一方で立入禁止の標識とかはないから、何だかちぐはぐな感もある。

『立入禁止は建物だけで、敷地は大丈夫です。それよりも、アイソトープ研究施設が問題です。』
『ヒヒイロカネのスペクトルが検出できた?』
『強い磁場で検出できません。今見つけた問題は、それではありません。あれを見てください。』

 シャルが指さした先は、アイソトープ研究施設前を通る通路…!妙に陥没している。近くに「足元注意」の看板があるけど、階段1段は優にある段差は、足元注意のレベルじゃない。よく見ると、周囲に不自然なコンクリート部分がある。もしかして、地盤沈下を起こしている?

『そのとおりです。アイソトープ研究施設周辺の地盤はかなり脆く、竣工以降、不規則に地盤沈下が発生しているようです。』
『これ、かなり危険なんじゃ…。』
『核爆発は起こりようがないですが、放射性物質漏洩のリスクはかなり高いと見て良いですね。』

 放射性物質→核爆発は、あまりにも短絡的だ。核爆発を起こすには、まずウラン235かプルトニウム239を濃縮する必要がある。そこに中性子をぶつけると、ウラン235やプルトニウム239が分裂して-これが核分裂-、更にそこから発生する中性子が他のウラン235やプルトニウム239に当たって、を無制限に続けさせると、膨大な熱が発生する。これが一般に核爆発と呼ばれるものだ。
 一方、ウランで圧倒的に多いウラン238は核分裂を起こしにくい。圧倒的な量のウラン238の中にごく少量のウラン235が混じっている感じだ。ウラン鉱石からウラン235を濃縮することで、ようやく核爆発や原子炉に使える核燃料が出来る。この過程で遠心分離機が必要になるから、遠心分離機は輸出規制がかかる。
 核分裂しにくいウラン238や、ウラン以上の重い原子核は、徐々に核分裂して崩壊することで別の物質になっていく。この崩壊の過程を持つ物質は、周期表でウラン以上の原子番号を持つ物質だけで、この過程でアルファ線やベータ線といった放射線を出すから、放射性元素あるいは放射性物質、あるいは放射能と言う。
 ウランなど所謂放射性物質とは別に、水素や炭素といった身近な元素も、中性子数の違いでウランなどのように放射線を出しつつ崩壊して別の物質になるものがある。これが放射性同位体、アイソトープと呼ばれる。有名どころは14C、「炭素14」とか呼ばれるもので、地層や遺跡などの年代特定に用いられる。
 アイソトープ自体は、14Cのように、研究や検証、医療などで重要な役割を担う。近年有用なガン検査方法として浮上してきたPET(陽電子放出断層撮影)も、18F(フッ素の放射性同位体)を含む薬剤を被験者の体内に投与して、その分布状態を測定・画像化するものだ。「放射性」が頭に着くとか「放射線を出す」ことで、核爆発に繋がるというのは無知が過ぎるし、一律に危険視して排除するのは人類に役立つ研究や医療を否定することにもなる。
 問題なのは、その管理が杜撰なこと。X線検査より少ないとは言え-X線の放射線量は相当に多いことは意外に知られていない-、放射性物質である以上被曝はする。土壌に漏れ出せば放射線や放射能に無知な輩によって-科学的を標榜する政党でも大して変わりはない-、漏れた放射性物質そのものより長く深刻な風評被害に晒される危険がある。
 アイソトープ研究施設がある場所の地盤は、相当脆いと考えられる。コンクリートで埋めたところで変わるものじゃない。基礎工事、否、その前の地盤調査の時点で別の場所に建てることを決めるべきところだった。このままだと、建物の倒壊、ひいては放射性物質の漏洩の危険がある。

『こんな状態で研究は出来るんだ…。』
『設備とそれを使う人間がいれば、研究そのものは出来ますからね。』
『シャル。この建物近くに民家はある?』
『そこに目が行くのが流石ですね。北側にかなりの数の民家があります。』

 最悪のパターンだ。このまま放置されれば、建物の倒壊や放射性物質の漏洩が現実のものとなる。なんでまた、こんないい加減な立地で管理を厳重にすべき建物を建てたんだ?医療現場に関わる大学なら、放射性物質の漏洩がどれだけ周囲にも、そして大学にも有害なものか分かるだろうに。

『残念ながら、そこまで頭が回らなかったようですね。所属グループ企業のオーナーがあの体たらくですし。』
『元財務相、か…。』
『憎まれっ子世に憚ると言いますが、迷惑千万ですね。』
『この状況を、近隣住民は知ってるかな?』
『アイソトープ研究施設の存在発覚の時点ではもめたようですが、E県とハルイチ市が不問としたことで、不満を抱きながら並存しているようです。』

 共存ではなく並存。この一言が状況をつぶさに表現している。放射性物質の漏洩が危惧される環境下に不満を持つ一方、行政は不問としているから手の打ちようがない。議員の殆どは市長や知事の言いなり、言い換えれば翼賛体制。チェック機能を持たない議員を選んだ有権者の責任でもある。
 今までの事例でも、議員は殆ど役に立たないどころか、有害な体制の一翼を担ってさえいることもあった。今回も、議員を動かして事態の打開を目指す選択肢は度外視した方が良い。ナカモト科学大学の息がかかった議員が、僕とシャルを妨害することの方がまだ現実的に起こり得ると思う。

『現状は記録しました。そろそろ行きましょう。』
『建物の奥とか調査しなくて良い?』
『立入禁止の虎ロープが張られています。それに、不穏な動きを観測しました。』
『警備員が来てるとか?』
『そのとおりです。まだ物陰から観察している段階ですが、これ以上長居すると交戦は避けられません。』

 やっぱり、大学としてもアイソトープ研究施設の存在には敏感だ。監視カメラも随所に仕掛けられているというし、僕とシャルが此処を調査しに来たと思っても不思議じゃない。戦闘になってもシャルは全く問題ないだろうけど、地盤が脆い土地、しかも放射性物質が保管されている場所での戦闘は、近隣住民に甚大な被害が及ぶ恐れがある。

「えっと…このまま道に沿って行けば、駐車場の方に行けるかな。」
「!そ、そうだと思います。ほら。」

 シャルがスマートフォンにキャンパスマップを表示する。アイソトープ研究施設の近くの現在地から通路沿いに南下すると、歯学部棟の西側に出ることが分かる。

「危なそうな場所みたいだし、早く出よう。」
「そうですね。」

 少々わざとらしいけど、何も考えずに道を歩いていたら到着してしまった感を装って、アイソトープ研究施設を後にする。森が日差しを遮る通路を少し歩くと、歯学部棟の西に出る。このまま通路に沿って南下すれば、医学部棟と事務局棟を見ながら駐車場に辿り着く。

『わざとらしかったかな。』
『いえ、良かったようです。物陰から監視していた連中は撤収しました。』
『大学が近づかれることに敏感になっている建物。何かあると見て間違いなさそうだね。』
『アイソトープ研究施設という割には、磁場が強すぎます。本来のアイソトープ研究とは乖離したものである確率が濃厚です。』

 アイソトープは言わば研究や医療の材料だ。アイソトープを学部や附属病院に運んでPETやマーカーに使うのが本来の使い方。NMRやMRIがあっても不思議じゃないとはいえ、シャルが内部をまったくスキャンできないほど強力な磁場で囲むほど、NMRやMRIを多数配置するのは不自然だ。
 アイソトープ研究施設は、見た感じ普通の建売住宅程度のサイズ。NMRは磁場の強さと装置のサイズに相関関係があるから、相当強い磁場だと建屋の多くを占拠するものになる。そうなると、今度はそれを複数台設置することに無理が生じる。何かを隠している確率は高い。

「現地の確認は出来ました。航空部隊を派遣してアイソトープ研究施設周辺の詳細な調査を行います。」

 駐車場に到着して、シャル本体に乗り込んだところでシャルが言う。

「調査項目が多いので、3日ほど時間を要します。」
「それは一向に構わないけど、その間どうする?ナカモト科学大学の本丸に行くとか。」
「聡いですね。調査期間中、対岸にあるナカモト科学大学本部の現地調査に行こうと思っていました。」
「それは外せないね。」

 本丸のナカモト科学大学は、複数の学部を擁する総合大学。そこに手掛かりが隠されている可能性がある。手掛かりは何もヒヒイロカネの情報だけじゃない。調査対象の人物や施設に関する情報や評判と言ったものの中に、思いがけない手掛かりが潜んでいることもある。それは過去の事例でもあったことだ。
 メディアはすべての情報を発信しないし集約もしない。メディアは金を握らせれば黙らせたり、自分に都合の良い、あるいは相手に都合の悪い情報を流すことも厭わない組織だということは、それこそナカモト科学大学の本部があるO県で実際に直面した事実だ。メディアも信用ならないとなれば、情報は自分達で稼ぐしかない。
 幸いにして、シャルはこの世界の衛星や通信網を合わせても勝てないであろう情報収集・分析能力を持つ。僕とシャルの目的であるヒヒイロカネの捜索と回収に焦点を当てて、あらゆる情報を集約・分析すれば、何かが見えてくる可能性はある。何もないかもしれないけど、それは結果の1つでしかない…。