田舎ゆえの問題が、駐車場の少なさ。駐車禁止の標識は、車1台入れるかどうかの通りくらいしかないけど、公式な駐車場が公営民営問わず殆どない。食事とかで集落に入る際、何処にシャル本体を置くかが結構悩みどころだ。幸い、民家の前でなければ、適当なところに止めても問題ないようだ。
今日は、町外れにある和風カフェ。古民家を改装したもので、メニューもこの手の店の傾向に漏れない。不思議とランチメニューがあるから、ランチを2人分注文。少しして運ばれてきたのは、ランチというより定食もの。味は申し分ないからこの店はこういうものだと思うことにする。
『手配犯からの応答はあった?』
『ログによると、メールチェックをしていません。』
『半日そこそこで返事が来るとは思わない方が良いかな。』
手配犯のDNAの断片を探るサンプル採取と解析は、継続して行われている。やっぱり手配犯は巡礼コースの札所を順に辿っている。また、札所と札所の間でDNAの欠損具合に差があることも分かった。休暇を利用して断続的に札所を辿っていることが間接的に証明されたと見て良い。
手配犯も車で移動しているのは間違いない。休暇を使うにしても、この札所の移動のし辛さは車という移動手段がないと、徒歩しかない。それだとシャルの計算では、アヤマ市に近いところなら数か所周れるけど、厳生寺の前あたりからは1か所良ければ良い方だと出ている。DNAの断片を解析しても、数か所ごとに同程度の欠損具合だから、車で移動していると考えるほかない。
宿泊はどうしているのか考えたけど、車中泊をしていることが考えられる。巡礼コースは特に後半になるほどコースに近いところの宿が少ないし、宿坊も数が限られるうえに他の巡礼者もいる。車中泊なら、駐車できれば何とかなるし、今時の車は大体ACコンセントが装備されているから、湯を沸かしたり暖を取ったりできる。
川辺とかで手配犯のDNAの断片が検出されるのは、手配犯が車中泊をしている証左だと見ている。巡礼コースが山奥で人が少ないことが幸いして、水は煮沸消毒をすれば十分飲めるレベル。実際、札所によっては手水が側を流れる川のこともある-一応通常の手水場もある-。洗濯もトイレも水があれば何とかなる。1人なら尚更だ。
こう見ると、手配犯の意外な側面を感じる。車中泊の一人旅をしながら、歴史の不可思議を探る。一風変わった趣味だし、理解者は少ないだろう。だけど、自分の知的好奇心を満たしつつ、同じO県県内でも見たことがない場所を見て回るのは、決して悪いことじゃない。ヒヒイロカネが絡まないなら、趣味と実益を兼ねつつ自分の世界を確立した1人だと思う。
『手配犯に金で買われたゴミムシの背後関係が判明しました。宗教団体と癒着しているH県選出の国会議員が元締めです。』
『また?!』
シャルの説明では、H県選出の国会議員は不動産会社を経営しているが、地価が上がりそうなところを買い叩いてビルを建て、テナントにして収益を上げることを繰り返している。家賃の支払いが遅れたり払えなかったりすると、暴力団まがいの恫喝で強引に払わせ、場合によっては経営を妨害するなど、悪評が多い。
その先兵が、シャルが捕縛して拷問した例の半グレ集団。一方でぼったくりバーなど暴利の店を経営し、片方でテナントや目的の土地を持つ人に恫喝を繰り返し、金を巻き上げることで荒稼ぎして、国会議員に流している。こんなヤクザと変わらない企業でも顧問弁護士ってのが居るんだから、金を払えば悪魔の尻でも舐めるのが弁護士かと思う。
『その国会議員は、手配犯に金を流している宗教団体と癒着してるんだよね。だとしたら、手配犯に流れた金は、半グレ集団を介して宗教団体に戻ってるってことじゃ?』
『全額ではありませんが、その流れが出来ていますね。中継役のゴミムシは全部潰したので、その還流の構図は狂うでしょうけど。』
一方で、手配犯は気づかないうちに宗教団体の手先として、ヒヒイロカネ捜索のために動かされているのかもしれない。本人は自分のために、暗号を手掛かりにヒヒイロカネを探しているけど、宗教団体は何かの機会に手配犯からヒヒイロカネを奪う算段を立てていても不思議じゃない。
『この一連の金の流れを、その国会議員は知ってるの?』
『企業の裏金を使っているようです。だからこそ知っていると見て良いでしょう。』
『宗教団体と癒着してる国会議員が、この金の流れを知っているとすると…。』
『国会議員も、ヒヒイロカネを知っている確率がありますね。』
ホーデン社の経営層もヒヒイロカネを知っていて、直属の諜報部隊である渉外対策室を暗躍させていた。そして、ナチウラ市やヒョウシ市から800kmくらい離れた此処O県や、隣のH県の中堅とされる国会議員も知っている。ヒヒイロカネを巡って水面下で激しい争奪戦が展開されているんじゃないだろうか。
どうして彼らはヒヒイロカネを知ることになったのか。それが疑問だ。オクラシブ町やタカオ市のように、手配犯やそれと思しき人物が行政や有力者に取り入って利用していたり、ヒョウシ市のようにヒヒイロカネを知る者が周囲を利用して手中にしようとしていたりと、事情は違う。今回は手配犯が宗教団体に利用されている感すらある。
手配犯が様々な場所や時代に逃げ込んだらしいから、その場その時の状況を利用して他の手配犯が隠したヒヒイロカネを探しているんだろう。それが状況をより複雑にしているのは厄介な話だけど、謎やからくり、そして妨害や競争をはねのけて、ヒヒイロカネを回収するしかない。
『半グレ集団は、国会議員に送り届けるの?』
『はい。ごみの最終処分は所有者がするべきです。捨てるにしてもリサイクルにしても。』
交代で厳生寺に詰めていた仲間は、漏れなくシャルに痛めつけられた上に、警察に連行された。一応不動産会社の社員という肩書があるし、半死半生の状態だから-あれだけ触手に殴られて壁や床や天井に叩きつけられから生きているだけでも奇跡だ-、当分事情聴取はないだろう。まだ国会議員に捜査が及ぶ段階じゃない。
『ゴミムシとその親玉の末路なんて、ヒロキさんが気に病む必要はありませんよ。』
『国会議員が警察を使って僕とシャルを追い詰めようとするんじゃないかって思って。』
『そんなこと出来ませんし、出来ないようにします。安心してください。』
ヒヒイロカネがこの世界にあってはならないとされているのは、邪悪を引き寄せて、邪悪の坩堝になる危険性が高いと判断されてのことだと、時を重ねるにつれて確信に変わってきた。ヒヒイロカネはこの世界にはあまりにも高度で、あまりにも強力だ。そういったものは、利用するより悪用する方がはるかに簡単で欲望を満たすものでもある。
今は、O県の博物館の学芸員としてこの世界に潜伏している手配犯の1人と、財力と反社会的勢力を背景にする宗教団体とH県選出の国会議員、そして僕とシャルの三つ巴の争奪戦と言える。手配犯は今のところ「らしくない」行動だけど、何時本性をむき出しにするか知れない。そして宗教団体と国会議員は、ヒヒイロカネを手中にしたところでまともに使わないのは火を見るよりも明らかだ。
同時に、何だか妙な違和感が消えない。三つ巴の争奪戦という構図じゃなくて、何と言うか…それぞれの思惑や目的でヒヒイロカネを目指しているんじゃなくて、手配犯がそれらしくないというか…。単なる思い過ごしだろうけど、何か引っかかるものがある。
昼食を食べ終えて、代金を払って外に出る。何だか空が暗い。急に曇ってきている。この雲の低さ…。雨になりそうだ。シャル本体へ急ぐ。僕とシャルがシャル本体に戻ってシートベルトがかかった瞬間、フロントガラスに大粒の雫が当たって弾ける。1つ、また1つと当たって弾けて、その周期が急速に早くなる。
「やっぱり雨か。それにしても随分急だな。」
「山は天候が急変することがあるそうです。その一環でしょう。よく雨が降ると分かりましたね。」
「勘みたいなものだよ。鉛色の雲が低いところに広がると雨になることが多いんだ。」
「ちょっと移動は待った方が良いね。」
「視界は問題ありませんが、道路に雨水が多すぎて、ハイドロプレーニング現象が生じる危険があります。」
「ハイドロプレーニングなんて、教習所以来だよ。ジェネレータとかに水が入ったりしない?」
「防水は問題ありません。海底を走行することも出来ます。」
「潜水艦だね。」
とはいえ、ハイドロプレーニングは物理現象だから、シャル本体も一定条件を満たせば発生してしまう。その時、事故にならない保証はない。ワイパーも全く効果をなさないようなこの降り方。台風はまだ来ていないし、にわか雨というよりゲリラ豪雨か。シャル本体の中で待つのが賢明だ。
5分経過。雨は全然勢いが衰えない。こういう時の5分は本当に長い。HUDに表示された周囲の状況は、滝の中に集落を置いたような物凄い雨と、その中に佇む家。シャル本体は防音処理がされているせいか凄く静かだけど、それがなかったら雨音が煩くて仕方ないだろうな。
「シャル。雨雲の状況って分かる?」
「上空で展開中の航空部隊からの情報を転送させます。」
防音処理で、この規格外の雨でも車内は至って静か。厚い雨雲のせいで薄暗い。隣を見ればシャルがいる。町を歩けば二度見三度見される、チラ見どころかガン見されることも珍しくない金髪の美人が、ちょっと手を出せば届く位置に居る。姿勢が綺麗だから、余計に凛として見える。
「何時も見てるじゃないですか。」
「シャル本体の中に居る時は、当たり前だけど前を見てるから、シャル本体の中でシャルを見るのは意外と少ないよ。」
「じゃあ、今はじっくり見られますね。」
この数日で、シャルとの距離は一気に縮まった。シャルが言うとおり、学生や未成年なら兎も角、成人して久しい上に仕事も辞めてすべて引き払ったんだから、律義に段階を踏んで仲を深める必要はないと言えばない。シャルとの夜は、別世界に来たかのような気分になる。凄まじい身体と心の快楽と幸福に頭のてっぺんまで浸かってしまう。
それは今更止める気はない。だけど、昼間のシャルというか、食事をしたり歩いたり、時に何時間も移動したり、地図やスマートフォンを見比べながら彼方此方調べたりするシャルをもっと見たいし知りたい。暗闇の中で僕に見せてくれる色っぽい姿とは違う、朗らかで元気をくれる姿を。
僕はシャルの手を取る。下手に力を入れたらひしゃげそうな柔らかさと、燐光のような温かさ。
「私も。」
シャルが僕の手を握り返す。柔らかさと温かさが強まる。シフトレバーの付近で触れ合い、僕はシャルと見つめ合う。綺麗な金髪がうっすらベールのように被う、アメジストのような大きな瞳。滑らかな肌。赤みがさした形の良い唇。それらがほんの30㎝くらいのところにある。「もっと近くで見てください。」
シャルが身体を僕の方に傾ける。僕の視界がシャルの顔で占められる。10cmあるかないかの距離。真っ直ぐに僕を見つめるシャル。ふと外から見えてないか気になる。この滝に突っ込んだような雨の中で外に出る人はまずいないだろうけど。「遮蔽処理をしましたから、外からは絶対見えませんよ。」
此処からは雨というより水に翻弄される集落が何とか見える。マジックミラーみたいなものか。外の様子からは打って変わって静かな車内。耳を澄ますと、ジー…という高音のノイズのような音が聞こえる。独りで生きていた時代、寝る時によく聞いた音。今は…シャルが居る。身体を傾けて、シャルとの距離をゼロにする。暫くの間を挟んで、顔全体が見える程度の距離を作る。シャル本体でシャルとキスするのは初めてだな…。
「キスだけ?」
「外からは見えないけど、昼間だから。」
「昼の顔と夜の顔の違いですね。」
「そんなところかな。でも、キスはしたい。」
キスを終えると、シャルが僕の肩に額を乗せる。金髪から漂う甘酸っぱい芳香が何ともかぐわしい。それにしても…随分長い大雨だな。窓ガラスを伝うのが雫じゃなくて水流そのものの雨がこんなに長く続くと、近くを流れる川の増水は必至だろう…!
「シャル。この雨で川が増水すると、DNA断片を検出するサンプルも流されたりするんじゃない?」
「!そ、そのとおりです。」
「!飛行物体を発見しました!」
「レーダーに…映ってるね。だけど、かなり薄い。」
「かなりの上空に居るのと、ステルス機体が原因だと思います。接近します!」
「シャル。周辺からの迎撃に気を付けて。」
「分かりました。地対空ミサイルを準備して、周辺の航空部隊に支援させます。」
「目標からヒヒイロカネのスペクトルが検出されました!撃墜します!」
ヒヒイロカネで作られた飛行物体と確定した。やっぱり手配犯が派遣して、大量の雨で自分の痕跡を消失させようとしたか。飛行物体に向けてシャルの戦闘機から続々とミサイルが発射される。飛行物体が爆炎に包まれる。爆炎に包まれた飛行物体は…落ちることなく高速で脱出を図る。シャルの戦闘機が追撃して容赦なくミサイルを叩き込む。激しい爆発が絶え間なく起こるが、飛行物体は余程頑丈なのか退避を続ける。シャルの戦闘機の一部がスピードを上げ、飛行物体の前に出てUターンして前からもミサイルの雨を浴びせる。相手もヒヒイロカネだから、そう簡単には落とせないか。
「何としても落とします!」
シャル本体から地対空ミサイルが続々と発射される。飛行物体に斜め下部から地対空ミサイルが直撃する。大爆発が起こり、飛行物体のスピードが落ちる。更に戦闘機のミサイルとシャル本体からの地対空ミサイルが容赦なく飛行物体に叩きつけられる。流石にこの苛烈な攻撃の前に、防御や自己修復がダメージを上回り始めたのか、飛行物体の高度が下がっていく。「追跡します!道路表面と視界不良のため、私が制御します!ハンドルをしっかり握ってください!」
「分かった。」
かなりスピードが出ている。ハイドロプレーニングが気になるけど、シャルを信用するしかない。飛行物体は徐々に高度を下げながらも、東へ逃走を図っているようだ。シャル本体からの地対空ミサイルと、上空の戦闘機からのミサイルが四方八方から襲い掛かる。飛行物体を包む爆炎が途切れることはない。
「SMSAに要請を出しました!周囲に集落などがない川岸に不時着させます!」
「周辺からの攻撃に気を付けて。不時着地点に迎撃態勢が作られているかもしれない。」
「分かりました。不時着予定ポイント周辺を制圧、SMSAを展開させます!」
飛行物体が爆炎と煙を引っ張りながら雨雲から出る。降下の角度が増している。この間も戦闘機のミサイルとシャル本体からの地対空ミサイルが叩きつけられる。相手に一切の反撃の機会を与えずに不時着させるつもりらしい。それくらいしないと、SMSAが戦争に巻き込まれる恐れがある。
雨の勢いが衰えてきた。やっぱり飛行物体が何かしていたようだ。ゲリラ豪雨自体は昨今珍しくないけど、雨というより水そのものが降ってくるようなあの降り方は異常だ。飛行物体を抑えて所有者が誰か、目的は何かとか分かると良いんだけど。
幸いというべきか、集落を離れれば川と森しかない場所が広がる。飛行物体が不時着しても民家や人に危害が及ぶことはない。念のため、周辺に人が居ないことをシャルに確認してもらって、不時着予定ポイントへ向かう。雨が止んで雲が消えていく。飛行物体が何かしていたと見て間違いなさそうだ。
「シャル様。SMSAです。飛行物体を視認。不時着予想ポイントを指示願います。」
「デバイスに転送します。反撃に備えて距離を取って待機してください。」
「了解しました。」
20分くらいびしょ濡れの道路を走行して、HUDに左折の案内が出る。ハンドルを握っている僕は、シャルが制御を解除したと察してHUDの案内に従ってハンドルを切る。土手の細い坂道を下り、大小の石と膝丈くらいの草が混在する川岸に出る。かなりの悪路だけど、シャル本体はこういう道でも問題なく走行できる。
HUDの案内に従って移動してシャル本体を停止する。既に武装したSMSAが遠巻きに飛行物体を包囲している。僕とシャルはシャル本体から降りる。シャル本体のリアが自動的に開いて、太いケーブルがシャルの背中に突き刺さる。ヒヒイロカネ回収の準備と分かっているけど、かなり痛そうな光景だ。
更に、シャル本体から大量のケーブルが飛び出し、今も煙を上げる飛行物体に続々と突き刺さる。攻撃してこないか、攻撃能力があるならその無力化だろうか。少し間をおいて、ケーブルが突き刺さったまま飛行物体がシャルに向けて引き寄せられる。シャルはそれを両腕で受け取る。
次の瞬間、激しい閃光が迸る。これまでのヒヒイロカネと同じく、レベルは違えど人格OSを持っていて、シャルに無力化されると察して抵抗しているんだろう。閃光が激しい火花に替わる。僕はシャルの背中を見ている位置だけど、それでも相当眩しいし、音も激しい。花火が間近で爆発したみたいだ。
「…無力化完了。人格OSではなく制御OSでしたが、無力化を察して攻撃を仕掛けてきました。」
「そ、損傷の具合は?」
「現時点では7%です。損傷を見越して本体からのエネルギー供給をしていたので、損傷をある程度修復しながら無力化できました。」
やけにあっさりした感さえあるけど、ヒヒイロカネが敵となった時の脅威を改めて見せつけられた気がする。シャルの戦闘機と本体の地対空ミサイルを絶え間なく浴びせて、何とか不時着させた。カマヤ市では要塞みたいなヒヒイロカネと対峙したけど、あの時は完全に戦争だった。今回も飛行物体が攻撃能力を持っていたら、激しいことになっていただろう。
「シャル様。周辺には本件に関する人物や設備などは存在しません。」
「分かりました。念のため、周辺を捜索してください。その際、敵応援部隊との交戦も想定してください。」
「了解しました。」
「あの飛行物体が逃走を始めてから、雨が止んだってことは、痕跡を消すために意図的に差し向けたってことかな?」
「その推測で間違いないと思います。今回回収した飛行物体は、局所気象制御機というものです。」
こういった時に使われるのが局所気象制御機。勿論、一般の使用は出来ないし、出動の決定は専門の役所しか出来ない。言うまでもなく、悪用すれば局所的な水害を起こしたり、逆に旱魃に追い込んだり出来るからだ。気象兵器というべき危険性を持つから、使用に厳しい制限があるのは当然だ。
局所気象制御機は、今回回収したもののように、人が乗れるサイズじゃない。そのため、自動車に搭載されるINAOSと同様に、一定レベルの人工知能が搭載されて、命令に従って行動する。人格OSより独立性が低いこの人工知能を制御OSという。これは運送や郵便など、所定のルートを移動する機器にも搭載されている。
制御OSもヒヒイロカネに転送するには専用の設備と装置が必要だ。勝手に製造されると、自動殺戮マシンなんて簡単に出来てしまう。その局所気象制御機が現に存在して、巡礼コース沿いに点在していた手配犯のDNAの断片を根こそぎ流失させようとしたことは、手配犯が制御OSを扱える環境を有している確率が非常に高い。
「タカオ市に潜んでいた手配犯に似てるね。あっちと違って行政や議員に食い込んでいる様子はないけど。」
「手配犯は、ヒロキさんと私の追跡に気づいたと見て良いでしょう。しかも局所気象制御機まで動員してきました。何処かにヒヒイロカネ関連の設備を揃えている確率も非常に高いです。」
「だとすると…、アヤマ市のあの超常現象も、手配犯が同様の兵器を繰り出した結果かもしれないね。」
「確かに…。制御OSを悪用すれば、視覚や聴覚に対してステルス状態にすることは可能でしょう。」
今は範囲を限定した視覚聴覚のステルスだけど、この段階でもアヤマ市外から来た人には重大な支障をきたす。それがココヨ市のような大都市で展開されたら、大パニックに陥るだろう。愉快犯の要素もあるけど、ヒヒイロカネの悪用事例なのは間違いないし、手配犯もまた見逃せない対象だ。
「手配犯が単独で制御OSを扱える設備を持てるとは考え難い。背後に大規模な組織があると思う。それは…恐らく例の国会議員や宗教団体。」
「!ですが、国会議員の下僕のゴミムシと手配犯は、金銭のやり取りだけで名前も職業も知らない、と。」
「あの半グレ集団はあくまで国会議員の手先だから、何も知らないし聞かされてもいないんだろうね。だけど、手配犯がどうして闇の求人サイトを知ったのか、手配犯が1000万近い金をすぐに出せる理由を考えると、手配犯と例の国会議員、それと宗教団体が接点を持っているんじゃないか、って思うんだ。」
「反論できる材料がありません。」
手配犯としては、自分では準備が難しい巨額の資金を準備できるし、脱法ヤクザ故に暴対法の対象外の半グレ集団を雇える。国会議員は配下の半グレ集団に金が入れば自分の懐が潤うし-この手の契約や雇用に正当性や良心はない-、宗教団体は出資が何れ還流してくる。それぞれメリットはあるけど、金が中心の関係はまさに「金の切れ目が縁の切れ目」。金の流れが滞れば一気に崩壊する危険を孕んでいる。
どうやってこの歪な関係が成立したかは、実は本当に偶然だと思う。ヒヒイロカネの調査・研究費用と協力者が欲しい手配犯。党の役職や大臣就任のために半グレ集団を活用してでも資金を-金で役職や大臣が買えるのがそもそもおかしい-得たい国会議員。宗教法人が非課税なのを隠れ蓑に集金に奔走する宗教団体。それらの利害がヒヒイロカネを通じて偶然一致したんだろう。
「この推測が正しいという確証は、僕自身持てない。だけど、ヒヒイロカネを巡って偶然利害が一致した3者の関係性を洗い出して断ち切ることで、ヒヒイロカネ回収が近づくと思う。」
「そのとおりですね。」
「シャルに実行してほしいのは、2つ。1つは今日回収した飛行物体の制御OSの解析。もう1つは宗教団体の本部の調査。」
宗教団体は、いざ問題が明るみになったら、手配犯も国会議員も切り捨てて、自分は無関係と白を切ることが出来る、言い換えれば一番安全な立場に居る。宗教は日本では半ばタブーだ。四半世紀以上前、宗教団体が毒ガスや拉致殺人を起こした際も、警察の行動は遅れに遅れた。しかも宗教団体は非課税。どうにでも逃れられる。
今回の局所気象制御機の存在に、宗教団体の強い関与を感じられてならない。警察からも税務署からも、果ては労働基準監督署からも逃れられる宗教団体なら、知られずに大規模な設備を安価に建設できる。信者を金に人手に動員すれば良いからだ。まさに「信者と書いて儲けると書く」を地で行くやり方だけど、それが可能だし、実行するのを躊躇わないからこそ、巨大な施設を彼方此方に建てられるし、寄付の多さが信心の深さという宗教にあるまじき理念を平然と説ける。
今まで手配犯の行方を追っていたけど、その手配犯に間接的に協力している国会議員はまだしも、その国会議員と密接な関係にある宗教団体はほぼノータッチだった。宗教団体を調査することで、アヤマ市の超常現象を発端とするO県の異常とヒヒイロカネ、そして手配犯の行方が明らかになるかもしれない。
シャルは早速、宗教団体の調査部隊を派遣する。早期警戒機と複数の戦闘機と輸送機からなる大型部隊だ。制御OSを搭載した局所気象制御機が存在した以上、攻撃能力を持つ機体や設備があっても不思議じゃない。輸送機は宗教団体の施設近くで地上部隊を投入するという。サイズと材質は違えど、戦争そのものだ。
「宗教団体の本部は、H県の山中にあります。」
シャルはHUDに航空写真を表示する。僕とシャルがいる地域と同じように、山と森しかない地域に、やけに巨大な神殿のような建造物がある。これが宗教団体の本部か。「マップアプリにも使用されている航空写真では、ヒヒイロカネに関係すると思われる施設は見られません。あるとすれば、地下や神殿の奥など、一般の信者は立入禁止のエリアでしょう。」
「神殿は、中央の白い大きな屋根の建物?」
「はい。3Dマップで見ると、神殿と表現した理由がよく分かります。」
信者は、自分の寄付がこの巨大な神殿をはじめとする大規模建造物に投じられていると知って、どう思うだろう?元から承知の上で寝食を惜しんででも寄付したんだろうか。承知の上なら止めはしないけど、その寄付が本当に信者のため、ひいては今を生きる人々のために使われたかどうか、信者は疑問に思わないんだろうか?
「航空写真や3Dマップでは、迎撃装備などは確認できません。もっともそんなものが目に見える形で存在したら、たちどころにSNSなどで拡散されて大騒ぎになるでしょう。」
「制御OSを搭載できるとしたら、地対空ミサイルとかがあっても不思議じゃないね。」
「はい。調査は十分注意して行いますが、敵の攻撃を検知次第徹底的に反撃します。」
それが他人を脅したり騙したりすることを伴わなければ、信仰を止める理由はない。だからこそ、そんな一般信者を戦闘に巻き込むことは避けなければならない。ヒヒイロカネの捜索と回収が目的であっても、そのために他人を犠牲にして良い筈がない。それを正当化するのはそれこそ教祖や幹部と変わらない。
「手配犯のDNAの断片は流失したと思うけど、捜索は継続する?」
「断片の損傷は激しいと思いますが、すべて消滅したとは言い切れない以上、サンプルの採取と解析は継続しようと思います。」
「分かった。かなり時間をロスしたけど、次の札所へ行こう。」