謎町紀行 第62章

宗教の皮を被った欲望の牙城

written by Moonstone

 その日の夜、少し遅くなった旅館到着後、まず豪華な夕食を堪能する。夕食を済ませて一服したところで、シャルがTV画面に幾つかの写真を表示する。

「現時点で、この宗教団体がヒヒイロカネを所有していることが確定しました。」
「!ヒヒイロカネのスペクトルが検出されたってこと?」
「はい。外観からは当然というか分かりませんが、この神殿に安置されています。」

 写真の1枚は、昼にも見た神殿という表現がピッタリの巨大建造物。高速道路からは見えないし、一般道も幹線道路から遠く隔てた場所に位置して、しかも宗教団体という性質上、警察も税務署も労働基準監督署も容易に入れない、隠蔽には最適と言える場所の1つだ。
 神殿-便宜上こう呼ぶ-は、恐らく宗教団体の最重要施設。ヒヒイロカネは秘宝とか神からの贈り物とかの位置づけで安置されているんだろう。今まで神社の本殿にご神体として安置されている例が割と目に付くけど、それがある意味スケールアップした感がある。

「神殿の奥にある山の中-森林ではなく山の内部からも、ヒヒイロカネのスペクトルが検出されました。」
「山の内部って、秘密の施設か何か…!」
「恐らく、制御OSをヒヒイロカネに転送する設備です。それを反映してか、施設上空を複数の飛行物体が旋回しています。」
「攻撃してくるんじゃない?」
「機体を解析したところ、偵察機や制空支援機の類だと判明しました。敵の索敵エリアに入ると、司令部に伝達されてスクランブルがなされると考えられます。」
「軍事基地そのものだね。」

 制御OSの転送が可能で、局所気象制御機を動員してきたくらいだから、偵察機や制空支援機は勿論、戦闘機や攻撃機も所有していると見て間違いない。今日回収した局所気象制御機は、見た感じでは両腕で抱える程度の大きさだった。宗教団体が所有している航空戦力もサイズはミニチュアだろうけど、破壊力はシャルの航空部隊で実証済みだ。
 ヒヒイロカネの航空戦力の衝突は、戦争そのものになると予想できる。シャルは当然ながら神殿や地下施設を狙うだろうし、宗教団体は必ず阻止する行動に出る。施設全体は確かに広大だけど、その施設以外は山ばかり。つまり一般信者の逃げ場がない。圧倒的多数の一般信者は非戦闘員だから巻き添えは禁物だ。

「航空部隊は敵襲に備えて遠方で待機して、地上部隊を潜入させます。現在、進軍中です。」
「索敵エリアに入ったら攻撃が来るんじゃない?」
「それは十分予想しています。地上部隊には戦車と戦闘ヘリが同行しています。攻撃がなされれば即反撃します。」

 武装した兵隊と戦闘ヘリはこれまで何度か登場したけど、戦車は初めてだ。更に戦争に向けて準備が進んでいる感を受ける。宗教団体の総本山周辺には偵察機や制空支援機が旋回しているそうだし、地上部隊の進軍を見落とすとは思えない。戦争は近いうちに勃発するという現実味のある予感がする。

「少なくとも、今日は索敵エリアには入りません。」

 シャルがそう言ってTV画面をマップアプリの表示に切り替える。大きい赤いマーカーは宗教団体の総本山か。周辺を周期的に移動している赤いマーカーは飛行物体。西から東に移動している大量の青いマーカーがシャルの地上部隊。さらに東の方で旋回している緑のマーカーが、シャルの航空部隊。数の差はかなりある。

「敵飛行物体のレーダーの解析から、索敵エリアはこうなっていると思われます。」

 大きい赤いマーカーを中心とする大きい円が描かれる。シャルの地上部隊はその円-索敵エリアに近づいている。

「索敵エリアと周辺の地形から、敵の地上からの攻撃範囲はこう予想できます。」

 赤い円はそのままに、紫の円が描かれる。紫の円は赤い円より中心をかなり西側に移動した形だ。かなり大きな円はシャルの地上部隊を既に含んでいる。一方で、東側は赤色の円と重なる部分がある。

「敵本部の背後には、制御OS転送施設などがあると見られる山があります。このため、敵の攻撃は東側がかなり手薄と予想されます。」

 青い大きな矢印が二手に分かれて、南側と北側から宗教団体の総本山の東側に回り込む形を描く。一方、緑の大きな矢印が複数に分かれて宗教団体の総本山に向かう。

「スピードに勝る航空部隊が陽動作戦を取ります。敵本部に突入する気配を見せて、攻撃を航空部隊に向かわせ、その間に地上部隊が敵本部に突入します。」
「航空部隊がかなり危険だね。」
「損害予想は最大13%と算定されています。大きな損害ではありません。」

 13%の損害を大きいと見るか小さいと見るかはその人によるけど、シャルにとっては大したことないようだ。相手が地対空ミサイルを装備している確率はあるし、迎撃のために戦闘機を飛ばしてくることも十分考えられる。地上部隊が居ないかが気がかりだけど、シャルの作戦を信じよう。

「今日は偵察と観察?」
「はい。宗教団体の素性など調査項目が浮上しましたし、先制攻撃が目的ではないので。」
「それが良いと思う。」

 宗教団体はH県選出の国会議員と癒着してはいるけど、ヒヒイロカネ捜索を巡って手配犯と国会議員を経由して循環する資金の供給源という認識だった。それが此処へ来て制御可能な状態になったヒヒイロカネを有し、更にその設備まで所有することが明らかになって、O県に纏わる騒動の黒幕として急浮上してきた。
 今のところ、この宗教団体はH県の山奥に巨大な神殿のような総本山を構えていることは分かっているけど、それ以外は全く知らない。宗教団体ということもシャルを通して知ったことだから僕は名前も知らない。宗教団体の背景を知ることで、何故宗教団体がヒヒイロカネに加えて、制御OSの転送設備を有しているのか分かるかもしれない。
 …あれ?宗教団体が黒幕だとしたら、手配犯は一体何をしてるんだろう?休暇を利用して巡礼コースを順に辿りながら、ヒヒイロカネを探しているらしいけど、法勝寺では修行僧として潜り込んで強奪して、厳生寺では住職に取り入ってH県選出の国会議員傘下の半グレ集団に依頼して警護させていた。凄くちぐはぐなことをしてる。
 1週間そこそこの休暇を利用して巡礼コースを辿るのは、かなり厳しい。一般道しかないから、自宅と最初の札所への往路と、最後に到達した札所から自宅への復路だけでも、中盤以降は丸1日かかるだろう。そんなある意味非効率的なことをしてヒヒイロカネを探す一方で、法勝寺では修行僧として潜入して、挙句強奪までしている。
 O県の博物館の学芸員としての生活を続けつつ、秘かにヒヒイロカネを探すなら、趣味と実益を兼ねて巡礼コースを回るだろうし、ヒヒイロカネの回収を優先するなら、合法非合法問わず行動するだろう。名前は偽名を使うとしても、顔は早々誤魔化せない。顔からO県の博物館の学芸員だと判明したら、手配犯はヒヒイロカネを探すどころじゃなくなる。
 前から感じていた違和感は、これだ。手配犯は本当に趣味と実益を兼ねて秘かにヒヒイロカネを探しているのかと思えない部分がある。それどころか…、手配犯は宗教団体やH県選出の国会議員に利用されて、ヒヒイロカネを探すための先兵になり果ててるんじゃないか?それだとしても、まだ払拭しきれない不可解な点がある。

「シャル。手配犯の自宅に諜報部隊を送ることは出来る?」
「可能ですが、手配犯の身柄を確保するのは現状では危険だと。」
「身柄を確保するんじゃなくて、手配犯が接触している人物や団体を調べるためだよ。」
「分かりました。直ちに派遣します。」

 手配犯がヒヒイロカネを探しているのは間違いないだろう。だけど、その行動に一貫性がない。手配犯と宗教団体に関係する隠された事実があるような気がする。いずれ宗教団体の総本山とは戦争が勃発する。その結果ヒヒイロカネは回収できるだろうけど、失われてしまう謎の答えもあるような気がする…。
 2日経った。僕はシャルと巡礼コースを辿って、参拝がてらシャルがサンプルを採取して手配犯のDNA断片の抽出と解析を試みている。やっぱり滝が出来たような豪雨で相当量が流出したようで、手配犯のDNAの断片は殆ど抽出できない。だけど、ゼロじゃない以上、手配犯の軌跡を追って手配犯の企みを掴もうと思っている。
 僅かに検出できたDNAの断片から、やっぱり手配犯は巡礼コースを順に辿っている確率が濃厚だと推測されている。宗教団体は、手配犯の痕跡を流出させるために局所気象制御機を派遣して豪雨を齎したと考えられる。
 此処で新たな謎が浮上する。宗教団体が僕とシャルの追跡をどうして知ったのか。理由によっては、宗教団体はシャルも知らない間に諜報活動を行って、僕とシャルの公道を把握していることになる。同時に、手配犯と宗教団体に繋がりがあることにもなる。相当複雑で歪な関係がありそうな気がしてならない。

「地上部隊の配備が完了しました。」

 第25番札所の大善寺で参拝とサンプル採取を済ませて、駐車場のシャル本体に入ったところで、シャルが言う。

「敵は今も偵察機や制空支援機が展開していますが、索敵エリア外部への展開はありません。今のところは専守防衛に徹しているようです。」
「積極的に障害を排除する行動はしてないのかな。」
「少なくとも今は、そうしたくても控えたい状況のようです。」

 HUDに映像が映し出される。物凄い数の人が歩いている。かなり傾斜が急な階段が、すべて人で埋め尽くされている。

「宗教団体で一大行事が開催されるようです。この人波はすべて信者です。」
「最寄りの道から階段まで行列が出来るなんて…。」
「宗教団体の情報は手配犯と共に収集・分析していますが、神殿の規模は信者の数にも一定程度反映されているようです。」

 これだけの数の信者がいるとは…。こんな交通の便が悪いところにある総本山に、道路や階段が見えないほど人が押し寄せるんだから、財政規模は相当大きいだろう。その財力にものを言わせてヒヒイロカネを探し、制御OSを転送する施設を地下に拵(こしら)えられるんだろう。
 悪い予感が浮かぶ。この宗教団体は、財力にものを言わせてヒヒイロカネをかき集めて、最強の軍隊を作るつもりなんじゃないか、と。今の段階で偵察機や制空支援機が常時旋回していて-光学迷彩はないようだ-、局所気象制御機を派遣してくるくらいだ。戦闘機くらい作っていても不思議じゃない。
 ヒヒイロカネで出来た戦闘機や戦車には、人の搭乗は必要ない。一方で、サイズからは比較にならないほど殺傷力は強いことは、シャル傘下の軍隊で十二分に証明されている。しかも銃弾くらいじゃ傷1つ付けられない。シャルが言うには核兵器の直撃でも行動不能にはならないそうだから、どんな軍隊よりも強い。
 サイズが小さいことは、潜入や諜報では非常に有利だ。普通の人間じゃ入れない小さい隙間や、出入りする人の所有物に紛れ込んだりして、重要施設に入り込める。光学迷彩がなくても人目に付きにくいから、工作活動にはうってつけ。核兵器施設を何時の間にか無力化することも十分可能だろう。
 宗教団体や宗教を信仰する人が軍隊を持たないなんて、歴史を知らないとしか言いようがない。世界史では、キリスト教には十字軍があり、イスラム教は「コーランか奉納か剣か」で勢力を拡大したし、どちらもそれを信仰する国家が平然と軍隊を持って戦争をしている。日本でも一向宗を中心に僧兵が存在したし、信仰を持ちながら戦争を繰り返した戦国武将は有名どころも含めて多数存在する。
 最悪の事例の1つは、日本で起こった。オウム真理教が実際の軍隊でも持っているかどうかという強力な毒ガスを製造して、地下鉄や裁判所官舎近くで散布したり、敵対する人物に使用した。結果、多くの犠牲者を出した。宗教団体は教祖の指示や神の啓示があれば、殺人をも正当化する危険性を孕んでいる。
 この宗教団体の性質にもよるけど、こんな交通の便の悪いところに建造した総本山に、信者が鮨詰めになるほど馳せ参じる様子からは、ヒヒイロカネをただ宝物として安置するだけでは飽き足らないと思う気がしてならない。「信者」と書いて「儲ける」と読むという図式そのもののきな臭さが、HUDからも漂ってくる。
 そう感じさせる要素はHUDに映る信者の顔と目にある。目だけが深海魚のようにぎらついているか、意思を奪われたような虚ろな目で、揃って生気のない表情でただ神殿へと向かっている。言い換えれば、負のオーラに満ちている。とても純粋な信仰からくる行動とは思えない。信仰のためにすべてを犠牲にして神殿に赴く感じしかしない。

「負のオーラというのは私のセンサでは識別できませんが、そのように感じさせる雰囲気はありますね。」
「概念だったり雰囲気の言いかえだったりするから、センサで数値として測れるものじゃないよ。だけど、不思議と同じ考え方や方向性を持つ人が集まるんだ。その考え方や方向性は、話し方や態度や取り組み方とかに出る。そんな雰囲気を総じてオーラって言うと思うんだけど、ネガティブな方向性や雰囲気を総じて負のオーラって言うんだ。」
「その説明と信者を照合すると、負のオーラという概念が理解できます。」
「予断は禁物だけど、この宗教団体がヒヒイロカネを安置するだけじゃ済まないとしか思えないんだ。実際、その兆候は既に表れてるし。」
「安置して崇めたりするだけなら、局所気象制御機やら偵察機やらを作ったりはしませんし、ましてや制御OS転送システムなど持とうとは思わないでしょうね。」

 シャルの言うとおりだ。局所気象制御機は特定エリアの作物を台無しにしたり、土砂崩れを誘発して交通網を寸断できる間接的な兵器だ。実際、僕とシャルも局所気象制御機が齎した豪雨で足止めを食らった。偵察機や制空支援機がある状況で戦闘機や攻撃機を持たない筈がない。
 やっぱり宗教団体は良からぬことを企んでいて、この信者の大行列はそれに関連することだと思う。更に設備を増強するための資金集めか、各地に攻め込むための兵隊にするか、何れにしても碌なことは考えていないと見た方が良さそうだ。負のオーラを充満させる、生気のない信者の顔がもどかしくもある。

「!諜報部隊から緊急通信が入りました!」

 シャル本体内に緊張が走る。HUDが信者の行列から、住宅街の一角に替わる。ごくありふれた身なりの男性2人が、アパートの1室に入っていく。これだけ見ていると別に不審な点はないけど、このアパートの1室が手配犯の住む家だとしたら、話が変わってくる。

「場所は手配犯の住居で、入っていった人物は、何れも宗教団体の幹部です。」
「!」

 手配犯と宗教団体の接触か。しかも周囲を確認するでもなく、普通に玄関のドアから入っていく。つまり合鍵を持っているということ。相手が女性ならまだしも、一人暮らしの男性のアパートに、男性が不在中に男性が2人も入っていくなんて、まずあり得ない。しかも渦中の宗教団体の幹部とあれば、ただ「知り合いの留守中にお邪魔しました」じゃない。

「シャル。宗教団体の幹部が何をしてるか調べられる?」
「勿論です。既に諜報部隊が展開しています。映像をアパート内部に切り替えます。」

 HUDがアパート内部に切り替わる。アパート内部そのものは、特に変なところはない、ごく一般的なもの。2DKでそこそこ広い。幹部達はPCを操作している。USBメモリを挿して何か入力して、USBメモリを抜く。代わりに小さなボストンバッグを置いて、揃って部屋を出ていく。空き巣とか金品狙いじゃない?

「いったい何を…?」
「プライベートモードのSNSでやり取りしていました。…厳生寺の本尊を受領したこと、代わりに代金を詰めたバッグを置いていく、と幹部は書き込んでいました。」
「!手配犯の家がやり取りの場所だったのか。」
「プライベートモードのSNSにログインしました。手配犯のアカウントからはまだ反応はありませんが、過去のやり取りから、手配犯が厳生寺の本尊にヒヒイロカネが隠されていたことを突き止めたこと、弥勒菩薩像を本尊とする札所が弥勒菩薩の梵字を描いていることなどが見受けられます。」
「手配犯と宗教団体が繋がっていたことが分かったね…。」

 シャルが調べても手配犯の手持ちの資金が急に増えた記録が見当たらなかったのは、このためだったのか。マネーロンダリングの警戒が厳しくなって、急激な金銭の動きは金融機関がマークするらしい。マネーロンダリングで流れた資金が武器や麻薬の購入に充てられたとなったら、金融機関のダメージが大きいからだ。
 そこまでいかなくても、個人の口座にいきなり数百万の金が現れたりしたら、金融機関は警戒するだろう。税務署に情報が流れれば、手配犯は勿論、宗教団体にも脱税の疑惑が浮上する確率が高い。税務署は警察署と同じく逮捕など強制執行の権限を持つ。流石に宗教団体が脱税しているとなったら、税務署も黙ってはいないだろう。
 マネーロンダリングや脱税といった金銭的な疑惑を避けるのは、現金を直接やり取りすること。古典的かつ原始的だけど、これなら入出金の記録が残らない。しかも、自宅には防犯カメラが入らない。ディジタル社会やIoTと叫ばれて久しく、何でも記録されてデータ化されるからこそ、アナログが強みを発揮することがあるってことか。
 手配犯と宗教団体の繋がりがあったことから、手配犯と宗教団体、そしてH県選出の国会議員の歪な同盟関係の存在がほぼ確定した。出所が怪しい金とヒヒイロカネを鍵にした薄汚れた同盟関係は、誰も自分の懐をあまり痛めない構図でもある。その分、本尊を奪われたり、半グレ集団の強盗に遭うなど、無関係な人達が被害を受けている。

「手配犯はまだ帰ってないのかな。」
「今日には帰宅する筈です。明日は通常通りの出勤となっています。」
「手配犯の動きを押さえたいね。ボストンバッグの扱いで、金が宗教団体から報酬として渡されたって確認が出来るから。」
「勿論、監視を継続中です。」

 監視はするとしても、僕とシャルは同じようにずっと待つことはあまり意味がない。高速な並列リアルタイム処理が可能なシャルに手配犯の自宅の監視を任せて、僕とシャルは手配犯のDNAの断片を少しでも多く採取して、足取りを追うことを続ける。次は20km程先の第26番札所、光輪寺(こうりんじ)か。

「…僕とシャルの動きをどうやって知ったんだろう?」

 HUDとナビに光輪寺への道のりや関連情報が表示された時、僕はふと脳裏に浮上した疑問を口にする。

「傍から見れば、のんびり札所を順番に回っているカップルなのに、どうして僕とシャルの動きを知ったんだろう、って。」
「それは…。」
「シャル。シャルも本体もヒヒイロカネなのは違いないから、特有のスペクトルは出てるんだよね?」
「は、はい。それは勿論です。」
「ヒヒイロカネのスペクトルは、ある程度は接近しないと検出できない…。ってことは…。どこかに潜んでる?」
「!」

 この疑問も大きな謎の1つだ。僕とシャルがヒヒイロカネの捜索と回収の旅をしていることは、マスターこと「あの老人」しか知らない。なのに、宗教団体は局所気象制御機を派遣してきた。それは、僕とシャルが手配犯を追って痕跡を探していると知っているということだ。
 SNSを使ってないし、Webページやブログを持ってもいない僕とシャルの行動を妨害に乗り出すのは、僕とシャルの行動の目的を知っていることに他ならない。何処でどうやって知ったか、有力候補は…。

「発見!抹殺します!」

 シャル本体が一瞬青白い閃光に包まれる。反射的に目を閉じて、再び開いた時には光の痕跡すらない。何があったんだろう?抹殺って言ってたから、恐らくごく小さい発信機のようなものがシャル本体に付着していたんだろう。

「そのとおりです。ごく小型の発信機が、私の本体下部に潜んでいました。サイズが非常に小さいので、通常のスキャンより精度を上げないと発見できませんでした。」
「発信機もヒヒイロカネだよね?」
「はい。急ぎ詳細に解析していますが、サイズからの推測では、敵本部に届くだけの電波強度は出せないと思います。」
「ということは、同じサイズの中継器みたいなものがあって、それは…札所の何処かにあった、ってことかな。」
「その確率が非常に高いです。サイズが今回のものと同じくらい小さいと、本殿などをスキャンした際にもスペクトルを検出できなかったと考えらえます。」
「中継器は、恐らく法勝寺か厳生寺、多分厳生寺の方でシャル本体にとりついたね。本尊や本坊で非常事態が発生した際に、その原因にとりつくようにプログラムされていたんじゃないかな。」
「ありえますね…。」

 シャルが発信機の寄生に気づかなかったのは、別に不思議でも怠慢でもない。自分のサイズよりごく小さい物体には、本体に害を及ぼさなければ存在に気づかないのは、寄生虫や細菌では普通にあることだ。人間の身体には無数の細菌が付着しているし、それで病気にならないのは免疫があるからだ。
 盗聴や諜報に使われる発信機が存在に気づかれたら意味がない。だから発信機はごく小型にして、発信以外のことはしないし出来ないようになっていたんだろう。だから、今の今まで気づかなかった。それは僕も同じだし、相手-ほぼ間違いなく宗教団体が巧妙だった。
 電波強度を強くすると、シャルのセンサに検出される危険がある。逆に電波強度が弱いと通信距離が短くなる。そこで考え出されたであろう策が中継器の設置であり、非常事態発生時に原因に寄生して、発信機となること。おおよそ札所の距離くらいがシャルに検出されないギリギリの電波強度を出せるんだろう。
 順に中継器を設置して、宗教団体本部に定点観測結果を通知し続ける観測網を設置するためだと考えれば、手配犯がヒヒイロカネを探していながら律義に札所を回っていた理由になる。その1つ、厳生寺でシャルが買収された住職もろとも半グレ集団を殲滅して、本堂をこじ開けさせたことが非常事態と認識され、シャル本体に寄生したんだろう。

「怒りと嫌悪感に任せて殲滅したことが裏目に出ました…。」
「シャルの責任じゃないよ。今回は相手の策が巧妙だったんだ。それに、シャル本体に寄生していた発信機を破壊したから、宗教団体が迎撃や妨害に乗り出してくると思う。その対策を考えた方が良い。」
「そ、そのとおりですね。」

 発信機である以上、その電波は札所に設置された中継器を介して、宗教団体本部に情報を伝達していただろう。少なくとも位置情報を齎すくらいは出来るはず。それが途絶えたら存在に気づかれたと悟って、恐らく僕とシャルの行動を妨害する対策に乗り出すだろう。
 厳生寺で寄生されたとしたら、僕とシャルが拠点にしている温泉旅館の場所も知られているだろう。そして、これまで手配犯と同じく札所を順番に巡っていることも把握されていると見て良い。考えられる妨害工作は、温泉旅館か札所間移動の襲撃。何しろそこそこ大きな集落に何とか駐在所があるような地域だ。警察を呼んでも1時間とかかかるなら正直遅すぎる。
 それに加えて、宗教団体が相当本格的な制御OS転送設備を備えている確率が濃厚になった。局所気象制御機なんてこの世界にないものを創造して派遣した段階で、単にシャルが創られた世界の設備の劣化コピーじゃないとは感じていたけど、シャルでもスキャンの精度を上げないと気づかないサイズの発信機まで作っている。劣化コピーじゃなくて、完全に自分達、つまりは宗教団体防衛の整備という明確な目的の下に作られている。
 そんな組織が、防衛のためだけに途轍もない能力を持つヒヒイロカネを使うだろうか?あり得ない。財力と権力は容易に個人も組織も腐らせる。それを得ることが目的になったら尚のこと腐る。しかも、防衛目的は容易に対外攻撃にも転じる。組織や個人を「攻撃する敵から守るため」とすれば正当化される。

「スキャンの精度を上げることで、シャルの負荷はどれくらい増える?」
「これまでと同一範囲として、2.5%です。さしたる問題ではありません。」
「じゃあ、スキャンの精度を、この件が完了するまで常時上げておいて。あと、迎撃態勢の整備も。」
「分かりました。早速開始します。」

 これまでとは違う様相だけど、ヒヒイロカネを巡って僕とシャル、そして宗教団体を頂点とする同盟が対峙する構図が確定した。しかも、これまでと違って、相手がヒヒイロカネを攻撃手段として使用する確率が高い。サイズは小さくても威力はこの世界の兵器に勝るとも劣らないことは、シャルが何度も証明している。
 相手がどんな攻撃手段を持っているか分からないのと、教祖や幹部には絶対服従という性質を悪用して派遣された信者などの妨害が懸案事項だ。特に拠点にしている温泉旅館に攻め込まれると、他の宿泊客や周辺の店や観光客に被害が出る恐れがある。早々に発見して迎撃するしかない。

「温泉旅館周辺に航空部隊と地上部隊を展開。地対空ミサイルと弾道ミサイル、そして弾道ミサイル迎撃システムを配備しました。」
「エネルギー消費は大丈夫?」
「これまでの最大数の10倍を展開したので、消費量が12.7%増加しています。途中、水素の補給をお願いします。HUDに経路を表示します。」
「勿論。」

 1割もエネルギー消費が増えたら、かなりの増加量だ。しかも、この辺は水素スタンドがかなり少ない。移動で残りの水素を使ってしまうんじゃないかと思うくらいだ。ガソリンスタンドもまばらだから、早め早めに補給するのが習慣になっているんだろうか。
 HUDに表示された水素スタンドは…50km先。O県の北端を超えてT県に入るのか。この辺の人達は、常にガソリンや水素の残量に注意してないと、最悪動けなくなってしまうだろう。ガソリンはまだ個人で運搬できなくもないけど、水素は資格がないと運搬と貯蔵は出来ない。燃料はまさに生命線だ。
 補給も考慮しないといけない状況は、戦争そのものだ。これを怠ると一気に敗北が濃厚になる。宗教団体がどんな手を使ってくるか、どれだけ戦力を持っているか、今のところ全く分からない。それは宗教団体も同じかもしれないけど、相手が巨大で、しかもヒヒイロカネを戦力として有しているのは初めてだ。
 むしろ、これからこういう状況に遭遇する確率が高まってくるかもしれない。ヒヒイロカネは権力や欲望を引き寄せ、関わった者を暴走させる傾向がある。ヒヒイロカネそのものにはそんな能力はないけど、この世界に存在すると危険が高まるのは事実だ。やっぱりヒヒイロカネは回収しないといけない…。