雨上がりの午後 アナザーストーリー Vol.3

Chapter 8 on January 3rd, a year(Latter part)

written by Moonstone

 遠くなった意識が、白の中に消える寸前で徐々に浮かび上がって来る。お腹の中に、祐司さんが放った温かいものがじんわり広がって満たしていく。祐司さんが私に倒れ込むように覆い被さる。耳元に速くて荒い呼吸音がかかる。全力で私を堪能して愛した祐司さんの温もりを、身体の外と内で同時に感じながら余韻に浸る。
 私の唇が祐司さんの唇で塞がれる。舌の絡みはない。それが逆に深い余韻を生みだす。キスをしながら私と祐司さんの呼吸が鎮まっていくのを感じる。暫くして、祐司さんの唇と身体が私から離れていく。祐司さんは私の隣に身体を横たえる。

「・・・これって、二度目のご馳走って言うのかな・・・。」
「そうだったら嬉しいです・・・。」
「何か・・・仕込んだ?」

「別に何も・・・。何故ですか?」

 嘘です。たっぷりニンニクを仕込みました。私も影響を受けることになったのは、ちょっと頭から抜けてましたけど。

「こっちに帰って来ていきなりこうなるとは思わなかったからだよ・・・。晶子が誘ってきたような気もするけど。」
「祐司さんをその気にさせようとしたのは事実ですよ。」
「何で?」
「抱いて欲しかったから・・・。」

 これは本当。妻と言いながら碌に抱かせてなかった至らなさを潤子さんに指摘されて、その反省を込めて。決して夜を拒否してはいないけど、祐司さんが紳士で慎重なのを良いことに妻という立場の女性を得たメリットの1つを何ら享受できないようにしていた。これはれっきとした事実。潤子さんに指摘されるまで気付かなかったのも事実。
 これまでと違って灯りを点けた部屋だったから、祐司さんは私の隅々まで見えた筈。恥ずかしいって気持ちが少しだけと、じっくり見て触れて欲しいって気持ちが殆ど。それで祐司さんが興奮して、存分に温かいものを放出して欲しい。そう思っていた筈なのに、それが碌に出来てなかった。だから、潤子さんのアドバイスどおり、淫乱と思われる懸念を乗り越えて私から求めた。

「祐司さんがいなかった約1週間・・・。短いようでやっぱり長かったです。私にとっては・・・。電話で祐司さんの声を聞く度に祐司さんと一種に居たい、祐司さんに早く帰って来て欲しい、って思ってたんです・・・。」
「晶子・・・。」
「だから祐司さんの家に来て・・・祐司さんが好きな料理を作って・・・お酒を飲んで気分を盛り上げて・・・会えなかった分だけ愛してもらおう、って・・・。」
「向こうじゃ・・・色々あった。楽しい時もあれば窮屈な時もあった・・・。食事食べてた時には言わなかったけど、成人式の会場で宮城と会ったんだ・・・。」
「あの女性(ひと)と?」
「ああ。バンド演奏が終わってから記念撮影をしたんだけど、その時開口一番聞かれたよ。晶子と上手くやってるか、ってな・・・。その時つくづく実感したよ。俺の隣に一番居て欲しいのはバンド仲間でも宮城でもない、晶子なんだって・・・。今日晶子を抱いて、帰って来たんだ、って実感が強まったよ・・・。俺の前であられもない姿を晒す晶子を見ていて、俺は晶子と時間を共有してるんだ、って思ったよ・・・。」
「祐司さん、今日は何時になく激しかったから・・・。」

 今夜の祐司さんは激しかった。特に最後の3回目は、私を何度も仰向けにしたりうつ伏せにしたり、私の身体の至るところに触れて掴んで口を付けた。速くて大きい動きに加えて絶え間ない愛撫。祐司さんが絶頂に達して私のお腹の中に温かいものを迸らせた瞬間、強烈な快楽が全身に走った。もう少しで失神するところだった。
 激しかったのは私も同じ。私が上になった2回目は、私の身体を見せつけるつもりで動いた。祐司さんの興奮を煽ろうと、胸の揺れがより強調されるように背中を少し反らしてみたり、動きに明瞭な緩急を付けたり、祐司さんと繋がっていることを強調するイメージで腰を突きだしたりした。
 私が動く時は、私が動かないと祐司さんが絶頂に達せない。当たり前だけど、今までの営みでそれが満足に出来ていたかどうか疑問。祐司さんが頑張って自分で興奮を高めなくても良いように、絶頂に達せるように煽る。そのためには祐司さんとの夜だけとことん大胆に、淫乱になる。それを意識して動いた。
 同時に、私は動くことで強い快楽を味わった。硬くて熱いものが私の動きに合わせて、時にはゆっくり、時には鋭く下から突き上げて来た。そのたびに例えようもない強い快楽が齎された。祐司さんの絶頂を促すため、そして私がもっと快楽を味わいたいため、私は動いた。
 連続する快楽の大波に耐えながら祐司さんを見ると、祐司さんは絶頂に達するのを耐えている様子だった。我慢しなくて良い。何度でも私で絶頂に達してくれれば良い。そう思いながら、祐司さんの絶頂を促すために動いた。祐司さんの手が私の胸を掴んで程なく、私のお腹の中に温かいものが勢いよく迸った。
 私は祐司さんの上に乗りかかる。祐司さんは全身にうっすら赤味がさして、汗ばんでいる。それは私も同じだと思う。身体は火照っているし、汗が噴き出している。暖房がかかっているとは言え、冬の夜にこれだけ汗をかくなんて…。これくらい没頭しないと祐司さんにとって妻を持つメリットはないわよね。
 祐司さんの掌が私の頬に触れる。掌に頬ずりをして感触と余韻を味わう。愛しくて幸せで堪らない。行為が終わった後も、祐司さんはこういう触れ合いを大切にしてくれる。出すだけ出したら用済みとは決してしない。それが嬉しいし、同時にこんな祐司さんをないがしろにしてきたことが申し訳ない。

「・・・俺達ってさ、ちょっと変わってるよな・・・。」
「何がですか?」
「俺達が寝た時、きっかけは晶子が作ってるだろ?最初だってそうだったじゃないか。晶子が俺の隣で服を脱いでさ・・・。」
「そういう女は嫌いですか?」
「いいや、愛してる相手から誘われて嬉しくない筈がないさ。だから俺は懸命に晶子を抱くんだ。・・・満足してるかまでは分からないけど。」
「愛してる人に一生懸命抱いてもらって、満足しない筈ないですよ・・・。」

 男性の射精は凄く体力を消耗するものだという。男性が動く場合はその分もあるから尚更体力の消耗が激しい筈。だけど、祐司さんは3回も私を抱いてくれた。最後は特に大変だった筈なのに、祐司さんは自分だけでなく私も気持ち良くしようとしてくれた。私は祐司さんに全てを委ねて快楽に浸りきった。
 そんなに懸命に気持ち良くされて愛されて嬉しくない筈がない。その結果お腹の中に3回も温かいものを受けて、失神しかけるほど気持ち良くなって満足しない筈がない。私は身体を沈めて祐司さんの頬にキスをする。祐司さんが私の方を向く。優しく微笑むその眼差しが嬉しくて愛しくて…。

「・・・ただいま。」
「お帰りなさい・・・。」

 改めて帰宅の挨拶を交わす。祐司さんが私の頭を抱き寄せてキスする。私も祐司さんの頭を抱え込むように両腕を回す。もう1回…するのかしら。全然構わない。愛情と欲求を全て私に向けてくれるなら、そのために私を使うなら、私は迷うことなく全てを捧げる。
 体勢を入れ替えながらキスが続く。味わい深い余韻は長く続く。何処までも真摯で誠実な祐司さん。こんな男性を夫に出来たんだから、もっと祐司さんにはそのメリットを享受してもらいたい。今まで出来なかった、至らなかった分も…。
 意識が浮かび上がって来ると共に視界が開ける。見えるのは…祐司さんの胸。まだ暗い室内。夜明け前かしら…。私が寝る直前に灯りを消したんだっけ。本当に激しい夜だった。全力で抱いてくれて、愛情と欲情の証を私のお腹の中に迸らせた祐司さん。やっぱり相当疲れたのかぐっすり寝てる。
 凄く汗をかいたから、シャワーを浴びようかな。祐司さんを起こさないように慎重に乗り越えて、ベッドから出る。暖房はかかってるけど、裸だとやっぱり少し寒い。部屋の隅に置いておいたバッグから換えの下着と服を取り出して、お風呂場へ。服は洗濯機の上で一時待機。
 髪をさっと束ねて、お風呂場の灯りを点けて中に入る。暖房があまり及んでいないから部屋より冷える。お湯を被ってから身体と髪を洗う。身体を洗いながら昨夜のことを思い返す。昨夜、この身体に…祐司さんが触れた。唇を這わせた。胸は口に含まれた。何度も何度も…。
 電灯の明かりの下で、私は全てを祐司さんに晒した。私の全てに指と唇を這わせながら、祐司さんは何を思ったんだろう?スタイルにはちょっと自信があるけど、祐司さんの理想に叶うものなのかしら?祐司さんが私の胸に結構関心があるのは分かってる。毎回、必ず胸を掴んだり口に含んだりしたし。
 祐司さんからたくさんの愛撫と力強い動き、そして温かいものを存分に受けたことは、不満自体考えられない。だけど、1つだけ後悔というか残念だったというか、そういうことがある。祐司さんの全てを見て知ることが出来なかったこと。私も祐司さんの全てをこの目で見て指と唇で触れたい。
 祐司さんが私の身体を堪能する直前、祐司さんが自分の下着を脱いだ時に、祐司さんの男性の部分を見た。だけど、それ以降は祐司さんにその部分で貫かれて繋がるか、体勢の関係で見られなかったか、快楽と幸福に浸って見たりする機会を逸したかのどれか。それだけが残念。
 今回は私を全て晒して祐司さんに存分に抱かれることは出来た。祐司さんを全て見て触れるのは次回以降に実現できれば良い。昨夜が最後じゃないんだし、それこそ私と祐司さんの関係はこれからも続くんだから。次は次は、と迫るんじゃなくて、祐司さんが無理なく私を求めてくれるように、魅力を磨いていこう。
 お風呂場から出て、素早く身体と髪を拭いてまず下着を着る。続いて服を着て髪をしっかり拭いて、後はドライヤーで乾燥させる。祐司さん、ドライヤーの音で起きないかしら?…大丈夫ね。脱衣場でドライヤーをかければ祐司さんの睡眠の邪魔にならない程度に音を抑えられる。
 髪を乾かしてドライヤーを仕舞って、一旦リビングへ。祐司さんはぐっすり寝てる。掛け布団からちょっと肩が出てるから、掛け布団をかけ直す。床に積もった服や下着を脱衣場の脱衣籠に持っていき、服と下着類に分けておく。そして、祐司さんの新しい服と下着を箪笥から出して来て積んでおく。
 朝ご飯を作ろうかな。まずは炊飯ジャーにセットしておく。お米を必要分研いで目盛りに合わせて水に入れて浸してスイッチを押すだけ。他の料理を作るのは祐司さんが起きるタイミングに合わせたいけど、昨夜長距離移動もあったし、あれだけ頑張ってくれたから、無理に起こしたくはない。
 それに、祐司さんはお酒が入ると目覚めが凄く悪くなる。昨日は缶ビール1本だけだったからそれほど悪くはならないかもしれないけど。少し間を置いた方が良いかな。…お茶を淹れよう。お湯を沸かして急須に茶葉を入れて、お湯を必要量注いで少し蒸らせば、一番茶の出来あがり。
 一口お茶を啜って祐司さんを見る。起きる気配はない。そう言えば、昨夜は祐司さんが先に寝ちゃったんだっけ。ただでさえ体力を消耗する射精を3回、それに激しく動いたから、近くで多少物音がしても起きないくらいぐっすり寝ちゃって当然よね。その私は、心も身体もスッキリ爽快。祐司さんの体力を貰った格好になってるような気がする。
 私が欲しかったのは、愛する人とのこういう穏やかな時間。見栄とも世間体とも無関係に、2人の時間を過ごせること。その時間が、この家には確かにある。私の家に招く時は、まだ祐司さんはお客様の領域にある。祐司さんはそれを無意識にでも感じ取って、私を求めて来ない、求めないようにしているんだと思う。
 かと言って、私がこの家に住まわせてもらうのは、まだ背景が整っていないように思う。私が妻として至らない面を改善できていない、改善がまだ端緒に就いたばかりでこの家に住まわせてもらっても、今度は祐司さんが私をお客さんと見て扱いに困るだろう。これから更に大学が忙しくなる祐司さんには、負担にしかならない。
 料理は気に入ってもらっている。掃除も出来る方だと思う。それで祐司さんがこの家で私をお客さんと見ずに接するようになるには、私と居ることが居心地が良いって思われるようになること。潤子さんの指摘は突き詰めればそういうことなんだと思う。
 具体的にそれが何なのか、どうすれば良いかは漠然としてる。ただ、これからますます忙しくなってストレスも多くなるであろう祐司さんが、帰宅するとほっと一息つける。顔を見た瞬間、帰って来て良かったと思える。そんな妻になること。それは単に料理が上手くて掃除が出来ることじゃないと思う。
 今後、住む場所がこの家かどうかは分からない。だけど、祐司さんの隣に居る女性が私であることは、絶対に譲れない。でも、私が言っているだけじゃ確定しない。何しろ、潤子さんに指摘されるまで、妻としての至らなさに気づかずに妻の座に胡坐をかいていたんだから。
 この先、祐司さんの前に魅力的な女性が現れないという保証はない。妻と言いながら碌に世話もしないし夜もない女より、甲斐甲斐しくて夜も積極的な女性の方が、余程タイプと食い違わなければ祐司さんには魅力的に見えるだろう。そんな事態になる前に、私が変わらないといけない。
 カーテンの向こう側が明るさを増している。そろそろ朝ご飯を作り始めようかな。お茶の残りを飲んでキッチンに向かう。ご飯は…、もうすぐ炊けるわね。メニューは…食材からして味噌汁とハムエッグと野菜サラダが良いかな。ハムはちょっと厚めにカットして。
 味噌汁の準備をしつつ野菜サラダを作る。野菜サラダは朝だから小さめにする。こういうメニューなら、言い方は悪いけど片手間で出来てしまう。環境を整えて祐司さんが私をお客さんとして扱わなくて良いと認識できたら、この家で朝ご飯を作るようにしたいな。祐司さんは朝ご飯をしっかり食べられるし。
 味噌汁が出来たところでふと祐司さんの方を見る。祐司さんが身体を起こしている。物音で目を覚ましたのかしら?

「おはようございます。もうすぐ朝御飯が出来ますよ。」
「おはよう。早いな・・・。」
「昨日は良く眠れましたから。」

 そう答えて視線を俎板に戻す。…ちょっとストレートすぎたかな。祐司さんが服を着てる間に料理、料理。野菜サラダが出来たから、いよいよハムエッグ。と言ってもそれほど大仰なものじゃない。フライパンに油を少し落として広げて、ハムを両面焼き色が付くまで焼く。それが出来たらハムの上に卵を割って、蓋をして蒸し焼き3分程度。
 野菜サラダを先にテーブルに運んで戻って来ると、炊飯ジャーがご飯が炊けたことを知らせてくれる。本当に便利よね。皿を2枚用意して、ハムエッグを乗せる準備をする。3分程度過ぎたところで火を切って、フライ返しを使って慎重にハムエッグを皿に移す。あとは運ぶだけ。
 ハムエッグを先に運んで、次に炊飯ジャーと味噌汁が入った鍋を持っていく。ご飯と味噌汁をよそって、湯呑みにお茶を淹れれば出来あがり。2人分作るのは全然手間じゃない。食材を新鮮なうちに無駄なく使うなら、独りより2人分の方が良いのよね。早く祐司さんに毎日朝ご飯を振る舞えるようになりたいな。

「「いただきます。」」

 揃って食べ始める。こういう行動の同時開始は、独りじゃ絶対に出来ないこと。ただ一言言うだけなのに、それを言える相手が時間と空間を共有しているからこそ出来る。単純なようで実は難しくて大切なこと。それを今までどれだけおざなりにしてきたか、潤子さんの指摘を受けた今は分かるつもり。
 祐司さんは寝ぼけた様子もなく、軽快に食べていく。ハムエッグが朝飯なんて贅沢してる気分、なんて祐司さんが言う。これくらい簡単に作れるのに、今の私では祐司さんに余計な気を遣わせるだけ。もっと祐司さんに私を妻として認識してもらえるようになったら、どれだけでも作りますよ。そのために頑張りますからね。

「バイトは明日からですし、今日はどうしますか?」

 概ね食べ終わったところで、これからの行動を提案する。祐司さんがしたいようにしてくれれば勿論それで良いけど、折角の機会だから出かけたりしたいな…。祐司さんはうんと考え込む。いきなり言われても困るわよね。ここは私から提案するのが吉。

「あの・・・よかったら映画を見に行きませんか?マスターが招待券をくれたんです。期限は今週末までですからまだ余裕はありますけど、祐司さんが暇なら一緒に行きたいな、と思って・・・。」 「何ていう映画?」
「『ナタリー』っていうタイトルです。十数年前に上映されて大ヒットした映画の続編っていう位置付けだそうで、前評判は高いそうですよ。」
「ふーん・・・。「行こうか。どんな映画か興味あるし。」
「はい。」

 あっさりOKしてもらった。招待券を持って来てて良かった…。そうと決まれば、ご飯の後は出かける準備ね。準備と言っても、化粧は元々お風呂上りの乳液くらい。あとはエプロンを取ってコートとマフラーを着ける程度。それは祐司さんも同じ。かしこまったり着飾ったりはしないし、そうしなくて良い。
 何気ないことだけど、私にはそれが心地良くてありがたい。一緒に出かけたい、一緒に居たいってことより、どの服を着るか、どんなコーディネートをするかの方に重きを置く格好になってしまう。それって本末転倒だけど、いかに着飾って自分を良く見せるかがデートや付き合いとさえ思われている感がある。
 服は着替えることが出来る。けど、その人の内面や心はそうはいかない。綺麗な服や高価な装いで良い人と錯覚して接近を許すと、とんでもない本性が露呈することは往々にしてある。それが所謂DVとかだと思うけど、私はどうしてもそういうのを見ると「でも、そういう男性が好きなんでしょ?」と思ってしまう。
 服は全般的に高価。それを次々替えられるのは、お金の使い方が荒いか、着飾ることで羽振りが良いとか思って近づいて来る異性がいると知っているからだと私は見ている。何だか食虫植物みたいだけど、何だかんだ言ってそういう男性が好きなんだから、黙って殴られてるかサッサと別れるかすれば良いのに。
 揃って食べ終えて、私が洗い物をする。その間、祐司さんは身繕いをしてコートとマフラーを用意する。食器2人分を洗うのは直ぐ。エプロンを外してコートとマフラーを着ければ、私も準備完了。祐司さんはエアコンを止めて、私を先に外に出して戸締りをする。

「それじゃ、行こうか。」
「はい。」

 アパートの敷地を出て、駅に続く緩やかな下り坂を歩いていく。その途中で私が祐司さんに手を差し出す。直ぐに祐司さんの手と触れ合って、そのまま互いの指の間に自分の指を通す。お出かけ中はこの瞬間がたまらない。祐司さんはなかなか手を繋ぐのを受け入れてくれなかったのよね。
 それは手を繋ぎたくないんじゃなくて、単に照れくさかったから。周囲が不快に思わないか、祐司さんはかなり神経を使う。私は、どんなことをしたって不快に思う人は思うんだし、文句や危害を加えて来ない限りは放っておけば良いって思うけど、祐司さんはそれで私に危害が及ぶことも懸念していたと後で聞いた。
 本来、そういうことは私が考えるべきこと。祐司さんは自分のことをずぼらと言うけれど、それは掃除とか家のことに限ったことで-それだって言うほど酷くはない-、視野の広さや思慮の深さは私よりずっと凄い。こういう男性こそもっと評価されて良いと思うけど、それだと私が気が気じゃなくなる。凄い矛盾ね。
 日が昇ってそこそこの時間は経つけど、外の空気は隅々まで冷え切っている。コートとマフラーで防寒していても、冷えた空気は彼方此方から染み込んで来る。冷気に支配されそうなところを、祐司さんから伝わる温もりが跳ね返してくれている。祐司さんとの一体感を感じられて堪らない。
 夜は手のみならず全身で素肌が触れ合う。それとは触れ合う面積は圧倒的に少ないけれど、夜とはまた違う幸福感に包まれる。急かされることなく一緒に居られる時間を味わえる。私が欲しかった時間が今此処にある。それを提供してくれる祐司さんに、私は妻として誠実に応えていかないといけない。

「二人で映画って、久しぶりですね。」
「そうだな。前に行った時は付き合う前だったから、付き合うようになってからは今日が初めてか。」
「あの頃から私はその気でしたけどね。」
「俺はまだその気じゃなかった。否、気付かないふりをしてただけかもしれないな。」
「でも、今こうして一緒に居られるんですから、結果オーライですよ。」
「結果オーライ、か・・・。確かにそうだな。」

 今思えば、私は祐司さんの彼女として認めてもらおうとして、晴れて彼女と認めてもらってから、今度は妻の座を得るべく奮闘して、祐司さんの心境を思いやることをしてなかった。祐司さんはもっとゆっくり私の人となりを見て信頼するに値するか、彼女にして有害でないか見極めたかったんだと思う。
 でも、祐司さんは私を受け入れてくれた。それが後悔する決断じゃなかったと祐司さんが思えるように、結果オーライと思えるように、妻としてどうあるべきかを見つめ直して私を変えていかないといけない。その一歩は踏み出したつもり。一歩を少しでも多く確実に。

「どんな映画なんでしょうね。」
「さあ・・・。それは兎も角、大勢の前で抱きついて泣くのだけは勘弁してくれよ。どうしたら良いか分からないから。」
「そういう時は優しく抱き締めてくれれば良いんですよ。」
「あのなあ・・・。」
「冗談ですよ。もう昔の私じゃないんですから、心配要りませんよ。」

 そう、もう昔の私じゃない。体裁を逆手にとって両親を脅して、前の大学を辞めて今の大学に入り直してこの町に移り住んだのは、昔の私を捨てるため。心の片隅にあった迷いや未練といったものは、もう断ち切った。今は新京大学の文学部2年。同じ大学の工学部2年の男性の妻。これだけ。
 映画の後は決めていない。祐司さんとのデートは何時もこう。それがとっても気が楽でゆったり出来る。何処に行きたいかをある程度絞り込んでおいて、後はその時したいことを一緒に考えて、一緒に行動して体験する。これがデートの醍醐味だと思う。祐司さんの意思を踏まえずに妻宣言した私が言うと説得力に欠けるかもしれないけど。
 この坂道を上り下りする機会は、あと2年と少々。その先どの道を行き来するかは分からない。だけど、これからの人生は祐司さんと歩みたい。祐司さんの隣に居て、一緒に暮らして一緒の時間を持ち続けたい。それが祐司さんにとっても幸福であると思えるような人生を歩んでいきたい。
 祐司さんと付き合って初めての独りの時間を過ごしたこの年末年始は、私のこれまでとこれからを見つめ直す貴重な機会になった。名実ともに祐司さんの妻になるために、私を受け入れてくれた祐司さんの愛情と信頼に応えるために、この気持ちを忘れずにいよう…。