雨上がりの午後 アナザーストーリー Vol.2

Chapter 3 指輪を見つけ、愛し君に填める時

written by Moonstone

 土曜日。俺は珍しく早起きして、朝飯もそこそこに家を飛び出し、小宮栄行きの電車に飛び乗る。目指すはただ1つ、SV1000のペアリングを売っている「sivrel」という店。懸案だった晶子の指のサイズは、手を握るのに併せて自分の指で測った。バイト帰りに俺の家に来た時、しかも向かい合っていたから、晶子は勿論俺も驚いた。その後にキスをしてどうにかこうにか誤魔化した…筈。
 晶子の誕生日まであまり時間はない。平日は大学とバイトがあるから、自主休講-すなわちサボりをしないと行けない。だが、3年への進級時に一般教養科目の単位をほぼ取っていないと留年になる。出席日数次第で試験を受けられない講義もある。単位の取りこぼしをしない第一の条件は講義に出ること、とはよく言ったもんだ。
 強引に測った晶子の指のサイズは、指の円のサイズとしてしっかり頭に焼き付けたが、数値になってないから時間を開けるほどに曖昧になっていく。しかも、昼間の時間が作れるのは大学が休みの土日だけ。その土日を逃すと最長で6日待たないといけない。現状6日無駄に開くことは、晶子の誕生日に間に合わない計算になる。
 生憎、「sivrel」は通販を一切していない。念のため電話で問い合わせたところ、ネットは商品の紹介に留めて対面販売にしているという。写真と現物が異なって見えるかもしれないこと、実際見ると印象が違うことがままあることが理由らしい。もっともな理由だし、思い切った判断だと思う。
 路線の終点でもある小宮栄の駅で降りる。地下街を通って6番出口から出る。小宮栄は出口が幾つもあって、出口によって全く風景が異なることもある。高層ビルの谷間に出たり、住宅密集地の前に出たり、と。今回は昔ながらの商店街といった趣の通りの傍に出る。駅前の高層ビル群が近いところに聳えていて、対照的な風景だ。
 此処からの道のりが少々ややこしい。大学のPCの部屋にあるプリンタで地図を印刷して来たが、これがないと行けそうにない。高校時代に小宮栄は結構来たが、この辺りは初めて。しかも、この通りは入り組んでいる。道に迷って時間を無駄にするわけにはいかない。
 この通りは、小宮栄の周囲を地下から包囲するように伸びる高層ビル群とは隔絶された感がある。周辺に昔ながらの住宅街があるためかもしれないが、車1台が通れる程度の幅の道が不規則に曲がり、入り組んだ町並みを作っている。その中に雑多な店を含んでいる。雑然としていて、神経質なほどの潔癖さはない。
 一般の住宅の1階が店になったような個人店舗が立ち並ぶエリアに入る。和菓子屋から定食屋、玩具屋、薬局と店の種類には事欠かない。店が両方を囲む通りは混雑はしていないがそれなりに人は居る。買い物をしたり話し込んだりと、駅前の常に変化する忙しなさから隔絶された、この地に生きる人々の生活の一端がある。
 さて…、件の店はこの通りから一歩奥に入ったところにあるようだ。途中出て来た十字路で左折して、直ぐ出て来るT字路で右折。さっきまでの通りより割と店舗の傾向が新しめの、だが、個人住宅を改装したような作りは変わらない通り。そこを暫く真っ直ぐ進んだ突き当たり、T字路の角。…あった。「sirvel」の看板が出ている。
 店先に出ている看板は、黒の2つ折りのボードに蛍光ペンらしいもので書かれている。「純銀の店 sirvel」「Thu.~Sun. 10:00~19:00」。店の傾向と名前、営業日と時間だけが書かれている。店構えは木目調の雑貨屋というイメージ。煌びやかな宝石が並ぶ、かしこまった雰囲気はない。
 兎も角入ってみる。バイトしている店はカウベルだが、此処は鈴らしく、チリンチリンという音が鳴る。中は…やっぱり木目調で統一された雑貨屋という雰囲気。棚の中には、整然と銀色の商品が並んでいる。指輪は勿論、ペンダントやネックレス、イヤリングやピアスもある。種類には不自由しないようだ。

「いらっしゃいませ。」

 店員が声をかけて来る。居酒屋のようなカウンターの向こうに1人と、少し奥の棚の近くに居た、どちらも若そうな女性だ。店のロゴが入ったエプロンを着けている。

「えっと…、SV1000のペアリングってありますか?」
「はい。どうぞこちらへ。」

 奥の棚のところに居た店員に案内されて、その店員が居た棚のところに行く。やはり木目調の棚の中にある、少し斜めに置かれた木の枠の中に、多数の指輪が並んでいる。どれも微妙にデザインが異なる。シンプルなものからかなり複雑な文様が刻まれたものまで色々ある。
 値段は…どれも1万しない?!小さい宝石が付いたものだと2,3割くらい高くなるが、それでもこれまで足を運んだ宝石店の商品の数分の1、数10分の1だ。これなら値段を気にせずに、デザインが一番気に行ったものを選べる。それにしても、随分安いな…。

「想像していたよりずっと安いです。」
「当店は、全て自社工房で製造したものを販売しています。仲卸を介さないので、その分お安く出来ます。」
「仲卸っていうと、商社みたいなものですか?」
「はい。宝石では複数の仲卸が介在します。そのたびに価格が上昇していきます。仲卸が全て不要とは言えませんが、本来の商品価値よりはるかに高額になるのは、お客様にも販売店にも不利益でしかありません。」
「それはそうですね。」
「あと、宝石に限ったことではないですが、イメージ戦略なども絡みます。成分や効能が不十分だったり、全く効果がないものだったり、時に人体に有害だったりするものでも、さも効果があるように宣伝されて販売されていることが多々あります。」
「プラズマとかナノとか、色々ありますね。」
「そのとおりです。そのようなイメージ戦略には、必ず広告代理店が絡みます。宣伝や広報の専門集団ですからこれも全く不要とは言えませんが、広告代理店に支払われる高額な広報費用が、製品の価格を押し上げたり、製品の正体を偽って宣伝されることも多々あります。ですので、当店は仲卸を挟まず、広告代理店を使っていません。その分、商品はお求めやすいものに出来ているという自負があります。」

 口調は穏やかだが、内容は商業全般に対する厳しい批判が籠ったものだ。だが、これまで宝石店を幾つも巡って来て、カッコいい名前の裏にはアレルギーの原因になり得るものが潜んでいたりと、イメージ戦略の負の一面に触れて来た。大々的に売れることにはならないが、そういったリスクを排除する方向を選んだのは、買う側にとってはありがたい。

「指輪でしたら、内側にイニシャルなどを刻印することも出来ます。お相手へのプレゼントでしたらよりお勧めです。」
「刻印か…。それを頼むとどのくらいかかりますか?」
「すべて手作業ですので、3日ほどお時間をいただきます。」
「来週の土曜日なら間に合いますか?」
「はい。十分です。」

 来週の土曜日なら店に取りに来られる。翌日の日曜日が晶子の誕生日だし、買ってそのまま渡すより、少し特別なことをしたい。イニシャルとかが刻印できるなら、刻印したかったことがある。試しにそれを店員に尋ねると、そのくらいの文字列なら全く問題ないという。
 問題の指輪はどれにするか…。填め続けるかどうかは不明だが、填めた時にゴテゴテした印象の派手なものより、シンプルな物の方が晶子の傾向や性格からして使いやすいし、飽きも来難いだろう。となると…、これが良いな。指輪の指先に近い方の側面の一部が燻されたような加工をされている、ごくごくシンプルなものだ。

「この、C-30っていう指輪を2人分ください。」
「ありがとうございます。」
「指輪のサイズの指定や調整って出来ますか?」
「勿論出来ます。お渡し前は勿論、お渡ししてからも当店に来ていただければ、何度でも調整いたします。結婚指輪に購入いただいて以降、メンテナンスに来られるお客様も多く居られます。」

 メンテナンスについて尋ねる。通常の使用-填め続けて洗い物などをしたり風呂に入ったりする分にはほぼ必要ないが、SV1000という限りなく純銀に近い性質上、どうしても他の銀製品より傷が付きやすい。傷といっても細かいものだからしっかり観察しないと分からないが、気になるなら研磨することで元の滑らかさを取り戻す。
 だが、購入者の傾向として、傷が付いたことに伴う研磨より、サイズの調整の方が圧倒的に多い。細かい傷はそれだけ使いこんだ証拠であり、愛着の証と感じるらしい。生活していると指のサイズが変動するのはよくあることだし-太ることもあれば痩せることもある-、その調整は指輪を使い続けてもらうための必要事項と見ている。
 購入したら後は知らない、というのは残念だが珍しくない。使い捨てなら諦めもつくが、付き合い始めて初めての誕生日プレゼントとして、機会を見て使い続けてほしいと思って選んで買うものだ。入らなくなったらサイズの調整で対応可能なら、プレゼントが何時の間にやら不燃ごみになっていた事実に直面しなくて済む。
 これなら安心して買えると確信する。価格はこれまでの宝飾店の商品の数分の1という安価なものだが、俺にとってはそれなりの額。金銭の高低は個人の経済状況によって全く捉え方が変わる。それを「安価だから」と切り捨てられるなら、恐らく購入した人も何れ理由を付けて切り捨てられるだろう。
 俺は改めて商品の購入を伝え、指輪のサイズを伝える。俺は分かっているが、晶子は俺が偶然を装って測ったものしかない。店員は「よくあることです」と言って俺が作る指の円にサイズ測定用の器具を合わせて測る。勿論購入後に調整可能だというから、ちょっと不格好かもしれないが何とかなるだろう。
 続いて、刻印して欲しい文章を渡されたメモ用紙に書く。俺の方と晶子の方では少し異なるが、ペアリングとかではよくあるタイプのものだろう。文字の形式-通常のブロック体かイタリック体かも選べる。サンプルを見ると、イタリック体の方がお洒落かな。どのみち填めれば見えなくなるが。

「この文字列を大きい方に、こっちの文字列を小さい方にお願いします。」
「かしこまりました。お渡しの梱包やラッピングもお選びいただけます。」

 誕生日プレゼントなんだから、指輪を剥き出しはあまりにも酷い。選べる梱包は、木目調の小さな蝶番の箱と一般的な指輪の箱らしいものの2種類。ラッピングはシンプルな模様は共通の包装紙が赤、青、緑、白、黄、紫、水の7種類と同じ色のリボン。こういうのは俺のセンスだと選び辛いな…。

「…シンプルな方が良いかな。」

 木目調の箱と緑の包装紙とリボンを選ぶ。価格は指輪2個にプラス1000円+税。この箱に指輪が2個入るから、晶子に開けてもらって小さい方を填めてもらえば良い。俺が填める機会はそのままだとなかなかないだろう。デートの時くらいかな。その間どうしたものか…。

「自分の保管用に、箱だけもう1個もらえますか?」
「はい。どれになさいますか?」
「こっちも、木目調の方で。」
「かしこまりました。」

 これで注文は完了。代金を支払おうとすると、支払いは商品の引き渡し時で良いという。出来栄えを確認して納得できれば支払ってもらうというスタンスだそうだ。価格もさることながら、徹底的に客目線なのが驚きだ。下手に広告や宣伝をすると、客1人1人に寄り添った接客や販売が出来ないと考えているんだろう。
 プレゼントの準備は事実上完了した。1週間待てば全てが揃う。後は…俺がスマートに渡すことだが、それがもしかすると一番難しいかもしれない。品物は買うなり作るなりすれば準備できるが、シチュエーションや渡す時の言葉を考えたりするのは当人しか出来ない。生憎俺には気の利いたことは言えそうにない。
 肝心要のプレゼントを渡す瞬間でこれまでの苦労が水の泡、ということはまずないと思うが、晶子の期待しているものとずれているのではないかという懸念は渡すまで払拭できない。よくよく考えてみれば、ペアリングは俺の憧れがあったからで、付き合い始めて半月足らずの俺と晶子の関係を反映しているとは言い難い。
 …止めよう。今更あれこれ不安要素を挙げるのは。晶子はプレゼントにかけた金額の大小で価値を決める女じゃない。無理矢理ペアリングを選んだ理由を取り繕うより、お揃いの身につけるものを選んだとでも言う方が晶子を納得させられる筈。変にシチュエーションに工夫を凝らすより、率直に気持ちをぶつけるべき相手だ。

「よろしくお願いします。」
「当店をお選びいただき、ありがとうございます。指輪についてはお任せください。」

 1週間後、指輪を受け取って晶子にプレゼントするまでは、座して待つのみ。その間出来ることは、せいぜい渡す時の言葉やシチュエーションを考えておくくらいだ。多分、一生懸命考えた言葉もその時になったら綺麗さっぱり霧散するんだろうが、それくらいしかすることはないんだよな…。
 待ちに待った日曜日。つまり晶子の誕生日。どうしても朝からそわそわしてしまう。用事もないのに普段より早く起きて、何かにつけて机の上に置いてあるペアリングの箱を見てしまう。綺麗にラッピングされた箱には、俺が注文したペアリングが収められている。
 箱に納められた状態から確認したが、文字列の刻印を含めて完璧という他ない出来栄え。燻し加工の部分は細かい幾何学模様のように見えて、プレーンの部分は傷1つなく、鏡のように綺麗に磨き上げられている。内側の刻印も、斑なく綺麗になされている。2つ合わせて2万円未満という価格設定が信じ難い。
 仕上がりを確認してからは、ペアリング本体は一度も見ていない。箱を開けると折角の輝きが曇ってしまうような気がするからだ。何しろ、確認して再び箱に収納する時にも、一度専用の布で拭いてもらったくらい、俺としては異常なくらい神経質になっている。自分でも分かるがどうしようもない。
 渡すのはバイトが終わって帰る時と決めている。行く時はまだ明るいから人目に付きやすい。バイト中はそれぞれ別行動だしそれなりに忙しいから、うっかり落としたりしかねない。となると、渡すのはバイトが終わって帰る時だろう。「くれてやる」みたいに投げてよこすなんて出来ないし、それじゃプレゼントじゃない。
 渡す時のシチュエーションや言葉は色々考えているが、渡す時が近づいて来るにつれて、晶子の反応を想像する割合が強まっている。こう言ったらどう応えるだろう、こうやって渡したら何て言うだろう、とそんなことばかり考えている。晶子の反応がどれも感動的なのはある意味お約束。
 おっと、そろそろ時間か。身支度をして家を出る。忘れずにプレゼントをジャケットに仕舞って、と。暖かくなって身支度の時間が短くなった。昼間の時間も長くなってきた。去年の今頃はまだ宮城と付き合っていて、遠距離恋愛の果てにとか夢見ていたんだよな。今隣に居るのは宮城じゃなくて晶子だが、何だか随分時間が経ったような気がする。
 付き合い始めてまだ1年にも満たないからか、まだ宮城との恋愛が理不尽な形で破局した後遺症が残っているのか、晶子との将来を思い描いても漠然としたものだ。プレゼントを渡して喜ばれるところを想像する一方で、このプレゼントも新たな傷の一部になるんじゃないかという不安が心の何処かに存在する。
 とは言え、傍から見て俺の不安は贅沢か「そのとおりになってしまえ」とのやっかみを生むものだろう。晶子はほぼ間違いなく美人と評される容貌。宮城がやや小柄な可愛いタイプだったのに対し、晶子は長身で綺麗なタイプ。傾向は違うが、晶子は人目を引きつける容貌だ。
 化粧っ気がないのは、素材の良さに相当の自信がないと出来ないこと。男の側から言えば、化粧でゴテゴテに固めるより、化粧が少なければ少ないほど良い。アクセサリーもワンポイント的に使っている方が良い。アクセサリーが多いと、金がかかるという警戒感が生じて真剣な交際相手としては敬遠する。
 服装もシンプルだが、その分スタイルの良さが際立つ。晶子は言わば、男が好む要素を固めたようなもんだ。引く手数多なのは当然だし、俺が今後に不安を抱えていても「俺が控えているから安心して破局しろ」と言われるくらいだろう。
 生憎その気はないし-別れるつもりで付き合うなんてまずないだろう-、長く続けていきたい。だが、当然ではあるが晶子は宮城と性格も傾向も異なる。若干どころか大きな違いだ。今回のプレゼントは、その違いを理解したか、言い換えれば宮城の影響を取り払って晶子に「順応」出来たかどうかの試金石になるかもしれない。

「こんにちは。」

 店が見えて来たところで、晶子の声がする。店への道が合流するところで、駆け寄って来た晶子と合流する。今日の服装も、自分の誕生日と意識してないのか至ってシンプルな、普段と変わらない傾向。料理や洗いものをするのにフワフワヒラヒラした服は着ていられない、というのが、晶子と潤子さんの見解。

「今日もお客さんはたくさん来ると良いですね。」
「塾が休みの時期だからどうかな…。」

 日曜は割と楽な曜日だ。連休中ということで塾も休みのところが多いし、近くの会社も大半は休み。だが、最近は口コミが広まっているらしく初めての客が増えつつある。バイトが早く終わることは期待しないで、終わった後の解放感や安堵感と共に渡すのがベストだな。

カラン、カラン。

「「こんにちはー。」」
「あら、祐司君と晶子ちゃん、こんにちは。ご飯は出来てるわよ。」

 バイトが終わり、店を出る。今日の行き先は俺の家。色々考えた結果、バイトの帰りでも外だと人目に付く恐れがあると結論付けた。住宅街だから一本脇に入れば人通りは減るが、道路の片隅でプレゼントを渡し渡されしている様子は、格好の見物対象だろう。やっぱり家に呼ぶしかない。
 幸い、晶子は誘えば喜んで俺の家に来る。今日、異常なほど早く起きたことを利用して家を掃除して良かった。どうも掃除はさぼりがちで、油断すると直ぐ床にゴミが散乱する。晶子の家は何時行っても綺麗なんだが…、1日24時間は同じなのに何が違うんだろう?

「お邪魔します。」
「どうぞ。先に座ってて。」
「はい。」

 普段は晶子が紅茶を淹れてくれるが、今日は俺の家だし、晶子の誕生日だから流石にそうはさせられない。生憎この家には紅茶なんて洒落たものはないから、買い置きのインスタントのコーヒー。それだけだと前置きとしてあまりにもあまりだから、ちょっと「らしい」ことをしてみる。

「お待たせ。」
「ありがとうございます…!え?!どうしたんですか?」
「そんなに驚かなくても…。」

 俺がコーヒーに続いて出したのはケーキ。ホールケーキまでは頭が回らなかったが、新京市まで出て買って来た。そこそこ有名な店らしく、昼前に買いに行った時は店が混雑していた。そんな中でどうにか買ったのは、これまた無難な苺のショートケーキ2個。無難だがそれは定番ということでもある。
 晶子の好みの食べ物はまだ把握しきれていない。ケーキもチーズやチョコレートは意外と好き嫌いが出やすいと聞く。今回は晶子が客だから晶子が食べられないと話にならない。アレルギーの話は聞いてないから、最も万人受けする苺のショートケーキはが直ぐに購入対象になった。

「今日って、晶子の誕生日だろ?立派なケーキとかはないし、作りようもないけど、これくらいは。」
「嬉しい…。ありがとうございます。」
「これでこんなに喜ばれると…。兎も角、乾杯しよう。」

 目を潤ませてさえいる晶子にちょっと戸惑ってしまう。晶子って感動しやすいタイプなのか?ショートケーキ+インスタントコーヒーによるこの感動と、指輪を渡した時の感動の差が右肩下がりだと、俺は合計1000円未満の当日入手分に負けたような気がする。
 まずは乾杯。紅茶を好む晶子にはブラックのコーヒーは厳しいかもと思って、ケーキ入手後に急遽コンビニで買って来た牛乳と砂糖を渡す。牛乳は俺にとってこれくらいしか使い道がないから、殆ど買わない。晶子は牛乳だけ使う。砂糖はケーキの甘みで十分という。そりゃそうか。
 列が出来るくらいの洋菓子店だから多分大丈夫だと思ったが、ケーキはなかなか美味い。コーヒーの苦みをまろやかに打ち消して、穏やかな甘みを口の中に広げる。よく見ると、中ほどに苺を切ったものと苺ジャムがサンドされている。クリームとは違う甘味の正体はこれか。

「えっと…、誕生日ってことで用意したものがある。」
「え?ケーキだけじゃないんですか?」
「ケーキは前座。…これなんだが。」

 不安が増大して来たが、俺はジャケットに仕舞っていたペアリングの箱を取り出す。最初の予定だと帰りの途中にペアリングを渡す→家でゆっくりケーキとコーヒーで乾杯という段取りだったんだが、順番が逆になってしまった。今更それを反省しても仕方ない。これを渡さないと今日まで頭を悩ませた意味がない。

「開けて…良いですか?」
「ああ、どうぞ。」

 晶子は丁寧にリボンを解き、包装紙を取り除く。現れた木目調の小さな箱を、晶子はしげしげと見つめる。プレゼントは箱じゃないんだな…。俺は箱の小さな窪みを指して、そこに指を軽く突っ込んで上に押し上げて開けることを教える。晶子がそのとおりにすると、晶子の表情が一気に驚愕へと変わる。

「これって…、指輪、です、よね?」
「ああ。晶子が店で使うのに邪魔にならないアクセサリーって考えると、指輪しか思いつかなくてな…。」
「凄く綺麗…。こんな良いものを…。」
「懐具合に関しては心配しなくて良い。…この指輪、ペアだから、買う時にちょっと細工をしてもらった。」
「何ですか?」
「晶子から見て左側の、少し小さめの指輪が晶子の方だけど、その裏側を見て。」

 晶子は指輪を手に取って内側を見る。再び表情に驚愕の色が出る。晶子の指輪には「from Yuhji to Masako」。俺の指輪には「from Masako to Yuhji」。それぞれ刻印してもらった文章というか文字列だ。指輪だけより、誰から貰ったものかが分かって、それもよく見ないと分からない位置にあるメッセージがあると良いかと思ってのことだ。

「素敵…。こんな良いものを…。」
「何だか…予想以上に喜んでもらってるな。」
「少し前まで、祐司さんが何か考え事をしていたり、落ち着かない様子だったのは…、今日この指輪を渡してくれるためのものだったんだと分かって…。私の誕生日に備えて真剣に考えて、準備してくれた…。その気持ちがとても嬉しくて…。」
「それだけ喜んでもらえれば、それこそ探して調べて準備した甲斐があったってもんだ。」

 何をプレゼントするか、指輪なら何処で買うか、店では度の指輪を買うか、ラッピングはどうするか、大学のレポートよりも考えたかもしれない。渡すギリギリまで不安を抱えていたのも事実。だが、それらは目の前の晶子の感動ぶりを前にすっかり思い出話に昇華してしまった。
 プレゼントは、渡して相手が喜ぶ顔を見るためのものなのかもしれない。その観点では、俺は最高の結果を見ることが出来た。指輪を両手で持って食い入るように見つめる晶子は、うっすらと涙ぐんでさえもいる。初めての誕生日プレゼントがこれだと、次からが大変かもしれないが、それはその時だ。

「えっと…、指輪のサイズは左手の中指に合わせたつもり。正確じゃないが。」
「それは構いません。多分お店で調整してもらえるでしょうし。」
「そのとおり。合わないようなら次の土日にでも調整してもらって来る。ひとまず填めてみてくれ。」
「じゃあ…。」

 晶子は指輪と自分の左手を差しだす。…ああ、填めてくれってことか。それくらいすべきか。晶子から指輪を受け取り、左手を支えるように軽く取って。…婚約指輪買結婚指輪を填めるみたいだな。さて、左手の中指に…。ん?晶子が左手の薬指を右手の人差指で軽く突くように指示している。

「此処に填めてください。」
「…何?!」

 若干のタイムラグを挟んで、今度は俺が驚愕する。俺でも左手の薬指に指輪を填める意味くらいは知ってる。しかも、これは誕生日プレゼントとして用意したもの。どうして左手薬指に填めろと言う?俺を見る2つの大きな瞳は、とても冗談で言っているようには見えない。だから余計に意味が分からない。

「左手薬指の指輪の意味は知ってるよな?」
「はい。勿論です。」
「ああ、良かった…じゃない。分かってて何で填めろって言うんだ?!」
「填めて欲しいからですよ。」

 まあ、いともあっさりと言うもんだ…。傍から見れば、このシチュエーションはどう考えても婚約指輪か結婚指輪を填める時のものにしか見えない。…全身が火照って来た。まさかからかってる…ってことはなさそうだ。固まっている俺を、晶子は黙って見つめている。時折左手薬指を指し示すところは変わらない。

「そこじゃないです。」

 とりあえず目的の指に填めれば、と中指に填めようとすると、晶子が制止する。無視して填めようとすると、器用に中指だけ曲げて避ける。人差し指を狙っても同じ。親指は太過ぎるし小指は細過ぎる。絶対に薬指じゃないと受け付けないつもりか?

「薬指に填めてくれないと受け取れません。」
「何でそうなる…。」
「指輪は正しい位置に填めてもらわないと、意味を成しませんから。」

 強引に填めることは出来そうにない。しかも、晶子の手を取って晶子の分の指輪が俺の手にある以上、選択肢は…晶子の思惑どおり薬指しかない。…まあ、一時でも晶子を満足させれば良いか。一種のごっこ遊びに浸ってるんだろうし。
 俺は晶子の薬指に向けて指輪をあてがう。今度はすんなり受け止める。指輪はするすると薬指の奥に入っていき、第1関節を過ぎて丁度付け根との真ん中あたりで止まる。…丁度良いサイズだったようだ。幸か不幸かは別として。

「凄い…。ピッタリですね…。」
「キチンと測ってないからある意味賭けだったんだが…、良かった。」
「今度は祐司さんの番ですね。祐司さんも填めてください。」
「俺も?…分かった。ペアリングだしな。」

 多少全身の火照りが収まって来た。俺の分は予定どおり左手の中指に…。

「そこじゃないです。」
「この指に合わせて作ったんだから…!」

 全身の火照りが再び強まって来る。俺も左手薬指に填めろってことか?!俺まで左手薬指に填めたら、法律の後ろ盾がないとは言え、それこそ婚約指輪か結婚指輪の交換にしかならない。どうして晶子は左手薬指に拘るんだ?ごっこ遊びにしては本気度が強過ぎる。

「同じ指に填めてこそペアリングですよ。」
「そんな理屈、聞いたことない…。」
「私の考えですから。さ、填めてください。祐司さんが填めてくれないと終わりません。」

 晶子の目は、俺の選択肢を奪った上で早く填めろと言っているようにしか見えない。…ひとまず填めておくか。晶子を送り届けてから外せば良いし。晶子を納得させないと指輪を外される恐れがある。結婚どころか婚約でもない段階だが、填めた指輪を外されるのは気分が良いもんじゃない。
 そうは言っても、やっぱり左手薬指に填めるのは緊張する。全身が燃えてるように感じる。左手薬指を指輪に通す。第1関節のあたりがちょっときついが、そこを過ぎると指と一体化しながら奥に入っていく。付け根と大1関節の間くらい、晶子と同じ位置で止まる。

「…これで良いか?」
「はい!」

 期待で目を輝かせるが、心なしか目が据わってるようにも見えた晶子は、そういった不穏な色を一掃して満面の笑顔を浮かべる。十分満足したようだ。

「ありがとうございます、祐司さん。この指輪、大切にしますね。」
「そうしてくれ。」

 渡す段階でとんだハプニングがあったが、ペアリングの片割れは無事晶子の指に収まった。収まる指が想定と違うが…、ひとまずこれで良い。今は薬指だが、満足すれば別の指に填め直すだろうし、今くらい感慨に浸っても良い。
 晶子は左手薬指に収まったペアリングの片割れを愛しげに見つめている。時折指で擦ったりもしている。相当気に入ったようだ。指輪とかアクセサリーは気に入られて、身につけられてこそのものだ。俺のセンスではそうなるかかなり不安だったが、奇跡的な確率で的中したようだ。
 本物の婚約指輪や結婚指輪を填めるのは当分先だろう。大学も2年になったばかりで専門教科も始まったばかりで、将来の方向性も漠然どころか混沌としている。まずは、大学の間にしっかり将来への基盤を作るべきだ。経済的にも愛情の面でも…。