雨上がりの午後 アナザーストーリー Vol.2

Chapter 4 指輪交換後の騒動~少し先の未来

written by Moonstone

「おーっ、おはよーっ。晶子ちゃんに祐司。」
「おはようございます。」
「おはよう。」

 週明け早々、智一が暑苦しいほどの快活さで駆け寄ってくる。俺はとある事情で左手をジャケットのポケットに突っこんだまま。右手に鞄を持っているから、空いている手をポケットに収納していると思ってもらいたい。こういうことを意識しないといけない事情だ。

「何だ何だ祐司。元気ないねー。」
「それは気のせい。」
「さては、晶子ちゃんと喧嘩したとか。」
「それはありませんよ。私が断言します。」
「晶子ちゃんがフォローか。今からもう尻に…ん?」

 しまった、気付かれたか。…晶子の奴、髪をかき上げるふりをして左手を智一に見えるように出してやがる。見せびらかす気か?…得意気にも見える顔を見ると、そうとしか思えない。

「どうかしましたか?」
「ちょ、ちょっと。晶子ちゃん!そ、その指輪は?!」
「これですか?」
「晶子のた…」
「私の誕生日に祐司さんからいただいたものです。」

 俺が「誕生日プレゼント」と言うのに上乗せして、晶子が答える。しかも、誕生日プレゼントという単語をしっかり外して。言葉どおり受け止めれば、婚約か結婚の証としてもらったことになる。そして晶子の表情は、絶対にそれを狙っているとしか思えない。

「そ、その指に指輪を填める意味って…。」
「勿論、伊東さんはご存知ですよね?私も祐司さんに確認されましたけど。」
「か、確認された上で、そ、そこに?!祐司から?!」
「はい。」
「じゃ、じゃあ祐司にも…?!」
「勿論ですよ。ね?」
「…ああ。」

 俺は晶子に左手を引っ張り出される。しかも、ご丁寧にも左手で。否応なしに対をなすものだと認識される。俺が左手をポケットに突っこんだままなのは、この指輪があるせいだ。朝、迎えに来た晶子にしっかりチェックされ、左手薬指に填めないと家から出さないと脅された。
 この指輪、やたらと肌馴染みが良くて填めていて異物感がない。その代償かどうかは知らないが、指との一体感が強くて一度填めると抜き辛い。時間が経つにつれて指との一体感が更に強まっていくような感すらある。店での引き渡し時に説明されたとおりではあるが、これほどとは…。
 晶子は当然というか、昨夜から填め続けている。そもそも外すという概念がないとさえ言い切った。何をするにしても少し視線を動かせば指輪が目に入り、それで昨夜の幸せを改めて噛みしめているらしい。お気に入りという範疇を力いっぱい飛び越している。

「祐司さんに指輪を見せてもらって、左手薬指に填めることの意味を確認された上で、填めてもらいました。」
「ほ、本当か?!祐司!!」
「…嘘は言ってない。」

 晶子は誕生日プレゼントという単語を敢えて外して、事実を綺麗に並べる。確かに嘘は言ってないが、誕生日プレゼントという単語を入れて欲しい。それがあるとないとでは、格段に違ってくる。俺が口を挟もうにも、そのタイミングが計れない。

「そ、そ、そんなぁー!!」

 智一が頭を抱えて悲痛な叫びをあげる。驚愕と悲哀の色で埋め尽くされている。気持ちは分かるが、叫ばないでくれ。余計に目立つ。俺が言っても自慢から来る優越感としか受け止められないだろうし…。一方、ある意味張本人の晶子はどうしてそんなに錯乱するのかと言いたげな目で見ている。智一には二重の災難か。
 今朝脅されて指輪を再度填めた際に、晶子には改めて確認している。左手薬指に指輪を填める意味を。晶子はしれっと「勿論分かってますよ」と即答した。「お付き合いって、そのくらいの決意でするものだと思うんです」と晶子は続けた。俺とて大学時代に満足できれば良いとか安直な気持ちはないが、晶子の決意には及ばない。
 晶子は余程自分の選ぶ目に自信があるのか、それとも背水の陣を敷くほどの決意があるのか。…両方だろうな。俺としては、優越感よりも責任感の方がはるかに強い。これだけの強い決意の結果見初められたんだから、恥ずかしいことは出来ない。晶子が「あんな男と」と蔑まれることには我慢ならない。
 決意は何もしていないと徐々に風化していく。毎年念頭に抱負だ方針だと仰々しいことを言っておきながら、何も改善しようとしない輩も多い。この指輪は、所詮学生の戯言とされがちな今の関係をずっと保って発展させてみせる、という決意を忘れないためのものとしては、こうして填め続けるのは良いことかもしれない。
カラン、カラン。

「こんにちはー。」
「あら、祐司君と晶子ちゃん。こんにちは。ご飯出来てるわよ。」
「ありがとうございます。」

 晶子は見るからに「私はとっても幸せです」と言いたげなご機嫌の様子でカウンターの1席に腰を降ろす。料理が乗ったトレイを差しだした潤子さんも、その近くでコーヒーを沸かしているマスターも、何かあったと思わない筈がない。もう見せびらかす体勢に入ってるな…。

「晶子ちゃん、何だか凄く嬉しそうね。」
「え?そう見えますか?」
「もう分からない方がおかしいってくらい。」
「ん?左手が何か光ったような…。」
「マスター、目敏いですね。」

 違う。明らかに気付かれるように、見せびらかすように左手で髪をかき上げていた。俺は不自然なくらい左手薬指を見えないようにしているってのに…。

「おっ、指輪じゃないか。」
「あらー、凄く綺麗な指輪ねー。これって…祐司君から?」
「は、はい。晶子の誕生日プレゼントに」
「祐司さんからいただいたんです。祐司さんとお揃いなんですよ。」

 やっぱり俺の説明に被せられる。嘘は言っていないから否定は出来ない。否定は出来ないが、もう少し言い方を考えてもらえないか…。晶子の言い方だと、婚約指輪か結婚指輪かのどちらかにしか捉えられない。…それを狙ってのことに違いないが。

「え?祐司君、物凄い押しの一手だねー。だが、遊び感覚じゃない真剣な交際だという意識が感じられて良い。」
「確かに遊びじゃないですが、この指輪は」
「祐司さんには、この指に填める意味を確認されてから填めてもらいました。溢れんばかりの誠実さに胸を打たれて、この指輪を填め続ける決意です。」
「あらー、ここまで決意させるなんて祐司君、大したものねー。」
「えっと…。」

 どんどん晶子の理想の方向へと話が固められていく。指が違ったら誕生日プレゼントと修正可能だっただろうが、揃って左手薬指だからただでさえ修正が困難。その上、晶子は嘘こそ言っていない。誕生日プレゼントということだけ言っていないだけ。だから余計に否定が難しい。
 下手に否定しようとすると、指輪そのものや晶子への気持ちまで否定することになりかねない。そもそも…、もう俺が何を言おうが照れ隠しとしか思われないような状況が出来つつある。晶子の嬉々とした顔を見ると、否定する気が失せてくる。諦めの気持ちと嬉しさが混在したような…複雑な気分。
 バイトが始まる。接客専門の俺とは違い、晶子は料理をしつつ時折接客もする。客層の1つ中高生の男子は、俺と晶子で対応が異なる場合がある。晶子に来てほしいんだろうが、何処に接客に行くかは店の混み具合やタイミングってものがある。ちゃんと料理を運んだりするんだから、メニューの無言指さし注文は止めて欲しい。
 客の入りはやや多めと言ったところか。注文を取ってキッチンに走って伝え、店内を巡回しつつキッチンを窺い、料理が出来たら受け取って運ぶ。俺のバイトの基本にしてメインの仕事だ。リクエストタイムまでこんな調子。最初の頃は足が張ったりしたが、1年も続ければ慣れる。

「祐司君。ミートスパゲティセット3つを5番テーブルにお願いね。」
「はい。」
「あ、もう直ぐ6番テーブルのハンバーグセット4つが出来るわね。」
「この料理を運んでから取りに来ますよ。」
「私が出ます。」

 晶子が手を止めて手を拭き-手を洗ったようだ-、キッチンから出る。此処は晶子の厚意に甘えるか。ミートスパゲティは鉄板に乗っているから、重いし熱い。早めに運ぶに限る。俺の後を少し距離を挟んで晶子が付いて来る形になる。隣のテーブルだからな。

「ミートスパゲティセット、お待たせしました。」
「ありがとうございまーす。」

 ミートスパゲティセットを頼んだ5番テーブルは、高校1年生の女子3名。高校のクラスと塾が同じだそうで、火曜と金曜に連れ立って来る。ミートスパゲティセットは、熱した鉄板で音を立てるミートスパゲティに、コーンポタージュスープとサラダ、コーヒーか紅茶が付く。これで800円の人気メニューの1つだ。

「熱いから気を付けてください。」
「はーい。」
「あ、そうだ。安藤さんって理系ですよね?塾の宿題で分からないところがあるんですけど、見てくれます?」
「時間の都合上、丁寧な解説は出来ませんが。」
「全然OKです。」

 客層を反映してか、こういう依頼が増えている。混雑していると他の対応が出来ないし、あっちでOKならこっちもとなりかねないから、隙間の時間に限られる。俺にこういう依頼をして来るのは殆ど女子。晶子の方に頼みたいんじゃないかと思うが、教科の都合だろう。

「…これはベン図(註:集合で使われる円と四角の図。ディジタル回路はこの論理を基礎とします)を書いてみると分かります。円が一部で重なる…この図。」
「これの意味が良く分からなくて。」
「円が1つの集合で、円を含む四角Uが全体集合。これさえ理解すれば簡単。」

 俺も4年前に高校で習った集合の理論。数式だけで考えると混乱しやすいが、ベン図を書きながら考えると分かりやすくなる。この問題だと、100までの自然数がUだから、Uに含まれる数は最大で100。多くても101。3の倍数の集合Aに含まれる数n(A)は、ある数Nまでに含まれるnの倍数の数、すなわちN/nの商で出せるという具合。
 同様に、5の倍数の集合Bに含まれる数n(B)は、100/5=20と小学校の算数のレベル。集合やら数式やらで固められると意味不明に捉えやすいが、実はこういうことだったりする。試しに、3の倍数や5の倍数を書き出してみると良い。時間制限があるテストなら兎も角、普段はそういう泥臭いやり方をしても理解できれば良い。

「-という具合。」
「あー、つまりこれって、中学の公倍数とかそういう話。」
「まさにそう。n(A)とn(B)の重なるところは3と5の公倍数そのもの。」
「授業もそうやって説明してくれれば良いのに。」
「n(A)やn(B)が何時も倍数じゃないから、解説は数式を使うことになってしまうけど、数式に囚われずに図やグラフを書くと良いですよ。」

 女子3人は納得した様子で問題を解いて、食事を食べ始める。教え方も色々あるが、概念だけをさぞ高尚なもののように言うだけで、それが何を意味するのか全く分からないというタイプもままある。数学が数式を覚えるだけのものじゃないってことを教えるのは、やっぱり難しいんだろう。

「ちょ、ちょっとそれって?!」
「嘘でしょー!」

 俺が客席の巡回に戻って間もなく、悲鳴に近い声が断続的に上がる。6番テーブルの方だ。…あれは男子高校生4人組。確か全員晶子のファンで、俺だとメニューの指さししかしない。…晶子、指輪を見せて説明したな!俺は聞かなかったふりをして客席の巡回に戻る。

「水差しもらいます。」
「どうぞー。晶子ちゃん、指輪がよっぽど嬉しかったみたいね。」
「尋常じゃない気がしますが…。」

 晶子の様子や行動は、嬉しさによる浮かれたものを通り越して、暴走の域にあるような気がする。左手薬指に指輪を填めることの意味を知ってるなら、幾ら交際間もなくて天にも上る気分だとしても、ちょっとは気恥かしさとかがあっても良い筈。俺の感覚が鈍いとか遅れてるとかは言えないだろう。
 ごっこ遊びの域はとっくに通り越して見えない位置。何となく…、暴走の域も通り越して本気の領域に到達したような気がする。過去の恋愛が辛い破局に終わった反動もあるかもしれない。「今度こそは」という意気込みの反映だとしたら納得は出来るが、理解はまだしきれない。
 この指輪、買った時の気持ち以上に晶子の心に強烈に届くものがあったのかもしれない。仮に婚約指輪だとして、価格的にはブランド志向からすれば失笑どころか嘲笑もの。勿論そんな見方には与しないが、価格的にそれが婚約指輪で良いのかと晶子に問いたい気持ちはある。
 だが、それも余計な御世話だろう。晶子は指輪を一時でも外す選択肢が頭に思い浮かばないと言うし、バイトが始まってからも殊の外嬉しそうに料理している。今後このまま関係が続いて本当に婚約や結婚という段階になったら、もっと上等の指輪を渡そうとしても、晶子は買うことすら拒否するだろう。
 何が晶子の琴線に触れたのか、推論は出来るが核心は掴めない。ただ、晶子が貰って嬉しいものを渡すことが出来たことは間違いない。指輪が机の引き出しの奥底で埃を被って、ふと見つけた時に「こんな時もあったのか」と感傷に浸るようなことにはなりたくないことも間違いない。
 智一は錯乱するし、恐らく気のせいでも自意識過剰でもないレベルで、客層の男子学生の視線に殺気が籠っているのを感じる。この先苦労する面はあるかもしれない。だがそれは、あり得ない高水準の晶子が彼女になった結果でもあるし、その反映として嫉妬ややっかみは覚悟すべきことだろう。それらを跳ね除けて「あいつならやむを得ない」と思わせるようになりたい。

「祐司さん。」

 水差しを持ってひととおり巡回し、注文を取ってキッチンに戻ると、キッチンで料理に励む晶子が声をかける。

「この指輪、こうやって料理や洗いものをしていても、まったく指に違和感がないんです。凄い指輪ですね。」
「そ、そうか。特殊な素材じゃないんだが。」
「さっきテーブルを回った時、色んなお客さんに聞かれましたけど、きちんと説明しておきましたから。」
「どうりで…。」

 客席を巡回していて、やけに俺の手先に視線が向けられた。ある客は驚いたような顔をして、ある客は納得した様子。男子学生の多くからは殺意が籠った視線を向けられ、女子学生の何人かからは興味津々の視線が向けられた。ご丁寧にも、晶子は全てのテーブルを回ってしっかり指輪を見せびらかしたようだ。
 晶子のことだ。きっちり「誕生日プレゼント」というキーワードは除いて、指輪を填めるまでの経緯は事実を並べ立てたに違いない。もはや「誕生日プレゼント」という意識が本人にあるのかさえ怪しい。指輪の裏だけじゃなく表にも「Happy birthday」とか刻印しておくべきだったと思うが、今更不可能だ。
 元々態度がきつい男子学生の多くが、より厳しくなるのは間違いない。隙を見てフォークを突きたてられやしないかとさえ思う。これからバイトの時間が戦慄を覚える時間になりそうな気がしてならない。どうしたもんだかなぁ…。

2.5年後…。

 いよいよこの日が来た。することは1つだし、チェックはくどいほどしたが、どうも落ち着かない。服装はラフ過ぎると流石に印象が悪いと思ってジャケットを使うくらいはしたが、スーツでも着ようものなら、硬直して動けなくなるような気がする。情けない話だが、それくらい緊張が高まっている。
 一方、晶子は頭の上に音符が常に浮かんでいるような感じ。早く行きたくて仕方がないという様子。晶子と付き合ってそこそこの年月が経つが、進行は晶子が音頭を取ったり先導したりしているな。だからこそ進んで此処まで来た面は確かにある。その契機となったのは…やっぱり指輪だろうか。

「祐司さん。行きましょうよ。」
「ああ。行こうか。

 必要なものは持った。準備は出来た。もう行くだけだ。俺は晶子の手を取ってある場所-市役所へ向かう。今日この日、10月10日、俺と晶子が出逢った日にすることは…、婚姻届の提出。すったもんだがあって婚姻届は昨日までマスターと潤子さんに預かってもらっていたが、無事提出の運びになった。
 晶子と出逢った日の天気はまったく知らない。自棄酒を飲んで寝込んだことでバイトも無断欠勤したし、目覚めたときには夜だったのもあるが、天気に目を向ける心理状態じゃなかった。今日は…秋晴れそのものの雲一つない青空。あり体に言えば、俺と晶子の門出を祝福していると受け止めたいところだ。
 付き合って初めて迎えた晶子の誕生日に、俺なりに手を尽くして買って渡した指輪。それは晶子の指から一度も離れることなく-俺は一度だけ激昂した拍子に外した-、晶子の左手薬指に填められている。相応の年月をしかも四六時中共にしたことで、良く見ると細かい傷が至るところについている。
 俺の指輪も同じだし、メンテナンスに出そうかと持ちかけたこともあるが、愛着があるし傷の1つ1つが記憶や思い出と重なるから、と断った。誕生日プレゼントが婚約指輪、ひいては結婚指輪へとある意味順当にランクアップして来たことから、晶子はより一層愛着が強いんだろう。

「晶子は、こういう時本当に嬉しそうだな。」
「そう見えますか?それだけ感情がストレートに顔に出てるってことですね。」

 大学の正門を出て駅へ向かう道でも、晶子はご機嫌そのもの。婚姻届を市役所から取って来たのも晶子だ。やっぱり2人の関係の進展は晶子が先導している。俺も決して晶子と結婚したくなかったわけじゃない。ただ、もう少ししてからでも良いんじゃないかという懸念めいたものがほんの僅かにあった。
 理由はただ一つ。揃って学生であること。揃って卒研以外の必要な単位は取っているからほぼ間違いなく卒業できるが、大学卒業という区切りを付けてからの方が良かったかもしれない。ただ、事情があったし、晶子の精神の安定を図るには卒業前の10月10日に婚姻届を提出するのが最適ではある。
 婚姻届の提出を以って直ちに新居で生活しなければならないことはない。今は引っ越し準備の真っ最中。卒研をバイト時間前までしている俺も勿論引っ越し準備をしているが、片付けが苦手でどうも億劫に感じる俺と違って、晶子は嬉々として進めている。新居にはもう少しで引っ越すが、これもやっぱり晶子が先導している。
 婚姻届の提出で何が変わるのか?法的に夫婦となること以外、特に何も変わらない。だが、今のほぼ同棲の関係とは「法的」という点で劇的に変わる。今はまだ実感する機会がないだけと言うべきか。晶子がこれほど結婚を強力に推し進めたのは、法的にも裏付けられた関係が一刻も早く欲しかったためだろうか。

「あの日、祐司さんと出逢った日は、昼間はこんな天気でした。」

 駅から普通電車に乗って新京市駅に向かう途中、晶子が言う。

「でも、男性にやたらと声をかけられて、女性には遠巻きにされて…。大学に気を許せる人は居なくて、見上げる青空が恨めしくも思ってました。」
「…。」
「その日の夜、お茶菓子を切らしたのに気づいて買いに行った先のコンビニで、祐司さんと出逢って…。それからは空を見るのが楽しくなりました。」
「同じものでも、心のありようで見え方は変わるよな。」

 俺が仮にあの日の昼間に空を見たら、多分灰色にしか見えなかったと思う。絶望と虚無感、悲哀と憎悪が混濁して濁った世界に嵌り込んでいた。そこから脱したのは、晶子よりもう少し後のこと。心理状態で世界も人物も見え方、受け止め方が大きく変わるのは間違いない。
 5年後、10年後に見える空はどんな空だろう?空を見るのは、俺と晶子の他に居るんだろうか?未来のことは分からない。何しろあの時は今のことはおろか、翌日のことさえ考えなかった。ただ濁った世界に留まっていたあの頃には戻りたくない。何だかんだ言っても、今は幸せなんだから…。

雨上がりの午後 アナザーストーリーVol.2 完