雨上がりの午後 Another Story Vol.1

Chapter3 デートと葛藤はまだ続く

written by Moonstone


 アトラクション巡りはそれから暫く続いた。
私は伊東さんに誘導されるがままにアトラクションをこなしていった。
伊東さんは前の「教訓」を踏まえてか、激しく動くタイプのアトラクションを避けて、コーヒーカップやメリーゴーランド−これはちょっと恥ずかしかったけど−
なんかに私を誘導した。すいすいとアトラクションからアトラクションへ移動する辺り、伊東さん自身が言っていたとおり、来慣れているのがよく分かった。
伊東さんは心底楽しそうで、度々私に「もっと明るく」と言ってくれたけど、やっぱり気分が乗らないことには変わりはない。
どうしても安藤さんの顔が脳裏に浮かんで、消える筈もなければ消そうとしても消えない。
本当なら楽しい筈のデートが、もう半ば苦痛に感じられてならない。
今はデートに全てを委ねる時だ、って何回心の中で自分に言い聞かせてもまるで効果なし。
それどころか、「そんなの無理」と心が反発すら起こす始末。
だからもう自分を説き伏せるのは諦めた。この時間が過ぎ去るのを待つしかない。
 でも・・・伊東さんは何処まで考えているんだろう?
まさか遊園地で遊んで終わり、なんてことはないと思う。確かにアトラクションの数は多いけど、私の都合でかなり限定されてしまっているし。
それに女の人と付き合い慣れている伊東さんが、遊園地で遊んではいおしまい、なんてことはありえないと考えた方が良い。
これから少ししてお昼御飯、それから暫く何処か別の場所へドライブに出かけて、晩御飯を食べて・・・それから先・・・!
まさか、とも思う。でも全くないとは言い切れない。伊東さんのこれまでの言葉を考えると、むしろ後者の方が可能性というか危険性が高いように思う。
 伊東さんは私が理想のタイプだと言った。
だったらそれを取り逃さない為に時間をかけて付き合ってそれで・・・なんてまどろっこしい手順を踏まないで一気に、って考えてるかもしれない。
そんなの嫌!私は仲を深めていく過程を大切にしたい。その結果大きな一線を超えるのは然るべきことだと思ってる。
だからこそたった一日で私の全てを分かったように思って、猪みたいに終着点まで突っ走らないで欲しい。
私の思いは伊東さんに通じるんだろうか?・・・正直言って、私を過大評価している伊東さんには通じないと考えた方が良いかもしれない。
私は伊東さんから誠実さというか、奥手という印象を感じ取れない。
単なる被害妄想かもしれないけど・・・私は自ら暴走電車に乗り込んでしまったのかもしれない。
でも何処かで区切りをつけなきゃいけない。これは最初から決めていたこと。
伊東さんとは付き合う意思がないことを伝えること、そして安藤さんには私の勝手で怒らせてしまったことを詫びること。
全部私の責任なんだから・・・。

「晶子ちゃん。そろそろ出ようか?」

 伊東さんの問いかけで私は我に帰る。伊東さんに誘導されるがままに動いてアトラクションに乗り込んだから、特に後半のことはよく覚えていない。
腕時計を見ると何時の間にか12時半を回っている。睡眠薬でも飲まされて彼方此方連れまわされたのかと思ってしまう。

「あ、はい。でも、此処を出て何処へ行くんですか?」
「丁度混雑する時間を過ぎた頃だから、昼飯食いに行こうよ。」
「お昼御飯なら、此処の売店で済ませても・・・。」
「こういうところはジャンクフードだから晶子ちゃんには相応しくないよ。良い店知ってるから、そこへ連れて行ってあげる。」

 伊東さんの言ったことは私の予感とぴったりだ。まさか遊園地を出るとは思わなかったけど。
どういうお店に連れて行くつもりなんだろう?私は気兼ねなく食べられる場所なら何処でも良いんだけど・・・。
 私の不安を他所に、伊東さんは私の手を掴んだまま遊園地を出る。
そして駐車場へ向かい、伊東さんの車に乗り込む。
もう此処で伊東さんに告げたほうがいいのかもしれない。貴方とは付き合う意思はないということと、そうでないのにデートを承諾して申し訳ない、と。
どうせ言うなら早い方が良いに決まってる。私は決意を固めて重い口を開く。

「・・・あの・・・。」
「ああ、大丈夫大丈夫。変な店じゃないから。」
「そ、そうじゃなくって・・・。」
「こういうときは、男のエスコートに任せて良いんだよ。さ、出発。」

 私が言うのを躊躇っている間に−今更躊躇う必要なんてない筈なのに−、伊東さんは車を発進させて、駐車場には不要なスピードで
まるで車と車の間の小道をすり抜けるように走らせて、あっという間に遊園地の敷地から外に出る。
そしてかなりのスピードで通りを走り抜け、凄いスピードで行き交う他の車の間隙を縫うように大きな通りに出ると、更に加速させる。
スピードに慣れてない私は、また反射的に見を縮こまらせてしまう。
こんな通りに出られたら降りようにも降りられないし、歩いていくには距離が出来すぎてしまった。
もう成り行きに任せてお昼御飯を一緒に食べるしかない。思い切って言いたいことが言えない自分がほとほと情けなく思えてならない。
 伊東さんはCDプレイヤーを操作して音楽をかける。一応知っている曲だからちょっと安心できる。でもこのスピードだけはどうにかして欲しい。
でも、窓から様子を見ると、他の車も同じくらい、或いはそれ以上のスピードで走り去っていく。これがこの通りの平均スピードなの?
伊東さんは音楽に合わせて身体を揺らしながら、平然と車を突っ走らせる。一体どのくらいスピードが出ているのかと思って
スピードメーターを覗いて見たら・・・80km?!標識では50kmって書いてあるのに・・・。流れに乗る為とはいえ、これじゃ高速道路じゃないの。

「晶子ちゃんさぁ。車に乗り慣れてないみたいだから無理もないけど、こうやってスピードを出すべきところじゃスピードを出さなきゃ
他の車の迷惑になるだけなんだよ。それにこの通りじゃ、80kmなんて別に珍しくもないよ。平日だったら100km優に出せるし。」

 伊東さんはそう言うけど、それじゃ制限速度の標識の意味がないじゃない。車に乗り慣れてるから、スピード感が私と全然違うらしい。
普段は徒歩か自転車かしか交通手段がなくて、この町に来て以来自動車学校以外で数10kmのスピードの経験がない私には想像もつかない。

「店までもう少しだから、安心して乗っててくれれば良いよ。」

 伊東さんは笑みを浮かべて言う。でもそれは私に少しも安心感を齎してはくれない。
私は表面上普通に、でも内心では何時事故にならないかとびくびくしながら座席に腰掛けて、カーレースを思わせる通りを伊東さんの車で疾走していく・・・。

 10分くらい通りを突っ走ったところで洋館らしい建物が見えてきた。
そこへ近付くに連れて伊東さんは車線変更をして車を左端の車線に移動させる。どうやらあの建物がお昼御飯の場所らしい。
やがて伊東さんが左にウィンカーを出しつつスピードをぐいと落とし始める。この人、スピードを出すことと弱めることの二通りしか知らないのかしら?
そう思っているうちに、車は洋館傍の割と広い駐車場に乗り込む。
私がようやく身体の緊張を解いている間に、伊東さんはすいすいと車を駐車場の一角に停止させる。本当に車に乗り慣れてることが分かる。

「さ、着いたよ。」

 伊東さんがギアを「P」の位置に合わせてシートベルトを外す。私もシートベルトを外して車を降りる。何だか逃げ出すみたいに。
伊東さんが車から降りて、車に向かってキーを向けてボタンを押す。ガチャッという音がして車のドアにロックがかかる。
私は改めて建物を見る。アルファベットの筆記体で「HIMAWARI」と書かれた看板と建物が相俟って高級洋食店を髣髴とさせる。

「この店は美味いって評判の店なんだ。休日だと昼間はそう簡単には入れないくらい。」
「そうなんですか・・・。」
「さ、フレンドパークで遊んで腹も減ってることだろうし、此処で腹ごしらえと洒落込もう。」

 伊東さんはそう言って何ら躊躇することなく私の手を掴んで、階段を上ってドアの取っ手を握って引いて開ける。
カウベルのカランカラン、という音が鳴って、直ぐにメイドさんを思わせる制服を着たウェイトレスが走り寄ってくる。
そう言えば、私が初めて「Dandelion Hill」に入った時、潤子さんがいらっしゃいませ、と言って迎えてくれて、それで安藤さんが「AZURE」を
演奏しているところに出くわしたたんだっけ・・・。

「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「二人。」
「ではこちらへどうぞ。」

 ウェイトレスの案内で−私は伊東さんに手を引かれてだけど−、私と伊東さんは入り口の反対側、窓際の席に案内される。
窓からは住宅街が一望できて、そのずっと先の方には霞んでいるけど、海らしい青いラインが横に走っているのが見える。
席に着いたところで改めて建物の中を見渡してみると、内装は勿論、椅子やテーブル、調度品も全てアンティーク調で統一されている。
彼方此方から高級感が感じられる。こういうのに慣れてないというかこういうところは初めての私は嫌が応にも緊張してしまう。
 少しして別のウェイトレスがメニューらしい冊子を小脇に抱えて、銀色に輝くトレイの上に水の入ったコップとお絞りを乗せてやって来た。
ウェイトレスはトレイの上から私と伊東さんの前にコップとお絞りを置いて、テーブルの中央に「MENU」と書かれた、
透明のビニールみたいなもので表面を覆われた冊子を置く。

「ご注文が決まりましたら、そちらのボタンでお知らせください。」
「ああ。」
「それでは、失礼します。」

 伊東さんが今までとは打って変わってぶっきらぼうに返答すると、ウェイトレスは丁寧に一礼してその場を後にする。
そして伊東さんはメニューを開いて私の方に向ける。
見るとそこには見たこともない名前とお店の雰囲気に相応しい(?)値段が列記されている。私には何が何だかさっぱり分からない。

「好きなもの頼んで良いからね。」

 伊東さんはウェイトレスの時とはまたがらりと口調を変えて、人懐っこく言う。そう言われてもこれじゃ何が何だか・・・。

「あの・・・。」
「何だい?」
「その・・・私には何がどんなものか見当がつかないんですけど・・・。」
「そう?晶子ちゃんはこういう場所に雰囲気が合ってるから大丈夫だと思ったんだけど・・・。心配しなくても、メニューをよく読めば想像できると思うよ。」
「は、はあ・・・。」

 伊東さんの言うとおり、一見しただけでは文字の羅列にしか見えなかったメニューは−アンティークを意識した文字で書かれていたから−、
ちゃんと見れば具体的にどんなものか想像できるものだということが分かる。
メニューを一覧してみると、どれも高級そうなイメージしか湧かない。隣に書かれてある値段を見れば、それ相当のものなんだろうけど・・・。
私には伊東さんと付き合う意思はない。それはとっくに確定していること。
でも、言うなれば私がふると決めている男の人に、こんな高級な食事を奢ってもらうわけにはいかない。そこまで私はずるくないつもり。

「あの・・・。」
「ん?決まったの?」
「いえ、今日、あんまりお金持ってないので・・・。でも、自分の分のお金は出しますから・・・。」
「ああ、そんなことなら気にしなくて良いよ。俺の驕りだから。」
「でも・・・。」
「遠慮は無用だよ、晶子ちゃん。こういう時は男が財布を出すもんだ。」

 そうは言われても・・・私は外食の時は割り勘だってことが習慣になってるし、それにこんな高級料理を二人分支払わせるわけにはいかない。
付き合う意思のない相手にそんなことはさせられない。もっとも付き合っていたとしても割り勘にするんだけど・・・。

「私は奢ったり奢られたりするのが好きじゃないので・・・。」
「分かってないなぁ。晶子ちゃん、こういう時は男が財布を出すのがマナーってもんだよ。言い換えれば男のプライドでもあるんだから。」
「でも、どれも高いですし・・・。」
「ああ、そんなことは全然気にしなくて良いから。デートのとき、女は懐の心配をしなくて良いんだよ。それが俺の流儀でね。」
「流儀・・・ですか。」
「そう。流儀。信条と言った方が良いかな?まあ、それはどうでも良いから、食べたいもの選んじゃってよ。俺はもう決まってるから。」
「え?何時決めたんですか?」
「晶子ちゃんがメニューと睨めっこしてる間に。」

 そうか・・・。伊東さんはこの店を知ってるんだっけ。だからメニューを見ればどれがどんなものだか直ぐ分かるんだ。
こういう店にまるで縁のない私はどうしても値段との兼ね合いを考えてしまう。伊東さんにお金を払わせることへの後ろめたさも勿論ある。
でも、此処まで来た以上、自分がもう一つ伊東さんに対する罪を被ることを覚悟して選ばなきゃどうにもなりそうにない。
もうデートを止めたい、と言って駅前まで送ってもらえば良いとも思う。だけど今そんなことをしたら、伊東さんを深く傷つけてしまうだろう。
幾ら何でもそれは残酷だ。とても私には出来ない。出来ていれば遊園地を出た時点できっぱり言えてる筈だし・・・。
私はイメージがある程度はっきりしたものを選ぶ。そして伊東さんに向き直って言う。

「御免なさい。お待たせしちゃって・・・。決めましたから。」
「そう。じゃあ注文するか。」

 伊東さんはテーブルの隅にあるボタンを押す。すると程なくしてまた別のウェイトレスがやって来る。

「ご注文はお決まりですか?」
「ああ。シタビラメの南フランス風ソースをセットで。」
「ライスとパンがございますが。」
「ライスで。飲み物はホットコーヒーで。」
「かしこまりました。」
「晶子ちゃんは?」
「あ、は、はい。私はこの・・・海の幸地中海風煮込みを。」
「ご注文は以上でよろしいですか?」
「晶子ちゃんもセットメニューにしたら?」
「・・・良いんですか?」
「ノー・プロブレム。」
「じゃあ・・・私もセットで。同じくライスとホットコーヒーをお願いします。」
「かしこまりました。ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」
「他にケーキセットとかもあるけど、どう?」
「いえ、さっきので充分ですから。」
「そう。じゃあ、オーダー終了。」
「ありがとうございます。暫くお待ちください。」

 ウェイトレスは一礼して立ち去る。私と伊東さんの間に沈黙が圧し掛かる。
周囲を見回すと、カップルらしい男女のペアが目立つ。こういう感じのお店はカップルか女性同士でないと入り辛いと思う。
伊東さんはカップル気分でこの店を選んだんだろうけど、どうも私にはしっくりこない。
「Dandelion Hill」は全体的に白で統一されているけど、客層は幅広くて塾帰りの高校生やOLや会社員らしい男の人、果ては初老のご婦人方まで出入りしている。
それは「Dandelion Hill」の雰囲気が一見女性向きに見えて、実は家庭的な雰囲気があるから、一度足を踏み入れれば誰もが気軽に出入りできるからだと思う。
ちょっと外見はいかついけど実は人の良いマスター、そしてお母さんみたいでもありお姉さんみたいである潤子さん、そして素っ気無いけど
そつなく接客と演奏をこなす安藤さんが居るから・・・。
だから私はあのお店でバイトさせてもらうことを決めた。
勿論、安藤さんと一緒にバイトがしたかったのもあるけど、あのお店の居心地の良さに惹かれた面は否定出来ない。
だからだろうか、私はこの店で浮いた存在になっているような気がする。
 少ししてウェイトレスが私と伊東さんの席にやって来る。
その手には店の調度品と同じアンティーク調の器のようなものを持っている。まさかもう出来たの?それじゃ冷凍食品を買って家で食べるのと変わらない。

「失礼します。」

 ウェイトレスは一言断ってから、手にした器からスプーンやフォークやナイフを取り出して、私と伊東さんの前に並べる。
正面にある程度のスペースを確保した上で、食器類を横に、それも両側に並べていく。
これって・・・確か外側から順番に使うのよね?困ったなぁ・・・。私、テーブルマナーなんてよく知らないし、かと言ってどうするんですか?なんて
店員さんや伊東さんに尋ねるわけにはいかないし・・・。料理に応じて食器の使い方も違うのかしら?だとしたら尚更困るなぁ・・・。
 食器を並べ終えると、ウェイトレスは無言で一礼して立ち去る。細かい彫刻がなされた食器類が、注文への期待感より不安感を増幅させる。
この店、本当に高級料理店なんだ・・・。私、こういう場所は初めてだし、テーブルマナーもよく知らないから、おろおろしながら食べるしかないんだろうか?
そんなことを考えていると、伊東さんが話し掛けてくる。

「どうしたの?何だか落ち着かない様子だけど。」
「あ、その・・・。こういうお店は初めてでテーブルマナーとかよく知らないから、どうすれば良いのかと・・・。」
「え?初めてなの?晶子ちゃんのことだからてっきり、そういうことには慣れっこだと思ったんだけど。」

 やっぱり伊東さん、私に過大なイメージを抱いている。見た目でそう見えるのがそもそも不思議だけど、どうしてそう思うんだろう?

「伊東さん。どうして私がこういうお店やテーブルマナーに慣れてるって思ったんですか?」
「そりゃ見た目だよ。長いストレートの髪にそのルックス、それにその丁寧な言葉遣いが加われば、何処かのお嬢様とでも思っちゃうさ。」

 やっぱり見た目か・・・。伊東さんもその点では、今まで私に言い寄ってきた大学の男の人と同じ。言葉遣いがこうなのは親の躾のせいなんだけど・・・。
逆を言えば、見た目が今の私じゃなければ声をかけたりデートに誘ったりしなかったんじゃないかしら?
今までに声をかけてきた男の人にそう尋ねたら、困ったような顔をして何も言わないまま立ち去るか、私の質問を無視してひたすら誘うかのどちらかだった。
 あの人は違った。私が私というありのままを見て、受け入れてくれた。
あの人とそっくりな安藤さんも、私の見た目で態度を急変させることなく−彼女にふられて間もないせいもあるだろうけど−私に接してくれる。
それは時に冷徹とも言える態度だけど、私が真剣に訴えれば文句一つ言わずにそれに応えてくれる。
安藤さんは私の見た目が今のものじゃなくても、きっと今と同じように接してくれるだろう。

「俺は今まで晶子ちゃんが他の男に捕まらなかったってのが不思議だね。」

 伊東さんが口元に笑みを浮かべながら言う。

「文学部の連中は余程見る目がないのか・・・。俺が居る工学部に居たら、晶子ちゃんのファンクラブが出来ても不思議じゃないよ。」
「それは・・・私の見た目が今の私だからそう思えるんじゃないんですか?」
「へ?」
「もし私の見た目が今の私じゃなかったら、そうならないんじゃないですか?」

 今まで言い寄ってきた男の人に向けて投げかけた疑問を伊東さんにも投げかける。話の流れからそうなったんだけど。
伊東さんは唖然とした表情で私を見ている。当然かもしれない。まさかそんなことを尋ねられるなんて想像もしなかっただろうし。
大体どうして自分に声をかけたのかとか、どうして数ある女の人の中から私を選び出したのかとか聞かれても、殆どの男の人はまともに答えられないだろう。
答えがあるとすればほぼ100%見た目。それはきっかけの一つにはなりうるけど、それで全てが決まるわけじゃない筈。
でも、殆どの男の人はそうじゃない。見た目で全てをイメージしてそれを石膏でしっかり固めてしまう。
私は車でスピードを出すのは好きじゃない。こういう高級なお店に来たこともない。テーブルマナーもほんの少しうろ覚え程度に知ってるだけ。
なのに見た目一つで全てが決められてしまってる。私の意思に反して、それも全然違うイメージが。

「・・・む、難しいこと言うんだねぇ。流石は文学部。」
「私は・・・思ったことを言っただけです。」
「晶子ちゃんの質問の答えになるかどうか分からないけどさ、人間中身が肝心とは言っても、所詮見た目から始まるもんじゃないかな?」
「・・・。」
「俺がさっき言ったことは勿論本音だよ。それに晶子ちゃんの見た目が他の女の子より際立って見えるのは事実なんだし、
それにもっと自信を持っても良いんじゃないかな?今の私じゃなかったら声をかけなかったんじゃないか、って言われたも、
そうかもしれないしそうじゃないかもしれないとしか答えようがないよ。さっきも言ったけど、所詮見た目から始まるんだし。」

 ・・・見た目から始まる、か・・・。見た目で全てが決められてしまうことを嫌がる私も、よく考えてみたら人のことは言えない。
安藤さんの後をしつこいほど追いかけて、同じお店でバイトをさせてもらうように頼んだのも、安藤さんがあの人にあまりにもそっくりだったから。
あの人と同じように、私の内面を、私のあるがままを受け入れてくれるかもしれない、と思ったから。
もし安藤さんの見た目が今の安藤さんのものじゃなかったら、あんなに執念深く追いかけたり、同じお店でバイトをしてまで一緒に居たいと
思ったかどうか分からない。思ったかもしれないけど思わなかったかもしれない。
・・・所詮私も同じなんだ。私だって見た目から始めてるじゃない。
なのに自分だけは違う、みたいなことを思ってそれを口にしたりして・・・。何て嫌な人間なんだろう、私って。

「・・・すみません。」

 伊東さんへのせめてもの謝罪の言葉が自然と口を突いて出る。

「私も人のことを偉そうに言えるほど大層な人間じゃないのに、滅茶苦茶なことを言ったりして・・・。本当にすみません。」
「あ、何も謝らなくても良いって。俺、全然気にしてないから。それに、晶子ちゃんが相手の心理を鋭く突くことには恐れ入ったよ。
やっぱり晶子ちゃんは今までの女の子とは一味も二味も違うね。今まで俺が付き合ってきた女の子で、そこまで深く突っ込んでくる子なんて居なかった。」
「単に・・・私が捻(ひね)くれてるだけですよ。」
「いやいや、晶子ちゃんの一面が見れて良かったよ。面食らったのは事実だけど、鋭い質問だなって思った。やっぱり晶子ちゃんは俺の理想のタイプだよ。
俺は面白い人間じゃなきゃ付き合いを持とうなんて思わないしね。あいつも面白い奴だけど、晶子ちゃんもあいつに負けるとも劣らないね。」
「あいつって誰ですか?」
「祐司だよ。安藤祐司。あいつのものの考え方は一風変わってる。ものの裏側を見ようとする。筋の通らないことは譬え多数でも認めない。
その点では祐司と晶子ちゃんと似てるね。・・・おっと、折角のデートでライバルを持ち上げちゃいけないな。」
「ライバルって・・・安藤さんはそう思ってませんよ。」
「否、祐司の奴も晶子ちゃんを気に入ってる。そうでなきゃ一緒に行動したり、無理してるのを隠して俺が晶子ちゃんをデートに誘うのを承諾したりしないさ。」
「一緒にって・・・前に私と安藤さんが一緒に居るところを見てたんですか?」
「うん。祐司の奴、晶子ちゃんに興味がないとか言っておきながら仲良く連れ添って歩いてやがるんだもんな。それでその日の翌日祐司を問い詰めて、
祐司が晶子ちゃんに興味がない、デートに誘っても構わないって言ったから、晶子ちゃんをデートに誘ったって訳。でも無理してるって一発で分かったね。
顔にそう書いてあったからな。あいつ、自分が不器用だってことが分かってないんだよ。何があったのか知らないけど、自分で心に壁作っちまって
その中に女を入れるもんか、って思ってるみたいだな。」

 安藤さんが私に興味を持ってるなんて思いもしなかった。
安藤さんが私に素っ気無いのは彼女と別れて、それも恐らく安藤さんが納得できない形でふられてしまって、深く傷ついたせいだってことは分かってた。
でも、安藤さんが私に素っ気無いのは素振りだけで、実際は伊東さんの言うように心に壁を作ってるせいだなんて知らなかった。
そのことにもっと早く気付いていれば、安藤さんに少しでも心の傷を癒せるような気遣いが出来たかもしれない。
・・・ううん、多分出来なかっただろう。私は今まで自分のことしか考えてこなかったんだから。
その結果安藤さんを怒らせて、付き合う気もないのに伊東さんとこうして暢気にお昼御飯を待っていたりする。
思わず溜息が出る。私って何処まで身勝手ではっきりしない女なんだろう。
安藤さんに対しては勿論、伊東さんに対しての申し訳なさがより一層頭に重く圧し掛かる。
 伊東さんは深い罪悪感に苛まれる私に、変わらず笑みを浮かべて見せる。
折角の楽しい時間なんだからもっと明るく元気に、とその目と笑みが優しく言ってくれているように思う。でも今の私にはそれが余計重みに感じる。
いっそお前みたいな性悪女は見たことない、って言ってもらった方がどれだけ楽か・・・。
でもこれは全て自分が招いたこと。責任は取らなきゃならない。それだけは分かってるつもり。

「お待たせしました。」

 ウェイトレスが何時の間にか私と伊東さんの席に来ていた。その手にはサラダが入った丸みを帯びた皿とそれを乗せている平たい皿がある。
私も伊東さんも、サラダを注文した覚えはないんだけど・・・。どうして?
ウェイトレスは私と伊東さんの前にサラダを置く。そして一礼して少し足早に立ち去る。

「この店のメニューは、全部前菜としてサラダが付いて来るんだよ。」

 伊東さんの「解説」でようやく事態が腑に落ちる。流石に高級店だけあって、料理のバランスが考えられている。
でも全部だなんて・・・。伊東さん、それだけこの店に何度も足を運んでるのね。私とは住んでいる世界が違うことが改めてよく分かる。

「さ、食べようよ。」
「あ、はい。」

 伊東さんに背中を押されるように、私は両サイドのフォークとスプーンを手に取って食べ始めようとする。
でもこの二つを使ってどうやってサラダを食べるの?さっぱり食べ方が分からない私は伊東さんの食べる様子を観察する。
スプーンでサラダを掬ってフォークでそれが落ちないように押さえている。・・・やってみよう。そうしないと先に進まない。
見様見真似で伊東さんと同じようにサラダを掬ってフォークで押さえる・・・。何とか出来たけど、口へ運ぶ途中でポロポロと零れ落ちてしまう。
最終的に口の中に入ったのは、掬った量の半分ほど。慣れないことは直ぐ面に出てしまう。
伊東さんは手馴れた手つきですいすいとサラダを食べていく。どうしよう・・・。このままじゃ追いつかない。こうなったら・・・。
私はスプーンを置いて、フォーク一本でサラダを食べ始める。サラダにフォークを突き刺してそれを口に運ぶ、一般的な食べ方だ。
下品なんだろうけど、そうでもしないと伊東さんのペースについていけない。
私は伊東さんと同じペースになるように必死でサラダを食べる。お昼御飯で必死にならなきゃならないなんて・・・高級店での食事は楽じゃない。
伊東さんは時々私の様子を見るけど何も言わない。テーブルマナーを知らないから仕方ないと思ってるのかもしれない。
 どうにかサラダを食べ終わる。味は覚えていない。食べるのに必死だったから。
この分じゃメインディッシュはどうなるんだろう?私は今から不安になる。
伊東さんの真似をしてスプーンとフォークを平たい皿の右に並べて置く。少ししてウェイトレスが二人、一人は大きめの皿と中くらいの皿、
もう一人は湯気が立つ器と中くらいの皿を持っている。セットのライスと注文した料理だろう。
ウェイトレスは失礼します、と一言断ってからライスの乗った皿を置き、空になったサラダの皿を回収して、代わりにメインディッシュを置く。
私が注文した海の幸地中海風煮込みと、伊東さんが注文したシタビラメの南フランス風ソースがそれぞれの目の前に鎮座している。
美味しそうな匂いだけど・・・これをフォークとスプーンでどうやって食べれば良いの?今度は伊東さんと違う料理だから伊東さんの真似は出来ないし・・・。
まあ、さっきのサラダも結局はテーブルマナー無視で食べちゃったんだけど。

「その料理は旨味が具全体に染み込んでて美味いよ。さ、食べよう。」
「は、はい。」

 伊東さんは本能のようにフォークとナイフを使って料理を食していく。私も慌てて食べ始める。こうなったらもうテーブルマナーはお構いなしだ。
私はスプーンとフォークを使い分けながらメインディッシュを食べ、その合間にライスをスプーンで掬って口に運ぶ。
一応用意された食器は使っているし、食べられるならそれで良いと思うしかない。
味になんか構っていられない。兎に角伊東さんのペースと同じくらいで食べることしか考える余裕がない。
普段の生活の違いがこんな形で出るなんて・・・。親を恨むつもりは更々ないけど、テーブルマナーをひととおり知っておくべきだったな・・・。

 どうにか食事は終った。何とか伊東さんと同じくらいのペースで食べることが出来た。
味は・・・これまた全然と言って良いほど覚えてない。味わう余裕なんて全然なかった。
料理を食べると言うより、料理と格闘してたって言った方が良いかもしれない。
 食べ終わって少ししてウェイトレスが食器を片付けて、コーヒーを置いていった。馴染みのあるものを見たことでようやく私は胸を撫で下ろす。
テーブル備え付けのシュガースティックを一本、コーヒーに付いてきたミルクを全部入れてスプーンで掻き混ぜる。「仕事の後の一杯」と同じになる。

「これからひとっ走りして、いいところに連れて行ってあげるよ。」

 伊東さんがゆったりした姿勢でコーヒーを飲みながら言う。

「凄く見晴らしの良いところでね。一度見たら二度と忘れられない程の絶景だよ。」
「そうなんですか。」
「そこを知ってる奴ならデートコースに必ず入れる場所だよ。まあ、車じゃないと行けない場所だけどね。」
「山の上みたいなところなんですか?」
「まあ、そうだね。山道と言っても片道ニ車線で整備されてるし、駐車場も余裕があるから安心だよ。」

 山道と言えばかなり曲りくねる筈。そこが車で走りやすいように整備されているとなると、やっぱりまたスピードが出るのかしら?
曲りくねった道を疾走するなんてジェットコースターじゃあるまいし・・・あまりスピードは出さないで欲しい。
如何に整備されてるといっても山道なんだから見通しも悪いだろうし、先を急ぐ必要がないなら尚更安全運転をお願いしたい。

「私、あまりスピードに慣れてないんで・・・出来るだけ安全運転でお願いします。」
「そうしたいのは山々なんだけどねー。何せデートスポットとして名高いところだし、道が道だから走り屋の絶好のサーキットなんだ。
あの車で走り屋に負けたら、カッコ悪いことこの上ないよ。」

 別に勝負するわけじゃないんだから、抜かされるならそうさせてあげれば良いだけなんじゃ・・・。
駄目か。伊東さんはあの車でスピードを出すことが当たり前だと思ってるみたいだし。また身を縮こまらせて目的地に到着するまで耐えなきゃいけないのか・・・。
私は残り少しになったコーヒーを飲み干して、カップを皿の上に置く。伊東さんはそれを見てカップを大きく傾ける。まだ残りがあったみたい。
コーヒーだけは慣れてるから何時ものペースで飲んだんだけど・・・ちょっと先走りすぎたみたい。急かしたみたいで伊東さんに申し訳ない。

「それじゃ、出ようか。」
「はい。」

 伊東さんは伝票を持って席を立つ。私は伊東さんの後をついていく。
レジで伊東さんはウェイターに伝票を手渡して素早くキーを叩く。そして二人の食事の合計金額が表示される。
・・・4137円?!私が買出しで使う平均金額の倍以上の値段だ。こんな料金を伊東さん一人に払わせるなんて心が痛い。
安藤さんなら良いってわけじゃ決して無いけど、付き合う意思のない伊東さんにとてもそんなことはさせられない。
私がスカートのポケットから財布を出そうとすると、伊東さんが私の腕を掴んでそれを制する。

「言っただろ?こういう時は男が財布を出すんだって。」

 伊東さんは財布をズボンのポケットから取り出して、そこから5000円札を差し出す。ウェイターは5000円札を受け取っておつりをレシートと共に差し返す。
伊東さんはおつりを財布に仕舞うと、平然と店を出て行く。私はありがとうございました、の声を背に受けてその後を追う。

「すみません。本当にご馳走様でした。」

 私は頭を下げて感謝と謝罪の気持ちを込めるだけ込めて言う。すると伊東さんは慌てた調子で言う。

「そ、そんな丁寧に御礼を言われると、こっちが困るよ・・・。参ったなぁ。こんなに丁寧に御礼を言われるなんて初めてだ。」
「だって、あんな高い料理をご馳走になったんですから・・・。」
「俺が案内して好きなもの頼んで良いって言ったんだから、晶子ちゃんは何も気にする必要はないよ。むしろこっちがお礼を言いたいくらいさ。」
「でも・・・。」
「良いって。さ、腹ごしらえも出来たことだし、次の目的地に向かいますか。」

 伊東さんはそう言ってウインクすると−結構様になっている−、駐車場の方へ向かう。
あれだけ高級な料理をご馳走になっておきながら味はろくに覚えてない、それなのにお金を全部払ってもらった。
あの人とのデートでは考えられないことばかり。やっぱり住んでる世界がそれだけ違うということなんだろう。
伊東さんには本当に申し訳ないことばかりしている。伊東さんが好意で私に何かしてくれる度に罪悪感が募っていく。
 私は重い気分のまま伊東さんの車に乗り込み、シートベルトを締める。
それを確認してか、伊東さんはCDプレイヤーを操作して車内に音楽を流し、ギアを切り替えて車を発進させる。
駐車場を出ようとしたところで爆走してくる車に少しの間待ちぼうけを食ったけど、伊東さんは隙を見てハンドルを左に切りつつアクセルを踏む。
車はぐんぐん加速して、瞬く間に車の流れに乗る。伊東さん、本当に車の運転とスピードに慣れている。
私と伊東さんを乗せた車はそのまま大通りを太陽の方向に向かってひた走る。

一体、何処へ行くんだろう・・・?


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