雨上がりの午後 Another Story Vol.1

Chapter2 デートの始まり、自分との葛藤

written by Moonstone


 朝、何時ものように目覚めた。もう習慣になっているから目覚ましは殆ど必要ない。目覚ましは念のため、という位置付け。
ベッドから出て半纏を羽織って、朝食の準備をするためにキッチンへ向かうことにする。
ふと時計を見ると8時少し過ぎたところ。伊東さんとの待ち合わせ時間は10時だから充分余裕はある。
何時ものように冷蔵庫から食パンと野菜ジュースを取り出して、食パンをオーブントースターにかける。その2、3分の間に顔を洗う。
水も随分冷たく感じるようになってきた。本格的な冬の訪れも近いんだろう。
 顔を洗ってタオルで拭って鏡に映る自分の顔をまじまじと見詰める。何となく表情が暗い。・・・やっぱり今日のデートには乗り気じゃない。顔に出てる。
でも、伊東さんに電話してデートはキャンセルさせてください、なんて今更言えない。自分が承諾したことなんだから、面と向かって自分の気持ちを
正直に話すのが礼儀というものだろう。
安藤さんに電話して今の気持ちを話そうか、とも思う。でも多分今の時間、安藤さんは寝てるだろう。只でさえ険悪な雰囲気だった中で
本当は自分を止めて欲しかった、なんて言っても、安眠妨害も重なって安藤さんの更なる怒りを買うだけだろう。
 チン、という音がする。オーブントースターにかけた食パンが焼けた合図。それを取り出して皿に乗せて、キッチンと一体になっている
ダイニングにあるテーブルに持っていく。
冷蔵庫からブルーベリージャムを取り出して、テーブルの上にある箸立ての中からバターナイフを取り出して椅子に座る。
向かい合う席に座る相手は居ない。それがこんなに寂しく感じたことはない。
安藤さんとこうなってしまう以前は、毎週月曜日に安藤さんがギターとアンプを持って来て、向かい合って紅茶を飲むのが習慣になっていた。
その習慣も中断してしまった。ううん、中断させてしまったというべきだろう。原因は私にあるんだから。
 私は無味乾燥な感覚を覚えながらブルーベリージャムを狐色に焼けた食パンに塗って食べ始める。・・・美味しいとは思えない。
何時もと変わらないメニューなのに、硬さの違う寒天を食べているような気がする。
舌にまで乗り気じゃないことが表れてる。こんなことになるって分かっていたら、断固としてお断りしていたのに・・・。もう遅いけど。
もそもそと朝食を済ますと、食器を流しに運んで手早く洗って手を拭いて歯を磨き始める。
幾ら気が乗らないからといってもいい加減に済ますわけにはいかない。一応デートなんだからそれなりに身だしなみを整えておかないといけない。

 何時もより多少念入りに歯を磨いた後、リビングに戻って服選びを始める。そう言えばあの人とのデートの時は、前日から入念に考えていたっけ・・・。
箪笥の引出しを開けて何となく服を選んで上下の組み合わせを考える。・・・やっぱり気が乗らない。これがデート当日の心情だなんて・・・。
結局、明るいグレーのセーターに濃いグリーンのロングスカートという組み合わせになった。ものは良いとはいえ、普段着と大差ない格好だ。
これじゃ如何にもデートに乗り気じゃありません、って身体全体で表現しているようなものじゃない。もっと良い組み合わせはある筈。
でも探す気にはなれない。安藤さんとのデートだったらそれこそ前日から最高の組み合わせを考えていただろうな・・・。
・・・何考えてるの?私は。今は伊東さんとのデートに専念する時じゃない。安藤さんにはその後で事情を説明して理解してくれるのを願うしかないんじゃない。
私はそう自分に言い聞かせてはみるものの、さして心情に変化はない。楽しみな筈のデートが憂鬱だなんて、伊東さんには本当に悪いことをしていると思う。
勿論、安藤さんにも。自分の思い通りにことが運ばないことに失望して、勝手に安藤さんとの距離を離したんだから。
 あれこれ考えていても、気が重くなるばかり。今はデートのことだけ考えるようにしよう。そうしないと伊東さんに失礼だ。
服を着替えてパジャマを畳んでお風呂場へ持っていき、その後鏡に向かって櫛を通す。昨日髪を洗ったからまだ若干だけど湿気を帯びているように思う。
そして乳液を少量手に取って顔全体に薄く塗る。これでお化粧は終わり。元々化粧は好きじゃないし、これで充分だと思ってる。
これで最低限度の準備は整ったわけだけど・・・リボンとかイアリングとかはどうしよう?何かアクセサリーを身に付けていった方が印象良く見えるかしら?
でも・・・リボンはあまりしないし、イアリングはそれなりにあるけどする気にはなれない。安藤さんは以前イアリングを似合ってる、って言ってくれたっけ・・・。
止めた。イアリングは安藤さんとのデートの時だけつけるようにしよう。決めた。これは安藤さんと伊東さんに対する私の気持ちの違いとしておこう。
指輪は元々持ってないから嵌めようがない。髪を纏めると首筋がちょっと寒いからストレートのままにしておこう。
・・・これで準備完了?リビングに戻って時計を見るとまだ9時にもなってない。待ち合わせ場所の大学近くの駅まで行くのには充分過ぎる。
どうしよう・・・。あの人とのデートの時は、髪の手入れや服選びで何時の間にか時間ギリギリになっていたことが珍しくなかったのに。
かと言ってCDを効いて時間を潰すには中途半端な時間。仕方ない。今からゆっくり行って先に待っていることにしようかな。

 私は財布とハンカチとポケットティッシュと定期券をスカートのポケットに入れて、腕時計を付け、玄関の鍵を持って玄関へ向かう。
念のため火の始末を確認して何時もの靴を履いて玄関を出る。鍵をかけて胸ポケットに入れると、私は気持ち重い足取りでエレベーターへ向かう。
今日は土曜日だからだろうか、人の出入りが何時も以上に少ない。もっとも顔を合わせても挨拶もろくに交わさない、本当に他人同士だから
人が居ようが居まいが大して変わらない。エレベーターが混むかどうかくらいしか変化はない。
エレベーターは最上階の5階で止まっている。下向き三角のボタンを押してエレベーターが下りて来るのを待つ。10秒も経たないうちにエレベーターが下りて来る。
開いたドアの中には誰も居ない。私はエレベーターに乗り込むと念のために周囲に人が居ないのを確認して「閉」のボタンを押す。
軽い衝撃がしてエレベーターが下へ向かう。途中で止まることなく1階に到着してチンという音と共にドアが開く。
ロビーも閑散としている。私以外誰も居ないようにさえ思う。これも気乗りしないことの一端なんだろうか?
 私はロビーを抜けて管理人の小父さんに会釈して外へ出る。入るときには面倒なセキュリティも出るときはまったく無防備だ。
腕時計を見るとまだ9時には間がある。何時ものように自転車に乗って行くと早すぎて待ちくたびれてしまうと思う。そうなると余計に気乗りしてません、と
全身で表現することになりかねない。たまには歩いていこうかな・・・。気晴らしにもなるだろうし。
私は自転車置き場には足を向けず、そのまま通りに出る。車がたまにスピードを出して通り過ぎていくけど、概して静かな街だ。
何時も通学に使う道を歩いていく。自転車よりずっとゆっくりとしたスピードで前から後ろへ流れて過ぎていく景色がちょっと新鮮に思う。
 そう言えば・・・安藤さんの家ってどの辺なんだろう?
私より駅に近いということは知ってるけど−バイトの帰りに私を送り届けた後、駅の方へ向かうから−、何処にあるかは知らない。
一度安藤さんの家に行きたいな・・・。そう思うと、心の中で急激にその思いが膨らんでくる。
こうなると益々デートに気乗りしなくなる。ううん、気乗りしてないのは分かってるけど、せめて伊東さんの前ではそんな様子を見せないようにしないと・・・。
私は心の中で膨れ上がった気持ちを無理矢理萎めて、伊東さんの顔を頭に思い描く。
伊東さんは結構ルックスが良くて、服はブランド物を着こなしている。詳しくは知らないけど、かなり裕福なんだろう。
その点、安藤さんは違う。安藤さんもルックスは良い方だけどちょっと蔭があって、服は着れるものを適当に組み合わせているという感じ。
前に潤子さんから、安藤さんのバイトは生活費に直結するって聞いたことがあるから、結構苦学してるんだと思う。
私みたいに成り行きと押しの強さでバイトさせてもらうことになったのとは訳が違う。生活がかかってるんだから大変なんだろうな・・・。
・・・って、また安藤さんのことを中心に考えてしまっている。もう・・・。安藤さんのことは伊東さんとのデートを済ませてからって
何度自分に言い聞かせれば分かるんだろう?
・・・多分、分からないと思う。

 意外に長い道程を歩いていくと、何時も通学に使っている駅が見えてくる。腕時計をみると9時前になっている。20分くらい歩いた計算か。
これから急行に乗ると直ぐ着いちゃって、相当待ってないといけないだろうから、普通電車で行こう。そうすれば電車の中で時間を潰せる。
少しでも早く着いて待っていたい、と思わない辺り、気乗りしてないってことが見え見え。自分でも嫌になる。
改札を通ってホームに出て案内表示を見ると、丁度次に普通電車が来るらしい。タイミングが良いのか悪いのか・・・。
 5分ほど待っていると、ホームに3両編成の電車が入ってくる。何時もは混み合った急行電車しか乗らない私には、ガラガラの車内が妙に思える。
空気の抜けるような音と共に電車が止まり、ドアが開く。人は数人しか降りないし乗るほうも私を含めて数人。座り放題の車内の中程の椅子に腰を下ろす。
ホイッスルの音の後、空気の抜けるような音と共にドアが閉まり、軽い衝撃を伴って外の景色が左から右へ動き始める。
 電車は3、4分の周期で加速と減速を繰り返しながら進んでいく。途中、急行と特急に追い越されて10分ほど余分に時間が流れた。
電車のアナウンスが私の降りる駅に到着することを告げる。何時も大学との往復に使う駅。その改札前で待ち合わせることになっている。
私は自分でも分かるほどのったりゆったりした気分で電車が止まるのを待つ。
何時もは電車を降りようとする人の動きに翻弄されるがままにドアの方へ向かわざるを得ないんだけど、今日はそんなことがないから妙に落ち着いている。
普通、デートの時は電車の中でもわくわくしているものなんだろうけど、今の私の心の中は空っぽに等しい。
どう偽っても気乗りじゃないことを隠せそうにない。デートはもう間近に迫ってるっていうのに・・・。私って本当にどうしようもない女。
腕時計を見ると、9時半にもう少しという時間になっている。急行で降りる駅を含めて二駅しかなくて、その間の駅もそれ程多くないからこんな時間なんだろう。
30分待つのか・・・。それもこんな気分のままで。もう遅い。自分が承諾したことなんだから、と割り切るしかないんだろうか?
 電車が徐々に減速していき、何時も使っているホームに辿り着く。再び空気の抜けるような音と共に電車が止まり、ドアが開く。
私はその時点で立ち上がって電車から降りる。随分余裕たっぷりだこと、なんて自分を冷めた目で見る。
通路を通って改札を抜けると、見覚えのある人が立っていた。
・・・伊東さん?!何で・・・。まだ待ち合わせの時間まで30分もあるのに、それより前から待っていたっていうの?!
驚きで声が出ない私の姿を見て、伊東さんが満面の笑顔で私を出迎える。

「まさか普通電車でこの時間に来るとは思わなかったよ。意表を突かれたなぁ。」
「伊東さん。何時から此処で待ってたんですか?」
「ん?えっと・・・9時前くらいかな。いやあ、もう待ち遠しくってさ。」

 伊東さんの言葉が重い。伊東さんは私とのデートを本当に心待ちにしていたんだ。なのに私は気乗りしないのを良いことにのんびりと・・・。

「御免なさい。」
「え?」
「伊東さんがそんなに早くから待ってるって知ってたら、もっと早く着たのに・・・。」
「気にしない気にしない。こう言う時、男が女を出迎えるもんだろ?それに晶子ちゃんを一人待たせておいたら、ナンパ男に取り囲まれちゃう。」
「そんな大層な人間じゃないですよ、私・・・。」
「予定より30分早いけど、折角来てくれたんだから出発しようか。」
「何処へ?」
「遊園地。此処から車で20分ほど行った所に新京フレンドパークっていう大きな遊園地があるんだよ。まずはそこから始めよう。」

 伊東さんはそう言って歩き始める。私はその後を追うようについて行く。
駅前の駐車場の中程に着くと、そこに綺麗な赤色をした、如何にもスポーツカーという感じの車が置いてある。これってもしかして・・・。

「これ、伊東さんの車ですか?」
「そうだよ。大学は至近距離だから使わないけど、休みの日はこれで彼方此方出かけるんだ。ドライビング・ミュージックを鳴らしながら走らせると、
何て言うかこう・・・スカッとするんだよ。さ、乗って。」

 伊東さんが車のキーの真中を押すと、ガチャッという音がする。キーが外れた音らしい。
私は恐る恐るといった感じで助手席に乗り込む。中は綺麗に掃除されていて、微かにラベンダーの匂いがする。見ると芳香剤がギアの傍に置いてある。
伊東さんがするりと運転席に乗り込んでくる。そして即座にシートベルトを着ける。私も慌ててシートベルトを着ける。緊張ですっかり忘れてた。

「シートベルトはいいね?」
「あ、はい。」
「よーし、じゃあ行こうか。」

 伊東さんはキーを挿して捻る。エンジンがかかると伊東さんが液晶表示が出たカーステレオらしい個所のボタンを操作する。
すると、軽快なポップスが車内に響き始める。伊東さんは音量を少し下げてからハンドルを握り、ギアに手をかけて「P」から「D」に合わせる。
私と伊東さんを乗せた車はゆっくりと駅前の駐車場を抜けると、そこから急にスピードを上げて人が行き交う通りを疾走し始める。
その勢いの変化に私が思わず身体を縮こまらせると、伊東さんが声をかけてくる。

「あ、びっくりした?」
「え、ええ。ちょっと・・・。」
「悪い悪い。何時もの癖が出ちゃったな。ここは少し、スピードを控えめにしますかね。」

 伊東さんがそう言うと、景色の流れていくスピードがやや緩やかになる。私はそれでようやく緊張が解けて身体の力を抜く。
伊東さんは結構スピードを出す人らしい。私はあまりスピードを出す車が好きじゃない。スピードが落ちたことで胸を撫で下ろす。
・・・この人は私とは違う世界の人のように感じる。安藤さんと同じ学年でこの車、そして周囲を吹き飛ばしそうな勢いのスピード。
私とは違って遊び慣れてる。伊東さんからはそういう印象を受ける。
私は遊び慣れている人より、地味でも良いから自分の世界を確立している人の方が好き。あの人もそうだったし、あの人にそっくりな安藤さんも・・・。
遊び慣れているっていうことは、それだけ異性を引きつける自信と経験が豊富っていうことと同じ。
私もその自信と経験の豊富さに惹かれてデートの誘いに応じたようで、何だか自分が凄く軽薄に感じる。
そんな女になりたくない。そう思ってたのに・・・。
違う。私は軽薄じゃない。単に自分勝手なだけ。
自分の思い通りにことが運ばなかったことで二人の男の人を振り回している嫌な女。その表現の方がしっくり来る。

「晶子ちゃん、どうかしたの?」

 不意に隣から声が掛けられる。私は首を横に振って伊東さんに向けて笑みを作って言葉を返す。

「あ、別に何でもないです。ちょっとぼうっとしてただけですから・・・。」
「なら良いんだけど・・・。乗り物酔いとかする方?」
「いいえ、それは大丈夫です。」
「それならオッケー。さあ、遊園地へゴー!」

 伊東さんの表情が明るくなると同時に、再び車が加速を始める。一人暮らしを始めて以来、自動車学校以外で車に乗ったことがない私にはかなり堪える。
安藤さんだったら・・・こんなにスピードは出さないだろう。あの人、そういうタイプには見えないし。
・・・いけないいけない。また安藤さんのことを考えてしまった。今は伊東さんとのデートに集中する時だっていうのに・・・全然言うことを聞かない私の心。
こんなことで始まったばかりのデートに耐えられるんだろうか?今からもう不安でいっぱい・・・。

 遊園地、新京フレンドパークの駐車場はかなり混み合っていた。
今日は土曜日だから、家族連れやカップルで−今はこの単語を使いたくないけど−相当賑わっているんだろう。
伊東さんは駐車場内をゆっくり回りながら、駐車スペースを探す。でも何処もかしこも車で埋まってて入る余地がない。

「ちっ、やっぱり混んでやがるな・・・。考えることは皆同じってか。」

 伊東さんが毒づく。その横顔から明らかに苛立っていることが分かる。
苛立つ気持ちは分かるけど、此処に来るには車で来るのが一番早いことを考えればこれだけ混み合っているのは仕方のないことだと思う。
5分か10分くらい駐車場をうろうろして、ようやく端の方に空白を見つけた。それで伊東さんの表情ががらりと変わる。結構表情が顔に出やすい人みたい。
伊東さんは周囲に注意を払いながら、バックで駐車スペースに車を入れる。私も自動車学校で駐車するのに苦労したっけ。
それにしても伊東さんは車の運転が上手い。休みの日に乗り回してると言っていただけのことはある。
きっちり駐車スペースに車を入れると、伊東さんはギアを「P」に合わせて、キーを捻ってエンジンを止める。
そしてドアの中程にあるボタンを押す。すると、それまでかかっていたドアロックがガチャッという音と共に一斉に外れる。

「さあ、着いたよ。降りて。」
「あ、はい。」

 私は車から降りる。伊東さんもほぼ同時に車から降りる。
そしてキーの先端を車に向けてキー本体のボタンを押すと、またガチャッという音がする。ドアロックがかかったんだろう。
周囲を見渡しても、伊東さんの車はかなり浮いて見える。どう見ても家族連れの車じゃないし、カップルでもそうそう見かけないタイプの車だ。
遊園地に来るのにスポーツカー・・・。何だか違和感を感じる。ただ単に私が遊び慣れてないせいだろうか?
 ふと隣を見ると、伊東さんが楽しそうな笑みを浮かべて立っていた。
余程私とデートできることが嬉しいんだろう。そう思うと余計に罪悪感が頭を擡(もた)げる。
伊東さんは私のそんな気持ちを知らないんだろう−当然といえばそれまでだけど−。にこやかに私に声をかける。

「んー。折角のデート日和なんだからさ、もっと明るく明るく。」
「・・・暗い顔してました?私。」
「そうだよー。何だかお通夜に行く人みたいだよ。さ、明るく行こう。」

 私の表情はとっても心に正直に出来ているらしい。伊東さんは私を激励しながら歩き始める。私はその左側やや後ろに回って伊東さんについていく。
手を繋ごうとしてくるのかと警戒してたけど、どうやらそのつもりはないらしい。少なくとも今のところは・・・。
私が手を繋ぎたいのは安藤さんだけ。伊東さんには悪いけど、私の手に触れて欲しくない。これが私の正直な気持ち・・・。

 初めて入る新京フレンドパークには、様々なアトラクションがあった。
中でもこういう場所につきもののジェットコースターは高低差が激しい上に螺旋ループもあれば急勾配のレーンもあって、殆ど目を瞑っていた。
実のところ、私はこういう所謂「絶叫もの」が苦手な方なんだけど、伊東さんの後をついていくしかない私は列に並んで乗るのを待つしかなかった。
 ちょっと気分が悪くなった私は、伊東さんにその旨を伝えた。
すると伊東さんは血相を変えて私を空いているベンチに座らせると、此処で待ってて、と言い残して慌てた様子で何処かへ走っていった。
少しして戻って来た伊東さんの両手には、飲み物の入った紙コップがあった。私は差し出された紙コップを受け取って中を覗き込む。
紙コップの中には粒上の氷が混じったオレンジジュースが入っていた。

「それでも飲んで気分を落ち着けてよ。」
「すみません。迷惑かけてしまって・・・。」
「いやいや。女の子が困ってたり苦しんでたりしたら見逃せないのが、俺の性分なんでね。気にしなくて良いよ。」

 伊東さん、意外と気配りの出来る人なんだ・・・。
安藤さんは私のことを単にステージ上のパートナーとしてしか見ていないから、こういう時には多分素っ気無いだろうな。
いけないいけない。また安藤さんと伊藤さんを比べてしまった。今は伊東さんとのデートに集中しなきゃ駄目なのに・・・本当に言うことを聞かない私の心。
伊東さんは私の左隣に腰を下ろして飲み物を飲み始める。今の私と伊藤さんの距離は拳一つ分もない。このまま肩に手を回されたら簡単に抱き寄せられる距離だ。
もし肩を抱かれたらどうしよう・・・。抵抗するべきなんだろうか?それとも大人しく身を委ねるべきなんだろうか?
デートなんだから後者の方を選ぶべきなんだろうか?でも今の私の正直な気持ちを踏まえるなら、肩に手を回して欲しくない。
理由は簡単。そんな親しい間柄になったわけじゃないから。デートに応じておいてそれはないだろう、と言われるかもしれないけど、
それが私の正直な気持ちを踏まえてのものなんだからどうしようもない。伊藤さんを毛嫌いしてるわけじゃないけど、あまり距離を詰めないで欲しい・・・。

「どうしたの?晶子ちゃん。固まっちゃって。」

 伊東さんの声で私は我に帰る。紙コップを両手に抱えたままの姿勢で考え事をしていたみたい。端から見ればかなり奇異に映っただろうな。

「まだ気分悪い?」
「あ、いえ、かなり落ち着いてきましたから・・・。」
「そう。なら良いんだ。何かあったら遠慮なく言ってね。」
「はい・・・。」

 伊東さんの心遣いが嬉しい。でも伊東さんに心全てを委ねる気にはなれない。やっぱり・・・安藤さんのことが頭に引っ掛かっているせいだろう。
私は雑念を振り払うように、一気に紙コップのオレンジジュースを飲み干す。氷の粒が鬱陶しいけど、それも併せて口の中に流し込んで噛み砕く。
こうでもしないと、安藤さんのことを一時的にでも頭の中から切り離せないと思う。
飲み終えてふう、と溜息を吐くと、伊東さんが目を丸くして言う。

「ま、晶子ちゃん、豪快な飲み方するんだねぇ。」
「まあ・・・豪快と言われればそれまでですけど・・・何か?」
「いや、晶子ちゃんの見た目から想像するに、ストローでゆっくり飲むものかと思ってさ。驚いたよ。氷まで飲み込むなんておっさんみたいで。」

 おっさんみたい・・・。確かにストローはついてるけど、今の私はそんなもの使う気分にはなれないし、飲み方を見た目で推測されても困る。
伊東さんはどうも私を過大評価しているみたい。その辺り、今まで言い寄ってきた男の人と何ら変わらない。
私の見た目が他の女の人より多少良いからってことで−私自身はそうは思わないけど−勝手に清楚な立ち居振舞いをイメージしてる。
私は私。気分次第でそれこそ男の人みたいな行動に出ることだってある。なのにどうして素の私を受け入れてくれないの?
その点、安藤さんは素っ気無いけど、私がこの部分をもっと練習したい、とか言ったり、休憩の紅茶の残りを片付けようと一気飲みしても何も言わない。
真剣に要望すれば応えてくれたし、立ち居振舞いに変な言いがかりをつけるようなこともしなかった。
それは私を女としてみてくれてないせいかもしれないけど、一人の人間としては見ていてくれたように思う。
やっぱり・・・男の人は殆ど、女の人の外見で殆ど全てをこんなものだと決めてしまうのかしら・・・?
 伊東さんがストローで飲み物を飲みながら−ストローの色が茶色っぽくなるところからしてコーラだと思う−左腕を私の背後に伸ばしてくる。
肩を抱こうとしている?!止めて!今はそんな気分じゃないんだから。って心の中で叫んでも聞こえる筈はない。口に出してはっきり拒否するべきだろうか?
でも、口に出して拒否したら、これからが気まずいものになるのは目に見えている。・・・このまま黙って伊東さんの行動を受け入れるしかないの?
 緊張か恐怖か−ちょっと大袈裟かもしれないけど−分からない気持ちで伊東さんの動きに神経を集中させる。
勿論、表面上は半分ほどの氷の粒を残して空になった紙コップを持って座っているだけだけど。
伊東さんの身体が、私との距離を傍目では分からないほどゆっくり−伊東さんもそれなりに緊張しているんだろう−じりじり詰めてくる。
そして・・・私の左肩に伊東さんの手が置かれる。その瞬間、私は思わず身体を固く強張らせてしまう。
だけど伊東さんは私のことなどお構いなしに−口に出してないから仕方ないんだけど−私を自分の方に抱き寄せる。
そしてあくまでもにこやかな表情で私に話し掛けてくる。

「ほらほら、緊張しないで。折角のデートなんだからさ。」
「は、はあ・・・。」
「晶子ちゃん、デート慣れしてないみたいだね。言い寄る男共に片っ端から肘鉄食らわせてきたんじゃない?多少は楽しまないと駄目だよ。」

 違う。デートは慣れてるつもり。あの人と毎週のようにデートしてたから。でもこんな不安感溢れるものじゃなかった。
今はデートなんだ。肩を抱かれるのも初めてじゃない。だから落ち着け・・・。私は懸命に自分に言い聞かせる。
だけど駄目。肩を抱かれただけでこんなに・・・恐怖感や嫌悪感を−そうとしか表現する言葉が見つからない−感じるんだから。

「俺はさ、男と女は色々な組み合わせを試してみて、その中から一番しっくりくるものを選べば良いと思ってるんだ。」
「は、はあ。そうなんですか・・・。」
「前に合コンで知り合った聖華女子大の娘(こ)と付き合ってみたんだけどさ、どうも性格が合わないって言うか・・・デートしても気が乗らなかったんだよね。」
「・・・それでどうしたんですか?」
「別れた。だってさ、気の合わない相手と何時までもくっついてたって楽しくないだろ?その点、俺は晶子ちゃんには乗り気になれるね。
さっきのジュース一気飲みにはちょっと面食らったけど、美形で慎ましやかな晶子ちゃんは俺の理想にぴったりだよ。うん。これ本当。」

 伊東さんはそうかもしれない。でも私は全く逆。私は合コンそのものが付き合う相手を選り取りみどりに探すみたいで好きじゃないし、
一度付き合い始めた人とすっぱり別れられるなんて出来ない。私が後に引き摺るタイプなのもあるだろうけど。
それに私は別に自分のことを美形だとも慎ましいとも思ってない。美形だっていうのは他の女の人と比べた相対的なものだし、
普段の行動も小さい頃からの親の躾が身に染み付いているからそうなるだけ。本当に慎ましい人ならジュースを一気飲みする筈がない。
やっぱり伊東さんは私を過大評価してる。それに自分にぴったりだと決め付けてる。私のことなんてお構いなしで・・・。
安藤さんも人をこうだと決め付けるようなところがあるけど、少なくとも等身大の私を見てくれてたし、自分に合うかどうかなんて考えてなかった。
本当は・・・安藤さんに自分と合うかどうか考えて欲しかったんだけど・・・。
 伊東さんの方からジュースを飲み干す独特の音が聞こえてくる。
そして私の手から紙コップを取り上げて、あくまでにこやかに言う。

「じゃあ、俺は紙コップ捨ててくるから、ちょっと待ってて。」
「は、はい。」
「直ぐ戻るからね。」

 伊東さんは私の肩から手を離して立ち上がり、軽い足取りで走り去っていく。
・・・さっき伊東さんは言った。気の合わない相手と何時までもくっついていても楽しくないって。それは本当なんだと実感する。
だって、身体の強張りが何時の間にかすっかり解けてるもの。それだけ伊東さんの肩を抱くを言う行動に拒否反応があったという証拠。
もう伊東さんとのデートを切り上げて、安藤さんの家へ行って−場所は知らないけど何とか探してみせる−きちんと事情を説明して謝った方が良いんじゃ・・・?
でも、あんなに楽しそうな伊東さんを見ていると、どうしても躊躇ってしまう。嫌々ながらでも区切りがつくまでデートを続けた方が良いのかしら・・・?
こうして私は安藤さんと伊東さんを振り回している。気持ちを弄(もてあそ)んでいる。・・・嫌な女。
デートに集中しようと自分に言い聞かせるのももう止めにしよう。幾ら言い聞かせたところで、自分の正直な気持ちを潰せやしないんだから。
 5分も経たないうちに、伊東さんが戻って来た。その表情は相変わらず楽しそうだ。それが余計に私の罪悪感を増す。
伊東さんは私の目の前で両膝に手をついて私の視線に自分の視線を合わせる。親しみを込めた行動なんだろうけど、私はどうしても身体が強張ってしまう。

「さて、もう落ち着いたかな?」
「ええ。」
「よし、それじゃデートを再開しよう。晶子ちゃんが苦手そうなアトラクションは避けるから心配要らないよ。さ、立って。」
「はい・・・。」

 私はベンチから腰を上げる。すると、伊東さんはいきなり私の手を掴む。私は突然のことに跳ね除けることも出来ずにただ手を掴まれるしかない。
対する伊東さんは楽しそうな表情を変えない。自分の行動に全く緊張感を感じていないらしい。余程デート慣れしているんだろう。
女の子の体に触れることに緊張感を感じたりすることがないなんて、そうとしか思えない。エスコートするつもりなんだろうけど、
初めてのデートでいきなり手を掴むなんて、私の感覚からは信じられない。あの人と手を繋ぐまでに数回のデートを重ねたのに・・・。
そんな私の思いなど知る由もない伊東さんは、にこやかな表情を崩さずに言う。

「さ、行こう。この遊園地のことは任せて。何度も来てるからさ。」
「・・・他の女の人とですか?」
「ま、過去の話だけどね。それよりさ、行こう。」

 伊東さんは此処に何度も来てる。他の女の人と。どうりで迷うことなくアトラクションや飲食物の売り場へ行ける筈だ。
ということは、私も他の女の人と同じ道を歩まされようとしている・・・?
そんなの嫌。私のことが特別だと言うなら、他の女の人にしたこととは別のエスコートをして欲しい。我が侭だと言われればそれまでだけど、
そういうものじゃないの?特別な相手には特別なことをするのが、本当にその相手が気に入っているということを証明するんじゃないの?
単に私の感覚が他の女の人と違ってるからかもしれないけど・・・お決まりのデートコースに気に入った筈の私を当てはめるようなことはしないで欲しい。
やっぱり伊藤さんと私は合わない。そう確信せざるをえない。でも伊東さんは私と自分がぴったりだと信じて疑っていないみたい。
此処まで自信たっぷりな人も珍しい。これもデート慣れしてる証拠なんだろうか?
 私の身体がぐいと前に引き寄せられる。その勢いで私は伊東さんのすぐ隣に移動させられる。
かなり強引というか・・・エスコートのつもりならもう少し躊躇しても良さそうなものなのに・・・。
伊東さんは相変わらず楽しそうな、本当に心底楽しそうな表情を私に向ける。それだけ私とデートできることが楽しいんだろう。
でも・・・その気持ちが空回りしてることに気付いていない。気付かせるのが私の責任なんだろうけど、伊東さんの表情を見るとどうしても躊躇ってしまう。

「そんなに遠慮しなくて良いよ。晶子ちゃんが行きたい場所を言ってくれればそこに案内するし。」
「私は・・・此処のこと全然知りませんから・・・。」
「じゃあ、俺についてきて。遊園地なんだから文字どおり遊ばないと勿体無いよ。」

 伊東さんはそう言って歩き始める。手を掴まれている私は無抵抗に伊東さんについていくしかない。
これからデートがまだまだ続く・・・。そう思うと気が重い。でもこれはデートを承諾した自分の責任なんだからどうしようもない。
きっぱり区切りをつけられない私。心底楽しそうな伊東さんを弄んでいる私。安藤さんを傷つけたまま放ったらかしで他の男の人とデートしてる私。
・・・最低。こんな私にどうして伊東さんや他の男の人が言い寄ってくるんだろう?
単に相対的に他の女の人より見た目が良いからってだけで、勝手にイメージされて言い寄られる。
私の本性はこんなに薄汚いのに、どうして分かってくれないの?
安藤さんは・・・分かってたと思う。自分の思い通りにことが運ばないと思う私に、私が本当に心に思っていたことをストレートにぶつけた。
いっそ嫌な女だと言ってもらえれば良かった。そうすればもっと早く自分の本性を気付かされていただろう。
伊東さんは楽しそうにアトラクションを物色している。・・・本当に伊東さんには悪いことをしてると思う。
せめて・・・この時間だけでも一緒に楽しむのが、せめてもの謝罪になるのかしら?
分からない・・・。単に自分を偽って伊東さんと歩調を合わせようとしているだけなのかもしれない。
複雑で濁りきった気持ちのまま、私は伊東さんに手を引かれていく。

まだデートは終っていない・・・。


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