雨上がりの午後

Chapter 257 臨時親子の旅日記(25)−親から子へのプレゼント−

written by Moonstone

 ホームを出て改札を通り、出口から外に出る。20分程度遮蔽されていた太陽が少し眩しく感じる。何事もなく地下鉄での移動は完了して今は東山駅の
出入り口傍に居る。あとは歩いて動物園まで行くだけだ。
 めぐみちゃんは相変わらず写真に見入っている。よほど気に入ったらしく、俺が最初にサンプルがてら渡した写真はまだ交換されずにいる。動物園に入って
まず見たい動物に挙げたキリンとクマの写真だから飽きるにはまだ時間がかかるんだろうか。どのみち写真は全てめぐみちゃんのものになるから、扱いは
めぐみちゃんに任せておけば良い。粗末に扱われなきゃどうしようがめぐみちゃんの自由だ。

「さて・・・、昼飯は動物園の中が良いか外が良いか・・・。」

 今は晶子が持っている観光案内は観光スポットの紹介が主体で飲食店の紹介は殆んどない。そこまで載せたら持ち歩けないページ数になるだろうが、
勝手を知らない場所での宿以外での食事はなかなか頭を悩ませる。
 まず何処でどんな食事が出来るのかが全く分からない。俺と晶子だけなら気が向いた店に入れば良いが、今はめぐみちゃんが居る。あまり刺激の強い
食べ物は避けた方が無難だし、そうすると今度は店の方で幼児向けのメニューがあることを期待しないといけない。飲食店は主に社会人を相手にランチ
メニューを提供しているが、幼児向けのメニューは期待する方が無理というものだ。

「・・・動物園の中の飲食店が無難だな。」
「私もそう思います。」

 晶子はしっかり俺の思案に参加していた。両手がふさがっている俺に代わって切符を買ったりしてくれたが、俺の独り言のような思案にも気を配ってた
とはな。

「動物園の中なら、客層を考えて幼児向けのメニューは豊富でしょうし、動物園の外で1からお店を探すよりずっと確実かと。」
「『餅は餅屋』だな。・・・少し違うかもしれないけど。」

 勝手を知らない上に食事の好みを殆んど知らないめぐみちゃんを連れての行動であまり冒険は出来ない。何より時間制限が厳格に存在する以上、出来る
だけ多くの動物を見て回ることを優先するためにも、店探しで歩きまわるより動物園内の飲食店の行列に並ぶ方が確実だ。

「めぐみちゃん。お昼は動物園で食べようね。」
「あ、うん。」

 写真に熱中していためぐみちゃんの反応は少し遅れる。だが、昼飯と聞いて写真から意識が一瞬逸れたことで、めぐみちゃんは空腹を感じ始めたらしく
写真を見る割合が大幅に下がる。幼稚園は恐らく昼休みの時間が決まってるだろうし、あまり大きく食事の時間をずらせる年齢でもないからな。
 今度は晶子がチケットを買いに行く。行列と言うほど混雑はしていないからすぐに戻ってくる。今度は晶子が先導して俺がめぐみちゃんと一緒に入る
スタイルを取る。再入園もいたってスムーズだ。昼飯時だから入園のピークからはずれてるんだろうか。

「えっと、飲食店の場所は・・・あそこね。」

 晶子は入って直ぐの案内図で飲食店の場所を選んだようだ。

「此処から少し歩いて、二条通りの傍にある飲食店にしようかと。」
「それで良いな。めぐみちゃん。昼ご飯までもう少し我慢しような。」
「うん。」

 日頃の生活で慣れているせいか、めぐみちゃんはやっぱりこの年齢にしては我慢強い。飲み物やお菓子をせがんだり、退屈して大声をあげたりしない。
面倒を見る分には助かるが、年相応のある種の我儘さがまったくと言って良いほど見られないのは疑問を抱かざるを得ない。幼児の自制の利かない我儘や
我慢の不足によるぐずりに振り回される親からすればあまりにも贅沢な話だが、めぐみちゃんは自制や我慢が年齢不相応に強い。
 我儘ばかりで我慢がないと社会生活に多大な支障を来す。諍いくらいで済めば良い方で、自分の我儘を通そうと邪魔をする相手を実力で排撃したり、逆に
他人を問答無用に拒絶したりする。それが複数になると社会生活は立ち行かなくなって犯罪が起こったり、国家間では戦争になったりする。だが、我儘は
自我の不器用な表現でもある。それが一方的に抑圧されるばかりだと自我を押し殺すことが常態化して、ものすごく消極的になったり、他人からすれば「何を
考えているか分からない」状態になったりする。めぐみちゃんはそうなりかけているように思えてならない。
まだ感情が表に出るだけ良いとは思うが、あと半日足らずで「復帰」する本当の両親がきちんと改心して、親としてめぐみちゃんと向き合ってもらうことが
肝要だ。あくまでも俺と晶子は一時の代理であって、本当の両親じゃないんだから。
 飲食店へ行く途中では、ライオンやトラの檻がある。だが、めぐみちゃんはさほど関心を示さない。めぐみちゃんの嗜好は明確な傾向がなくて掴み難い。
動物だとぬいぐるみでありそうな可愛いタイプやカッコ良いタイプと色々あるが、最初に見たいと言ったキリンとクマに共通項は見えない。これは好きだけど
これはそれほどでもない、と個別に好みや関心の度合いを決める性格なのかもしれない。

「お店はあそこです。」

 晶子が指さした方向に、動物園らしい風貌の建物がある。飲食店であることを示す看板も出ているから間違いないな。・・・ん?どういうわけか、飲食店より
隣の店先の方が混雑してるな。
 近づくにつれて変わった混雑の理由が分かる。売店だからだ。こういうところでの売店と言えば、動物関係の多種多様なグッズが売られているのがお決まりと
いうもの。客層も考えれば混雑しない筈がない。売店は親にせがむ子どもの集団でちょっとした混乱状態だ。

「隣は売店なんですね。」
「考えて店を配置してるな。」

 食事を済ませて満足したところに動物関連のグッズが目に入れば子どもは容易に関心を向けるだろうし、親がそれを察知しても食事だけで済ませるのは
難しいだろう。食事をするほど空腹でなくても、休憩がてら立ち寄った飲食店の隣に売店があれば、休憩後に売店に足を向けさせるのはこれまた容易。
子連れの親には子どもに人気の動物を見せること以上に難しい関門かもしれない。

「あそこで何か売ってるの?」
「キーホルダーとかストラップとか、動物を題材にした色々なものだ。」
「ふーん・・・。」

 めぐみちゃんの表情は少し物欲しげだ。興味や関心はあるし欲しいものもあるが、俺と晶子の手前表に出さずに我慢しているんだろうか。数万もするような
グッズは無理でも−マニア向けか客寄せで突き抜けて高価なものが1品あることもある−、キーホルダーやストラップなどの小物くらいは思いで造りの一環と
して買ってやれるし、そうしたい。

「昼ご飯の後で、少し見てみようか。」

 どうにもやり過ごせなくなって、めぐみちゃんに話を持ち出す。・・・甘いかな。

「良いの?」
「あまり長い時間お店に居ると動物を見る時間が少なくなるから、それは気をつけないといけないけどな。」
「うん。見たい。」

 我慢して諦めようと思っていた願望が叶うとあって、めぐみちゃんは再び笑顔を弾けさせる。やっぱり甘いかな・・・。

「良かったね、めぐみちゃん。」

 晶子の表情もいたって明るい。「甘やかすなんて」と渋い顔をするかと少し思ったが、晶子は子ども好きだから心配は無用だったか。ふと晶子と眼が合うも、
表情の明るさは少しも弱まらない。子どもの面倒を見る加減が俺にはよく分からないが、晶子にとっても良いものだったようだ。
 飲食店にはそこそこ混み合ってこそいるが行列も順番待ちもない。だが随分賑やかだ。客はほぼすべて親子連れで子どもの数は親と同じか少し少ない
くらいだが、何分子どもの声が大きくて甲高い。屋内だから複数の声が反響して俺には賑やかを少し通り越して騒々しく感じる。子ども嫌いだと不快感が増す
だろうな。晶子はまったく平気な様子だ。
 入って間もなく若い女性の従業員が駆け寄ってくる。普段の俺を見ているようで、応援したくなる。客が多い時の飲食店は忙しいの一言に尽きるからな・・・。

「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「3人です。」
「ではご案内します。」

 従業員に先導されて店の奥の方へ向かう。大人が入店することを想定している喫茶店でも日増しに喫煙者の肩身が狭くなっているこのご時世、場所が場所
だけに店内は全面禁煙のようだ。こういう時酒は飲んでもタバコは吸わなくて良かったと思う。
 大学は指定場所以外全面禁煙だ。特に屋内では従来のラウンジの一角に透明の樹脂で作られた閉鎖空間の喫煙スペースを設置して、そこ以外は灰皿
さえ置けない。工学部は男性の割合が多いから喫煙者の割合も多い、よって喫煙スペースは常に満員状態、というイメージも出来やすい。だが、実際は
異なる。学生でも職員でも喫煙者の割合は驚くほど少なく、講義の間の休憩時間や昼休みや講義時刻終了後、或いは実験などの合間に喫煙スペースに
向かう人も居ることは居るが、喫煙スペースはゆったりしたものだ。
 これは特異な現象でも何でもなく、高校までの流れからするとむしろ自然な方だ。新京大学に入れるレベルの学力水準の学生が通う高校は、
各都道府県の進学校の上位。記念受験でもなければわざわざ万単位の受験料を払って受験することはしないから、その中でも−高校には1学年200人や
300人とか100人単位居る−必然的に上位の学生しか受験対象に出来ない。1校あたり50人居るか居ないかといった成績上位層の学生が喫煙を習慣にする
ことはかなり少ない。勿論、受験のプレッシャーから解放されて一挙に酒もタバコもというパターンもなくはない。だが、それまで所謂「良い子」に属してそうで
あることに順応した学生は、「良い子」の対極にある喫煙に手を出すこと自体を考えなくなる。高校までに散々喫煙の害を教え込まれて、それにあえて逆らう
ほどの価値が見えないのもある。
 逆に女性の割合が多い文系学部では喫煙スペースの必要がないというイメージも、実際とは異なる。とりわけ若い女性の喫煙は意外に多い。喫煙
スペースがすし詰めになるほどではないが、喫煙スペースに居るのは男性の学生や職員じゃなくて数人の女子学生グループという光景に出くわしたことも、
晶子を迎えに行った時に何度かある。
 これは大学入学以降の女性の変貌を見れば割とすんなり納得出来る。大学に入ると、それまで禁止あるいは厳しく制限されていることが多かった化粧や
自由な服装が一挙に解禁になる。女性は化粧をすることを覚えてると一挙に見た目から変貌する。メイクというにふさわしいくらい、高校の卒業アルバムと
比較しても本人と分からない風貌になることもある。
 喫煙は一挙に派手になる服装を含めたファッションの一部と捉えられているようだ。それを証明するように、晶子がゼミから借りて来た女性誌には、喫煙が
キャリアウーマンなど「出来る女性」を象徴するアイテムとして描かれていた。
 大学はクラスという集団行動の単位があいまいな分、孤立しやすい。孤立する不安に付け込むように入学時を狙って様々なカルト団体が勧誘をしかけて
くるんだが、女性の同調圧力は孤立を恐れることでも働く。近くの女性と同じ服装、同じファッションにすることで孤立を避けて「私の他にも同じ人が居る」という
安心感を作ろうとするわけだ。喫煙がその安心感を生成するためのアイテムとされ、更に「強い女性」「出来る女性」などとドラマあたりで描かれる「男性を押し
やって輝く女性」の象徴のように描かれれば、女性は案外簡単に喫煙に手を出し、習慣にしてしまう。
 晶子は俺が喫煙をしないことを喜ぶとともに、自分は一生タバコに手を出さないと明言している。前から分かっているほどの子ども好きの晶子が、妊娠や
出産、更にその後の育児で有害と分かり切っている喫煙に手を出すのは明らかに矛盾している。
 賑やかな店内の奥のテーブル席に案内される。俺と晶子が向かい合って座り、めぐみちゃんは晶子の隣に座る。案内した従業員は水などを取りに行く
ためか、足早に立ち去る。行列や順番待ちこそ出来ていないが、店内の混雑を滞らせるわけにはいかない。今後団体客が押し寄せたりして混雑が激化する
可能性もさることながら、混雑でどうしても待たされる客のストレスが増してトラブルを誘発する恐れもある。

「さ、何食べよっか。」

 晶子はテーブル脇のメニューを取って広げ、めぐみちゃんに見せるように開く。子ども好きゆえに子どもが生み出す騒音は全く気にならないらしい晶子と、
同じ年代の出す騒音ゆえかやはり全く気にならない様子のめぐみちゃんは、楽しそうにメニューを選んでいる。仲の良い母子と言うに遜色ない。
 メニューは1つのテーブルにつき1つだ。今はめぐみちゃんが優先だし、これじゃないと食べられないとかいうほど好き嫌いは激しくないし、もう我慢できない
ほどの空腹でもない。メニューは逆さでもおおよそ分かるから、晶子とめぐみちゃんが選ぶ様子を眺めつつ自分の分を選ぶとしよう。
 主な客層を想定してか、子ども向けの可愛らしい盛り付けや細工がなされたメニューが目立つ。お子様ランチのやり方を色々なメニューに反映させた
イメージだ。普段のバイトで店のメニューはどのページに何があって値段はいくらまで大体憶えるほど見慣れたから、工夫がなされた他の店のメニューは見て
いるだけでも結構楽しめる。

「失礼します。」

 俺達を席に案内した従業員が、水とおしぼりを手早く置く。粗野にならないようにしているのが分かるのは、日頃の接客が身に染みついたせいだろうか。

「ご注文はお決まりでしょうか?」
「決まってからお願いしますので。」

 俺が応える。晶子とめぐみちゃんはまだ選んでいる最中だったし、決めた様子もなかった。メニューを選ぶのも楽しみの1つだから選ぶのを待つ。従業員
には二度手間になるが、此処では客に徹しよう。

「かしこまりました。では、お決まりになりましたらお呼びください。」

 失礼しました、と言って従業員は急ぎ足で立ち去る。忙しい中二度手間を取らせて少し罪悪感を覚えるのも、やはり日頃接客で忙しさや大変さを実感して
いるせいだろうか。
 相変わらず賑やかな店内で、晶子とめぐみちゃんはメニューを選ぶ。晶子はハンバーグランチでめぐみちゃんはバラエティーセットという小分けされた
色々な料理が食べられるというもの。俺は鳥の空揚げランチ。俺と晶子は好物が出た格好だ。

「めぐみちゃん、ツナサラダがあるからこのセットメニューにしたいそうです。」
「ツナが好きなんだな。」

 思えばめぐみちゃんと最初に食べた食事−昨日の今頃か−でも、めぐみちゃんはツナが好きだからという理由でサンドイッチを頬張っていた。俺と晶子が
選んだメニューも好物が出揃ったし、食べ物の好みは出やすいもんだと思う。
 俺は従業員を呼ぶべく周囲を見回す。従業員は忙しそうに動き回っている。この賑やかさで座って呼ぶだけでは届かないだろう。必要なら席を立って、
近くに来た従業員を呼びとめる方が確実だな。
 席に案内した人とは違う女性の従業員が近づいてきたところで、俺は少し身を乗り出して呼ぶ。普通だとオーバーアクションだが、混雑時の店内では自分を
強めにアピールする方が呼びやすい。忙しい店員は客の観察をしている余裕なんてない。「目に止まった対象に注意を払う」程度に気づく水準が変わって
いるからだ。
 接客を踏まえての対策が効いたらしく、従業員はこちらに気づいて駆け寄ってくる。テーブル脇まで来たところで席に座りなおして、3人分の注文を時に
メニューを指しながら明確に伝える。意思が伝わらないことは客もそうだが従業員もストレスが溜まる。言いたい事や伝えたいことだけをはっきり言って伝える
ことに重点を置けば、言い直す手間やストレスが省ける。

「ご注文は以上でしょうか?」
「はい。」
「かしこまりました。ご注文をどうぞ。」

 復唱でも間違いなく伝わっていたし、注文入力用の携帯機器−正式名称は知らない−もあるから違うメニューが届くことはないだろう。
俺と晶子がバイトをする店では従来どおり手書きでメニューを取る。多くの注文にてんてこ舞いになる前にメニューを素早く確実に書き留めるコツを覚えられた
からどうにか対応出来ているが、あの携帯機器があると便利だろうなと思うことはある。
 ただ、あの携帯機器を必要分−接客担当の俺と監督がてら時々出るマスターと最近は偶にしか機会がない晶子の3人分だけ買えば完了とはいかない
だろう。携帯機器で入力したメニューをキッチンに転送する際、キッチン側で特別な装置が必要だとその分出費が増える。ぱっと見たところ携帯機器での
印刷は無理なようだし、キッチン側で携帯機器に入力したデータを受けて表示するところまで持っていくには、相当出費が必要だと予想できる。
 店は連日大繁盛だが、あの携帯機器を導入したコストを回収出来るかどうかは不明だ。クッキーを作るオーブンレンジは割と高価とは言っても数万か十万
少々。あの携帯機器とキッチン側の設備は百万のオーダーだろうから、ポンと導入出来るもんじゃない。
 手書きのままの店のメニューは、書いた用紙を台紙から取ると何度か貼ったり剥がしたりできるようになっている。事務用品の定番の1つであるポストイットと
同じ使い方だ。それまでテープで貼っていたが貼る壁がべたついたり汚れが目立ったりして見た目にも不衛生ということで対策を講じていたら、潤子さんが
事務用品売り場で大きめの枠線が印刷されたタイプのポストイットを見つけて、それをメニュー用紙に転用した。大きな出費もなしに便利なシステムが出来た
のはアイデアの賜物だ。

「昼ご飯が終わったら隣のお店に寄るとして、どんな動物を見たい?」
「んと・・・、クジャクとペンギンが見たい。」

 最初は大型の動物で次は鳥か。めぐみちゃんの好みの傾向はやっぱり掴み難い。単純に「可愛いもの」や「カッコ良いもの」という括りじゃないのは確かだ。
 ペンギンの所在地は不明だが、クジャクはこの店の近くに居た。結構な人だかりが出来ていたが、その丈が全体的に低いことでクジャクの全容はほぼ
見られた。オスが羽を広げるところは圧巻だから、前に来た時満足に見られなかったら見たい気持ちは分かる。

「クジャクはこの店から近いところに居たから、クジャクからだな。」
「うん。お父さんが抱っこしてくれてたから、めぐみも少し見えた。羽は開いてなかった。」
「クジャクも見ている人に合わせて羽を広げてくれるわけじゃないからな。」

 イルカやアシカといった海に生息する動物や、ゾウやライオンといったサーカスでも見られるような動物だと人間の指示でジャンプしたり2本足で立ったりと
様々な芸をするが、鳥にそんな要求をするのは無理というもの。教えなくても餌の効率的な取り方を学んだり嫌がらせをした相手に報復したりするカラスは
別だが。

「羽、広げてくれるかな?」
「広げてくれって頼んでも広げるもんじゃないからな。広げてくれるのを出来るだけ待つしかないと思う。」
「ん・・・。」

 めぐみちゃんは残念そうに少し俯く。同情はするが、クジャクは教えたり躾けたり出来る動物じゃない。それが出来るなら動物園もとっくにやってるだろう。

「お父さんが居るから、意外とすぐに羽を広げるかもしれないよ。ほら、キリンさんが顔を間近に寄せて来たのを写真に撮ったのもお父さんだし。」
「あ!そうだね。」
「そんなうまい話が・・・。」

 俺が居ればキリンは顔を近づけてクジャクは羽を広げて、なんて起これば出来過ぎだ。キリンの顔のアップでも、咄嗟に取りだした携帯のカメラ、しかも
まともに使ったためしがないものをピンボケせずに撮影出来ただけでも出来過ぎだと思ってるのに。

「意外とありそうですよ。良いことも悪いことも連続して起こるものですし。」
「お父さん、お願いね!」
「お願いされてもなぁ・・・。」

 俺が行くだけでクジャクだと羽を広げて、ペンギンだと・・・揃ってプール(池?)に飛び込むなんて、飼育員でも出来ない。あまり期待を持たせ過ぎると実現
出来なかった時のギャップに落胆するから、曖昧な返答しか出来ない。クジャクと俺の運に祈るか。普段祈るなんてしないから、そっぽ向かれそうだが。
 昼飯を食べ終わって店を出る。混雑していたから相当待たされるかと思ったら、クジャクに続いてペンギンの話をしていたところで同時に3つ運ばれてきた。
晶子が時折めぐみちゃんをフォローして−食べこぼしが服を汚さないようにするなど−、めぐみちゃんはめぐみちゃんで綺麗に平らげた。少々食べこぼしは
あっても、「嫌い」「いらない」の連続で残すよりずっと見ていて気持ちが良かった。
 支払いは俺がした。混雑している店での別会計は店にとって労力をかなり割かれることだと分かってるし−実家の手伝いで経験済み−、めぐみちゃんを
監督するために晶子が手を繋いでおいて俺が支払いを済ませるのが一番合理的だったからだ。

「ご馳走様でした。ほら、めぐみちゃんも。」
「えと・・・、ご馳走様でしたー。」
「どうしたしまして。お腹いっぱいになったか?」
「うん。」
「それじゃ、隣の売店に行こうか。」

 晶子に倣って礼を言うあたり、なかなか可愛らしい。たどたどしくてもぎこちなくても、気持ちが入っていることは伝わってくる。子どもを遊びに連れていったり
物を買い与えたりする親の心境が少し分かったような気がする。
 店には相変わらず人だかりが出来ている。こちらも客の大半は子どもだから賑やかだ。定番のキーホルダーやストラップに始まり、ぬいぐるみやジグソー
パズルまで大小様々な商品が並べられている。

「色々あるー。」
「どれか1つくらい、欲しいのを選んで良いぞ。」
「良いの?」
「今日の記念と土産だから。」

 あと・・・3時間くらいか?考えてみればもう残り僅かになったタイムリミットで再会となる実の両親のもとで、欲しいものを買ってもらえたとは考えにくい。欲しい
素振りを見せただけで怒鳴り声を浴びせられたと考える方が自然に思えるのが悲しいところだ。
 欲しがるものを何でも買い与え、与えられるのは明らかに良くない。我慢を覚えなくて我儘になるし、年齢を重ねて行動範囲や交流範囲が広がるにつれて、
我儘がどうしても通用しない環境が出てくる。誰もが「自分が一番」にしたいが、それだと到底立ち行かなくなる。折り合いをつける上で不可欠な我慢を覚える
のは幼少時からにしておくべきだとは思う。
 だが、我慢ばかりだと常に自分の感情を押し殺してしまう。それが続くと行動や交流を自分から始めることが出来なくなってしまう。「自分が我慢すれば良い」
と本来言うべきところでも抑え込んでしまって、ストレスを抱え込んである日暴発することにもなる。まず表に出やすい「欲しい」という感情を表現することと、
自分以外という意味での他人との折り合いの付け方を学ぶことも重要だろう。

「あんまり大きいものや値段が高いものは勘弁してくれ。さすがに買えないから。」
「うん。買ってもらえるなら何でも良い。」

 めぐみちゃんは年齢以上に節制や分別が出来る。俺と晶子が決して余るほど金を持っていないことや、持って帰れる大きさにも限度があることくらい
分かっている様子。感動で興奮すると抑えが難しくなるがそれは年相応。俺と晶子が注意すれば良い。
 俺は足元に注意しながら−俺の腰くらいの身長の子どもがたくさんいるし移動の頻度が激しい−晶子とめぐみちゃんを連れて店内を廻る。奥の方には
精巧なフィギュアや彫刻製品、宝石のようにカットされたガラスに躍動感あるポーズの動物が封入された置物など、手が込んでいたり高価だったりする商品が
多い。これらは買う人を限定させるものだな。

「たくさん種類があって目移りしますね。」
「定番から凝ったものまで、色々あるからな。こんなに品揃えが多いとは思わなかった。」

 動物園の売店にどんなものがあるかあまり想像が及ばなかったし、一般の土産物屋と同じようなものかと思っていた。普段の行動範囲の狭さを思い知ら
されるな。
 店内の子ども達の人気はフィギュアやぬいぐるみといった、手に取って鑑賞したり出来るものに集まっているようだ。プラモデルを作って飾っておくことにも
似ているし、ままごとなどの「ごっこ遊び」に使うことも出来るからだろう。価格が全般的に高めだから、親としては頭と財布が痛いところだ。

「めぐみちゃんはどれにするか決まった?」
「んと・・・、あれが欲しい。」

 めぐみちゃんが指さした方向には、俺と晶子だと両手で抱えられるくらいの大きさのキリンのぬいぐるみがある。首は短めにデフォルメされているが、縞模様と
色はキリンそのもの。円らな黒い瞳が愛らしい。

「これのことか?」
「うん!」

 俺が近づいて取ったキリンのぬいぐるみに、めぐみちゃんの表情の輝きが明らかに増す。最初に見たい動物に挙げただけに、選べるものもキリンに関する
ものにしたかったんだろう。

「可愛いですね。」
「大きめのものがあるのは分かってたけど、こんなサイズのものもあるんだな。」

 ぬいぐるみらしい愛着が持ちやすくて保ちやすいこのキリンのぬいぐるみの価格は・・・3500円か。思ったより安いな。クマの大きめのフィギュアが5000円くらい
だったから、それよりサイズが大きいこのぬいぐるみは1万円くらいするのかと思ったが、これくらいなら十分買ってあげられる。

「これで良い?」
「うん!」
「じゃあ、決まりだな。」

 買うと決まれば残るは支払い。既にぬいぐるみを手にした時点で近くの子ども達から悲鳴に近い歓声−多分羨望に起因するもの−があがってるし、親に
ねだる声が増したように思う。他の親としては出来るだけ安くて小さめのもの−持ち運びするのはだいたい親だ−にしたいところに、自分の子どもが欲しがり
そうなものを買っていかれるところを見せられて迷惑に感じることもあるだろう。勿論何を買うかは個人の自由だが、喧騒我関せずとばかりも言ってられない
状況だ。
 レジに持っていくと、店員が受け取って一旦奥に向かい、ビニールに包まれた同じものを運んでくる。店頭に並んでいるのはサンプルか。この混雑だと防犯
カメラがあっても万引きの心配があるし、その損害を極力少なくするための自己防衛だろう。

「3500円になります。包装はどうなさいますか?」
「そのままで良いです。」
「分かりました。」

 このままめぐみちゃんが持って帰るから、包装は不要だ。めぐみちゃんも包装紙を介さずに抱っこしていたいだろうし。

「ありがとうございました。」

 店員の挨拶とそれを凌駕する子どもたちの声を背中に受けながら店を出る。店から出て足元を覆うような動きにくさと、ぬいぐるみを手にしたあたりから強く
感じた子ども達の強烈な視線、そして賑やかさを通り越して騒々しく感じた子どもたちの声から解放されて、思わずため息が出る。おっと、忘れちゃいけない。
めぐみちゃんに渡しておこう。

「はい、めぐみちゃん。」
「ありがとうー!!」

 満面の笑みでめぐみちゃんはキリンのぬいぐるみを受け取る。めぐみちゃんは早速ぬいぐるみを抱っこしてキリンの顔に頬ずりをする。これだけ見ていても
本当にキリンが好きなことと、このぬいぐるみが欲しかったことが分かる。

「大事にしようね。」
「うん!」

 めぐみちゃんはキリンのぬいぐるみを強く抱っこしたまま応える。このままずっと、それこそ食事の時も風呂の時も寝る時もずっと一緒に居たいと思わせる
ほどに。これだけ喜ばれるとこれで良かったのかと少し恐縮さえしてしまう。
 晶子がめぐみちゃんをクジャクの方へ誘う−このままだとキリンのぬいぐるみを抱っこし続けそうな勢いだ−間に時間を確かめる。2時にかなり近づいている。
タイムリミットの16時までもう残すところ2時間余り。移動も含めれば2時間を切ったと考える方が良いか。
 俺は晶子と共にめぐみちゃんを此処から一番近いところにあるクジャクの檻に連れていく。時間は残り少ない。めぐみちゃんの幸せな夢の時間の終わりは
着実に近づいて来ている。せめて夢くらい・・・否、夢の続きがあると思えるように、めぐみちゃんを楽しませたい。
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