雨上がりの午後

Chapter 256 臨時親子の旅日記(24)−理想の親子像−

written by Moonstone

 携帯の確認を済ませた俺と晶子は、めぐみちゃんと一緒にクマの場所へ向かう。キリンの檻周辺の混雑が激しかった反動か、クマの場所へ向かう方向は
結構空いていてスムーズに移動出来る。クマはぬいぐるみの題材にもなる人気の動物だが、実際に動く動物ではそれほど大人気というわけじゃないん
だろうか。

「クマさんが見えてきたよ。」
「ホントだー!」

 見たい動物にキリンと並んで挙げただけに、めぐみちゃんの反応はすこぶる良い。クマはコンクリートと土で造られた小型の山をのんびり闊歩したり、
これまたのんびり昼寝をしていたりする。その様子からは獰猛さは感じられない。檻の周りはキリンより空いているから檻の傍まで近付ける。

「クマさん達、ゆっくりしてるね。これも動物園で飼われてるから?」
「そうだろうな。餌は人間から決まった時間に貰えるから獲物を追いかけなくて済むし。」
「餌取るのって、やっぱり大変なの?」
「詳しくは知らないけど、知恵を絞ったり全力を出したりしないと餌はなかなか捕まえられないらしい。」

 百獣の王と言われるライオンも、1匹ではまず獲物を狩れない。群れで草陰に隠れて忍び寄って、ごく短い時間で獲物を絞って襲いかかる。それでも確実に
仕留められる保証はない。獲物となる草食動物は餌になるために生きてるわけじゃないから、そう簡単に捕まってくれない。獲物を狩るのは一般に忌み
嫌われるハイエナの方が遥かに上手で、ライオンはハイエナが狩った獲物を横取りすることも実は多い。
 クマも遭遇した人間に大怪我を負わせたり、秋が深まる川で勇壮に川上りをするサケを捕えることから余裕で獲物を狩れるイメージがあるが、サケが川を埋め
尽くすほどたくさん上ってくる中でようやく何匹か捕まえられるわけで、左団扇で生きられるわけじゃない。
 動物園に居れば餌に関して心配は要らないのはクマも同じ。飢えの危険を気にする必要がないから、獲物の動向や周囲の環境に全身の間隔を研ぎ澄ませ
続けなくても良い。限られた面積の中しか移動出来ない−移動出来たら園内どころか市内が大パニックになりそうだが−という行動の自由の大幅な制約は
あるが、飢える心配をしなくて良いことは、動物にとって全て善とも言えなければ全て悪とも言えない。

「こんな感じでどう?」

 晶子が携帯の液晶画面を見せる。コンクリートの平野の上にやや丸くなり、首を上げて周囲を見回している様子のクマが縦長の画面に収まっている。

「うん。クマさんが全部写っててカッコ良い。」
「クマは横長の場面が殆んどみたいだから、携帯を横にして撮るのも良いんじゃないか?」
「それもそうですね。見る人が見えるように置きますから、携帯の向きにこだわる必要はないですね。」

 構造上必然的だが、携帯のカメラだと画像が縦長になる。キリンは四足歩行だが首が縦長なことで携帯の向きを意識することなく写真を撮れた。クマの
場合、より迫力や臨場感を持たせるなら横長の画像が撮れるように携帯の向きも変えた方が良い。

「携帯を横に使うのって、なんだか違和感がありますね。」
「縦のままで使うからな。俺が言うのも変だが我慢してくれ。」
「はい。」

 携帯電話は電気電子工学技術の粋の結晶とも言える。片手で軽々持ち運び出来る大きさと重さ−重くて持ち歩けなかったら携帯出来ない−の筺体に
液晶画面、カメラ、音楽プレイヤー、メール送受信などが多彩な機能が詰め込まれている。俺と晶子が携帯を買ってまだ1年も経ってないが、それ以後も
もう必要ないんじゃないかと思うような機能が次々に導入されている。
 カメラにしても、液晶画面の部分だけを横に向けて横長の画像を撮れる機種も多い。折り畳んでいる際に液晶画面の部分を180度回転させて液晶画面だけ
見えるように出来る機種−多分メールの着信を携帯の大きな操作なしに見られるようにとの意図−もあったりする。
 元々携帯に興味がなくて必要に迫られて持つようになり、今に至るまでほぼ晶子との専用回線の域を出ないくらいだ。携帯ショップの店頭−大型量販店の
テナントの1つとしてしっかり存在する−で新機種のポップを見ても買い替えの意思は全く生じない。そんな状態だから携帯の筺体そのものを横にしないと
横長の画像が撮り難いが、それこそ我慢してもらうしかない。
 晶子は携帯を横に向けて前後左右に少しずつ動かしてシャッターボタンを押す。何枚か撮ってから俺とめぐみちゃんに見せる。気まぐれか退屈しのぎかで
歩き始めたクマの1頭が、綺麗に画面に収まっている1枚だ。

「これだと、クマの迫力があるな。」
「お母さんも写真撮るの上手いねー!」
「携帯のカメラって使うの初めてだけど、携帯が良く出来てるから助かるね。」

 新機種でも買ってから半年経てば旧機種扱いの携帯−PCと似ているような気がする−は、機能が豊富すぎて電話かそれ以外のどちらが主要機能なのか
分からない。カメラ機能にしても、焦点合わせや手ぶれ補正の大半はいちいち設定しなくてもカメラ自身が自分で調節する。勿論自分で細々と調節することも
出来るが、基本的にカメラ任せにしておいて良い。
 焦点合わせは何処に焦点を合わせるかによって合わせ方が異なるし、手ぶれはカメラを手で持って使う以上は避けられない。カメラを持つことも撮影技術の
1つと言われるそうだが、それを一般人が趣味や記録で使う分には十分な補正が、片手で十分持てて扱える筺体に収納されているというのは驚きだ。

「お母さん。あそこのクマさん達撮って。」

 めぐみちゃんは、コンクリートの丘の隅の方に居る、身体の大きさがかなり違う1組のクマを指さす。2頭の小さいクマが1頭の大きなクマに常にくっつき、大きな
クマは常に2頭の小さいクマを気にかけている。親子のようだ。

「小さいクマさんと大きいクマさんが一緒に居るところね?分かった。」

 晶子は親子らしいクマに携帯のカメラを向けて、動きを見ながら何枚か写真を撮る。その中から俺とめぐみちゃんに見せられたものは、敷地内にある遊具に
向かう途中、小さい歩幅を懸命に回転させて前進する小さいクマを、大きなクマが立ち止まって自分の後をついてきているか確かめるところを捉えた、
ほのぼのした雰囲気の写真だ。

「お母さん、ありがとう!」
「どうしたしまして。めぐみちゃんがクマが好きっていうのは、もしかして前にあのクマさん達を見たから?」
「うん。前に此処に来た時にもクマさんは割と見えて、あのクマさん達が良かったから・・・。」

 やはりと言うか・・・、仲の良い、恐らく親子らしい1組のクマ達は、めぐみちゃんが憧れる家族像らしい。一般に人気の高いキリンと同時にクマを見たい動物の
最初に挙げた背景にはめぐみちゃんの家庭環境があると分かると、納得するだけではいられない。

「このクマさん達の写真も、ちゃんと普通の写真にしてもらうからね。」
「・・・うん。」

 めぐみちゃんが憧れる家族像は写真だけに終わらせちゃいけない。今までの分を取り返すチャンスは十分にある。今は府警本部に居るらしい
めぐみちゃんの両親が「警察に知れると厄介だから」という後ろ向きの理由で親を放棄するのをやめるんじゃなくて、これだけ重大なことだったと心底思い
知って根本的に考えと態度を改めていてくれることを願うばかりだ。

「さて、クマさんも結構写真撮ったけど、一度全部見てみる?」
「見られるの?」
「携帯の中に撮った写真は全部記録されてるから、割と簡単な操作で前に撮った写真を見返したり出来るんだ。」

 フィルム式のカメラとデジカメの最大の違いの1つは、撮影した写真をその場で自由に確認出来るかどうかだ。携帯のカメラも機能や特性が多少劣る
−それでも以前のデジカメ並みのものを持っている−が、本質は撮影した画像をディジタルデータに変換して内部メモリに蓄えるデジカメそのものだ。
ディジタルデータは一定の書式−フォーマットと言われる−に従って格納しておけば、途中で任意のデータを見たり編集したりすることが容易に出来る。
 携帯のカメラは全ての操作を携帯にある合計20にも満たない数のキーで完結させる必要がある。その分操作性が他の専用機器に劣ることは致し方ない。
文字列を入力するにしてもPCと携帯では入力速度や変換機能は大きく違う。だが、設計者のアイデア次第で専用機器以上の操作性を持たせることも
可能だ。逆に見れば、文字列入力から設定変更、記録データの閲覧や編集までわずかな数のキーで実現出来る携帯に注視すべき個所は多い。

「・・・これでよしっと。」

 晶子はめぐみちゃんに携帯を差し出す。自分で確認させるつもりなのか。

「これで、このキーを右か左かどちらかに押すと、お母さんが今までに撮った写真を見られるようになってるから。」
「うん!」

 めぐみちゃんは、晶子から携帯を受け取ってキーパッド上段にある方向ボタンの左右を押す。普段はメニュー画面でメニューの選択や決定をするための
ボタンだが、今は小さな筺体に収納されているクマの写真を順送りするボタンになっている。目的に応じた数を用意するんじゃなくて、目的に応じて機能を
変化させることはマイコンで出来ることは分かっているが、それを自分で構想からするのはなかなか難しい。

「あ!全部にクマさんが写ってる!」
「お母さんはクマさん以外の写真撮ってないから。」

 晶子が少し苦笑いする。めぐみちゃんが切り替えていく写真には、少しずつ角度を変えたクマがきちんと写っている。めぐみちゃんが撮影を依頼した親子
連れらしいクマは他より入念に撮影されているようだ。

「じゃあ、お父さんの携帯にはキリンさんの写真が入ってるの?」
「ああ。試しに見てみるか?」
「うん!見てみたい!近づいてきた時の写真もあるんだよね?!」
「晶子。俺のコートの右側のポケットに携帯が入ってるから、めぐみちゃんに見せてやって。」
「はい。」

 偶然良いタイミングで捉えた決定的瞬間を改めて確認したそうなめぐみちゃんを落ち着かせるには、携帯の中身を確認させる方が良い。ただ、俺は今
めぐみちゃんを抱っこしていて手が離せないから、携帯の受け渡しは晶子にしてもらう。
 晶子は俺の携帯を取り出して、少し操作してからめぐみちゃんに自分の携帯と交換する形で受け渡す。めぐみちゃんの両手の中で展開される写真には、
やや遠景から捉えた全容から近くから見上げたものまで、そして顔が拡大なしで大きく写ったものまで多彩なキリンの様子が捉えられている。

「お父さんが撮った、アップの写真もちゃんとある!」
「特別な操作をしたり乱暴に扱ったりしない限り、撮った写真は勝手に消えたりしないから安心して良い。」

 フィルムのカメラはふとした拍子にフィルムが入っている蓋を開けてしまうと、フィルムが露光して使い物にならなくなることもあったと聞いたことがある。
暗室で取り扱うのが大原則なフィルムを太陽光に晒したら一発でお釈迦になるのは当然と言えば当然だ。
 デジカメではディジタル化したデータをメモリに保存する。携帯でもある程度の容量は内蔵メモリで保存出来て、それ以上保存したければ増設する。この
メモリは鼠算のように容量が倍々になっていっている。俺と晶子が持つ携帯も内蔵メモリだけで一昔前のPCに匹敵する容量だ。メモリの正体はマイコンなど
他のICと同じく半導体の集積回路だ。水や衝撃は厳禁だが、これはフィルムのカメラでも同様。普通に使っている分にはメモリがカメラや携帯から飛び出て
データが消滅することはない。それよりバッテリーの残量に気を配った方が良い。

「携帯っていろんなことが出来るけど、どうやって動いてるのかな。」
「ん?どうやって動いてるかって・・・、電気をどうしてるかってことか?」
「うん。テレビとか洗濯機とか掃除機とか、全部コンセントに挿さないと動かないのに携帯は何もつながなくても色々出来るのが分からない。」
「携帯はその中に電気を貯めておける電池を持ってるからだ。」

 内蔵の電池、すなわちバッテリーとコンセントに接続するAC電源の関係をかいつまんでめぐみちゃんに説明する。バッテリーは洗濯機など通常の電気
製品と同様にAC電源に接続して充電すること、バッテリーは携帯に内蔵されるようなものだと非常に小型で一般の電池よりも充電容量が大きいが、携帯を
頻繁もしくは長時間使うとバッテリーの消耗は激しくなって最悪使用中に切れてしまうこともあること。バッテリーに充電するにはACアダプタという専用の
機器を接続する必要があること。

「−電池に関してはこんなところかな。」
「ふーん・・・。この中に電池が入ってるんだ・・・。」
「使ってる途中に電池が外れると撮った写真とかが消えたりすることもあるから、携帯のバッテリーは簡単に取れないようになってる。」

 電気製品が衝撃に弱いのは、落としたりぶつけたりといった物理的なものだけでなく、必要以上の電圧がかかったりいきなり電源が切れたりという電気的な
ものでも言える。物理的衝撃は金属や強化樹脂の筺体がある程度守ってくれるが、電気的衝撃は原因も被害状況も見た目には分かりづらく、しかも衝撃で
破損したら復旧はほぼ不可能という致命的な損傷に繋がることも多い。
 携帯電話をはじめとする携帯電子機器はコンセントに繋ぐ必要が少ない分、バッテリーが極めて重要だ。電池切れや不意の破損で前準備もなしで電源が
切れた際の電気的衝撃から回路やデータをどう守るかは、品質管理やコストの面でかなり難しい線引きを迫られることが多い。保護を厳重にすればその分
部品は多くなるし回路基板の面積も増えるから規模が大きくなったりコストがかさんだりするし、保護を弱くすれば回路規模やコストは切り詰められる分万一の
衝撃で破損する危険性は高くなる。市販して何千何万と売り出すには回路の保護とコストのバランスも重要な要素になるが、コスト削減絶対視などで削ること
ばかり優先させると、後々リコールの続発や人の生命や財産にかかわる事故が発生して、結果的に企業に大損害をもたらすことになる。
 電池そのものも扱いが難しい。今でも安価なことで大量に売られているマンガン電池だけでなく、その形状から「ボタン電池」と呼ばれるもの、マンガン電池と
同じ形状で長時間安定した電圧が出せるアルカリ電池、携帯電子機器の長時間駆動に大きく寄与しているリチウム電池まで、不要になった電池は簡単に
捨てられないことがその証明だ。リチウムはナトリウムと同じく水に触れると燃えるアルカリ金属の1つ。かなり危険な物質を携帯するものに封入してるん
だから、簡単に分解したりするようなことはあってはならない。リチウム電池は特に厳重な封入がなされていると聞いたことがある。だから、携帯電話の電池を
見たいという要望には応えられない。

「普通に使ってれば、いきなり外れたり壊れたりすることはない。そういう作り方をされてるからな。」
「ふーん・・・。凄いんだね。」
「キリンさんが確認出来たから、お父さんの携帯は返しておこうね。」
「うん。」

 晶子はめぐみちゃんから俺の携帯を受け取って、俺のコートのポケットに戻す。俺と晶子の携帯はバッテリーの持ちが良い方だが、必要以上に操作して
いると消耗は避けられない。俺の携帯には警察からの電話が入る可能性もあるから、バッテリー切れにならないように気をつけておかないといけないな。

「ちょっと早いけど・・・、お昼御飯のついでに携帯で撮った写真を普通の写真に出来るお店を探しましょうか。」

 晶子が携帯の時計表示の部分を見せる。11時を少し過ぎたところだ。現像する店を探す時間を含めるとちょうど良いくらいだな。

「キリンさんとクマさんの写真を先に普通の写真にしておけば、ひとまず安心ですからね。」
「そうだな。写真はめぐみちゃんが持つものだし。」
「キリンさんとクマさん以外の動物の写真も撮ってくれる?」
「大丈夫よ。時間がある限り撮るから。」

 まず見たかったキリンとクマは見られたし写真も確認出来たが、視線も高くなって行動力も上がっている今の好条件を、めぐみちゃんが見られるだけ見たい
という欲求に変換させない筈がない。無論、タイムリミットである「京都府警本部に午後4時」のギリギリまで、動物園巡りを続けるつもりだ。
 携帯に記録した写真を現像する店さえ押さえれば、あと最低1回撮りためた写真をその店に持って行くだけで良い。そのためにも現像する店を探すことが
重要だ。混雑を避けて昼飯を食べることにもつながる。

「一度動物園から出ると、また入る時お金要るんだよね?」
「それは勿論だけど、めぐみちゃんが気にするお金じゃない。何十回も出たり入ったりを繰り返すわけじゃないんだし。それより、今は携帯の中にある写真を
きちんと普通の写真に出来ることを確認するのが大事だろ?」
「うん。そうだね。」
「決まりだな。」

 入園料は払った俺が拍子抜けするほど安いものだし、めぐみちゃんは無料だ。入園料より今だと受け渡し出来ない−めぐみちゃんは携帯を持ってない−
写真を「普通の写真」にするため現像出来る店を探して、所要時間や費用を把握することだ。機械任せに出来ることも可能だと知ってはいるが、その機械で
現像にどのくらい時間がかかるかは知らないし、行った店にその機会が必ずあるという保証もない。今日の午後4時という厳密なタイムリミットがある以上、
時間を最も重視すべきだ。

「クマさんの撮影はこのくらいで良いとして、何処に行きましょうか?」
「大型量販店にはあるだろうから、そういう店がある場所に行くのが無難だな。歩きながら地図を見て考えよう。」
「はい。」

 晶子は携帯をしまって代わりに観光案内を広げる。観光案内にある地図には観光名所をイラスト風に記したものと交通機関の名称や駅の名称を記載した
詳細なものの2種類がある。晶子が広げたのは後者だ。目的が観光から店探しに切り替わったからこちらの方が適切だ。

「やっぱり、京都駅周辺でしょうか?」
「京都駅周辺より京都駅の中の方が確率は高いかもしれない。」

 大型量販店には車を大量に入れるための広大な駐車場が不可欠だ。しかし、京都駅周辺にはそんな余地はなかったように思う。再開発と称して今までの
街並みを壊して広大な駐車場を確保することは出来ない。それより、地下に潜って広げる方向に行く方がまだ容易だ。その中には写真店もテナントとして
入っていてもおかしくない。

「京都駅の中、ですか。いずれにせよ、京都駅から探した方が確実ですね。だとすると・・・。」

 晶子は観光案内の路線図をたどって調べる。

「東山っていう駅から地下鉄で行くのが一番確実ですね。」
「時間と路線の間違いのリスクを考えると、地下鉄プラス徒歩が確実だな。」

 動物園前に通じるバス路線があると分かっていても、混雑と間違いを避けるために徒歩での移動を選んだくらいだ。写真を現像する店は場所すら分かって
いないから、確実性を最優先に据えて移動は出来るだけ短時間に出来るに越したことはないという程度にとどめておくのが無難だ。

「東山から地下鉄で京都駅に移動しよう。」
「そうですね。めぐみちゃんは一旦降りて自分で歩こっか。」
「うん。」

 歩きながら相談していたら、動物園の出入り口近くに来ていた。押し寄せるというほどじゃないが結構な数の人が入ってくる中、出ていく人は殆んどいない。
まだ午前中だから出ていく方が珍しいと言われればそれまでだが、俺と晶子とめぐみちゃんには事情ってもんがある。
 動物園から東山駅までの道案内は、俺が引き受ける。晶子はさっきまでめぐみちゃんを抱っこしていたから、その休憩を兼ねてだ。道中注意があちこちに
飛びやすいであろうめぐみちゃんを安全に誘導するのは、晶子の方がずっと適任だ。
 観光案内の地図を改めてたどってみる。東山駅から地下鉄東西線に乗って烏丸御池で烏丸線に乗り換えて京都まで。烏丸線からの乗り継ぎは昨日の
清水寺への往路とほぼ同じ。昨日降りた五条駅を超えて京都まで乗っていく必要がある。地下鉄の駅の間隔はおおよそ3分くらいだから、所要時間は乗り
継ぎを含めて単純計算でだいたい20分くらいか。これが短いか長いかは、現像する店が見つかるまでの時間と現像する時間でかなり変わってくるだろう。
 他の乗客の流れに乗って電車を降りる。無事に京都駅に到着した。混雑での事故を回避するため、めぐみちゃんは晶子が抱っこしている。思ったより
東山駅への移動時間が短かった。昨日は地図で見るとかなり距離がある烏丸五条から清水寺までの道のりを歩いたから、余計に短く感じるのかもしれない。
 降りる人と乗る人の流れが速く複雑に交錯するホームから出る。これで混雑を脱したと思いきや、駅構内はかなり混み合っている。東山駅までの徒歩移動を
含めた時間の経過で、昼飯時が近くなってきているのが原因だろうか。現像出来る店を探すのが優先なのは変わらないが、めぐみちゃんがお腹を空かせた
様子を見て昼飯に切り替えるなら、素早い判断が必要になるかもしれない。

「京都駅構内の見取り図とかないかな・・・。」

 俺は観光案内を先頭から捲ってみる。京都市を中心とした主要観光スポットのイラスト風の地図と公共交通機関を書き記した本格的な地図はあるが、京都
駅構内までは掲載されてない。さすがに駅構内までは観光案内に載らないか・・・。そうでなくても、大規模な駅やその周辺はテナントなどの入れ替わりが
激しいから、掲載した時点で最新の情報があっという間に過去のものになってしまうことが多いから載せない方がむしろ良いのかもしれない。

「そんなに都合良くいかないか。」
「各公共交通機関への周辺にはないと思います。お土産屋さんや飲食店の方が集客率が高いですから。」
「それは言えてるな。」

 日本有数の大都市でもある京都市の中心部でもある京都駅は、俺と晶子が京都入りした時に使った新幹線や昨日から何度か使っている地下鉄の他、
幾つものバス路線が集中している。旅行や出張帰りに土産を購入したり、食事をするための店が多数集まっている。土産物屋や飲食店は客を見込めても、
デジカメの現像は元々緊急性が低いから客を期待出来ない。

「デパートか飲食以外の専門店があるあたりを探すか。」
「そうですね。」

 公共交通機関の駅や停留所周辺にある可能性は低いということは、そこから遠い場所にある可能性は高い。特に飲食店以外の専門店があるエリアにある
可能性は高まる。何処にどんなものがあるか、おおよそでも把握することが必要だな。あたりを見回して駅構内の案内を探す。・・・あった。手元で広げるより
大きくて見やすい京都駅構内の案内が少し離れたところにある。
 俺は晶子とめぐみちゃんを誘導して案内近くへ移動する。見た感じ、駅の半分とはいかないまでも1/3くらいは鉄道部分で占められている。それ以外で
デジカメの写真を現像出来そうな店は何処にありそうか・・・。

「此処かな。有名デパートがある。」
「可能性は高いですね。」

 俺が推測した場所は、京都駅北側にある有名デパートの京都店。大型量販店のように複数の多彩な専門店の存在が期待出来る。晶子も同じ考えのようだ。

「あるとしたら、1階や地下以外にあるでしょうね。」
「飲食店や土産物屋が入るからな。まずは行ってみよう。」
「はい。」

 行き先が決まったらすぐ行動。混雑が続く京都駅構内を移動して目的の有名デパートに移動する。入って直ぐのところにフロアマップがある。やはり1階と
地下、それに最上階は土産物屋と飲食店が多い。写真店は・・・あるとしたら、この辺だろう。

「時計や宝飾店のあるフロアだろうな。行こう。」
「はい。」

 カメラと言えばフィルムだった時代、カメラは時計や宝石と並んで扱われることが多かった。一見無関係に思えるがどれも精密な構造や職人的な技術が
必要な特殊な店だ。デジカメの普及でカメラは専門色を薄めた感があるが、以前の関連性を受け継いで写真店が存在する可能性は高い。他は見たところ
土産物屋と飲食店以外は服飾が殆んどで生活関連が少々と言ったところだから、選択肢はかなり限られているのもある。
 晶子とめぐみちゃんを誘導する形で、俺は移動する。場所はかなり高層階だから、エレベーターを使わないと労力的にも時間的にも厳しい。特に
めぐみちゃんを抱っこしている晶子に無用な手間をかけたくない。早く確実に移動するにはエレベーターを使うのが賢明だ。
 エレベーター前は駅構内ほどじゃないがかなり混み合っている。客層は割と若い。フロアマップで中層階にファッション関係のフロアがあったし、最上階に
飲食店があるから、それらの店に行く人達のようだ。1度見送って−エレベーターには人数(正確には重量)制限がある−エレベーターに乗り込む。満員
状態のエレベーターのドアが閉まり、軽い下方への引っ張り感を残して上昇を始める。途中で止まるたびに人が降りていくが、乗り込んでくる人は殆んど
居ない。
 目的の階に到着する。俺はめぐみちゃんを抱っこしている晶子と歩調を合わせて降りる。他にカップルと思しき若い男女が3組降りる。どちらも女性の方は
やや物珍しそうに、男性の方は興味深そうに俺達を少し見やってそれぞれの店に向かう。冴えない男と美人の組み合わせという見方には慣れたが、子連れと
いうのはインパクトがかなり強いだろう。めぐみちゃんが乳児ならまだ分からなくもないが幼児だから、「何歳で結婚したのか」という驚きは生じても不思議じゃ
ない。

「祐司さんの読み、ぴったり当たってましたよ。」

 晶子がエレベーター脇のフロアマップを見て言う。フロアマップには写真店の存在が明記されている。しかも場所はエレベーター直ぐ傍。呆気ないほど
簡単に見つかったな。

「偶然がうまい具合に重なってくれたもんだな。」
「お父さん、凄いね!」
「偶然だって。」
「写真店が時計や宝飾店と同じ場所にあると予想したのは、他ならぬ祐司さんですよ。」

 手持ちの知識からの予測がうまい具合に当たっただけなのに、随分持ち上げられてなんだかこそばゆい。それこそ褒めても何も出ないんだが、褒められて
悪い気はしない。
 エレベーター乗り場から少し歩くと、すぐに写真店が現れる。店はかなり規模が大きいようだ。広いカウンターと現像の例である大小の写真、そして店頭に
並ばなくても現像出来る機械が作る光景は、俺と晶子が行く大型量販店の中にある写真店と良く似ている。

「機械で携帯の写真は現像出来ると良いですけど・・・。」
「メモリカードが読み取れれば大丈夫だろう。」

 携帯のカメラとデジカメはどちらも0か1かの数値の並びであるディジタルデータとして内部に記録している。記録媒体がメモリカードなのも同じだ。違うのは
形状くらいと言って良い。形状が違うのはメーカー独自のものか規格に準じたものを使うかでまず決まる。メーカー独自のものはその機種以外の同じ
メーカーの製品にも使える−たとえばデジカメのメモリカードを携帯に使ったりといった流用−が、他のメーカーの製品では使えない場合が多い。規格に
準じたものは安価な他の製品も使える。携帯はメモリカードを収納する場所の厳しい制限と機種交換の頻度が激しいことなどから、規格に準じたものが
使われる。規格に準じたものの方が、不特定多数を受け付ける機械の側にとっては都合が良かったりする。一定の形状なら個別に挿入口を作らなくて
良いし、一定のフォーマットなら個別にプログラムを作る必要がない。共通の挿入口から差し込まれたカードを共通のプログラムで読み取って処理することは、
機械の得意分野だ。
 客層は若いカップルから家族連れまで割と幅広い。現像機は3台あって、うち2台は先客が居る。カウンターも手隙の様子だが、今回は現像機を使うことに
する。めぐみちゃんを抱っこした−現像の様子を見せるため−晶子と並んで現像機の前に立って、俺は携帯を取り出して電源を切る。メモリカードを壊す
恐れがあるし、俺のメモリカードには偶然の至宝であるキリンのアップが入っているから横着は厳禁だ。携帯の電源を切るなんて滅多にない。携帯は常時
電源を入れ続けることが前提のようなものだからな。生協の店舗でメモリカードを買って挿入する時に電源を切った筈だから、電源をオン・オフするのはそれ
以来だろう。
 現像機の操作はタッチパネル方式だ。「現像する」を選ぶと、カードスロットを囲むLEDが点滅する。液晶画面には「現像したいメモリカード等をカード
スロットに挿入してください」とある。スロットの指示がないし他にスロットがないから、現像機がカードの種類やサイズを自動識別するようだ。俺は携帯からメモリ
カードを抜き取って、現像機のカードスロットに挿入する。カードが吸い込まれて「識別中・・・」と少し表示された後、液晶画面にアイコンのように写真が一覧
表示される。「現像したい写真を選んでください」とあるから、印刷したい写真をタッチパネルで選べば良いのか。ページ送りのアイコンも表示されているから、
複数のページにまたがって現像したい写真を選べるわけか。便利だな。

「いっぱい写真が出てきた!」
「この中から普通の写真にしたいものを選べば良いんだ。・・・全部印刷するか。」

 現像機が壊れることはまずあり得ないし、現像代はそれほど高額にはならないだろう。現像の確認をするならいっそまとめて現像してみた方が手っ取り
早いし、万が一現像の後にメモリカードが壊れても、めぐみちゃんの手元に写真として残る。特に携帯で写真を撮るきっかけになったキリンのアップは早めに
現像しておいた方が良い。
 俺は液晶画面で「全部現像する」を選ぶ。ポップアップで確認画面が表示される。ディジタル式のデータだとフィルムのようにたくさん撮ったという感覚が掴み
にくい。うっかり全部の現像を選択して大量の写真と引き換えに思わぬ金額を請求されるといったトラブルを未然に防ぐには、こういった確認は欠かせない。
 俺は「はい」を選んで全ての現像を続行する。現像する枚数を電卓式の画面で入力するよう表示される。さすがに写真個別に枚数を選択することは
出来ないよな。めぐみちゃんの分だけで良いから1枚とする。金額が表示されて投入口に入れるよう表示される。全部で・・・500円ちょっとか。少々拍子抜け
するが、数万円とか表示されるよりずっとありがたい。財布から1000円札を取り出して、投入口に入れる。1000円札が吸い込まれて「現像する」というボタンを
押す。「現像中です・・・」と表示され、現像機の中から紙をこするような音が断続的に聞こえてくる。ATMから金を引き出す時に似てるな。50枚くらいあるから
それなりに時間はかかるだろうが、このまま現像されてくるのを待てば良いだけなのは助かる。

「少し時間がかかりそうですね。」
「写真の用紙に印刷するとすればカラーコピーと同様だろうから、それなりに時間はかかるだろう。」

 随分高速になったとはいえ、カラーコピーは一般にCMYKと呼ばれる印刷の基本4色−確か水色と黄色と紫と黒−を順次混合して行われる。モノクロ
だったら黒1回で済むからすぐだが、カラーコピーは1枚の紙に4回インクを塗布するから単純計算で4倍の時間がかかる。こればかりは機械の原理の問題
だから我慢するしかない。

「それでも、着実に進んでいってるみたいだな。」

 「現像中です・・・」と表示されているウィンドウの下部には現像総数と現像完了枚数を分数形式で示す部分があり、分子の現像完了枚数は周期的に1枚ずつ
増えている。その下にあるカラーバーも徐々に全体に占める緑色の割合が増えている。どちらも既に半分を超過しているから、もう少しの我慢だな。
 現像完了枚数と現像総数が等しくなると、現像機左側のふたが開き、カードスロットからはメモリカードが半分ほど顔を出し、現像機右側の返却口も開いて
釣り銭が現れる。一気に3つも開くのは合理的か利用者を急かせるためか分からないが、メモリカードと釣り銭を先に回収して、その後現像された写真を
取り出すという手順を踏む。
 一旦現像が終わったから、現像機の前から退いて出来あがった写真を見る。写真はどれも一般的なサイズの大きさで、思いのほか綺麗に現像されている。
用紙も裏側を触った限りでは−写真のある方の面は触らない方が良いだろう−一般の写真と大差ない。たかが自動とは言えないしっかりしたものが出来
あがってきた。

「キリンさんの写真ある?!」
「あの写真か?・・・これだな。」

 めぐみちゃんが待ちわびていた写真、偶然ピンボケなしに撮れたキリンのアップも綺麗に現像されている。めぐみちゃんに手渡すと、めぐみちゃんは一気に
喜びを爆発させる。笑顔が弾けるとはまさにこういうことを言うんだな。

「キリンさんだ!!キリンさんが大っきく写ってる写真だ!!」
「良かったねー。」

 晶子も少々戸惑い気味になるくらい、めぐみちゃんは大喜びしている。歓声はあげないものの食い入るように写真を見つめている。偶然の産物でもこれだけ
気に入られれば立派な「とっておきの1枚」だな。どんなきっかけで「とっておきの1枚」が出来るか分からないということか。

「この間、晶子が撮った写真も現像しておくか。」
「そうですね。私の携帯はコートの左ポケットに入ってますからお願いします。」

 めぐみちゃんのキリンのアップ写真への情熱は当分止みそうにないから、この間に晶子の分の写真も現像しておきたい。だが、写真から視線を微動だに
させないめぐみちゃんを抱っこしている晶子に携帯を出させるのは無理な話。俺はメモリカードを携帯に挿入して電源を入れて、晶子のコートのポケットから
携帯を取り出す。同じ機種だから全く同じ操作でメモリカードの出し入れや電源のオンオフが可能だ。
 幸い、現像機の順番待ちはない。さっき俺が使った現像機の他、先客がいた現像機のうち1台が空いている。晶子にめぐみちゃんを頼んで、俺は晶子が
撮った携帯写真を現像する。これも全く同様の手順で良いから、さっきよりスムーズに出来る。
 現像が始まる。枚数は俺より若干多めか。結構撮ったんだな。ふと晶子の方を見やる。抱っこされためぐみちゃんはまだ写真を見つめ続けている。俺が
渡した写真はキリンのアップの1枚だけだから、それをずっと見続けているわけだ。もう「気に入る」という次元じゃないな。目が合った晶子は少し苦笑いする。
自分の腕の中で1枚の写真を一心不乱に見続けているんだから、このまま気の済むまで見させておくか他の写真に関心を向けさせるかどうしたものかと
思ってるんだろう。
 俺は現像機から離れて晶子に思いついた当面の対策を言う。現像した写真は全てめぐみちゃんのものになる。勿論めぐみちゃんに本当の両親にも
現像代を請求することはしないが、手に取った写真が一時のものじゃないと確認させるためにも、ここはめぐみちゃんの好きにさせておく方が良いだろう。
それに、めぐみちゃんは今でこそキリンのアップの写真に全ての関心を注いでいるが、それはちょっとしたきっかけでいともあっさりと別の対象に移行する
ことはこれまでの経験から推測出来る。

「−だから、好きにさせておいて良いと思う。」
「そうですね。分かりました。」
「安全のために、めぐみちゃんから目を離さないでいてくれ。」
「はい。」

 晶子が安心したのを受けて、俺は現像機に戻る。現像枚数は総数の半分を超えている。時間がかかると言っても1色あたりの現像時間がどんどん短くなって
いるから、それが単純計算で4倍になったとしてもフィルム時代のような慎重な扱いや技術は不要で待っているだけで良い。
 現像が完了して写真が出来上がる。釣り銭とメモリカードを回収してから確認する。・・・うん。やっぱりどれも綺麗に現像されている。めぐみちゃんが晶子に
リクエストした親子連れらしいクマも、顔が分かるくらい鮮明だ。携帯のカメラはもはや付随機能とは呼べないほど高解像度・高画質になっていると聞いては
いるが、手持ちの携帯のカメラもそうだとは知らなかった。
 晶子との専用連絡手段として入手したものだし、電話とメールが出来ることに加えて着信音が自分で作れることだけ重視したから、カメラの性能は全く考慮
してなかった。以来今日まで休眠していたが、上手く使えば有効なもんだな。

「晶子。めぐみちゃん。クマの写真が出来たぞ。」
「クマさんの写真?見せて見せて。」

 キリンの時ほど強烈ではないが、めぐみちゃんの関心は高い。俺は数ある写真の中から、親子連れらしいクマの写真を数枚選んでめぐみちゃんに手渡す。
めぐみちゃんはやはりキリンの時ほどじゃないが、喜びを溢れさせながら写真に見入る。

「クマさんもちゃんと写ってる!」
「それも含めて、撮った写真は全部めぐみちゃんのものだからね。」
「うん!」

 願いが叶ってめぐみちゃんはご満悦の様子。晶子に抱っこされながら目を輝かせて手に持った写真を見つめるめぐみちゃんを見ていると、一旦動物園から
出て京都駅前まで移動した甲斐はあったと思う。晶子の時もそうだが、自分がされた嬉しいことにさらなる要求を求めたり、自分がしたことに見返りを求めたり
しないで、純粋に喜び満足する様子は清々しいし、次も喜んでほしいと純粋に思う。本人は自覚しているのかどうか知らないが、駆け引きめいた喜びや
満足の様子はその本心を意外と感じ取りやすい。

「さて、写真の現像は確認出来たから、次は昼飯だな。」
「今何時ごろですか?」
「今は・・・12時を少し過ぎたところだな。」
「そうでしたら、動物園まで移動した方が良いかもしれませんね。」

 晶子は提案に続いて理由を言う。今頃は昼食ラッシュまっただ中の時間帯だから、どの店も混み合うのは必至。空いている店を探して勝手を知らない
京都の街中を彷徨うより、再度入園する動物園まで移動した方が良い。
 昼飯を動物園の中−確認していないが場所柄飲食店があるのは間違いない−で摂るかどうかはさておき移動するのに30分くらいかかるから、移動している
間に昼食ラッシュはある程度緩和が望める。京都駅で空いている飲食店を探して、そこで昼飯を食べてから移動するより時間のロスが少なくなる。−実に正論
かつ合理的だ。反対する余地は見当たらない。

「そのとおりだな。動物園まで移動しよう。近くの飲食店で昼飯を済ませるのも良いだろうし。」
「決まりですね。」

 めぐみちゃんは写真を見るのに頭がいっぱいの様子だ。めぐみちゃんが持っているのは100枚以上ある中の10枚程度。他にも手に余るほどあるから、
見飽きたようなら写真を入れ替える手が使える。今でも10枚程度の写真にじっくり見入っているから、めぐみちゃんにとっては「気づいたら動物園の前まで
来ていた」となるかもしれないし、その方が途中でぐずったりするなどの不安要素が減るから保護者としては助かる。
 念のためめぐみちゃんに意思確認をするが、写真を見られれば良いとの答え。移動の間は存分に見ていて良いと返すと、めぐみちゃんはすんなり移動後の
食事を了承する。興味を持ったものはそれを上回るものの出現か興味が尽きるまで没頭するタイプのようだ。
 次の行動が決まったことで、俺と晶子は行動を開始する。まず、めぐみちゃんの抱っこを交替。エレベーターを使ったとはいえ、電車での移動を含めた時間
晶子はずっとめぐみちゃんを抱っこしていた。休憩と混雑中での移動のリスク増加を踏まえて俺が抱っこを担当する。ついでに、晶子の携帯を復帰させる準備
期間を設ける。移動の間は俺の手が塞がるし、その間に警察からの着信がないとは言えない。車内で携帯を使うことはしないが、駅から出たところで俺の
携帯に着信履歴が入っていたら、緊急の度合いに応じてまず晶子に対応してもらう。2人居てその力を合わせれば、対応力は2倍にも3倍にもなる。

「思った以上にすんなり出来ましたね。」

 地下鉄の切符を買って改札を抜けたところで、晶子が言う。

「祐司さんの読みと行動力のたまものですね。」
「行動力ってほどのもんじゃ・・・。」
「写真店が時計や宝石店のある場所に近いと祐司さんが読んだから、フロアを何度も移動しなくて済んだんですよ。」
「それはそうかもしれないな。」

 デパートは10階建てで、フロアマップと写真店の大きさからして1つのフロアで相当の面積がある。俺と晶子がたまに行く大型量販店を縦方向に上積みした
ような広大なビルだから、そこを全て回って探していたとしたら、途中でくたびれて飲食店探しに切り替えるかめぐみちゃんが退屈してぐずり始めるかどちらか
だった可能性が高い。

「頭の隅に埋もれてた知識だけど、役に立ったな。」
「ええ、凄く。」

 晶子は甚く満足した様子。どうすれば良いかと迷うばかりだったりパニックになったりするよりは印象は良いだろう。頼りにされていた・・・んだろうか。
 俺は自分の推測と行動力だけで、写真店探しがあれだけスムーズに出来たとは思ってない。写真店がありそうな場所として駅や停留所の周辺より遠い
ところを推測したのは晶子だ。俺はその推測を信じてデパートに行き、そこで目にしたフロアマップから写真店がありそうな場所として手持ちの知識から
時計や宝石を扱う場所に近いところを推測した。晶子の協力なしには語れない。
 それに、俺が行動力を発揮出来たのは晶子が俺の推論や行動にいちいち口を挟まずについて来てくれたことも大きい。自分の意見はしっかり持ってるし
言うべき時は言うが、基本的に俺の判断や行動を優先するというスタイルにより徹している。昨日の風呂でもそうだったが「夫を立てる」ことをこの旅行で
意識的に実践してより定着させようとしているんだろうか。
 よく「女性の社会進出」が言われて、その中で「男性と対等な女性」が持ち上げられる。ドラマあたりの−TVはこのところ見る時間も取っていない−多数の
男性部下を従えてさっそうと歩くキャリアウーマンを想定してのものだろう。だが、多数の部下を従える立場に立てるのは男性でもごく限られている。少数の
部下を従える立場にしても一定のキャリア≒年数を積まないといけない。
 ドラマの人物像に憧れること自体は、ドラマを映画や小説など他の創作物に置き換えれば昔からよくあることだし、それ自体は何ら否定しない。たちが
悪いのは、そういった憧れが実現出来ないと、ポスト自体の絶対数が少ないから総数も当然少ない憧れのポストに就いたごくわずかの女性の状況を自分も
あてはまるのが当然とばかりに、「男女差別」などを持ち出して下駄を用意させることだ。
 プライベートの男女の付き合いでも「男性と対等な女性」がクローズアップされるが、それは「男性は女性の言うことを聞くもの」という「対等」からずれた真意が
前面に押し出される傾向がある。男性が異論反論を言えば「男女差別」や「女性に対する思いやりがない」とヒステリーを起こして−被害者面して泣くことも
入る−、男性が内心辟易しつつ要求をのむことが殆んどのように思う。
 晶子は俺との仲を深めていくにつれて自分の存在を示す呼称を「パートナー」から「妻」にシフトしていっている。既成事実を積み重ねていくことでの結婚が
本格化していく過程で「妻」の方がしっくり来るから使っているんだろうと思っていたが、双極という意味合いが強い「パートナー」より「夫」を立てて補佐する立場
という意味合いが強い「妻」の方が長続きすると判断したのがあるように思う。
 立ててもらって補佐を受ける立場の「夫」は、その分決断や行動が必要になるし、出来ないと立ち行かなくなる。今のところそうなっていないのは、やっぱり
俺の決断や行動より晶子が俺を立てて補佐することに専念してくれていることの方が大きいと思う。俺を立てる古風な、「男女平等」の立場からすれば時代
遅れの妻で居て裕福な生活が出来るわけじゃない。実家頼みでもそれが叶わないことは晶子自身も分かってる筈だ。それでも周囲の嫌味や嘲笑に惑わ
されることなく古風な妻で居てくれる晶子は、出来過ぎているくらいのありがたい妻だ。
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