「−はい。今向かっているところです。−はい。16時には十分間に合うと思います。−はい。では失礼します。」
携帯のフックオフボタンを押して通話を終えると、今までと違って重い溜息が出てしまう。めぐみちゃんの実の両親の身柄を確保している京都府警本部
からの電話、それもめぐみちゃんを送り届ける時間に間に合うかどうか確認するためのものだった。
昨夜の電話の主でもある神田という人が言うには、めぐみちゃんの実の両親には「次はない」との警告も含めて厳重注意をしたこと、その両親の身柄
引き取りを依頼されているめぐみちゃんのおばあちゃんも京都府警本部に向かっていると確認が取れているそうだ。今回の中心人物であるめぐみちゃんを
きちんと京都府警本部に送り届けているか確認したかったとの説明には、俺と晶子の立場を冷徹に捉える様子が感じられた。
このご時世、警察も一時めぐみちゃんの保護を依頼した男女、すなわち俺と晶子がめぐみちゃんをそのまま連れて行方をくらます可能性も考えないと
いけない。携帯の番号が分かっているから、携帯の会社に警察の権限で問い合わせれば名前も住所も職業も全て分かる筈だし、俺とてめぐみちゃんの
保護は親代わりとは思ってはいるもののそのまま連れて行く誘拐まがいのことは考えてない。
だが、俺と晶子は京都府警からすれば偶然置き去りにされためぐみちゃんと出会って、そのまま保護することになった単なる旅行者だ。めぐみちゃんの親族
でも何でもない赤の他人が、指定の時間まできちんと幼児を保護しているのか、指定の時間にきちんと幼児を送り届けるのか、確たる保証はないと
言われればそれまでだ。確たる保証がない以上疑ってかかるのは警察の立場からすれば当然だろうが、犯罪者候補にされているようで良い気分はしない。
「祐司さん。・・・警察の方からですね?」
「ああ。時間に間に合うのかの確認だった。」
「そうですか・・・。」
めぐみちゃんの手前何から何まで言えないが、晶子は電話が決して警察が感謝一色で電話をしてきたわけではないと感じ取ったようだ。
「めぐみちゃん。おばあちゃんも今から行く場所に向かってるそうだ。」
「おばあちゃんが?」
「めぐみちゃん達を迎えに来てくれるんだって。」
「おばあちゃん、来るんだ・・・。」
めぐみちゃんの表情は喜びと戸惑いが入り混じっている。おばあちゃんとの仲が良好なのは分かっているし、おばあちゃんと会えるのは勿論嬉しいだろう。
しかし、俺と晶子の様子からおばあちゃんの家に行くような感覚で会うのとは違うと感じて、素直に喜べないんだろう。
警察からの電話に出ないわけにはいかないし、問い合わせに曖昧に答えると後々ややこしいことになるのは重々承知。だが、直ぐ傍に−今は晶子が抱っこ
している−めぐみちゃんが居る状況で、両親との再会が純粋に喜ばしいものじゃないと匂わせるような会話は避けたかったな・・・。
動物園からは既に出ていて、一旦宿に寄ってから地下鉄で京都駅に行き、続いて京都府警本部に向かっている。京都府警本部は京都御苑の西側程近い
ところにあるから、宿からは徒歩圏内。そもそも京都府警本部に向かうなら逆方向にある京都駅に行く必要はない。だが、めぐみちゃんを送り届ける前に
めぐみちゃんに渡すものを用意するために宿と京都駅に立ち寄った。
めぐみちゃんを保護、否、一緒に過ごしている間に色々な物を買い揃えた。1つは絵本。コンビニで急遽調達した『桃太郎』『赤頭巾ちゃん』『わらしべ
長者』の3冊を晶子と読み聞かせた時のめぐみちゃんの表情は、真剣でわくわく感が溢れていた。絵本の読み聞かせ自体めぐみちゃんの希望だったから、
絵本も十分プレゼントに値するものだろうから、絵本を置いておいた宿に立ち寄った。
もう1つは動物の写真。場所探しの結果行き着いた有名デパートの写真店でプリントアウトしたキリンとクマは既にめぐみちゃんの手にあるが、動物園に
戻ってから見たクジャクとペンギンの写真は携帯のメモリカードにデータとして存在するだけだった。このままだとめぐみちゃんが手に取って見ることは
出来ないから、大きく寄り道するのを承知で京都駅に向かった。
動物園の売店で買ったキリンのぬいぐるみも含めると、買い揃えたものは結構な数になる。写真店でプリントアウトの後に紙袋を買い、そこに写真と絵本を
入れてある。めぐみちゃんはキリンのぬいぐるみを抱っこし続けているが、おばあちゃんも来るし、両親も居るから誰が持つかの心配はしなくて大丈夫・・・と
思っている。
「めぐみちゃんのおばあちゃんって、どんな人?」
地下鉄のホームで電車を待つ間−警察からの電話はホームへの移動中にかかってきた−、晶子がめぐみちゃんに話を向ける。警察からの電話、それより
前の動物園を出るあたりからどうも気分が重くなりがちだから、話をするなら明るい話題を使う方が良い。
「おばあちゃんはね・・・、凄く優しい。めぐみが行くと凄く喜んでくれるし、遊んでくれる。」
「絵本読んでくれたりとか?」
「うん。めぐみが寝る前に絵本読んでくれる。おばあちゃんの家には本がたくさんあるよ。」
昨夜めぐみちゃんがTVを見るという選択肢を並行して出しても絵本の読み聞かせを迷うことなく選んだのは、おばあちゃんの家に居る時の感覚に近かった
せいかもしれない。大人の顔色を窺う必要がない過ごしやすさは、めぐみちゃんに必要なことだ。雑誌や漫画は含まない「本」がたくさんある家は意外と
少ない。読書を推奨する親が読書もしないし本を持っていないでは説得力が弱いのは確かだ。その点では、めぐみちゃんは読書好きになる可能性は割と
高い。
読書の習慣や本の所有の度合いは収入と関連性があるという調査結果を目にしたことがある。それはある意味自然なことだ。生活にまず必要な衣食住が
満足に満たせないのに、衣食住に直接役立たない本の所有に資金を回す優先度は下がるし、本を使う読書の習慣を根付かせる可能性もその分低下する
ことは容易に想像出来る。だが、収入が多い親が本を多く持って読書の習慣があるかと言えばそうでもない。日常会話のレベルでも様々な本を読んでのことと
分かるものは非常に少ない。あるのはどのメディアも取り上げるほどのベストセラーが出た時くらいで、恒常的に本を読んでいるとは思えない。
どの本を読むと教養の涵養が見込めるか、あるいは悪い影響を齎すからあの本は読むべきでないとは一概に言えない。ただ、学校の試験や入試や
就職時の面接で題材にされるのは国語の教科書に載る文学といわれるジャンルの本だから、社会的にはそういった本が読書の対象として公認されていると
言える。とは言え、文学に触れる機会は意外と短い。高校を出ると進学にしても就職にしても文学から縁遠くなる。大学や専門学校では専門課程に進むほど
その関連書籍を読む機会を増やさざるを得ないし、就職でもやはり関連分野の書籍に大きくシフトしてしまうというから、意識的に読むようにしないと途端に
縁のないものになっちまう。俺は文学部所属で読書好きの晶子がいるから、専門分野以外の本を読む機会が多いほうだ。
本を読まないとどうしても語彙が少なくなる。グローバルとかの掛け声で英語の重要性が叫ばれて久しいが、日本で生まれ育つ中で日本語で考えて読み
書き話す習慣が深く根付いている状態で、英語を日本語から完全に切り離して習得するのは難しい。どうしても日本語を介する必要がある以上、日本語を
使う基礎になる語彙を増やすために−英語でも単語を1つでも多く覚える必要があると言われるのと同じ−少なくとも高校辺りまでは本を読む時間として
国語を確保すべきだと思う。
「本をたくさん持ってるのは、お母さんと似てるな。」
「お母さんも本読むの好きなんだよね?」
「好きよ。お家でも読むしお仕事でも読むから。お父さんと違って専門的な難しい本じゃないけどね。」
以前晶子が所属するゼミの書庫を案内されたことを思い出す。ゼミの書庫とは言え本は天井近くまである室内に所狭しと並ぶ本棚にぎっしり詰まっていた。
ゼミの統括者である戸野倉先生の方針で専門の英文学以外の本も読むよう推奨されているとのことだが、本に囲まれる生活は読書好きでないとやって
られない。
晶子は自宅−最近はほぼ俺の家で読む本は日本の小説が殆どだ。色々なジャンルのものを読んでいるが、一番のお気に入りは俺と付き合い始めた頃
あたりで読み始めたというハードカバーの「Saint Guaridians」というファンタジーものだ。ファンタジー小説から連想する「豊富な挿絵」や「剣と魔法の世界」
「明確な勧善懲悪」というイメージから幾分ずれている変わった小説だ。
よく考えてみれば、文庫本での発刊のイメージがあるファンタジー小説でハードカバーというスタイルからして変わってるが、挿絵はないし、剣と魔法は健在
ながらもそれらがぶつかり合う戦闘の場面はかなり少なく、勧善懲悪の色が薄い代わりに設定がかなり複雑で、読者にまず作品世界への順応を勧奨して
いる。以前はかなりの勢いで新刊が出ていたが、最近は滞り気味なのが晶子は物足りなさそうだ。
電車到着のアナウンスがホームに流れる。遠くから電車の走行音が輪郭をぼかして聞こえてくる。この電車−地下鉄烏丸線国際会館方面への電車に
乗れば、俺と晶子が親代わりを務めたあっという間だった1日の終わりがぐっと近づく。晶子は…大丈夫だろうか?情が移り過ぎてなけりゃ良いんだが…。
丸田町の駅出口から外に出る。丸1日を経て再び眼前に広がる京都御苑は深い緑を湛えている。昨日新婚旅行の終日行動1日目が始まって、最初に
訪れたのが此処。そしてめぐみちゃんと出会って一緒に両親を捜し、そのままめぐみちゃんの親代わりをすることになった場所でもある。
「此処って…、お父さんとお母さんと会った場所だよね?」
「そうだ。此処を出発点にして1日かけて京都市内をぐるっと回って来たってところだな。」
めぐみちゃんにとっても京都御苑は今回の出来事で強い印象を伴って記憶に焼きついた場所になっただろう。…実の両親に置き去りにされて、たまたま
出くわした旅行者の俺と晶子が親代わりに保護されることになったんだから。
昨夜京都府警の神田という人からの電話で教えてもらった京都府警本部への道のりは憶えている。丁度丸田町駅の出口辺りがスタート地点だし−念のため
京都御苑の、最初の目印になる「下立売」という交差点は、道路標示に早くも登場している。このまま京都御苑の壁沿いに北上して、次の信号で左折すれば
良い。
「めぐみちゃん。手まり唄一緒に歌おうっか。」
「うん。」
晶子がめぐみちゃんに持ちかけたのは、昨日宿に帰る道中でも歌った京都の手まり唄を歌うこと。駅から出て最終目的地に大きく近付いたことでどうも暗く
なりがちなところに、晶子が上手く気分の切り替えを図ってくれた。こういうことがスムーズに出来るのは晶子ならではだ。
隣で晶子とめぐみちゃんのやや不揃いな、でも聞いていて微笑ましくなる手まり唄を聞きながら、俺は誘導役として京都府警本部への道のりを進む。道が
垂直に交わっているのは1つ間違えると大きな迂回を迫られる可能性も孕むが、大きな交差点を主な目標にして進むと迷いにくいメリットがある。今の
大規模な住宅街も道路が東西南北に水平あるいは垂直に走るように作られているのも、遡ればこの京都や近くの奈良を参考にしているのかもしれない。
「下立売」交差点に差し掛かる。見上げると道路表示には「京都府警本部」の文字と西方向にまっすぐの矢印がある。クリーム色に少し紅が差している西の
空に聳えるシルエット…。あれが京都府警本部だろうか?
信号が変わるのを待って、晶子とめぐみちゃんを誘導するように交差点を渡る。晶子は意識的に前をまっすぐ見ない。俺は教えていないが−道は俺1人で
大丈夫と思ったため−、晶子は京都府警本部に近付いていると感じているんだろう。京都府警本部到着がめぐみちゃんとの別れの時でもある。もしかすると
本当の母親以上にめぐみちゃんを可愛がっていた晶子の気持ちは分かるだけに、現実を見ろと突き放したことは言えない。
交差点を渡って道路を西進するとすぐ、警察本部と分かる建物が見えて来た。歴史の長い大学の建物を彷彿とさせる、何処か人を寄せ付けない雰囲気を
醸し出す建物。此処がめぐみちゃんの両親が保護されている場所であり、めぐみちゃんの親代わりを務めた俺と晶子の最終目的地か。
「此処ですね?」
「ああ。…中に入ろう。」
「はい。」
晶子とめぐみちゃんの表情はやはり硬い。さっきまでたどたどしくも楽しげに流れて来た手まり唄がピタッと止んだのもあって、沈黙が余計に重苦しい。ここで
気分を和らげられるような大層な話術は持ち合わせていない。
京都府警本部の敷地内に入る。都道府県警本部に入るのは勿論これが初めてだ。「テロ対策特別対策実施中」の垂れ幕がかかっている建物の正面入り口
らしい大きなドアへ向かう。警察官の姿は敷地内にはあまり見えない。駐車場にはパトカー数台と同じ塗装のワゴン車の他は普通の車が多く停まっている。
これは新京市の警察署と変わらない。
建物の中に入る。中は意外と普通のオフィスだ。普通のオフィスと違うところは、制服警官が多くいるところだ。警察署だから当然だが、普段これだけ
たくさんの警察官を見ることはないから、結構驚きだ。さて、府警本部の建物に入ったは良いが何処へ行けば良いやら…。すぐ近くに受付があるから、そこで
聞くのが一番早いな。あまりきょろきょろしていると場所が場所だけにそのまま取り調べ室へ連行される羽目になりかねない。
「すみません。」
「はい、どういったご用件でしょうか?」
受付にいたやや年配の男性警官の口調は、これまた意外と丁寧だ。ちょっと戸惑ってしまうが、気を取り直す。犯罪を犯して出頭しに来たんじゃないん
だから、堂々としてないと無意識に挙動不審になっちまう。
「こちらで拘…保護されているご夫婦のお子さんを連れて来たんですが、神田さんという刑事さんはいらっしゃいますか?」
「ああ、では貴方方が安藤さんご夫妻ですね?」
「はい。」
俺は懐に手を入れて、免許証が入ったカードケースを広げて見せる。俺は車を持ってないから免許証を携帯する必要はないが、こういう場合最も確実な
身分証明書になる。
「確認しました。ご協力ありがとうございます。神田に繋ぎますので、そちらにかけてお待ちください。」
免許証を返されて、受付向かい側に張る長椅子を案内される。警官は内線で神田という人に連絡を取っている。どれくらい時間がかかるか分からないから、
素直に座って待つとするか。
「めぐみちゃん。此処に座ろうね。」
「うん。」
晶子は浮かない程度に明るくめぐみちゃんに言う。俺は晶子とめぐみちゃんを真ん中にして座る。長椅子は俺と晶子には丁度好い高さだが、
めぐみちゃんは曲げた両足が両方床から浮いてしまう。警察署の中で大きなキリンのぬいぐるみを抱っこしているめぐみちゃんは、今どんな気持ち
なんだろうか。
「安藤さんですね?」
暫くして芯の太い男性の声がかかる。角刈りでスーツ姿のいかにも刑事かあるいはヤクザという風貌の男性が居る。多分この人が昨日と今日の電話の主で
ある神田という人なんだろう。俺は席を立つ。
「はい。安藤です。」
「私、京都府警生活安全部の神田と申します。」
名乗った神田さんは懐から警察手帳を広げて見せる。俺は一旦仕舞った免許証を再び取り出して見せる。
「ご丁寧にどうも。お連れの方は奥さんとお子さんですね?」
「はい。妻と子どもです。」
緊張で硬さを隠せない−無理もないが−晶子が立ち上がって一礼する。
「立ち話もなんですので、どうぞこちらへ。」
風貌から来るイメージとは違い、神田さんの口調は丁寧だ。俺達が犯罪者じゃないからこんな応対なのかもしれないが。ともかくめぐみちゃんの両親に対面
出来そうではある。俺は緊張を和らげるためかぬいぐるみを強く抱きしめているめぐみちゃんに席を立つよう促す。椅子から少し飛び降りるように降りた
めぐみちゃんの手を晶子が取る。神田さんはそれを見て踵を返す。俺は晶子とめぐみちゃんを先導する形で後に続く。
「こちらが指定した時間までに来ていただいて、ありがとうございます。」
廊下を歩いていく中、神田さんが言う。
「お子さんの祖母も安心していましたよ。」
「おばあさんは既に来ているんですか?」
「ええ。身柄引き渡しの手続きのために、安藤さんより先に来ていただいています。」
俺と晶子は一時保護していためぐみちゃんを送り届けに来たから少し待ったくらいで済んだが、めぐみちゃんのおばあちゃんはそうもいかないだろう。
詳細は知らないが、本人確認やら書類の作成やら押捺やらすることは多いはず。おそらく昨夜連絡が入っただろうが、息子あるいは娘夫婦を引き取りに京都
府警本部に来た心境は驚きやら当惑やら、更には怒りやら落胆やらで穏やかなものになる要素がない。
そんな中、たまたまめぐみちゃんと出くわした単なる旅行者にすぎない俺と晶子がそのまま1日親代わりをしたことも、気が気じゃなかったんだろう。息子
あるいは娘夫婦が警察に拘留されただけでも衝撃的なところに、見ず知らずの俺と晶子が保護していると知ればめぐみちゃんの安全が気になって、それこそ
夜も眠れなかっただろう。勝手を知らない京都市内を彼方此方行き来して時間厳守で京都府警に到着したことが、おばあちゃんの心を少しでも軽く出来た
なら十分だ。問題の夫婦と共にそのおばあちゃんとも対面と相成るのか…。対面を喜べる状況じゃないのが残念だ。
「こちらです。どうぞ。」
案内されたのは、長い廊下の中ほどにある1室。神田さんがドアを開けると小ぢんまりしたやや殺風景な会議室のような内装と、並んで座って項垂れている
男女、その向かいに髪を上でまとめた女性らしき人物が目に飛び込んでくる。
「おばあちゃん!」
「!めぐみ?!」
それまで押し黙っていためぐみちゃんが、背中を向けた形で座っている人物に呼び掛ける。人物は振り返ってめぐみちゃんを見ると絶句する。この人が…
めぐみちゃんのおばあちゃんか?フレームの細い眼鏡をかけてスーツを着た女性は、「おばあちゃん」からイメージする年齢よりかなり若そうだ。
「良かった…。」
おばあちゃんはめぐみちゃんに駆け寄り、その場に屈むや否やしっかり抱きしめる。本当に心配していたんだろう。暫く無言でめぐみちゃんを抱き締めた
後、おばあちゃんはめぐみちゃんを抱きしめたまま顔を上げる。
「貴方方が…めぐみを預かっていてくれたご夫婦ですね?」
「はい。安藤祐司と言います。」
「妻の晶子です。」
「申し遅れました…。私、めぐみの祖母の高島と申します。」
名乗ったおばあちゃんは気を取り直した様子で膝を伸ばす。身長は晶子と同じくらいだが、醸し出す雰囲気は「おばあちゃん」とは異質のものだ。
それどころか普通の主婦という様子でもない。やや年配のキャリアウーマンといった風貌だ。
「このたびは孫と娘夫婦が大変お世話になりました。代わって御礼申し上げます。」
「いえ。」
めぐみちゃんの両親は高島さんの娘夫婦か。言われて見れば母親の方は何となく似ているな。
「娘夫婦の引き取り手続きは済ませてあります。…安藤さんご夫妻は少しお時間よろしいでしょうか?」
場所を変えて一言礼を言いたいんだろうか。意思確認のため晶子を見やると、小さく頷く。
「はい、かまいません。」
「重ね重ねありがとうございます。」
改めて見るめぐみちゃんのおばあちゃんは、服装も相まって凛とした雰囲気だが、疲労の色がにじみ出ている。娘夫婦にかかわる突然の警察からの
呼び出し、更に孫の身の安全への不安が重なれば無理もない。平静を保っていられる方が凄いと言うべきだろう。
「後は高島さんにお任せすれば良いですかな?」
「ええ。神田さんにもお世話になりました。」
おばあちゃんこと高島さんは神田さんに一礼する。どうも話しぶりからして何らかの面識がありそうだ。警察と面識があるっていうと…何だろう?
「分かりました。…君達。」
神田さんの口調が俄かに険しさを増す。その厳しい視線は項垂れたままの男女−めぐみちゃんの両親に向けられている。
「昨日からの話でもあったとおり、今後はくれぐれも注意するように。」
「…はい。」
両親の返答は少しの物音で簡単にかき消されそうなほど小さい。昨日京都御苑の管理事務所で見せたあの威勢の良さも、府警本部「次はない」と厳重
注意を受けては見せられないか。力なく席を立つ様子から、一晩かけて相当絞られたと分かる。
良い気味とか少しも思わない。それより情けないという気持ちの方が強い。見ず知らずの他人の前で大声で罵り合いや責任の擦り付け合いに終始し、訴える
だの何だのと威勢の良いことを言っておきながら警察沙汰になるや否や小さく縮こまった姿は、めぐみちゃんにはどう映るだろう。これで心底改心してくれる
ことを願うしかないのがやりきれない…。