雨上がりの午後

Chapter 178 明日に向かいて今語らう

written by Moonstone


 面子とはこれまでどおり18:00に宿で合流。
スキー場は意外に空いていて、混雑を回避するためにと中級者用コースで滑っていたのもあって、思う存分滑れたそうだ。
 俺と晶子はスキー場を出た後、これまでと同様に町内観光。
雪は時折降ったが屋根の白い化粧を薄く上塗りする程度で、古い建物で構成される町並みや、そこで生きる人々と観光客らしい年配の人々のゆったりした
時間を楽しんだ。
 スキー場を出てから、スキー場でのイベントやその後宮城と会ったことに関しては、どちらからも一切話題に上らなかった。
今日は主に町の西方面を歩いてその風情ある雪の中の風景を楽しんでいたのもあるし、わざわざ話を蒸し返して反省や批判をすることで気分を壊したくないと
いう思いもあった。
晶子も気分を切り替えたようだし、それを実践するにはその話題に触れないことが最も賢明だと踏んだんだろう。

「そうか。祐司と晶子さんもあのイベントに行ったのか。」

 夕食の席で耕次が切り出した。

「『も』ってことは面子も行ったのか?」
「スキー場に入った時何か準備しているのは見たが、気にも留めずに中級者コースに行ってスキーを始めたからな。渉が滑り降りた時が丁度イベントが始まった
ところだったんだ。」
「どんなもんかと思って見に行ったら、BURST HEARTとかいうバンドの屋外ライブだった。客に話しかけられる雰囲気じゃなかったからスキー場の従業員に話を
聞いて、スキー場に入ったら誰でも見られるって知ったから、祐司に知らせたんだ。スキーをするかしないかは兎も角、興味があるんだったら来て見ろ、ってことで。」

 耕次の回答に続いて渉が詳細を言う。面子も見に行ってはみたようだ。
広大なゲレンデの一角に大きな人垣が出来ていれば嫌でも目に付くし、歓声が上がっていれば何をしているのか興味が沸くのも自然だろう。

「そう言えばさ。最初に聞いた時は音がかなり割れてたけど、昼過ぎに聞いた時には出力が結構フラットになってたよな。」
「ああ、確かに。午前中は低域が薄いのに高域がやたら強くて、はっきり言って耳障りだったな。昼過ぎに聞いた時は良い感じになってたが、どうせするなら
最初からしておけばいいものを。」
「屋外は初めてなんじゃないのか?」
「ざっと見て200人くらいは居た。こんな奥地で、しかも真冬に屋外ライブをするようなインディーズの追っかけにしては多過ぎる。バンドは結構場慣れしてる筈だが、
スタッフの質に問題があったんだろう。新人をいきなり使ったか。で、端から聞いててもう駄目と見切って交代したってところじゃないか。」

 話が音の話題に移る。宏一の話題提起に始まって、勝平が批判的な見解を言い、宏一の推測に続いて耕次が推測を言う。
面子もやっぱりあの出力バランスが気がかりだったようだ。俺が聞いていてもそう思ったんだから、同じだけ音楽活動を共にしてきた面子が気付かないわけがない。
 俺達もライブをする前には場所に応じて出力を色々工夫した。場所は視聴覚室を皮切りに、観客が多くなってきてからは体育館を「本拠地」にした。
言うまでもなく視聴覚室と体育館とでは大きさが全然違う。全員が交代しながら音をチェックして、全員が最適と思える条件で始めた。
 屋外でライブをする時はもっぱら文化祭の時だったが、これもまた全員でのチェックを念入りにした。
前日に全ての楽器を外に出して実際に音を出し、低域から高域まで十分出ているかどうか確認した。
俺達バンドのメンバーは5人だけ。ミキサーなどのスタッフは居やしない。自分達の耳が頼りだった。
場所に応じた音の出し方を確認することは、人に聞かせる側として当然すべきことだと思っていた。
 だが、宮城が就職した芸能プロダクションではあまりそういうことをしていないようだ。
俺達アマチュアでもしていたことを誰かに指摘されるまでしなかったというのは、正直言って意外と言うより怠慢だと思う。
プロってああいうもんなんだろうか。ちょっと引っ掛かるものがある。

「いっそ俺達が乱入してやっても良かったかもしれないな。」

 勝平が言う。悪戯心がうずうずしてるんだろう。

「生憎キーボードがなかったから俺は裏方に回って、他でステージをジャックする。キーボードなしの曲はないが、誤魔化せないこともない。結構いけたんじゃないか?」
「それであのバンドより人気が出たらどうするんだ。」
「それもまた一興。プロとアマの境界線なんて何処にあるか分からない。ファンがそこそこ居て出すCDがそこそこ売れる、ってことをプロと定義するなら、
意外に可能性があるかもしれない。」

 結構勝平は本気だったようだ。
俺達の腕が所謂プロからしてどう見えるのかは分からないが−コンテストとかにエントリーしたことはない−、案外あっさりプロデビューしたミュージシャンも居る。
意外なところにきっかけは落ちているものなのかもしれない。

「去年のスクランブルライブは良かったよな。」

 耕次が感慨深げに言う。
あれは準備中こそちょっと人目が気になったが、いざ開始してしまえば気にならなくなった。気付いたら物凄い人垣が出来ていて大盛況。
成人式の関係者との応酬は、それこそ高校時代の生活指導の教師とのやり合いとほぼ同じだった。

「そう言えば晶子さんは知ってますか?去年祐司が帰省したのは、俺達との約束を守るためだったってこと。」
「はい。先に祐司さんから聞いてました。見られるものなら見たかったです。」
「あー、その時そこまで気が回らなかったな。祐司に言っておけば良かった。」

 晶子とやり取りした耕次は残念そうな顔をする。
俺の方は、父さんと母さんが晶子との電話で好感度をぐっと高めて、写真を持ってないことを頻りに残念がっていた。連れて来ても出迎えるつもりになったようだ。
どこに晶子を寝かせるつもりだったのか−今でもそうだ−分からないが、もし連れて行ったとしたら、あのライブを直に見せられただろう。そう思うと惜しい気がする。

「去年で思い出したけど・・・。」

 今度は渉が切り出す。

「去年帰省した段階では、まだ晶子さんと2人で写ってる写真を撮ってなかったのか?」
「ああ。今年・・・じゃなくて、去年の春まで撮ってなかった。別に深い理由はない。写真を撮ることを思いつかなかっただけだ。」
「実家にはその写真を送ったのか?」
「否、送ってない。考えもしなかったな、そんなこと。」
「写真より本物の方が良い意味でのインパクトもあるから、どうせ知らせるならそっちの方が良いかもな。」
「そうだな。」

 渉の言いたいことは分かる。この旅行の帰りに晶子を連れて実家に立ち寄ったらどうか、というものだ。
写真を送るより「彼女が井上晶子」と本物を見せた方が、肉声も伝わるしインパクトもある。
寝る場所がないことを理由に顔見せだけして引き上げるのも1つの手ではある。
あらかじめ電話を入れておけば、夕食ぐらいは一緒に出来るだろう。それだけでも単なる顔見せだけより交流が深まって良いかもしれない。
 考え時だな。否、もう決めないといけない。この町を出るのは明後日。2日なんてあっという間に過ぎてしまう。
現にこの町に入ってから今日で4日目になるが、「もう4日も経ったのか」という気持ちの方が大きい。このままだと何も決めないまま帰り支度、ってことになっちまう。
 幸か不幸か、何時でも実家と電話出来る道具を持っている。極端な話、夕食が済んでから部屋に戻って電話をかける、というのもOKだ。
親も今日何度電話しても出ないことを変に思っているかもしれない。その説明も兼ねて「帰りに晶子を連れて寄るから」と言えばそれで済む。
だが、その決断に踏み切れない。進路の問題という厄介なものが控えているからだ。あれさえなけりゃな・・・。

「皆はこの旅行の後どうするんだ?」
「俺は実家で1泊してから大学に戻る。大学が始まるとほぼ同時に自治会の委員長選挙があって、それの応援とかあるから。」
「俺は実家から通学だから、家でごろ寝だな。」
「俺は大学が始まる前日に向こうに戻る。それまでは実家で呆け三昧ってところか。」
「俺は合コン参加。」

 俺の問いへの耕次、勝平、渉の順での答えは順当だったが、宏一で思いっきり躓いた。
此処でスキーがてら女引っ掛けて−どっちが本当の目的だったのかは未だ定かではない−戻ったら合コンとは・・・。
ここまで来ると、呆れるを通り越してそのエネルギッシュなところに拍手をすべきかと思う。

「合コンってお前、伝(つて)はあるのか?」
「あるから言うに決まってるじゃねえか。」
「ま、それはそうだが・・・。菜花学院大学か聖泉女子大学あたりか?近場だと。」
「耕次、正解。同窓会兼ねて盛大にやることになってる。」
「・・・大したもんだな。」
「まあな。」

 皮肉が篭っていると俺でも分かる耕次の言葉なんて、宏一は全く意に介さない。それどころかその横顔は誇らしげでさえもある。
高校時代の宏一の女好きは俺も良く知ってるが、大学に入って益々パワーアップしたように思えてならない。

「良かったですね、晶子さん。出逢ったのが宏一じゃなくて。」
「どういう意味だよ、耕次。」
「こいつに引っ掛かったら24時間365日浮気の心配してなきゃなりませんし、ましてや帰省とかで離れたら、ずっと携帯繋いでないと駄目ですよ。」
「おいおい耕次、そりゃないだろ?人を浮気者みたいに・・・。」
「じゃあ、去年引っ掛けた女の名前を10人言ってみろ。」
「えっと・・・。」
「考える時点でもうアウトだ。それで浮気しない、なんて信用が得られると思ってるのか?」

 こういうやり取りになったら耕次が俄然強い。宏一は完全に沈黙して夕飯に切り替える。
まあ、宏一も思い当たる節があるんだろう。高校時代の前科を踏まえるとない方がおかしいかもしれない。

「実際、晶子さんは祐司と離れていて寂しいとは思っても、浮気してないかどうかと気を揉んだことはないでしょう?」
「はい。一度もありません。」
「祐司と付き合うなら、少なくとも祐司の浮気は心配しなくて良いですよ。逆に、疑ったりするのは祐司の方ですから。」
「それは分かってます。」

 晶子のはっきりした答えで、俺は去年の事件を思い起こす。
晶子と田畑助教授との接近の話を智一から聞いて、それを目の当たりにする度に疑り深くなって、最悪のタイミングで「現場」に出くわしてしまったことで
自ら関係断絶を告げたことだ。
 もてるもてないで言えば後者に属する俺は、何らかのきっかけで信用することより疑うことに重点を移しやすい。
これから社会人になると更に人間関係が広がる可能性がある。となれば尚更相手を信用することを常日頃から心がけていかないといけない。日々鍛錬、ってところか。

「質問ばかりで恐縮ですが、晶子さんは一昨年から祐司と付き合い始めたんですよね?」
「はい。」

 今度は勝平との問答が始まる。

「一昨年は一緒に過ごしたみたいですけど、去年は俺達との約束があって祐司は帰省したのは知ってると思います。その間晶子さんはどうしてたんですか?」
「ずっと今住んでいる町に居ました。年末年始はバイトでお世話になっているお店のマスターご夫婦の厚意に甘えて泊めてもらってました。」
「その間、祐司とは毎日1回程度の電話だけだったんですか。寂しかったでしょう。」
「祐司さんは皆さんとの約束がありますから帰って来てくれ、とはとても言えませんでしたけど、祐司さんが居ない時間は短いようでやっぱり長かったですね。
帰って来てくれた時は本当に嬉しかったです。」
「晶子さんは一度も帰省してないんですか?」
「そのつもりはありません。」

 晶子の返答に今までより心なしか力が篭る。やっぱり実家には余程のことがない限り戻るつもりはないらしい。
兄さんとの距離を作られたことで生じた両親との確執は相当深刻なようだ。
他所の家庭の事情に口出しするのは憚られるが、出来れば関係修復に持っていってほしいところだ。

「となると、この先祐司との半同居生活の比重が益々大きくなることになるな。晶子さんも当然ありますけど、祐司にも卒論がありますからね。色々カバーして
やってください。」
「それは十分承知しています。学業の負担は祐司さんの方が圧倒的に私より大きいですから、出来る限り私がサポートしていきます。祐司さんは私と違って
バイトで生活費を補填する必要がありますから、身体を壊さないように、特に食事に配慮するつもりです。」

 ありがたいのは勿論だが申し訳なくも思う。
晶子も講義やレポートがあるのに、俺の食事とかの面倒を見てくれている。
自炊は早々に投げ出して早3年になろうとしているからあまり詳しくは憶えていないが、ご飯が茶碗に乗って出て来るまでにも随分色々手間がかかるものだと悟った。
 晶子はそれを毎日している。後片付けも怠らない。1日全体から見れば割と短いその時間も積み重ねれば馬鹿にならない筈だ。
それをレポートや休息にまわしたいと思っても何ら不思議じゃない。現に俺はそうだ。
晶子が全面的にサポートしてくれる以上、俺は自分のすべきことを完遂しなければならない。それが幾らかでも晶子への恩返しになるだろう。

「良いよなぁ、祐司は。美人の上に世話好きの嫁さん捕まえられて。」

 隣で宏一がぼやく。

「大学の中は金持ち私学の奴らに目が行ってるし、大学の外じゃ俺の大学の知名度で寄って来る奴らが大半だし、そういうのに限って食いついたらなかなか
離れないんだよなぁ。」
「ピラニアだな。否、ヒルか。」
「ああそうそう、耕次の言うとおりヒルって言った方が良い。女の時代とか男女平等とか言ってるけど、結局稼ぎが良くて自分に優雅な生活とステータスを
保障する男を求めるっていうその手の女の心理は、バブル経済時代からしっかり名を変えてそのまま推移してやがるんだよ。」
「それは、宏一が此処に来た第1日目に引っ掛けて飲み会に誘った女達にも見えてたな。集団心理と形而上のフェミニズムが混濁した、最悪の事例だ。」

 耕次と宏一との間で交わされる話は、俺自身目にしたものも含まれているせいか随分生々しく聞こえる。
飲み会の女達の言葉はまさに耕次と宏一の言うとおりのものだったしな。
 高校時代から急進的なことで名を馳せて、特に生活指導の教師との対峙の先陣に立って来た耕次と、女好きでいい加減なところからは意外に映る知的さを持つ宏一。
普段を見ている限りでは対照的な2人が3年間同じバンドのメンバーとして行動を共に出来たのは、素面でこういう話が出来ることもあると思う。
酒の席でなら「酔った勢いで」っていう正当化や言い逃れが出来るからな。

「それを逆手にとって落としたつもりだったけど、食べるだけ食べられて飲むだけ飲まれて逃げられた、ってところか。」
「祐司、正解。したたかって言うか狡猾って言うか、そういうところもバブル経済時期のものがそっくりそのまま推移してる。」
「バブルの頃は就職が売り手市場だったが今は買い手市場だから、いざ結婚そして生活って流れに持ち込むまでの手段をより確実なものにするために、やり方が
より巧妙になってるとも言えるな。」
「『価値観の多様化』とか言ってる一方でその年齢層をターゲットにしたファッション雑誌とかでは人目、特に男の目を引くようなものを繰り返し取り上げて、
海老で鯛を釣るやり方もバブル経済時期のものを今時期のものに焼き直してる。取材先と抱き合わせで記事を編集してる構図が変わらない限り、内容が変わることは
ありえない。」

 俺の推論に続いて、勝平と渉も参入する。
勝平も渉も耕次や宏一のように口数は多くないが、言う時は言う。
バンドのコンサートに乗り込んで来た生活指導の教師達との戦いの先陣に立ったのは勿論耕次だが、耕次に任せきりじゃなくて、時には俺や勝平や渉、そして
宏一も加わった。そういう結束力では形だけのクラスメートには負けなかったつもりだ。

「皆さん、しっかりした考えをお持ちですね。」
「普段は先頭を走ったり脇役に徹したり、女引っ掛けたりしてますけど、いざって時の団結があったからこそ、3年間ずっと同じメンバーで、しかも受験直前まで
バンド活動を続けてこられたと思ってます。」
「先生の目とかが厳しかったでしょうけど、楽しかったでしょうね。」

 晶子の口調に少し寂しさが篭る。・・・晶子は大学に入るまであまり良い思いをしなかったんだったな。
晶子は自分から話さないから詳しくは聞いてないが、髪が茶色がかっていることで目の敵にされて、大学生になってようやく偏見から逃れられたと言っていた。
それと比較して、俺達面子の思い出豊かな高校時代が羨ましく思えて、同時に自分の高校時代の思い出が寂しく感じるんだろう。
 晶子が俺との時間に殊更生き甲斐を見出すのは、孤独だった今までの時間の分も取り返すという強い意志があるからだろう。
仲が良かった兄さんとの間に距離を作られたことに反発して大学を入り直し、両親の元を出て単身今の町に移り住んだは良いが、更なる孤独を感じることにもなった。
その反動がその兄さんに瓜二つという俺への強い興味となり、やがて愛に変貌した。・・・こんなところか。
 晶子は今まで、自分が過去に味わった辛い思いをあまり話さない。
大学での生活となると俺の評価が低かったことに不満を言ったことはあるものの、弱音を吐いたことはない。
俺に負担をかけまいと心の奥に仕舞いこんでいるのかもしれない。そうでなくても晶子が今もこれからも幸せで居られるように、俺がしっかりしないといけない。

「帰省するつもりがないのなら、祐司にくっついてれば良いですよ。祐司は相手が自分から離れるのは時に必要以上に警戒しますけど、くっついている分には
邪魔に思ったりしませんから。」
「そのつもりです。」

 耕次の助言に晶子は即答する。
やっぱり俺が帰りに実家に寄ると言い出せば、ついて来るのは間違いない。
「父さんと母さんに一度紹介したいから来てくれないか」と一言添えればOKが返ってくるのは確実だ。
俺の決断次第で旅行からの出来事が大きく変わって来る。当日成り行きで決める、なんてのは出来ないから今から考えておくべきだな、やっぱり。

「祐司。早速本題に入るが、今のところどうするつもりなんだ?」

 夕食が済んでから全員揃って温泉に行き、閑散とした感のある湯船に浸かったところで、耕次が話を切り出して来た。

「・・・進路の問題がなければ迷わず実家に寄るんだけど、今はそうじゃないから迷ってるんだ。正直・・・。親、特に母さんが頻りに公務員を勧めてるから、
実家に立ち寄ったついでにごり押しされたらかなわないしさ・・・。」
「親の世代はまだ公務員への幻想が根強いからな。公務員なら万事安泰ってやつが。実際はそうじゃない。定員や予算の削減で少しずつでも上がっていく筈の
収入が早い段階で高止まりしたり、地方なら市町村合併でいきなり外郭団体に飛ばされたり、国家なら昇進や昇給と引き換えに全国を転々としなきゃならなかったり、
色々問題がある。自分1人ならそれこそ身一つでどうにでも出来るだろうが、晶子さんと一緒となるとそうも言ってられない。そんなところだろ?」
「ああ。念のため言っておくけど、晶子が一緒に居ることを邪魔だとか重荷に思うとかいうことはまったくない。ただ、俺の都合で彼方此方引っ張りまわされて
晶子はそれで良いのかって思ってな・・・。晶子も仕事を持って別居するのが必ずしも良いとは思わないけど、大学卒業と同時に一緒に生活したいと思ってる
くらいだから、わざわざ距離を置きたくないからな。」
「今回ばかりは祐司の背中を押すだけじゃすまないな。祐司と両親の性格を考えると、攻防戦になった時には祐司に不利になる可能性が高い。祐司とて公務員
志望ってわけでもないのに親の勧めで就職、ってのも納得いかないだろうし、俺達も背中を押すだけ押して後はどうにかしろ、なんて無責任なことは言えない。」

 俺は溜息を吐く。俺が懸念している事態は全て耕次が代弁してくれた。
俺が親のごり押しに対抗出来れば問題ないんだが、親の押しの強さというのか、そういうのにはすこぶる弱い。元々押しに弱いのもあるが。
 晶子を紹介するだけしてさっさと退散する、という手も考えられるが、それで親が納得するとは思えない。
「夕飯ぐらい食べていきなさい」と引き止められたらごり押しされる土俵に乗ったのも同然。夕食の席で進路の話を持ち出されてそのまま公務員方向に押し切られる
可能性が高い。

「だが、実家に寄らなかったら寄らなかったで何か言われる可能性もあるな。」

 今度は渉が推論を言う。

小宮栄は祐司と晶子さんが住んでる新京市と、祐司や俺達の住んでる、若しくは実家がある麻生市方面への分岐点だ。此処奥平スキー場からの帰りなら、
必然的に小宮栄を通る。その上晶子さんを連れていたと分かれば、どうして寄らなかったのか、ってなって、祐司の両親のどちらかが新京市の祐司の家に乗り込んで
くるかもしれない。電話じゃ話にならないからってことでな。」
「いっそ、此処に旅行に行ってたってことを言わなきゃ良いんじゃねぇか?」
「それで済むなら良いが、祐司。お前の家の電話機って留守電機能ついてないだろ?」
「ああ。今時珍しい電話しか機能のないやつだ。」
「それで、この年末年始に帰省しなくて大学もバイトも休みの祐司が電話をかけても出ないってなれば、何れ祐司が電話に出た時問い詰められるだろう。何処に
行ってたのか、ってな。そうなったら祐司に不利だ。」
「確かに・・・。祐司の母さん、見かけによらず怖いからな。」

 渉の推論に、高校時代俺の母さんに長く睨まれた経験がある宏一は納得する。
このところ週1回以上のペースで電話がかかってくる。今年は去年以上に帰省を強く促されたところをどうにか回避して、耕次からの電話でこの旅行に晶子を加えて
参加したという経緯がある。
本来なら家くらいしか居るところがないし、行く場所も思いつかない俺が年末年始に何度電話をかけても出ないとなれば当然訝るだろう。
 行くのも問題、行かないのも問題、か・・・。
電話のケーブルを引っこ抜けば電話は鳴らなくなるが、そうしたらそうしたで今度は幾らかけても通じない、ってことで乗り込んで来るだろう。
それで電話のケーブルを引っこ抜いたことが分かったら大事になるし、余計に話がややこしくなる。ある意味これって究極の二者択一なんじゃないだろうか?

「・・・何れ連れて行くんだったら、ある意味今回はチャンスかもしれないぞ。」

 慎重論でまとまりつつあったのに待ったをかけたのは、勝平だ。

「法律上では結婚に親の承諾を得る必要はないが、実際一緒に生活を始めるとなると祐司が今住んでるところじゃ狭いだろうし、晶子さんのところも
そう変わらないだろう。だから2人が暮らせるアパートなりなんなりを新たに探さないといけない。その時保証人が必要だから、どちらかの親に頼むことになるだろう。
親としては、晶子さんには失礼な言い方になるが、何処の馬の骨とも分からない女と一緒に生活するなんて、言われて直ぐにはいどうぞ、とは心理的に言い辛い
だろうから、その前準備として行った方が良いんじゃないかと思う。」

 勝平の言うことには説得力がある。
確かに俺の家で2人一緒に暮らすにはどうにも狭過ぎる。かと言って晶子の家もさほど広いわけじゃないし、そもそも女性専用マンションだから俺の入居が出来ない。
となると別にアパートなり何なりを新たに借りないといけない。
賃貸住宅を借りるにはどうしても保証人が必要だが、マスターや潤子さんに頼むのも気が引ける。親に頼むのが妥当な選択肢だ。
 だが勝平の言うとおり、結婚するから保証人になってくれ、いきなりと言われても困るだろうし、いきなり何を言う、と反感を買う可能性もある。
だったらその前哨戦という位置づけで、今回の旅行の帰りに立ち寄って顔見せくらいはしておいた方が良いだろう。
地ならしと言うのか事前の根回しと言うのか、そういうことだ。

「勝平の言うとおりかもしれないな。」

 耕次が賛同の意思を示す。

「大学卒業と同時に結婚とまでいかなくても、一緒に暮らすとなればどうしても新規にアパートなり何なりに入居しないといけないだろう。その際保証人は
勿論だが、敷金や礼金と言ったものが必要になる。晶子さんの貯蓄がどのくらいあるのかは知らないし教えろとは言えないが、敷金は家賃一月分が相場だし、
不動産屋に払う仲介料も必要だ。晶子さんも協力はするだろうが、バイトで生活費を補填してる祐司がそんな多額の金を支払える余裕があるとは思えない。
だとすると、今から下準備をしておいた方が良いだろうな。相手の顔とかを知ってれば、祐司の両親の理解もそれなりに得やすくなるだろうし。」

 あれこれ金を使う機会がなかったこともあって、俺の貯金は4年の学費を払えるだけは貯まっている。だが、敷金とかそういうものまで払えるかどうかは
確かめる必要があるがあまり自信がない。
敷金とかは入居して後で払う、という手段は通用しないから、どうしても資金がそれなりに必要だ。
 まさかローンに手を出すわけにはいかない。
金利を考えると結局自分で一括払いした方が圧倒的に安上がりだし、借りる先を間違えると一緒に生活どころじゃなくなる可能性もある。
そういった余計な危険を回避することと資金の供給源を確保することを考えて、少なくとも晶子との対面を希望している俺の両親と晶子を会わせておいた方が
良いと言える。
 マスターと潤子さんがどうやって今の場所に土地を買って店を建てたのかは知らないが、少なくとも潤子さんの実家の協力は得られなかった筈だ。
潤子さんには、マスターと結婚することで親とトラブルになって勘当されたという経緯がある。実の娘とは言え勘当した相手に資金とかを援助するとは考えられない。
マスターと潤子さんは特殊な事例と考えて、親から同居のための資金援助を得る下準備をしておくのが無難ではある。

「婚姻は両性の合意によってのみ成立する、と法律では言うが、実際には何らかの形で親の援助が必要になるのが実態だ。」

 再び耕次が口を開く。

「敷金や礼金、保証人なんていう、当事者以外の承認や社会的信用といったものを必要とする制度があること自体がおかしいんだが、これは法律の問題だから
国レベルでどうにかしないことには俺達じゃ手に負えない。勝平の言うとおり、親の同意や援助を得やすくするには早めに晶子さんと祐司の両親を対面させて
おくのが良いとは思う。その意味では、大学やバイトが休みで丁度立ち寄れる場所に行くこの旅行の帰りが絶好のチャンスではある。」
「・・・。」
だが、祐司の進路が定まっていないままの状態で祐司の両親との対面だけじゃ済まなくなったら、祐司に不利になる。顔見せだけで納得するかどうかも不透明だ。
祐司がいかにリード出来るかにもかかってるな。」
「それは言える。」

 耕次の言葉の最後は、俺がリーダーシップを取るべきなんじゃないか、という意味を含んでいるようだ。
確かに行くか行かないかを決定するのは最終的には俺が決断すべきことだし、押しに弱いとは言えそれをかわしたり跳ね返したりするだけの意思も必要だ。
 意志の強さや押し付けに屈しないことは今回に限ったことじゃない。
これからどんな職業に就くかまだ決めてないが、社会に出て相手の言い分を一方的に受けてそのとおりに動くだけじゃ、体の良いロボット同然だ。
使うだけ使われて、身体を壊すなり何なりしたら用済み、とされかねない。
自分の意思を明確に示して、相手の強引な要求を拒絶する力量も必要だろう。その意味では勝平が言ったように、今回は絶好のチャンスと言える。
 やっぱり俺が決断しなきゃいけない。進路にしてもそうだ。
俺が自分で決めたことなら多少きつくても我慢出来るだろうし、遣り甲斐を見出すことも出来るだろう。
だが、誰かに勧められたものが予想と違っていたら戸惑うだろうし、勧めた人に文句を言っても「お前が決めたことだろう」と言われればそれまでだ。
自分の人生なら自分で活路を切り開かないといけない。今は試練の時だと言えるだろう。
それを楽して、若しくは偶然の連続で乗り越えたとしても後でもっと大きい試練が待っているだろうし、試練を回避してきたのに次の試練を乗り越えられるとは
思えない。試練が何時でも回避出来ると思うこと自体が間違いだ。
 ・・・風呂から出たら晶子と相談するかな。
晶子は恐らく俺の決断を受け入れるだろうが、意思確認はしておきたい。俺の言い逃れの余地を作るためじゃなくて、俺の決断を促す材料とするために。
晶子と一緒に暮らすと決めたのなら、晶子の意思も聞いておくべきだ。リーダーシップは「俺について来い」と他人を引っ張ることだけじゃない。俺はそう思ってる。

「・・・よく考えてみる。勝平も言ったけど、何れは晶子を紹介するんだし。」
「そうしろとしか言えないが、大学受験で一番厳しい条件の下で頑張って、実際に結果も出したお前なら、晶子さんと二人三脚でやっていける筈だ。俺達は応援してるし、
出来る限りのことはするからな。」

 耕次の言葉に、俺は自分への叱咤を込めて強く頷く。
晶子を幸せにするのは、否、晶子と一緒に幸せになるのは俺なんだ。だったら俺が行動に示す時には示さないといけない。
今からそれが出来ないようじゃ、結婚して一緒に生活なんて弾けて消えるだけの泡でしかない。勝平の言葉を借りれば・・・今回が絶好のチャンスと思うべき時だな。

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