雨上がりの午後

Chapter 166 男に擦り寄る女達との飲み会

written by Moonstone


 夕食が済んだ後早速宿を出て、俺達は宏一が手配したという「鉢郷」なる店に向かう。
昼間町を観光した俺と晶子も店の名前は場所は全然知らないから、宏一に任せるしかない。
先頭に立つ宏一は、昼間俺と晶子が歩いた大通りをひたすら真っ直ぐ突き進み、途中、右手に折れる。
こちらも大通りだが風景がこれまでと違う。建物こそ他と調和させるためか伝統的な日本家屋だが、看板とかは人目を引くようなものばかりだ。
 看板を見ると、居酒屋やスナック、バーの類ばかりだ。どうやらこの界隈が、昼間出会った子ども達が言っていた「若いのが夜遊ぶ」場所なんだろう。
通りを歩く人の年代も、見た限り俺達と同じ年代が多くて、中年代の男性の塊が若干混じっているくらいだ。
 宏一はその通りを少し歩いて、一際大きな日本家屋に入る。看板には「鉢郷」とある。
中に入ると、名前や外装と内装のギャップが目立つ。
内装は明らかに若者を対象にしたと考えられるもので、「小粋な店内でくいっとお猪口(ちょこ)を傾ける」という温泉宿のイメージとは大きな隔たりがある。
BGMも今流行っているような曲で、此処にも若者向けという目的が垣間見える。
 宏一が出迎えた店員に自分の名前と人数を言うと、店員が先頭になって案内する。
席は店のほぼ中心部にある、4辺のうち3辺を仕切り壁を背後にした大きめのもので、俺達はそこに座る。
最深部に宏一、そこから右方向に耕次、勝平、渉、晶子、俺という順番だ。宏一が仕切り役だから、中心部に居るのが望ましい。

「相手はまだ・・・か。」
「こういう時、女の方の10分や20分の遅れは当然だぜ?」
「確かに・・・。」

 耕次のぼやきに宏一が答える。どうやら宏一は相手の行動パターンも把握しているらしい。
引っ掛ける際に相手の受け答えの内容から読み取ったんだろう。この辺は抜かりない。宏一の得意分野だからな。
もっとも宏一のそれはナンパの時しか働かなくて、普段の洞察力は耕次が圧倒的に強い。耕次曰く「相手の心理を読むのも法律家の技術の1つ」らしい。
癖のある面子を3年間束ね、ヴォーカル兼リーダーとしてコンサートを大いに盛り上げたのも、そういった耕次だからこそなせる技だ。
 宏一が言ったとおり、待ち合わせ時間に遅れること約10分。宏一が引っ掛けた女子大生4人組が席に着いた。
髪はショートからウェーブがかかったロングまで色々。服装も色々。
主な共通項は、宏一が言っていたとおり客観的に見て「美人」だということ。ピアスやら指輪やらを2つ以上は身に着けていること。何処か常に男を品定めして
いるような様子だということ。なるほど、宏一が「今時のタイプの一極」と言っていたわけが分かる。
ちなみに全員にビール大ジョッキがある。晶子も同調した時には、注文した宏一と相手の4人組が意外そうな顔をした。

「よーし!それじゃ、白銀の郷での出会いを祝して乾杯と参りましょうか!」

 宏一が陽気に音頭を取る。こういう時の仕切りは専ら宏一の役目。全員がジョッキを手に取って掲げる。

「かんぱーい!」

 全員のジョッキがテーブルの中央で軽くぶつかり合う。そして近くの人と軽くジョッキを合わせる。端に居る俺は晶子と渉だけに留める。

「さあ、どんどん頼んじゃって!」

 やっぱり仕切るのは宏一。
女の方がこれは太りそう、とか言いながら迷っていると、すかさず宏一が、手始めにこういうのからすると良いよ、とか「助言」してから、従業員を呼んで
自分が勧めた野菜サラダやもずく、焼き鳥の盛り合わせなどの他に、「定番」とも言える唐揚げやポテトフライなどを注文する。

「じゃあ、料理が来るまで自己紹介と参りましょうか。まずは男サイドからということで。」

 宏一は沈黙の時間を作らない。やっぱり慣れてるな・・・。

「俺は則竹宏一。市ヶ谷大学の経済学部3年。よろしく!んじゃ、次。」
「俺は本田耕次。日本中央大学の法学部3年。よろしく。」
「俺は和泉勝平。大嶽工科大学の工学部3年。よろしく。」
「俺は須藤渉。泉州大学理学部3年。よろしく。」
「俺は安藤祐司。新京大学の工学部3年。よろしく。」
「私は井上晶子。新京大学の文学部3年生です。どうぞよろしくお願いします。」

 市ヶ谷大学は経済、経営分野で「御三家」と称される有名どころの1つ。
日本中央大学は毎年の司法試験合格者で在学・出身者が常に上位3位に入る法律関係の大御所。
大嶽工科大学は工学部だけの大学だが、製造メーカーへの就職率は全国有数。
泉州大学はどの学部もトップレベルの総合大学。
そして俺と晶子が通う新京大学も全国的に有名な大学の1つ。
・・・とまあ、少なくとも大学の知名度や偏差値のレベルでは、知らないものは居ない大学だ。
全員の自己紹介が終わった段階で、女4人組の目が俄かに輝きを増したのは気のせいではないだろう。

「へえー、凄ーい!有名どころばっかじゃーん!」
「全員現役合格なんですかー?」
「イエース、イエース。」

 宏一が答える。正確には晶子は1年違うんだが、この場でなくても暴露する性質のものじゃないから黙っておく。
女4人組の目が更に輝きを増す。宏一の読みは正解だったようだ。

「先に断っておくけど、こっち側に居る安藤祐司は皆さんの対象外ということで1つよろしく。こいつだけ彼女、じゃなくて嫁さん持ちなんで。」
「えー?学生結婚ってやつぅ?」
「そうそう。隣の井上さんが嫁さん。だからこっち側に居るわけ。」
「どうして結婚してるのに苗字違うのー?」
「入籍がまだなんだ。大学進学と一人暮らしで知り合った関係で、それぞれ家があるから。でもしっかり結婚指輪填めてるし、今は半同居中。」
「お二人さん、見せてあげて。」

 宏一の説明に続く耕次の促しで、俺と晶子は左手を差し出す。2つの手の同じ位置に輝く指輪を、女4人組は興味深そうに眺める。

「宝石はないんだぁ。」
「ダイヤぐらいあっても良さそうなのにねぇ。」

 ・・・出て来た言葉は失望と言うか軽視と言うか、そんな類のものだ。
自分達が填めている指輪と同様、豆粒程度でも宝石が付いていることを期待していたらしい。
お前らにくれてやるわけじゃないからどうだって良いだろ、と思いつつ、俺は手を引っ込める。晶子も「批評」を受けて手を引っ込める。

「それでは引き続き、美女4人の自己紹介をお願いいたします!」

 宏一が話を切り替える。こういった場繋ぎも上手い。変な言い方だが、女の扱いに慣れている宏一らしい。

「私達はぁ、毎日学院大学の人間科学部2年の4人組でーす。順にぃ。浅井紫積美。」
「大野朱美でぇす。」
「堀江有希でぇす。」
「石原恵理子でぇす。同じゼミに居まーす。」

 人間科学部ってことは・・・晶子と同じ文系学部か。で、同じゼミ。
晶子もゼミに所属しているが、同じゼミの奴と一緒に居るのは大学に居る時だけだから、その辺りが違うな。善い悪いの問題じゃなくて。

「皆さんは、どういう関係なんですかぁ?」
「高校時代のバンド仲間なんだ。俺はドラム。」
「俺はヴォーカル。リーダーと言うか、言いだしっぺなんだ。あと、作詞。」
「俺はキーボードと作曲をやってた。」
「俺はベース。」
「俺はギターと作曲をやってた。」

 宏一の隣に居る浅井という女の問いに、宏一から順に答える。

「へえー。バンドやってたんですかぁ。なのに皆さん、凄い大学ばっかりですねぇ。有数の進学校だったんでしょう?なのによく続けられましたねぇ。」
「一応県下では一二を争う進学校だったね。勉強と試験だけに追われるのも味気ない、と思って、俺が同じ中学卒だった宏一と渉を誘ってまず結成。
で、ギターが必要だってことで祐司を引き込んで、直後に勝平も加入して活動を始めたんだ。」

 えっと・・・石原だったか?まだ名前と顔がいまいち一致しないんだが、そいつの問いに耕次が答える。
バンド結成に最も奔走したのは耕次だ。
まず正反対の性格とも言える渉と宏一を引き込み、続いてギターが必要、ってことで人伝に俺が中学からギターをしていたことを聞きつけて、耕次が熱く
加入を訴えてきた。根負けした格好で俺が加わり、その直後やはり耕次が口説き落とした勝平が加わり、バンド結成と相成った。
 耕次と宏一が中心になって、バンド活動のエピソードを語る。
方針としてオリジナル曲のロックバンドにしようと決めたこと。作詞を耕次、作曲を俺と勝平が担当すること。初回の視聴覚室でのライブでは、事前に
同学年の全てのクラスに案内のチラシをばら撒いて、30人ほど集まった客の前で初演奏をして、最初はいまいちだった客の盛り上がりも耕次の煽りと全員の
演奏で結果的に大成功に終わったこと。それを契機に口コミで広がり、客がどんどん増えて、とうとう体育館を会場にしてライブを決行したこと。
そこに「風紀を乱す」とか難癖をつけて乗り込んで来た生活指導の教師との応酬になったこと。
 曲作りのエピソードには、俺と勝平も加わる。
バンドの演奏技術向上のために、あえてテクニックを要する曲を作って、専ら演奏する耕次や宏一が度々文句を言ったこと。それでも、バンド全体の
レベルアップのためという共通の目標で関門を乗り越えていったこと。
 活動のエピソードが耕次と宏一をメインにして幾つか語られる。
文化祭では1年目からメインの座に座り、ほぼ全校生徒を集めたライブが大盛り上がりになったこと。バンド活動をしていることを特に生活指導の教師に
突っ込まれるわけには行かない、ということで、全員で成績向上にも力を入れたこと。合宿と称して学校に泊り込み、飯盒炊爨(はんごうすいさん)を
やったりして、その煙が近隣の住民に火事と間違えられたが、懇意にしてくれていた用務員さんが上手く誤魔化してくれたこと。2年になった頃には成績優秀者が
揃う「頭脳派バンド」として校内では有名になったこと。
・・・聞いていて懐かしい思い出が語られる。

「凄いですねぇー。バンド活動しながら成績優秀だなんてー。皆さん、女の子からも人気あったんじゃないですかぁ?」
「まあ、そこそこあったね。バレンタインデーには結構チョコ貰ったよ。ま、何処までが義理で何処からが本命かの区別は出来なかったけど。」

 えっと・・・大野だったか?そいつの問いに耕次が答える。
此処までの段階で、会話に積極的なのは耕次と宏一。程々なのが勝平。補足程度なのが俺。渉は我関せず、と言った様子でジョッキを傾け、運ばれて来た
料理を摘んでいる。渉は元々口数が少ないから、聞き役に徹しているんだろう。

「皆さんはぁ、将来何になるんですか?」

 えっと・・・堀江だったか?そいつが聞いて来る。自己紹介の順で質問や会話が始まるのは、何かの偶然だろうか?
それは別としても、堀江の質問で相手方4人全員の目が更に輝く。
男5人が全員有名どころの大学生ということで、興味が高まってるんだろう。宏一が「落とすにはもってこいのタイプ」と言ったのが頷ける。

「答えるのが俺からばっかり、ってのもワンパターンだから、今度は逆順で行ってみようか。祐司。お前からどうぞ!」

 俺は思わず口に含んだビールを気管支の方に流し込みそうになる。いきなり話を振るなよな・・・。
まあ、流れを壊さないためにも、宏一の言うとおりにするか。
しかし、よりによって俺が今最も悩んでることを最初に言え、ってのはな・・・。まあ、思いつくことを言っておくか。

「俺はレコード会社とか、音楽に関係する企業への就職を希望してる。あと、今のバイトの関係で音楽を演奏してる関係もあって、ミュージシャンになりたい、
とも思ってる。だから今は・・・迷ってる段階だな。」
「バイトで音楽やってる、ってどういうことですかぁ?」
「基本は喫茶店で注文を聞いたり出来た料理を運んだりすることなんだけど、その合間とか、営業時間の終わりの方で客から抽選でリクエストされた曲を演奏
することも含まれるんだ。」
「えー、何々?じゃあぁ、今でもギター弾いてるんですかぁ?」
「毎日弾いてる。今日は旅行ってことで持って来てないけど。」
「どんな曲弾けるんですかぁ?」
「俺は歌わないから、インストルメンタルが主だな。T-SQUAREが殆どで最近CASIOPEAも加え始めた。アレンジを含めると、倉木麻衣も入る。」
「T-SQUARE?CASIOPEA?・・・聞いたことないですぅ。」

 それまで目を輝かせて質問をぶつけて来た堀江をはじめ、相手方4人が首を傾げる。
知らないだろうな。フュージョン系は番組のBGMに使われていることはあっても、その曲名やミュージシャンの名前は殆ど前面に出て来ないから。
かく言う俺自身、店でバイトを始めるまではその方面は未開拓分野だったんだが。

「えっと、F1の中継番組見たことある?」
「F1ですかぁ?・・・あ、ちょっとなら見たことありますぅ。」
「それのオープニングに使われてる曲を作曲して演奏してるのが、T-SQUARE(註:タイトルは「TRUTH」(同名のアルバムなどに収録)。現在はアレンジ版が
使用されています)。」
「へえー。じゃあ、ギターは上手いんですねぇ?」
「まあ、毎日やってるから、そこそこはね。」

 控えめに言っておく。
元々俺はこんなことが出来るんだ、と誇示するタイプじゃないし、質問の答えにはなってるからこれで良いだろう。

「じゃあ次は渉!」
「・・・あ、俺か。」

 会話に加わらずにマイペースで飲食を続けていた渉は、飲食の手を休める。

「俺は大学院に進学して、企業の研究職を考えてる。もっとも今は企業の研究所が縮小傾向にあるから、公的機関の研究所の研究職も視野に入れてる。」
「泉州大学の理学部っていったら、凄いじゃないですか。将来は高額の特許を得られるんじゃないですかぁ?」
「企業にしろ公的機関にせよ、無数の研究開発の中で脚光を浴びるのはほんの一握り。大学のネームバリューで決まるほど甘い世界じゃない。」

 堀江の称賛を、渉は素っ気無く断じる。相手が高額の特許を持ち出してきたことに対する牽制を兼ねた皮肉だろう。
成功して脚光を浴びるのはほんの一握り。都合の良いところだけを期待するな、と言いたいんだろう。

「じゃあ、次は勝平。」
「俺は大学を出て一般企業、機械関係の製造メーカーで10年ほど実務経験を積んでから、父親が経営してる工場の後継者になることになってる。」
「えー!それじゃ、将来は社長さんですかぁ?」
「経営感覚を身に着けるまでは父親の指導を受けないといけないだろうけど、父親の後を継ぐことを見越して今の大学と学部を選択したんだ。」
「じゃあ、社長夫人が欲しいところじゃないですかぁ?」
「まあ、簿記2級程度の資格は持っていて欲しいね。母親は経理担当だけど、大抵の事務関係の資格は持ってるし。」

 目を輝かせた堀江に、勝平はさりげなく条件を提示する。
「社長夫人」の椅子でのんびり優雅に過ごす、なんて考えは通用しない、ってことを暗示しているようだ。

「じゃあ、次は耕次。」
「俺は公務員試験の準備の一方で、司法書士と司法試験の合格を目指してる。将来的には法律関係の資格で独立開業したいって考えてる。」
「えー!司法試験ってことは将来は弁護士さんですかぁ?」

 堀江をはじめ相手方4人の目の輝きが増す。
こいつらの頭の中では「司法試験合格=弁護士=高収入」っていう公式があるんだろう。その候補生が居るとなれば、触手が動く筈だ。

「まあ、今のところ想定してるのは弁護士だけど、資格取ったからって即開業出来るほど甘くないからね。何処かの法律事務所に勤務して実務経験
積むつもりだよ。」
「でも、凄いですねぇ。将来は弁護士なんて。」
「まだ試験の準備中だから、決まったわけじゃないって。」

 耕次は堀江の押しを軽くいなす。

「俺は経営コンサルタント志望。いろんな企業が乱立する今は、的確な経営アドバイスが出来る専門家が必要だからね。俺も耕次と同様、他の事務所で
実務経験を積んでから独立するつもりなんだ。」
「皆さん、将来有望ですねぇ。」

 堀江が感嘆した声で言う。
俺は兎も角、研究職、社長、弁護士、経営コンサルタントといった輝かしい職種−候補の段階だが−が出揃ったことで、これを逃す手はない、といった表情だ。
現金な奴らだ。宏一の性格把握は的確だが、何か嫌な気分だ。
結局将来安泰で優雅な生活を保障してくれそうな男を捕まえて結婚、という都合の良い青写真を描いているに過ぎない。・・・勝手なもんだ。

「じゃあ、対する女性陣の将来像を聞いてみましょうか。男性陣と同じく、自己紹介とは逆順で石原さんからどうぞ!」

 本当に、こういう時の仕切りは上手いな、宏一の奴。安心出来ると言って良いものかどうかは、とりあえず置いておいて。

「えっとぉ。私はぁ、IT関連企業を目指してまぁす。」
「私はぁ、Webデザイナーを目指してますぅ。」
「私はですねぇ、TVのアナウンサーを目指してまぁす。」
「私はぁ、IT企業を目指してまぁす。」

 ありがちと言えばありがちな職種が並んだ。どれも今流行の−変な言い方だが−企業や職種だからな。

「そう言えばぁ、えっと・・・、安藤さんの奥さん。」
「井上晶子です。」
「晶子さんが目指す職業は何ですかぁ?」
「私は夫の祐司さんに合わせた職業を考えています。企業や官公庁に就職するなら祐司さんの転勤に即対応出来るように、ミュージシャンになるならいきなり
メジャーデビュー出来るのはごく限られていますから、二人で生活出来る収入を確保出来るように、といった具合です。」
「えー、それって主体性がないじゃないですかぁ。」
「ジェンダー思想そのままですねぇ。」
「今は女性が社会の主役になるべき時代ですよぉ?夫に合わせるなんて、負け犬人生そのものじゃないですかぁ。」
「内助の功を目指すんだったら、家庭に専念出来るような男性を探した方が良いんじゃないですかぁ?」

 ・・・ちょっと待て。前半はまだしも後半は何だ?俺と結婚することが間違いだ、と言うどころか、見切りをつけて別れろ、と言ってるようなもんじゃないか?
何で今日が初対面のこいつらにそこまで言われなきゃならないんだ?
くそ・・・。かと言ってこんな場で怒鳴りつけようものならこいつらのことだ。今度は、女性に接する態度じゃない、とでも言うだろうしな・・・。
ここは堪えるしかないか・・・。

「祐司さんと私に限ったことではありませんが、家庭運営の方針は、公序良俗に反するものでない範囲であればどのような形があっても良い筈です。
ジェンダーを一律に押し付けるのが問題なのは言うまでもありませんが、そのアンチテーゼであるジェンダーフリーを一律に適用するのも問題だと思います。
その人や家庭には、それぞれの幸せの形があるものです。」
「こうじょりょうぞく・・・。難しい言葉使いますねぇ。要するに、自分達のやることに口出しするな、ってことですかぁ?」
「端的に言えば、そうです。」
「それって結局、言い訳じゃないですかぁ?」
「そう受け止められても、仕方ありません。これは価値観の問題ですから。」
「ジェンダー思想に基づく時代遅れの価値観へ逃避してますねぇ。ゼミでも先生がそう言ってたよね?」
「うん、言ってた言ってた。」「そうそう。」「こんな人も居るんだね。」

 今まで間延びしていた語尾が、身内への同意になると途端に切りが良くなって、しかも早口になる。
ゼミの内容がどうなのかは知らないが、公序良俗が分からないのにジェンダー思想にはやたらと敏感なところは、宏一の読みからも薄々分かっていたとは言え、
何だかな・・・。

「失礼。ちょっと中座する。」

 渉が席を立って、俺と晶子の前を素早く横切って出て行く。
トイレか?高校時代の打ち上げとかでも、渉が中座したのはなかったように思うが、まあ、あっても不思議じゃないか。渉だって人間だし。

「家庭の話題が出たところで、女性陣から理想の家庭像なるものを窺ってみるとしますか!じゃあ今度は浅井さんからどうぞ!」
「えー?私ぃ?」

 言葉だけ聞くと戸惑っているようだが、その表情は「聞いてくれてありがとう」と言っている。
宏一の煽り方の上手さもあるんだろうが、さっきの晶子の答えを受けて、「自分達は人生前向きに生きてます」と言いたいんだろう。そのくらいの予想は出来る。
 俺の携帯のコール音が鳴り始める。自己主張を始めようとした浅井をはじめとする女4人組は勿論、面子と晶子の視線が俺に集中する。
店に薄く流れるアップテンポのBGMと周囲の喧騒に微かに浮かぶのは、紛れもなく携帯のコール音。で、鳴らしているのは、俺のシャツの胸ポケットにある携帯。
 ワンコールだけしか鳴らない、所謂「ワン切り」はごく偶にある。
アドレス帳に登録している電話番号は、晶子の携帯と自宅、店−マスターと潤子さんの自宅でもある−、念のため俺の実家。これだけの筈。
だが、携帯のコール音は続く。携帯を広げて電話番号を見る。・・・これは確か、渉のもの。

「悪い。俺も中座する。」

 俺はそう言って、一瞬晶子と目を合わせる。晶子は小さく頷く。・・・信じてくれてるんだな。
勿論後できちんと説明するから、と心の中で断って、俺は席を立って外に出る。まだ人が居るところで携帯を使うことが出来ないで居る。
しんしんと降る雪が闇夜の光で照らされる中−灯りが派手だからあまり雰囲気は感じない−、俺はフックオフのボタンを押して耳に当てる。

「渉。待たせてすまない。祐司だ。」
「祐司が謝る必要はない。よく、俺の電話番号だって分かったな。」
「一応お前と同じく、数字は飽きるほど見てるからな。電話番号1つくらいならメモしなくても1日は憶えられる。それに携帯に登録してあるしな。
・・・で、用件は何だ?」
「お前に言っておきたいことがあってな。」

 渉はひと呼吸置く。

「・・・無理はしなくて良い。」
「え?」
「俺が中座したのは気分が悪くなったからだ。念のため言っておくが、身体の方じゃない。」
「・・・一応分かるつもりだ。」

 渉は普段の会話でも冗談を言うタイプじゃない。
渉が中座したタイミングと「気分が悪くなった」という渉の言葉を組み合わせれば、渉が中座した真の理由は俺でも想像出来る。

「どうせ今頃、女の方から自分のライフスタイルを語ってるところだろう。」
「そのとおり。話を振ったのは宏一だけどな。」
「愚痴めいたことを言うが・・・、さっきの晶子さんの答えに対する奴等の反応は、一見まともなようだが、実のところ自分達が快感を覚える、共感じゃなくて快感だが、
ジェンダーフリーの上っ面だけを振り回している画一的なものだ。晶子さんが言ったとおり、家庭運営の方針は公序良俗に反するものじゃない限りどういう
形があっても良い。だが、ジェンダーフリーの上っ面だけに快感を覚えて振り回してる奴等は、ジェンダーフリーの基本思想であるアンチジェンダー、
言い換えるなら社会が押し付けた一律な性差に抗するものだ、ってことを知らない。気付かないと言った方が正確かもしれないが。何れにせよ、晶子さんに
対して自分達はこんな輝かしい人生を設計してるんです、と言いたいんだろう。」
「渉から電話がかかって来た時は丁度、・・・浅井だったかな。そいつが宏一の話の振りに答えようとしたところだったんだけど、俺も渉と同じようなことを考えてた。」
「晶子さんも言ってたが、所詮は価値観の問題だ。奴等にジェンダーフリーを基礎から教えようとしたところで場を損なうだけだし、奴等が聞く耳を持つとも
思えない。奴等が晶子さんの回答をどう思おうが自由だ。だが、お前と別れろ、とまで、あろうことか本人の前で言って良い筈がない。」
「・・・この場だから言うけど、俺も、晶子にこんな男とは別れろ、って仄めかしたのと、晶子を負け犬とまで罵ったのには腹が立った。だけど、あの場で
怒鳴りつけたら今度は逆に、女性の接し方がなってない、とか言うだろうし、場を壊してしまうと思って黙ってた。」
「賢明だな。だが、最初に戻るが、無理はしなくて良い。代金はあの場を作った宏一に持たせる。」
「・・・悪いな、渉。」

 我関せず、と言った様子で飲み食いしていて自分の回答だけ言った渉は、内側で相当葛藤していたんだな・・・。
渉の言いたいことは分かる。場を壊さずに俺だけに伝えようと、偶然だろうが、連絡用に伝えておいた携帯の番号を使ったんだろう。気遣いがありがたい。

「あまり長引くと妙に思われるだろうから、この辺にしておく。俺は酔いが奴等の脳みそを染めた頃に戻る。」
「分かった。じゃあな。」
「ああ。」

 俺は通話を切って店に戻る。席は・・・大盛り上がりだ。女達は勿論、仕切り役の宏一と耕次、そして勝平も加わって賑やかだ。
他の席もBGMが聞こえないほど盛り上がってるから迷惑にはならないだろう。
そんな中、晶子だけがぽつんと居る。傍観者の立場に徹してるのか、俺のように、或いはそれ以上に内側の爆発を抑え込んでいるのか・・・。
兎も角、俺は晶子の隣に座る。

「おー!マイブラザー祐司!お前、何処行ってたんだぁ?」
「弟から電話があってな。弟は年明け受験だから、俺の携帯の番号聞き出してるから、分からないことがあると俺を携帯で捕まえるんだ。」
「おー!何てこった!嫁さん捕まえたと思ったら弟に捕まったのかー!何て不憫な奴だ!うっうっ。」

 俺にしては上出来の嘘八百を大袈裟に受け止めた宏一の言葉で、その場が爆笑に包まれる。
晶子を見ると、俺の視線に気付いたのか少し俺の方を向いて小さく頷く。・・・後できちんと説明するからな。

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