written by Moonstone
「祐司。決めてきたか?」
左腕が軽く小突かれた後、智一が小声で尋ねてくる。「一応、3つに絞ってきた。」
「あらま、意外に呆気ないな。昨日まであれだけ迷ってたくせに。」
「絞ったって言っても方向性だけだ。具体的にこの企業、とか決めたわけじゃない。」
「そりゃそうだよな。昨日今日でいきなり決められるわけないよな。それにしても・・・えらく長引いてるな、先頭の奴。」
「説教でも受けてるんじゃないのか?実験真面目にやってない、とか。」
「ぐっ、お、俺を横目で見て言うなよな・・・。一応これでもお前には悪いことしてる、っていう自覚はあるんだからさ。」
「それじゃ、行ってくる。」
「おう。しっかりな。」
「失礼します。」
挨拶は忘れない。「宜しくお願いします。」
「えっと・・・、電子工学科出席番号2番の安藤祐司君だね?」
「はい。」
「ふむ・・・。君は・・・。」
「・・・。」
「非常に優秀だね。」
「え?」
「一般教養は勿論、専門科目も受講した教科全ての単位を取っている。しかも最低が8。殆どは9か10。これは大したものだ。同じカリキュラムの
電気工学科と合わせても優に5本の指に入る成績だよ。」
「は、はあ・・・。」
「それに、実験指導担当の教官からの報告では、非常に真摯に取り組んでいるそうだね。実験前後のレポートも文句のつけようがないとのこと。
近年これほど学業に真剣に取り組んでいる学生は珍しい、とどの担当教官も絶賛しているよ。」
「あの、レポートは・・・。」
「誰がどれだけ実験にきちんと取り組んだかくらい見分ける目は、どの教官も持っているよ。」
「君の前の学生は、成績は良くないわ、実験は手抜きだらけだわで、こってり説教してやった。他人の作ったレポートを写して実験をした
気になっているようでは、どんな形で社会に出てもドロップアウトするのは目に見えている。君のグループでは、実験の殆どは君がやっているそうだね?」
「あ、はい。」
「怒鳴りつけてでも良いからグループのメンバーに手伝わせなさい。そうでないとメンバーのためにならないし、何より君の負担ばかり増える。
真面目な者が馬鹿を見るようなことになってはいかん。それに・・・久野尾先生からも、君が研究室の集1回のゼミに非常に真面目に取り組んでいるという
報告を受けている。」
「此処だけの話だが、君がこの調子で4年に進級して君が希望するなら、久野尾先生は君を優先的に研究室に入れたいそうだ。真面目な学生が欲しい、と
いうのは久野尾先生に限ったことではないがね。」
「さて、本題だが・・・、君は非常に優秀だから、色々な選択肢が考えられるね。この成績なら大学院は面接だけで入れるよ。」
「え?試験があるんじゃないんですか?」
「大学院への進学は、同じカリキュラムの電気工学科と合わせて成績上位20位以内なら筆記試験は免除されるんだよ。面接はその学生の態度や進路志望を
複数の教官が問い質すような内容だから、あまり合否には影響しない。」
「君の成績を見ると・・・、出来れば大学院に進学して欲しいね。成績優秀。しかも真面目。こういう学生はどの研究室も欲しがるよ。」
「・・・実家の事情で、学費は4年分、仕送りは月10万と約束しているんです。大学院に進学するだけの金銭的余裕はないと思います。」
「君は親元を離れて一人暮らしをしているのかね?現金なことを尋ねるが、月10万でやっていけるかね?」
「バイトしてます。月曜休みで夜6時から10時まで。今日みたいに特別な事情がある場合は別ですけど。」
「仕送りとバイトで生活費を工面しているということかね?」
「はい。」
「試験の日はバイトを休んでいるのかね?」
「いえ。続けています。」
「そんな時間帯的にもきついバイトを続けていてこの成績かね・・・。うーん・・・。だとすれば、尚更大学院進学を勧めたいね。」
「大学進学自体も学費が第一の問題になったんです。此処に進学するなら学費と仕送りを工面してやっても良い。ただしきっちり4年で卒業すること、
仕送りは月10万きっかり、仕送りで足りない分は自分で補填すること、っていう条件を飲んで一人暮らしをしてるんです。更に2年、ということは
想定してないんです。」
「ふむ・・・。実家とそういう約束があるわけか・・・。今は奨学金を貰うにしても保証金を払わなきゃならないからね。これでは何のための奨学金だか分からない。
優秀な学生が経済的事情で進学先を限定されるというのは、君のような優秀な学生を目の前にすると由々しき事態だと思わざるを得ないね・・・。」
「大学院進学が駄目だとなると、就職だね。そっちの方はどうかね?」
「方向性を3つに絞り込んではいるんですが、まだ具体像を描けないんです。」
「3つというのは何かね?」
「1つ目は公務員です。これは親が勧めています。2つ目はレコード会社とか、音楽に関係する企業。3つ目は・・・ミュージシャンです。」
「音楽に関係する企業、ねえ・・・。」
教官はバインダーの書類を大きく二、三度捲り、そこから文面を指で追いながら書類を1枚1枚捲っていく。「過去に・・・楽器メーカーに就職したという実績は幾つかあるね。レコード会社というのはざっと見たところ、見当たらないね。」
「そうですか・・・。」
「一つ聞くが、君が久野尾先生の研究室を希望したのはどういう理由かね?」
「自分の趣味が音楽なんです。聞くだけじゃなくて作ることも。それで、どの程度かまでは分からなかったんですけど、関係があるんじゃないかということで
配属を希望したんです。」
「なるほど・・・。趣味と実益を兼ねて、というわけか。レコード会社というのも、そういうところから出てきたわけだね?」
「はい。」
「レコード会社への就職実績はざっと見たところ見当たらないが、君の現時点での成績を見る限り、企業もそう簡単に首を横に振らないと思うね。
もし君が志望するなら、私は勿論だが、久野尾先生も君をその企業に強く推薦するだろう。これはそういう企業に限ったことではないがね。」
「公務員の就職実績は多い。大学での成績が公務員試験の合否に直結するわけじゃないし、近年公務員志望者の伸びが顕著なことを踏まえると断言は
出来ないが、君の成績ならまず問題ないだろう。その場合、実家の方に戻るのかね?」
「選択肢の1つとはしましたけど、実家に戻るかどうかとか、国家か地方かとか、具体的に絞れてません。」
「まあ、君の現時点での成績を見る限り、筆記試験が絡むものならまず問題はないだろうね。で、ミュージシャンという選択肢に関してだが・・・。」
「オーディションとかコンテストとかに出たことはあるのかね?」
「・・・え、いえ。そういうのはないですけど、ジャズバーとかで演奏して生活している人達と、この夏に新京市の公会堂で共演しました。」
「ほう。随分本格的だね。」
「バイトもそういう関係なのかね?」
「はい。基本的には飲食業の接客なんですけど、その合間とか、ある時間帯に客からリクエストを受けて演奏するとかしてます。」
「ふむ。こちらも趣味と実益を兼ねているというわけか。結構大変じゃないかね?」
「試験やレポートが入ってくると時間的に厳しいですし、バイトは忙しいですけど、楽しいです。」
「それは結構なことだ。楽しいと思えるということは、それだけ精神的に余裕があるということ。精神的な余裕がないところから新しいものや良いものは
生まれないものだからね。」
「なかなか苦学しているのに成績は非常に優秀だし、進路も自分なりに模索している姿勢は非常に良い。今日の面談で進路を決めなければいけないと
いうことはないし、選択肢の中には私にしてみれば全くの未知の分野もあるし、どの道を選ぶかは最終的には君の判断次第だが、何れの道を進むにしても、
君ならやっていけるだろう。この調子でやっていきなさい。」
「ありがとうございます。」
「・・・もう良いでしょうか?」
「うむ。良いよ。」
「・・・あ、ちょっと待ちなさい。」
ドアへ向かおうとしたところで呼び止められる。「・・・何でしょう?」
「今頃思い出したんだが、確か去年の冬だったかな?大学中に君の名前が出たメールが飛び回ったんだが、憶えているかね?」
「・・・はい。」
「ここから先は君のプライベートに踏み込むことになるし、進路指導という今日の面談の趣旨からも外れるから、嫌なら答えなくても良いということを
前置きしておく。良いかね?」
「はい。」
「メールに名前が載っていた彼女とは、実際に交際していたのかね?」
「はい。」
「今でも彼女とは仲良くしているのかね?」
「はい。」
「私のところにも問題のメールが来たんだが-まあ、あれは大学中にばら撒かれたから当たり前だが、君の名前があったからびっくりしたよ。
田畑先生の噂は私も電子工学科のセクハラ対策委員の先生から聞いたことがある。何でも、田畑先生の女子学生に対する態度は文学部の教授会でも
度々問題になってきたそうだ。今は停職明けで減給処分中だから流石に大人しくしているらしいが、油断しないように彼女に言ってあげなさい。」
「分かりました。」
「私は電磁気学Ⅰと今の磁性体工学の講義でしか君を見たことがないし、君と面と向かって話をするのは今日が初めてだ。そんな私が今日君と一対一で
話した印象では、君は非常に真面目で誠実だと思う。実験指導担当の教官や久野尾先生からの報告はそれを裏付けていると思う。時にはそれを逆手に取られて
厳しい状況に追い込まれることもあるだろうが、自分に自信を持って行動しなさい。彼女も君の真面目さや誠実さに惹かれたのだろうと思う。
兎角上っ面だけを捉えがちな世の中だが、見る目がある人間はきちんと見ているものだ。学業とバイトの両立に加えて特定の異性と交際するのはなかなか
大変なことだとは思うが、これからも彼女と仲良くやりなさい。」
「はい。」
「本題とは関係ない話で長く引き止めて悪かったね。ご苦労さん。気を付けて帰りなさい。」
「はい。ありがとうございました。」
「祐司。かなり早かったな。」
智一が歩み寄って来る。「何か言われたか?進路先がどうとか。」
「いや、特に注意とかは受けてない。」
「そうか。」
「それじゃ、俺はバイトがあるから先に帰る。」
「おう。じゃあな。」
ご意見、ご感想はこちらまでお寄せください。 Please mail to msstudio@sun-inet.or.jp. |
|
若しくは感想用掲示板STARDANCEへお願いします。 or write in BBS STARDANCE. |
Chapter 130へ戻る -Back to Chapter 130- |
Chapter 132へ進む -Go to Chapter 132- |
||
第3創作グループへ戻る -Back to Novels Group 3- |
|||
PAC Entrance Hallへ戻る -Back to PAC Entrance Hall- |