雨上がりの午後

Chapter 111 出会いとセッション−1−

written by Moonstone


 その後、相手方との調整で曲が一部変更された。
合同練習の場所がジャズバーであること、そしてサマーコンサートと銘打っていることがその理由だ。
俺の候補曲には変更がなかったが、晶子の候補曲だった「Make my day」は「Kiss」に変更になった。
まあ、「Make my day」はバリバリのロックチューンだからジャズバーには似合わないとは思ってたが。
 マスターと潤子さん、そして相手方の曲は変更なし。
俺と晶子は時に協力して音合わせをして、バイトの間にも出来るだけステージに立つようにした。
リクエストタイムでも夏季限定と銘打ってコンサートで演奏する曲をリクエスト候補に上げて、全員で少しでも練習機会を増やすように心がけた。
 マスターはサックスがお馴染みのアルトよりソプラノが多くなったことくらいで、晶子も歌う曲が一つ変わったと言ってもレパートリーに入っている曲だから
大して変化はないが、俺と潤子さんは随分大変なことになった。
俺はエレキもあると思えばアコギもあり、メロディもあればバッキングもありで、ステージに出ずっぱりになった。
潤子さんも日曜日以外でもステージ上がる機会がぐんと増え、普段シーケンサに任せているパートをシンセサイザーで演奏するという珍しい光景が
見られるようになった。
そのお陰か連日店は大入りで、バイトの時間は接客に調理に演奏にとてんてこ舞いする羽目になったが。

 残る懸案だったコンサート場所も、新京市公会堂の大ホールが無事8月第3週の日曜日に確保出来た。
それに併せて、潤子さんがデザインしたというチケットがコンサートの告示と共に販売され始め、俺が予想していた以上の速さで売れていった。
チケット代が2000円と学生でも割と出しやすい額なことと、プロとのセッションが聞けるということもあってか、社会人は元より学生もこぞって買っていった。
 チケットの枚数は新京市公会堂大ホールの収容人数である1000人分のうち、この店が500枚、残る500枚を相手方が出入りする店に置いてもらって
売るようにしたんだが、相手方の方はたった1週間で完売してしまった、という連絡が入った。
これには驚いた。実力の知れない相手とのセッション、しかも小宮栄じゃなくて電車でもそれなりに距離がある新京市の公会堂でのコンサートに
わざわざ出向くとはあまり思えなかったからだ。
 準備は着々と進み、とうとう相手方と初めてのセッションをする日がやって来た。
ここまで来た以上、もう泣いても喚いても無駄だ。これまで積み重ねてきた練習の成果を存分に出し切る以外にない。
 俺と晶子は店の掃除を終えた後、「仕事の後の一杯」はなしで即機材の運び出しを始めた。
晶子は自分自身が楽器だから別として、俺はエレキとアコギ、マスターはソプラノとアルトの2種類があるし、潤子さんはシンセサイザーを搬入する必要があるので、
全員で手分けしてケースに入れてマスターの車のトランクに詰め込めるだけ詰め込んだ。
入り切らなかった俺のギター二つは、後部座席で俺自身が抱え込むことになった。もっとも、片方を晶子が抱えてくれることになったんだが。
 機材を積み終えると、マスターは車のエンジンをかける。車の大きさからはちょっと期待外れとも言える軽い音がする。
マスターは運転席に乗り込むとシートベルトを着けて車を発進させる。
闇夜にエンジン音が響き、二筋の光が闇を貫いて夜の町並みを浮かび上がらせる。
こうして見ると、夜の街は結構不気味だ。住宅街だから家ばかりでネオンや電光掲示板といった目立つ光源がないのが大きい。

「店まではちょっと時間がかかるから、まあ、その間ゆっくり休んでてくれ。」

 夜道に車を巧みに走らせているマスターから声がかかる。
今日も忙しかったからかなり疲れが溜まっている。そしてこれから初対面の相手とのセッションだ。
疲れで眠い一方、緊張で目が冴えて、自分でもよく分からない状態になってしまっている。
横の晶子も、俺のギターを抱えて真剣さと緊張が入り混じった表情を浮かべている。
 カーステレオからはありがたいと言うべきか、俺達が演奏する曲が流れてくる。最初は「MORNING STAR」だ。
この曲、潤子さんがシンセサイザーを演奏する曲の一つだ。
そして店ではマスターがソプラノサックスでメロディやソロを演奏したが、実際は相手方が演奏するという。
この曲にはギターとEWIのユニゾンがあるから、俺は初対面の相手といきなり息を合わせないといけないって訳だ。
まあ、それはベースやドラムが生演奏になることを考えると、俺だけの問題じゃないんだが。

「祐司君、晶子ちゃん、緊張してる?」

 車の通りが少ない大通りを軽快に走っている中、助手席に居る潤子さんが話し掛けてきた。
こっちを向いている潤子さんには緊張の色はまったく見えない。
今までピアニストというイメージだった潤子さんは、ピアノとは演奏スタイルが大きく異なるシンセサイザーを演奏するから、多少は緊張してても
不思議じゃないんだが・・・。

「緊張ですか?してますよ。同時に何て言うか・・・ここまで来たらもうなるようになれ、っていう思いもありますけど。」
「私、ドキドキしてます。初めてお店のステージに立つ前と同じ気分です。」
「そう。なら大丈夫ね。」

 大丈夫?・・・何で緊張してることが「大丈夫」なんだ?
潤子さんの真意が分からない俺は潤子さんを見る。潤子さんは笑みを浮かべて、俺の疑問を見透かしたように言う。

「幾ら練習してきたっていっても初めて行く場所なんだもの。緊張して当たり前よ。それに適度に緊張していた方が演奏にも締まりが出るわよ。」
「はあ・・・。」

 俺は思わず生返事をする。何と言うか、あまりにも呆気ない答えで拍子抜けしてしまう。
てっきり檄(げき)か−潤子さんだから毛布のようにやんわりしたものだろうが−落ち着かせようとする言葉が飛んでくるかと思ったんだが、
緊張して当たり前、と言われると、ああそうか、と思わざるを得ない。
 潤子さんはウインクして−潤子さんがすると様になるよな−前を向く。
拍子抜けしたせいで緊張感が若干抜けた俺は窓の外に視線を移す。
華やかなネオンサインやライトアップされた看板が林立している。
流石はこの地方随一の繁華街。胡桃町駅前の繁華街とは比較にならない。車はその繁華街の中へ入っていく。
 車はひたすら大通りを走っていく。
ジャズバーだから小脇に入ったところにこじんまりと建っているのか、と思っていたんだが、どうも違うようだ。
更に走っていくと、赤地に黄色の目立つ看板が見えてくる。そこには・・・「TEMPO DE SER FELIZ」と書いてある。
何て読むのかはどうにか推測できるが、意味はさっぱり分からない。

「へえ・・・。『幸福な季節』ですか。良い名前のお店ですね。」

 それまで無言だった−俺が話し掛けなかったせいもあるかもしれないが−晶子が前を見て少し感動したような顔をする。
そういう意味なのか?晶子は独学でスペイン語を読めるようにしているが、あの単語の列まで読めるとは思わなかった。
流石は文学部と言おうか。色々な言語に精通しているみたいだ。

「井上さん、よく分かったね。あそこがセッションする店だ。」
「かなり大きな店ですね。」

 俺は思わず感想を漏らす。
店は大通りに面しているし、両隣の店とは結構間隔がある。つまり、相当数の駐車場を確保している可能性があるということだ。
俺が抱いていたジャズバーのイメージがガラガラと音を立てて崩壊していく。

「この辺じゃ有名な店だ。ミュージシャンの交流場所としても有名で、多くのミュージシャンが出入りしてる。かつては俺もその一人だったんだが。」
「あなた。駐車場、空いてるかしら?」
「大丈夫だろう。此処へ来る客は大抵歩いて来るからな。潤子もそうだっただろう?」
「確かにそうね。この辺は小宮栄の駅からも近いし。」

 マスターと潤子さんの会話には昔を懐かしむ香りがする。
ジャズバーを席巻していた一人のサックスプレイヤーと一人のOLが出会った場所。
そして二人が一緒になったからこそ今の店があって、俺と晶子が共に過ごす時間を持てている・・・。
時の流れの中には様々なドラマがあるんだな。
 マスターは対向車に注意しながら車を店の脇に入れる。
そこはかなり広い駐車場で、結構埋まっているが空きはある。
マスターは店に近い場所を選んで車をそこに入れる。そしてギアを『P』に合わせてハンドブレーキを引いてエンジンを止める。
 俺達はそれぞれ近いドアを開けて車を降り−俺と晶子はギターを持っている−、マスターがトランクを開ける。
これから機材の搬入だ。
シンセサイザーや音源モジュールが入ったラックなんかは重いから、トランクに詰め込む時も俺とマスターが中心になった。
入れる時がそうだったんだから、出す時も必然的に役が回ってくることになる。言われる前に先手を打つか。

「晶子。悪いけどこのギター、担いで行ってくれないか?」
「あ、分かりました。」

 俺は晶子にギターを渡すと、先にハードケースに入ったシンセサイザーを取り出していたマスターを手伝う。
潤子さんは何もしないのかと思いきや、結構重いラックケースのハンドルを手に下げて店の方へ向かう。
そう言えば潤子さん、見かけによらず結構力あるんだったっけ。

「祐司君。キーボード一つ頼む。」
「はい。」

 俺はマスターからハードケースに入ったキーボードを受け取る。
幾ら88鍵のピアノタイプのマスターキーボードじゃないとは言っても、結構な重量がある。
俺は力が入れやすい右手でハンドルを持ち、晶子と潤子さんの後を追う。
直ぐにマスターがキーボードの入ったハードケースと折り畳んだキーボードスタンド、それに束ねたケーブル類を持って俺を追い越す。
ジャズバーに出入りするには筋力もそれなりに必要みたいだな。
 先頭に立ったが両手が塞がっているマスターに代わって、潤子さんが店のドアを開ける。
チリンチリン、という甲高い鈴のような音がする。それが止むと、軽快なリズムとサックスの伸びのある音が聞こえて来る。

「いらっしゃいませ・・・って、あら、潤子ちゃんじゃないの!」
「こんばんは。今日のことはご存知ですよね?」
「ええ。皆楽しみにしてるわよ。」

 マスターと晶子に続いて入った俺の目に飛び込んできたのは、右手に紫煙を立ち上らせる煙草を挟み持つ、茶色の髪を後ろで纏めた女性だ。
店の照明があまり明るくないからはっきりとは推測出来ないが、潤子さんより年上、恐らくマスターと同じくらいの歳だと思う。

「ママさん、こんばんは。」
「あーら、文(ふみ)ちゃん。いらっしゃい。」
「四十路男を捕まえて『文ちゃん』は止めてくれよ。」
「何言ってるの。文ちゃんは文ちゃんでしょ?」

 俺は思わずくくく・・・と笑いを漏らしてしまう。晶子も両肩を小刻みに震わせている。
髭面の厳つい体格のマスターが「文ちゃん」なんて可愛い愛称で呼ばれているなんて、笑わずにはいられない。

「それよりママさん、連中は?」
「勢揃いよ。あら?美人のお嬢さんと結構好い男が一緒じゃない。その子達が今日のセッションのメンバー?」
「ええ、そうですよ。前に話したでしょ?」
「へえ・・・。話には聞いてたけど、ルックスは二人揃って合格点ね。女の子の方は特にポイント高いわ。」
「ほら、二人共。ご挨拶ご挨拶。」
「あ、はい。どうもはじめまして。安藤と言います。」
「はじめまして。井上と申します。」

 マスターに言われて、俺と晶子は女性に−この店の主人だろう−挨拶する。
女性はにこやかに俺達に言う。

「はじめまして。私はミリンダ。こう見えても一応この店のオーナーよ。文ちゃんとは彼是20年以上の付き合いなの。よろしくね。」
「こちらこそ、宜しくお願いします。」
「お世話になります。」

 俺と晶子は再び挨拶する。初対面の相手の印象を良くするには、挨拶をしっかりすることに限る。
ミリンダという女性は笑みを絶やさずに俺達の方を見ている。余程俺達が来るのが楽しみだったのだろうか?
 店はかなり客が居て、皆一様に俺達の方を見ている。そりゃバーにごつい機材を持って入ってくりゃ嫌でも目立つよな。
そんな中、演奏だけはしっかり続いている。何となくフィニッシュに近づいていることは分かる。それが終わってからご挨拶というところか。
俺は晶子と共に、マスターと潤子さんに続いて店の奥へと入っていく。
 ピアノの小刻みに踊るようなフィルの後、サックス、ピアノ、ウッドベース、ドラムがそれぞれに、しかし見事に調和したエンディングを聞かせる。
俺は思わず演奏の聞こえる方向に見入ってしまう。
流石プロ、否、これがプロというものなのか・・・。こんな人達とセッションするなんて本当にまたとない機会だ。思わぬ形で強運が姿を現したようだな。

「文彦、久しぶりー!」

 拍手の中、ウッドベースの演奏を止めた男性が呼び声をかける。マスターがそれに応えて手を振る。
ピアノを演奏していた、見た目若そうな男性も俺達の方を向いて笑顔で手を振っている。
ドラムを演奏していた、髪をオールバックにした男性もスティックを片手に持って笑みを浮かべてで手を振っている。
サックスを吹いていた、髪を後ろで束ねた男性だけはぺこりと頭を下げる。
演奏していた4人が俺達の方に駆け寄って来る。

「皆、待たせたな。」
「いやぁ、文彦とまたセッション出来るなんて嬉しいよ。」
「曲の方は?」
「バッチリさ。ん?そこの兄ちゃんと姉ちゃんが、文彦が言ってた逸材か?」

 ウッドベースを演奏していた男性が興味深そうに俺と晶子を見る。
こういう時はこちらから挨拶をするに限る。俺はまず頭を下げてから自己紹介する。

「はじめまして。安藤と言います。」
「井上と申します。」
「かなり若いね。二人共あの新京大学の学生だ、って文彦から聞いたけど、ホント?」
「はい。俺は工学部で・・・。」
「私は文学部です。」
「へえ・・・。でも音楽に学歴は関係ないからね。宜しく頼むよ。あ、そうそう。自己紹介がまだだったね。俺は桜井明(あきら)。ベース全般が出来る。
一応このメンバーの代表者って位置付け。それからこっちが・・・。」
「国府賢一。ピアノ専門です。宜しく。」

 ピアノを演奏していた男性、国府さんが笑みを浮かべて手を差し出してくる。
俺は慌てて宜しくお願いします、と言ってその手を握る。続いて晶子とも、宜しく、と言って握手する。

「それからこっちが・・・。」
「青山大助。ドラムとパーカッション全般が出来る。宜しく。」
「安藤です。宜しくお願いします。」

 俺はドラムを演奏していた男性、青山さんと握手する。続いて晶子とも握手する。
他の人とは違ってかなりクールな印象を受ける。渉に近い感じだな。少なくとも宏一とは正反対のタイプだろう。

「それからこっちが・・・。」
「勝田(かつた)光(ひかる)。サックスその他管楽器全般が出来ます。どうぞ宜しく。」
「安藤です。宜しくお願いします。」

 俺はサックスを演奏していた男性、勝田さんと握手する。続いて勝田さんは晶子とも握手する。こちらは何となく控えめなタイプのようだ。

「今日のために明君は久々にエレキベースも持ってきたのよね。」
「お前のエレキベースが聞けるなんて久しぶりだなぁ。」
「滅多に使わないからな。弾けなかったら笑って許せ。」

 マスターと桜井さんはそう言って笑い合う。少し固かったその場がほんのり和む。
長く演奏を共にした仲間であると同時に、気心知れた友人という感じが伝わってくる。

「今回は潤子さんも加わるんだろ?」
「ああ。シンセ中心だがな。」
「で、安藤君だったっけ?その子がギターで、井上さん?その娘がヴォーカルか。演奏の幅が広がるなぁ。」
「お前らがセッションしないか、って話を持ちかけたんだろうが。」
「そうだった、そうだった。俺達としては特に安藤君のギターに興味を持ってるんだ。話は文彦から聞いてる?」
「あ、はい。」

 突然話を振られて、俺は慌てて返事をする。
この人達が俺のギターに興味を持っている・・・。その興味を盛り上げるか減衰させるかは俺の腕次第だ。気合を入れていかないとな。

「ものは試し、だ。早速セッション開始といこうか。」
「そうだな。よし皆、機材をセットしよう。」

 俺達はマスターの後をついていって、楽器が置かれた一段高い場所−ここがステージか−に機材をセットする。
中心は潤子さんが演奏に使用するシンセサイザーで、音源モジュールやエフェクターが入ったラックはフットスイッチと同様床に置いて配線する。
俺は晶子からギターを受け取り、ケースから出してマスターが持って来てくれたスタンドに立てかける。
 5分もかからずに配線は完了した。
ちょっとステージ上は窮屈な印象を受けるが、普段演奏しているステージが持て余すほど広いし、他にグランドピアノやウッドベースといった
大型の楽器が鎮座しているから、余計に狭く感じるんだろう。
とどめにマスターと潤子さんがマイクをスタンバイする。

「これでオッケーだな。」
「よし。それじゃ何からいこうか?」
「安藤君のギターが聞ける『プラチナ通り』が妥当じゃないか?」
「そうだな。よし、それじゃ『プラチナ通り』からいこう。安藤君、ギターの用意ね。」
「はい。」

 俺は桜井さんに言われてアコギのストラップに身体を通し、手早くチューニングする。
背後ではシンセ音やドラム、ベースの音が聞こえる。
左隣では勝田さんがフルートを適当に吹き鳴らしている。
この曲では後半にフルートが入る。今まではシーケンサ任せだったが今回は生のフルートが間近で聞ける。これは期待が膨らむ。
 同時に緊張感も膨らむ。
シーケンサは一旦テンポを設定しておけば、テンポのコントロールプログラムをしない限り一定のテンポを保つから、それに合わせるように心がけていれば良い。
ところが人間同士の演奏ではそうはいかない。複数の相手の息を確認しつつ、テンポが崩れないように注意しなければいけない。
 成人式の時のスクランブルライブは、年月を挟んだとは言え何度となく音合わせをしてステージを共にした仲間と一緒だった。
しかし今回は初めて共演する相手。しかも事前の音合わせはなしだ。俺の腕が試されることになるのは間違いない。
チラッと見ると、客の視線がステージに集中しているのが分かる。
今更後戻りは出来ない。ならば・・・やるしかない。

「それじゃ大助。頭1つくらい出てくれ。」
「了解。」

 頭一つ出る。これは演奏を始める合図となる演奏をするという意味だ。
一つちょっとというから1拍ぴったりじゃない。そこは「間」を読まないといけないわけだ。
初対面の相手が居るのにいきなり隠語を使うあたり、それなりの腕を持っていると事前評価している証拠だ。フレットに当てる左指に力が篭る。

「間奏から32小節ギターの後、最初の8小節に戻ってフィニッシュということで。」
「はい。」
「分かりました。」

 このこともきっちり憶えておかないといけない。終わりが締まらなかったら折角の演奏が台無しになっちまう。
俺は瞬時に頭の中で曲の構成を組み立てる。これくらいはバンドをやってた経験で間に合うつもりだ。

タ、タタタン

 軽めのスネアの音が入る。それが終わると同時に俺はストロークを入れる。他の楽器音もほぼ同時に入ってくる。
潤子さんのシンセ音が気持ち良い。だが、余裕かましてる暇はない。演奏に集中しないと・・・。
 4小節分演奏した後、ドラムが本格的に入ってくる。これでベースと合わせてリズム隊が出揃った。
このリズムとグルーブ感を耳だけじゃなく、身体全体で感じながら演奏を続けていけば良いな、うん。
 俺は強弱を大切にしながらギターを爪弾く。
この「プラチナ通り」はライトな感じの曲だから、その辺も踏まえないといけない。
軽快に、しかし浮ついた感じにならないようにフレットの上で指を動かし弦を弾く。・・・良い感じだ。
 前半が終わり、一旦間を置いて再び演奏が始まる。この辺も初めてとは思えないくらいうまく息が合っている。
俺は間奏であるこの部分で、次に続くソロに備えて呼吸を整える。
フルートが入ってくるが、生のフルートはどんな音なんだろう。こんなことを考えられるあたり、結構余裕があるのか?
 軽快なリズムに乗って俺のソロが始まる。それに勝田さんのフルートが入ってくる。
良い音だ。緊張で強張った心が解きほぐされていくような、柔らかくて優しい音色だ。
フルートの音が流れる中、俺は自分の演奏に専念する。・・・大丈夫だ。今までやってきたようにやれば良いんだ。

 俺は演奏していく間、小節数をカウントしていく。少しずつ終わりに向けたカウントダウンが進んでいく。
今までのステージでは自分がアレンジした終わり方で良かったが、今度はそうはいかない。最初に繋げるようなフレーズに自分で持っていかないといけない。
ここが即興演奏の難しいところだ。俺は終わりと小節数を意識しながらひたすらギターを爪弾く。
 自分では良いと思える感じでソロを締めると、曲は最初に戻る。
俺はストロークに切り替えて演奏の終わりを待つ。
潤子さんのシンセ音が軽やかに響く中、ドラムがタムを交えたフィルを入れる。よし、これで終わりだ。
 シンセ音とシンバルのロール音が響く中、俺は指の動きに任せて階段を駆け下りる感じでフィルを入れ、ギターの低音を効かせた白玉でフィルを締める。
桜井さんのベース音が燻(いぶ)し銀というに相応しいフィルを奏でる。十分に音が伸びきったところで、自然と演奏は終わる。
 次の瞬間、大きな拍手と歓声が押し寄せてくる。カウンターの向こうに見えるミリンダさんも笑顔で拍手をしている。
どうやら成功したらしい。そう思った瞬間、全身から大量の汗が噴出るのを感じる。
緊張の糸が一気に切れたようだ。やっぱり緊張する。これは心臓に悪いな・・・。

「お見事。安藤君、潤子さん。潤子さんは兎も角、安藤君は若い割に随分ステージ度胸があるねぇ。良い感じで終わりに繋がっていったよ。
最後のフィルもバッチリだった。」

 桜井さんが後ろから声をかけてくる。
俺は後ろを向いて頭を下げ、続いて客席の方を向いて頭を下げる。拍手と歓声は止む気配がない。

「原曲の真似事で終わらず、良い演奏やってたよ。文彦の言ってたことは嘘じゃなかったな。君、こういうのは初めてかい?」
「楽譜を見て終わりを適当に決めるというのは高校時代のバンドで経験がありますけど、今回みたいなのは初めてです。」
「ほう。高校時代にバンドやってたのか。それでも良いステージ度胸だ。演奏も立派だったし、こりゃ凄い逸材とセッション出来たもんだ。」
「うちの店の貴重なギタリストよ。そこら辺の坊やとは違うわよ。」
「潤子さんのお墨付きもあるのか。いやいや、恐れ入った。」

 桜井さんの賞賛の言葉の数々に、俺は恐縮する。プロの人からこんな賞賛をもらえるとは思わなかったからだ。
自分では良いと思っていた演奏が、他人が聞いたらガタガタだった、って可能性が十分ありえたからな。

「なかなか良いじゃないですか、彼。」
「そうでしょ?うちの店の採用試験を文句なしにクリアしたんだから。」
「ああ、『Fly me to the moon』を楽器に応じてその場でアレンジして弾け、っていうやつですね?ふーん、なるほど・・・。それだけの腕は持ってますね。」

 ドラムの青山さんも感心した様子だ。
こういうクールなタイプの人は、自分にも他人にも厳しい人が多いからなかなか人を誉めない傾向があるんだが−渉もそうだ−、そんな青山さんからも
好感触を得られたことで、俺の中で充実感が急速に膨らんでいく。

「良い演奏だったね。気持ち良く吹けたよ。」

 勝田さんが笑顔で握手を求めてくる。俺は勿論それに応じる。

「文彦さんが、お前ら驚くなよ、とか言ってたんだけど、今回は驚かされたよ。文彦さんの言ってたことは嘘じゃなかったんだね。」
「当たり前だ。俺が嘘をつくような顔に見えるか?」

 壁に凭れていたマスターが、どうだ、と勝ち誇ったような笑みを浮かべて言う。
マスターは事前に相当俺を売り込んでいたようだ。それが結果的に見事に的中したことで、マスターも満足しているんだろう。
マスターや潤子さんの面子を潰すようなことにならなくて良かった。本当にそう思う。

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