雨上がりの午後
Chapter 90 雷雲へと変貌する暗雲
written by Moonstone
3日後。
俺は残された数少ない一般教養科目の英語の講義を受けるため、智一と一緒に教養課程棟がある地域へ向かって歩いていた。
俺達が今主に居る工学部棟のあるエリアから歩いて10分くらいある。今回のは昼休みを挟んでいるからまだしも、もう一つの方は
−何で同じ英語が2つに分かれてるのか理解出来ない−講義と講義の間の10分の休みの間に移動しないといけないから、工学部の講義の終わりが
遅れたらダッシュ決定だ。
今日は晴れてこそいるがかなり冷える。家を出た瞬間にこの冷気に当てられて、慌てて厚手のコートを箪笥から引っ張り出したくらいだ。
これから冬本番ということを考えると、この程度の寒さでぎゃあぎゃあ言ってちゃ話にならないかもしれないが、それでも寒いものは寒いんだから仕方ない。
教室にはまだ暖房が入らないから着込んで我慢するしかない。でも足元からの冷えにはなかなか対応が難しいんだよな・・・。
昼食を近くの生協で−生協の店舗は敷地中央部に加えて工学部や理学部、医学部の近くにもう一つある−済ませたから、後は講義のある部屋へ行って
後ろの方に席を取るだけだ。時間は充分とまではいかないまでもそれなりに余裕はある。席を取ったら生協にでも行ってみるかな・・・。
「お、おい、祐司。」
隣に居る智一が肘で何度か俺を小突く。
また自分好みの女を見つけたのか?晶子ちゃんを諦められない、とか言っておきながら、まったく・・・。
「何だよ。今度は白衣の天使か?」
「違う!あそこ見ろ!晶子ちゃんと例の田畑助教授だぞ!」
「何?!」
智一の言葉に俺は耳を疑いつつ、智一が指差す方向を見る。
生協の建物の方へ向かって親しげに談笑しながら歩いているのは、背の高い眼鏡をかけた若い男と、間違いなく晶子だ!
てことは、あの男が例の田畑とかいう女たらしの助教授か!
俺はまっしぐらに二人の方に駆け出していく。
石が敷かれた道を通らず、最短距離で二人の方に向かう。
晶子の奴、もう疑われるような行動はしないとか言っておきながら、立派に周囲に見えるところで疑われるようなことをしてるじゃないか!
一体何のつもりだ?!
「晶子!!」
俺が走りながら怒鳴ると、晶子がそれに気付いたのか俺の方を向く。
困惑したような、驚いたような表情でその場に突っ立つ晶子に、田畑とかいう男が何やら話し掛けている。
それを見て、俺の中で何かが音を立てて切れたのを感じる。
俺は二人の傍に駆け寄るや否や、晶子の腕を掴んで自分の方に力任せに引き寄せる。晶子はきゃっ、と小さい悲鳴をあげて俺の前に来る。
俺は晶子に構うことなく、田畑とかいう助教授を睨みつける。だが、田畑は至って冷静で、むしろ俺を嘲笑っているかのようにさえ見える。
「何だね、君は。いきなり・・・。」
「お前が田畑とかいう浮名流しの助教授だな!」
「教官をつかまえてお前、とは随分な言い方だね。」
田畑は眼鏡を人差し指でくいと挙げて俺を見る。
明らかにその目は俺を嘲っている。そう思うと頭に上った血が沸騰するような感じがする。
「晶子ちゃん。その彼は一体誰何だい?」
「ま、晶子ちゃん、だと・・・!」
「女性に対する親しみの呼称だ。気に病むほどのことじゃないよ。」
「何処まで俺を馬鹿にすれば気が済むんだ、お前は!!」
「祐司さん、落ち着いて・・・」
「黙れ!!」
俺は晶子に向かって怒声を放つ。晶子はびくっとして項垂れる。
俺は再び田畑を睨みつけるが、田畑は憎らしいほど冷静沈着そのものだ。
完全に俺は侮られてる。腹の中で何かがぐらぐらと激しく煮え繰り返る。
「レディを怒鳴りつけるのは如何なものかね。」
「黙れ!!人の彼女に汚らしい手で触るな!!」
「私は彼女に指一本触れちゃいないよ。勝手な臆測は困るなぁ。」
「何が臆測だ!!彼方此方で女に手出してるくせしやがって!!」
「教官と生徒という垣根を越えて気軽に話し掛けるのと、ナンパ男の言動を一緒にされるのはちょっと迷惑だな。」
「お前のやってることはナンパ男のやることすることそのものだろうが!!」
俺は晶子を自分の後ろに回して、田畑を怒鳴りつける。
「彼方此方で女に手を出す暇があるなら仕事しろ!!」
「私は就業規則に則って仕事をしているよ。言いがかりは困るなぁ。」
「言いがかりもへったくれもあるか!!浮名流しの分際で、その何人もの女に触れた手で俺の彼女に触れるのは許さん!!」
「君の彼女だったのかい。晶子ちゃんに交際相手が居るなんて、今日この場で初めて聞いたよ。」
「何?!」
俺は後ろに居る晶子を見る。晶子は俺に睨まれるのが怖いのか、それとも気まずい雰囲気に耐えられないのか、何も言わずに俯く。
晶子・・・。何で俺と付き合ってるって言ってないんだ?!言いたくないのか?!
俺が再び田畑の方を向くと、田畑は憎たらしいほど落ち着いた態度で俺を見ている。
その目は「君が晶子ちゃんの交際相手か、ふーん」と言っているように見えてならない。
晶子が俺という交際相手が居るということを言っていなかったということと、田畑の冷静そのものの態度が、俺が前後左右も分からずに
じたばた足掻いているような気にさせる。
「まあ・・・、嫉妬のあまり彼女を束縛するのは良くないと思うよ。」
「お前に指図される筋合いはない!!」
「まあまあ、そんなにカッカせずに。そんなに彼女と僕が仲良くするのが気に入らないのかい?」
「分かってるならそうするな!!」
「そういう寛容さがない態度では、彼女との破綻は目に見えてるね。」
「!!」
「止めて!祐司さん!」
「止めろ、祐司!」
気が付いた時、俺は晶子と智一に両腕をがっしりと掴まれていた。
あと一歩のところで俺は田畑に殴りかかるところだったみたいだ。
頭に上った血が沸騰していたせいだろう、その辺のところはまったく記憶にない。
「キャンパス内で暴力沙汰は良くないね。二人が止めてくれなかったら、君は今日付で停学処分になっていたところだよ。」
「こ、この野郎・・・!!」
「先生!人を挑発するようなことを言うのは止めてください!」
「おっと、これは失礼。私としたことが・・・。」
田畑は悠然と身だしなみを整えて見せる。その様子が鼻にかかって仕方がない。
その仕草と俺を見る目が、俺が晶子の彼氏だということをまったく意に介していないのが嫌というほど分かる。
俺の頭に上った血がまた沸騰し始める。身体に力が篭るが、それはギリギリのところで封じられる。
「晶子ちゃん。君の交際相手はどうも相当嫉妬深いみたいだね。僕と会う時は彼に見つからないようにしないとね。」
「先生!そういう挑発するような言い方は止めてくださいって言ったじゃないですか!」
「おっと、そうだったね。じゃあ、また後で・・・。」
田畑は笑みまで浮かべて俺の方に手を振って−間違いなく晶子に向かってのものだろう−、生協の建物の方へ歩き去っていく。
侮られてる。嘲られている。
田畑の態度から嫌というほど感じた感情が、俺の歯をギリギリと軋ませる。
「落ち着け、祐司!暴力沙汰になったらただじゃ済まないぞ!」
「・・・分かったよ。だから離せ!」
俺が叫ぶと、俺を封じていた力がゆっくりと消えていく。
俺は息を切らしながら、田畑が歩き去って行った方向を一度睨んだ後、後ろに回した晶子に向き直る。
晶子は何と言って良いか分からないといった表情で俺を見ている。
普段なら可愛らしいとでも思うだろうが、今はそのはっきりしない態度が腹立たしくてならない。
「晶子・・・。どういうつもりなんだよ。」
「どういうつもりって・・・。」
「何で俺っていう交際相手が居るって今の今まで言ってなかったんだよ!そんなに言いたくなかったのか?!言えない事情でもあるのか?!」
「それは・・・。」
「落ち着けって言ってるだろ、祐司!今のお前が冷静に人の話を聞けるとはとても思えん!そんな状態でやり取りしてたら、それこそお前の怒りの矛先が
晶子ちゃんに突き立てられるだけだぞ!」
「これが落ち着いていられるか!」
「気持ちは分かる!だから今は兎に角落ち着いて、晶子ちゃんの話を聞いてやれ!」
智一の言葉で、俺は前に潤子さんが言った忠告を思い出す。何か言う前にゆっくり10数えなさい、というあの忠告を。
頭から血が引いてきたところで、ようやく俺はその言葉を実践に移す。
1、2、3、・・・9、10。
どうにか殴りかからんばかりの激情は消えた。俺は改めて晶子を問い質す。
「・・・もう一回聞く。何で今まで付き合ってる相手が居るって言ってなかったんだ?」
「・・・言う必要はないと思ったからです。」
「どういう了見でだ?」
「プライベートを先生に話す必要はないという意味です。祐司さんのことを隠して先生と仲良くしたかったという意思はありません。」
「・・・。」
「な?落ち着いて話を聞いてみればそういうことなんだよ。お前が一途なのは良いことだけどさ、それが暴力的行為に及んじゃ話にならないぜ?」
「・・・。」
俺は溜息を吐き捨てる。苛立ちが多分に混じった、吐き出しても吐き出しても胸の奥に引っ掛かっているような感じがするものだ。
その原因は何より、晶子の言動不一致にある。
晶子には、つい3日前に噂を生むような行動は慎め、と言ったばかりだ。
晶子も左手の薬指に指輪を填める相手が居ながら、その相手が居ないところで浮名を流す男と仲良くしてるのか、と思われて良いのかと尋ねたら
良くないと言った。
なのにその「良くない」ことを堂々と−見られなきゃ良いというものじゃないが−やっていた。これはどういうことだ?
俺は腕時計を見る。3コマ目が始まるまでもうそんなに時間は残されてない。
此処で急(せ)いて問い質したりすると、また頭に血が上って沸騰しかねない。とりあえずこの場は刺々しくなった感情を丸く治めるのが正解だろう。
俺は晶子に言う。
「・・・後で改めて話を聞かせてもらうからな。」
「分かりました・・・。」
晶子が頷いたのを確認して、俺は身を翻してさっさとその場を立ち去る。<さっきまで自分を翻弄した嘲りや激情が残る場に居るのが耐えられないからだ。
もっと突き詰めれば、そんな感情を俺に味わわせる原因を作り出した晶子とこれ以上同じ場に居るのが耐えられないからだ。
「お、おい、祐司!待てよ!」
智一の声が聞こえる。だが、俺はそれに構わずその場を後にする。
話の続きは今日のバイトが終わった後だ。この場はこれで終わりだ。これ以上あの場に居たくない。
晶子の奴・・・自分が良くない、と言ったことを堂々とやっていたのはどういう了見だ?まったく理解出来ない。
否、俺の今のぐちゃぐちゃになった思考回路で理解しようとする方が無理な話だ。
俺の中に嫌な予感が浮かぶ。
宮城も他の男と気軽に仲良くなるタイプだった。
俺にはそれが理解出来ず、宮城の気持ちが他の男に向くことを恐れて、その場に割り込んで宮城を引き離して散々厳重注意した。
宮城はその場で謝って一件落着、となったが、結局は俺の手が及ばないところで他の男に走って関係そのものが壊れてしまった。
その二の舞になるんじゃないか?晶子は俺の目が届かないのを良いことに、自分に言い寄ってきた目ぼしい男の方に走ってしまうんじゃないか?
信じよう、信じたい、と幾ら自分に言い聞かせても、わけの分からない念仏を垂れ流しているだけみたいでまったく効果がない。
悪い方へ、悪い方へ、俺の心のベクトルが太く長く伸びていくのが分かる。
俺は・・・また裏切られるのか?
時に信じて時に疑って、それでも関係は永遠に続くと信じて・・・その関係は呆気なく壊れちまうのか?
怒りと恐れがごちゃごちゃに絡まって俺の心の中で渦巻く。どうなっちまうんだ?俺と晶子の関係は・・・。
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