雨上がりの午後
Chapter 78 遊園地にて−前編−
written by Moonstone
「・・・じさん、祐司さん。」
夢うつつの中、晶子の声が聞こえて来る。もう朝なのか・・・?何時どうやってキスを終わらせたんだっけ・・・。全然覚えてない・・・。
「ゆ・う・じ・さ・ん。」
再度俺を呼ぶ声が聞こえると、次の瞬間、唇に柔らかいものが触れて離れる。
俺はがばっと身を起こす。横を見ると、服を着替えてエプロンを着けた晶子が楽しそうな顔をして立っている。
「おはようございます。」
「・・・お、おはよう。」
「余程眠かったんですね。私が起きても全然目覚める気配がなかったですし。」
「まあな・・・。それより・・・キスで起こしたな・・・。」
「頬にした方が良かったですか?それとももっと濃厚な方がお好みです?」
「・・・さっきので良い。」
「じゃあ、これからもそうしますね。朝御飯、もうすぐ出来ますから着替えてて下さい。」
「ああ、分かった。」
俺が応えると、晶子は軽い足取りで部屋を出て行く。どうやらもう心配はないみたいだな。
さて・・・着替えるか。安心したらちょっと眠気が戻ってきた。
俺は目を擦ってやや霧がかかっていた意識をさっぱりさせて、鞄の中にある服を取り出して手早く着替える。
この季節は着るものが少ないし暖房も必要ないから、着替えるのが楽で良い。
俺がパジャマを適当に畳んで鞄に仕舞い「指定席」のクッションに腰を下ろして程なくドアがノックされる。朝飯が出来たんだろう。
俺は立ち上がってドアを開ける。晶子が盆に料理が乗った皿を幾つも乗せて立っている。夕食同様、この部屋で食べるつもりらしい。
「あ、悪い。邪魔になるな。」
俺が脇に退くと、晶子は俺に微笑んで言う。
「どうもありがとう。御飯と味噌汁持ってきますね。」
晶子は俺の前を通ってテーブルに手早く料理を並べる。そして再び俺の前を通って部屋を出て行く。
間もなくお玉が入った、蓋の隙間から湯気が出ている鍋と炊飯器を持って戻ってくる。
食器は既にあるからそれは良いとして、重い思いをしてまでリビングの小さなテーブルでくっついて食べようとしなくても・・・。まあ、別に構わないけど。
「お待たせしました。食べましょう。」
「あ、ああ。」
俺は返事をして「指定席」に着く。晶子は先に「指定席」に座って御飯と味噌汁をよそっている。
出来たてと分かる御飯と味噌汁、それに目玉焼きと付け合せの野菜、ひじきと豆の煮物、そして漬物。
昨日まで止まっていた民宿のそれと比べても何ら遜色ない。
「よくこれだけ作ったなぁ・・・。」
「朝6時に目が覚めましたから、ちょっと手の込んだものを作ってみようか、って思って。」
「俺、あまりよく知らないけど、煮物って結構時間かかるんだろ?」
「まあ、焼いたり炒めたりするよりは時間かかりますね。」
「そういえば・・・今何時なんだっけ?」
「8時半過ぎですよ。」
目覚し時計を見てみると、確かに8時半を過ぎている。
起きてから2時間以上あればまあ作れても不思議じゃないけど・・・。よく6時に起きれたな。それに煮物まで作るなんて・・・。
普段の朝じゃ絶対お目にかかれないメニューの数々に見入ってしまう。
「さ、食べましょうよ。」
「あ、ああ。それじゃ・・・。」
「「いただきます。」」
俺と晶子は唱和して食べ始める。勿論、食前の茶の一口は忘れない。
家じゃ専ら水だけど、いきなり食べるよりスムーズに胃に入っていくような気がする。
「今日、どうします?」
晶子が尋ねてくる。
そういえば昨日今日と晶子の家に泊まることは約束してあったが、それ以外は何も決まっていなかったりする。
まあ、昨日は昼過ぎに帰ってきたし、旅行の疲れも残ってたから此処に居たが、大学もバイトも休みというこの機会を家でゴロゴロ、なんていうのは
ちょっと勿体無い気がする。
「そうだなぁ・・・。買い物は?」
「今日は特に買うものはないんですよ。」
「かと言って一日歌の練習、ってのも何だしなぁ・・・。どこか遊びに行ければ良いけど、場所知らないしな・・・。」
「あの・・・。良かったら新京フレンドパークへ行きませんか?」
「新京フレンドパーク?」
何だか何処かで聞いたことがある名前のような気がするが・・・そんな場所があるなんて今日この場で始めて知ったな。
名前からして遊園地の類だろうけど、なかなか興味がそそられる。遊園地自体、行くのが何年ぶりかってくらいだからな。
「ええ。大きな遊園地ですよ。一日じゃ遊びきれないくらい大きな場所なんです。・・・何時か、祐司さんと一緒に行きたくて・・・。」
「遊園地か・・・。それも良いな。遊園地なんて何時以来だろう?」
「多分、大学最寄の駅からバスが出てると思うんですけど・・・。」
何で場所を知ってるのに、行き方は知らないんだ?情報誌か何かで知ったのか?そう考えるのが妥当か。
まあ、それが行く行かないを決定する要因にはなりえない。行き方が違っていたら諦めるか誰かに聞くかすれば良いことだ。
「それじゃ、行こうか。」
「ええ。」
晶子は嬉しそうな笑顔を浮かべる。やっぱり晶子はこういう表情がよく似合う。
悲しんだり落ち込んだりしてる様子は、何分感情がストレートに表に出るから、見てて辛いんだよな・・・。見ている方まで悲しくなってくるから。
朝飯を終えて晶子が洗い物を済まし、二人揃って歯を磨いた後、そのまま駅へ向かった。
例によって例の如く、俺が運転する自転車の後ろに晶子が乗るという形で。
途中俺の家に立ち寄り、定期券を持って再び出発。折角の定期なんだから使わなきゃ損だ。勿論、晶子もちゃっかり持っている。
改札を通って普段使うホームの一角に立つ。学生諸氏は夏休みだが社会人の夏休みにはまだ早い。家族連れもパラパラ居るが少数派だ。
普段の通学時より明らかに少ないホームには、やはり友達集団とカップルが目に付く。
向かい側のホームには鞄を持って賑やかにしている友達集団やカップル、そして若干の家族連れでかなり混み合っている。多分柳ヶ浦へ向かうんだろう。
少しして電車が来た。
降りる人が居なくなったのを確認してから乗り込む。もっとも降りる客は少ない。
座席には空白が目立つ。何時もは座席が見えないくらい混雑するから余計に閑散として見える。
俺と晶子はドアに近い座席に並んで腰を下ろす。間もなく自転車が動き始める。
最寄の駅らしい大学最寄の駅まで10分。普段は混み合って苦痛だが今日は心理的にも余裕がある。
やがて電車は大学最寄の駅のホームに滑り込む。そこで俺と晶子の他、複数の友達連れやカップルが降りる。やっぱりこの駅で間違いないみたいだな。
それにしても・・・この駅からそんな遊園地に通じてるなんて思わなかった。意外に地理的に恵まれた場所に住んでるんだな。俺と晶子は。
改札を出て普段利用しないバスターミナルへ向かう。
さっき降りた人の多くがそっちへ向かっているから多分バスターミナルの何処かに新京フレンドパークへの発着場があるんだろう。
人波に混じって歩いていくと、「新京フレンドパーク」という表示が見えてきた。
確かF1が開催される某所でも最寄の駅からバスが出ているくらいだから、晶子が言うように大きな遊園地なら、同じようにバスが出ていても
全然不思議じゃないよな。
人波の大半はその「新京フレンドパーク」の表示があるところで止まり、先着順で自然に行列が出来る。
俺と晶子はやや後ろの方になってしまったが、多分次ので乗れるだろう。乗れなかったら次のを待てば良い。今日は慌てる必要なんて何もないんだから。
「なあ、晶子。」
「はい?」
「俺も今の町に住むようになって1年以上経つけど、よく遊園地がこんな近くから行ける場所にあるなんて知ってたな。情報誌か何かで知ったのか?」
俺が問い掛けると、晶子は何か言い難そうに視線を逸らす。
どうしたんだろう、と思っていると、晶子は言い難そうに言う。
「実は・・・新京フレンドパークへ行くのは今日が初めてじゃないんです。」
「初めてじゃないって・・・誰と行ったんだ?」
「祐司さん、覚えてますか?祐司さんと私が伊東さんからのデートの誘いを受けたことで喧嘩した時・・・。」
「ああ、覚えてる。」
「で、丁度祐司さんが熱を出して寝込んでいた時の伊東さんとのデートで最初に連れて行ってもらったのが新京フレンドパークだったんです。」
「あ、なるほど・・・。」
そういえば、俺が朝から寝込んでいたあの日は、晶子が智一とデートに出かけたんだったな。
俺は夜に晶子が俺の家に駆け込んでくるまでどういう経緯があったのか知らないが、新京フレンドパークがその舞台の一つだったのか。
謎というほどのものじゃないが、俺が知らない間に何処に行っていたのか分かって、ちょっと安心した。
「すみません。祐司さんにそのことを話さないままつれて来てしまって・・・。」
「何も謝ることないだろ。あの日晶子は智一とデートに行ってたんだから、その時新京フレンドパークに行ってたとしても不思議じゃないじゃないか。」
「・・・そう・・・ですね・・・。」
如何にも申し訳なさそうに下を向いた晶子の手を握る。晶子は少し驚いた様子で俺を見る。
「今日は俺と行くんだからさ、思う存分楽しもうな。」
「・・・はい。」
「晶子が申し訳なく思う必要は何処にもないさ。つまらん意地張って晶子を智一とのデートに走らせたのは、他ならぬ俺自身なんだから。」
「・・・祐司さん・・・。」
「それより、俺は今日が初めてだからさ。時間はかなり経ったけどそれなりに覚えてるだろ?面白いアトラクションとか案内してくれよ。」
俺が言うと、晶子はようやく微笑みを浮かべて小さく頷く。やっぱり晶子にはこういう表情がよく似合う。
それに今から遊園地に行くんだ。通夜や葬式に行くんじゃない。楽しくいかないとな。
少し待っているとバスがやってきた。中からは殆ど人が降りてこない。
どうやらこのバスは新京フレンドパーク直通じゃなくて、普通のバスと同様停留所が幾つかあるらしい。
こう言っちゃ失礼だが、見たところ60、70の老人が朝早くから新京フレンドパークで遊んでいたとは思えない。
前方のドアから乗客が降り終わると、今度は中央部のドアが開いて、そこから行列がバスに吸い込まれていく。
整理券が必要なタイプかと思ったら−実家周辺のバスがそうだった−前の乗客が整理券を取る様子はない。
俺と晶子は続いて乗車する。前を見ると「運賃200円」とある。
どのくらい距離があるか知らないが安価で終点まで行けるんだから結構お得だ。まあ、距離が短い乗客には割高になるだろうが。
乗客が入ってくるにしたがって車内が混み合ってくる。俺は晶子の手を引いて前の方に移動する。
こうすれば降りる時も早いし後の乗客の邪魔にならないし、良い考えだと我ながら思う。
・・・大したことじゃないか。
「間もなく発車します。扉付近の方、ご注意ください。」
やや営業的なアナウンスが流れる。後ろを見ると、乗客が人垣に阻まれているみたいだ。
全体を見たわけじゃないから確証は持てないが、恐らくこれ以上は入らないだろう。諦めて次のを待った方が賢明だと思うが・・・。
少ししてその乗客は乗るのを諦めてバスから下がる。
それを見ていたかのように−多分バックミラーに映っていたんだろう−、ドアが閉まります、というアナウンスが流れてドアが閉まる音がする。
そしてゆっくりと動き始める。
線路を潜り−今まで気がつかなかったが道路が線路下を潜るようになっていた−、バスは軽快に走る。
俺は晶子から手を離して財布を取り出し、小銭入れの部分から100円硬貨2枚を取り出す。
晶子もズボンのポケットから財布を取り出して200円を取り出すと、財布を仕舞って俺の腕に掴まる。
俺は財布を仕舞って近くの吊革を握る。バランスを崩して転んだりしたら迷惑だし、それこそ物笑いの種になる。
途中幾つかの停留所で止まって走ること15分ほど。巨大な観覧車が見えてきた。
あそこが新京フレンドパークか。どんなアトラクションが待っているやら。
ジェットコースターは正直御免被りたい。あれに乗ると怖くて目を瞑っているしかない。
宮城は俺とは逆でそういうのが大好きで、最後の方で俺はフラフラになったこともあるしな・・・。
観覧車が次第に大きくなってくると、周囲が俄かに慌しくなる。運賃200円を用意してるんだろう。
俺と晶子は予め用意してあるし、出口も近いから200円を運賃箱に放り込んでさっさと出れば良いだろう。
「間もなく終点、新京フレンドパークです。お忘れ物のないようにご注意ください。」
ワンマンバスらしい女性の声でのアナウンスが流れる。
バスは緩やかな斜面を登って駐車場に入る。そして程近いところにあるターミナルで減速しながら180度方向転換して、屋根のある降車場に止まる。
そして出口のドアが開く。
前の方に居る俺と晶子は直ぐに出る順番が回ってきたので、それぞれ200円ずつ運賃箱に放り込んでバスを降りる。
観覧車が間近に聳(そび)え立っている。あの頂上から見る景色はさぞかし良い眺めだろうな・・・。
俺は晶子に腕を掴まれながら入り口へ向かう。
まだ開園間もない時間だと思うが、意外に入場口は混み合っている。長蛇の列、とまではいかないにせよ、結構な混み具合だ。
まあ、学生は夏休みだし、その関係で人が多いんだろう。人が居ない遊園地はかえって不気味だ。
窓口で順番が回ってきた俺は、二人分の入場料4000円を出そうと財布を出す。
その時、横から千円札2枚が差し出される。横を見ると晶子が微笑みながら千円札を差し出している。
「男の人に払わせるなんて、今時流行らないですよ。」
晶子の厚意を−本人は当然のことと思っているようだが−受け取って、俺は自分の分2000円を取り出して大人2枚分のチケットを受け取る。
そして晶子にチケットを1枚手渡して、入場門でチケットのもぎりを受けて入場する。
中は思った以上に様々なアトラクションが詰まった、遊園地らしい風景だ。
そんな中、歓声とも悲鳴とも付かない声と轟音を伴って白いジェットコースターが疾走していく。俺が見た時は逆さになっていた。
今から早速、晶子があれに乗りたいと言い出したらどうしようか、と頭を悩ます。
「私、ジェットコースターは苦手なんですよ。」
「え?」
「ジェットコースターに限らず、所謂絶叫もの全体が苦手なんです。気分が悪くなりますから。」
「あ、そうなのか・・・。」
不謹慎だが、俺は内心ほっとする。これで怖い思いをする必要はなくなったわけだ。
幾ら何でも好きな相手の前でみっともないところは見せたくないからな・・・。でも、事前通告するあたりは晶子らしい。
「祐司さんはどうですか?ああいうの。」
「ちょっと情けない話だけどさ・・・俺も苦手なんだよ。何かただ掴まってるだけで精一杯っていうか、そんな感じでさ・・・。」
「ちっとも情けなくないですよ。好き嫌いや得手不得手は人それぞれですから。それより祐司さんがそういうの好きだったらどうしようかって不安でしたよ。」
「それならそれで、事前に聞くさ。まかり間違っても楽しむ場所で嫌な思いはさせたくないからな。」
俺がそう言うと、晶子は俺の左腕にぎゅっと腕を絡ませる。
いきなりの「攻撃」に俺の心拍数が急上昇する。初めてでもないのにどうしてこうも緊張するんだろうな・・・。まだ慣れてないせいか?
「これからどうします?」
「そんなに人は居ないみたいだから、ゆっくり歩いて面白そうなものに乗ろう。時間はたっぷりあるし。」
「そうですね。今日は大学もバイトも考えなくて良いんですよね。」
晶子は嬉しそうに微笑んで俺の肩に擦り寄ってくる。人目も気にせずに大胆と言うか積極的と言うか・・・。
まあ、悪い気はしない。好きな相手にこうされて嬉しくない男はそうそう居ないだろう。
何と言っても腕に女特有の柔らかい感触を感じられるしな・・・。これも男の性というやつか?
それから俺と晶子は、二人共苦手な絶叫もの以外のアトラクションを手近なところから楽しんだ。
絶叫ものでなくても意気投合できる相手となら何でも良いと思う。晶子も笑顔が消えないし、それだけでも気持ちが良い。
昼前になったところでアトラクション巡りを一旦止めて、腹ごしらえをすることにした。
最寄の案内図を見ると・・・飲食店は中央部に集中しているのが分かる。
これだけあると目移りするが、兎に角行ってみないことには始まらない。
俺は晶子を連れて−相変わらず腕を絡めている−中央部飲食店エリアへ向かう。
「何か食べたいものあるか?」
「私は好き嫌いないですから、祐司さんの好きなところで良いです。」
俺の好きなものと言えば・・・焼肉とかピザとかこってりしたものなんだが、それ以外でも大抵のものは食べられる。
焼き茄子だけは絶対御免だが−あれは食べる気がしないどころか見るのも嫌だ−、それを除けば選り取りみどりだ。
飲食店エリアをひととおり見て回って、無難な喫茶店風の店を選んで中へ入る。
かなり店内は混み合ってはいるが、待ったり相席をする必要はなさそうだ。
俺と晶子は店員に案内されて壁際の席の一つに案内される。
周囲の視線が俺達に注がれる。否、正確には男の視線が晶子に注がれる。そして俺を見て残念そうに視線を戻すのが分かる。
晶子が一人だったらきっと声をかけようか、と様子を伺うんだろう。
気持ちは分からなくもないが、彼女持ちの奴まで目を輝かせるのはどうしたものか。
「やっぱり男の人って、女の人の見た目で全てを決めるものなんですか?」
視線を感じたのか、晶子が少々迷惑そうに声を潜めて問い掛ける。
内容が俺にも関わるだけに、ちょっと答え辛いな・・・。
「まあ・・・大きな要因ではあるのは確かだな。それは女だって一緒だと思うけど。」
「ええ、そうは思います。だけど、それで全て決め付けちゃうのはどう思いますか?」
「それは・・・俺が言うのも何だけど、踏み込み過ぎだな。よく言うだろ?『綺麗な薔薇には刺がある』って。全部が全部そうじゃないけど、
決め付けてかかると刺にやられるだろうな。」
「祐司さんは、最初に私を見た時、どう思いました?」
「思い出してみても・・・第一印象は『何だ?この女』だな。顔を見合わせたら晶子が驚くもんだから、何で驚かれなきゃならんのだ、って
訝る気持ちしかなかった。丁度・・・ふられた直後だったし。」
「改めて私を見たときはどう思いました?」
「客観的に見て美人だな、とは思った。でも、あの頃は精神がささくれ立ってたから、何で俺に付き纏うんだ、ってくらいしか思わなかった。」
あの時は本当に精神がささくれ立っていた。目に映る何もかもが薄汚い灰色にしか見えなかった。
だから晶子の気持ちを少しも考えようとせず、こいつは俺を傷つけようとしている、と一方的に決めつけて跳ね除けていた。
今にして思えば大人げないというか、みっともない真似をしたと思う。
それでも晶子は、こういうと語弊があるが、俺にしつこく食らいついてきた。バイト先にまで食い込んできた。
そしてなし崩し的に音楽を教えることになって、俺が初心者に対するものとしてはあまりな厳しさで接しても、一言も弱音や不満を言わずに食らいついてきた。
何故そこまで、ただ自分の兄に似ているというだけの俺に食らいついて来るのか分からなかった。
でもやがて、俺の中で何かが変わり始めた。
晶子が単に俺を自分の兄の代りにしようとしているんじゃないことに気付いた。
そして何時の間にか晶子を好きになっている自分に気付いた。
今の俺と晶子の関係は、晶子のお陰で成立していると言っても良いだろう。
「・・・人間、見た目や第一印象が全てじゃないよな。接してみて初めて肝心の中身が分かるんだよな。俺はそれに気付くのが遅過ぎたけど。」
「遅過ぎてなんかないですよ。祐司さんがそれに気付いたから、今私とこうして一緒に居るんじゃないですか。」
「そう・・・だな。」
「祐司さんは私を見た目で立ち居振舞いとかを決め付けないで、女としてじゃなくて人間として接してくれたと思ってます。女だから優しく、とかいう
似非(えせ)フェミニズムなしで、音楽を教える相手として接してくれた・・・。私はそう思ってますし、それが嬉しかったです。
妙な先入観を持って接して来る男の人が多くてうんざりしてましたから・・・。」
「あの当時の俺は男と女の区別なんてつかなかったし、つけられなかった。それが、晶子にとっては良かったわけか・・・。」
「ええ。それで祐司さんは他の男の人とは違う、下心なしで女の人と接することが出来る男の人だと思ったんです。それが凄く新鮮で嬉しくて・・・。
それが私の中の祐司さんの位置づけを変えることになったんですよ。兄の代りじゃなくて、安藤祐司っていう一人の男の人だ、って。」
「互いの思惑の違いが俺と晶子を結びつけることになるなんて、考えてみりゃかなり珍しいことだな。」
「そういうのもあって良いんじゃないですか?」
「そうだな。」
俺と晶子は顔を見合わせて笑みを浮かべる。
最初の頃は物凄いストーカーに付き纏われて、挙げ句の果てには離れようにも離れられないところにまで追い込まれた自分の境遇を恨んだもんだ。
でも、そういう過去があったから今の俺と晶子の関係があるんだよな。世の中、何がどう転ぶか本当に分からないもんだ。
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