written by Moonstone
「でも、私と主人は二人が仲良くなってくれて良かった、って真剣に思ってるのよ。」
お猪口をくいっと傾けて潤子さんが言う。空になったそのお猪口に酒を注ぎながらマスターは、何度も深く頷く。「最初の頃、祐司君は晶子ちゃんを相当毛嫌いしてたからなぁ。歌の指導を任せたのは良いが、折角潤子念願のキッチン担当が入ったのに
直ぐ辞められやしないかって、潤子と一緒にハラハラしてたんだぞ。分かるかい?祐司君。」
「ええ、よーく分かりますよ。俺だってあの頃は晶子とペアを組まされて、さらに歌の指導なんて、何でそこまでやらなきゃならないんだ、って
何度も思いましたから。」
「でも、一月くらいの間によくあれだけ歌えるようになったもんだ。」
「だってマスター、祐司さんは教え方こそ厳しかったですけど、私が納得できるまで何度も同じフレーズを演奏してくれたり、
楽譜の読み方も丁寧に教えてくれたんですよ。それで上手くならなかったら祐司さんに申し訳ないじゃないですか。」
「教え方が厳しいかったのについていけたのは、やっぱり教える人が祐司君だったから?」
「ええ、そうですよ。好きな人に毎日会えて、それに自分の面倒まで見てくれるんですから、頑張って上手くなって誉めてもらうんだ、って思ったんですよ。」
「祐司君の気持ちが変わってきたのは、晶子ちゃんがステージデビューを果たした前後じゃない?」
潤子さんが話を俺に振ってくる。此処まで話が深入りするとは思わなかったが、まあ、話しちゃっても良いだろう。「そうですね。晶子がステージデビューに成功したとき、楽器が出来るバイト仲間だ、って思うようになりましたね。」
「なかなかガードが固いなぁ、祐司君は。やっぱり前の彼女にふられて間もなかったからか?」
「あなた。幾らお酒の席だからって、人の過去の傷に触れるのは良くないわよ。」
「・・・もう良いんですよ。終わったことには変わりないですから。」
「マスターの言うとおり、まだ心に壁を作って外からも内からも出入りできないようにしてましたからね。晶子がステージデビューを成功させたときは、
その壁が少し低くなった、っていう感じですね。」
「それが今みたいなラブラブの関係になったのは、ズバリ、祐司君が寝込んだ時だろ?」
「今みたいな関係になったのはもっと後の話ですけど、あの時が俺にとって大きな転換点になったのは間違いないです。
俺の友人と晶子がデートすることになって、それで晶子を責めたてて・・・無茶苦茶だったんですよ、あの時の俺の心って。
それで熱出して寝込んでりゃ世話ないですよね。ははっ。」
「あの時は・・・止めて欲しかったんですよ。でも、祐司さんは止めるどころか、私を責めるばかりで・・・私のこと、何とも思われていないんだって思うと
凄く悲しくなって・・・その場から走って帰ったんです。ううん、悲しくてその場に居たくなかったんです・・・。」
「ほらほらぁ、祐司君、そういうときに晶子ちゃんの気持ちを察してあげてこそ、男ってもんだぞ。」
「あなた、無茶な話よ、それ。その時はまだ、祐司君は晶子ちゃんにバイト仲間くらいの感情しか、抱いてなかったんだから。」
「潤子さんの言うとおりです。それに・・・それまで祐司さんの後を追いかけていながら、そのときに限って祐司さんに自分の気持ちを察して欲しい、なんて
虫が良過ぎたんですよ。デートを途中でキャンセルして祐司さんの家に駆けつけて、祐司さんが寝ているベッドの横に座って、
初めて自分が勝手なことしてた、って気付いたんです。」
「うーん・・・。女心は複雑だな、祐司君。」
「ええ。でも・・・晶子が心配して見舞いに来てくれたのは嬉しかったですよ。病気になると急に人恋しくなるって実感しましたね。」
「一人が急に寂しく思えるときってあるからね。丁度その寂しさを晶子ちゃんが癒してくれた。それが今の関係に繋がったのかしら。」
「そうですねぇ・・・。心情的なものですから、はっきりこの時、とは言えないにしても、あの頃から晶子を見る目がまた変わったんじゃないか、って思うんです。
ただのバイト仲間じゃなくって、もっと自分にとって大切な、そして必要な存在だ、って。」
「む、難しい言い方だな。流石は理数系。」
「別に言い方に理系や文系の違いなんてないですよ。」
「ボキャブラリーの量の違いですね。」
「ぐわっ、いきなりチーム組んで攻撃するとは・・・やられたなぁ。」
「ふふっ、良いじゃないの。二人が仲良くやってる証拠だと思えば。」
「ま、そりゃそうだ。で、お二人さん・・・。」
「どこまで進んだ?お子様じゃあるまいし、手を繋ぐくらいはしてるだろう。キスはやったか?何処で決めた?ん?」
俺は全身から力が蒸散していくのを感じる。や、やっぱり色恋沙汰の話になるとそこに行き着くのか・・・。「そうね。ここは一つ、二人の雇用者として交際の進展状況を確認しておく必要があるわね。」
だ、駄目だ。素面ならマスターの頭をひっぱたくようなからかいに、頼みの綱の潤子さんが同調してしまっている。「えっと・・・手はよく繋ぎますよ。一緒に寝るとき、手を握って私が祐司さんの腕に抱きつく格好で寝るんですよ。」
「へえ〜。祐司君、よく我慢できるわね〜。普通の男の人だったら狼になっても不思議じゃないわよ。」
「ちょ、ちょっと待て、まさ・・・むぐっ!」
「じゃあ、キスは?」
「キスもしましたよ。クリスマスコンサートが終った後、プレゼントの一つとして私の方から・・・。」
「あら〜、晶子ちゃん、随分積極的ね。」
「ほう。クリスマスプレゼントというのはなかなか・・・ムードの面でもインパクトの面でも合格点だな。」
「二人がこの店で出会って約3ヶ月。その間に色々あったと思うが、そこまで親密になったのは俺達も嬉しい。なあ、潤子。」
「ええ。一時はどうなるかと心配してたけど、恋人同士にまでなったんだから、もう私達が心配することは殆どないわ。」
「殆どって・・・どういうことだ?潤子。」
「二人共大学生だから成人式や年齢は関係なく、もう大人と言っても良いわ。だからその場の成り行きやなし崩しで一線を超えるようなことは
しないで欲しいの。二人の気持ちが高ぶって、双方合意の上で一線を超えるのは私が口出しする範疇じゃない。
でも、もし一線を超えるなら最低でも婚約してからか、そうでなければきちんと避妊してね。子どもを出汁にして関係を続けるのは、
本当の恋人や夫婦がすることじゃないって私は思うの。」
「「・・・はい。」」
「もう一つ・・・これは特に晶子ちゃんにどうしても聞いて欲しいんだけど、聞いてくれる?」
「はい。」
「ありがと。えっとね・・・。祐司君は理数系だから、2年になると忙しくなってくると思うの。大学の講義も専門性が強まって、
ついていくのが精一杯なんてことも考えられるわ。それに祐司君は店のバイト代を生活費の補填に使っているっていうから、
講義のレポートがあるからといって簡単にバイトを休むって訳には行かないと思うの。だから相当体力と気力を使うことになると思うから、
無理言ったりして祐司君を困らせないであげて欲しいの。」
「・・・はい。」
「それに学年が進むと、理数系につきものの実験やレポートの嵐があるでしょうし、こういうご時世だから就職活動も入ってくると思うの。
そうなると、今みたいに貴方達二人が四六時中一緒に居られることは少なくなると思うわ。会いたくても会えない日が続くかもしれない。
・・・だから晶子ちゃんには、会えないことや寂しさを理由にして、他の男性に目を向けるようなことはしないで欲しいの。
祐司君と一緒に居られないことが嫌いになる条件になるくらいなら・・・はっきり言って、祐司君と付き合うのはこの場で辞めた方が良い。そう思うの。」
「分かってます。祐司さんだって、私と一緒に居られないからといって、何時も以上に気を使ったり、無理に二人の時間を作ろうとしたりしないで欲しいんです。
それじゃ、祐司さんが参っちゃうから・・・。」
「・・・晶子。」
「分かってくれてるみたいね。ちょっとお説教になっちゃったけど、折角貴方達二人は特別な関係になったんだから、それを大切にして欲しいの。
勿論、縁もあるとは思うけどね・・・。」
「・・・会えないから嫌いになるわけじゃない。会えないのを理由にして嫌いになる。その違いってわけだな。」
「ええ。私達も結婚するまでは二人きりになれる時間がなかなか持てなかったでしょ?」
「ああ。お互い仕事も違えば活動時間も違うわで、会う日にちを調整するのが難しかったからな。」
「でも会えない寂しさや別の恋の誘惑を乗り越えたからこそ、今の私達とこのお店があるのよね。」
「そうそう。互いに我慢強かったもんだ。」
「さて、ちょっと重い空気になっちゃったけど、祐司君と晶子ちゃん。沢山食べて飲んでいってね。まだビールも日本酒もあるし、
お餅も雑煮の他に焼餅も出来るから安心してね。」
「潤子。雑煮まだあるか?」
「えっと・・・大丈夫。餅は幾つ欲しい?」
「3つかな。」
「ちょっと待って。少し温めるから。」
「えっと、数の子はっと・・・。」
「晶子、ビール飲むか?」
「え?はい、いただきます。」
「それじゃ、どうぞ。」
「ありがとう。」
「あら、晶子ちゃん、眠いの?」
「・・・ん?え、ああ、大丈夫です・・・。」
「今日は家に泊まっていったら?布団もあるし。」
「俺も潤子もかなり飲んだから、車で家まで送ってやることも出来んし、その方が良いぞ。遠慮はしなくて良いから。」
「俺は自転車で晶子と一緒に来たんですけど・・・かなり飲みましたからね・・・。」
「自転車でも飲酒運転は引っかかるぞ、確か。」
「・・・じゃあ、すみませんけど俺と晶子を泊めて貰えますか?」
「勿論良いわよ。布団敷いてあげるからちょっと待ってて。」
「マスター。潤子さんと飲んだりするんですか?」
「ああ。休み前の日曜の夜は二人でビールかワインを1本は空ける。俺と潤子は二人暮らしだから、外へ飲みに行くとなると飲酒運転になっちまうから
片方は飲めなくてつまらん。だから、家で飲むのが習慣になってる。」
「やっぱり一人より二人の方が飲むのは楽しいですよね。」
「食事もな。」
「そうですね・・・。人数が増えすぎてもグループが出来てしまって面白みがなくなりますけど、今日みたいに4人くらいなのが一番楽しいですね。」
「その場に居る人間にも依るが・・・祐司君の言うとおり、二人から四人が一番会食や飲み会が楽しくなる人数だな。・・・もっと飲むか?」
「いえ、これ以上飲むと潰れちまいそうなんで・・・。」
「そうか。それならそれで良い。俺も無理に勧める気はないし、無理に勧めるのは酒席のルール違反だからな。」
「あら、晶子ちゃん、寝ちゃったの?」
「そう・・・みたいですね。」
「この際だ。祐司君。彼女を布団まで運んでやったらどうだ?」
「・・・そうします。」
「おおっ、お嫁さん抱っこか。祐司君、なかなかやるじゃないか。」
「今度、晶子ちゃんが起きてるときにやって見せて貰いたいわね。」
「あの・・・それより布団まで案内してくれませんか?」
「ああ、そうだったわね。さ、こっちよ。」
「潤子さん・・・。どうして枕が2つあるんですか?」
「あらぁ、祐司君が添い寝できるようにするために決まってるじゃない。」
「下で飲み食いしてたとき、俺と晶子に言ったじゃないですか。その場の成り行きやなし崩しで一線を超えないようにって。忘れちゃったんですか?」
「勿論、覚えてるわよ。でも、祐司君、今まで何度か晶子ちゃんと一緒に寝たんでしょ?それは祐司君にちゃんと理性のブレーキがかかるってことの
証明って言えない?」
「そ、それはそうかもしれませんけど・・・。」
「酔った勢いで、ってことが心配?」
「・・・分からないです。」
「大丈夫。今まで出来たことなんだから。」
「厚手の掛け布団と毛布に、その格好じゃ熱いわね。」
潤子さんは晶子のセーターを脱がして丁寧に素早く畳んで枕元に置いて、ブラウスの襟元のボタンを1つ2つ外す。「あら、祐司君。目の前のご馳走が食べたくなった?」
「!そ、そんなことは・・・。じゅ、潤子さんも扇動するようなこと言わないでくださいよ。」
「ふふっ。隠しても駄目よ。祐司君の目の色が変わってたもの。」
「そんなことありませんったら!」
「あんまり大きな声出すと、晶子ちゃんが起きちゃうわよ。」
「・・・優しいのね、祐司君。」
「いや、だって寒そうでしたから・・・。」
「そうやって相手のことを思いやる気持ちがある限り、貴方達二人はずっと絆を保っていける。ううん、もっと強くなるわ。」
「・・・そうなると良いですね。」
「祐司君はどうする?」
「俺も・・・寝て良いですか?酒がかなり頭に回ったみたいなんで・・・。片付けとかしてないですけど。」
「片付けなんかは私がするから良いわよ。何時もよりちょっと増えるくらいだから。それに、今まで二人でちょっとしんみり正月を迎えていたのが、
祐司君と晶子ちゃんが来てくれたお陰で、凄く楽しい場になったんだから、むしろ私や主人がお礼を言いたいくらいよ。」
「あれほど散々飲み食いしてもですか?」
「こういう場合、飲み食いの量は問題にならないのよ、祐司君。どれだけ楽しい場が出来たかが大事なのよ。」
「俺は凄く楽しかったです。」
「私もよ。きっと主人もそうだわ。さて、冷えて風邪ひくといけないから、早く晶子ちゃんに添い寝してあげて。」
「普通に寝て、って言えないんですか?」
「添い寝用に用意した枕だからねぇ。」
「それじゃ、お休みなさい。明日は起きれたら下に下りてきて。おせち料理とは違う朝食を用意するから。」
「はい。お休みなさい。」
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