written by Moonstone
「お、おはようございます、否、こんにちは・・・って、あれ?」
ダイニングには晶子はおろか、マスターと潤子さんの姿もない。「上出来、上出来。今までのレパートリーにないポップスタイプの歌だから、客の受けも良いと思うよ。」
「練習期間が短いって言う割にはしっかり歌えてたじゃない。祐司君とも相談してだけど、これはレパートリー追加決定ね。」
「ありがとうございます。あ、祐司さん!」
「おっ、祐司君。晶子ちゃんが『Stand up』を歌ってたんだぞ。どうだった?」
「最後の方しか聞けなかったんですけど、数日前に軽い音合わせをしたときより上手くなってたと思います。」
「担当の祐司君のお墨付きも得られたんだから、本格的に練習したら?」
「はい。そうします。」
「祐司君、もしかして昨日疲れてたの?晶子ちゃんは10時ごろ起きて祐司君を起こそうとゆすったり声をかけたりしたけど、
全然目を覚ます気配がなかったって言ってたわよ。」
「別にそれほど疲れてたわけじゃないと思うんですけど・・・、酒が大量に入ってたせいですよ、多分。」
「それなら良いんだけど・・・明後日からお店開けるから、体には気をつけてね。勿論、晶子ちゃんもね。」
「「はい。」」
「マスターと潤子さんの方は大丈夫なんですか?」
「あれくらいなら平気だよ。ぐっすり寝られたしな。」
「私も全然二日酔いなしよ。」
「あ、それはそうと祐司君。お腹減ってる?」
「え、あ、はい。」
「じゃあダイニングに行きましょう。祐司君の分も朝昼兼用で食事作っておいたから。ここに来る途中で見たと思うけど。」
「ああ、蚊帳みたいなのを被せてあったあれですね。」
「そうそう。晶子ちゃんは少し休憩しててね。」
「はい。」
「その間、俺が今年最初のステージに上がるかね。」
「あの人、今年も最初は『Break out』ね。」
魚を裏返して潤子さんが言う。「今年も、って毎年やってるんですか?」
「そうよ。あの人、『Break out』が相当お気に入りでね、あれが入ったアルバムが出て直ぐにシーケンサのデータ作ったのよ。
でもあの曲はテンポを取るのが難しくて、お客さんが混乱するからってことでレパートリーから外したってことは、前に祐司君に話したわよね?」
「はい。」
「でも、お店がお休みのときは必ずと言って良いほど、あの曲を演奏するのよ。あの人はサックスを吹くのが大好きだし、
自分が好きな曲を演奏するのが楽しくて仕方がないのよ。だから表向きにはお蔵入りさせたけど、自分の中ではレパートリーで1、2を争う曲になってると思うわ。」
「根っからのサックス奏者なんですね。」
「そうそう。一回、私とサックスのどちらが大切なの?って聞いてみようかしら。」
「あら、今度は『Still I love you』ね。これ聞くと、涙出てこない?祐司君。」
「はは、ちょっと・・・目頭が熱くなりますね・・・。」
「辛い思い出はそう簡単に昇華されないのよね。ほろ苦い思い出になっても、ふとした拍子で元の色合いと苦さを取り戻して・・・。」
「そのせいで、晶子にはかなり辛く当たったときもありましたよ。また俺を騙そうとしてる、また俺を傷つけようとしてる。
・・・そんなことしか考えられない時期が続きました。」
「でも、今の祐司君は過去を乗り越えて晶子ちゃんを受け入れてるし、晶子ちゃんも祐司君の過去と合わせて受け入れてる。・・・良い関係じゃないの。」
「ええ、そうですね・・・。」
「祐司君。晶子ちゃんを大切にしてあげてね。昨日の夜は晶子ちゃんにあれこれ言ったけど、肝心要の祐司君がしっかりしてないと、
晶子ちゃんが悲しい思いをすることになるから。勿論、無理はしなくて良いけど、二人の時間くらいは大切に過ごして欲しいの。」
「そのつもりです。」
「昨日ちらっと話したけど、私とあの人は全然違う仕事をしてて、必然的に活動時間もずれるから、会う機会を持つのも大変だった時が長く続いたのよ。」
「そんなときでも、私はあの人を想っていたし、あの人も私を精一杯想ってくれたわ。一緒に過ごす時は楽しく、でも真剣に過ごしたわ。
この人とならずっと一緒にいたい。気持ちがそこまで高ぶったから結婚したの。」
「昨日マスターが言ってましたよね。会えないから嫌いになるんじゃなくて、会えないことを理由にして嫌いになるって。」
「そうよ。だから祐司君は晶子ちゃんと会えない日が続いても、晶子ちゃんを想っていて欲しいの。」
「もう二度とないチャンスだと思ってますから、尚更今の晶子との絆を大切にしたいです。」
「んー、祐司君、結構モテそうなルックスだと思うんだけどなぁ。どうして過小評価するの?」
「過小評価も何も、今まで告白する度に嫌いじゃないけど付き合えない、とか、お友達なら良いけど、とか言われてきた身ですから。」
「それは・・・ルックスの問題じゃないわね。」
「潤子さん。ルックスが問題じゃないとしたら、何が問題なんですか?」
「多分、雰囲気よ。」
「雰囲気・・・?」
「ルックスや服装のセンスもそれなりに重要だけど、その人の内面や趣味嗜好が重なって出来た雰囲気がその人から滲んでくるのよ。
女の子はそれを敏感に感じ取って、窮屈に感じたり趣味に合わないと感じたりすると、御免なさいってなっちゃうの。」
「・・・今まではドキドキしながら好きだって言ったんですけど、駄目で元々、って思ってました。それが駄目だったんですかね。」
「それはあると思うわ。自信のなさっていうのは、本人は気付かないけどかなり外に出やすいものだからね。多分その時の女の子は、
自分に自信がないってことは私を好きでい続ける自信もないのね、って思って、『御免なさい』になったんじゃないかしら。」
「そうですか・・・。晶子は俺が晶子の兄さんに似てるからってことで追い回してたんですけど、これは例外ですよね?」
「きっかけではあったと思うけどそれ以上のものじゃないわね。それよりも・・・ほら、祐司君、晶子ちゃんが初めてこの店に来た時に『AZURE』を
弾いてたでしょ?あの時の祐司君は演奏が楽しそうだったし、音楽を演奏するのが好きなんだ、って雰囲気だったわ。
あれはかなりインパクトが強かったんじゃないかな。」
「・・・ああ、あの時の。」
「それに加えて、今まで冷たくあしらわれていたところに、祐司君から音楽を教えてもらう機会が出来たでしょ?
そこで祐司君が厳しいけど親身になって教えたことで、晶子ちゃんは祐司君のことを、自分が毛嫌いしている相手でも必要なら
親身になれる人なんだ、って好感を更に高めたんだと思うわ。」
「あの時にしてみれば、嫌われようとしたところが裏目に出てしまったんですね。」
「嫌われようとするならとことん邪険に扱わなきゃ駄目よ。祐司君はそこで祐司君本来の性格で親身になったから、祐司君は厳しいけど
親身になってくれる人なんだ、って晶子ちゃんの心をがっしり掴んじゃったんだと思うわ。」
「うーん・・・。難しいですね。人との交流ってのは。」
「だから人生は苦しい時もあるし、逆に幸せな時だってあるのよ。今が丁度、祐司君にとっては後者の時期でしょ?」
「ははは。そのとおりです。」
「祐司君は進路のこと、どう考えてるの?」
「・・・正直言って迷ってるんです。このままギタリストとしてプロを目指すか、それとも無難に官庁や企業に就職するか・・・。音楽や演奏を飯の種にするか
趣味に留めておくか、晶子とも前にそういう話をしたことがあるんです。」
「晶子ちゃんからも今朝の食事の席で聞いたわ。晶子ちゃんは、もし祐司君が企業や官庁に就職するなら家庭の方にウェイトを置いた職探しをするし、
プロを目指すつもりなら、祐司君が世に出るまでの二人分の食い扶持は何とかするつもり、って言ってたわ。」
「俺と話したときの回答と同じですね。無難な道を選択する場合のことは話さなかったですけど。」
「祐司君がどちらを選択するかは自由だけど、これだけは覚えておいて欲しいことがあるの。」
「まず一つ目は、プロのミュージシャンになるのは厳しいってこと。あの人は昔、彼方此方のジャズバーを席巻していた腕前の持ち主だけど、
何度か受けたオーディションを勝ち残ることは出来なかったのよ。」
「マスターがですか?!」
「そうよ。プロを目指す人は数多く居るわ。そして腕前もそれこそ即プロになってもおかしくないくらいの人が居る。
だから、祐司君は今の腕前に安住してたらプロになるのはまず不可能よ。偶然なったとしても直ぐに鍍金(めっき)は剥がれるわ。」
「・・・はい。」
「二つ目は、あの人が昔してたように彼方此方のお店を回って演奏して、稼ぐと同時に腕前を磨こうとしたり、オーディションやコンテストに
エントリーしたりするなら、必然的に晶子ちゃんと顔を合わせる時間が減るってこと。昔の私とあの人と同じように、顔を合わせるのが
難しくなると思うわ。そこでどれだけ自分の気持ちを維持できるか、これが一番大事で難しいことだと思うわ。」
「潤子さんとマスターはそれが出来たんですよね?」
「ええ。でも辛かったわ。女の子は待つことと我慢することが苦手な生き物だからね。」
「・・・。」
「崩れ易い女の子の気持ちをどれだけしっかり掴めるか・・・。男の子の側からすれば身勝手なことかもしれないけど、そこが男の子の腕の見せ所じゃないかな。」
「・・・どうすれば良いんですか?」
「え?」
「気持ちの強さや向きを自分の方に向け続けさせるようにするには、どうしたら良いんですか?」
「・・・やっぱり・・・二人の時間を大事にすることに尽きるんじゃないかしら。」
「俺は、晶子より前に付き合っていた女と遠距離恋愛してたんですけど、二人で居る時間は大事にしてきたつもりです。
でも、相手は身近な存在とやらに目移りして、挙句の果てに別れを唆して俺を試したんですよ・・・。どうすればそんなことにならずに済むか、
明確な答えが欲しいんです。」
「そっか・・・。祐司君が以前ささくれだってたのは、付き合ってた女の子にふられたのが原因だったんだっけ・・・。」
「正直言って・・・さっき私が言った手段以外、最善の方法はないわ。あとは相手の想いの強さと向きを信じるしかないと思う。」
「そんな・・・。」
「これなら大丈夫、っていう手段を教えられなくて御免ね。でも、私とあの人はそうして来たし、祐司君も晶子ちゃんもそれが出来るタイプだと思う。
祐司君が前に付き合っていた女の子はそれが出来なかった。それが悪いって言うつもりはないけど、結果的にその女の子が祐司君以外にも目を向けて
比較したりしたところが、二人の別れに繋がることになったと思うのよ。」
「・・・。」
「祐司君。晶子ちゃんを信じてあげて。晶子ちゃんなら祐司君の気持ちを裏切ることはないと思う。ううん、裏切ったりしないわ。」
「俺も・・・そう信じてます。信じたいです。」
「・・・ありがとう。」
「長話に付き合ってくれてありがとう、祐司君。私はお店の方に戻るから、ゆっくり食べててね。食べ終わったら食器は流しに置いておいて貰えば良いから。」
「はい。」
「ねえ、祐司さん。」
後ろに居る晶子が声をかけてくる。俺は自転車のスピードを少し落す。「何だ?」
「いっそ・・・一緒に暮らしませんか?」
「い、いきなり何だよ?!あー、びっくりした。」
「突然で御免なさい。でも、そうした方が良いんじゃないかな、って思ったんです。」
「・・・そりゃまた、何で・・・?」
「今日、朝御飯食べてた席で潤子さんに言われたんです。祐司さん、これからどんどん大学が忙しくなってくるだろうし、それに併せて
バイトの時間を減らしたりして、私と顔を合わせる時間が減ってくるだろうから、二人で過ごす時間を大切にしなさいね、って・・・。
私は祐司さんに比べたら生活も大学の講義数もずっと楽だから、私がフォローできることはフォローしたいんです。」
「晶子が俺のことを気にかけてくれるのは嬉しいよ。だけど、何で同居まで話が飛躍するんだ?」
「バイトの時間が減ると祐司さんの生活が苦しくなるでしょ?祐司さんは私と違ってバイトで稼いだお金を生活費の足しにしてるんですから。
同居すれば、生活費を二人で賄えますし、祐司さんが苦手な食事や掃除の面でフォローが出来ると思うんです。」
「・・・。」
「それに・・・帰るところが一緒なら、互いに安心できると思うんです。何れは自分が居る場所に相手が帰ってくることが分かってますから・・・。」
「晶子。気持ちは凄く嬉しいけど・・・同居まではしない方が良いと思う。」
「どうしてですか?」
「俺と晶子はそれぞれ親の仕送りと学費の支払いで毎日を過ごしてる身だ。そんな状態で同居するのは、親を騙すことと同じじゃないか?
俺の両親からすれば女と、晶子の両親からすれば男と同居させる為に仕送りまでして大学に通わせてるわけじゃない、ってな。」
「それはそうかもしれないですけど・・・。」
「それに俺は、バイトと大学をしっかり両立させるつもりだ。講義を真剣に聞いてノートを取って、万全の態勢で試験に臨むようにする。
バイトも今まで以上に楽しく、そして真剣にする。晶子や親に余計な負担をかけさせないようにな。」
「祐司さん・・・。」
「それが当たり前のことなのかもしれないけどさ、俺は俺なりに精一杯やっていく。もしどうしても身動きが取れなくなったら晶子の助けを借りようと思う。
図々しいだろうけど、これで納得してくれないか?」
「晶子・・・。」
「やっぱり祐司さんって真面目な人ですね。」
「真面目って・・・言うのか?こういうの。」
「ええ。普通の男の人なら下心いっぱいで同居しようって答えると思うんですよ。」
「そりゃ、晶子ほどの美人に『同居しませんか?』なんて言われたら、大抵の男は首を縦に振るさ。」
「じゃあ、祐司さんから見て、私はまだまだ美人の域に達してないことになりますね?」
「おいおい。そういう意味じゃないって。俺にとって晶子は特別な存在だから、安易にくっついたり分かれたりしたくないんだよ。」
「祐司さんなら、きっとそう答えてくれるって信じてました。凄く嬉しい・・・。」
「試すのも良いけどさ、晶子。あんまりそういうことは・・・。」
「分かってます。何処かの誰かさんみたいなことにならないようにTPOは考えて言います。祐司さん、真面目だから、冗談で言ったつもりでも
真に受けてしまいかねないですから。」
「・・・それだけ分かってくれてるなら良いよ。さ、出発するぞ。」
「はい。」
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