雨上がりの午後
Chapter 53 新年の挨拶、四度目の遭遇
written by Moonstone
暫くしてどちらが言い出したわけでもなく、俺と晶子はその人だかりを後にする。
人垣が出来る理由はもう充分に分かったし、折角来たんだからもっと別の場所へ行ってみたりして、晶子と二人の初詣を楽しみたい。
本殿への参拝までに相当歩いたくらいだ。もっと他に見たり楽しんだり出来る場所はある筈だ。
少し歩いていくと、参拝への往路に沿った復路が二手に分かれる。
このまま往路に沿った道を進めば必然的に最初の場所に戻るだろう。だとすれば当然、進む方向は往路に沿った道から外れる方だ。
俺の歩く方向に晶子は何も言わない。ただ俺の手をしっかり握って左腕で俺の左腕を軽く抱きかかえている格好でついて来る。
両側に幹の太い杉の木が無数に聳え立つ道にはあまり人影はない。ちょっと不安な気もするが、何れ何処かに出るだろう、と、かなりアバウトな思考で進む。
一応晶子をリードするような状態だが、案外晶子も俺と同じく、何れは人の多いところに着くでしょう、なんて考えてるかもしれない。
蛇行の殆どないその道を歩いていくと、やがて急に開けた場所に出る。
そこには休憩所と書かれた看板を掲げた建物があって−神社の建物に似せてある−、中にはかなりの人が長椅子に座ってひと時の休息を取っている。
そしてその近くでは、巫女数人による御神酒が振舞われている。
こちらの巫女もさっきの弓道着姿の女性達と同じく、なかなかの美人揃いだ。多分アルバイトだろうが、選ぶ際に容姿も考慮しているんだろうか?
あの中に晶子を混ぜても遜色はないと思う。だが、不特定多数の男の好奇の目に晒されるとなると・・・やっぱり嫌だな。
勝手な話だが、俺にも立派に独占欲があるということか。
「・・・ねえ、祐司さん。」
「ん?ああ、何だ?」
「あそこに居る人って・・・マスターと潤子さんじゃないです?」
「ええ?!」
思わず素っ頓狂な声を出した俺は、晶子が指差す方、御神酒が振舞われている辺りから少し距離をおいたところを見る。
あの髭とヤクザの幹部か組長みたいな風貌のロングコートを着た男性と、女優を思わせる容姿にやはりロングコートを着てショールを肩にかけた女性の
組み合わせは・・・間違いなくマスターと潤子さんだ!
二人揃って杯を持ってにこやかに談笑しているあのアンバランスな組み合わせを晶子は勿論、俺も見間違うはずがない。
「マスターと潤子さんもこの神社に来てたんですね。」
「な、何でまたこんなところに・・・。」
「やっぱり、初詣でしょう。」
「そ、それはそうだとしても・・・。」
何だか会話が噛み合ってないように思う。まさかマスターと潤子さんのペアにこんな場所で出くわすとは思わなかったという意外性のせいだろう。
マスターと潤子さんは俺と晶子の存在には気付いていないらしい。
「どうします?新年の挨拶をしに行きます?」
「ちょっと待って・・・。」
俺は思考を巡らせる。晶子の言うとおり、俺と晶子の方から近付いて新年の挨拶を交わした方がベターと言えばベターだ。
だが、俺と晶子が付き合っていることをマスターと潤子さんは知らない筈だ。言ってもいないし。
もし見つけられでもしたら、何をどう言われるか分かったもんじゃない。100%散々からかわれて突付かれるのがオチだろう。だとすれば・・・。
「・・・二人の邪魔はしない方が良いんじゃないかな。」
「それもそうですね。」
「まあ、御神酒は後でも飲めるし・・・」
「あら、祐司君と晶子ちゃんじゃないの。」
休憩所に入るか、と言う途中で潤子さんの「割り込み」が入る。しまった、と気付いた時はもう遅い。マスターと潤子さんが俺と晶子の方にやって来る。
もう観念するしかない。せめて繋いでいる手を離そうと試みるが、晶子は全く離す気がないらしくて手を離してくれない。もうどうにでもなれ・・・。
「あけましておめでとうございます。」
「・・・あけましておめでとうございます。」
「「あけましておめでとう。」」
まずは新年の挨拶。これは別に逃げも隠れもする必要はない。
「まさか此処で二人に会うとは思わなかったわ。」
「私もです。」
「もう参拝は済ませたのか?お二人さん。」
「ええ。ついさっき・・・。」
「私達は早朝向こうを出て、初日の出がある頃に此処に着いたんだけど、大混雑でね。ある程度人が少なくなるまで待ったのよ。彼是4時間くらい。」
「4時間もですか?」
「まあ、余裕は充分あるし慌てて参拝することもないと思ってな、それまで商店街や屋台を回ったりしてた。まあ、参拝には結局1時間くらいかかったが。」
「俺と晶子は昼過ぎに出発して特急に乗って来たんです。」
「ほう、そうか。じゃあそれまで二人で仲良く寝てたってことか。」
「ええ。・・・!!」
言ってからしまった、と気付いてももう遅い。
マスターの誘導尋問に見事に引っ掛かって、年越しを二人一緒にしたことは勿論、一緒に寝てたことまで認めてしまった。
なんてこったぁ・・・。これで俺と晶子が只のステージ上でのパートナー同士という関係じゃないことを認めてしまったことになる。
マスターはしてやったりと言わんばかりにニヤリと笑い、潤子さんはへえ、そうだったの、という表情をしている。
「そうかそうか。知らぬ間にそこまで仲良くなってたのか。うんうん。新年早々幸先良いこった。」
「さっき祐司君、晶子ちゃんのこと名前で呼んだものね。今までお店では苗字呼び捨てだったのに。それでピンときたわ。」
「・・・そうでしたか?」
「そうよ。凄く自然な感じでね。今更間違えました、なんて言い訳は通用しないわよ。」
潤子さんの表情は、容疑者に決定的な証拠を突きつけて自白を迫る女刑事みたいだ。
だが、言ってしまったものは政治屋でもない限り引っ込めたり取り消したり出来ない。此処まで来たらもう開き直って、質問やからかいに答えるしかない。
「やっぱり年越しも初詣も一緒だったってことは、祐司君と晶子ちゃんは良い関係ってこと?」
「・・・そうです。ちゃんとっていうか、俺が晶子に好きだって言って付き合い始めてからはまだ一月に満たないですけど。」
「あら、そうだったの?私てっきり祐司君が寝込んだ時か、クリスマスコンサート前の音合わせの時からだと思ってたけど。」
「祐司君、意外に奥手だな。」
「まあ・・・俺がはっきりしなかったから、ずるずると引き延ばしてそうなったんですけど。」
「此処は一つはっきりさせて欲しいんだが・・・、何て言って告白したんだ?」
マスターの意地悪な質問にも、俺は少し間を置いて事実をそのまま告げる。
「・・・今の関係は確かに心地良いけど、そのままで終らせたくないから、俺と付き合ってくれ、って言いました。」
「今の関係、っていうと、師弟関係と友達関係をごっちゃにしたような関係だったときのこと?」
「はい。好きだって言うことでその関係が終ってしまうのが怖かったんですよ、俺。だから・・・ずるずると先延ばしにしてて・・・。」
「ずるずると先延ばし・・・ねえ。今の話し振りからすると、そんなことがあったようには思えないけどなぁ。」
「俺が・・・また傷つくことを過剰に怖がってたんですよ。もっともそんなこと、今だから言えることですけどね。ふられて呑んだくれて大暴れした頃じゃ、
そんなこと思いもしなかったですよ、きっと。」
我ながら饒舌だと思う。これが開き直った結果だろうか?でも、悪いことをしたわけじゃないし、今の晶子との関係を尋ねられたら事実を告げるのみ。
俺は前にそう決めたんだ。ここではっきりしなかったら・・・晶子はどう思う?そんなこと・・・考えなくても分かる。
「ほう・・・。祐司君、随分はっきり言うじゃないか。てっきりどう言い訳するものかと思ったが。」
マスターは意外そうな顔をしている。俺がこんなにはっきり言うとは思いもしなかったんだろう。
俺自身、こんなにはっきり答えられると何だか気持ち良い。胸の痞えがなくなって、心を覆っていた雲が一気に晴れていく。例えればそんな気分がする。
「こんな状況で・・・言い訳なんて出来ないですよ。」
「そりゃそうだ。うーん、一本取られたな。」
「でも良いことじゃない。新しい恋をして自分を変えたんだから。それに、晶子ちゃんだって嬉しいでしょう?」
「はい。」
晶子は本当に嬉しそうな笑顔で答える。そんな表情を見ていると、俺も心の奥底から嬉しさが湧き上がってくる。
「さて・・・潤子。俺達は帰るか。車だから道が混んでるかも知れんし。」
「そうね。あ、そうそう。祐司君と晶子ちゃん、帰省する予定ある?」
「いえ。もう今の家に居るつもりです。」
「私もです。」
「それじゃ、明日にでも家に来てみない?正月料理をご馳走してあげるから。」
「潤子。それじゃ二人っきりの時間を邪魔することになるぞ。」
「それはこっちの台詞ですよ、マスター。」
「うおっと。また一本取られたな。でも、潤子お手製のおせち料理や雑煮もあるから、良ければ何時来ても良いから。」
「「ありがとうございます。」」
「さて・・・潤子、行くか。」
「ええ。」
マスターと潤子さんは残っていたお神酒を一気に呑んで、「返却箱」なる入れ物に杯を放り込んで、俺と晶子に手を振ってその場を後にする。
その場に取り残されたような俺と晶子は顔を見合わせる。
「・・・私、嬉しかったです。」
晶子が大きな瞳を少し潤ませている。やっぱりはっきり言ったのが功を奏したようだ。
「結局マスターと潤子さんにも知られちまったけど、俺は少しも後悔してない。マスターと潤子さんも何となく知ってたみたいな感じだったし、
それよりも・・・、俺は自分の気持ちをはっきり言えたことが嬉しい。」
「祐司さん、最初手を離そうとしたけど、結局ずっと握っててくれましたよね。あれ、凄く嬉しかったです。」
「最初は照れくさかったし、マスターと潤子さんに今の俺と晶子の関係をあれこれ言われるのが・・・何て言うか・・・やっぱり慣れなくて照れくさかったから
離そうと思ったんだけど、晶子は離しそうになかったし、もう見られたんなら良いや、って思ってさ・・・。良い意味で開き直ったのが良かったかな?」
「そうだと思いますよ。」
「さて・・・二人残ったところで祝杯でもあげますか。」
「はい。」
俺と晶子はお神酒を配っている場所へ向かう。勿論手を繋いだままで。お神酒を注いでもらう杯をもらう時になってようやく手を離す。
杯を持った手は・・・何となく寂しく感じる。晶子の手がなくなった手−杯は右手で持っている−を見ていると、妙に手持ち無沙汰になったように感じる。
それだけ晶子の手を離したくなかったということか?
御神酒の配給(?)は滞りなく進んでいって、俺と晶子は巫女さんにお神酒を注いでもらう。
そして後続の列の人の邪魔にならないよう、そそくさと人と人との間隔に余裕がある、マスターと潤子さんに出くわした辺りに向かう。
「それじゃ・・・今年も益々良い年でありますように・・・。」
「「乾杯。」」
俺が音頭を取ると、俺と晶子は自然に杯を軽く合わせてぐいと一気に御神酒を飲み干す。
量は新年を迎えた時に飲んだビールに比べれば微々たる物だ。日本酒かビールかという好みを−俺はビールの方が好きかな−除けば、簡単に一気飲み出来る量だ。
空になった杯を下ろすと、俺と晶子は顔を見合わせて微笑む。
腹に入った酒のせいか、身体がほわんと火照ってくるのを感じる。
日本酒ならではの喉の通りの良さと、後に来る酔いのギャップの大きさは日本酒ならではだ。
「美味しいお酒ですね。」
「ああ。スッと喉を通っていった。口当たりもなかなか・・・。」
「祐司さん、お酒よく飲むほうですか?」
「それ程飲む方じゃないけど・・・アレンジとかで煮詰まったりすると気分転換に缶ビール一本くらい飲むかな。」
「あまりアルコールに頼っちゃ駄目ですよ。」
「分かってるさ。ミュージシャンにアル中やヤク中が結構多い理由は俺自身よく分かってるつもり。だから缶ビール1本って決めてるんだ。
それでも出来なかったら諦めて寝るか別のことするさ。」
「それなら良いんですけど・・・無理は絶対にしないで下さいね。」
「ああ。心配してくれてありがと。」
俺の口元が自然に緩む。晶子が俺の身を案じてくれる・・・。それだけでも充分幸せだ。
去年は楽園からいきなり地獄に叩き落されてさ迷い歩いた年だったが−最後の3ヶ月は別として−、今年は良いことが色々とありそうだ。
晶子との思い出をいっぱい作りたい。あの女、宮城の残像を打ち消すくらい・・・。
俺と晶子は何時も使っている駅に降り立つ。ほろ酔い気分も2時間の電車の旅で吹っ飛んだ。
あの程度の量でフラフラになっていたら、家でアレンジしていて煮詰った時に缶ビール1本飲んだらばったりいってしまう。
俺は自転車置き場から自転車を持って来て、俺がサドルに跨ると晶子が後ろに飛び乗ってくる。
新しい年になっても変わらないものもあるが、これもその一つと言って良いだろう。
「それじゃ、行くぞ。」
「はい。」
俺は晶子を乗せた自転車のペダルを漕ぎ始める。昼過ぎの正月の町は本当に静かだ。月峰神社でのあの喧騒が嘘のように思える。
正月=初詣というのは、むしろ少数派の行動なのかもしれない。
逆に何処の家も出かけていて一種のゴーストタウンになってしまっているのかもしれない。
風はやはり冷たい。雲も疎らな良い天気だが、太陽の光もこの冷気を打ち消すには程遠いようだ。
夏と同じ太陽かと思うと不思議でならない。
車も滅多に通らない登り坂を上っていく。それで空気を切ることで生まれる風がさらに剥き出しの頬に突き刺さる。
冬の昼間には夕暮れが徐々に近付いて来る。早く家に帰ろう・・・。
自分のアパートの駐車場で晶子に降りてもらって、俺は自転車を押して自分の部屋のドアの近くまで持っていく。
そこで俺は異変に気付く。・・・家に人の気配がある。まさか、という嫌な予感が俺の頭を過ぎる。
俺はポケットから鍵を取り出して近付いて来る晶子に掌を向けて無言で制止する。
「・・・。」
俺はゆっくりとドアの鍵穴に鍵を差し込んで左回りに回す。するとガチャッという音と共にドアの鍵が開く。
鍵は閉まっていたようだ。閉まってなけりゃ無用心なことこの上ないが。
次にドアのノブに手をかけてゆっくりと開けようとする。しかし、半身が入るくらい開いたところで止まってしまう。
見ると、しっかりドアチェーンがかかっている。推測は確信に変わった。間違いなく中に人がいる。そしてその人とは・・・
「・・・開けろ!」
俺は開いたドアの隙間から大声で声を投げ入れる。
すると、奥の方からとたとた・・・と走り寄ってくる足音が聞こえる。そして「先客」がドアの隙間から姿を現す。
「・・・やっぱりな。」
「おかえり、祐司。」
「先客」は宮城だった。そう、宮城はこの家の合鍵を持っている。そして一人の時にはドアチェーンをかけるように言ったのは、この俺だ。
「ドア、開けるね。」
「・・・要らん。」
「え?何で?帰ってきたんでしょ?」
「本当はな。だが・・・本来居る筈のないお前が此処に居る以上、中に入る訳にはいかない。それとも・・・お前が出て行くか、だ。」
「・・・祐司。」
「宮城。お前にはもう俺の名前を呼ぶ資格はない。さあ、このまま居座るか出て行くか、好きな方を選べ。」
俺は宮城に二者択一を迫る。もう過去と現在の彼女を突き合わせるわけにはいかない。
往路の駅でも晶子と宮城の間でかなり激しいやり取りがあった。今度は言葉だけでは済まないかもしれない。
大袈裟かもしれないが、昨今はその大袈裟なことが起こっても珍しくない時代だ。対立の構図は俺が回避させるしかない。
俺と宮城、そして俺の後ろに居る晶子の間に重苦しい沈黙が漂う。
急激に闇が広がり、辺りを包んでいく中、俺は宮城と向かい合い、目で俺が望む回答をするように迫る。
それから少しして、その場で彫像のように動かなかった宮城が動きを見せる。
「・・・帰るわ・・・。」
伏目がちに、そして呟くように宮城は言う。そしてドアを一旦閉めてドアチェーンを外してドアを大きく開ける。
頬に突き刺さり、切り裂くような冷気の真っ只中に居る俺の方に、ドアの向こうから暖かい風が流れてくる。
エアコンを使っていたか・・・。まあ、この寒さだ。それくらいは止むを得ないものとして目を瞑ることにするか。
俺がドアに手をかけると、優子はドアから手を離して小走りで奥へ向かう。
確か晶子はハーフコートを来ていたと思う。恐らくそれを取りに行ったんだろう。俺は晶子を先に中に入れて、続いて俺が入ってドアを閉める。
宮城が出て行くことを考えて、鍵はあえてかけないでおく。
「・・・まさか、此処まで嫌われてるとは思わなかった・・・。」
ハーフコートを着た宮城が言う。何を今更・・・。自分が3ヶ月前、俺に何を言って関係を断ち切ったんだ?
さらにそれが俺の気持ちを試すためだったというのが余計に腹立たしい。
「今日は・・・これで帰るわ。」
宮城はわざわざ俺と晶子の間を通って玄関へ向かう。多分さっきの行動は何時か俺と晶子の関係を断ち切ってみせる、という無言の宣戦布告なんだろう。
俺は歯噛みしながら晶子を見ると、晶子も眉を吊り上げた厳しい表情で玄関へ向かう宮城を見詰めている。
そう言えば・・・肝心なことを言ってなかった。これを言い忘れると、また帰宅したら宮城が待っていた、なんてことになりかねない。
「宮城。合鍵を・・・返せ。」
俺が言葉を投げつけると、宮城の動きが止まる。しかし、止まったところから次の動きがない。
玄関に向かって立ち尽くしているといった感じだ。
何を考えているのか知らないが、合鍵を取り戻さなければ、帰宅したら宮城が待っていたなんてことになるのは明らかだし−晶子に俺を奪ってみせる、と
宣戦布告したくらいだ−、何より宮城はもう俺の家の合鍵を持つ権利はないんだから。
「まさか・・・持ってないとは言わせないぞ。」
「持ってるわよ、勿論・・・。それ使って今日此処で留守番してたんだから。」
「留守番なんて頼んだ覚えはない。それは別としても、合鍵を返せ!宮城!」
何やら時間稼ぎまがいのことをして合鍵の返却を渋る様子の宮城に、俺は無意識のうちに声を荒らげる。
それとも晶子に宣戦布告したから、決定的なアイテムを手放すわけにはいかないとでもいうのか?
時間が重く流れ、宮城が振り返る。その悲しげな表情が、余計に俺の怒りに油を注ぐ。
他の男や付き合っていた頃ならその表情に心を揺さぶられるだろうが、関係が切れた今は小細工か芝居にしか見えない。
「・・・私が持ってちゃ・・・駄目なわけ?」
「ふざけるのもいい加減にしやがれ!俺を試したくせに被害者面して、今度は晶子との戦況を有利にする為に合鍵を返さないっていうのか?!」
「・・・被害者だなんて思ってないわよ・・・。祐司を試すつもりが本当にふっちゃうことになって、祐司を今怒らせてるのは他ならぬ私なんだから・・・。」
「そこまで分かってるなら、どうして合鍵を返すのを渋るんだ?!」
「祐司は・・・自分がふられたら何もかも否定するの?思い出も、私自身も、何もかも・・・。」
「・・・終った関係にしがみついてどうしろっていうんだ?俺は・・・自分から離れたものに何時までもしがみついてるわけにはいかないんだ。」
「それは、横に居るその女(ひと)のため?」
「・・・そうだ。」
俺は少し後ろ髪を引かれるように感じながらも言い切る。俺にとって・・・宮城はもはや心の奥底にしまわれた思い出の登場人物でしかない。
今は・・・新しく手に入れた晶子との絆をもっと強めたいし、思い出をいっぱい作りたい。それだけだ。
宮城は、俺がはっきり言ったのがショックだったのか、視線を下に落とす。
それを見ていると胸が少し痛むが、そんな同情的な感情に身を委ねるわけにはいかない。ここはきっぱりとした態度に出る時だ。
晶子の為にも自分の為にも、そして・・・俺の残像を追う宮城の為にも・・・。
「・・・これ。」
宮城はパンツのポケットに手を入れて、手にしたものを軽く俺の方に投げて渡す。俺が受け取ったものは、キーホルダーを付けていない鍵だ。
俺が此処に引っ越して最初に宮城と会った日に渡した合鍵。
これが俺の手に戻ったことで、宮城との絆の全てが途切れたように思う。
「合鍵は返したけど・・・諦めたわけじゃないからね。」
「・・・好きにしろ。」
「それじゃ・・・またね。」
宮城は寂しげな笑みを残して玄関へ向かい、静かに出て行く。
以前なら、晶子を毛嫌いしていたときなら引き止めていたかもしれない。
でも、今の俺には宮城を引き止める理由は何処にもない。ただ、黙ってその後姿を見送るだけだ。
ドアが閉まり、部屋には俺と晶子が並んで佇む。送風するエアコンの軽い音が、妙に心に響く。
寂しいから・・・?否、そんな筈はない。宮城との思い出の品は全て壊し、千切り、破壊し尽くした。
唯一形を残しているのは、俺の手にある合鍵だけだ。しかし、これも行く末は決まっている。
なのに・・・何故・・・こんなにも後味の悪さが残るんだろう?
俺の心の何処かに宮城に対する未練がまだ少しでも残っているとでもいうのか?
あの日の夜の電話が俺を試すものだと分からなかったことを、言い換えれば宮城の気持ちを想像だにしなかったことを悔やんでいるとでもいうのか?
「祐司さん。」
晶子がそっと呼びかける。
「本当は・・・追いかけられるものなら追いかけたいんでしょ?」
「・・・別に・・・そんなことは・・・。」
「隠そうとしなくて良いんですよ。今日の祐司さんと優子さんの話を聞いていて、祐司さんが動揺するのは無理もないって思いましたから。」
「・・・。」
「電話一本で捨てられたと思ってたのが実はそうじゃなくって、相手の気持ちを試す意図を含んだものだったって知ったら、誰だってそんな話聞いてない、って
思いますよ。相手が去っていくのを見て後味悪く感じますよ。」
「・・・。」
「それで祐司さんが未練を感じても仕方がないとは思います。でも・・・。」
「今、俺が心を向ける相手は晶子、お前なんだ。それくらいは分かってるつもりさ。」
俺は晶子の手を取って、その柔らかい掌に宮城から取り戻した合鍵を置く。
「これは・・・今から晶子のものだ。落とさないようにな。」
「・・・はい。」
そう答えて鍵を握った晶子の顔にようやく微笑みが戻る。
思いの行き違いがあったんだから後味の悪さは仕方ない。あれだけ厳しい口調で跳ね除けておきながら未練がましいと思われても仕方ない。
でも、過去を振り切らなきゃいけないこともある。今日は・・・そのことを改めて学んだように思う。
「さて・・・今日の夕食、どうします?」
晶子がその場の雰囲気をがらりと変えることを言う。腕時計を見るともう5時を回っている。
正月だから営業している料理屋は殆どないだろう。それに、正月早々晶子の手を煩わせるわけにはいかない。
何時来ても良いから、と言われたとはいえ、腹が減ったから、とマスターと潤子さんの家に押しかけるのは幾ら何でも勝手が過ぎる。となると・・・。
「コンビニのおでんで済ませるとするか。」
「私が作っても良いんですよ。」
「正月休みくらい、食事を作る手間は出来るだけ省こう。晶子も電車の往復と初詣の歩きで結構疲れただろ?」
「正直言うと・・・確かにそうです。」
「じゃあ、決まりだな。早速買ってくるか。」
「あ、私も行きます。」
晶子は俺から受け取った合鍵を財布に入れると、俺と一緒に歩き出す。
俺と晶子の手が触れ合うと、どちらからともなく手を取り合って互いの指の間に自分の指を挟み込む。
もう手を繋ぐのは無意識のレベルに達したのかもしれない。
この手同様・・・晶子を手放したくない。絶対に・・・。
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