雨上がりの午後
Chapter 52 初詣への小旅行、初詣で願うこと
written by Moonstone
電車が軽い衝撃の後にゆっくりと加速を始める。俺は自分の気持ちを今の状況に集中する。
特急券をコートのポケットから取り出して座席のある車両を目指して、正面向かって左側のドアを開けて中に入る。
俺の左腕をがっしり抱え込んでいる晶子はまだ離そうとしない。もう宮城は居ないのに・・・。
俺が切れた過去の絆の方を向くかもしれないという強い不安感があるからだろうか?
客は居るが所々に空席が目立つ車内は、流石に余分に金を取るだけあってゆったりとした作りになっている。
俺と晶子が横に並んで歩くことがぎりぎりではあるが出来る。
線路を疾走する音はするが、通学の時に乗る一般車両のようにそれが車体に影響を及ぼすことは少ない。
整列した座席がそのまま線路の上に浮いて走っているように感じる。
1両通り抜けた車両の番号が特急券にある車両番号と等しいことが分かると、俺は特急券の座席番号と窓の上部にある座席番号を比べながらゆっくり歩いていく。
そして丁度車両の中央付近、進路方向に対して左側にある二つ並んだシートの片方の番号と俺の持つ特急券の番号が一致する。
「此処だな。」
「あ、私もです。」
自分の持つ特急券を左手に持った−右手はまだ俺の左腕を抱え込んでいる−晶子の顔にようやく笑顔が戻る。
やっぱり晶子の笑顔は見ているだけで心がほんわかと温かくなる。この笑顔を・・・大切にしたい。
特急券では俺が窓側、晶子が通路側で今の状態と逆になる。
まあ、ペアのシートだしどちらが何処に据わっても何も問題はない。そう思っていると、晶子が俺の腕を抱えたまま窓側の席に座る。
俺は引っ張られる勢いに躓きそうになりながら、荷物を投げ出すような感じでどかっと晶子の横に座る。
「なあ晶子。もうそろそろ・・・。」
「嫌です。」
晶子は苛めっ子のような表情で舌を少し出して所謂「あっかんべえ」をする。
どうやら当分、もしかしたら食事とかトイレとか、止むを得ない場合を除いては、今日いっぱい離して貰えないかもしれない。
・・・まあ、これはこれで嫌じゃないことは確かだが。
暫く会話のない時間が続く。電車が線路を走る微かで規則的な音と振動が眠気を誘う。
ホームでの俺を巡る争いが作り出した緊迫感が嘘みたいに思える。
しかし、まさか優子が「奪還宣言」をするとは・・・。俺を試すようなことをしておいて今日の今日まで事情を話さなかったくせに・・・勝手な奴だ。
「私・・・嬉しかったです。」
不意に隣の晶子が言う。勿論、俺の左腕はしっかり抱え込まれたままだが。
「何が?」
「祐司さん、初めて他の人に私のことが好きだ、って言ってくれたでしょ?それが凄く嬉しくて・・・。」
「確かに・・・初めてだな。マスターや潤子さんにも言ってないし。まあ、まだ面と向かって聞かれたことないけど。」
「マスターや潤子さんに尋ねられた時も、ああやってはっきり言って下さいね。」
晶子はそう言って俺の腕を手繰り寄せる。左に傾いた俺の頬に何度目かの熱い点が出来る。
・・・こういう愛情表現はせめて人の居ない場所でやって欲しい。
幸い、通路を挟んで並んでいる席に人は居ないし、これもこれで嫌じゃないのもこれまた事実だが・・・この「頬にキス」攻撃はかなり強烈だ。
緩やかな眠りが意識を覆いつつあったが、この一撃であっさり吹き飛んでしまった。
電車は途中、一足先に駅を出た急行を追い抜く。あの急行に乗っていれば優子、否、宮城と面と向かうことはなかっただろう。
でも・・・晶子のことが好きだ、と初めて公言できたし、それで俺自身の気持ちも再確認できた。だから急行に「逃げ」なくて良かったのかもしれない。
「−次は月峰神社前、月峰神社前です。」
車内に流れたアナウンスで、霞みがかかっていた俺の意識を元に戻す。
俺の身体が左に傾いていることに気付いて姿勢を元に戻す。
何時の間にかうつらうつらして、晶子の肩に凭れる格好になっていたみたいだ。
「大丈夫ですか?眠そうですけど・・・。」
「いや、ちょっとうつらうつらしてただけだから。」
「それなら良いんですけど・・・。」
晶子は不安を隠さずに言う。俺のことを心配してくれる気持ちは勿論嬉しいが、それに甘えて晶子を不安に晒すわけにはいかない。
「慣れないクッションの良さと、電車特有の眠気を誘う揺らぎで眠く感じただけだから、晶子が心配することなんてないさ。
それより・・・肩貸してくれてたみたいだな。ありがとう。」
「そんなこと良いんですよ。祐司さんがゆっくり私の方に凭れてきたから、あ、眠そうだな、って思って・・・。」
「晶子は優しいよな、本当に。」
「好きな人には出来る限りのことをしたいですから。」
好きな人・・・か。晶子は「頬にキス」をはじめとする愛情表現は頼まなくても度々するが−照れくさいだけで勿論嫌じゃない−、
言葉にするのは割と少ないと思う。そのせいか、心がじんと震えて、そこから染み出した温かい何かが全身を満たしていくように感じる。
俺と晶子は共に「好きだ」という言葉をあまり口にしないタイプだと思う。
俺自身、晶子に告白した時も確か、付き合ってくれ、とは言ったが、好きだ、とは言ってない。もしかしたら、今日宮城の前で言ったのが初めてかもしれない。
もっとも、告白するより前から互いの家に出入りしたり、一つの布団で一緒に寝たりと、かなり仲が深まったカップルのようなことが
先に幾度となくあったから、俺が告白するという「区切り」を除けば、好きだ、と相手に言わなくても相手の気持ちは分かっているから
敢えて言わなくても良い、と無意識のうちに思っているのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、電車はかなり減速していた。
窓から見えるホームの風景には、ラッシュアワーを思わせる混雑がある。
その混雑は俺と晶子が乗っている電車が入ったホームではなく、線路を挟んだ向こう側で展開されている。初詣を終えた人の「帰宅ラッシュ」だろう。
これで神社の人ごみが綺麗さっぱりなくなる筈はないし、あの混雑を見ると「時差初詣」は意味がなかったように思う。
電車が更に減速して、家族連れや友人同士らしい男や女の数人のグループ、それにカップルらしい男女のペアがかなりの数並んでいるホームに到着する。
既に出口付近は降りる人間でいっぱいのようだから−例によって、止まる前から出口に向かう奴も居る−、完全に止まって出口付近の混雑が
解消されるまで待っていても差し障りはないだろう。
前のめりになる軽い衝撃と共に電車が完全に停止する。
ドアが開いたのか、出口付近の人だかりが動き出す。俺と晶子は席を立って出口へ向かう。
ちなみに俺の左腕はしっかり晶子に抱えられたままだ。少なくとも改札まではこの体勢が続くだろう。・・・改札を過ぎれば元どおり、という気がするが。
「凄い混雑ですねー。」
改札を出て−やはり晶子は改札を通った後、俺の腕を再び抱え込んだ−案内表示に従って月峰神社へ向かう出口から外に出て、晶子は開口一番そう言った。
確かにこの混雑は凄い。目的地へ向かう、というより、人波で目的地へ流されると言った方が良さそうだ。
その人波に従って俺と晶子は巨大な紅い鳥居を潜る。人波に流されるがままに進んでいくと、さらに人の数が増す。
前方に森が見えるが、多分境内はあの森の中にあるんだろう。神社が森の中にある例は枚挙に暇がない。
「この神社のご利益って、何なんでしょうね?」
「さあ・・・。予備知識なしで来たからな・・・。無難なところじゃ家内安全とか安産祈願、他に学力向上とか良縁祈願とか・・・そんなところだろうな。」
「良縁祈願は私と祐司さんにはもう必要ないですよね?」
「ああ。これ以上の縁はないと思ってる。」
晶子の何かを期待するような−期待していることは簡単に分かる−問いに、俺は迷うことなく答える。
晶子と付き合っているという今の良縁以上のものを望むのは、幾ら何でも欲が深すぎる。
俺には晶子さえ傍に居てくれれば、もうそれで充分だ。
人波が流れる沿道には、数々の屋台が軒を連ねている。
焼き烏賊や林檎飴、射的や輪投げ、お面やみたらし団子といった、祭の屋台と殆ど同じ面々だ。違うところといえば金魚掬いがないくらいか。
境内に真っ直ぐ向かわずに屋台で立ち止まる奴が結構居るし、その上、帰りの客の列も同一ルート上にあるから、
元々それ程広くない沿道が余計に狭くなっているようだ。
しかし、様々な食べ物の匂いが鼻を擽るのは間違いない。
菓子パンと牛乳で済ませた食事で胃が満足していないのか、足を止めて食べ物を、という気分になってくる。
屋台の前に立ち止まって上手そうに食べ物を頬張る姿を見せられると、妙に腹の虫が騒ぎ立てる。
「祐司さん。何か買って食べません?」
「そうだな。出来れば温かいものが良いかな。」
俺の心を読んだかのような−表情とかから察したのかもしれない−晶子の誘いを断る理由はない。
人波に乗って進みながら二人で食べ物の屋台を物色する。
暫く時間が経ったところで−距離としてはあまり進んでない−、俺は以前嗅いだことのある匂いを感じ取る。この匂いは・・・モツ煮込みだ。
実家に居た頃、年越し蕎麦を食べてから初詣に出掛けた先の神社の−実家に電話で新年の挨拶をしようとした時、留守番電話になっていたのは
多分そのせいだ−沿道で、行きか帰りのどちらかで必ず食べていたものだ。
歯応えも結構あって、串に刺したモツに味噌味がたっぷり染み込んでいて美味い。
その他に駒切れにした鶏肉を串に通したフライもあって、ソースをかけて食べるのがこれまた美味いんだよな。
俺は匂いを辿ってかなりの人だかりが出来ている屋台に辿り着く。
予想どおり煮えたぎる味噌の桶とフライを揚げる油の桶の中に材料が入れられていて、老若男女様々な客が煮込みあがったモツや鶏肉のフライを口に運んでいる。
「祐司さん、急に何処かに向かって早足になったのは、このためだったんですね?」
「ああ。これが結構美味いんだよ。・・・モツとか嫌いか?」
「いいえ。今日みたいに冷える日は、こういう食べ物が特に美味しいんですよね。」
「じゃあ、此処にするか。」
俺と晶子は丁度人波に「復帰」した家族連れのスペースに入って、俺が取り皿を−スーパーで商品を入れたスチロールのトレイそのものだ−一つだけ取る。
二人一緒だから皿も一つで良いだろう。
「こういうのって、食べ終わった串の数で代金が決まるんですよね?」
「ああ、そうだけど?」
「私の分もお皿取ってくださいよ。自分の分は自分で払いますから。」
「良いって良いって。二人で何時ものように食べても値段は知れてるだろうし、二人一緒の方が支払いも楽だろ?」
「・・・すみません。」
「こんなことで謝る必要なし。さて、幾つか取るからちょっと待っててくれ。」
「はい。」
食べ物を取るのに邪魔になると察したのか、晶子はようやく俺の左腕を解放する。
雰囲気がそうさせるのか、俺は随分大きな気分になってモツ煮込みとフライの串をそれぞれ5、6本ずつ取り皿に取って、フライの串をソースの入った桶に
一度突っ込んで再び取り皿に戻す。そして俺と晶子の前に取り皿を移動させる。
「どっちをどれだけ食べても良いよ。空になったらまた取るから。」
「はい。それじゃ戴きます。」
「俺も戴きますっと。まずはこっちかな・・・。」
俺も晶子もモツ煮込みの串を手に取る。俺と晶子は思わず顔を見合わせてくすっと笑う。
そしてアツアツのモツ煮込みを口に運ぶ。熱さが冷気で丁度良い感じに和らげられて、こりこりした食感とじっくり染み込んだ味噌味が絶品だ。
晶子もちょっと熱そうに、でも美味そうに食べている。その様子を見ていると、何だか嬉しい。これも幸せってものなんだろうな・・・。
時々客が入れ替わる中、俺と晶子はモツ煮込みとフライを次々食べていく。
晶子は数本食べて終わりかと思ったが、モツ煮込みとフライを交互に且つ軽快に口に運んでいく。
こういう言ってみれば「泥臭い」場所で、それも量を控えたりすることなく食べる晶子の様子は、逆に自分の在るがままを見せているように思える。
男の前に居る時と女だけの時では食べるスピードも量も違うっていう話を聞いたことがあるが、晶子はそんなタイプじゃないようだ。
否、もしかしたらそういうタイプなのかもしれないが、俺の前ではもう隠す必要もないと思っているのかもしれない。
どちらにしても、妙に自分を飾ったりしない晶子の様子は俺も気を使う必要もないし、安心して一緒に居られる。
暫く存分に食べた後、晶子は持っていた串を取り皿に置くと、一度軽い溜息を吐く。
俺は空になったフライの串を取り皿に置く。俺はもう十分食べたが晶子はどうだろう?
「もっと食べるか?」
「いえ、もう充分戴きました。」
「そっか・・・。じゃあ小父さん、お勘定。」
「はい、どうもありがとう。」
味噌の入った桶や油に忙しくモツや衣のついた鶏肉を放り込んでいた、頭にタオルを巻きつけた中年の男性が−この店の主人だろう−、
俺から取り皿を受け取って串の数を素早く目で数える。
こんな状態で一本一本数えていたら客の食べるスピードや客の入れ替わりに追いつけまい。
「1760円だよ。」
店の主人の回答を受けて、俺は財布から手早く2000円を取り出して主人に渡す。主人は俺から金を受け取ると、
串を差し入れる手を一時休めてレジを開けて、つり銭を手早く取り出して俺に差し出す。
「はい、240円のお返し。ありがとう。」
「どうもご馳走様。」
「ご馳走様でした。」
俺はつり銭を受け取って財布に放り込むと、晶子の手を取って神社へ向かう人波に戻る。人波はゆっくりとではあるが確かに前に進んでいる。
入場制限とかはやっていないらしい。やはり「時差初詣」の「効果」は多少はあったようだ。
「さっきはご馳走様でした。」
「ああ、良いよ。あれだけ食べて2000円いかないんだから安いもんだ。それより・・・晶子の食べ方が自然体で、見てて安心できた。」
「振る舞いを隠す必要なんてないですからね。でも、雰囲気に飲まれてちょっと食べ過ぎたかも・・・。」
「屋台の食べ物はそういうもんさ。大勢の人が居て、その中である屋台で食べ物を買って食べる・・・。それも祭や初詣とかみたいに人で
賑わう場所でものを食べる醍醐味なんじゃないか?」
「そうですね。私も実家に居た時、祭とか初詣とか行きましたけど、やっぱり何処かの屋台で何か食べてましたよ。」
「初詣なんてある意味、祭みたいなもんだからな。それに今日太った分は後で取り返せば良いことだし。」
「んもう。祐司さんってば、意地悪なんだからぁ。」
晶子は頬を少し膨らませて俺の左腕を自分の左手で抱え込み、俺を上目遣いで見る。その可愛い仕草に俺の口元が緩む。
さらに厚手の服を通して伝わる柔らかい感触に、緩んだ口元がさらに緩みそうになったところでどうにか堪える。
「悪い悪い。でも、ああいうのをあれくらい食べたくらいで、そんなに体重やプロポーションに影響ないだろ?」
「まあ、そうですけどね。やっぱり気にはなりますよ。」
「今の晶子なら、気にする必要はないと思うけどな。」
「何時でも好きな人の理想でありたいですからね。気は抜けないですよ。」
微笑みを交えた晶子の言葉に、俺は思う。俺は・・・晶子の理想像になっているんだろうか?そして、なろうとしているだろうか?
晶子の優しさに甘えるだけになってやしないか?そんな焦燥感を併せ持った不安が俺の心を駆け巡る。
「祐司さん?」
晶子の問いかけで俺は我に帰る。だが、心を覆っていた不安という暗雲が晴れたわけじゃない。
晶子は俺の様子が変わったことに−自分自身ではあまりよく分からないが−間違いなく問い質すだろう。
・・・素直に言うべきだろうか?晶子に余計な心配をかけたくないから素直に言うのも一案だ。
だが、素直に言うにはちょっと情けない話だ。適当に誤魔化して内面の葛藤にしておくべきか・・・?
「どうしたんですか?急に表情が曇ったように見えるんですけど・・・。」
「・・・いや、ちょっとな・・・。」
「言ってくださいよ。私で良ければ。」
晶子は労わるように俺に言う。その柔和な表情が崩れることを考えると、こんな情けないことを言いたくない。
でも、晶子には何でも言える存在でいて欲しい。そんな葛藤の末に−恐らく数秒間が開いただろう−、俺は呟くように晶子に問いを投げかける。
「俺は・・・晶子の理想になってるか?」
晶子の表情が一瞬真剣なものになる。でもその表情は直ぐに柔和さを取り戻し、晶子は俺を見ながら言葉を返す。
「何でも真剣に考えたり、しっかり自分の考えを持っていて、何時もしっかりしようと頑張ってる、今の祐司さんの全てが私の理想ですよ。」
「・・・ありがとう。」
「でも、あんまり自分を苦しめないようにしてくださいね。お互いに至らないところをフォローすれば良いんですから。」
「そうだな・・・。俺と晶子は・・・パートナーだからな。」
「そうですよ。」
晶子は微笑みと共に、俺の言葉を肯定する言葉を返す。
パートナー・・・。優子、否、宮城との絆が切れたあの時以来、もう二度と使いたくないと思っていた、互いの親密さを表す単語。
俺はその単語を初めて晶子に言い、晶子はそれを肯定してくれた。これで俺と晶子は名実共にパートナーになれた。そんな気がする。
進むに連れて人波の一部が散開していく。
彼方此方に白い砂利が敷き詰められた道があって、その人その人それぞれのルートで参拝するんだろう。
この神社に来たのは初めてだが、俺の地元に近い神社もこんな感じで道が彼方此方にあって、最終的に本殿に集約されてお参り、となっていたから、
規模もその神社とよく似ているこの神社もそういう作りになっているんだろう。
俺と晶子は多数の人波に乗って進む。やはりかなり混みあっているが、密着している俺と晶子は人波にもまれて引き剥がされることなく、
ゆっくりと人波に乗って前進していく。
緩やかに、そして不規則に蛇行する白い道に沿って進んで行くと、両脇にロープが張られて警官が拡声器で四列に並ぶように繰り返すようになった。
さらに別ルートからやって来た人も人波に復帰して混み具合が再び激しくなってきた。どうやら本殿に近いようだ。
俺は歩調をコントロールして、ある四列の中に俺自身と晶子を入れるのに成功して、次第に減速してきた人波に乗って進む。
本殿に到達する前には、かなり傾斜がきつくて、さらに長い階段がある。
此処で混雑がピークに達しているらしく、階段を上っていく人波のスピードはそれこそ亀が歩くのと大差ない。否、もしかしたら亀より遅いかもしれない。
「足元、気をつけてな。」
「はい。」
木で組んだ骨組みに白い砂利を敷き詰めた感じの階段は、実際上ることになって、その傾斜のきつさに呆れてしまう。
そこまで「持ち上げ」なきゃならないほどご利益があるんだろうか?そんな愚痴めいたことを思ってしまう。
晶子に注意を促すのは勿論、自分も足元に気をつけないと・・・。踏み外したら笑いものになるか、周囲を巻き込んで大迷惑をかけるかのどちらかだろう。
階段を一つ上る度に暫く−およそ5分くらい−立ち止まり、を何度か繰り返しているうちに、ようやく本殿が姿を現し始める。
そこに使われている木の色は褐色を帯びてない。まだ造営されて間もないようだ。
試練と言っても過言でない階段をようやく上りきった俺と晶子は、人の頭の隙間から垣間見える賽銭箱に向かって、財布から取り出した10円玉を放り投げる。
そして手拍子を2回打って祈る。本当の参拝はもっと複雑なんだが、こんなところでそれをやったら迷惑でしかない。
それに、手順を踏まないとご利益がないというなら、そんな神様なんざこっちから願い下げだ。
後ろからの圧迫に急かされるように、本殿の正面向かって左側に逸れる形で本殿を後にする。
今までの混雑が嘘のように、人と人の間に充分な余裕が出来る。やはり白い砂利が敷き詰められた、広くて緩やかに下る坂を降りる。
「ねえ、祐司さんは何をお願いしたんですか?」
晶子が尋ねてくる。・・・ちょっと口にするには恥ずかしいが、晶子には話しても良いだろう。
願ったことも晶子に関係することなんだから。
「・・・晶子と仲良くやっていけるように、って。」
「私は、祐司さんとずっと一緒に居られるように、ってお願いしたんですよ。」
「殆ど同じだな。」
「そうですね。表現が少し違うくらいで。」
晶子は嬉しそうに俺の左手を握る手にきゅっと力を込める。
俺もその愛情表現に応えるつもりで、晶子の手を痛くないくらいにしっかり握る。
・・・本当に柔らかい手だ。力を込め過ぎるとひしゃげてしまいそうだ。
坂を下り終えると、なだらかで広い道に出る。
俺と晶子とは逆の方向へ歩いていく行列を、杉の林の向こう側に観ることが出来る。多分、本殿へ向かう行列だろう。
これから混雑と前進の遅さ、それに急傾斜の階段が彼らを待っていると思うと、ちょっと同情してしまう。
さっきまでの混雑が嘘のように広々とした道を歩いていくと、前方から歓声とどよめきが交互に、時には同時に聞こえてくる。人ごみも出来ているようだ。
何かイベントを−こういう場所にはちょっと合わない単語だが−やっているらしい。
「何やってるんでしょうね?」
「参拝は済んだよな・・・。正月限定のイベントか何かじゃないか?」
「行ってみます?」
「そうだな。行ってみるか。」
俺と晶子はその人だかりの方へ向かう。俺と晶子より先を歩いていた人の様子を観察すると、やはり人だかりに興味を示すが、
そこから人だかりに加わるか通り過ぎるかは五分五分といったところのようだ。
後者はかなりの人だかりの様子からして、ろくに見えやしないと思って諦めたくちだろう。
俺はあまり背が高い方じゃない。実のところ、晶子とも頭半分くらいしか差はない。あの人だかりで様子を窺うのはかなり難しそうだ。
諦めた方が良いかも知れない。・・・せめてあと10cm、否、5cm背が高けりゃな・・・。
そう思っていたら、もう充分見たのかどうか知らないが、人ごみの一部が離脱してその部分に空白が出来る。
俺は晶子の手を引いてその空白の部分に入る。多少前に人がいるが、どうにか何をやっているのかが見える。
人ごみの原因は、弓道着姿の女性が数人で入れ替わり立ち代りで的目掛けて矢を放っていることだった。
どの女性もかなりの美人揃いだが、中でも晶子と同じように茶色がかった長い髪をポニーテールにした女性は矢を放つ動作が凛としていて
凄く様になって見える。
辺りを見回してみると男性の姿が多いのはそのせいかもしれない。
「弓道を神社でするなんて珍しいですね。」
「ああ。でも違和感は無いな。見ろよ。晶子と同じような髪の女性(ひと)もいるぞ。」
「あ、確かに居ますね。綺麗な女性ですねー。」
「晶子も弓道着着てやったら、結構様になると思うけどな。」
「私は運動神経鈍いですから、変なところに矢を当てちゃいますよ。」
晶子ははにかみながら言う。その様子に俺は思わず笑みを浮かべる。
嫌味のない自然な晶子の表情は本当に魅力的だ。こういう晶子の表情がずっと俺のほうを向いていて欲しい。
さっきの参拝ではずっと一緒に居られるように、と願ったが、もう一つ追加したいところだ。
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