雨上がりの午後

Chapter 31 過去との遭遇、小さな探索

written by Moonstone


 電車の到着する音が聞こえて来る。本数の多いこの路線は結構な数の電車が行き来する。
世間的には休日ということもあってか、客足はかなりまばらだ。通勤通学のためにこの駅はあるといっても過言ではないから尚更かもしれない。
 駅の構内から出てくる人を見ていると・・・何処かで見たような、否、見覚えのある顔が見える。まさか・・・何で・・・

優子が居るんだ?!

 何で・・・あの女が・・・優子が此処に居るんだ?!何をしに来たんだ?自分がすれた俺の様子を見に来たとでも言うのか?
俺がバイト先に泊り込むようになる前にも、優子からは何の連絡もなかった。
もっとも電話があったとしても即座に叩き切っていただろうが、連絡もなしに何をしに来たんだ?

「・・・安藤さん。どうしたんですか?」
「・・・え?」
「顔・・・強張ってますよ。」

 傍らの井上の問いかけで優子に向いていた意識が元に戻る。見ると井上は不安げに俺を見ている。
ついさっきまで、ぎこちないまでのそれなりに良い雰囲気に向かっていたところに、突如俺の様子が急変したから不安がるのも当然だろう。

「・・・い、いや・・・何でもない・・・。行こう。」

 俺はあの女、優子から視線も意識も何もかも逸らそうと、身体の向きを強引に反転させる。
井上は恐らく予想外の俺の動きに面食らったのか、前につんのめりながら向きを反転させる。
・・・済まない、と心の中で詫びる。だが、今はこうした理由を話したくない。

「ど、どうしたんですか?いきなり・・・。」
「・・・何でもない・・・!」

 表面上は平静を装ったつもりだが、やはり不器用な俺では完全に誤魔化しきれない。語尾がどうしても荒くなってしまう。
 俺が歩き始めると井上もそれについてくる。井上は何がどうしたのか問い質そうとはしない。
内心ほっとするが、同時に心の中に生じた嫌な蠢きを感じずにはいられない。何で此処に居るんだ?何をしに来たんだ・・・?
俺を電話であっさりと捨てておきながら・・・今更・・・!

「祐司!祐司でしょ?!」

 背後から俺の名を呼ぶ声が飛んでくる。
女で俺の名前を言うのは潤子さんと・・・あの女だけだ!井上は俺を名前で呼ばない!

「・・・安藤さんのことじゃ・・・?」
「人違いだよ。俺の名前なんて、それほど珍しいもんじゃない。」

 誤魔化しにはありふれた答えを返して歩みを早めようとする。
間違いない。あの声は・・・あの女、優子の声だ!

もう、俺の名を呼ぶな!お前にその資格はない筈だ!!

 またあの声がする。明らかに呼びかけは俺に向けられている。
今更何の用だ?!俺を捨てた理由を説明しに来たとでもいうのか?!
止めてくれ!もうお前の声そのものだって聞きたくないのに!
 兎に角一刻も早く、あの女の視界から消えなくちゃ・・・。
だが、此処で走り出せば井上が余計に疑問に思うだろう。否、井上のことだ。俺の様子から薄々勘付いててもおかしくない。
呼びかける女が、俺が以前付き合っていた相手、優子だってことを・・・。
 だからって鉢合わせさせて「前の彼女の優子だ」なんて紹介するのか?!
そんなB級コメディーみたいな真似が出来るか!第一、井上には俺の無様な過去のホログラフィーを見られたくない!

「何で無視するのよ!」

 歩く速度を速めようとしたところで足音が急速に近づいてきて、怒声ともいえる大声と共に俺の右腕が掴まれる。
・・・この場合、捕まってしまったと言った方が適切か。無理矢理後ろに振り向くと、少し息を切らしたあの女・・・優子が居た。
 ストレートの黒髪を肩口を少し超えるところまで伸ばしているのは最後に見たときと同じだ。
だが、服装が違う。紺のブレザーに膝丈のタイトスカート、茶色のバッグを肩から下げている。
そして薄めの化粧。所謂「リクルートスタイル」というやつそのものだ。

「・・・何の用だ。」
「そんな言い方ないでしょ?久しぶりに会ったっていうのに。」

 ・・・まるで友人にでも会ったような言い草だ。
俺の方は名前で呼ばれるだけでも腹が立ってくるくらいなのに・・・!お前が2ヶ月ほど前、俺に何をしたか分かってて言ってるのか?!

「説明会の会場へ行く電車が丁度新京神線だったから、帰りに寄ったのよ。この時間ならまだ家に居るんじゃないかって思って。
まさか駅を出たところで会うとは思わなかったけど・・・。」
「・・・説明会?」
「そ。私、就職活動の真っ最中。来年からじゃ到底間に合わないって学校で言われてたけど、まさかこれほど大変とは思わなかったわ・・・。
最初から女子はお断りって会社も珍しくないしね。」
「ま、このご時世だしな。・・・それじゃ。」

 3年、否、2年後の自分を思うと多少身に染みるものがあるが、こいつの苦労話を聞いてても仕方がない。第一、他人の俺が知ったことじゃない。
俺は井上の手を引いて立ち去ろうとするが、右腕が掴まれたままで前に進めない。
 自分から告白したくせに、ずっと一緒に居ようね、なんて言ってたくせに、電話一本であっさり終わらせたくせに!
今更離さないなんてどういうつもりだ?!

「離せ!」
「だから、そんな言い方ないでしょって言ってるじゃないの!」
「まだ俺に用があるのか?!何だ!言ってみろ!」
「祐司・・・。」
「邪魔するな!離せ!!」

 俺の中でかつて蠢いていたどす黒い濁流が一気に増幅して口から噴き出す。
もう止まらない。止めようがない。この女を前にして、あの記憶を刻み込んだ奴を再び目の前にしては・・・!
 俺は右腕を強引に優子の手から引き剥がすと、井上の手を引いて走り出す。
もうこの女の顔は見たくなかったのに・・・ようやくセピア色になろうとしてたところなのに・・・

何で俺の前に現れたんだ!


 ・・・どれだけ走ったか分からない。
気が付いて周囲を見回したら、見たこともない場所に来ていた。どうやら住宅街の何処からしいが・・・俺の普段の行動範囲外であることは確かだ。
所詮、大学と自宅とバイト先、あとは書店とコンビニくらいしか使う道程がなければ、少し脇道に出れば未知の世界になるのは当然か。
 しかし、いきなりのダッシュはやっぱり辛い。心臓の辺りが痛いし呼吸は当然早い。
井上はどうかと思ってみると、胸を押さえて下を向いて肩で息をしている。
激情に翻弄されてのこととはいえ、結局井上を巻き込んでしまったという罪悪感が俺を襲う。

「・・・わ、悪い・・・。いきなり・・・走ったりして・・・。」
「それより・・・今の女性(ひと)って・・・。」
「・・・。」
「・・・優子さん・・・なんですよね・・・?」

 俺は井上から顔を背ける。あの女の名前を口にしたくない・・・。その一念が口が動くのを頑なに阻む。

「・・・当然・・・私が見るのは・・・初めてですけど・・・可愛い女性ですね・・・。」
「・・・誉める必要なんて・・・ない・・・。あんな奴・・・。」
「まだ・・・思い出には・・・成りきれてないんですね・・・。」
「・・・。」
「責めたりはしません・・・。一応・・・気持ちは分かるつもりですから・・・。でも・・・話くらい聞いてあげても・・・良かったんじゃ・・・。」
「人のことあっさり切り捨てて・・・気まぐれに立ち寄って友達面して話し掛けてくるなんて・・・俺には許せない・・・。
もう・・・あの女には・・・関わりたくない・・・。」

 別れても良いお友達、なんて器用な真似は俺には無理だ。別れたらもう他人でしかない。
おまけに勝手に乗り換えて捨てた相手を友達だ、って思うなんてできっこない。俺にしてみれば・・・あの女は敵だ!敵でしかない!
 俺と井上の荒い呼吸音だけが1車線の道路の片隅に広がる。
車が全く通らない閑散とした感さえある通りで、ただ呼吸と脈拍が落ち着くのを待つ。
俺はそれに加えて前のように荒れた胸の内を静めないといけないが・・・。
 ふと左手に意識を移すと、まだ柔らかい感触がある。
井上と手を繋いだままだ。井上の指は俺の手の甲から離れてはいない。離して欲しいという意思はないようだ。
そう思うと静まる速度が速まったように感じる。
 やがて少なくとも表面上は普段と変わらないまでに回復したところで、改めて井上を見る。
井上も回復したらしく、胸を押さえていた手は既に体の横にあり、俯き加減だった姿勢も元に戻っている。

「・・・落ち着きました?」
「何とか・・・。運動不足の身にはちょっと堪えたな・・・。」
「それより、安藤さんの心の方が・・・。」
「・・・それも何とか・・・落ち着いた・・・。」

 井上が心配していたのは俺の身体より心の荒れ具合だったようだ。
身体は暫く休めばそのうち元に戻るが、心の方はそう簡単にはいかない。目に見えない分余計に厄介な代物だ。
 思い返してみるが、あの女を目の前にしていたときのような嫌な蠢きは殆ど感じない。どうにか心の方も落ち着きを取り戻したようだ。
井上は映画を見てかつての幸福な時間を思い出し、俺はあの女、優子を目の当たりにしてかつての不幸な記憶を思い出して
それぞれ取り乱したということか・・・。
 俺の場合は度が過ぎるのかもしれないが、やっぱりあの女を前にして冷静で居られるほど、まだ心の整理は出来ていないようだ。
こんなことで井上への気持ちをはっきりさせるなんて、出来るんだろうか?

「これから・・・どうします?」
「・・・どうしよう・・・。」

 情けない言葉が漏れるが、実際俺は何も思いつかない。
駅の方に戻ればまた出くわすかもしれないし、もう諦めて帰路についたかもしれない。
だが、あの女のことをいちいち考えなきゃならないってことには変わりはない・・・。

「・・・戻りませんか?店に・・・。」
「・・・まだ時間はあるけど・・・。」
「歩けばそれなりに時間かかるでしょうし、今の安藤さんの様子だと・・・優子さんのことがちらついて集中できないような気がして・・・。」

 完全にお見通しって訳か・・・。益々自分が情けなく思える。
あの女の影に振り回されて、井上との時間を楽しむつもりが自分のせいで台無しにしてしまうなんて・・・。

「・・・悪い、井上・・・。」
「謝る必要なんてないですよ・・・。気持ちは・・・分かるつもりですから・・・。」

 井上の優しさが傷口に染みる。心地良いと同時に・・・痛い。

 俺は井上の提案を受け入れることにした。否、そうする以外に考えられるものがない。
井上と手を繋いだまま駅とは違う方向へ歩き始める。駅の方へ向かうとあの女、優子がまだ居るかもしれない・・・。
あの女もそんなに暇じゃないだろうからもう居ないと思うほうが自然なんだろうが、少しでも可能性が、否、危険性があるなら、
そっちの方に自分から足を踏み込むようなことは避けたい。
 井上と手を繋ぎながら静かな住宅街を歩く。知らない風景が延々と続く。違う世界に迷い込んだと言っても良いかもしれない。
同じ町内でもこんなに違うものか、とある種の新鮮な感動すら覚える。

「此処って・・・安藤さんや私が住んでる町なんですよね?」
「その・・・筈だけど、見たことも来たこともない所だ。」
「全然違う場所に来たみたいですね・・・。」
「身近な場所での観光ってところか。」
「何か良いですね、こういうの・・・。」

 徐々に普段行き来する道の方向へ歩みを変えていく。それでも見たことのない風景が続く。
休日の住宅街は遠くに子どものものらしい歓声が聞こえるが、通りを車が疾走することもなければ、人とすれ違うことも殆どない。
もしかしたら何かの拍子に本当に別の世界に迷い込んでしまったんだろうか、とちょっとした不安感すら感じさせる。
観光地でも初めて訪れたところだとそう感じるだろう。俺と井上は本当に身近な場所で観光をしているわけか・・・。
 殆ど会話のないまま、でも手を繋いだまま歩いていくと、見覚えのある建物が見えてくる。
さらに歩いていくと、そこは何と俺がよく使う、そして井上と出会った日に二度目の遭遇をした、そして前に井上と食事に行った帰りに立ち寄った
本屋の裏に通じていた。
まさかこの本屋の向こう側にあんな知らない世界が広がっているとは・・・。
自分の知ってる世界の狭さを思い知ったような気がする。

「本屋の裏側に通じてたんですね。」
「知らなかった・・・。」
「此処からなら店には簡単に行けますね。ちょっと惜しい気もしますけど・・・。」
「終わりは・・・意外に呆気ないものなんだな。何でも・・・。」
「・・・安藤さん・・・。」
「・・・あ、悪い。しみったれたこと言って・・・。」
「なかなか・・・映画や小説みたいにはいかないものですよ。現実って・・・。」

 周囲がありふれた風景に戻ったことで俺と井上の身近な観光は終わったわけだ。理想と現実の違いとよく言うが・・・今、それを実感する。
だが、井上と手を繋いでいるという事実は今尚続いている。そしてそれを不思議とも思わない自分が居ることも事実だ。
主観で変わる現実と違って誰が見ても同じこと・・・それが事実。
 見慣れた風景の中を歩いていく。何度となく自宅と店とを行き来した道を歩いていく。
普段と違うのは・・・井上と手を繋いだままだということだ・・・。

「「ただいま〜。」」
「あら、お帰りなさい。随分早かったわね。」

 裏口から入った俺と井上はキッチンから店に顔を出す。
丁度コーヒーカップ片手に一息入れていた潤子さんが出迎える。マスターの顔は見えない。
接客をしているんだろうか?特に慣れない女性客は、そのいかつい風貌に結構びびることもあるんだが・・・大丈夫なんだろうか?

「てっきり『今日は泊まりで帰れません』って電話が来るかと思ってたけど。」
「な、何で・・・。」
「あの映画、カップルをその気にさせるっていうから、二人が帰ってこないと思ってマスターも接客に顔を出してるのよ。普段はあんまりやらないのに。」
「帰ってこないって・・・今日は何時ものとおりバイトがあるから・・・。」
「事前に電話一本きちんと入れてくれれば、お休みってことにするから安心してね。」
「安心って・・・。」

 何だか先走ってるというか・・・妙に期待してないか? 単なる好奇心か、それとも恋愛の−特に井上サイドとしての−指南役としても思惑なんだろうか?

「まだバイトまでには時間があるから、ステージ使って練習しても良いわよ。少しだけどお客さんも居るし、
リハーサルには丁度良いんじゃない?疲れてるなら部屋で休んでても良いし・・・。」
「良いんですか?」
「良いも何も・・・ステージに上がる人が練習するのを咎める理由なんてないじゃない?」

 潤子さんは随分あっけらかんと言う。バイトの人間とはいえ言わば時間外利用になるというのに・・・。

「但し・・・演奏のギャラは無しよ。」
「・・・分ってますよ。」
「どうせやるんだったら、リハーサルでも良い演奏聞かせてね。」

 潤子さんは微笑んでウインクする。こういう仕草が本当に嫌味なく様になる女性だ。
久しぶりの映画に加えて走ったり歩いたりでちょっと疲れてはいるが、バイトが始まるまでの時間を遊ばせるのは惜しい。
コンサートはもう間近に迫ってるんだから・・・。

「俺、やります。」
「あ、私も。」
「丁度良いわね。二人ペアでやる曲も聞かせてくれると嬉しいんだけど。」
「リクエストにお答えします。良いだろ?井上。」

 井上は小さく頷く。その顔には柔らかくて心の底から嬉しそうな微笑が浮かんでいる。
影を消すには・・・明るい光で全てを照らすのが一番だ。

 店に戻ってからの時間は、外出していたときとは違って一気に加速度を増して瞬く間に過ぎていった。
初めての昼間のステージは自分のソロ「AZURE」と井上とのペア曲「FLY ME TO THE MOON」に「THE GATES OF LOVE」、
そしてマスターが飛び入り参加して「JUNGLE DANCER」と、割と閑散としていた店内は予期せぬステージに大いに沸いた。
演奏の出来も自分では十分及第点を超えていたと思う。
 それから潤子さんお手製の夕食を食べてバイトを始めて・・・。 週末の賑わいを見せていた店内も静まり返り、片付けと掃除の音が時々聞こえる程度だ。
 それが終わると全員揃って一息つく。
4人並んで座るのももう何ら違和感を感じない。「FROM THE BOTTOM OF MY HEART」が控えめの音量で流れるカウンターで、それぞれに飲み物を口に運ぶ。
さっきまでとは違って、まったりとした時の流れに身と心を委ねる。

「どうだった?今日のデートは。」

 マスターの不意打ちに俺は思わずコーヒーを吹き出しそうになる。
昼間の練習のときにも聞かなかったのに−客が居る前ではさすがに聞かないか−、こんな落ち着いた良い雰囲気の中でそんな質問をしないで欲しい・・・。

「デ、デートって・・・。」
「私、思わず泣いちゃったんですよ・・・。終わってからも暫く立てなくて、ロビーに出てから安藤さんに泣きついたりして、迷惑かけちゃいました。」
「ほお・・・そんな感動的な映画だったのか。」
「ええ。ラストシーンが特に・・・。」

 質問に実直に答える井上でも、やっぱり昔を思い出したというようなことは言わないか・・・。
そりゃ言いたくないだろう。あえだけ取り乱したくらいのことなんだから。
 俺が寝込んだとき、井上は過去を忘れられるはずがない、忘れようとすれば負担になると言った。
井上はそれを実践してまた過去に苦しめられた。
やっぱり過去は何が何でも振り払わなきゃ、何時までもついて回るんじゃないか、と思う。

「祐司くんはどうだった?」
「俺は・・・台詞の少ない映画だな、って思いました。」
「いや、そうじゃなくて内容の方。」
「うーん・・・。恋愛ものの割に淡々としてるな、と思ったくらいですね。」
「二人の反応が対照的だなぁ。井上さんは立てなくなるほど泣いて、祐司君は映画の内容より作品としての出来具合を見てたってことか・・・。」
「二人とも泣いてたらきっと大変なことになってたわよ。晶子ちゃんとしては特に祐司君が冷静で良かったんじゃない?」
「ええ。涙を拭いてくれたり気遣ってくれたりしてくれたんで、それが凄く嬉しかったです・・・。」

 俺は映画の内容や出来具合より、井上と暗闇の中でしっかり手を握り合っていたことや、公衆の面前で泣きつかれたことの方が
ずっと鮮明に脳裏に焼き付いている。
まあ、出来事があまりに強烈だったから当然といえば当然なんだが。

「ほお〜。祐司君もなかなか紳士的なところがあるんだな。」

 マスターの関心は俺が井上にしたことに−手を繋いだなんてことは一言も言ってない−移ったようだ。

「そういうのをさりげなくされると、女の子はぐっと来るのよね?晶子ちゃん。」
「あれは・・・本当に嬉しかったです。心配してくれてるんだって思えて・・・。」
「おおっ、大幅にポイントアップだな、祐司君。」

 ・・・関心が向いたのはマスターだけに留まらなかったか。
俺の両側でそんな会話をされると・・・照れくさいやら恥ずかしいやら・・・。
俺は右も左も向けなくて、無言でカップの中にある黒に近い茶褐色の液体の表面を見るくらいしか出来ない。

「祐司君。頬っぺたどころか、耳まで紅くなってるぞ。」
「え?!まさか。」
「まさかも何も・・・何なら鏡見てみる?」
「・・・いや、いいです。」

 しまった。表面上冷静を装っていたつもりだが、見事に顔色に出てしまったか・・・。
本当に俺って奴は不器用な人間だ。改めて実感させられる。

「そ、それより、音合わせしましょうよ。」
「おっ、照れ隠しに話をそっちへ逸らすか?」
「マスター・・・!」
「そうね。先に音合わせした方が良いかしら。話は後でゆっくり聞けることだし。」
「潤子さんまで・・・。」

 夫婦でちくちくと俺を突いて遊んでる。完全に玩具にされてる。
だが、不思議と怒りとかそういう感情は全く湧き上がってこない。あの女と出くわしたときとは正反対だ。
 ・・・こんな感じ、かつてあったな・・・。ああ、そうだ。高校の時、あの女、優子と付き合っていたときだ・・・。
休みの日にデートしてたところを同級生のグループに見られて、翌日それをネタにクラス中から散々冷やかされたときだ。
バンドのメンバーに突かれたときとか、優子の友人に二人一緒に冷やかされたときとか・・・。
 その感情と同じだってことは・・・俺が今、井上に対して抱いている感情は・・・あの時の優子に対する感情と同じだと確信するに十分な材料なんじゃないか?

ならば・・・もう迷うことはない筈だ。
あの告白に対する返事を・・・言うなら、
今すぐでも・・・良い・・・。


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