噂の人

written by Moonstone

〜この作品はフィクションです〜
〜登場人物、団体などは実在のものとは無関係です〜

第3章

 それから約30分後、俵町殺人事件担当の刑事の他鑑識と警官がゴミ捨て場に集まっていた。
鑑識が調べているのは、大岸が今朝捨てていったばかりの、明るいグレーのスーツが入ったゴミ袋である。
警官は、大岸がゴミ袋を捨てて自転車で走り去っていくところを偶然目撃した主婦から事情を聞いていた。

「−なるほど。その男性はゴミ袋を投げ捨てて自転車で走り去った、と。」
「はい。何だか逃げるような感じでした。」
「その男性の特徴は覚えていますか?」
「確か・・・紺色のスーツ姿だったと思いますが・・・。」
「そうですか。分かりました。」

 警官は主婦に礼を言うと、事件担当の刑事の元に駆け寄る。

「警部。主婦の目撃証言を得ました。」
「で、何と?」
「スーツ姿の男性が、例のゴミ袋をこのゴミ捨て場に投げ捨てて逃げるように走り去ったということです。服装は主婦の記憶がやや曖昧ですが、紺色のスーツ
だったらしいとのことです。」
「紺色のスーツか・・・。そんな男はその辺を探せばゴロゴロしてるな。」

 事件担当の刑事が厳しい表情で自分の顎を撫でていると、ゴミ袋を調べていた鑑識の一人が駆け寄って来る。

「警部。ゴミ袋とスーツが入っていたビニール袋から多数の指紋を採取しました。」
「他には?」
「他は・・・コンビニ弁当の空き箱と思われるものが多数見つかりましたが、そこからも指紋が採取されました。その他、ゴミの内容は一般家庭から出る不燃ゴミと
大差ありません。」
「そうか。よし、ゴミ袋を回収してゴミ袋とスーツが入っていたビニール袋、そしてコンビニ弁当の空き箱から採取した指紋を署で照合しろ。」
「はっ!」

 鑑識は敬礼した後問題のゴミ袋のところに戻り、ゴミ袋とスーツが入っていたビニール袋、コンビニ弁当の空き箱、そして明るいグレーのスーツを手分けして
手袋をはめた手で一つ一つ専用のビニール袋に入れていく。
もう一人の刑事が、事件担当の刑事に言う。

「警部。昨日のニュースで流れた、重要参考人の服装と同じと思われるスーツを翌日直ぐにゴミ袋に入れて捨てていったということは、やはり・・・。」
「うむ。その男が犯人で、証拠隠滅を図ろうとした可能性があるな。」

 犯人扱いされるのは御免だという思いからとった大岸の行動は、悉く裏目に出てしまっている。

「自転車で走り去ったということは、その男性の住居はこの南旭町、しかもこの近辺にあると考えられますね。」
「或いは、別の地域か町から走ってきて捨てていったとも考えられるな。自転車という交通手段を利用すれば、多少距離があっても大したことじゃない。」
「となると、益々その男性が怪しいですね。」
「うむ。事件の重要参考人という見方を固めることが出来るな。まだ断定は出来んが・・・。明るいグレーのスーツなんざ、別段珍しくも何ともない。」
「確かに。」

 事件担当の刑事は野太い声を張り上げる。

「よし!捜査対象の重点をこの近辺に置き、同時に南旭町全体に聞き込み調査を行え!鑑識は直ちに署で指紋の照合だ!」
「「「「「はっ!」」」」」

 刑事や警官は敬礼して、ある者はパトカーや覆面パトカーに乗り込み、ある者は2、3人のペアを組んで走っていく。事件の捜査の方向は、大岸にとって
益々不利な状況になりつつあった・・・。
 警察がゴミ袋を巡って捜査の網を広げようとしていた頃、大岸は会社に到着し、何時ものようにタイムカードを押し、自分の職場に入る。
ドアを開けて中に入ると、数人の同僚が大岸の方を見る。やはりそれは、誰が入ってきたのか、というごく自然な反応なのだが、それが今の大岸にとっては
例の事件の犯人ではないか、という疑惑の視線を向けられているような気がして、昨日以上に心臓に圧迫感を覚える。

「よお、大岸。相変わらず何時もどおりの出勤だな。」

 昨日も声をかけてきた同僚が大岸に話し掛けてくる。

「習慣なんでね。」
「ところでお前、昨日まで着ていたスーツはどうしたんだ?」
「す・・・いや、クリーニングに出した。」
「ふーん・・・。」

 捨てた、と言いかけた大岸はどうにかその場を取り繕う。仮に捨てた、と言おうものなら、昨日のニュースを−その同僚が見ていたかどうかなど考える
心理的余裕は今の大岸にはない−見ていた同僚が、また自分に疑惑を−同僚にしてみれば前日の言葉は単なる冗談なのだが−向けられるのではないかと
いう気がしたからだ。
 同僚の視線が、大岸には多分に疑惑を含んでいるように感じられてならない。まだ自分は疑われている、という強迫観念が大岸の顔からただでさえ
少なかった血の気を更に奪っていく。大岸の顔色が悪いのを見た同僚が心配心から言う。

「お前、顔色凄く悪いぞ。具合悪いならいい加減休めよ。ぶっ倒れたらそれこそ洒落にならんぞ。」
「平気だ。今日は早めに仕事を切り上げて帰って休む。幸い明日明後日は休みだしな。」
「そうか。あ、そう言えばさ、お前が昨日まで着ていたスーツって、明るいグレーじゃなかったっけ。」

 同僚が発したその言葉に、周囲に居た同僚が一斉に反応して顔を上げて大岸とその同僚の方を見る。

「実はお前、スーツをクリーニングに出したなんてのは真っ赤な嘘で、警察の捜査の手が及ぶ前に証拠隠滅を図ったとか。」
「ふざけるな!!」

 大岸が顔を一気に真っ赤にして同僚を怒鳴りつける。その怒声で他の同僚は勿論、上司や部下まで一斉に大岸と同僚に視線を向ける。

「何でニュースと同じ色のスーツを着ていただけで犯人扱いされなきゃならないんだ!!明るいグレーのスーツを着ている奴なんて、その辺探せば何処にでも
居るだろ!!ほら!!あいつだって!!あいつもそうだ!!」

 大岸は明るいグレーのスーツを着ている男性社員を見つけては、殺気立った視線と共に指差す。その鬼気迫るという表現が相応しい大岸の様子を目の
当たりにして、同僚は声が出ない。それは他の同僚や上司や部下も同じだ。大岸に指を指された男性社員は、ある者は自分が例の事件の犯人だと決め付け
られたと思い、ある者は何で自分がとばっちりを受けなきゃならないんだ、と思う。

「何か?!明るいグレーのスーツを着ている奴は、お前から見れば全員容疑者ってわけか?!だったらあいつにも!!あいつにも疑惑を向けたらどうだ!!
偶々ニュースで流れた情報と俺が着ていたスーツが同じだった、ってだけで犯人扱いするな!!出るとこ出ても良いんだぞ!!」
「な、何もそんなにむきになることないだろ。」
「人様を勝手な臆測で犯人扱いするからだ!!ちょっとは反省しろ!!」

 大岸は顔を真っ赤にしたまま自分の席に向かい、椅子にどかっと腰を下ろしてPCを起動する。そして何時ものようにメールチェックをした後、ブラウザを
起動して新聞をチェックする。新聞には大見出しではないものの、社会面に「俵町殺人事件で重要参考人が捜査線上に浮上」という見出しがある新聞もある。
大岸は忌々しげに表情を歪めつつブラウザを閉じ、仕事に取り掛かる。その様子が周囲からはとても奇異に映ったことは言うまでもない・・・。
 何時ものように仕事をこなし、少しの残業を終えると、大岸は帰路に着く。昨日から自分がニュースや同僚から例の事件の犯人だと言われているような
気がしてならない大岸は、一刻も早く帰宅して気を休めたいのだ。
警察の検問に引っ掛かって犯人扱いされまいと、これまでの通勤コースを買えて日が浅い大岸はまだ不慣れな道に多少戸惑いながらも、途中で夕食の
コンビニ弁当を買い、家に辿り着く。
何時ものように玄関の近くに自転車を置き−自転車置き場は大岸の住むアパートにはない−、玄関の鍵を開けて暗い家の中に入る。大岸はこれまた
何時ものように暗闇の中を歩き、電灯のスイッチを入れて部屋の明かりを灯し、いそいそと着替えて茶を入れ、コンビニ弁当を食べ始める。
 何時もと違うところはTVを点けないことだ。ニュースで自分の服装や事件当日の様子が報道されるのを見て、自分が犯人扱いされているという気分に
なるのが嫌だからだ。職場ではおろか、自宅ででも犯人扱いされるのは真っ平御免だ。そういう思いから、大岸は音のしない室内で黙々と夕食を進める。
 何時も以上に味気のない食事を終え、真新しい不燃ゴミの袋にコンビニ弁当の空き箱を放り込み、茶を啜る。ここまで来て、大岸はようやく心が安らぐ
のを感じる。連日TVや同僚から犯人扱いされ−大岸の強迫観念でしかないのだが−、気が休まる時がなかったからだ。
明日明後日は仕事は休み。何時ものとおり買い物に行って−足りなくなった日用品や酒やつまみを買う程度だが−、あとはゴロゴロしていよう。そして嫌な
ことは頭の中から放り出して、すっきりした気分で週明けからの仕事に臨もう。
大岸が茶を啜りながらそんなことを思っていると、インターホンが鳴る。
 大岸は一人暮らしの上、遠方から単身この地に引っ越してきたため友人らしい友人は居ない。町内会には入っていないし、恋人と呼べる女性も居ない。
こんな時間に一体誰だ、と訝りつつ、大岸はインターホンが鳴る玄関に向かい、念のためチェーンロックをかけてからドアを開ける。
ドアの隙間から顔を覗かせたのは2名の警官だった。それだけで大岸は捜査の網が自分に覆い被さろうとしていると思い込み、表情を険しくする。
警官達は夜いきなり訪問したことで、こんな時間に警察が何の用だ、と不機嫌になったのだと思う。

「何の用ですか?」
「夜分どうもすみません。我々俵警察署の者です。」

 いかにも不機嫌な口調で尋ねた大岸に、警官はこれ以上機嫌を損ねまいと丁寧な口調で挨拶し、警察手帳を広げてみせる。

「昼間お邪魔したのですがお留守でしたので、夜でしたらお帰りではないかと思ってお邪魔した次第です。」
「で、何の用ですか?」
「はい。まずお尋ねしたのですが、南町で起こった殺人事件はご存知ですか?」
「知ってます。TVやインターネットで嫌と言うほど報道してましたから。」

 大岸は、やはり警察は自分を疑っている、と思い込み、眉間に深い皺を寄せてぶっきらぼうに答える。

「失礼しました。それでですね、今朝8時頃、近くのゴミ捨て場に明るいグレーのスーツを不燃ゴミとして捨てていった、自転車に乗った紺色のスーツを着た
男性が目撃されていまして、そのゴミ袋とスーツが入っていたビニール袋と、同じく中に入っていたコンビニの空き箱から検出された指紋が全て一致
しまして、その男性が事件に何らかのかかわりがあるのではないか、ということで行方を追っているんですが、お心当たりはありませんか?」

 大岸は、警察が自分を疑っている、という疑惑と恐怖を極限まで募らせる。

「紺色のスーツを着た男性なんて、いちいち観察して町を歩いているわけじゃあるまいし、憶えているわけないでしょうが!」
「失礼しました。では、お心当たりはない、と。」
「そんな誰も憶えていそうもないことを、わざわざこんな時間に聞きに来たのか?!」
「いえ、そのゴミ袋を捨てていった男性が自転車に乗っていた、という目撃証言がありまして、その男性はこの近辺に住んでいる可能性があるということで、
お伺いしたまでです。あの、ところで・・・。」
「はい?」
「自転車を・・・お使いのようですが?」

 大岸は、自分がスーツを不燃ゴミとして捨てたところを目撃されたということに焦りを感じつつ、同時にその時自転車に乗っていたことをネタに警察が
自分に疑いの目を向けていると思い込み、歯をギリッと軋ませる。

「自転車を使ってたら犯罪だ、っていう法律でもあるのか?!」
「いえ、そんなことは・・・。ただ目に留まっただけですので・・・。」
「犯人探しは構わんが、探している男性と目撃証言の一部が一致するからって人様を勝手に犯人扱いするな!!」

 怒りを剥き出しにする大岸に対して、警官達は申し訳なさそうに頭を下げる。

「すみません。別に貴方を犯人だと疑っているわけではありませんので、その点だけはひとつ、ご承知願いたいと・・・。」
「他に用はあるのか?!」
「いえ・・・。」
「じゃあ、尋問はもういいな?!帰ってくれ!!気分が悪い!!」
「夜分失礼しました。お休みなさいませ。」

 警官が低姿勢で挨拶したのを無視して、大岸は荒っぽくドアを閉めて鍵をかける。警官達は何故大岸があんなに不機嫌になるのか、と訝りつつ、同じ
アパートのやはり昼間留守にしていた住人への聞き込みに向かう。
 大岸は肩で息をしながらTVのある部屋に戻り、座布団にどかっと腰を下ろす。そしてやや冷めた茶を一気に飲み干すと、湯のみ茶碗を荒々しく机に置く。

「畜生。どいつもこいつも人を犯人扱いしやがって・・・。」

 大岸の独り言には怒りと焦りが多分に含まれていた・・・。
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