〜この作品はフィクションです〜
〜登場人物、団体などは実在のものとは無関係です〜
「ちょっとすみません。」
「現場」を通り過ぎようとした大岸に、背後から声がかけられる。「な、何でしょうか?」
出来るだけ平静を装いながら大岸が尋ねると、警官が言う。「貴方、此処を通っているんですか?」
「は、はい。それが何か?」
「実は昨夜、あそこで殺人事件がありまして、今、現場検証と並行して目撃者探しをしているんです。」
「私は何も知りません。見てません。偶々この道が私の通勤コースなだけです。」
「ほう、通勤に使っているんですか。では、昨日の午後9時頃、この辺りで男性同士の口論などを聞きませんでしたか?」
「さっきも言ったでしょう!私は何も見ていないし、何も知らないって!人を勝手に犯人扱いしないで下さい!」
「いえ、私は何も貴方を犯人扱いしているわけではなくてですね、事件に関係のある情報をご存知かどうか伺っているだけですよ。」
「・・・失礼。私はさっきも言ったように、何も見てませんし、何も知りません。これでよろしいですか?」
「あ、はい。お帰りのところ失礼しました。」
「警部。先程この道を通勤に利用していると言う男性に、事件に関する情報を保持していないかどうか聞きました。」
「そうか。で?」
「それが・・・私が尋ねるよりも先にむきになって事件とは無関係だ、と言って、尋ね終わったらこの場から逃げるように去ったんです。」
「・・・妙だな。」
「で、その男は偶々この道を通っただけか?」
「いえ、通勤に使っているとのことです。」
「・・・その男の人相や服装は憶えているか?」
「はい。」
「よし。その男が昨夜事件発生時刻周辺で目撃されなかったか、周辺住民に聞き込みをしろ。」
「しかし警部。その男性は事件については見てもいないし、何も知らないと・・・。」
「なら何故逃げるように立ち去る理由がある?」
「そう言えば・・・住民の中に、『誰だ、そこに居るのは!』という大声を聞いた人間が居るな・・・。」
「はい。犯人は何者かに現場を目撃された模様です。」
「となると・・・、お前がさっき尋問した男が目撃者か、或いは・・・。」
「犯人ではないか、と?」
「その男は徒歩だったか?」
「いえ。自転車を使っていました。」
「となると、聞き込みの対象を広範囲に広げる必要があるな。」
「よし。南町全域を対象にもう一度聞き込みをしろ。そして、お前がさっき尋問した男を見なかったかどうかも聞き込め。」
「はっ!」
「事件発生時刻近くに、傘を差さずに走っていく男性の姿を目撃した、という、散歩中だったという付近住民からの目撃情報が寄せられました。」
「ふむ・・・。」
「で、その住民によると、事件当日雨だったにも関わらず、しかもその男性は傘を持っていたのに傘を差さず、必死の形相で走り去った、とのことです。」
「人相は分かったのか?」
「その点なんですが・・・暗くてはっきりとは分からなかったものの、2日前自転車で現場付近を通りがかった帰宅途中の男性の特徴を挙げたところ、
よく似ていたとのことです。服装は明るいグレーのスーツで、身長170cmくらい、標準的な体型で、いかにも一般的なサラリーマンという様子だった、と。」
「なるほど・・・。」
「また、同じく南町の住民の中で、事件現場からかなり離れている場所で、ずぶ濡れになって辺りをきょろきょろ見回しながら歩いている不審な男性を
目撃したという情報が数件寄せられました。」
「その男性の特徴は?」
「これもやはり暗くてよく分からなかったものの、目撃された現場の地理に明るくないらしく、頻りにきょろきょろしていたこと。また、先程報告した目撃情報で
登場した男性の特徴を挙げたところ、スーツの色は覚えていない住民も居ましたが、覚えていた住民はやはり明るいグレー、そして体型は身長170cmくらい、
標準的な体型のサラリーマン風の男性だったということはどの目撃情報にも共通しています。」
「その男は傘を差していたのか?」
「はい。差していたそうです。しかし、スーツの色が濃く変色していたことから濡れていると分かったそうです。」
「警部。その男性、事件に何らかの関わりがある可能性が高いですね。」
「それに傘を差さずに走り去ったという男性と、傘を差しながらもずぶ濡れできょろきょろしていたという男性は、同一人物と見るのが自然でしょう。」
「目撃者か、或いは犯人か・・・。そこまではまだ断定出来んが、事件に何らかの関わりがあると見るのが自然だな。」
「警部。その男性は事件現場を偶然目撃し、犯人に気付かれて追いかけられ、逃げ回った結果迷い込んでしまった、と考えられませんか?」
「それも一つだがもう一つ。その男は事件の犯人で、目撃者を追いかけているうちに迷い込んでしまった、という可能性も考えられる。」
「確か・・・ガイシャ(註:被害者の隠語)は事件現場の南町から離れた錦町の住民だったな?」
「はい。中小企業の経営者ですが、昨今の不況で経営が傾き、多数の知人から総額約300万円を借りていたということです。」
「錦町の人間が南町で殺された・・・。犯人はガイシャの知人で、しかも南町の地理に疎い、言い換えれば南町に在住していない男、という線が濃いな。」
「金の貸し借りを巡って口論になり、カッとなって刺殺してしまった、と。」
「うむ。それに聞き込みで得られた、雨の中傘を持っていながら差さずに走り去ったという男、そして南町できょろきょろしていた男は、犯行現場を目撃され、
目撃者を追いかけたものの見失ってしまい、南町の地理に疎いがために迷ってしまった、という線が考えられるな。」
「よし!明るいグレーのスーツに、身長170cm、標準的な体型のサラリーマン風の、傘を持ったずぶ濡れの男性を目撃しなかったかどうか、南町周辺の町に
捜査範囲を広げるぞ!犯人は徒歩だ!南町に隣接する南旭町、春日町、俵町を重点的に捜査だ!勿論、ガイシャの交友関係も洗い直しだ!」
「「「「「はい!」」」」」
「俵市南町で発生した殺人事件について捜査本部は、事件発生時刻近辺で目撃された男性が事件に何らかの関わりがあると見て、捜査を続けています。」
キャスターの読み上げた文章を聞いて、大岸は胸の嫌な鼓動の高鳴りが抑えられない。「捜査本部によりますと、事件発生時刻近辺で、事件当日雨だったにも関わらず、しかも傘を持っていながらそれを差さずに走り去る男性が目撃されており、
さらに南町では雨に濡れながら周囲を頻りに見回していた男性も目撃されており、捜査本部はこの男性が事件と何らかの関係があると見て、聞き込みを
続けています。男性は身長170cmくらい、標準的な体型で、明るいグレーのスーツを着ていたということです。捜査本部は・・・」