教育担当課の小学生用理科担当係における「帰化」作業は、内容の理解とは程遠い文章を作る結果になりそうだ。
小学生の段階では未知のものである水酸化基や珪素といった用語を惜しげもなく使用した事で、本題の前にこれらの用語を説明する必要が新たに生じた。
これは表現の変更によって、学習指導要領にも影響を及ぼすということであり、監督官庁の文部省も必然的に対応を迫られるのはもとより、ただでさえ
前のめりになってきた学習内容に加え、新たな用語の説明も考えなくてはならない現場の教師の負担は言わずもかなである。
もっとも、学習指導要領が生徒の理解より先に存在することを知っている教師なら、教えることを「自主学習」に任せる要領の良さで対応できるだろう。
何せ、学習指導要領や管理職や教育委員会の「指導」を遵守できる教師が「望ましい」教師なのだから。
教科でも国語のようにさほど「帰化」作業を必要としないものから、教科書を発行するどころか教科の存在すら危機的状況にあるものもある。
それは「英語」である。英語の教科書は法案が「帰化」の対象とする外来語の塊なのだから、「帰化」作業を施せば教科そのものが存在意義を失ってしまう。
例えば「Hello,Taro」を「帰化」した結果、「こんにちは、タロー」としてしまったら、国語の教科書と何ら変わりはない。
しかし、法案では「日本語と日本文化を保護するため」に外来語を「帰化」させてから使用することが定められている。
まさか、その「帰化」作業を掌握する団体が自分達の存在意義を怪しくするようなこと(「帰化」作業の見送り)をするわけには行くまい。
検討の結果、裁量は監督官庁である文部省に委ねられることになった。
しかし、文部省も国の教育政策に関わることであるから一省庁の権限で裁量するわけにもいかず、閣議の席にまで持ち込まれることになった。
もっとも、検討結果が出るのが先か、法案施行の日を迎えるのが先か、そんなことは彼らにはやはりどうでも良いことなのだが。
混迷の中にある教科書担当課であるが、他の課における「帰化」作業は順調であろうか?
視線を情報通信担当課に移してみる。ここの「分野」にはインターネットや衛星放送も含まれる。
「−じゃあ、『インターネット』を帰化させよう。」
「・・・忠実に訳せば・・・『内部情報網』ですか?」
「内線と似た感じがするなぁ。『電子計算機情報網』の方が良いと思うが。」
「それだとLANと区別できなくなりますよ。例えば・・・『電話回線情報網』の方が・・・。」
「それだったらダイアルQ2とかも含まれるぞ。」
「じゃあこうしよう。『電話回線接続電子計算機情報網』。これで良いな?」
「・・・はあ。」
半ば諦めの気持ちが篭った生返事で、係長の提案に賛同する職員達。
単にそれぞれの提案を体よく繋げただけではないか。そう言いたくても言えない。
「上司の提案に異論を向けない」ことは組織で生き残る鉄則であり、それで組織は維持されていくのだから。
組織は職員の為にあるのではなく、幹部の為にあるということは、あらゆる事象における共通の法則といって良い。
「では次だ。『モバイル』。これは簡単そうだな。」
「『モバイル』は・・・本来『機動性のある』とかいう意味ですが。」
「持ち歩ける端末のことを指してますから、『携帯情報端末』ってところですかね。」
「なかなか良いな。この調子でどんどん作業を進めていくぞ。次は・・・『WWW』?!」
『モバイル』で「帰化」作業が波に乗ると思った矢先に、大きな壁に突き当たった。
『WWW』・・・World Wide Webをどう「帰化」させるつもりなのだろうか?
「ワールドワイドな」という便利な片仮名語は勿論使えない。
「・・・『世界敷設情報網』ってところでしょうか?」
「国際電話なんかとあまり区別がつかないなぁ。あれも『敷設』されてるわけだし。」
「係長。インターネット関係だけでも他に「帰化」が必要な単語が色々ありますよ。『ブラウザ』『HTML』『スクリプト』・・・。」
「市販ブラウザの固有名称はどうしますか?あれは登録商標ですから、我々で変更出来るものではないと思いますが・・・。」
「・・・郷に入れば郷に従えだ。日本語を使う我が国では商標もそれに準じるのが当然のこと。」
「で、では、社名も・・・ですか?」
「当然だ。日本語を使う国で活動する以上、日本名にするのは当然のことだ。」
産業に関わる分野を担当するが故に、大きな問題に直面し、同時に係長の無知ぶりを思い知らされた職員達。
そもそも登録商標は単なる「番号」や「通称」ではない。企業や団体にとってその存在価値を世に示すための重要な「看板」だ。
ましてや社名ともなれば言わずもかなである。
それを母国語保護の為ということで日本語名に変更願いたい、などといえようか?答えは言うまでもない。
逆に「それなら日本語で登録商標を受けているブラウザを使ってくれ」と切り返されたらどうするのだろう?
国産のブラウザは皆無である。いきなり同等の性能を持つ独自ブラウザを開発するのは無理というもの。
それより先に、インターネット関連は殆ど全てが言わば輸入物であるという現実が先にある。
となれば、当然その分野や製品の主力−インターネットは殆どアメリカ産−や輸入の相手先の言葉、即ち外来語が名詞にあてがわれる。
かつてタバコやパンが、カルテやクランケがそうであったように−勿論、これらも「帰化」の対象になる−。
それに・・・法案が示すとおり「外来語を使うことを禁止」することを忠実に実行するなら、もはやコンピュータのプログラム一切は使用できない。
言うまでもなく、コンピュータのプログラムは造語なども混在するが全てアルファベット表記、その語源は英語(米語か?)である。
これらも「帰化」の対象にするなら、当然担当は情報通信担当課の範疇だ。
本当に、全てを「帰化」させるつもりなのか?
そして、それらの「帰化」に伴うそれこそ無数に存在するソフトウェア−日本語表記のソフトウェアもプログラムは「外来語」だ−の修正問題、否、それよりも
ずっと重要で深刻な、「プログラム言語やコンパイラやエディタを含めた開発環境をどうするのか」という問題が当然浮上してくる。
これはソフトウェアだけに留まらず、様々な家電製品や制御機器に内蔵されているマイコンの開発にも直結する。
そしてさらに、ハードウェアを構成する電子部品の名称も、大半がアルファベット表記であるし、それを設計する回路図ソフトは言うに及ばない。
プログラム言語に始まり、コンパイラやエディタなどの開発環境、これまでに出回っているハードウェアとソフトウェア、今後の生産ライン。
これら全てを「帰化」させるには、それこそ膨大な時間とコストを必要とするのは明らかだ。
しかも「外来語の使用を禁止」となれば、「帰化」までの間、少なくともプログラムが関わる一切のコンピュータ関連の製品は使えないし、作れない。
となれば、政治経済は勿論、報道も、電気、ガスなどのライフラインも、家電製品も、およそ電気に関係あるものは大半が使用不能に陥る。
そうなれば、生活環境は数十年は逆戻りせざるを得ない。
本当に、全てを「帰化」させるつもりなのか?
次に視点を「行政担当課」に移してみる。ここでは行政関係一般の外来語が「帰化」の対象となる。
幸いにして、行政関係にはさほど「帰化」対象の用語はなく、他の課に比べて随分のんびりした様子である。
たとえ「帰化」させるにしても、文字数の多さや表現の難解さに頭を悩ませることはない。
何故なら、難しい表現を多用することが「行政」関係者の腕の見せ所なのだ。
一仕事終えたところで、課の職員は思い思いに休んでいる。見た目にも暇を持て余している様子である。
茶を飲んでいるものも居れば、居眠りするものも居る。
ある職員が読んでいる新聞では、「外来語の帰化に備えて」と題して市民の声と共に「帰化」が生活に与える影響を語っている。
疑問があると言ってもせいぜい『ガラス』や『テレビ』など生活関連の用語がどうなるのかという程度であり、これまで見てきたような根本的かつ重大な問題に
振れた声の紹介はない。
もっとも、たとえあったとしても記事になる前にもみ消されているだろう。
情報源の気に障るような記事を載せるほど、商業新聞も「愚か」ではない。
このまま定時に終われそうな気がした頃、課長の電話が軽やかな呼び出し音を奏でる。
のんびり舟を漕いでいた課長は、その音に驚いて跳ね起きるとすぐに受話器を取る。
「はい、行政担当課です・・・。え?!法務大臣でございますか?」
背凭れに体重を預けていた課長が、急に姿勢を正す。
電話の主は海原光夫法務大臣。彼もまた「日本語保護法案」を積極的に推進した国会議員の一人である。
しかし、法務省の長が行政担当課に何の用なのか?
訝しげに聞き耳を立てる職員達の前で、妙に畏まった課長の電話の応対は続く。
「・・・はい。行政関係は主立った帰化対象の単語はありません。・・・はい。はい、そうでございます。行政関係は全て当課の担当で・・・。
え?そ、それも含まれる・・・?・・・い、いえ、滅相もございません。おっしゃるとおりでございます。では、早速帰化作業を行いますので・・・
はい、わざわざありがとうございます。では、失礼します。」
課長は受話器を置くとすぐに表情を険しくする。
何事かと思う職員を前に、課長は立ち上がって職員全員に告げる。
「諸君。先ほど法務大臣からご質問とご指摘を賜った。在日外国人の氏名も帰化対象に含めないのかというものだ。」
「在日外国人の・・・氏名ですか?」
「そうだ。法務大臣は『行政一般の帰化担当であるなら、法務並びに公安に関係する在日外国人の氏名も帰化対象に含めるべきだ』と指摘された。
確かに日本に在住する以上、日本語の氏名を使うのは当然のことだ。彼らの氏名も帰化の対象に入れなければならない。」
「し、しかし、それは重大な人権侵害に・・・。」
ある職員が異議を口にした瞬間、周囲の冷たい視線が一斉にその職員に注がれる。
課長が先ほどの電話の応対とは正反対の、野太い高圧的な声で窘める。
「君ぃ。君はそれでも日本人か?日本語を護る我が協会の職員かね?外来語の侵略から日本語と日本文化を護るという我々の役割は、あらゆる分野や
名称においても完遂されなければならないんだよ!」
「は、はい。しかし・・・」
「しかしも何も無い!在日外国人は言わば外来語を常に身に纏って歩いているようなものだ!それを人権だ何だのと帰化対象にしないのは、外来語の
徘徊を我々が公認するようなものだ!君はそういう重大性を認識しているのかね?!」
「・・・申し訳ありません。」
職員は一応頭を下げる。しかし、腹の内はもやもやしたもので溢れ返っている。
「帰化」に対する自分と課長をはじめとする他の職員との見解の違いを思い知らされたからではない。
もはや「帰化」に凝り固まった彼らに、これ以上対峙するのは時間と労力の無駄だと悟ってしまったからである。
「まったく・・・課全体の士気を乱すようなことをしてもらっちゃ困るんだよ。君の処分に付いては懲罰委員会にかけるから、そのつもりでな。」
「・・・はい。」
「では、これから会議だ。法務省、警察庁、自治省と各都道府県との連携、氏名帰化の申請様式、帰化拒否の場合の対策について協議する。
全員速やかに第1会議室へ移動してくれ。」
課の職員は全員会議室へ移動していく。
そんな中、課長の指示に異議を唱えたあの職員だけは、この日を最後に外来語帰化推進協会を去る決意を固めていた。
ここは、単なる質の悪い言葉遊びの集団だった訳か・・・。
これから・・・この国はどうなっていくんだろう?
職員の心の問いかけは、程なく恐るべき形で現実のものとなって行く・・・。
それから1週間後に全都道府県、市町村から「法務省、自治省、警察庁通達」として告示された内容は、在日外国人に多大な衝撃を与えるには
十分だった。
在日外国人の皆様へ
日本語保護法案の施行により、今後我が国における外来語の使用は禁止され、日本語に帰化したもののみ使用可能となります。そのため、外来語表記の皆様のお名前も、全て日本語に帰化して頂く必要があります。
本日から日本語保護法案の施行後一ヶ月の間に、在日外国人の皆様はご自分で帰化された名称を若しくは名称帰化申請を最寄りの役所にして頂き、以後、日本語の氏名を使って頂くことになります。
なお、日本語への帰化を拒否された場合、日本語保護法案に従って制定された各自治体の条例に基づいて罰せられます。
この告示に衝撃を与えられただけではなく、過去の忌まわしい記憶を呼び覚まされた者も居る。齢60を超えた在日韓国人である。
時を溯ること1910年の日韓併合。併合と言えば聞こえは良いが要は日本が朝鮮半島を植民地にしたあの時代。
「皇民化政策」の一環である「創氏改名」によって日本名にすることを強要された、まさにその記憶が半世紀以上を経た現在になって再び我が身に
降りかかってきたのだ。
母国語で付けられた名前を、「皇民化」の名の元に別の国の言語で全く違うものにさせられる。そこに選択の自由など存在しない。
これが忌まわしき記憶以外の何になるというのか?
都市部では「『皇民化政策』の再来反対」と抗議デモが行われた。
また世界各国からも非難や抗議が表明され、とりわけ周辺のアジア諸国が激しい非難を展開した。
しかし、「日本語保護」を大義名分にした今回の日本政府の対応は、これまでとは違う。
「一部の国が我が国の文化政策を非難しているが、我が国はそのような内政干渉に屈服するつもりはない」と、公然と非難を突っぱねた。
また、反対勢力に対しても報道機関、特に政府寄りの新聞や週刊誌と共同で「外来語侵略を許すのか?日本人は日本語を護れ!」というキャンペーンを
展開した。
もともと反対派で公然と訴えられる者は少ない。さらに「ムラ」意識が根強く残る地方において「お上」の意向に反することは「アカ」とされ、白い目で見られる。
そして反対の動きを報道しない、その上それを中傷する報道機関が、さらに反対の声を裏へ裏へ、少数へ少数へと追い込んでいく。
反対がすなわち「悪」とされるという、これまで頻繁に繰り返される図式が、今回もまた行われた格好だ。
・・・性懲りもなく・・・。
そしていよいよ、「実力行使」が始まる。
在日外国人、特に在日韓国人を標的にした嫌がらせである。
表札や玄関のドア、或いは壁に赤インクで住人の氏名の当て字や「日本名にしろ」と書きなぐる、氏名を聞いて日本名でないと途端に態度を変える、
物を売らない・・・。
どれも陰湿なやり口である。しかし、それを表立って咎める者は居ない。
彼ら在日外国人を弁護すれば「お前は日本人か」「非国民」の罵声が飛ぶ。或いは同じような陰湿な嫌がらせの標的にされる。
追い込まれた在日外国人のうち、資金的な余裕のある者は足早に日本を去っていく。
しかし、資金に余裕が無いなどの理由で日本を出ようにも出られない者は、役所へ氏名帰化申請を急ぎ、帰化名が「交付」されるまでただ待つほか無い。
「実力行使」はさらに広がりを見せ、外国語表記の企業や商店、とりわけ小規模のものが標的になる。
この類の嫌がらせをする人間達は、自分達より強い大きな存在に対しては比較的穏便だ。
だがその分、小規模の企業や商店に対しては譬え経営者が日本人であっても容赦しない。
警察に駆け込んでも無駄だった。適当に処理されて追い返されて、後は何の音沙汰も無い。
急遽日本名に変えるか−当然、その経費は自前である−或いはシャッターを下ろすか、選択肢はそのくらいしかない。
結局、日本語保護は何が目的なのだろうか・・・?