外来語帰化推進協会

written by Moonstone

〜この作品はフィクションです〜
〜登場人物、団体などは実在のものとは無関係です〜

第5章

 日本語保護法案の施行の日が迫るにつれ、外来語の「帰化」作業を担う外来語帰化推進協会は益々混乱と喧騒の様相を呈してきた。
「帰化」させる対象となる単語は考えれば考えるほど増えていく上に、そこに関係省庁の縄張り争いが加わるのだから当然なのであるが。
法案施行の日まであと一月となった時点で、「帰化」対象となる外来語は当初予定の軽く10倍以上に達し、職員が連日泊り込んで考え、処理しても関連した
単語が新たに出現したり、「帰化」した単語の意味が分からないと苦情が山のように来て再び「帰化」を行うなど、一向に収束の気配が見えないでいた。
 そして外来語「帰化」の停滞の影響は、外来語排斥、日本語を守れと政府与党や「改革派」の旗を振ってきたマスコミや評論家にも波及し始めた。
彼らは肝心なことを忘れていたのだ。
彼らマスコミや評論家は「言葉」を使って時には情報を伝え、時には己の意見を提示するということを。
ある新聞社に視点を移してみよう。

「『IT』は『情報技術』でそのまま帰化されたから良いけど、『グローバル』はどうなるんだ?」
「それって経済関係だから協会の経済担当課に問い合わせれば良いんじゃないか?」
「俺もそう思って問い合わようとしたんだけど、全然繋がらないんだよ。回線がパンクしてる。」
「そういや前に取材したら、『帰化しようとすればするほど対象が増えてくる』って言ってて、実際蜂の巣をつついたような大騒ぎだったよな。」
「困ったなぁ・・・。他にもまだ帰化してない単語がいっぱいあるぜ。『サラリーマン』『リストラ』『Eコマース』・・・。」
「・・・デスク、どうしますか?」
「法案施行までは外来語を使用しても罰せられないから、何か適当な単語を当てはめて、原語をカッコ付きで表記するしかないな・・・。」

 何のことはない。彼ら自身が情報を発信する媒体そのものが外来語の塊なのだ。
今や外来語なしで記事は書けず、ニュースも放送できないほど外来語に溺れ、沈んでいるのがマスコミや評論家自身なのだ。
それにそもそも、『サラリーマン』という英単語はない。『リストラ』の意味は本来のものとは使用対象が異なる。こんな例は枚挙に暇がない。
さて、この新聞社はどのように対処するつもりなのだろうか?

「『サラリーマン』はやっぱり・・・『労働者』になるのか?」
「それじゃ何処かの政党の機関紙と同じになっちまう!そんな表記をしたら右翼の街宣車が押し寄せるぞ!『お前達はアカになったのか!』って会社の前で
怒鳴り散らされるようなことになったら仕事にならない!」
「じゃあ何て帰化させるんだよ?名案示してから言ってくれ!」
「うっ、・・・た、例えば・・・『勤労者』とか。」
「『勤労感謝の日』ってあるくらいだから、それは名案かも。」
「でも、それだと『過労死を煽るつもりか』っていう抗議が来そうだな・・・。」
「まだ街宣車に突っ込まれるよりはましだ。それを採用しよう。」
「あの、じゃあ『アルバイト』はどうなるんです?彼らも働いて収入を得る者って意味では『勤労者』ですよ。」
「それに、同じ『サラリーマン』でも勤労者ってひとくくりにできるのか?職業の種類や個人によって勤労の程度には差があるし・・・。」
「俺の方を見て言うな!」
「勤労って言うと、『真面目に働く』っていう意味合いがあるじゃない?」
「だから俺の方を見て言うなって!」

 ・・・『サラリーマン』一つでこれだけもめていて、記事など書けるのだろうか?
彼らの社会的役割は「記事を書いてそれが読まれることで世論形成に寄与し、民主主義社会の一翼を担う」ことにあると思うのだが。

「と、兎に角何か考えないと印刷が間に合わないぞ!」
「じゃあ、アルバイトと区別して『常勤勤労者』とするのはどうだ?」
「それ名案!それに決定!」
「そもそも記事ってどんな内容だ?」
「『サラリーマン世帯の消費は経済企画庁の発表と裏腹に低迷続き。これには特に中高年を対象にした企業のリストラの影響がある』ってな感じ。」
「じゃあ、『リストラ』をどうするか、だな。『リストラ』は協会で帰化されてるのか?」
「これが随分こじれてるらしくてまだなんだ。勿論、回線も応答なし。」
「え?!」
「リストラの本来の意味は事業の再構築って意味だけど、実際には人員削減という意味で使用されているからな・・・。」
「それだと何か問題あるんですか?」
「企業から苦情が殺到したんだそうだ。当初は『人員削減』と帰化したんだが、それだと従業員や組合への説明が難しくなるってさ。」
「勝手なことを・・・。」

 勝手なのは自分達であることにまるで気付いていない。
リストラ、リストラと書きたて、企業の人員削減を煽ったのは他ならぬ自分達マスコミや評論家なのだ。
言い換えれば、リストラ=人員削減という意味を当てはめた彼らこそ、『帰化』させる責任があるというものだ。
 しかし、この手の記事を書くのに際して、人員削減という意味でのリストラという単語はもはや彼らには欠かせない。
それは彼ら自身、単語の、否、言葉の意味をきちんと理解して使っていないという証拠である。

「おい!印刷時間が迫ってるぞ!早く記事を仕上げろ!」
「そんなこと言っても、リストラをどうにかしないと、そのまま使ってると日本語保護団体から山のように抗議が来ますよ。『法律の施行が間もないというのに
世論を形成する新聞が外来語をまだ使ってるのか』って・・・。」
「でも、企業のリストラって人員削減だろ?結局は。」
「だから、それは使ってくれるなって企業の方が言ってるんだって!人員削減なんて書いたら広告料金が入らなくなるぞ!」

 彼らが大切なのは、広告料金を支払う企業である。それは紙面に占める広告の割合を考えれば分かる。
彼らマスコミ、特に新聞社は企業の広告料金の収入が無ければやっていけないのである。
だから、企業を刺激するような記事を書けないし、人員削減という、倍によっては家計の逼迫→購読停止という自分達の首を締めかねない企業の行為を
あからさまに批判「リストラ」という言葉のオブラートに包むのである。
「サラリーマン」はそんな彼らの事情から労働者の味方、と企業に睨まれたくないが故に編み出された和製英語の典型であると言えよう。

「じゃあ、どうするんだよ!」
「俺に聞かれても困る!」
「早くしろ!印刷の時間に間に合わないぞ!」
「うーん・・・。『企業人事』とするか?」
「遠回しに首切りって言ってるようなもんだな、それって・・・。」
「『企業再編』とは違うし、『人員整理』じゃ首切りと変わらないし・・・。どうすりゃ良いんだ・・・?」
「やっぱ昔ながらの『合理化』しかないんじゃないか?」
「それくらいしかないよなぁ・・・。他に思いつきやしない・・・。」

 顔を顰め、首を捻りながらその記者は「リストラ」を「合理化」と「帰化」させて原稿を仕上げる。
意味としてはそれが最も近いのだが、首切り、という負のイメージをオブラートで包むには至らない。
「言葉遊び」は得意でも、本当の意味で言葉を選び、考えることは苦手な彼らは、自分達の身に影響が及ぶまで分からないのだ。
 しかし、「改革派」の旗を振って日本語保護法案成立の一助を担った彼らに拒否という選択肢は無い。
異を唱えるにしても、「性急な日本語『帰化』に混乱も」とさぞ他人事のように書くくらいしか出来ない。
もはや、日本語保護という大義名分の元でなら、どんな「抗議」や「働きかけ」も許される社会になってしまったのだから。
 次に、視点を外来語帰化推進協会の職員の一人であり、「日本語保護、外来語排斥」の世論を作った立役者である評論家、原練五郎に視点を移そう。

「Eコマース・・・。『電子商取引』とするのは今までにもあったし、インパクトに欠けるし・・・。うーむ・・・。」

 彼は自宅の書斎で、次回出版予定の著作で外来語の「帰化」という壁にぶち当たっていた。
彼自身、著作で今まで頻りに「グローバル時代」「インターネットによるEコマース」などと力説してきた。
法案成立後、これからの日本経済の方向性についての著作を依頼され、「職務」の合間に−彼は名誉職のようなもので協会には殆ど出入りしていない−
原稿を執筆していて、自ら作った言葉の壁を乗り越えられずに苦悩しているのだ。
 出版は法案施行後になるから、当然外来語の使用はご法度である。
しかし、「グローバル」も「インターネット」も「Eコマース」も何れも「帰化」が済んでいない。
「グローバル」は当初「国際」と「帰化」されたのだが、それだと「インターナショナル」と同一になって混乱する、というクレームが彼方此方から殺到したため
「帰化」し直すことになって以来、担当の経済担当課からは何の連絡も無い。
というより、彼自身が経済担当課や政治担当課などと密接に関わらなければならない立場なのだが。

「『電子メール』も外来語が含まれるから帰化しなければ使えないと言ってきて以来、情報通信課からは音沙汰が無いし・・・。『電子情報網通販受付』では
ありきたりだし・・・。困った・・・。使える言葉が無い・・・。」

 今更何を言っているのだ。日本語保護の為にそうしたのは自分自身ではないか。
早急に日本語の衰退を阻止し、外来語の侵略から保護しなければならない。それを傍観するなんてお前はそれでも日本人か、と彼が司会を務める番組で
ただ一人異論を唱えた松宮貞治を厳しく非難したのは自分自身ではないか。
外来の文化が広まる現状をどうにかすべきだ、と食い下がる松宮を理想論と切り捨て、守旧派のレッテルを貼ったのは他ならぬ原自身ではないか。
 だが、彼はすっかりそのことを忘れている。
彼の頭にあるのは、彼が今度の著作に使う外来語の単語をどうするか、その一点だけである。
何とも都合の良い話だが、それで十分通用するのが著名な評論家であることの利点である。
 言葉を「道具」として使うなら、その「道具」をいきなり変えようとすれば何処かに無理が生じるのは当然のことである。
言葉を意識的に「道具」として選んで使うマスコミや評論家ですらこの有様だ。
言葉を空気のように当たり前の「存在」として使う一般市民の中に、混乱が起きない筈がない。

あるパソコン・・・電子計算機教室にて
「えー、では今日は文章作成処理柔軟機構の起動から始めます。」
「まず、画面下まで指標矢印移動装置を動かして指標矢印を持っていきます。そこにある「開始」抑圧感知部分を押します。できましたか?」
「そうすると窓が開きます。その窓の右端にある巻物棒まで指標矢印を移動して、そこで指標矢印移動装置の左抑圧感知部分を押して、そのまま
指標図画移動装置を下に動かします。こうすると窓の中に・・・。」
「・・・?」
「先生、どうしたんですか?」
「・・・このソフト、いえ、柔軟機構の表記が皆さんのお手元にある電子計算機ではまだ帰化されてないので、果たしてどう言えば良いのかと・・・。」
「先生、それ以前に『柔軟機構』って何のことですか?」

ある若者達の会話
「なあ、昨日発売の倉森麻紀の音楽小板、聞いた?」
「聞いた聞いた。あの拍子&青音階の旋律にあの声、何時聞いても良いよなぁ。」
「あたしは倉森麻紀より宇川望の方が良いと思うけどなぁ。」
「一回倉森麻紀を聞いてみろって。今度音声圧縮小板に複製してやっからよ。」

ある塾帰りの高校生の会話
「ねえねえ、今日の模試どうだった?」
「最悪。特に化学が・・・問題そのものが何が何だか分からなくてさ。」
「そうそう。元素表なんて漢字無理矢理当てはめてあるし、おまけに難しい漢字ばかりで書けねえし読めねえし・・・。」
「元素表の中で交差素ってあったでしょ?あれってもしかして・・・キセノンのこと?」
「ああ、多分そう。それよりさ、反応式・・・あれって何?」

 一人が持ち帰った問題用紙を開く。

「例えばこれ。酸化数の値を書けっていうのは良いけどさ、例えば1番の

『「塩素二」加算「食塩素二硫黄酸素三」加算「水素二酸素」 右方向反応 二「水素塩素」加算「食塩素二硫黄酸素四」』

って、一体何のことだ?化学って暗号読ませる問題だったのか?」
「元々そんなところも無いとは言えないけどさ・・・いきなり元素記号が全部漢字に置き換わったもんだから見辛い見辛い。」

 性急な日本語「帰化」はあちこちに歪みを生んでいる。
学生は最悪の場合、今までの知識を全て憶え直さなくてはならないし、日常生活でも混乱は多い。
特に最初に例示したように、コンピュータ関係のものはもはや訳が分からない上に、インストールやクリック、ドラッグなど外来語帰化推進協会が未だ
「帰化」出来ていない単語も数多い。

上に示した3つの例に登場する不可解な文字列、貴方には意味が分かっただろうか?

 もはや外来語の「帰化」の破綻は明らかだった。
世論からも疑問の声が徐々に上がり始める中、結局、与野党の共同という形で「日本語保護法案廃棄法案」が国会に提案され、衆参両院で全会一致で
成立、直ちに施行された。
同時に、外来語帰化推進協会の廃止法案も全会一致で可決、成立し、直ちに施行されたことにより、一時は日本語保護の拠点とも称された外来語帰化
推進協会は廃止され、霞ヶ関の一角にあったオフィスはまるで「守旧派」の嘲笑から逃げるように消え去った。
 これによって教育の現場はもとより、産業や学術、芸術や一般生活に平穏が戻って来た。
あれほど日本語保護を声高に叫んだ国会議員や評論家、マスコミはこの件に関して世論からの疑問や「守旧派」の批判にも兎に角だんまりを決め込んだ。
少なくとも表面上、大方の日本人に限っては一時のお祭り騒ぎとして早くも過去の記憶になろうとしていた。

 だが、日本語保護法案が残したしこり、特に対外的なそれはあまりにも大きい。
氏名を日本語に「帰化」するようにとされた在日外国人が被った金銭的、精神的被害は甚大なものだ。
とりわけ、大義名分こそ違えど過去に同じ経験をした老年代の韓国、朝鮮人や、その記憶を教育という形で伝えられ、そこで得た「知識」と同じ経験をする
羽目になった在日韓国、朝鮮人の二世、三世の怒りは凄まじい。
 本国での抗議デモは巨大なうねりとなって日本大使館を包囲し、シュプレヒコールの連発に止まらず、卵や石の投げつけに発展し、
警察や軍隊も半ば黙認する中、職員は文字どおり隠れ、逃げるように建物に出入りせざるを得ない状況に陥った。
政府も慌てて「遺憾」の意を表明したがそれで納得する筈がなく、首相名での謝罪を余儀なくされた。
しかし、日本の謝罪が所詮形だけだということを知っている関係政府や市民の怒りが収まる筈はない。
とうとう日本語の「帰化」強要で精神的、金銭的被害を被ったとして在日外国人が各地で一斉に訴訟を起こした。

 また、商標や社名まで「帰化」を要求された外資系企業も一斉に抗議し、さらに日本政府に対する多額の損害賠償を求める訴訟を起こした。
特に訴訟大国であるアメリカ系の企業の損害賠償額は、合計すれば日本の国家予算に匹敵する規模であり、政府は大慌てで外務省や通産省を通じて
対応に追われる羽目になった。
 その外務省には連日のように在日外国人や日本を追われるように出国した外国人からの抗議の電話が鳴り、回線はパンクするわその対応で本業に
手が回らないわで、職員は連日深夜まで残業しても追いつかない状況に陥り、過労で倒れる者が続出し、さらに仕事が滞るという悪循環まで生んでいた。
本来「帰化」に伴うこのような苦情に対応する筈の外来語帰化推進協会は、既にその影も形もない。
外務省職員は何処に恨みつらみをぶつけていいか分からないまま、置いては鳴る電話を取り、山積みになった書類を少しずつ片付けるしかない。

結局は内閣の総辞職、衆議院の解散にまで発展するのだが、それに関しては省略する。

 深夜枠に戻った『原 練五郎の激論・日本』で、今夜もあの原練五郎が、異論を唱えた相手に向かって咆える。

「貴方は改革の流れを阻止しようとする守旧派だ!」

また言うか!

「外来語帰化推進協会」 完

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