しかし、ルイの結界に阻まれてアレン達を脅かすことはない。殆どの敵を撃退できる猛毒のブレスが全く効かなかったのを見たカッパードラゴンは、次の攻勢に出る。その巨体からは予想できない俊敏さでアレン達との間合いを詰め、何本分の柱を束ねたかのような太い前足の1本を上げ、アレン達目掛けて一気に落とす。
「プロテクション!」
ルイが発動した魔法は、結界の外側を黄金色の防御壁で覆う。3人纏めて踏み潰される、とジグーリ王国の面々が凄惨な結末を察して目を閉じる。しかし、カッパードラゴンの焦りや怒りを感じさせる咆哮が続くことで、ジグーリ王国の面々が恐る恐る目を開けると、カッパードラゴンの前足の圧力を受けながらびくともしない黄金色の防御壁と、その中に守られるアレン達が見える。普通にしていても岩に若干めり込むほどの重量にも関わらず、それによる圧殺を完全に封じる防御壁を目の当たりにしたジグーリ王国の面々から、驚きの声が上がる。
「フォース・フィールド!」
「ノーム!」
アレンは結界と防御壁を飛び出し、防御壁に片足を乗せた格好のカッパードラゴンのもう片方の前足目掛けて大きく剣を振るう。ジグーリ王国の面々がまったく歯が立たなかった強靭な鱗が切り裂かれ、鮮血が迸り、カッパードラゴンが苦悶の咆哮を上げる。
想像以上に俊敏なカッパードラゴンの動きを鈍らせる1つの策が、足にダメージを与えること。巨体を支える4本脚のうち1本でもダメージを受ければ、カッパードラゴンの俊敏さを低下させることが出来る。加えてリーナの情報から、カッパードラゴンは高くはないものの一定水準の知能を有する、つまり痛覚による行動の鈍化や相手に対する恐怖や怒りを抱くと推定できる。
アレンの攻撃はもう一歩進んだものだった。闇雲に斬撃を繰り出すのではなく、膝裏にあたる箇所とアキレス腱にあたる箇所に斬撃を加えた。この攻撃が有効なら、カッパードラゴンの行動力を大幅に低下できる。
「カッパードラゴンが明らかに痛がっておる!」
国王の観察結果に、他の面々から驚きの声、続いて歓声が上がる。今まで猛毒のブレスにやられて近づくこともままならなかった強大な相手が、遠い異国から来た少年の攻撃で目に見えて分かるダメージを受け、前足の一本から今も鮮血を迸らせている。ジグーリ王国とラクシャスをじわじわと崩壊に追い込んでいたカッパードラゴンが劣勢に転じている。これだけでもジグーリ王国の面々が歓喜の声を上げるには十分だ。
格下どころか足一本で圧殺できると思っていた相手に攻撃が通じず、しかも反撃された片足に大きなダメージを受けたことで、カッパードラゴンの怒りが一気に沸騰する。カッパードラゴンはようやくルイが発動したプロテクションの防御壁からもう片方の前足を下ろし、憎き小型の敵であるアレンに焦点を絞り、猛毒のブレスを猛烈な勢いで吐き出す。しかし、アレンは既に次の手を打つべく、カッパードラゴンの腹の下を潜る形で、防御壁に乗せていた側の足の横に回り込んでいた。
カッパードラゴンはその動きに追従できず、腹の下を覗いた頭を再び出した時には、アレンがもう片方の前足の膝裏とアキレス腱にあたる箇所に斬撃を加える。カッパードラゴンが再び激しい咆哮を上げ、明らかに全体の動きが鈍化する。前足2本に大きなダメージを受けたことで、移動するどころかその巨体を支えることも難しくなってきたのだ。
アレンは緊張の度合いを高める。モーグの懸命の精密作業の結果、剣の能力が高まり、カッパードラゴンの強靭な鱗を切り裂けることを確認できた。連続攻撃で俊敏性を大幅に低下させた。しかし、これでカッパードラゴンが大人しく倒される筈がない。何としても小賢しい小型の敵を始末しようとしてくる。その手はリーナから聞いてはいる。
「アレン!気を付けなさい!」
リーナの叱咤が飛ぶ。バランスを崩したカッパードラゴンの胴体による圧殺を避けるため、外側から回り込んで正面に出てきたアレンに向けて、口から黄褐色の液体を放出する。アレンが素早く避けた岩肌が、強烈な臭気を伴いながらブクブクと泡立ち、大きく穿たれる。これがカッパードラゴンのもう1つの飛び道具というべき、強酸のブレスだ。
カッパードラゴンがその縄張りで発掘した金属を食べる際に、金属を腐食させて柔らかくして消化を助けるために、胃液を吐き出す。これが強酸のブレスで、有効範囲は猛毒のブレスより狭いものの、威力は非常に強力で、通常の装備だと装備ごと肉体を溶かされてしまう。胃液を吐き出すことで得られる攻撃であるため、体力を消耗することから、カッパードラゴンは通常ではこの攻撃を使うことは少ない。その手段を敢えて取ったのは、ちょこまか動き回る小賢しい小型の敵-アレンを確実に始末するために他ならない。
カッパードラゴンは再び猛毒のブレスを吐き出す。このブレスは液体ではなく気体で拡散範囲が強酸のブレスよりはるかに広い。素早い動きで翻弄しつつ、カッパードラゴンの弱点である逆鱗への攻撃機会を窺うため一定の距離を取るアレンを、猛毒のブレスは有効範囲内に捉える。
「くっ!」
普通なら即効性の猛毒が全身を蝕み、その場で行動不能にされ、最悪絶命さえする攻撃だ。しかし、今は違う。アレンを包む青紫色の光が猛毒のブレスの浸食を防ぐ。これを見越してルイがフォース・フィールドをアレンに発動させたのだ。フォース・フィールドは物理・魔法両方の攻撃に対して全方向防御できる。以前、ザギのイクスプロージョンを使った攻撃から標的にされたアレンとクリスを完全に防御した実績がある。しかも、その時は大司教だったルイの称号は2階級上がって主教補。加えて愛するアレンを何としても守るという強い意志が働いている。フォース・フィールドの弱点と言える有限数の防御回数は跳ね上がり、猛毒のブレス1回でアレンを仕留めることは不可能だ。
猛毒のブレスが尚も効かないことに痺れを切らしたカッパードラゴンは、長い首を瞬時にアレンに向けて伸ばして大きく傾け、鋭利な牙が並ぶ巨大な口を開けてアレンを噛み殺そうとする。しかし、地面が一瞬で盛り上がり、無数の牙による両側からの挟撃を防御する。物理攻撃防御に特化された、リーナが召喚したノームが繰り出すアース・ウォールだ。
フォース・フィールドでも問題なく防げるが、直接頭をぶつけて来たり、足で薙ぎ払ったりするような攻撃だと、それそのものは防げてもアレンが衝撃で飛ばされ、岸壁に叩きつけられてダメージを受ける恐れがある。アース・ウォールなら対物理攻撃専門で回数は有限だが、物理攻撃に伴う衝撃も完全に遮断する。それぞれの特徴を生かした防御で、アレンは強力に守られている。この強力な防御を、回数が切れるまで漫然と使うつもりは、勿論アレンにはない。
土の壁を破ろうにも破れず、埒が明かないと判断したカッパードラゴンが土の壁から口を離した瞬間、アレンが下顎目掛けて剣を突き立てる。カッパードラゴンがこれまで聞いたことがない激しい咆哮を上げると同時に、胃液に匹敵する強酸の唾液混じりの鮮血を激しくぶちまけながら勢いよく首を上げる。
アレンは下顎に突き立てた剣を抜かず、そのままカッパードラゴンの口腔に留まる。それを見たジグーリ王国の面々が悲鳴を上げるのは当然の、一見自殺行為にしか見えない行動だが、アレンはリーナとルイが発動させたフォース・フィールドとアース・ウォールの威力を信じ、カッパードラゴンの口腔に侵入したことを絶好の機会としている。
激しい痛みに苛まれつつ、激しく頭部を振ることで口腔に侵入した異物の排除を試みるカッパードラゴンに対し、アレンは「床」の口腔内が平行になった一瞬を逃さず、下顎に突き立てた剣を力任せに奥に向けて突き出しながら突き進む。その経路にあるものは…。
「逆鱗をアレンの剣が切り裂いた!」
カッパードラゴンを含む竜族の弱点である逆鱗だ。下顎から喉を含めて逆鱗をも切り裂かれたカッパードラゴンは断末魔の咆哮を上げ、胃液と唾液と血液を噴水のように猛烈な勢いでぶちまけながら倒れ伏す。アレンが剣を抜いてカッパードラゴンの口腔から脱出した瞬間、フォース・フィールドとアース・ウォールの防御回数が限界に達する。カッパードラゴンが撒き散らす強酸の体液に晒されるアレンを眩い銀色の光が包み、その直後、再び青紫色の光が包み込む。一瞬激しい痛みに襲われたアレンは、痛みが消えたのを受け、急いでカッパードラゴンの体液が飛散する範囲から離れる。
5ミムほど後、倒れ伏したカッパードラゴンの赤い瞳から光が消え、すべての動きが停止する。その巨体が含んでいた大量の体液はまだ流出を続けるものの、水の供給が停止された噴水のように勢いは急速に弱まっていく。間髪入れない動きの反動で汗が滴り落ちるアレンは、カッパードラゴンの絶命を確信する。
「や…やった!」
アレンの勝利宣言を受け、国王が近衛兵を連れてカッパードラゴンに近づく。人間より魔物にはるかに詳しいドワーフの1人である国王は、光が消えて開かれたままの瞳孔や呼吸音の完全停止などから、カッパードラゴンが絶命したのは明らかだと判断して、剣を抜いて高く掲げて宣言する。「今ここに、我が国の宿敵カッパードラゴンが打倒されたことを宣言する!」
固唾を飲んで成り行きを見守っていたジグーリ王国の面々が、大きな歓声を上げる。ここでようやくルイは結界と防御壁、そしてアレンを包むフォース・フィールドを解除する。カッパードラゴンが一矢報いんとぶちまけた胃液や唾液に晒されたアレンをリカバーで一瞬で完全に治癒し、更に安全に離脱できるようにフォース・フィールドを再度、すべて詠唱の時間ロスをなくすため非詠唱で発動したルイは、リカバーの非詠唱発動で流石に魔力消耗が大きく、ややふらつく。アレンは素早くルイに駆け寄り、その身体を支える。
「ルイさん、大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。少し魔力の消耗が大きかっただけです。少しすれば元どおりになります。」
「良かった…。ルイとリーナのおかげだよ。ありがとう。」
「お役に立てて何よりです。」
「…よくやったわね、アレン。」
立役者のアレン、リーナ、ルイの3人にジグーリ王国の面々が駆け寄り、長い抑圧と緩やかな破滅への道から脱したことを喜び合う…。
ジグーリ王国におけるカッパードラゴン打倒の朗報は、直ちにラクシャスにも伝えられた。まさかカッパードラゴンが生命線の坑道に出現していたとは思わなかったラクシャスの統領達は驚いたものの、かつてジグーリ王国を救った夫婦の息子とその妻が、同行者と共にラクシャスとジグーリ王国の緩やかな破滅を阻止し、坑道の再開が可能になったことを喜び、ラクシャス全土に通知した。
ラクシャスの統領達は自らジグーリ王国に赴き、ラクシャスとジグーリ王国を救った3名の英雄に面会し、最大限の称賛と感謝を伝えると共に、滞在期間中の費用は借用中の家屋を含めてすべて無料とすることと、ジグーリ王国と共同での祝賀会開催を伝えた。アレン達は礼を述べ、祝賀会への参加は復路に要する時間を現地の仲間と相談して検討すると返した。旅はこれで終わりではない。アレンの剣がドラゴンの鱗を切り裂くほどの復活を遂げたなら、タリア=クスカ王国に帰還して、日程調整中の国王とランディブルド王国教会全権大使であるルイの会談に間に合うように帰還する必要がある。
タリア=クスカ王国の動向を最も早期に把握できるイアソンから、まだ情報は入っていない。ルイと国王の会談の日程が決まったなら即座に伝えるよう、昨夜の通信でリーナがイアソンに依頼している。イアソンが連絡漏れをすることはまずあり得ない。夜の定期連絡で十分か、まだ決まっていないかのどれかだと推測できる。合同祝賀会は明日開催に向けて急ぎ準備が始まったというから、顔だけ出して帰還するのもありだ。ラクシャスとジグーリ王国が存続していて、アレンが旅の目的を完遂できれば、いずれまた訪れる機会を設けることが出来るだろう。
「その時に同行するのはあたしじゃなくて、2人の子どもだろうけどねー。」
「な、何のこと?!」
ルイが淹れたティンルーを悠然と飲むリーナは、すました表情で狼狽するアレンを一瞥する。リーナが1人ティンルーを飲んでいる理由や背景は、今更言うまでもないだろう。
「どのみちこの町にいられる時間はそれほど多くないんだから、さっさとすること済ませておきなさい。」
「な、何をだよ。」
「旦那の方はホント、手がかかるわねー。」
「プロポーズと挙式よ。」
「?!」
「何を言い出すって顔ね。あたしに言わせれば、プロポーズも挙式もなしに女の身体を堪能しようなんて、到底許せることじゃない。」
「アレン。念のため聞くけど、ルイの身体を堪能できれば指輪の件も含めて後のことはどうでも良い、って思ってないわよね?」
「それはない。絶対に。」
「これから先、何があるか分からない。あんたは勿論、あたし達の旅が何時終わるか分からない。次にこういう機会が出来るのは何時か分からない。だったら、邪魔が入らない歓迎一色の今、ルイの気持ちに応えてあげて、ルイへのプロポーズと挙式まで済ませなさい。」
「プロポーズはまだしも、結婚式の場所や準備は…。」
「ホント、鈍いわね。明日合同祝賀会をするってジグーリ王国もラクシャスも意気込んでるんだから、それに便乗できるでしょうに。」
アレン達が打倒したカッパードラゴンは、滅多にない貴重な資源の宝庫でもあり、資源省が総力を挙げて解体している。ドラゴンを倒せば一生遊んで暮らせるだけの財産が築けるというのは決して過言ではない。鱗は鎧や盾、牙は武器、肉は食料、眼球や舌や骨は薬品の材料、と無駄になる箇所がない。無論、そう簡単にドラゴンを倒せるわけではないから、その希少価値は更に跳ね上がる。内臓だけになったところで-心臓と胃と肝臓は薬品の材料になるため除かれる-アレンが呼ばれて召喚魔術として使用できるよう手筈が整えられている。今日中には解体が完了する見通しとのことで、宝石と肩を並べる貴重な資源の入手にジグーリ王国が沸いていることは容易に分かる。
資源省の面々のように手を外せない者を除いて、他はラクシャスに走り、合同祝賀会の準備に勤しんでいる。そこにラクシャスとジグーリ王国を救った英雄であるアレンとルイが挙式したいと申し入れれば、更に合同祝賀会が盛会になることはあっても拒絶される筈はない。衣装もドワーフの手にかかれば最高のものが速攻で用意されるだろう。
「…何処が良いかな…。」
「港が良いんじゃない?寂れてるけど人気はないし。ルイが場所や金やプレゼントにこだわるタイプじゃないってことは、あんたなら分かってるでしょうに。」
「それは…まあ。」
「ラクシャスとジグーリ王国には、あたしから伝えておくから、ルイの手が空いたら行ってきなさい。」
「…分かった。プロポーズが済んだら戻ってくるから、ラクシャスとジグーリ王国に伝えるのはその後にして。」
「そうさせてもらうわ。」
袖を捲ったルイは洗濯を終え、干すのもほぼ終わったところだ。トレードマークの長い銀色の髪を後ろで束ね、物干し竿に洗濯ものを吊るして干す様子は、絵に描いたような「家事に励む新妻」だ。
思わず見惚れたアレンは、改めて目的を思い出し、意を決してルイに声をかける。
「ルイさん。…洗濯は終わったみたいだね。」
「アレンさん。はい。もうすぐ終わりますよ。」
「屋内の掃除は終わったから…、洗濯が終わったら、俺と一緒に…来てほしい。」
「は、はい。勿論です。」
実はルイは、一軒家に戻る際にリーナから「アレンがあんたに大事な話をしたいって言ってた」とこっそり伝えられている。たった一言だが、既にアレンと交際中で今は指輪を交換した間柄と認識しているルイは、アレンからの大事な話がプロポーズだと察するには十分。性的な自我に目覚めて久しいルイは、今までクリスに吹き込まれた性的な知識や交際、結婚に纏わるシチュエーションなどを惜しみなく動員している。その中にはプロポーズや挙式、ウェディングドレスも勿論含まれる。自分には縁がないものと思っていたそれらの知識が、アレンとの仲を深めることで徐々にだが確実に経験に置き換わっていく過程を、ルイはこの上ない幸福と受け止めている。
アレンに自分の全てを晒したが、最後の大きな一線を越えるのは、出来ればプロポーズや挙式の後が良いと心の何処かで思っていた。アレンがその願いを叶えてくれるなら、場所は何処でも良いしプレゼントも花束も不要。
ただ一言、あの一言が欲しい。
高まる期待を何とか抑えながら、ルイは最後の洗濯物を吊るす…。アレンとルイが訪れたのは、ジグーリ王国の出入り口に近い港。かつては宝石商などの船が頻繁に出入りして活気に満ちた場所だったが、宝石商の足が遠のき、宝石の算出が停止したことで、港はすっかり寂れている。
しかし、アレン達の活躍でジグーリ王国の宝石算出は間もなく再開される運びになったし、宝石に限らず唯一無二の商品を算出するジグーリ王国が再び盛り返せば、門前町のラクシャスが港を整備して迎え入れる体制を再構築するだろう。港は再び多くの船舶と貿易商が行き来する場所になるまでの残り少ない休息期間にあると言える。
手を繋いで港が一望できる場所に来たアレンとルイは、此処に至るまで無言。アレンはアレンで必死で言葉を探して間違っても言い損なわないように反芻するのを繰り返し、ルイはルイでアレンが何と言うのか、どのように切り出すのかあれこれ思索を巡らすから、言葉が出る余地がない。リーナやクリスが見たらじれったさのあまり「さっさと向き合ってプロポーズしろ」と2人を強引に向かい合わせてアレンの尻を叩くであろう状況だが、アレンとルイは似た者同士。どちらが急かすでもなく、砂浜と桟橋に打ち寄せる波を見つめ、緩やかな潮風を受けながら時を窺う。
「…ルイさん。」
「は、はいっ。」
アレンは頭が沸騰するような気分を覚えながら、一度目を閉じて覚悟を決め、身体をルイの方に向ける。ルイもそれに応えるように身体をアレンの方に向ける。ついに、あるいはようやく向かい合った2人の緊張や期待は最高潮に達する。
「俺と…。」
「…。」
「俺と…結婚してくださいっ!」
「嬉しい…。アレンさんから…プロポーズしてもらった…。私が欲しかった言葉で…。」
「じゃあ…返事は…。」
「よろしくお願いしますっ!」
出自や容貌に深刻なコンプレックスを抱いていた2人は、それを克服し、必要ないとさえ思っていた性的な自我に目覚めるきっかけを与えてくれた互いの存在を絶対に離すまいと強く、強く抱き締め合う…。
その後、帰宅したアレンからプロポーズを済ませ、ルイが快諾したことを報告されたリーナは、一目散にラクシャスに走った。
アレンとルイの結婚式も併せて執り行ってほしいというリーナの申し入れに、居合わせた面々は大きな歓声で応えた。
合同祝賀会にアレンとルイの結婚式も加わることが決まり、面々の士気が更に高まった…。
リーナの申し入れを受けて、ジグーリ王国の服飾関係の精鋭が一軒家を訪れ、アレンとルイのサイズを測定して衣装づくりに着手した。衣装づくりの面々にはハンジュも含まれる。2人を間近に見てきたハンジュは、志願して衣装づくりの面々に加わった。
アレン達は結婚式会場にもなる合同祝賀会会場に案内され、食べ物の好物や食べられないものを聴取され、更にアレンとルイは挙式の際の控室と移動経路を案内され、式の大まかな段取りの説明を受けた。様々な種族や出自の者が集うラクシャスでは特定宗教の強制はなく、冠婚葬祭は様々な宗教の最大公約数的なものとなっている。だから、アレンとルイも知らないルールで面食らうことはなく、ただ明日を待てば良い身である。
やや遅くなった夕食はアレンとルイが共同で作り、前祝の様相を呈した豪華なものになった。リーナは珍しく後片付けを担うと共に、「さっさと風呂に入って部屋へ行け」とアレンとルイに告げた。アレンとルイはリーナの厚意に甘えて入浴を済ませ、慣れないながらも少しずつ洗い物をしていくリーナに1日の締めくくりの挨拶をして、寄り添って2人の寝室に向かった。
「…まさか、あたしが他人の結婚式をお膳立てして見届けることになるとはね。」
リーナが呟く。言葉だけ聞くと愚痴のようであるが、その表情は普段より柔らかく、同時に切なさを帯びている。普段のリーナなら、他人のプロポーズや挙式など無関心だし、アレンやルイに相談されても、プロポーズしたければ自分で考えて実行しろ、挙式したければ自分で頼みに行け、と突き放すところだ。しかし、アレンを叱咤激励し、ルイに心の準備をするよう促し、プロポーズ完了の報告を受けて真っ先にラクシャスに走り、挙式を申し入れさえした。普段からは考えられないアシストぶりだが、今はアレンとルイを介して自分の理想を思い描きたいという気持ちが強い。
元々、リーナがアレンとルイの仲を様々な形でアシストしてきたのは、自分に許し難い屈辱を与えたフィリアへの報復の一環だ。しかし、旅の過程でアレンとルイが協力や思いやりを忘れるどころかより強固にして、ルイが先導する形ではあるが愛情と信頼に基づく夫婦関係を構築していく様子を見て、フィリアへの報復とは異なる目的が芽生えた。それは端的に言えば「2人の幸せの到達点を見届けたい」というもの。
リーナが言ったように、この先何が起こるか、旅が何時終わるかは誰にも分からない。タリア=クスカ王国に戻ればフィリアの様々な横槍が入るだろうし、仲を深めるどころではないと考えるべきだ。ならば、歓迎一色の今、自分達の功績を利用する形でも挙式まで決行した方が良い。そしてプロポーズの後に挙式されるという、理想的な手順を踏んで夫婦としての1つの到達点に至るアレンとルイを見届けることで、自分の理想や将来像を考えるきっかけにしたい。そして、待たせ続けているイアソンからのアプローチにどう答えるか考える材料にしたい。リーナはそう思っている。
洗い物を何とか終えたリーナは、遅い入浴を済ませて一旦リビングに入る。リビングから廊下を東に進んだ突き当りの部屋が、アレンとルイだけが入れる絶対不可侵の領域。アレンとルイの性格からして、恐らく最後の大きな一線を超えるのは、結婚式を終えた明日の夜だろう。しかし、だからと言って明日に備えて即就寝となる筈がない。2人きりの世界で2人きりの時間を満喫しているであろうアレンとルイの寝室を一瞥したリーナは、小さい溜息を吐いてランプを消し、その部屋とは反対側に位置する西の最も奥の部屋に向かう…。