Saint Guardians

Scene13 Act3-2 騒乱-Mayhem- 望まれぬ鉱山の主との邂逅と対峙(前編)

written by Moonstone

 翌日の昼過ぎ、慎重を極めるモーグの作業の手が止まり、深い溜息と共に急激に支える力を失い、床に向けてだらりとぶら下がる。

「やれやれ…、ようやく完了だ。」

 一等宝石細工師のモーグでも、1品ものの作業は緊張と慎重を強いられる。しかも対象は自身の技術の師匠であるジルムの息子アレンの持ち物であり、ジルムがジグーリ王国に流入してきた際に携えていた剣。本来ファイア・クリスタルが埋め込まれていた穴にピッタリ嵌合するように無垢のクリスタルを加工し、更に何度も微調整と確認を繰り返しながらの作業は、万一でも失敗は許されないという猛烈なプレッシャーの中で進められた。国全体で数名しかいない一等宝石細工師、そして今はジルムの息子が使う剣の威力を一定程度復活させる大役を担うというプライドと、それを支える卓越した技術が、プレッシャーを押し返して見込み時間どおりの作業完了へと導いた。

「終わったのね。」

 同室で読書をしながら待機していたリーナが、モーグの作業完了を知って席を立ち、声をかける。

「まずはお疲れ様。旦那の方を呼んでくる?」
「そうだな。渡すものは渡しておきたい。」
「了解。少し待ってて。」

 リーナは外に出てサラマンダーを召喚し、モーグの自宅にいるアレンに特別工房に来るよう伝えろと命令する。サラマンダーは吹き抜けを急上昇し、リーナの指示どおりにモーグの自宅に壁を通り抜けて入る。サラマンダーの肉体は物質ではなく火のエレメンタルで構成されているから、壁を通り抜けることなど何ら意識する必要はない。

「サラマンダー?」
「リーナさんが召喚したんでしょう。用件は?」
「モーグ殿が作業を完了したので剣を引き取りに来るように、と伝えるよう主から命令を受けた。指示どおりに行動されたい。」
「分かった。直ちに引き取りに行く。」

 モーグの自宅のリビングにいたアレンとルイは、壁を通り抜けて入ってきたサラマンダーに少し驚いたものの、サラマンダーから朗報を受け取ったことですぐに行動に移すべく席を立つ。

「アレンさん、ちょっと待ってください。」

 玄関に向かおうとしたアレンを、席を立って隣接する台所に向かったルイが呼び止める。その手にはやや大きめの革袋が握られている。

「少し荷物になりますが、これをモーグさんとリーナさんに渡してください。」
「分かった。このまま渡せば良い?」
「はい。」
「ありがとう。行ってくるよ。」
「行ってらっしゃい。」

 ルイから革袋を受け取ったアレンは、玄関を出て最下層の特別工房へ急ぐ。逸る気持ちを抑えながら、10階分の階段を駆け下りる。
 特別工房がある最下層は、複数の魔物が鎮座している。すべて万一の事態に備えてリーナが召喚したものだ。勿論、アレンを不審者として襲撃することはない。

「お待たせしました!」
「おお、随分早いな。早速だが、これだ。」

 モーグはテーブルに広げた布に乗せた剣をアレンに見せる。刀身がうっすら赤みを帯びている。これまでになかった状態は、剣が一定程度本来の能力を取り戻したことを感じさせる。
 アレンは剣を手に取る。以前より若干軽くなっているのを感じる。間近で見る赤みを帯びた刀身は、長い眠りから覚めてアレンに奮起を促しているように見える。

「切れ味は試してないが、武器職人としてこの剣はただものじゃないと感じる。しっかり使ってくれ。」
「ありがとうございます!代わりと言っては何ですが、これを受け取ってください。」
「ん?何だこれは。…ほう、焼きスーホンか。こりゃあ良い。」
「モーグさんとリーナに渡すよう、…妻に託されました。」
「作業と護衛の慰労ってことか。随分気が利く嫁さんだな。」
「あんたにしちゃ出来過ぎだと思ったら、嫁の指金(さしがね)か。なら納得。」
「言い方。」

 焼きスーホンは、作ったスーホンを表面に焼き色を付ける程度に竈で焼くことで出来る。香ばしさとメリハリのある食感で人気が高く、モーグも好む菓子だが、元が柔らかい菓子故に慎重な作業と微妙な火の調整が要求されることから生産が難しく、ジグーリ王国ではかなりの高級菓子という位置づけだ。それを作業完了と同時に無料で食せるのだから、モーグとリーナが機嫌を良くするのは自然だ。
 自分はしない、気が利かないとストレートに言われたアレンは若干気分を害するが、リーナはこれでも言葉遣いが相当柔らかくなった方だし、ルイの評価が上がったから良いかと思う。
 ルイは、昨日アレンから作業完了の見通しを聞いて、今朝から準備していた。レシピは知っていたが、火加減は竈のサイズや性能で大きく変わるから、ハンジュの許可を得て試験をして焼き加減をカスタマイズした。結果、最初の工程から高い品質のものが出来上がり、試食したハンジュは「菓子店を営業したら確実に繁盛する」と太鼓判を押した。その品をアレンに持たせて、息が詰まるような作業とその間の護衛を担当したモーグとリーナに渡したルイは「気配りができる嫁」という評価を不動のものにする。リーナから見れば「抜かりなくアレンの妻という自分の評価と立ち位置を固めている」とも言えるのだが、自分には無害だから異論を挟むような野暮なことはしない。むしろ今は「こういう気配りが出来るから、フィリアが手を焼く鈍さを誇るアレンを完全に掌握できるのか」と、ルイの立ち居振る舞いから学ぼうとさえ思うようになっている。

「一休みして、作業場を片付けてから戻る。頭に作業完了を知らせるよう、ハンジュに伝えてくれ。」
「分かりました。」
「あたしも片づけを少し手伝って護衛して戻るから、戻るのは夕食時かしらね。頃合いを見て夕食の用意をしておいて。」
「はいはい。」

 伝言と次の指示を受け取ったアレンは、特別工房を出て階段を駆け上り、モーグの自宅に戻る。アレンから伝言を聞いたハンジュは、国王に伝えるため少し留守にすることを告げ、夕食の準備を始めるようアレンとルイに依頼する。アレンとルイは快諾し、早速メニューを考える。
 保管庫の状況から肉料理をメインとして、根菜で付け合わせとスープを用意し、麦と米を等量混ぜたギーフン13)を作ることに決めて、手分けして準備に取り掛かる。肉は、モーグにはボリュームを重視した厚めのステーキ、アレンとルイとハンジュには食べやすいサイズを重視したスライスでの焼き料理、肉料理がまだ苦手なリーナには根菜と混合しやすい細切れでソースを強めにする料理とする。肉料理はアレン、根菜の下ごしらえはルイが担当する。根菜スープの出汁となる骨付き肉の煮込みや肉料理用の各種ソースの作成が始まると、台所に食欲をそそる匂いが満ち始める。
 国王にモーグの作業完了を報告し、夕食後に作戦会議を招集すると言伝られたハンジュが戻る頃には、夕食が晩餐会と言って遜色ないものになると期待する他ない匂いが台所とリビングを満たしていた。ハンジュはアレンとルイの手際の良さに改めて感服すると共に、ジルムとサミーユの息子は器量も気立ても相性も良い嫁を得たものだ、早世したサミーユも安心して天国から息子夫婦を見守っているだろう、と思う…。
 その日の夜、アレンとルイは特別工房がある最下層に移動した。夕食後に国王が招集した作戦会議の決定を受けてのものだ。
 カッパードラゴンを直接見たことがないアレンが、いきなりカッパードラゴンと対峙するのは危険が大きい。そこで明日6ジムにアレンとルイとリーナ、そしてモーグなど軍の幹部が最下層から外に出て、カッパードラゴンの縄張りに敢えて踏み込んで引っぱり出し、その体躯や敏捷性を体感することになった。
 体感と言っても、出て来るのはホログラフィではなく本物。当然、強靭な鱗に覆われた高い防御力は勿論、鉄の鎧など先端が掠っただけでも紙のごとく切り裂く鋭利な爪や、強酸性と猛毒の2種類のブレス攻撃を備えている。しかもその巨体に似合わない俊敏な動きで坑道の何処からか出て来る。呑気に構えていたら物理攻撃なら踏み潰されるか数個の肉片に変えられるか、ブレス攻撃なら骨まで溶かされるか悶絶しながら息絶えるかを迫られることになる。勿論、アレンが隙を見て攻撃できるならしても良いが、アレンの両親であるジルムとサミーユ両方に恩義がある国王をはじめとする軍幹部は、安全を最優先することをアレンに強く求めている。
 アレンは現地の土壌のコンディションの確認や、モーグによって一定程度復活した剣の具合を確かめたいと申し出て承諾され、明日すぐ動けるようにカッパードラゴンの縄張りに最も近い最下層に移動することも併せて承諾された。
 作戦会議終了後、アレンはルイを伴って最下層に移動し、実際に通用口から坑道に繋がる地下空間に出て、土壌の凸凹や湿り具合などの確認や、剣を抜いてのダッシュやジャンプなどを訓練する。縄張りの境界線よりかなり手前での練習として、万一の事故、すなわち誤ってカッパードラゴンの縄張りに踏み込んで急襲されるリスクを避けている。

「アレンさん。そろそろ休みましょう。明日がありますから。」
「そう…だね。」

 不安や緊張による未練のような感情を抱きながら、アレンは訓練を終了する。何も言わずに通用口の傍に佇み、アレンを見守っていたルイは、通用口を開けてアレンを招き入れ、自分も入ってからしっかり鍵をかける。
 最下層には引き続きリーナが召喚した複数の魔物が徘徊している。アレンとルイは特別工房の隣、リーナが昨日寝泊まりした臨時の待機部屋を使用している。特別工房はモーグが作業を終えて使用者がいないから、風呂は自由に使って良いと言われている。アレンとルイは、入浴の準備をして特別工房に入る。特別工房は、リーナとモーグが片付けと清掃をしたことで、十分綺麗になっている。つい数ジム前、此処で加工した水晶を填め込まれ、一定程度復活したと見られる剣を受け取ったことや、困難な作業の痕跡である、塵のような水晶の欠片や様々な工具はどこにもなく、丸1日を超える一等宝石細工師の作業があったことを感じさせない。
 アレンとルイは脱衣場で背中合わせで服を脱ぎ、風呂に入る。ルイは長い髪を洗う時間があるから、自分が先に素早く身体を洗おうかと思ったアレンの両肩に、後ろからルイの両手が乗る。

「アレンさん。背中流しますから座ってください。」
「う、うん、お願いするね。」

 アレンはぎこちない動きで椅子に腰を下ろす。ルイは石鹸をタオルに擦り付け、アレンの背中を丁寧に流す。不安と緊張で心ここにあらずという様子だったアレンの硬さが幾分和らぐ代わりに、別の緊張感が頭を擡げて来る。
 ついさっきまでアレンは明日のことで頭がいっぱいだったことで、現況をあまり把握していなかった。しかし、丁寧な流し方による心地良さである程度平静さを取り戻し、ルイと風呂に入っていること、ルイが自分の背中を流しているという現状を把握して、全身が急速に熱くなるのを感じる。
 昨日はモーグの家で一緒に風呂に入ったから、客観的には今更ではある。しかし、アレンはもともと奥手な部類で、異性との交際は初めて。リーナの立会いの下、期間限定の夫婦関係を締結したが、アレンはルイと夫婦であるという認識がまだ浸透しきっていない。更に、昨日の一緒の入浴はハンジュに夫婦関係を疑われないようにという一応の目的があった。仲は深まったが夫婦どころか婚約もまだの交際中の異性と、何の躊躇もなく一緒に風呂に入っていて、しかも今は背中を流してもらっている事実は、全身から火が噴き出るような感覚を齎すのに余りある。
 一方のルイは、頬や耳が赤らんではいるものの、動きにぎこちなさはない。背中を流し終えると、アレンの腕を取って、首筋から流す。自分でするのとは違う、丁寧で優しい流し方で生じる心地良さは、ルイと一緒に入浴している現状認識で生じる興奮と気恥ずかしさと絡み合い、アレンから冷静な思考を奪う。

「髪、洗いますね。」
「!!」

 ルイが洗髪用の石鹸を適量溶かして、アレンの髪に広げて洗う。ルイから見てアレンの頭は全体的に背中より奥まった位置になる。ルイがアレンの髪を洗おうとすると、必然的にアレンとルイの密着の度合いが強まる。アレンの背中に2つの猛烈に柔らかい感触が伝わる。
 洗うためか意図的か、ルイはここぞとばかりに密着するから、アレンの背中に押し付けられたルイの豊満な胸が撓む。ドルゴに乗る際に服を介しても分かる感触が、今は素肌で直接感じられる。ドルゴに乗る際もその感触を感じて固まり、リーナに呆れられる始末。今の感触はそれ以上だから、アレンの硬直具合は推して知るべし。全部見て触れているのに-流石にモーグ宅宿泊の昨夜は自重した-それこそ今更ではあるが、初々しさという観点では双方にとって良いのかもしれない。
 アレンの頭から背中にかけて丁寧に湯をかけて泡を洗い落とし、ルイはアレンに声をかける。密着の度合いは変わらない。

「他は…自分で洗ってもらえますか?」
「…は、はい。ル、ルイさんは身体を冷やすといけないから、一旦湯船に入ってて。」
「はい。」

 ルイはようやくアレンから身体を離し、かけ湯をしてから湯船に浸かる。アレンは興奮を鎮めることを意識しながら身体を洗い、ルイに交代を告げる。ルイは返事をしてゆっくり立ち上がる。身体に纏わりついていた湯が落下し、ルイの豊満な肢体が露になる。思わず凝視したアレンは、ルイと目が合って慌てて視線を逸らす。ルイはアレンに凝視されていたと分かったが、取り乱すことなく湯船から出る。アレンと交代したルイは落ち着いた様子で身体と髪を洗う。
 朝からハンジュと料理や掃除をしたり、作業と護衛を終えたリーナとモーグにも振る舞った焼きスーホンを作ったりと動き回っていたルイは、1日の締めくくりとして、そしてアレンとの時間を満喫するため、入念に身体と髪を洗う。
 洗い終えて髪を纏めたルイは、アレンが無意識のレベルで凝視する中、ルイはゆっくりした動きでアレンに背を向ける姿勢で湯船に入る。ランプ1つで薄暗いとはいえ、見えるものは全部見える。アレンが呆然とする中、ルイはアレンに凭れ掛かってその左肩に頭を委ねてアレンを見上げる。

「アレンさんは、必ずやり遂げますよ。」
「ルイさん…。」
「多くの人々の期待がありますし、これまで以上に強大な敵ですから、不安や緊張を感じるのはごく自然です。でも、アレンさんは独りじゃありません。私がいます。アレンさんのおかげで通常より大幅に早く主教補に昇格し、多くの強力な衛魔術を使えるようになった私が、あらゆる支援をします。」
「…。」
「それに…、私が全てを見せて触れさせた、この世でたった1人の男性が独りで戦うのを見てるだけ、なんてする筈ありません。」

 ルイの声のボリュームが低下し、頬と耳の赤みが急激に増す。
 表面上は務めて冷静を装っているが、ルイも異性との交際は初めて。しかも幼少時から正規の聖職者として修行と研鑽に明け暮れてきたから、自身で得た異性関連の知識は乏しく、クリスが吹き込んだものを記憶している部分が大半を占める。その知識を実践に適用することはないと思っていたが、アレンと意気投合してそのまま交際に発展し、今は(期間限定の)夫婦関係を結ぶに至っている。
 自分の肢体が恵まれたものという自覚はあり、アレンとの接触やその反応を至って好意的に受け止めているのは間違いないが、改めて考え直してみると、バシンゲンを出てからひと月も経っていない短期間で裸、しかも秘所まで見せて触れさせ、アレンの絶頂の証を浴びるまで至ったことは、我ながら突っ走ったと思うし、自分は性的好奇心が相当強いのだと実感している。
 しかし、夫婦生活が性を伴うのはごく自然なことだと認識しているし、アレンにすべてを見られて触れられるのは恥ずかしいが興奮するのは事実。このまま大きな一線を超えることも、夫婦関係が継続することを前提で覚悟9割、躊躇1割で受け止めている。そんな心理状況を反映して、ルイは自分を緩く抱くアレンの右手を両手で包み込み、自分の胸に押し付ける。
 アレンの当惑交じりの興奮は一気に最高潮に達する。辛うじて残る理性でルイを強く抱きしめ、興奮を明日の活力にしようとする…。
 夜が更けた頃、リーナは近くの空き部屋を借りてのイアソンとの通信を終えて、深い溜息を吐く。
 首都キリカに潜伏中のイアソンには、バシンゲンに滞在して伝令に応対するドルフィンの回答はまだ分からない。他の情勢は平穏とも小康状態とも言えるから、リーナもイアソンも共通の話題に乏しい。アレンとルイの動向、ひいては自分達自身が話題になり得るが、アレンとルイについてはこの期間中に最後の一線を超える確率が非常に高いと踏んでいるし、今日の差し入れや夕食時、そして明日に備えての最下層への移動と訓練に向かう際を見ていても、「まだ対外的に恋人気分が抜け切れていない夫と、周囲に気を配りつつ夫を労り鼓舞する妻」という見方しか出来ない。むしろアレンがさっさとルイとの夫婦関係に馴染んでラクシャスとジグーリ王国滞在中にルイにプロポーズして挙式しろ、とじれったさを覚えるくらいだ。
 そうなると、自分達自身に焦点が移るが、リーナは未だにイアソンのアプローチを受け入れるか否かで悩み続けている。長年培われた自分絶対優位の立ち位置と、そこから生じる高いプライドは容易に変えられない。だからリーナは「もう暫く時間が欲しい」と言うしかないし、リーナのプライドの高さと悩みの深さを理解するイアソンはそれを受け入れるしかない。
 明日はジグーリ王国とラクシャスの命運を決定づける可能性が高い重要な1日になる。無理に話題を探すより、明日に備えた方が良い。そう判断したリーナは、「明日の新婚の奮起に期待する」と言って通信を早々に終了した。

「あたしは、何も変わってない…。」

 部屋を出てドアを静かに閉めたリーナは、ドアに凭れて呟き、再び深い溜息を吐く。
 外見や出自に深く強いコンプレックスを抱えていたアレンとルイは、出逢い、話をすることでコンプレックスを克服し、互いに強い連帯感と愛情を抱くようになった。アレンとルイが長年のコンプレックスを克服するに至ったのは、相手のために頑張りたい、良いところを見せたいという本人の決意であり、それを実行に移した行動力だ。いくら最高の相手と出逢っても、本人が変わろうとしなければ何も変わらないし、その相手もいずれは諦めて離れる。自分が変わろうとしたこと、実際に変わったことが、リーナとの明確な違いだ。
 リーナは頭では分かっているが、強固なプライドがどうしても邪魔をして、変わる行動や変わる言葉を出せない。このままでは粘り強いイアソンも断念するだろう。それも頭では分かっているが、リーナはどうしても「次」に踏み出すことが出来ない。そのことが余計にリーナを深く悩ませる。

「どうすれば…良いんだろう…。」

 答えが出ない、否、答えようとしても出来ない問いかけに応える者はいない。
 アレンとルイは、今頃明日に向けて勝利と現状の打破、そのための協力を誓い、ベッドで肌を合わせて確認し合っているだろう。
 置き去りにされる、否、自らそうなっているのにプライドにこだわって脱出できない、更にはそうだと分かっているのにあまりにも重いプライドを捨てられない。そんなジレンマに苛まれながら、リーナの独りの夜は静かに過ぎていく…。
 翌朝、ジグーリ王国の最下層、最近は不気味なほど静まり返っていた坑道がにわかに人と活気に満ちる。ドワーフはすべて正式な重装備を着用し、役割ごとに整然と整列する。その前にアレン、ルイ、リーナが立ち、向かい合う形で国王、モーグ夫妻などジグーリ王国軍幹部が並ぶ。軍は最悪の事態が発生した際、カッパードラゴンを牽制しつつ、アレン達を救出して応急処置をしながら退散するためにいる。カッパードラゴンとの交戦は完全にアレン達に委ねられている。

「全員の集合を確認しました。」
「ご苦労。」

 緊張と不安を押し殺しながら、国王はアレン達に言う。

「私がカッパードラゴンを呼び寄せる。その後、我々は速やかに安全地帯に避難する。見殺しにするかのようだが、奴のブレス攻撃の効果範囲からして、そうするしかない。」
「避難の必要性は分かります。」
「改めて言うが、くれぐれも安全を優先してくれ。無理だと思ったら速やかに我々が待機する場所まで退避するんだ。良いな?」
「はい。」

 武器防具の製作からメンテナンスまで全般の指導を仰いだジルムと、ドワーフへの偏見や買い偏重の商習慣を厳しく批判し改善させたサミーユの息子夫婦と同行者に、ジグーリ王国の命運を背負わせる事実は、国王にとって苦渋の決断でしかない。しかし、モーグの見立てでは、アレンの剣は100ピセルとはいかないまでも、50ピセル以上能力が復活していると予想される。
 ドワーフの武器が全く歯が立たなかったカッパードラゴンを倒せる希望は、能力を一部回復したアレンの剣。アレンへの期待と、大恩あるジルムとサミーユへの申し訳なさに苛まれながら、国王は斧を掲げて開始を宣言する。

「作戦開始!戦闘グループ以外は後方へ退避!」

 国王の指令で軍と幹部が一斉に後方へ退避する。
 リーナとルイが結界を張り、アレンが剣を抜く。
 国王は前に走り出し、アレン達の前方20メールほどで少し佇んだ後、全力で後方へ退避する。それとリンクするように、坑道の奥から地響きと彷徨が近づいてくる。そのスピードは相当なものだ。地響きが地震のように坑道全体を揺らし、彷徨が耳を引き裂くような音量になり、赤い2つの輝きが見えて来る。

「来たぞ!!」

 壁のランプが、突進してきた巨体を照らす。鈍い茶色に輝く全身の鱗、巨体を支える神殿の柱のような太い4本の脚、空を飛ぶことには機能しないが人間を吹き飛ばすくらいの風圧は作れそうな蝙蝠のような翼、巨木に鱗を取り付けたような太く長い首と尾、首の先端にある、鮮血のような赤い輝きを放つ目と刃物を並べたかのような牙を持つ頭。これこそが鉱山に巣食い、ラクシャスとジグーリ王国を兵糧攻めにする強大な魔物、カッパードラゴンだ。

用語解説 -Explanation of terms-

13)ギーフン:この世界における焼き飯。麦を混ぜるのとスパイスが強めなのが特徴。米が一般的な主食とされるトナル王国南部でよく食される。