「…レンさん。アレンさん。起きてください。」
優しく甘い声に誘われて、アレンの意識が深淵から加速をつけて浮上する。アレンが目を開けると、ルイの顔が視界の大部分を占める。ルイは既に服を着て、身繕いを済ませている。対するアレンは裸。服はベッドの隅に丁寧に畳まれて置かれている。勿論ルイが準備したものだ。
「おはようございます。」
「おはよう。」
「朝ご飯はもう直ぐ出来ますから、リビングに来てくださいね。」
「うん、分かった。」
「お目覚めのようね。」
リビングに入ったところで、リーナの声がする。まだ眠気が残っているらしく、少し瞼が閉じている。リーナは頬杖をついて呆れた様子でアレンを見やる。「嫁は台所よ。さっさと顔洗って来なさい。」
「そうする。」
最近、アレンの目覚めが鈍くなっているとリーナは感じる。考えられる原因は2つ。1つはルイとの夜の営みによる体力の消耗。もう1つはルイに起こしてもらえるという安心感。その推論は正しいとかなりの確信を持てるし、実際そのとおりである。
アレンとルイは昨夜も濃密な時間を過ごしたが、最後の大きな一線を超えるには至っていない。折角プロポーズからの挙式という王道を歩んで正式に夫婦となるのだから、最後の大きな一線を超えるのはそれらがすべて終わってからで良い、とアレンとルイは暗黙の了解で昨夜を過ごした。ほぼ普段通りの時刻に目覚めたルイが最初にしたのは、全身に付着した白濁した飛沫を拭き取り、朝風呂に入ることだった。もっとも、これは今朝に限ったことではない。
エプロン姿のルイは、すこぶるご機嫌な様子で台所から朝食を運んで並べる。朝食が揃ったところで、アレンが洗面所兼脱衣所から出てくる。アレンとルイは並んで座り、ルイはその向かいに座る形で朝食を食べ始める。
挙式は午後から、宴は夕方からと昨日採寸のために来訪したハンジュらから告げられている。だから極端な話、朝食は抜いても構わないのだが、朝型生活のアレンとルイは3食食べて掃除や洗濯をするのが日課になっている。リーナは律儀にそれに付き合っているが、骨身に染み込んだ夜型生活と正反対の生活リズムにはなかなか順応できないし、何よりベタベタしないものの新婚そのものの雰囲気を醸し出し続ける2人と向かい合って食事をするのは、新婚夫婦の朝食の場にねじ込まれて相席するかのような凄まじい場違い感が否めない。
「リーナ。イアソンから何か連絡はあった?」
「心配しなくても、あんた達の挙式を邪魔する状況じゃないそうよ。」
ドルフィン側は投獄された元内相マタラや、マタラの私兵とされて船や物資を全損させた軍の処遇については、タリア=クスカ王国側の提案を全面的に受け入れ、「その後」を円滑に進めるためある程度詰めておきたいとした。具体的には、先住民族との停戦協定締結やカーンの墓の調査への参画だ。
先住民族との停戦協定締結は、徹底的な対峙を掲げていたマタラの路線を全面的に転換することを国王が内外に示す最重要事項であるが、長く交戦してきた先住民族がすんなりと停戦協定締結に応じるのかという懸念が、軍幹部を中心に根強く存在する。至極もっともな懸念に対し、ドルフィン側は自身が前面に出て停戦協定締結に参画する用意があると提案している。
現時点では、先住民族を事実上統治しているのがドルフィンの師匠ゼントの盟友であるウィーザであることは出していない。これを出すと、先住民族をけしかけてタリア=クスカ王国と交戦させていたとの疑惑、ひいてはランディブルド王国と結託した内政干渉との疑惑に繋がりかねないという計算があるためだ。
タリア=クスカ王国側は前向きに検討したいと回答し、もう1つの提案であるカーンの墓の調査への参画と合わせて、断続的に国王が閣僚や軍幹部と協議している。閣僚や軍幹部からはやはり慎重論や懸念が出ているものの、万一先住民族と交戦になったり、カーンの墓で謎の病気に感染しても、タリア=クスカ王国に損害が出ないなら良いのではないかという考えが優勢だ。あとは実権をマタラから奪還してまだ間もない国王がどれだけリーダーシップを発揮して、慎重派が多い軍幹部を懐柔できるかだ。ドルフィンの巧みな外交交渉で、かなりの時間稼ぎが出来ている。
そのイアソンには、ジグーリ王国最大の懸案だったカッパードラゴンを倒したこと、アレンがルイにプロポーズして即答でOKされたこと、ジグーリ王国とラクシャスの全面協力で今日結婚式が挙行されることをリーナが話している。イアソンの反応は、カッパードラゴンを倒したことこそ驚きと安堵だったが、プロポーズと挙式については「ようやくか」という感だった。
アレンとルイに対して、さっさと結婚しろと思っていたのはイアソンも同じだし、フィリアの邪魔が入らない今のうちに挙式くらいしておけというじれったさも共通していた。最悪の場合、アレンがプロポーズしない、出来ないままバシンゲンに帰還するのではないかとさえ思っていたところに、リーナからプロポーズが成功して結婚式が挙行されると聞いた格好だ。ルイがアレンからのプロポーズを拒絶するなどどう考えてもあり得ないのだから「指輪の交換と同時にプロポーズしておけば良いのに、気が利かない」とイアソンは思ったし、リーナも全く同じ思いだった。そのため、昨夜のリーナとイアソンの通信は、筋は通したものの後手後手に回った、慎重さを通り越してあまりにも弱気なアレンのルイに対する態度を盛大に愚痴ったのと、アレンとルイがどんな衣装で結婚式に臨むかの予想で大いに盛り上がった。
「第一、そんな状況だったら、あんた達を引き摺ってでもバシンゲンに戻るわよ。今日の衣装の予想でもしておきなさい。」
「衣装、か。」
「何かご不満でも?」
「そうじゃなくて、自分が結婚式を挙げて、それ用の衣装を着るなんて、想像もしてなかったから。」
「私もです。」
実は、2人が互いに結婚を意識するようになったのは渡航前のこと。ルイがランディブルド王国国王との謁見に臨んだ時だ。その時の服装は、アレンが薄い青紫のシューチェを内側に、外側をプラチナで鍍金されたハーフプレート一式で、ルイはやはり薄い青紫を基調とするドレスと手袋、カチューシャ、そして髪の一部を同じく薄い青紫のリボンで後ろで纏めたもので、アレンからハーフプレート一式を除けばバージンロードを歩く新婚カップルそのものという評価だった。14)
互いの出で立ちを見たアレンとルイは、この人と結婚する時はこんな衣装なのだろうかと思い、それをきっかけに相手と結婚したいという意識が芽生え、意識の根底に深く根を下ろした。
この時点ではまだ告白もなされていなかった15)から、考える内容の順序が間違っているのではないかという感はあるが、「この人と結婚したい」という意志が共通して存在したことで、アレンからの告白で正式に交際が始まり、徐々に、しかし順調かつ着実に仲を深め、今や挙式を控えるに至ったという見方も出来る。
「あー、そうですかー。今日挙式だってのに、随分のんびりしたものですわねー。」
「…今更何言ってるんだ、って言ってるような気がする。」
「あーら、珍しく勘が冴えてらっしゃいますわねー。特に旦那の方は、嫁のウエディングドレス姿を楽しみにしておけばよろしいのではなくてー?」
ランディブルド王国国王との謁見でも、ランディブルド王国教会総長との謁見でも、さらには2人を結びつけることになったシルバーローズ・オーディション本選でも、実父フォンとの面会でも、それぞれのシチュエーションや儀礼に沿った衣装を身に纏ったルイは、どれも清楚さと気品を併せ持つ真の上流階級の令嬢という存在感を示していた。
そのルイが自分の妻となる儀礼に臨むため、ジグーリ王国の精鋭が特急で制作したウエディングドレスを纏って、今日自分の隣に立つ。アレンの中で、ルイのウエディングドレス姿への期待が急速に膨らむ。前面に出るのは清楚さか、美しさか、あるいは豊満な肢体を活用したセクシーさか、膨大な数の衣装の候補がアレンの頭の中に浮かんでくる。
「衣装の方向性は兎も角、アレンさんの期待に沿うものになりますよ。」
「実質主役の嫁は冷静ねー。」
「私はウエディングドレスを着て主人の横に立てるのが嬉しいので。」
「そ、そうでございますかー。大変仲のよろしいことでー。」
意中の相手との挙式を間近に控えてどうしても浮足立つアレンとルイが形作る新婚家庭の居候という認識をさらに強めるリーナは、出来ることなら明日にでもバシンゲンに帰りたいと思わずにはいられない…。
太陽が南天した頃、アレンとルイ、そしてリーナは結婚式会場であるラクシャスの大講堂に向かう。
ジグーリ王国の門前町であり事実上の関所として、カッパードラゴンの脅威によって来訪者が途絶えたことで寂れ、衰退の一途を辿っていたラクシャスに齎された久しぶりの朗報に続き、その朗報を齎した若いカップルの結婚式を挙行できるというめでたさの連続攻勢で、ラクシャス全域が活気に満ちている。そこを訪れた主役であるアレンとルイ、そして2人に随行したリーナを見た人々は、佳境を迎えた準備の手を休めて盛大な拍手と歓声で迎え、丁重に大講堂へ案内する。
ラクシャスは交代で町の警備をする兵士や病気など特別な事情で手が離せない者を除き、何らかの役割を担って精力的に動いている。それはラクシャスに大挙して乗り込んでいるジグーリ王国の面々も変わらない。
「あら、アレン君とルイちゃん!」
大講堂の両側を囲むように位置する通路のうち、東側の通路に入ったところで、ハンジュが声をかけて駆け寄る。「こんにちは。今日はお世話になります。」
「堅苦しいわねぇ。今日の主役は2人なんだから、堂々としてなさい。衣装は出来てるよ。控室に案内するからね。」
「ありがとうございます。」
「リーナちゃん。貴女も関係者控室を用意してあるから、そこに案内するよ。」
「ありがとうございます。」
リーナには専用の控室が用意され、専属の担当者が接待する。それには今日着用する服の試着や選定、着用支援も含まれる。サイズは昨日、アレンとルイの採寸が終わった後に、ハンジュが素早く採寸していて、数多くの衣装から選りすぐりのものが用意されている。先にハンジュによって控室に案内されたリーナは、専属の担当者の丁重なもてなしに内心安堵しつつ、衣装を選んで試着し、アクセサリーと合わせて最適な組み合わせを試行錯誤する。
「さ、入って入って。」
ハンジュは休む間もなく、アレンとルイを夫婦の控室に案内する。部屋は衣装着用のため一部がカーテンで仕切られているが、小さめの家1件分はありそうな広さだ。調度品もジグーリ王国特産の特注品で揃えられ、国賓クラスの客をもてなす部屋だと容易に想像できる。この部屋には専属の担当者がハンジュを含めて6名いて、接待の他、最重要事項である衣装の着用支援を行う。
2人には早速昼食がふるまわれる。ラクシャスでトップを誇る、夕方からの宴の料理も統括するシェフが腕を振るったもので、徐々に緊張感が高まってきたアレンとルイの食欲を促す盛り付けがなされている。
「さ、お待ちかね!衣装を着てもらいましょうかね!」
2人が昼食を食べ終えた後、いったん退室していたハンジュをはじめとする担当者が再び入室するや否や、結婚式に臨む衣装の着用を宣言する。アレンとルイはそれぞれカーテンで間仕切りされたスペースに案内され、3名ずつに分かれた担当者が衣装の着用を支援する。ルイの衣装はアレンのそれと比較して、どうしても複雑だ。ハンジュを含む3名の担当者がインナーから丁寧に着用を支援する。
着用が終わったそれぞれのスペースで、担当者が感嘆の声を上げる。アレンとルイは姿見と向かい合って、結婚式に臨むという意識が最大値に達する。
「そっちも終わったみたいだね!」
「はいよ!バッチリ!」
「じゃあ、ご対面いただきましょうか!」
アレンは白のスレード16)をベースにしたもので、ベルトとスラックスも白で統一されている。両肩には布製の金の肩当が織り込まれ、襟に金色のラインが走る。金色のボタンで半分ほど閉じられた内側は藍色のインナーで引き締められている。身体は地道なトレーニングの甲斐あって相応に引き締まっているが少女と見間違う顔立ちは変わらないから、「男装が非常によく似合うボーイッシュな美少女」という見方も決して否定できない。どちらにせよ、人目を惹くのは間違いない。
対するルイは、大胆に肩を露出させる一方で、踝(くるぶし)に達する裾や腕を手首まで覆い隠す袖口、胸元が見えそうで見えないぎりぎりの位置で厳格な境界線を構成する襟元をはじめとする随所に非常に緻密なレースが織り込まれた、清楚さと色気を併せ持つ純白のウエディングドレスだ。トレードマークの長い銀の髪はハーフアップにされ、アレンのインナーに合わせて藍色の幅広のリボンで束ねられている。アレンがランディブルド王国のホテル滞在中にプレゼントした髪飾りは、その位置を変えずに頭部左側に佇んでいる。衆目を集めるのは確実な、見事としか言いようがない見栄えだ。
「あらまぁ、本当に美形カップルだねぇ!」
「今日の明け方までかかって衣装を仕上げた甲斐があったってものよ!」
「ルイさん。凄く奇麗だよ。俺の想像をはるかに超えてる。」
「!ありがとう…ございます。」
「おや、丁度良い時間だね。さ、お二人さん!会場へ案内するからね!」
柱時計が指し示す時刻は11ジム半に迫っている。結婚式は11ジム半開始と告知されている。会場である大講堂は既に3階席まで埋まり、立見席もほぼ完全に埋まっている。人間もドワーフも、エルフも関係なしに並んで座り、挙行、そしてカップルの入場を今か今かと待ちわびている。最前列のVIP席には、ラクシャスを統治する4名の統領夫妻、ジグーリ王国の国王夫妻と各省の大臣夫妻-妻のハンジュがアレンとルイの担当者になっているモーグは除く-、そしてリーナが座っている。若草色の膝丈のドレスを選んだリーナは、その功績からバージンロードに最も近い席の1つを与えられ、硬い表情でアレンとルイの入場を待つ。結婚式への参列はリーナには初めてのこと。アレンとルイがどんな衣装を纏っているのか、緊張のあまり転倒したりすることなくバージンロードを歩けるのか、などいくつもの不安がリーナの脳裏を巡っている。
「お待たせしました!ただいまより、新郎アレン・クリストリア殿と新婦ルイ・セルフェス殿の結婚式を挙行いたします!」
ざわめいていた会場に、黒のスレードを着た司会者が入場し、高らかに開催を宣言する。大講堂全体に怒涛のごとき拍手が起こる。リーナは拍手こそするものの、不安が消えないことで表情は硬いままだ。「それでは、新郎新婦のご入場です!」
司会者の宣言で、後方の両開きのドアがゆっくり開かれる。ゆっくりした足取りでアレンとルイが腕を組んで入場する。新郎新婦どちらも見目麗しく、見事な衣装に身を包んだ若いカップルの入場に、会場が大きくどよめく。緊張感がピークに達しているアレンとルイの後ろには、ハンジュをはじめとする専属の担当者6名が控えている。ハンジュが祭壇前まで進むよう、小声で2人に促す。覚悟を決めたアレンは、緊張を和らげようと自分の左腕にしっかり腕を絡めているルイに見惚れながら、小声で言う。
「行こうか。ルイさん。」
「は、はい。」
アレンとルイは二人三脚の練習のように歩調を合わせることで、ふらついたり転倒したりすることなく、ゆっくりながらもしっかりした足取りでバージンロードを歩む。
次第にVIP席が近づく。その1席、バージンロードに隣接する席の1つに座るリーナは、拍手をしながら2人を叱咤激励する視線を送る。同時に、緊張感満載ながらも幸福感を全身から滲ませる、見事なウエディングドレス姿のルイは素直に奇麗で似合っていると思うし、自分も何時かは着てみたいという気持ちが浮上してきたのを感じる。そこにイアソンが直結しないのは、リーナが苛まれる最大の要因である高いプライドに起因する迷いのためだ。
祭壇前まで無事到着したアレンとルイは、その場で参列席に向き直り、呼吸を合わせて深々と一礼する。大聖堂を突き破るような拍手と歓声が2人に送られる。
アレンとルイは再び祭壇に向き直る。祭壇を隔ててアレンとルイに向き合い、祝福の言葉を贈る大役を担うのは、ラクシャスの統領の1人、ウーズとジグーリ王国の国王だ。ラクシャスにとってもジグーリ王国にとっても大恩ある若い2人の挙式ということで、並び立って両国の友好を示すと共に2人に祝福の言葉を贈る大役を引き受けた。
会場が徐々に静まり、ウーズとジグーリ王国国王の祝福の言葉を聞き漏らすまいと耳を傾ける。
「…今此処に並び立つは、ラクシャスとジグーリ王国を危機から救った若き勇者の2人、新郎アレン・クリストリア殿。新婦ルイ・セルフェス殿。」
「…我々は両国を代表し、並び立つ新郎新婦の門出を祝し、幸福と繁栄に満ちた未来を心より願うものである。」
「未来を共に歩み、形作るのは新郎新婦である。悩みや苦しみを分かち合い、喜びや楽しみを共有することで、道は拓けるであろう。」
「今此処に並び立つ新郎新婦が、愛を確かめ合い、愛し合い続けることを誓う場に立ち会えることを至上の喜びとし、我々は祝福の言葉を贈るものである。」
「「皆の者!願おうではないか!新郎新婦の未来が幸福と繁栄に約束され、溢れんばかりの光に照らされ続けることを!」」
アレンとルイは、向かい合うウーズとジグーリ王国国王に深々と一礼し、顔を上げる。ここでようやくルイがアレンから離れ、アレンとルイはウーズとジグーリ王国国王、そして参列者に横顔と側面を見せる形で向き合う。結婚式におけるクライマックス、誓いのキスをするためだ。
アレンは礼をしたことで前に流れたルイの髪を丁寧に後ろにかき上げる。余裕で数千は越えているであろう大勢の人々の前でキスをするのはやはり特段の緊張を伴う。しかし、アレンはすぐ目の前に佇む、潤んだ大きな瞳でまっすぐ自分を見つめるルイの気持ちに応えるため、意を決してルイの両肩よりやや下、両腕の付け根あたりを痛くないように優しく掴む。ルイはアレンとの距離を限界まで詰め、アレンの両腕に自分の両手をかける。
2人は目を閉じながら顔を近づけあい、誓いのキスを交わす。
最高の瞬間を見届けようと注視していた参列者は、誓いのキスが遂行されたことで、盛大な拍手と歓声、指笛を送る。後方で見守っていた2人の担当者であるハンジュらは、感激で目を潤ませる。リーナはようやく安堵して小さい溜息を吐き、表情を緩めて拍手をしながら心の中で2人に叱咤激励の言葉を贈る。『アレン。優柔不断なところを直してしっかり嫁を守りなさい。』
『ルイ。旦那を支えて、時には尻に敷いて、家庭を切り盛りしなさい。』
『2人とも…、おめでとう。幸せになりなさい…ね。』
日は西に沈み、夜が訪れた。結婚式を無事に終えた大講堂は、参列者総出で瞬く間に宴会場へと変わり、入れ代わり立ち代わりラクシャスとジグーリ王国の人々が出入りして若い夫婦の門出を祝い、緩やかな共倒れの危機を脱したことを喜び合う。町の警備を行う兵士も交代で宴席に参加し、萎えかけていた任務への心構えを再確認する。料理担当も適時交代し、何時以来かの祝福の宴席を楽しみ、再び宝石商などが訪れる日に向けて腕を磨こうと決意を新たにする。
主役の2人、アレンとルイは着替えて暫く宴席に出席して参列者からの温かい祝福を受けた後、結婚記念のドローチュアを1枚ずつ受け取り、新居と言えるあの家に帰った。2人を飾った衣装は2つの国を存亡の危機から救った英雄が挙式した証としてジグーリ王国で永久保存されることが決まっている。
ちなみにリーナはモーグとハンジュの計らいでモーグとハンジュの家に泊まることにしている。「結婚式を済ませてこれから盛大にやることをやる新婚夫婦の家で寝られる筈がない」というリーナの言葉には非常に切実さを感じた、とはモーグとハンジュの弁。
2人は入浴を済ませ、リビングで肩を寄せ合う。普段はリーナに配慮して寝室以外では密着しないようにしているが、リーナが今夜はモーグとハンジュの家に泊まると明言し、明日の昼に玄関の鍵を開けるよう告げて宴席に戻ったのを受けて、アレンとルイは静寂に包まれた家で2人きりの時間を満喫している。
家はルイによってプロテクションと結界で包まれ、ドルフィンやシーナでも破れるとはとても断言できない堅牢な防御態勢が敷かれている。この空間には明日の昼まで自分とアレン以外何者も立ち入ることは許さない、というルイの強固な意志が二重の防御壁を構成する膨大な魔力の源泉になっている。
ルイはアレンの左腕に腕を絡め、肩に頬ずりをする。2人きりになると見せるルイの猛烈な甘え方は、これまで寝室でしか見ることがなかった。この家に自分とアレンしかいないことが分かっている今、ルイは結婚式を終え、宴席でも多くの人々から祝福を受けた余韻と、アレンを独占できる時間と空間にいる幸福感に全身を隈なく浸している。
アレンは自分の肩に頬ずりをするルイに頭を寄せつつ、左腕に伝わる鮮明な柔らかさに心臓が高鳴る。入浴を済ませた2人が臨むのは初夜。2人にとってはある意味結婚式以上に緊張するシチュエーションだ。これまでの夜でルイの柔らかさや滑らかさを知っている上に思春期であることも相俟ってアレンは気持ちこそ逸るものの、何時どのように切り出せば良いのか分からず、思案する。
それはルイも同じだ。これまでにアレンにすべてを見せて触れさせたが、暗黙の了解もあって最後の大きな一線は越えずにいた。待ち望んでいたプロポーズを受け、かつては自分が当事者になるとは思わなかった結婚式を終えたことで、超えない理由はなくなった。それに、プロポーズと結婚式がなかったとしても、リーナ立会いの下で指輪の交換は済ませているから、それで代えることは出来る。
ルイにはもはやアレンと初夜を過ごすことに拒否感は勿論、躊躇もない。アレンと同じく何時どのように切り出すか、アレンから誘われるのを待つことに徹するかを思案しているだけだ。アレンに徹底的に甘えることである意味誤魔化し、ある意味アレンからの誘いを促している。
「…ルイさん。」
囁くようなアレンの呼びかけに、ルイは頬ずりを止めて姿勢はそのままにアレンを見る。「…寝室に…行こうか。」
緊張を必死に隠しながらのアレンの誘いに、ルイはアレンを見つめたまま小さく頷くことで答える。アレンとルイは息を合わせてゆっくり立ち上がり、少しも離れることなくリビングのランプを種火にして、戸締りを確認する。そしてバージンロードを歩く時のような歩調で寝室に向かう。この家において、2人の寝室は2人だけが立ち入れる絶対不可侵の領域。2人はその領域に入り、アレンがドアの鍵をかけてベッドに向かう。ベッドはシーツを入れ替え、布団は干してある。ランプは既に種火になっているから、2人が互いに視認できる程度の明るさしか齎さない。
アレンは掛け布団を捲り、ベッドに腰掛ける。沈黙の時間が緩やかに流れる。
「ルイさん…。」
アレンがルイにだけ聞こえる声量で呼びかける。ルイはアレンに凭れて少し俯き加減だった顔を上げる。互いの瞳には相手の顔以外映らない。「…愛してるよ。」
「私も…愛してます。」
堅牢な二重の防御壁に包まれた家の一角、2人だけの絶対不可侵の領域で、2人の初夜が静かに幕を開ける…。
用語解説 -Explanation of terms-
14)ルイがランディブルド王国との謁見に~:詳細はScene9 Act2-3を参照されたい。15)この時点ではまだ告白もなされていなかった:ルイがランディブルド王国国王とランディブルド王国教会総長との謁見を済ませてから、アレンが告白して正式に交際を始めたのはScene9 Act3-4である。
16)スレード:この世界における礼装の1つ。タキシードよりジャケットの裾が長く、開襟部分が広め。ネクタイは基本的につけないが、ボタンや胸ポケットがないシンプルなインナーを必ず着用する。