Saint Guardians

Scene 13 Act2-3 混沌-Chaos- 親子2代の救国に向けて(前編)

written by Moonstone

「な、なんということだ…。」
「どうにもならなかったというのに…。」

 古代遺跡に展開されているため、縦に広いジグーリ王国のほぼ中央部に位置する病院に幾つものざわめきが起こる。病室のベッドで苦悶の声を上げていたドワーフ達が、見たことがないダークエルフの美少女の魔法を受けるや否や、何事もなかったかのように身体を起こしていく様子を次々と目の当たりにしたためだ。
 ダークエルフの美少女とは勿論ルイ。アレンの父ジルムに武器防具の精錬や維持管理の技術を師事した1人であるモーグの妻ハンジュの案内で病院に赴き、カッパードラゴンの毒ブレスに苛まれるドワーフに、アンチ・テイント5)をかけている。
 毒ブレスに侵されたドワーフは4名1室の病室に収容されているが、その数は優に50名を超える。だが、ルイは同じ魔法で複数同時に効果を発揮できる衛魔術の利点6)を生かし、4名同時にアンチ・テイントをかけることで魔力を効率的に使用し、魔力の枯渇で治癒から漏れるドワーフが出るのを防ぐ。主教補に上り詰めた上に、アレンの妻としての責任感と使命感で、ルイの魔力は潤沢だ。苦悶の声に満ちていた病院は、ルイが病室を後にするごとにざわめきから歓喜の声に溢れる。

「終わりました。」

 すべての病室を回ったルイが、ロビーで待機していたアレンとルイに報告する。魔力の消耗は否めないものの、額の汗をハンカチで拭うルイの表情は満足感と達成感で明るい。
 ルイを案内したハンジュと医師の1人は、驚愕で呆然としている。特に医師は、一等宝石細工師7)の1人であるモーグの妻ハンジュの強い要請ということでルイを病室へ案内したものの、内心ではこんな若いエルフの娘に対処できる筈がないと高を括っていた。ところが、様々な薬剤を投与したが効果がなく、せいぜい苦痛を和らげることしか出来なかった患者達が、ルイの魔法で次々と全快していく様を見せつけられ、初めて目にする高度な衛魔術の力と、それをすべての患者に施した若き聖職者の力量に脱帽するしかない。

「お疲れ様、ルイさん。凄い成果だよ。」
「よくやったわね。」
「ありがとうございます。」
「…大したもんだねぇ。こりゃびっくりだよ。」
「…これが衛魔術というものか…。素晴らしい…。」
「お役にたてたようで何よりです。」

 歓喜の声がルイとハンジュと医師の後ろから近付いてくる。ルイによって毒ブレスの責苦から解放されたドワーフとその家族達のものだ。
 毒ブレスに侵されたドワーフは勿論だが、苦悶に喘ぐ様を目の当たりにし、先の見えない看護で疲弊していた家族にとっても、ルイは救世主そのものだ。
 ルイが病室に入ってきた時は、エルフの小娘がわざわざせせら笑いにでも来たのかなど投げやりな目で見ていたが、ルイの魔法で患者が何事もなかったかのように起き上がり、痛みや苦しみから解放されたと告げられたことで、ルイが一礼して病室を後にする時には、降臨した天使が天に還るのを見送るように恭しく頭を下げた。

「ありがとう!ありがとう!」
「貴女のおかげよ!」

 歓喜と感謝の声がルイを包む。ルイは差し出される手を取り、元患者には治癒を喜び、家族には看護の労をねぎらう。ルイがアレンへの溢れる愛情を基礎に魔力を大幅に増やし、旅の前に主教補へと昇格したことが、多くのドワーフの信頼を勝ち取ることへと結びついた。

「ん?あ!サ、サミーユじゃないか?!」
「ほ、本当だ!サミーユさんだ!」
「主人はサミーユさんの息子さんです。」
「?!む、息子?!髪の長さが違うだけだ。」
「そっくりねぇ。主人ってことは貴女?」
「はい。申し遅れました。私は彼−アレン・クリストリアの妻で、ルイ・クリストリアと申します。」

 ドワーフ達の関心はアレンにも向けられる。母サミーユと瓜二つの顔立ちのアレンと、自身をアレンの妻と名乗ったルイを、ドワーフは何度も交互に見つめる。
 ジルムはジグーリ王国に革新的な武器防具の精錬手法や維持管理の技術を齎し、サミーユは見事な宝石を輩出するドワーフへの敬意を怠らず、両親と言えど敬意のない者を容赦なく叱り飛ばし、適正な取引を先導した。ジグーリ王国とドワーフにとって大恩ある師匠であり仲間である2人の息子が妻を伴って王国を訪れ、妻は医師が匙を投げていた毒ブレスに侵された患者達を強力な衛魔術で治癒した。種族を超えた絆が時を越え、再びジグーリ王国に福音を齎した。ドワーフ達がこの若夫婦を歓迎しない筈がない。

「あのジルム様とサミーユさんの息子さんかぁ…。どれだけ見てもサミーユさんそっくりだ。」
「サミーユちゃんそっくりのジルムの息子が、美人の嫁さん連れて我が国に来るとはねぇ…。」

 ルイの紹介は疑いの余地なくドワーフ達に受け入れられた。むしろこの状況では、婚姻関係が対外的な立場をアピールするための期間限定のものだという真実の方が、照れ隠しや嘘などとされる。
 ルイと並び立ち、ドワーフにジルムとサミーユの近況やルイとの馴れ初めを問われ、時に照れながら説明するアレンの後ろで、リーナはルイの強かさに戦慄すら覚える。
 リーナが立会人となって填める指を左手薬指に代えた指輪は、言わずとも結婚指輪と見られる。片方だけなら疑問に思われる場合もあるだろうが、揃って左手薬指に、しかも一目見てペアの指輪と分かる指輪を填めておいて未婚という説明はまず通用しない。対外的な夫の呼称である主人という単語を躊躇いなく使い、名乗る際にアレンの妻と称したことで、アレンとルイが夫婦であることは、少なくとも病院に居るドワーフに周知されたと言って良い。すべての病室を回って患者を全快させた偉業で格段に高めた求心力を背景にしたルイの説明は、完全に事実を先取りするものだ。これで旅が終わったら夫婦関係終了お疲れ様でしたなど、アレンが言い出せる筈もない。
 そもそもアレンは、ルイと大きな一線を超える準備段階にある。拠点としている一軒家に戻れば手料理が出迎え、夜は豊満な肢体を堪能し、朝は優しい呼びかけとキスで起こされる−現場は見ていないが間違いないとリーナは確信しているし実際そうである−魅惑のシチュエーションの数々に、アレンは完全に虜になっている。さながらアレンは、愛と情欲を成分とするルイという麻薬に溺れる中毒者か、とリーナは思う。

「な、何だ?この騒ぎは。」

 歓喜と驚きに湧く病院に、モーグが入ってくる。病院とは思えない歓喜の渦に、モーグは当惑する。

「あんた!アレン君の嫁さんが、カッパードラゴンの毒ブレスにやられてた人達を完治させたんだよ!」
「な、何?!どうやって?!」
「嫁さんは高度な衛魔術が使える聖職者なんだよ!」

 半信半疑のモーグは、以前見舞った時に苦悶に喘ぐ同胞と、先の見えない看護に疲弊の色を隠せない家族を目の当たりにした。医師に尋ねても、薬剤は苦痛の緩和くらいしか効果がなくて正直お手上げだと、こちらも疲弊した様子で語った。それが今、何事もなかったかのように立って歩き、家族と歓喜の輪をなしている。
 モーグは、ルイが聖職者であることは、右腕のブレスレットで気づいてはいたが、まさかこれほど高い能力を持つとは思っていなかった。

「良いタイミングだな。さっき頭に面談の話を通してきた。頭は何時でも良いとのことだ。」
「ありがとうございます。案内していただけますか?」
「勿論だ。」
「皆!あたし達も行くよ!」

 頭ことジグーリ王国国王との面談の話が持ち上がったところで、ハンジュが気勢を上げる。病院のロビーを埋め尽くすドワーフは皆それに同調する。親子2代でジグーリ王国に救いの手を差し伸べる若夫婦の後押しをするくらい、お安い御用だ。病み上がりでどうとか消極的な態度をとる者は居ない。

「お、おいおい。こんな大人数で押し掛けるつもりか?面談は俺が同行すれば…。」
「あんただけじゃ心許ないからね。さ、皆!城へ行くわよ!」
「おーっ!!」

 決起集会の様相を呈し始めたロビーで、面談の環境を整えただけだとは、モーグはとても言えない…。
 構造上縦に長いジグーリ王国の中央部、モーグとハンジュの家から見て1階下が、ジグーリ王国の王族が居住する「城」である。そこにハンジュを先頭とする女性陣と、入院していた鉱山労働者とその家族、更に道中で話を聞いて加わった家族が押し掛けたことで、謁見の場である広間に人が入りきらず、廊下に溢れることになった。

「…モーグから話は聞いていたが、アレン…だったか?本当にサミーユそっくりだな…。」

 モーグとハンジュが紹介して進み出たアレンとルイ、そしてリーナの挨拶が終わった後、国王は驚愕の色を露にして言う。

「…陛下。モーグさんから既に伺っていると思いますが、我々はファイア・クリスタルを求めて貴国を訪れました。」

 アレンが慎重に言葉を選びながら謁見の目的を告げる。
 緊張は隠せないが、パーティーの代表として、そして謁見に大きく貢献したルイに報いるため、アレンは湧き出す緊張を責任感に変えて言う。

「門前町であるラクシャスの統領から、貴国がカッパードラゴンの出現によって深刻な危機にあると伺いました。カッパードラゴンを撃退しないことには、貴国の将来も、我々の目的も前提条件が成立しないと思います。」
「…。」
「私の両親が貴国で出逢い、その子息である私が妻と共に貴国を訪れることになったのは、貴国との縁あってこそだと思います。我々にカッパードラゴン撃退のため、坑道に入る許可を与えていただけないでしょうか。」
「…無理だ。」

 国王の短い、しかし明確な拒否に、アレンとルイは困惑の表情を浮かべる。リーナは表情を変えない。

「何言ってんのさ!国王!」

 アレン達の後ろにいたハンジュが怒声を張り上げ、アレン達の前に飛び出す。

「あんたもジルム様にご指導いただいた1人!サミーユさんは、あたし達ドワーフの数少ない理解者!その息子が連れてきた嫁さんは、医者が総出でもどうにもならなかった同胞を完治させた!玉座に根を張って、御恩を忘れたっての?!」
「親子2代で我が国を救おうとしている申し出を足蹴にするとは何事よ!」
「あんたが座る玉座も、この国がなくなったらなくなるんだよ?!玉座に噛り付いてる間に腕も頭も鈍ったのかい?!」

 ハンジュに女性陣が続き、広間が激しい抗議の声に包まれる。モーグなど男性陣は、国王への批判も容赦なく交える女性陣を止めようとするが、勢いに飲まれてしまう。

「待て!俺は無理とは言ったが駄目とは言っていない!」
「屁理屈捏ねるんじゃないよ!!」

 国王の弁解に、ハンジュは厳しい批判を浴びせる。それが合図になって、収束しかけた抗議の声が勢いを盛り返し、城全体を揺るがさんばかりの音量になる。

「待て待て待て!!話は最後まで聞け!!」

 国王は立ち上がって呼びかける。抗議の大波は緩やかに収束していく。

「俺もジルムに指導を受けた1人だ。俺が国王に就任できたのはジルムのおかげと言っても過言じゃない。サミーユは兎角俺達ドワーフを見下す輩が多い宝石商人を容赦なく叱り飛ばして、適正な価格での売買を先導した。今の我が国はジルムとサミーユが礎を構築してくれたようなものだ。無論、その大恩を忘れてはいない。」
「だったら何で拒否するのさ!!」
「だから話は最後まで聞け!その大恩あるジルムとサミーユの息子夫婦に何かあってみろ。俺達ドワーフはジルムとサミーユに合わせる顔がないぞ!」

 国王が「駄目」ではなく「無理」と言ったのは、言葉遊びではなく、アレン達の安全を優先したためだと分かる。
 種族特有の体力と腕力の高さ、高度な技術から作り出される強力な武器を融合しても、カッパードラゴンには全く歯が立たなかった。そのブレスによる猛毒は、他の医療水準を凌駕すると自負できる自国の病院でも解毒できなかった。そんな危険な魔物に、申し出があったからと言って安易に対峙させれば、むざむざカッパードラゴンに殺させに行くようなものだ。
 単なる宝石目当ての連中ならいざ知らず、国王にとっても唯一無二の師匠であるジルムと憧れだったサミーユの息子と、その妻を危険に晒すわけにはいかない。だから「駄目」ではなく「無理」なのだ。

「そうは言っても、カッパードラゴンを倒さないことには、あたし達もこの国も未来はないのは確実。カッパードラゴンを倒せる可能性があるあたし達に機会を与えることを検討するのはどう?」

 それまで表情を変えずに沈黙していたリーナが、現実的な提案をする。
 リーナの言うとおり、カッパードラゴンの出現によってジグーリ王国は宝石は勿論、燃料の石炭も採掘がままならず、このままでは国全体が立ち行かなかくなるのは確実。ジグーリ王国の厚意なくしてファイア・クリスタルの入手は不可能、つまりアレンの剣の能力を復活させることは不可能なことも事実。
 困難や危険を承知の上で、協力するなり前衛後衛或いは主力と陽動の役割分担をするなりしてカッパードラゴンを倒すことを実現しなければならない。そして、カッパードラゴンを倒せる可能性を有するのはアレン達だけだ。

「陛下。カッパードラゴンの危険は貴国の皆さんから聞き及んで十分承知しています。ですが、現状を突破しなければ、貴国にも私達にも明るい未来はありません。どうかご英断を。」

 アレンから最終決断を委ねられた国王は、難しい表情でうんと考え込む。
 大恩ある夫婦の息子とその妻の安全。国民の生活と安全。どちらも捨て難い、否、捨てられないものだ。だが、自分の決断は、どちらかを重大な危険に晒すことになる。
 これまでにないジレンマに苛まれ、髭面を険しくしてうんと考え込む国王を、アレン達とドワーフは固唾を飲んで見守る。

「…アレン。1つ約束してもらうことがある。」
「何でしょうか?」
「危険を感じたら直ぐに撤退しろ。良いな?」
「はい。約束します。」
「モーグ!軍の幹部を大会議室に召集しろ!」
「了解!」

 モーグに軍幹部召集を指示するために立ち上がった国王は、直ぐにどかっと玉座に腰を下ろす。眉間に深い皴を刻むその表情は、究極の二者択一だったことを強く感じさせる。
 歓喜の声を背景にカッパードラゴン撃退に向けて動き始めたジグーリ王国に対して、アレン達が出来ることはただ一つ。カッパードラゴンを撃退することだ…。
 暫く使われていなかった、「城」と同じ階にある大会議室が俄かに騒がしくなる。
 コの字型に配置されたテーブルに、断続的に入室してきたドワーフの男女が座る。
 アレン達は国王の右隣、出入口から見て真正面の最深部に位置する国王の席の左側に案内される。案内したのはモーグ。国王に近い側からアレン、ルイ、リーナの順で座る。
 モーグはアレン達の向かい側、国王の席の左隣で、ルイの真正面に位置する席に座る。国王との間に空いた1つの席には、別の男性ドワーフが座る。
 宝石細工師と名乗ったモーグがこの場にいるのは意外だが、モーグの説明ではジグーリ王国は国民皆兵制度であり、普段の仕事とは別に軍の業務も担当するという。そのモーグの階級は中将。飲んだくれという印象が先行していたが、実はジグーリ王国の中枢を占める1人なのだ。
 国王との面会が即日実現したのは、モーグが王国でも片手で数えられるほどしかいない一等宝石細工師であり軍の幹部でもあるのが大きい。アレンがジグーリ王国に大きく貢献したジルムとサミーユの息子だといっても、モーグでなければ国王との即日面会には至らなかっただろう。偶然ではあるが、これも不思議な縁だとアレンは思う。
 召集された軍幹部は総勢20名。ジグーリ王国の規模は不明だが、かなり少数という印象だ。男女比はおよそ7:3。軍に女性がいるのはアレン達には初めて見ることで、更に幹部として少なくない数が列席するのは、アレン達には驚きだ。
 アレンとルイは知らないが、ドワーフは男女ともに生命力や腕力が高く、人間ではかなり鍛えた男性しか扱えない斧やハンマーを悠々と振り回せる。更に重い防具も楽々装備できることで、防御力の高さも併せ持つ。ドワーフの軍は人間の軍を軽々と凌駕するものであり、宝石商などのドワーフを軽んじる態度は、本来なら国ごと潰されてもおかしくない危険なものだ。そうならないのはドワーフの軍が専守防衛を徹底しているためでもあり、一部の人間やエルフの態度をそういうものだと諦観しているためでもある。

「全員集合したな。では、軍臨時会議を開催する。今回の議題は1つ。我が国を脅かして久しいカッパードラゴンの撃退に向けた作戦の立案だ。」

 国王の宣言で、少しざわついていた会議室は一気に静まり返る。

「最初に、まだ会見していない者もいるだろうから、紹介しておく。我が国の恩人と言っても過言ではない、ジルムとサミーユの息子夫婦一行だ。」

 国王に促されて、アレン達は席を立つ。場の視線が一斉にアレン達に集中し、同時にざわめきが起こる。
 国王は勿論、モーグやハンジュなどが口々に言ったとおり、アレンは髪の長さを除けばサミーユと瓜二つ。ジルムとサミーユの息子という紹介も加わり、かつての記憶に思いを馳せる。

「はじめまして。アレン・クリストリアです。本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。よろしくお願いします。」
「はじめまして。ルイ・クリストリアと申します。軍幹部の皆様におかれましては、ご多忙のところご参集いただきましたことに厚く御礼申し上げます。よろしくお願いいたします。」
「…はじめまして。リーナ・アルフォンです。よろしくお願いします。」

 アレンに続き、アレンの姓を名乗り、軍幹部への感謝の口上を滞りなく述べたルイに、リーナは一瞬絶句する。
 ルイがアレンの姓を名乗るごとに、否、時間の経過に連れて期間限定の筈の関係が板についてきている。国王をはじめ、軍幹部の中でアレンとルイが夫婦であることを疑う者は居ない。
 ルイはジグーリ王国の国民に続いて、国王や軍幹部にまでアレンの妻であることを周知し、着実に外堀を埋めている。これに加えて内堀はすべて埋めたも同然なのだから、フィリアがどう足掻いたところで勝ち目はない、とリーナは改めて戦慄する。

「坑道警備隊長。状況の説明を。」
「了解。地図を展開します。」

 中央付近の席にいたドワーフが、部下に指示して国王の背後の壁に地図を貼る。非常に入り組んだ迷路のような構造は、ジグーリ王国の生命線である坑道だ。アレン達がラクシャスの統領から提供された重要情報の1つである坑道の地図より、更に細かい部分まで記載されている。
 ラクシャスの統領達も知らないもはや国家機密レベルの情報であり、通常であれば国外の者は知る由もない。それを対面間もない、しかも国外の者であるアレン達に開示するほど、ジグーリ王国の窮状はもはや一刻の猶予もないということだ。

「カッパードラゴンは此処、赤丸の地点に鎮座しています。」

 部下が退いた後、坑道警備隊長は指示棒で地図の中央やや左寄りの赤丸を指す。その周辺は他より広く、しかも他の坑道へと繋がる部分が多い。

「カッパードラゴンは縄張り意識が強いらしく、この部分からおよそ半径500メール以内、このくらい…。」

 坑道警備隊長は、赤丸を中心に指示棒で地図上に円を描く。

「このくらいの範囲内に入ると、即座に突進してきて攻撃を仕掛けてきます。」
「カッパードラゴンの大きさはどのくらいですか?」
「およそ20メールほどと推測されます。巨体の割に非常に俊敏です。」

 カッパードラゴンはドラゴンの中では知能が低い方だが、だからと言って侮れる要素は何処にもない。ドラゴンの類に漏れず鋼鉄のごとく強靭な鱗に覆われた身体と、膨大な生命力、ドワーフが甚大な被害を受けた強酸性のブレスと猛毒ブレスという2種類の遠距離かつ持続性もある強力な攻撃、そしてやはりドラゴンならではの鋭利な牙と爪。謀略や策略にはずば抜けた才能を持つが戦闘力そのものはセイント・ガーディアンとしては明らかに低いザギより、物理的な対峙が困難な相手と見て間違いない。

「我が国からカッパードラゴンがいるこのエリアに入れる道は2つ。このエリアから重要鉱石がある複数の坑道に接続しています。」
「アレン達に補足すると、カッパードラゴンのいるエリアから通じる坑道の1つに、ファイア・クリスタルを産出する鉱脈がある。右から数えて3本目の坑道の奥だ。」

 国王がこれまた重要な情報を出す。
 ファイア・クリスタルのような希少価値が高い宝石は、アレンのように特別な目的がなくても非常に高値で取引される。その経路だけでも国家機密レベルだ。悪徳宝石商が知れば目の色を変えて、ジグーリ王国と全面交戦も覚悟の上で略奪に走る危険すらある。もっともジグーリ王国の軍が出れば、宝石商と傭兵の一団など一捻りなのだが、絶望的な賭けをしてでも略奪に走らせる危険性がある情報だ。

「カッパードラゴンの俊敏性を考慮すれば、カッパードラゴンの攻撃をかいくぐってファイア・クリスタルを得ようと思わない方が良い。万一得られたとしても、帰還できる保証は全くない。」
「宝石や行動に関しては素人の私達では、ファイア・クリスタルが何処にあるか、どのように採掘すれば良いかも分かりません。カッパードラゴンの撃退がファイア・クリスタルだけでなく、坑道復活の大前提だと思います。」
「2人の息子らしい、賢明な判断だな。」

 俊敏性ならアレンも自信がある。だが、カッパードラゴンの攻撃をかいくぐってファイア・クリスタルを産出する坑道に入っても、ファイア・クリスタルがある鉱脈も分からなければ、採掘も出来ない。
 宝石は、岩石に埋もれた原石に専門の職人が複雑なカットを施すことで宝石としての価値が初めて全面に出る。しかも、概して硬いものほど衝撃には脆い。ゴムボールをコンクリートに叩きつけても割れないが、宝石は容易に割れるのもこの性質の表れだが、適切に採掘しないと原石を割ってしまって価値が急落する。
 更に言うなら、一度の採掘で必要なサイズを得られる保証もない。アレン達はカッパードラゴンを撃退しなければ、ファイア・クリスタルを入手できないと考えて間違いない。

「カッパードラゴンは、その場所にいる1体だけですか?」
「この1体だけだ。我々ドワーフの種族の能力は個体差も識別できるが、今までのところ、存在しているのはこの1体だけなのを確認している。」
「ありがとうございます。」
「1体だけでも想像以上に強力だ。一瞬たりとも油断は出来ない。」

 この世界における剣士の熟練の指標としてよく出されるのは「4大精霊を従える≒倒す」と「ドラゴンを倒す」の2つ。
 4大精霊とは火を司るサラマンダー、水を司るウィンディーネ、土を司るノーム、風を司るシルフのことだが、根っからの悪党でなければ、人間に友好的なノームとシルフは容易に契約できる。ウィンディーネは気まぐれなため、非常に攻撃的な時もあれば−主に住処である水場が汚れている時−、逆に非常に穏やかな時もあるため、ある程度運が要求される。サラマンダーは好戦的であると同時に一度対戦すると自分が倒されるか相手を倒すまで攻撃を止めないので、事実上の関門として立ち塞がる。逆に言えば、「4大精霊を従える」は1/2なら達成可能な範囲であると言える。
 一方、ドラゴンはすべて人間に敵対的であり、4大精霊と異なり通常の武器も使用可能であるが、それはあくまでも理論上の話。強靭な鱗に覆われた身体は並の武器など枯れ枝にもならない。加えて、ドラゴン特有の様々なブレス攻撃−カッパードラゴンは強酸性のブレスと猛毒のブレス、ブルードラゴンは数十万ボルトの雷のブレスなど−、ブレス攻撃に勝るとも劣らない牙と爪による物理攻撃と、ドラゴンが自らの縄張り以外に出ようとしないのが人類などにとっては幸運としか言いようがない圧倒的な戦闘能力を有する。
 それゆえ、「ドラゴンを倒す」を達成した剣士はその鱗や牙で数代先の子孫まで悠々自適に暮らせる財産を築けるし、世界有数の実力を証明できる。
 もっとも、それが殆ど達成されないからこそ、ドラゴンは人類などと比べて圧倒的少数ながらも絶大な存在感を有するのであり、レッドドラゴンと生息域が重なるサラマンダーも、レッドドラゴンに対してのみ専守防衛に徹すると言われているくらいだ。

「状況説明は以上です。以降、質疑応答に入ります。」
「カッパードラゴンに有効な攻撃や属性などは分かっていますか?」
「物理攻撃については、我が国の武器で何とか鱗を傷つけることが出来る程度だ。あんな強靭な鱗は見たことがない。」
「カッパードラゴンには力魔術がすべて有効なのが、不幸中の幸いと言うか何と言うか。生命力が異常に高いから、弱い魔法は効果がないのも同然だけどね。」
「魔法、か。貴国には魔術師は居られますか?」
「我が国には魔法を使用する文化はない。」
「となると、遠距離攻撃は実質あたしの召喚魔術だけね。ルイの衛魔術で防御しながらアレンがチクチク突くしかない。長期戦と消耗戦は覚悟よ。」

 アレンもシーナの指導の下で力魔術の向上に努めてきたが、カッパードラゴンと対峙するだけの強力な力魔術を使えるには程遠い。力魔術は弱点の属性を突いた攻撃−例えば爬虫類系の魔物なら氷系魔法を使うことで効果的にダメージを与えられる他、生命力が非常に高い敵を安全圏内から攻撃して生命力を削るなど、戦略面でも有効だ。
 今のアレンが使える力魔術では、カッパードラゴンにとってはダメージと言えるレベルには至らない。アレンは力魔術の向上から逃げ回ってきた過去の自分を殴りたい衝動に駆られるが、今は手持ちの戦力でカッパードラゴンと対峙し、撃退することを考えなければならない、と思い直す。

「他に質問は?」
「カッパードラゴンや戦闘とは直接関係ありませんが、迂回路を構築することは出来ないんですか?」
「坑道は、岩盤の硬さや鉱脈の有無によって徐々に構築・拡張していくものだ。迂回路を急ぎ構築しようとすれば、岩盤が脆いところを突いて大事故に発展する恐れがある。」
「私から1つ伺いたいことがあります。カッパードラゴンは何処から現れたかご存じですか?」
「どういうことだ?」
「カッパードラゴンの生態は存じませんが、20メールはあろうという巨体の魔物が、唐突に閉鎖空間である坑道に現れるとは考え辛いんです。」
「!それは確かに…。」

 ルイの素朴な疑問は、これまでとは異なる大きな課題へと変貌する。地中に生息する動物や魔物はさほど珍しくない。冬眠する動物や魔物は温度が安定している地中に潜るのが常である。しかし、それらは概して小型であり、カッパードラゴンのような大型の動物や魔物には殆ど当てはまらない。

「カッパードラゴンはどうやって現れたか、坑道警備隊長、説明しろ。」
「あ、ある日通常どおり採掘を続けていたら、突然雄叫びが坑道に響き渡り、先ほど説明した場所にカッパードラゴンが鎮座していたと報告を受けております。」
「坑道の拡張で眠っていたカッパードラゴンを掘り当ててしまったという確率は?」
「それも全くゼロではありませんが、それなら、採掘の時点でつるはしが続々折れるなど異変がある筈です。そのような報告は受けておりません。」
「カッパードラゴンは銅が含まれる岩石を食べている。あと、冬眠はしない。人間やドワーフと同じ、恒温動物だから。」
「じゃあ、どうやって…?」
「召喚魔術か、魔物を特別な方法で封じ込めた魔水晶よ。カッパードラゴンと坑道のサイズからして、それ以外考えられない。」

 リーナは現時点で最有力の仮説を述べる。それは同時に、アレン達にもう1つ有力な存在を強く感じさせるものでもある。世界各地で暗躍し、謀略の網を張り巡らせるザギだ。
 ランディブルド王国で首都フィルに帰還中のアレンとルイに偶然遭遇し、追ってきたルーシェルから逃亡したザギは、南に移動したと見られていた。タリア=クスカ王国に謎の病と混乱を持ち込んだ疑惑が濃厚など、トナル大陸南部でもザギの臭いは立ち込めている。
 戦闘力は黄金の鎧という上げ底で高めているに過ぎないものの、謀略に関してはずば抜けているザギが、ラクシャスやジグーリ王国にまで穢れた触手を伸ばしている確率は十分ある。だとすると、カッパードラゴンとの対峙は更に危険を伴う。
 アレン達の戦力が十分でないことを見込んでカッパードラゴンを配置し、ギリギリのところでカッパードラゴンを倒したのを見計らってアレンの剣を奪い、ついでにアレン達を始末する計画であることは十分予想できる。ザギの傾向を考えれば読み取りやすい計画ではあるが、敢えてそのような計画でも実行したとなれば、ザギがアレンの戦闘力を非常に軽く見ているという証左でもある。

「…今はカッパードラゴンを撃退することに集中しましょう。皆さんのご協力が不可欠です。」

 アレンは絞り出すように提案する。侮られた屈辱を怒りに変えて、アレンはカッパードラゴン撃退を固く誓う…。

用語解説 −Explanation of terms−

5)アンチ・テイント:衛魔術の1つで治癒系魔法に属する。対象に存在する毒をはじめとする状態異常の要因をすべて除去する。病原菌やウィルスには効果がないが、それらが輩出した毒素などは除去できる、究極の解毒薬と言える魔法。キャミール教では司教長(下から9番目の称号)から使用可能。

6)同じ魔法で…:力魔術で魔法によって効果範囲が厳密に定められていて(強力なものでは外部に影響が及ばないよう結界が張られるのもその一環)、複数に有効な魔法は高度なものしか存在しない。一方、衛魔術は術者の制御次第で対象が単体でも複数でも、近距離でも遠距離でも同一の効果を発揮する。消費魔力の増加量は人数×0.5と比較的少なく、1人1人にかけるより圧倒的に効率が良い。

7)一等宝石細工師:ドワーフの宝石細工師は、その技量によって一等から五等までランク分けされる。当然、一等に近い方が複雑な細工が可能であり、その宝石は高値で売れる。ちなみに、一等宝石細工師はジグーリ王国全体で10名に満たず、「頭」こと国王もその1人である。

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