Saint Guardians

Scene 13 Act2-4 混沌-Chaos- 親子2代の救国に向けて(後編)

written by Moonstone

 大会議室の空気は重い。
 カッパードラゴンが鎮座する中央エリア−便宜上こう称する−に繋がる坑道は2つ。ファイア・クリスタルを産出する坑道は中央エリアを経由しないと入れない。迂回路を構築することは事実上不可能。となれば、中央エリアに繋がる坑道の何れかから中央エリアに突入し、カッパードラゴンと正面から対峙するという馬鹿正直な方策しかない。落盤でカッパードラゴンを生き埋めにすることも出来なくはないが、それはジグーリ王国の死を早めることになり、本末転倒だ。
 ドワーフの武器でも傷をつけるのがやっとという強靭な鱗と、強酸性と猛毒の2種類のブレス攻撃、そして並々ならぬ切れ味を誇る牙と爪。カッパードラゴンが魔法を使えないことが幸運としか言いようがない圧倒的な物理攻撃力に対して、アレン達の攻撃力は、アレンの剣とリーナの召喚魔術。どちらもカッパードラゴンの鱗を破れるかどうかは未知数。あまりにも心許ない。
 唯一対抗できることが有力なのは防御力。ルイが主教補に昇格し、強力な衛魔術を数多く使える範疇に収めたことで、防御系魔法や結界でカッパードラゴンの攻撃を防げる見通しがある。だが、やはり確実ではない。お試しなどあり得ない状況だから、尚のこと不安ばかりが募り、大会議室の空気を重くする一方だ。

「…主人の剣について、お尋ねしたいことがあります。」

 重い空気を破ったのは、ルイだった。

「主人の剣は、私達の入国の大義名分であるファイア・クリスタルを所定の位置に填め込むことで、本来の力を発揮できると聞いております。」
「そのとおりだ。どういう理由でそうなっているのかは分からないが。」
「ファイア・クリスタルの代わりに、別の宝石を填め込むことで、主人の剣の能力を一時的にでも高められないでしょうか?」

 会場が俄かにざわめく。
 ファイア・クリスタルで出来ることが、他の宝石で出来ないという確証はない。ファイア・クリスタル自体がジグーリ王国でしか産出されない希少な宝石のため、詳しい特性、特に魔力的な面についてはほぼ解析されていない。
 アレンの剣、フラべラムはファイア・クリスタルを外されたことで本来の力の1/10も出せていないと見込まれているが、何故ファイア・クリスタルを埋め込むことでフラべラムが本来の力を発揮できるのか、そのメカニズムはアレンは勿論、ドワーフの誰も知らない。知っているとすれば寸分違わぬ模造品まで作り上げたというジルムくらいだ。

「出来なくはないかもしれないが、危険が大きい。他の宝石とどういう反応をするか、一切分かっていないからな。」

 ファイア・クリスタルを填め込むことで本来の力を発揮できるということは、裏を返せば、別の宝石では全く機能しなくなったり、暴走など使用者や周囲に無差別に危害を加える事態に発展する恐れもあるということだ。
 フラべラムは地上を支配した悪魔の軍勢と、それを統括した7の悪魔を倒した「7の武器」の1つであり、今の技術では誰も同じものを作ることは出来ない。モーグや国王は、ジルムの指示に従ってファイア・クリスタルをフラべラムから取り外したに過ぎない。ジルムなら宝石ごとの効能を知っているかもしれないが、行方が分からない以上聞き出すことは出来ない。
 もし解析するなら、最悪の場合、フラべラムを使用不能にする危険を伴うことを承知の上で行わなければならない。しかしそれは、カッパードラゴンに対抗できると思われる唯一の策を自ら破壊することにもなりかねない。

「クリスタルが基礎になってる可能性はかなり高いんじゃないかしらね。普通のクリスタルとファイア・クリスタルの違いって、素人目で見れば混じり物があるかないかだけだけど、ファイア・クリスタルがフラべラムに作用するってことは、その混じり物が影響してると考えるのが自然よ。」
「一理あるな。危険を伴うことには変わりないが。」
「カッパードラゴンと対峙すること自体、大きな危険を伴います。その危険を少しでも軽減できる可能性があるなら、その対策を行うことで道を切り開くべきではないでしょうか。」
「…その口調、サミーユそっくりだな。」

 国王が苦笑いする。
 髪の長さ以外はその色も顔立ちも瞳の色もサミーユに瓜二つのアレンは、国王をはじめジグーリ王国の軍幹部にはサミーユがこの場にいるような錯覚を覚えさせる。加えて、少しでも前向きな可能性を探し、それを自ら推し進めて仲間や配下に希望を示すことこそ真のリーダーだと、時の国王をも叱咤激励して宝石商と対等な関係を打ち立てる原動力となったサミーユの口調は、リスクを承知でリーナの提案を支持したアレンの口調そのものだ。
 カッパードラゴンは確かに脅威の存在だ。だが、その脅威に押されるがままに埋没したいのか。
 列席するドワーフは、サミーユが天から舞い降りてアレンの身体を借りて、カッパードラゴンそのものより先にカッパードラゴンの脅威に白旗を上げようとしている自分達を叱咤しに来たのかと思う。特に国王は、前例や経験がないことを理由に可能性を排除することがリーダーのすることか、と直接諫められたように思う。

「リーナだったか?確かにお前の言うとおり、クリスタルが基盤になって、アレンの剣に作用している可能性はある。だが、闇雲に試すことが最悪アレンの剣を破損する危険があるのも間違いない。可能性を試すことと無謀な挑戦は違うぞ。」
「それでしたら、予め宝石の内部構造を調べることで、出来るだけリスクを下げることは可能だと思います。」
「ん?そんな方法があるのか?」
「魔法解析という、魔力を使って構造を調べる方法があります。」

 魔法探査でものを探せて、魔法解析で構造などを解析できるのは、対象までの距離によって名称が異なる程度で、どちらも反射された魔力の強弱や変異を術者が構造や特徴として読み取ることである。我々の世界では前者はレーダー、後者はNMR(Nuclear Magnetic Resonance:核磁気共鳴)やX線構造解析など各種分光法と同様である。
 一般に魔法探査は、ジェルバンの法則に従って微弱な魔力が距離に影響されて弱まるため、対象距離が短く、対象の形状の詳細を特定するのが難しいという課題がある。シーナの研究は、魔術師や聖職者が必ず手に埋め込まれている形で所有する賢者の石によってこれらの課題を克服し、飛躍的に探査能力を向上させたものである。8)
 今回は対象となる宝石が小さく、長距離や広範囲より構造の詳細を知ることが優先されるから、賢者の石を通さず候補の宝石に直接魔力を照射し、構造を解析する方策を取るのが良い。勿論、シーナから魔法探査を伝授されたルイはそのことが分かっている。

「そんな方法があるとはな。聖職者がそんなことが出来るとは初めて知った。」
「力魔術の大家のお1人であり、主人の力魔術の先生でもある方からご指導いただきました。」
「ファイア・クリスタルに出来るだけ近いものを選ぶとなると、サンプルが必要だな。資源大臣9)に宝石のサンプルを出させて、特別工房に運べ。特別工房はモーグ。お前が案内しろ。」
「了解しました。」
「ルイだったな。結果が出次第、モーグを通じて俺に連絡してくれ。最もファイア・クリスタルに近い宝石を旦那の剣に填め込む。」
「分かりました。ご配慮ありがとうございます。」

 ジグーリ王国がカッパードラゴン打倒に向けて動き始めた…。
 その日の夜19ジム。ジグーリ王国の住居の殆どから明かりが消えても、最深部に近いエリアにある特別工房は煌々と明かりが灯っている。資源大臣の命令で搬入されたサンプルを、ルイが詳細に解析している。
 サンプルは原石或いは細工に失敗して破損したもので、宝石細工師の養成において細工手順や失敗例の解説に使われる。そのため本体に対して大量の岩石で覆われていたり、逆に欠片程度しかなかったりとサイズがまちまちだ。一方で、魔法解析は1方向からの魔力放射だけでは全体の解析は出来ない。最低でも(便宜上)前後左右と上下の6方向から魔力を照射する必要がある。
 そのため、ルイは特別工房に備え付けの細工用固定治具にサンプルを固定して、時にサンプルの角度や固定方向を変えたりして、慎重に解析している。NMRやX線構造解析など各種分光法で、分光対象となるサンプルを回転させる機構があるのと同様であるが、すべて手動で行わなければならず、しかも相手が脆い宝石だから、どうしても時間を要する。それでもルイは食事以外は殆ど休みなしで解析を進め、予め受け取った紙に詳細な解析結果を記載している。
 最初に練習としてクリスタルを解析し、次にファイア・クリスタルを解析してから、順次サンプルを解析するという効率的な流れで、約1/4のサンプルの解析が完了している。モーグから細工用固定治具の使用方法のレクチャーを受け、サンプルの搬入を待って同じくモーグから取扱い方法をレクチャーを受けてからの解析開始だから、この日の解析時間はおよそ6ジム。それだけの時間で約1/4のサンプルの解析が完了したのは、驚くべき速さだ。

「今日はこれで終わろうと思います。」
「長い時間お疲れ様。片付けは手伝うよ。」
「ありがとうございます。」

 特別工房にはルイの他にアレンがいる。万一に備えた護衛という名目でルイが要望した結果だが、独りで黙々とサンプルの解析と記録を続けるより、アレンが近くにいる方がやる気が出ると思ってのことだ。
 カッパードラゴンの猛毒ブレスに苛まれていた同胞と先の見えない看護に疲弊していた家族、そして十分な効果が見られない対処療法しか取れないことに苦悩していた医師らを一気に救ったルイの要望は何の抵抗もなく受け入れられた。勿論、新婚の2人を無理に引き離すのは憚られるというドワーフ側の配慮もあってのことだ。
 リーナはモーグ夫妻の家に滞在している。一等宝石細工師の1人であり軍の中将でもあるモーグの家は、リーナに部屋をあてがうことくらい何の問題もないし、リーナ自身が「新婚夫妻と一緒の空間で待つだけなんて真っ平御免」と宣言したのもある。
 ルイと同時にサンプルの取扱い方法のレクチャーを受けたアレンは、ルイと手分けして慎重にサンプルを箱の所定の位置にしまう。どちらも整理整頓が得意だから、取扱いが難しい宝石のサンプルは勿論、作業台も綺麗に片づけられる。「作業場を片付ける際は使用する前より綺麗にするつもりで」と言われるが、アレンとルイに片づけられた特別工房は、次に作業する者が作業で乱すのを躊躇するレベルだ。

「ルイさんが先に風呂に入って。」
「ありがとうございます。ではお先に。」

 特別工房はファイア・クリスタルのように扱いが難しい宝石の細工や、複雑な装飾品の製作など長時間の作業を想定しているため、一般住居と同程度の風呂と台所、そして寝室がある。
 風呂はきちんと湯が出る。地下生活は温度変化が少ない一方で、外界より低温が続く環境でもある。また、岩石の破片や粉塵が付きまとう環境で作業する者が多い。そのため、ジグーリ王国は大型の窯と大規模な配管を設置し、すべての居住スペースに湯が供給される給湯システムを構築している。更に使用された湯は別の配管を使って集約され、濾過・浄化された後に洗浄やトイレの排水に利用されている。この中水道という設備は、我々の世界でも一部にしか存在しない。聞くところによると、このシステムのノウハウがラクシャスの町の下水道に転用されているという。
 問題は熱量だ。カッパードラゴンの出現で燃料の使用に制限が生じ、それは給湯システムにも影響していた。しかし、これはリーナがサラマンダーを召喚して一気に解消した。
 サラマンダーの能力なら、ジグーリ王国で使用する水をすべて沸騰させてもお遊びにもならない。事情を知ったリーナがサラマンダーに、窯の温度を一定に保つよう命じたことで、ジグーリ王国はまた1つ救われた。
 リーナはあくまで、水かどうか分からない湯で入浴するのは嫌だからその対策を講じたに過ぎないが、結果としてジグーリ王国の環境を大きく改善し、ドワーフに甚く感謝されて貴重な織物やアクセサリーをプレゼントされたのだから、悪い気はしていない。
 台所と寝室は特別工房とドアを隔てた隣にあり、風呂とトイレはカーテンで仕切られている。説明を受けた際は深く考えていなかったが、この設備だと、脱衣は寝室か風呂でする必要がある。特別工房は一等宝石細工師が単独あるいは弟子を伴って使用するものであり、風呂や寝室は一等宝石細工師の寝泊りのために設置されたものだ。男女の宿泊は想定されていない。

「えっと…、工房に居るよ。」
「此処に居てください。」

 寝室を出ようとしたアレンの手を、ルイが握って止める。断る理由が見つからない、内心断りたくないアレンは、頷いて風呂に背を向ける形でベッドに腰を下ろす。
 ルイはアレンから手を離して、着替えを持ってカーテンの向こうに消える。程なく衣擦れの音が聞こえる。部屋が静かなだけに、衣擦れの音は際立つ。
 アレンの心拍数が一気に上昇する。カーテンの生地は乾燥と交換を考慮してかさほど厚みはない。しかも風呂場にランプがあるから、ルイの肢体がカーテン越しにシルエットで映っている。アレンは振り向こうという激しい誘惑と戦う。振り向いたら凝視するだけでは留まらず、服を脱いでカーテンを開けて入りたくなるのが容易に予想できるからだ。
 湯を汲み身体にかける音、身体や髪を洗う音、湯に浸かり湯が動く音、すべてがアレンを激しく誘惑する。アレンは、腰の一部を除いたルイの肢体をすべて見て触れている。だが、入浴は別だ。薄いカーテン越しに交際中の女性が服を脱いで入浴しているという事実は、猛烈な興奮と誘惑を生じさせる。

「お待たせしました。」

 ルイの呼びかけでアレンは反射的に振り向く。パジャマに着替えたルイがアレンに歩み寄ってくる。今まで何度も見たものだが、カーテン越しに背中で様々な音を聞いた後だからか、扇情的に見えてならない。緩めの開襟故に僅かに顔を覗かせる深い谷間がそれに拍車をかける。

「じゃ、じゃあ入れ替わりってことで…。」

 アレンは急いで風呂場へ走る。カーテンを開けて飛び込むように入るとすぐに閉じる。服を脱ぐアレンは、もしかして、と思って後ろを振り向く。湯の飛沫が少し付着しているカーテンからは、ベッドに腰かけているルイが見える。シルエットになっているため、ルイがこちらを向いているか背を向けているかは識別し辛い。シルエットの大きさから、多分背を向けていると感じて、アレンはほっとしたような残念なような、何とも言えない複雑な気持ちで、止まっていた脱衣の手を再び動かし始める。
 リーナがサラマンダーを召喚して大釜を熱していることで、湯は適温。ルイと同じように湯を全身にかけて髪と身体を洗い、湯船に浸かる。アレンは視線だけカーテンの方を向く。ルイのシルエットは微動だにしていない。アレンが自分の入浴を待つルイの心情に思いを馳せると、何時の間にか視点がルイを待つ側に移行してしまう。
 湯を浴び、髪と身体を洗い、湯船に浸かる様子が、まるでついさっき見たかのように鮮明に思い浮かぶ。この旅に出てから見て触れるルイの肌の面積が急増している。しかも、ここ二晩は腰の一部以外すべて視界に収めて感触を味わっている。そのリアルな体験が妄想に多大なリアル成分を加えてしまった格好だ。アレンは慌てて湯を掬って顔にぶつけるようにかける。何とか冷静さが戻ったものの、ふとした拍子に脳裏にルイの裸体が鮮明に浮かび上がるのは変わらない。
 このままではのぼせてしまうと察したアレンは、急いで湯から上がる。リアルな妄想で硬度が増した自分の部分を見て、どう発散しようか頭を痛める。拠点の宿なら2人専用にあてがわれた寝室があるから−極限まで甘い雰囲気に耐えられないと感じたリーナに隔離されたと言うべきか−発散はかなり容易だ。しかし、今居るのはドワーフでもごく限られたものしか使用を許されない特別工房。夫婦の営みに使うには不適切。幸か不幸か、アレンは長時間の待機と2回の料理と後片付けでそれなりに疲労を感じる。モーグからのレクチャーを受けてから精密な工程を含む解析作業に着手したルイはもっと疲労が蓄積されている筈。疲労に任せて早々に眠りの世界に入れば何とかなると思ったアレンは、パジャマを着てランプを消して寝室に移動する。風呂に背を向けて座っていたルイは、アレンの方を向く。

「お待たせ。」
「いえ。ランプ…消しますね。」

 ルイは立ち上がって、ベッドの頭の方の壁にあるランプを消す。特別工房のランプが種火を残して−完全に消えると再点火が難しいための仕組み−すべて消えたことで、部屋はほぼ完全に暗転する。距離を詰めたものの輪郭や相手の表情が何とか視認できる程度の暗さは、新婚という体の、否、事実上公認の新婚夫妻という状況のアレンとルイを扇動する。

「ね、寝よう…か。」
「はい。」

 暗くて表情や顔色を完全に悟られないのが幸いかと思いながら、アレンは掛布団を捲って先に横になる。続いてルイが横になる。アレンは無意識のうちに左腕を横に伸ばす。ルイが腕枕をするためだ。2人で寝るようになって、自然とこのスタイルが定着した。
 何時ものスタイルになったことで、ルイの身体が持つ潤沢な柔らかさが今のアレンには抗い難い強烈な誘惑に映る。

「ルイさん。今日は長い時間お疲れ様。かなり疲れたんじゃない?」
「精密作業が多かったので、肩が少し凝りましたけど、ゆっくりお風呂に浸かって楽になりました。」
「そう…。」
「お昼と夜に、アレンさんが美味しい食事を作ってくれたから、今日1日頑張れました。」
「ルイさんが解析をしている間、俺が出来るのは料理と片付けくらいだから。」
「そういうことを自然と出来るアレンさんが、私の夫なんだと改めて分かって…凄く嬉しくて…幸せです。」

 ルイが固定治具を駆使しながら解析作業を続ける中、アレンは昼と夜に食事を用意した。食材は特別工房に案内されると同時に運び込まれたから不自由はしなかった。見慣れない食材もあったが、野菜か肉かといった食材の性質や備え付けの調味料の傾向から最適な調理法を割り出し、他の料理と組み合わせた。長年の主夫生活で培った勘と技術を駆使して、異国での困難な作業に勤しむルイにせめて食事でひと時の休息を充実してほしいというアレンの願いは十分ルイに届き、ルイの胃袋と心を満たした。
 巧みな調理とメリハリの利いた組み合わせをベースにした美味しい料理を堪能できたことも勿論だが、何よりルイの心を満たしたのはアレンの自然な気遣いだ。後片付けも自分に任せて休憩していて、と言って食器と料理器具をしっかり片づけたアレンの後姿を、ルイは溢れる想いと共に見つめていた。
 ルイは今まで男性に欲望を向けられることはあっても、労いを向けられることはなかった。一方、アレンは出逢った頃から労いや称賛を向けてくれる。晴れてアレンとカップルになり、徐々に仲を深め、ファイアクリスタルを入手するための旅に出てからそのスピードが加速したことで、アレンがルイに欲望を向ける機会とその強さが増している。しかし、ルイはアレンに愛されているという実感に裏打ちされたそれが嬉しいとさえ思う。
 アレンのキスや愛撫は、ルイに強い幸福感と快楽を齎す。ここ二晩は、アレンの放出を浴びている。ルイはそれを不快に感じたり、性の捌け口にされているといったネガティブな感情は一切抱いていない。むしろ、性が伴わない夫婦の営みに違和感を覚える。
 それくらい、アレンとの夫婦関係が対外的な説明のためとか期間限定とかいう条件は、ルイの頭からは悉く放り捨てられているし、周囲はそれを追認している。ルイ自身は意識していないが、フィリアが強く警戒すると共に半ば嫌悪し、リーナが戦慄するほどの強かさを有している。

「今日は…してくれないんですか?」

 暫しの沈黙を挟んでルイが言う。

「ルイさんは6ジムくらい殆ど休まないで作業を続けてたから、凄く疲れてるだろ?だから…今日は止めておく。」
「私は…してほしいです。」

 ルイは上体を起こしてアレンに乗りかかる。パジャマという薄手の服を通して、アレンの胸に強烈な柔らかさを伝える部分がゆっくり面積を広げる。

「疲れたと言えるのは、首や肩くらいです。それもゆったり入浴して解消しました。癒しの時間を過ごしたいんです。」
「俺に色々されることが、ルイさんの癒しになってる?」
「アレンさんだけは。」

 ルイは上体に続いて下半身をアレンに乗せ、完全にアレンに跨った体勢になる。ルイは薬指に指輪が微かに輝く左手をアレンの頬に添える。

「今までの積み重ねで、アレンさんの愛情や労りに嘘偽りがないという確信は揺るぎないものになっています。聖職者でも何でもない、私自身がアレンさんに必要とされているんだと確信しています。そのアレンさんとキスしたり、身体に触れられたりするのは、私にとってとても幸せを感じられることなんです。」
「ルイさん…。」
「愛するアレンさんの力になりたい。その一心で仕事を進めて、ようやく誰にも邪魔されずにアレンさんと触れ合える…。」

 囁き声で会話が成立する静けさの中、ルイは溢れる感情を抑えきれずにアレンに覆い被さり、アレンの耳元で囁く。

「アレンさん…。大好き…。」

 アレンは全身に電流が走ったような感覚を覚える。ルイが愛しい。ルイに触れたい。辛うじて抑え込んでいた感情が、ルイの甘い囁き声で一気に前面に出て来る。
 アレンはルイを抱き締め、ゆっくり体勢を入れ替える。ルイはアレンの首に抱き着く形でアレンの動きに順応する。

「大好きだよ…。ルイさん…。」

 ルイの求めを感じたアレンは、ルイの耳元で愛の言葉を囁く。それに応えて、アレンの首に回ったルイの腕が、より強くアレンを抱き締める。
 一頻り抱き合ったアレンとルイは、互いの顔しか見えない程度の距離を作って顔を見合わせる。アレンとルイは互いの唇を塞ぎ、舌を挿し込む。2人の熱い至福の時間が始まった…。

「−というわけ。」
『なるほど。状況は理解した。』

 時計の針が0ジムを回った頃、リーナは回廊に出てイアソンと定期通信をする。
 懸案だったジグーリ王国への入国は、アレンの両親がジグーリ王国と懇意だったため予想外に容易だったこと、ジグーリ王国と門前町ラクシャスの衰退は、坑道に出現したカッパードラゴンが原因であること、アレンの剣フラべラムの能力回復の可能性を探るため、ルイが魔法解析でファイア・クリスタルに類似した宝石を探す作業に着手したことを順に話す。
 攻撃的な感情が表に出やすいことを除けば、冷徹な分析や口述が可能なタイプであるリーナの状況説明は、イアソンの理解を容易にする。
 リーナはモーグの家の部屋をあてがわれているが、ドアを閉めても話し声は意外に隣室に伝わる。元来夜型でイアソンとの定期通信も夜の方が都合が良いとはいえ、世話になっているモーグ夫妻の安眠を妨げるのは憚られる。
 家を出た先に広がる回廊は広大で、ランプよりはるかに明るい照明もある。天から奈落まで貫くような吹き抜けを伴う、人の気配がない回廊を見ながらの通信は、意外と飽きが来ない。

『アレンの両親がジグーリ王国と懇意だったとは驚きだな。』
「それもそうだけど、ルイの衛魔術と嫁っぷりが凄いわね。アレン以上にドワーフの人心掌握に成功してる。」
『外堀をどんどん埋める感じか。』
「まさにそれ。ルイの性格からして計算じゃない感じだけど、そうだとしても凄いわね。ルイがまだアレンの嫁じゃないって言っても、嘘か嫉妬扱いされるのがオチよ。」

 アレンとルイの夫婦関係は本来、対外的な説明を容易にするための期間限定のものだ。しかし、今やジグーリ王国においてはアレンとルイが夫婦関係であることを疑う者は居ない。
 衛魔術を活用してカッパードラゴンの猛毒ブレスの影響に苛まれていた患者を全回復させたことも利用して、入国初日でアレンとの夫婦関係をジグーリ王国全体に浸透させたルイの手腕は並々ならぬものだ。その上で今はアレンと熱いひと時を満喫し、アレンの心を入念に自分に打ち付けている。
 リーナもイアソンも、ルイの強かさの前にはフィリアがどう足掻こうが敵わないと確信している。

「どうせ今頃やることやってる2人は放っておくとして、そっちはどうなの?」
『国王はドルフィン殿との直接交渉の日程候補を絞り込んで、ドルフィン殿に検討を依頼するため伝令を派遣した。最短で10日後だ。入れ替わりに、ドルフィン殿に直接交渉に応じる旨を伝えた伝令と共に、バシンゲンで足止めされていた外相や護衛は全員首都キリカに帰還した。滞在先とされた宿では夜間の外出は禁止されていたが、それ以外の拘束はなかったとのことだし、健康状態にも問題はない。』
「すんなり人質を解放したわね、ドルフィン。」
『国王との直接交渉を引き出すことが目的だったからな。ドルフィン殿の直接交渉の要求に応じたことで外相や護衛が全員無事に帰還したから、国王は対外的に強硬一辺倒だったマタラ元内相の時代との違いを示すことが出来た格好だ。』

 直接交渉の実現とすべての要求受け入れまで外相と護衛を事実上人質とすることは、彼らが期間中に健康を損なったりするリスクを伴う。医師兼薬剤師のシーナがいるから重篤化の危険は低いとはいえ、体調を崩すことは当人にとって「国王の命令で行動したら酷い目に遭った」などネガティブな感情の源泉となる。それは軍の一部で燻る強硬姿勢に油を投じ、軍事クーデターに至る恐れもある。
 マタラ元内相から内政と軍の実権を奪還した国王の重要課題は、対外的に強硬一辺倒ではなく、大臣や国民の生命や安全を重視する姿勢を示し、その施策を遂行することだ。滞在中は夜間の外出禁止以外に制限はなく、危害を加えられることがなかったことは、ドルフィンをはじめとするパーティーが強硬一辺倒ではないことを示すことでもあるし、パーティーに与することで事実上国王や軍幹部と対立する立場であるバシンゲン駐留の軍の見方を好意的に変えることにもなる。
 それを見越してか、国王は直接交渉の日程候補を伝える際に、バシンゲン駐留の軍に対して一連の状況について一切の処分を行わないことを確約する文書を渡している。地理的条件や経緯でパーティーに与したことが処分の対象となることで、パーティーに軍の矛先が向くことを事前に防いだ形だ。このあたりからも、国王の先見性と聡明さが窺える。

『国王は外相を含む大臣や軍幹部と、直接交渉の方針について断続的に協議している。外相からドルフィン殿との非公式協議の内容として、先の和解条件のうち3と4、すなわちマタラ元内相の処分と和解を引き換えにすることと、ランディブルド王国への事実の隠蔽が受け入れられないこと、この2点を見直すよう検討することが提示された。国王や大臣、軍幹部は基本的にこの要求を受け入れる方針だ。』
「予断は許さないとしても、タリア=クスカ王国側は意外とあっさりまとまりそうね。」
『国王はマタラ元内相の処分を交渉カードにしていたが、絶対条件じゃない。それに、マタラ元内相に全責任を負わせて厳重に処分することで、大臣や軍幹部にはマタラ元内相の類が及ぶという警戒心を取り除くことも出来る。人身御供と言ってしまえばそれまでだが、それ相応のことはしでかしたから自業自得だな。同情の余地はない。』

 軍の一部で国王の大幅な国政方針の転換への不満が燻っているのは、マタラ元内相の狼藉に軍が関与したことで、一連の責任追及と処分が軍にも及ぶのではないかという不安や憶測があるためだ。特に、絶対的立場から指示命令する立場にある幹部の不安は強い。
 国王は軍幹部との会談でそれを感じ取り、一連の事態の責任はマタラ元内相にあり、実行した兵士は譴責(けんせき)や謹慎などごく軽い処分に留め、軍幹部はマタラ元内相の策謀を知らなかったなら責任は不問とする方針を明らかにした。
 軍幹部としては、兵士を半ば私兵として扱うマタラ元内相には軍幹部も不満を抱いていたし、マタラ元内相の一連の策謀は全く知らなかった。マタラ元内相と無関係であり、本来自分の指示命令で動く兵士を独断で動かされたとすれば処分されないのだから、国王の方針に従う方が賢明だ。マタラ元内相は頼りの軍幹部からも完全に切り捨てられることが濃厚になった。

『直接交渉の日程は流動的だが、ドルフィン殿も国王も悪戯に引き延ばすことは避けたいだろう。交渉自体はリーナの言うとおり予断は許さないものの、強硬派の若手将校を抱える軍幹部も基本的に受け入れる方針を表明したことで、マタラ元内相の処遇と引き換えに割と容易に成立すると見て良い。そうなると今度は、リーナ達の全員帰還が焦点になる。』
「そうなるわね。」
『最悪ファイア・クリスタルの入手は断念して、交渉成立までにバシンゲンに急ぎ帰還することも念頭に入れてくれ。アレンの両親がジグーリ王国と懇意なことや、ルイさんがジグーリ王国からの強固な信頼を打ち立てたことを利用して、アレンの剣の完全復活を延期することも出来る。優先順位があるということだ。』
「至極もっともな話ね。あの夫婦に伝えておくわ。」

 交渉はマタラ元内相の処遇と引き換えに順調に成立する可能性が高まっている。そうなると次は国王がパーティー、特にランディブルド王国全権大使の任にあるルイとの直接の会談や謝罪へと話が向くところで、肝心要のルイが不在だと、交渉を成立させたドルフィンと国王の立場が危うくなる。
 アレンの剣フラべラムの完全復活は、偶然タリア=クスカ王国領内の先住民族の集落に滞在していたウィーザとの邂逅を契機に、タリア=クスカ王国との対立に乗じて急遽立案されたことだ。パーティーの本来の目的は、応答は途絶えて久しいキャミール教の聖地ハルガンの状況調査と可能であれば事態の解決であり、フラべラムの完全復活ではない。カッパードラゴンにより衰退の途上にあるジグーリ王国を半ば放置することは、アレンとルイの性格では困難だろうが、優先順位を忘れてはならない。

『カッパードラゴンは巨体だから、坑道という閉鎖空間では移動に制限が生じやすい。そこを利用すれば勝機はある。あくまでリーナ達の生命や安全最優先で行動してくれ。カッパードラゴンの討伐は、圧倒的な戦力を持つドルフィン殿やシーナさんを擁した方がむしろ格段に有利で確実だ。このことも、ジグーリ王国との交渉で利用するなら利用してくれ。』
「分かった。これもあの夫婦に伝えておく。言うこと聞かないなら引き摺ってでも帰るわ。」
『それが良いな。他は…ないかな。』
「…そうね…。」

 リーナとイアソンは急激にトーンダウンする。
 イアソンはリーナから自分との交際のOKを引き出したいところだが、リーナは先に回答の先延ばしを告げている。その上、リーナはイアソンの求愛を受け入れるかどうか、これまでになく真剣に思い悩んでいることが分かっている。ここで回答を迫ることは、リーナの感情を害してしまい、回答どころかこれまでより強烈な拒絶に至る危険性が高いことくらい、リーナに最も積極的に接触しているイアソンは分かる。
 一方のリーナは、アレンにすべてを受け入れられた絶対的な安心感に立脚したアレンへの強固な信頼と愛情を抱き、アレンの妻という立場と認識を着実に浸透させているルイと自分を比較して劣等感や焦燥感に苛まれる傍ら、これまでの強固なプライドからイアソンの求愛を受け入れることを拒む、二律背反の状況に苛まれている。もしイアソンが「追撃」してきたら、反射的に拒絶してしまいそうな気がする。そうなったらクリスに先取りされ、フィリアに嘲笑される事態に陥る危険性が高まるとさえ思う。それでも尚、イアソンの求愛にOKと言えない自分が疎ましくさえある。

『…時間との勝負になってきた。くれぐれも安全第一で対応してくれ。』
「分かった。…また明日、で良い?」
『ああ、勿論。また明日。』

 リーナはイアソンとの通信を終了し、手摺に両腕を乗せ、そこに顔を伏して深い溜息を吐く。手摺の下方には、アレンとルイが熱いひと時を過ごしているであろう特別工房がある。アレンにすべてを受け入れられ、アレンにすべてを捧げるのは時間の問題のルイ。それに比べて、プライドが邪魔して答えすら出せずにいる自分。自己嫌悪に苛まれるリーナは手摺に乗せた両腕に額を何度もこすり付ける…。

用語解説 −Explanation of terms−

8)一般に魔法探査は…:詳細はScene5 Act4-1のシーナの講義を参照されたい。

9)資源大臣:ジグーリ王国には内務・外務・財務・国防・技術・学術・資源の7の省があり、その頂点が大臣である。大臣はすべて国王が任命する。任期は5年間で再選は1回のみ。資源省は産出される宝石や石炭の在庫や貿易による物資の出入りを管理する。

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