Saint Guardians

Scene 12 Act3-4 陰謀-Conspiracy- 巨頭の対面、目指すは伝説の再現

written by Moonstone

 数多の星が煌めく深い藍色の空を、ドルフィンを乗せたワイバーンが飛ぶ。濃い緑を基調とした鱗に覆われたワイバーンは、隠密と高速移動の両立が求められる今回のような状況には最適だ。ワイバーンはあまり飛行が得意ではなく、急旋回や急上昇などは苦手とし、時々羽ばたいて滑空するように飛ぶ。羽ばたく音がザギをはじめとするクルーシァの勢力に察知される恐れがある現状では、ワイバーンのこの特徴が威力を発揮する。
 ドルフィンは結界を張りつつ、絶えず全方位に注意を払っている。空を移動中だから、注意すべき方向は前後左右のみならず上下にも及ぶ。まさに全方位に危険が付き纏っている状況だが、ドルフィンには圧倒的な実力に裏打ちされた自信がある。

『攻撃の兆候はないな…。』

 カーンの墓の上空に接近するが、魔法反応などは感じられない。攻撃を警戒してワイバーンで上昇できるギリギリの高度28で飛行しているから、魔法でも余程上手く狙わないと攻撃は難しい。更に生い茂る木々が天然のカバーとなって、ワイバーンの目視そのものを強く阻害している。
 カーンの墓の上空を通過しても、やはり攻撃の兆候はない。やや拍子抜けしたドルフィンは、気を引き締めて魔法探査を使って目標ポイントを確認する。カーンの墓から北東の方向、シーナによる事前の探査結果どおり大小複数のポイント=先住民族の集落が確認できる。
 ドルフィンは最もカーンの墓に近い、中規模の集落に的を絞り、ワイバーンを消すタイミングを計算する。ワイバーンの飛行速度を考慮して、ドルフィンはワイバーンを消す位置を見定め、カウントダウンを開始する。

『3、2、1、今だ。』

 ドルフィンはワイバーンの手綱を離して前方に大きくジャンプする。すれ違いざまにワイバーンの額に手を翳してワイバーンを消去する。そしてそのまま重力と位置エネルギーによる自由落下を始める。パーティーでは間違いなくドルフィンしか出来ない離れ技だ。
 黒一色の、夜の海のような森が急速に近づいてくる。ドルフィンは森に接触する直前でフライの魔法を発動させる。隙間なく生い茂る木々は、落下速度を緩めてもドルフィンの結界に衝突することは避けられない。広大なジャングルに数セムの間、木々の枝が折れる音と結界に衝突して発する衝撃音が激しく入り乱れる個所が生じる。
 ドルフィンはジャングルの地面に着地する。地面と言っても木々の根が張り巡らされて無秩序に上下した、お世辞にも足場が良いとは言えないものだ。

『このまま真っ直ぐ、か。』

 ドルフィンは念のため結界を張ったまま、陸路での進行を始める。Illusionistだから大半の魔法は防御・軽減できるし、槍が飛んで来ようが素手で受け止め投げ返せる。だが、今回の目的は先住民族との実質的な不戦条約或いは同盟関係の締結だ。先住民族の攻撃に応戦することは決して得策ではない。それより先住民族の先制攻撃を甘んじて受けて、全く効果がないことを見せつけて戦闘意欲を喪失させ、交渉を優位に進めることも視野に入れている。
 町では肌を焼く強さの陽光も満足に届かない鬱蒼としたジャングルは、深夜になれば四方八方闇の中。懐中電灯程度では手が届く範囲の前方を何とか識別するのが関の山だ。足元は木の根が複雑に入り乱れ、陽光が満足に届かないため泥濘(ぬかるみ)も多い。そこには蛭など有害生物が潜んでいる。そんな悪条件の闇の中を、ドルフィンはライト・ボールも使うことなく難なく歩いていく。結界だけあれば十分と言わんばかりに、方向感覚を失わずに集落に向けて突き進む。
 暫く帆を進めたところで、ドルフィンは足を止める。

『これは…鳴子に繋がる糸か?』

 ドルフィンの1メールほど先の、地面から踝(くるぶし)ほどの高さのところに、木の皮から作られたらしい細い糸が張ってある。昼間でも足元を余程よく観察しないと分からない。巧みにジャングルの一部に擬態した糸は、鳴子に繋がるものか何らかのトラップと見るのが妥当だろう。また、先住民族の集落へ確実に近づいて来ていることを感じさせる。
 ドルフィンは周囲と前方を観察する。鳴子に繋がっていると見られる糸は、間近のもの以外に様々な高さと角度で張り巡らされている。仮に間近の糸を飛び越しても、直ぐ近くに斜めに張られた糸が待ちかまえている格好だし、足元に別の糸が張られている確率も否定できない。どうやら、糸は集落を取り囲むように張り巡らされていると見た方が良さそうだ。
 ドルフィンは少し考えた後、間近の糸を力任せに引っ張る。カラカラと木がぶつかり合う乾いた音が、ジャングルで複雑に反響する。その音が鳴り止まないうちに、ドルフィンの前方、広い角度から火の玉が飛んで来る。火の玉はドルフィンの結界に阻まれる。

『魔法?』

 意外な先制攻撃の手法にドルフィンは一瞬驚くが、多数の魔法反応を感じる。魔法反応の強さと火の玉という現象からして恐らくファイアボールだろうが、入り組んでいる上に木々の隙間も人1人やっと通れる程度のところも珍しくないジャングルで、木々に衝突せずに対象に向けて放射するにはかなりの訓練を要する。少なくとも現状ではアレンよりは称号が高いのは間違いない。こうなると、ファイアボールは威嚇や警告で、更に踏み込んで来るようならより強力な魔法の洗礼を受けることも考えられる。
 ドルフィンは結界を維持したまま、糸に構わず突き進むことを選択する。糸が次々に引っ張られて切られ、そのたびに鳴子がジャングルに乾いた音を響かせ、魔法がドルフィンに向けて突進して来る。火の玉に電撃も混じって来る。先住民族はやはり単なる威嚇・警告程度のものではなく、本格的な攻撃手法の1つとして力魔術を体得しているのは間違いない。
 そうなると1つの疑問が浮かぶ。誰が先住民族に力魔術を指導したのか、ということだ。
 これまでの情報では、先住民族は力魔術とも衛魔術とも無縁で、ジャングルという地の利を生かした神出鬼没のゲリラ戦を得意としているという。また、力魔術は一朝一夕に習得できるものではない。
 アレンの例を見れば分かるように、最初はファイアボールの発動や制御も1回1回意識して集中しないと満足に使用できない。魔法の呪文詠唱と発動の仕組みの他、高度なものは魔法物理学など基礎理論の学習も必要になる。
 そのような基礎的な学習指導、魔力の水準の測定と称号の授与などを世界各国の魔術学校が担い、魔術の研究開発や改良をクルーシァとカルーダ王国の魔術大学が担うという体系的なシステムにより、力魔術は発展し、衛魔術のように聖職者が半ば独占するのではなく、幅広い人々が体得するに至っている。
 先住民族は先祖代々の土地を奪ったタリア=クスカ王国と敵対することで、力魔術や衛魔術の体系的な習得システムから外れた存在となっている。魔法とは無縁な生活と戦闘を続けて来たのはその表れだが、集落に向けて突き進むドルフィンに絶え間なく向けられる火の玉や電撃は明らかに魔法によるもの。先住民族が魔術師を雇用したとは考え難いから、先住民族が何らかの形で力魔術を習得し、侵入者迎撃に使用していると見られる。
 その疑問への有力な回答がドルフィンの脳裏に浮上する。ならば尚更先住民族とコンタクトを取る必要がある。
 ドルフィンの結界は、流石Illusionistのものだけに、火の玉や電撃ではどれだけ食らってもびくともしない。火の玉や電撃が結界に衝突することで、結界の周辺が明るく照らされる。それを利用してドルフィンは視界からの情報を補足する。ジャングルの奥深くに開けた部分と木々で組まれた住居らしいものが垣間見える。先住民族の集落と見て間違いない。
 ドルフィンは走り出す。何としてもドルフィンを食い止めようと魔法の迎撃が激化するが、ドルフィンは意に介さずに突進する。周囲を取り囲む小高い木組みの柵も軽く飛び越え、ドルフィンは集落に足を踏み入れる。
 そこは空が見渡せるほど開けていて、地面はかなり平たく整えられ、木で作られた家は湿気や有害動物の侵入を防ぐため複数の太い柱で支えられた台座の上に建てられている。ジャングルに居住する先住民族の集落というから、ジャングルと半ば一体化した原始的なものを想定していたが、かなり高度な土木・建築技術を有するようだ。タリア=クスカ王国や力魔術・衛魔術など、世界の文明の主流からは隔絶されているが、独自の文化や技術が開花・発展した別の文明系統と見方を改めるべきとドルフィンは思う。
 家から森から次々と人が出て来てドルフィンを遠巻きに包囲する。剣や槍で武装し、木の皮で作ったとみられる皮の鎧を装備している。ドルフィンと先住民族は無言で睨み合う。一触即発の状況が続く。
 迎撃の魔法を一斉照射しても全く効かない、これまでにない強力な結界を張る侵入者が、実は単独でしかも集落に踏み込んでからまったく攻撃や収奪などする様子がないことを、先住民族は訝る。侵入者はタリア=クスカ王国の連中とは異なり、別の意図を持つのではないか。ではそれは何なのか。先住民族はドルフィンを包囲しながら小声で討論し合う。

「俺はお前達と戦闘する意思はない。お前達を統率する指導者、お前達の救世主と話をしたい。」

 ドルフィンがタリア=クスカ王国の国語であるマクル語と、キャミール教圏内の標準語とも言えるフリシェ語で意思を伝える。思いがけない申し出に先住民族はざわめく。マクル語かフリシェ語の何れかが通じたようだ。
 ドルフィン、ひいてはイアソンの推測どおり、先住民族が謎の病で全滅することなく、逆にかなり高度な力魔術を体得するに至るなどした背景には、強力な統率の力が働いている可能性が高い。ならば先住民族と無駄な戦闘を行うことは尚のこと回避し、先住民族を統率する指導者、つまりは先住民族を救った者と直接交渉した方が良い。

「お前は何者だ?」
「俺はドルフィン・アルフレッド。お前達の指導者、救世主に伝えれば分かる筈だ。」

 先住民族の問いかけに、ドルフィンは再びマクル語とフリシェ語で回答する。先住民族のざわめきはより大きくなる。何故侵入者が我らの指導者・救世主の存在を知っているのか、という軽快を含んだ疑問の声があることが、断片的だがドルフィンにも理解できる。
 ドルフィンは先住民族の指導者との対面以外は求めず、静観を決め込む。予想以上に高度な力魔術を使うとは言え、Illusionistには遠く及ばない。仮にドルフィンを包囲している全員が一斉攻撃を仕掛けて来ても蹴散らせる確固たる自信がドルフィンにはある。
 ドルフィンは腕組みをしてその場に佇む。見るからに隙だらけで数の上では先住民族が圧倒的だが、どうにも手を出せないと思わせる威圧感や風格をドルフィンは漂わせている。ドルフィンは石像のように微動だにせず、先住民族側の動きを待つ。
 張り詰めた時間が緩やかに流れていく。やがて東の空が薄い光を帯び始める。
 集落の奥の方で人の動きを感じる。ドルフィンが注視する中、武装した先住民族の一団がドルフィンに近づいていく。ドルフィンが張った結界から10メールほど距離を置いて対峙する形になる。
 人垣のうち、ドルフィンに最も近い方が左右に割れ、内側から先住民族と出で立ちが異なる人物がドルフィンに歩み寄る。その人物を見てドルフィンの表情が緩む。

「やはり貴方でしたか…。」

 ドルフィンは結界を解除し、人物に歩み寄る。同じく笑みを浮かべる人物が差し出した手を、ドルフィンががっしり握る。固い握手を交わすドルフィンと人物を見た先住民族は、一斉に警戒を解除し、2人に駆け寄る…。
 陽光がジャングルを照らし始める中、ドルフィンは先住民族の最大集落にある最も大きな建物に案内される。先住民族は何時ものように1日の生活を始めたり、ローテーションに従って集落周辺の警備をする。
 ドルフィンは人物と向かい合って座り、先住民族が用意した豪華な食事と酒を嗜む。

「ドルフィン。無事で何よりだよ。」
「貴方こそご無事で何よりです。ウィーザ殿。」

 ドルフィンと歓談するその人物こそ、セイント・ガーディアンの1人であり、力魔術と医学薬学の世界的権威でもあり、シーナの師匠でもあるウィーザ・ムールスである。
 長い銀色の髪を後ろで纏め、先住民族の最上級の衣類と説明された赤色のローブを身に着けた背格好は、力の聖地クルーシァの最高峰セイント・ガーディアンという印象が薄く、脂が乗り切った壮年の学者の印象の方が強い。
 ウィーザはこれまでの経緯を語る。

 クルーシァにおけるガルシア一派のクーデターが勃発した際、激しい追撃で他の面々と連絡を取れないままクルーシァを脱出した。クルーシァの追撃をどうにか振り切った後、世界各地を転々としてガルシア一派の動向や世界への影響を調査していた。
 その途中、タリア=クスカ王国で原因不明の病が蔓延していると聞き、人目を避けてジャングルを移動していた際、先住民族の集落の1つにたどり着いた。魔術の恩恵を受けず、医学薬学の水準も低かった先住民族は、謎の病により緩やかに全滅へと歩んでいた。誰もどうしようもなく死を待つのみだった。
 ウィーザは症状から対症療法として解熱剤と鎮痛剤と栄養剤を精製し、乳幼児や老人など体力が低い者や症状が重篤な者から順次投与した。結果、先住民族は死の淵から劇的に生還し、ウィーザを「カーン様の御使い」と称して崇めるようになった。
 先住民族からカーンという人物、病罹患前後の行動について調査し、病の源泉はカーンの墓周辺にあると推測した。ウィーザは「カーン様の御使い」という自らへの呼称を利用して、カーンは「大戦」以降も諍いを続ける人間を嘆き怒っていること、カーンの怒りが自らの墓に近づく者に対して、病という形で制裁を下していること、カーンの怒りが鎮まるまでカーンの墓に近づくことを止めるように説き、先住民族は重く受け止め従った。
 一方、先住民族がタリア=クスカ王国による迫害を受け続けている事実を重く見て、防衛・迎撃の手段として力魔術を、病気怪我の治療と伝染病の蔓延防止の手段として薬草の識別や調合を、ジャングルの隙間を縫うように建てられていた住居など不安定な住環境の改善策として、ジャングルの開拓と土地の整備開墾、湿気や有害動物への対策を含んだ土木建築技術を、そして安定的・効果的な食糧確保の手段として、家畜の飼育と農作物の栽培を指導し、自ら実践した。
 結果、先住民族の生活水準は飛躍的に向上し、先住民族は益々ウィーザへの崇拝を強めた。先住民族の精神的支柱、そしてタリア=クスカ王国からのより強力な攻撃への盾として、ウィーザは当面この地に留まることにした。

「−というのが、流れ者ウィーザがこの地に居るに至った顛末だよ。」
「ご謙遜を。まさに『神が与えた頭脳』が成せる業です。流石としか言いようがありません。」

 ウィーザにとっては初歩的だったり、基礎的な技術や知識を伝授した程度の認識だったが、先住民族にとっては価値観をも激変させる画期的・革新的なものばかりだった。中でも力魔術は武器を使わずに獲物を狩ったり危険な魔物や動物を撃退でき、更には遠距離攻撃や遠隔操作も出来るのだから、先住民族が狩りや迎撃で生命を落とすリスクが大幅に低減できる。ウィーザがクルーシァ脱出直前に辛うじて持ち出した賢者の石が、これまで魔術と無縁だった先住民族に大きな恩恵を齎したわけだ。
 ジャングルに紛れながら不便で危険な生活を強いられていた先住民族にとって、ごく短期間で劇的な生活水準の向上の術を齎したウィーザは、まさにカーンの使いと称するに相応しい存在だ。そのカーンの使いが、自らを一度は絶滅寸前に追い込んだ争いを未だに止めないことに嘆き怒り、その墓に近づく者を不埒者として病という制裁を下しているから当面近づくな、と言えば従わない者は居ない。
 これにより、タリア=クスカ王国の首都キリカにおける王城爆破事件は、マタラ内相を筆頭とする国軍による自作自演であることが間接的に証明された。
 ウィーザによる先住民族への治療以降、先住民族はウィーザの統率によって自ら戦闘を停止して久しいのだ。神に等しい存在であるウィーザの忠告を無視してまで、わざわざ平穏で安定した生活を戦禍で脅かす火種を作るために、タリア=クスカ王国の王城を爆破しに行く筈がない。

「私が彼ら先住民族に与していると推測して、今日訪れたのかな?」
「その可能性を個人的に感じたのは、かなり集落に近づいてからです。それより先に、タリア=クスカ王国の首都キリカに潜入している仲間が可能性として挙げて来ました。」
「キリカに潜伏中…。諜報活動の人員が居る、と?」
「はい。彼は先住民族への攻撃再開を主張する王国のマタラ内相の動向、ひいてはこの地に潜伏している確率が高いザギの目的を調べるため、キリカに潜伏して活動中です。」

 ドルフィンはタリア=クスカ王国入国以降の出来ごとのあらましを話す。
 パーティーも入国してから謎の病の存在を知り、シーナが中心となって治療や対策に奔走したが、マタラ内相を筆頭とする国軍に追われたこと、そしてマタラ内相が王城爆破事件を自作自演し、先住民族への攻撃再開の口実にしようとしていることは、ウィーザも重大な事態として認識したようで頻りに頷く。

「強権指向の者にありがちな、しかし非常に危険な行動パターンだね。国軍が先住民族の集落位置を特定できていないのが救いだが、今後も続く保証はない。」
「同意見です。同時に、謎の病が魔法によるものに変質していることも、背後にザギやその衛士(センチネル)が居ることの表れと見て警戒しています。」
「ザギか…。昔から魔道剣士としての力量を高めることより妙な知略に走る傾向はあったが、ガルシアの先兵として各地で暗躍しているとはね…。」
「これはあくまで推論の1つですが、ザギが世界各地で暗躍することで各国の政治経済の基盤を破壊し、十分に弱体化させたところで、ガルシアが一気に手持ちの軍を派遣して侵略する考え、まさに先兵としてザギを活動させているとも考えられます。」
「壮大な話だが、あながち間違いとは言いきれないね。」

 ドルフィンが挙げた推論におけるザギの行動は、謀略活動そのものである。だが、ザギの甘言に乗って最後は二重の意味で切り捨てられた国王が居たレクス王国、国の中枢の一角を占める一等貴族の次期当主問題を複雑にし、当事者1人の口封じともう1人の希望しない事実上の次期当主認定、更には現当主との深刻な溝を生じたランディブルド王国、王国全土が悪魔崇拝に塗り潰されて事実上全滅したシェンデラルド王国を見ただけでも、ドルフィンの推測は荒唐無稽ではなくかなりの現実味を帯びている。
 ザギと盟友関係にあるゴルクスが仕組んだラマン教の内紛も、ラマン教指導部とラマンの町の民衆との間に埋めるのが決して容易ではない溝を生み出した。一度芽生えた不信感や対立の解消は、信頼の構築より長い時間を要する。
 そしてタリア=クスカ王国ではマタラ内相率いる国軍、パーティーを追放したことに憤る国民、そして長年続く迫害に加えて国軍に濡れ衣を着せられ、再び攻撃の対象とされつつある先住民族が、三つ巴の泥沼の抗争に巻き込まれる危険がある。
 少なくともパーティーがタリア=クスカ王国の大多数の国民と先住民族を敵に回すことは避けなければならない。そして出来るだけ早期にマタラ内相の策動を暴き、国王に真相を伝えてマタラ内相を無力化する必要がある。幸いにして、前者はウィーザが先住民族の崇拝を一身に集める立場にあることから、労せずして達成可能だ。しかし、タリア=クスカ王国における状況は、更に複雑な様相を呈している。

「王国の現状に論点を戻しますが、マタラ内相が軍を率いて発言力や存在感を高めようと画策していることと、問題の病の蔓延や変質は別の意思が働いていると思われます。」
「これまでの情報からして、マタラ内相は先住民族には強硬一辺倒だが病の蔓延には対処を急いでいるそうだから、マタラ内相は病の蔓延を利用しようとしているのが透けて見えるね。だからこそ、自らの意思とは別に病に対処したドルフィンのパーティーに国家転覆の容疑をかけて追放した、と。」
「そのようです。強権指向と国民の安寧は両立しえないものだと感じます。」

 マタラ内相の行動から見えるのは、「手柄は全て自分のもの」「困難や失敗は全て他人の責任」という極めて利己的な考えだ。パーティーが変質もした病への対処に奔走したことは、病の根絶により自らの存在感を高め、ひいては地位や発言力を高めようとする策謀を阻害することに他ならない。マタラ内相はだからこそ、パーティーに事実無根の国家転覆の容疑をかけて追放した。
 しかし、マタラ内相は典型的な対外強硬派・対内団結志向の国家主義者だ。国民に外部の敵−先住民族への断固たる態度を呼び掛け一致団結を求める一方、国民を脅かす病への対処は力強い宣言を繰り返すものの、薬剤精製の奨励など極めて鈍いものだった。国家財政の負担増を恐れたと言えば聞こえは良いが、つまりは国民の苦難に割く金を惜しんだことを誤魔化すものだ。
 自分の手柄を横取りしようとしたパーティーに−勿論パーティーにそんな意図はない−濡れ衣を着せて追放したは良いが、以降に十分な対策をしなかったために、かえってパーティーの存在感を強め、国民の怒りや不信を買うはめになった。このあたりが背後にザギの存在を感じさせない要因ともなっている。
 病の根絶が宣言倒れで、国民の怒りや不信が高まっていけば、国王の疑義を招くのは当然のこと。そのため、マタラ内相は王城爆破という自作自演で先住民族の脅威をでっち上げ、国民の不満を先住民族に向けようとしている。
 我々の世界における満州事変からの中国侵略やトンキン湾事件からのベトナム戦争、そしてイラクの大量破壊兵器保有疑惑からのイラク侵略戦争などと同じ構図だ。対外的に強硬な態度を取り、対内的に敵に対する団結を呼びかける向きは警戒しなければならない。

「病は力魔術によるものではないかとシーナは推測しています。俺も恐らくそのとおりだと思いますが、誰が何を以ってカーンの墓周辺でそんな魔法を駆使しているのかは不明です。」
「病の性質の特定は調査が必要だが、カーンの墓周辺が病の源泉である理由ははっきりしていると見られる。壮大な人体実験だよ。」
「…病のふるまいを長期的に観察して、より感染しやすく致死率が高く、薬剤も効かない病へと発展させる意図があるということですか?」
「そのとおり。そのためにはより多くのサンプルが必要だし、半ば自動的に人が集まるカーンの墓は、病を発生させる場所として最適だ。全く素晴らしい悪知恵だね。」

 ウィーザの推論が事実なら恐るべき事態だが、これもまた荒唐無稽ではない。
 疾患で厄介な性質は(1)感染しやすい(2)致死率が高い(3)薬効が弱い若しくは効かない−の3点が挙げられる。かつて欧州でペストが猛威をふるったのは、衛生環境が劣悪であったことに加えて−ハイヒールが床や地面に散乱した糞便を踏まないための産物であることは有名−これら3つの要件を全て満たすものであったことが大きい。
 当時の欧州では、ペストの感染と流行が、ペストに感染したネズミの血を吸う蚤が媒介するペスト菌によるものであるという認識がなく−ペスト菌の発見は欧州の大流行より500年ほど後のこと−、消毒という概念も一般的でなかった。
 医学薬学が飛躍的に発展した現代でも、インフルエンザは(1)の性質を有するため毎年のように流行が警告されるし、HIVの脅威もある。人類にとって不幸中の幸いは、HIVの性質が(1)を有しないことだろう。
 カーンの墓は国や民族の違いを超えて、強い信仰を集める聖地だ。その近隣で病が発生すれば罹患する確率は高い。集まる人は老若男女を問わないから、民族や年齢、性別による罹患率や死亡率に関する膨大なデータを得られる。
 「改良」を重ねることで、これまで効いた薬剤が無効化されたり、より感染しやすく致死率が高いものが出来るかもしれない。その兆候が実際に出ていたし、ルイがディスペルによる解除を思いつかなければ、パーティーもお手上げになっていたかもしれない。
 ランディブルド王国の隣国であり兄弟国でもあるシェンデラルド王国は、ザギが拡大した悪魔崇拝により事実上全滅した。悪魔崇拝はしかし、入信者がいなければ成立しない。一方、病は国家や民族を超えて罹患する危険がある、悪い意味での機会均等性を有する。それが世界的に拡散されたら国家の弱体化、ひいては全滅の事態もあり得る。病の対策をしていれば、その後でガルシア一派は悠々と侵略・征服できる。
 まさに壮大な人体実験だが、もし事実だとしたら最悪の事態、すなわち1つの国家の全滅も当然視する最悪の策動と言わなければならない。

「…これまでのザギの行動を鑑みれば、やりかねませんね…。」
「そう見るのが自然だね。最悪の事態になる前に病を根元から断つ必要があるんだが、どうやらジャングルを利用してアジトを巧みに隠しているようなんだ。シーナが発見した魔法探査で探索を試みたんだが、ジャングルの地形しか得られなくてね。」
「魔法探査でもアジトの詳細な位置の特定は難しいですか…。」
「ジャングルは地形の凹凸が激しいから、そこで魔力の反射が乱れやすいんだ。今回シーナとドルフィンが先住民族の集落の位置を絞り込んだが、地形の詳細な情報までは得られなかっただろう。それと同じ理屈だよ。」

 魔法探査は我々の世界におけるレーダーと同じ原理だ。放射した魔力の反射によって物体の存在を識別するのだが、地形の凸凹が激しいと魔力の反射が不十分になる。一種のステルス効果だが、ザギは魔法探査されることを想定してアジトを隠蔽できる場所を選んだとも考えられる。この悪い方向に凄まじい頭の切れ具合は、ザギの存在を疑うには十分な材料だ。

「病の発生元の特定はやはり時間が必要だ。幸い、今のところカーンの墓に近づかなければ病に罹患しない。先住民族がそうしたように、タリア=クスカ王国も事態が収束するまでカーンの墓に近づかないようにするのが得策だね。」
「同意見です。問題はそれをどう実現するかです。」
「1つは国王に進言することだが、ドルフィンのパーティーがマタラ内相に睨まれている以上、この策は使えない。となると、伝説を利用するのが良いね。」
「カーンの伝説ですか。あれを再現すれば確かに国王の宣言より確実に国民が聞き入れるでしょう。ですが、カーンが持っていたとされる炎を纏った聖剣とやらがないと、紛い物とみなされかねません。」
「なかなか慎重だね。しかし、それは一理ある。…ドルフィン。少しばかりシーナを含めて相談したいのだが。」
「それは勿論構いませんが、どうやって?此処にシーナを呼び寄せるのは、パーティーが滞在するバシンゲンの町の都合上不可能です。」
「シーナが動けないなら、私が動けば良いことだよ。勿論、先住民族を不安にさせないよう、私自身は此処に留まってね。」

 謎めいたウィーザの言葉の意味を、ドルフィンは即座に理解する。力魔術の大家であり、セイント・ガーディアン唯一のWizardでもあるウィーザならではの離れ業が発揮される時だ、と…。

「せ、先生?!」
「久しぶりだね、シーナ。元気そうで何よりだよ。」
「先生こそ…。まさか先生がタリア=クスカ王国に居たなんて…。」
「ジャングルは身を隠すにはうってつけの場所だよ。とは言え、なりゆきで当面留まることになったけどね。」

 翌日の深夜、ワイバーンで帰還したのはドルフィンと、全身がほのかに白銀に輝くウィーザ。ウィーザは先住民族の居住地に留まりつつ遠隔でパーティーと直接対話するため、セパレートソウル29)を使って魔力で出来た分身を作ったのだ。
 世界に魔術師は数多あれど、膨大な魔力を要するセパレートソウルが使えるのはWizardのみ。深夜にドルフィンの帰還を知らされ、シーナ以外は寝ぼけ眼で教会の敷地に集合したパーティーは、初めて見るセパレートソウルによる分身の登場、そして「神が与えた頭脳」「千年に1人の逸材」と称される力魔術医学薬学の大家ウィーザとの対面で眠気が一気に消し飛んでいる。

「そちらの面々が、シーナとドルフィンのパーティーの面々かな?」
「は、はい!わ、私、フィリア・エクセールと申します!せ、世界に御名前を轟かせるウィーザ様にお目にかかれて、光栄至極です!」
「リ、リーナ・アルフォンと申します。お、お初にお目にかかります。よ、よろしくお願いいたします。」

 気の強さとプライドの高さではパーティーで1、2を争うフィリアとリーナは、緊張と感激のあまり直立不動で挨拶する。
 フィリアとリーナにとって、ウィーザは畏敬の対象だ。交通手段が限られるこの世界で、力魔術と医学薬学で名を馳せるウィーザと対面する機会はないと思っていただけに、直接対面できたことはフィリアとリーナを高揚させるにはあまりある。

「…はじめまして。アレン・クリストリアと言います。」
「はじめまして。ルイ・セルフェスと申します。」
「同じくはじめまして。クリス・キャリエールです。」
「もう1人、イアソン・アルゴスという男性が居ますが、彼は先に説明したとおり首都キリカに潜伏して諜報活動中です。」
「お休みのところを邪魔してしまって申し訳ないね。今回は緊急事態ということで大目に見てもらいたい。」
「と、とんでもありません!」

 フィリアが強く否定する。フィリアとリーナは未だに直立不動のままだ。

「さて、皆も知っていると思うが、此処タリア=クスカ王国には謎の病が蔓延している。更に病は変質も見せていて、今後より厄介な性質を持つ恐れがある。そうなる前に病を根絶するのは勿論だが、その発生元を絞り込むには時間を要する。その前段階として、タリア=クスカ王国の国民をカーンの墓に近づけないようにすることが求められる。−これが前提条件だ。」
「…。」
「ドルフィンと相談した結果、国王に進言するよりカーンの墓にまつわる伝説、すなわち遠い昔にこの地に存在した人類を絶滅手前に追い込んだナーガというドラゴン率いる魔物の軍勢を、炎を纏った聖剣を携えたカーン・グラハムが打ち破った際、天から降臨したくだりを再現することが近道だという結論に至った。そのためには、カーンが身に着けていた黄金の鎧と炎を纏った聖剣、つまりセイント・ガーディアンに変装するのが良いと考える。」

 これまでの砕けた口調から一転して冷徹な口調と理路整然とした論理展開は、パーティーを強く引き付ける。

「曲がりなりにもセイント・ガーディアンの1人である私が実践するのが最も効率的なのだが、先住民族の精神的安定と防衛が必要なことから、先住民族の集落を離れることは当面出来ない。そこでシーナ。魔法創造でパーティーの誰かをセイント・ガーディアンに変装させることを検討してもらいたいのだが、どうだ?」
「魔力の必要量を見積もると、武器を生成すると鎧が不完全になって、鎧を生成すると武器が維持できないと思います。」

 魔法創造とはWizardのみ可能な魔力による物質の創造である。魔力を源泉とするため永続的ではないものの、質感も能力もすべて術者の意図どおりに物質を創造できる。つまり一時的ではあるが、シーナとウィーザはセイント・ガーディアンの武器か鎧を創造できるのだ。
 カーンの伝説を再現するには短時間でも黄金の鎧と武器の両方が必要だ。しかし、創造する対象が対象だけに当然ながら莫大な魔力が必要なのは確実で、シーナも武器か鎧の何れかしか創造できないと見積もった。

「ふむ…。セイント・ガーディアンの武器と鎧の魔法創造は、シーナでも荷が重いか…。」
「はい。申し訳ありません、先生。」
「否、シーナに無理をさせるわけにはいかない。ドルフィンに殺されたくはないのでね。…ん?」

 ウィーザはふと視界に映ったアレンの剣に注目する…。

用語解説 −Explanation of terms−

28)ワイバーンで上昇できるギリギリの高度:ワイバーンはあまり飛行が得意でない分、高く上昇してから気流に乗って滑空するスタイルが基本である。そのため飛行高度は2000メール(1600メートル)を超える。

29)セパレートソウル:力魔術の古代魔術系に属し、魔力で自らの分身を作り出して、行動させる。意思と五感は完全に本体と連結しており、本体と同様の行動が執れる。制御距離は無限。持続時間は概ね1日。膨大な魔力を要するためWizardのみ使用可能。

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